「見える世界が倍になる!」

【前者後者論】を伝導している

認知カウンセラー&量子場師の向江(むかえ)です
 

 

 

 

-------------------

 

【保存版】前者と後者って?<基本編>続き

 

 

 

前者:

▶「自分の目」と「全体を俯瞰する目(上から目線)」が常に分散

▶複数アングル視点が基礎認知

▶(起きてれば)24時間地上にいる(!)

 

 

後者

▶常に自分100%で存在

▶顔面サーチライトの自分中心&一方向的視点が基礎認知

▶「ここではないどこか」がホームで日中も行き来している

 

 

という前者と後者。

 

 

さらにこの記事では

双方の基本的な「システム」「機能」について

 

 

3つの大きな違いと、
前者の特殊能力(?)
を紹介します。

 

 

(1)脳内システム設計の違い

 

(2)空間認知の違い 

 

(3)情報の取り扱いシステムの違い

 

(4)前者の「ふつう」・・・頭の中の「一般ビト」

 

 

 

これを知っていると

 

・ お互いの言動の発想経路

・ お互いの得意と不得意の仕組み

・ 一見同じ結果に至るまでのアプローチ(戦略)の違い

・ 色んなノウハウの向き不向き、その理由

 

 

などを見分ける大きな参考になりますよ^^

 

 

 

 

(1)頭の中の画面数の違い

 

 

 

前者と後者では、

視界の違いに連動して脳内の仕組みも違います。

 

 

 

■前者

 

視界の図(右)と同じく頭の中も複数画面的です。

 

 

絵: byカエル姉さん (『◆マルチな「前者」が集中出来ないワケ。』)

 

 

監視カメラ画像みたいに

別々の情報が複数モニターに同時に映っていて

 

 

対処に必要な最低限の情報を

色んな角度から収集してるイメージでしょうか。

 

 

 

システムが独立分散しているので

 

 

それぞれの情報を独立並行的に扱えますし

(※扱える画面数や処理速度は人によります)

 

 

どこかの画面やシステムでエラーが起きても

全面ストップにはまずなりません。

 

 

他でバックアップできるからです。

 

 

 

 

また、あくまで個人のキャパ内での話ですが

 

メイン画面で見てるもの以外の情報も落ちないので、

視野が狭まらず、死角が少ないのが特徴です。

 

 

 

 

ただし独立分散してる分、

 

1つ1つのシステムキャパはそんなに高くはありませんし

一点投下みたいな集中の仕方は苦手です。

 

 

 

 

 

 

■後者

 

一方、後者は脳内が単画面・単システムです。

 

絵: byカエル姉さん (『◆マルチな「前者」が集中出来ないワケ。』)

 

 

この単画面&システムの情報キャパは莫大で、

 

 

操作系も前者にはない機能が色々あったりしますが

 

 

違う系列の情報を「同時」には扱えません。

それをやるとショートします。

 

 

 

集中するのは得意な一方

その間、「画面の外」が意識に入らなくなります。

 

 

分母そのものから消えているのです。

(極端に言えば「見えてないものは存在しない」)

 

 

 

だから、後者は物理的には聞こえるはずの

「人の声が意識に届かない」

というのがわりとあります。

 

 

違う何かに意識を向ける時は

1回1回映すものを切り替える必要があります。

 

 

一時的になら、参考画面を呼び出したり

脳の構造上、女性なら画面分割が可能かもです。

ただその分1画面の情報量は落ちますし、

基本状態ではないので長くは持ちません。

 

 

 

巨大なメインシステム1つで

色んな物事を処理しているので

(本社1つで支社がないか権限がないみたいな)

 

 

 

キャパはありますが、

何度も切り替えの必要な細かい動きは

負荷が高いので苦手です。

 

 

なので最低3回くらいは言われないと

「大事なこと」として拾いません。(無意識の反応)

 

 

 

また対応回路のないことにはフリーズしたり砂時計

(しかも画面もシステムも1つなので全面ストップする)

 

 

 

新しいことへの理解や対応は

脳内システムの再構築に時間がかかったりします。

 

 

 

 

一度できあがれば

その後はむしろ迅速なのですが、

 

 

ここに時間がかかることで

能力をやる気を誤解されている後者が

けっこう多いのではないかと思います。

 

 

※更に詳しく知りたい方はこちら

⇒ ◆マルチな「前者」が集中出来ないワケ。(byカエル姉さん)

⇒ ”真っ白問題” 完全決着!

 

 

 

 

 

(2)空間認知の違い

 

 

例えば、カフェやレストランで

2~3人で話が盛り上がっているとします。

 

 

前者は「自分の興味がどこにあろうが」

店内全体の状態を常に把握しています。

 

 

でも後者は興味あるものに集中すると、

自分と相手の周りにゾーンができるんです。

 

IMG_20160511_225412385.jpg

※「ゾーン」は後者を理解する上で

 けっこう大きなポイントです^^;

 

 

 

後者にとってこのゾーンの外は

目には入っていても映画の背景のような「意識の外」です。

 

 

前者は(意識すればできる人もいますが)

意識空間が常にオープンなんですよね。

 

 

 

その中身を解説すると・・・

 

 

■前者

 

「空間(世界)が先にあって、

 そこに自分も他人も要素として存在している」

 

という感覚が近いんです。

 

 

 

前者は空間把握が先なのです。

 

 

自分は要素の1つなので自分の中心感が弱く、

意識が常にオープンで

周りの情報が「自動的に」頭に入ってきます。

 

 

 

頭の中では「目の前の画像」「俯瞰画面」

同時に映っています。(2画面制)

 

IMG_20161117_212820536.jpg

※補足の仮説ですが耳からの情報をかなり使ってると思います。

 

 

 

 

■後者

 

「自分が世界の中心。

 自分があって、その周りに世界がある」

 

という感覚です。

 

 

後者にとって世界は

常に自分を中心に放射状に広がっているものです。

 

 

自分と一緒に世界が動く。

あるいは世界の中に自分が突っ込んでいく。

 

 

このイメージを例えるなら、バイオハザード。

 

(さすがにもっと視界は広いですが)

 

自分が動くと

「ドアが現れた」「人が現れた」「階段が現れた」・・・・

 

 

しかも後者の少なからずの人がMap機能がない・・・

「Mapなしにバイオハザードして生きています^^;

(俯瞰や客観はコツだと思うので、

そういう発想を持って訓練すれば切り替えられるようにはなると思うのですが・・・)

 

 

機能がある人も、Map(俯瞰画面)を呼び出すと

その間画面の方はフリーズします。

 

 

⇒ 前者には/後者には世界は”こう”見えている!

⇒ 前者と後者の見分け方

⇒  前者の漫画と後者の漫画

 

 

 

 

 

(3)頭の中の情報の処理方法の違い

 

 

「OSが違う」とは正にこのことか、という感じですが

前者と後者では情報の処理形式が違います。

 

前者: カテゴリー分け(分類)& 収納・整理

後者: バラバラ& 自由遊泳 → 紐つけ&集団化

 

 

 

■前者

 

これは春夜さんという方が発見した驚愕の事実で、

 

前者には実は脳内に

「全自動カテゴリー分け機能(!)」があります。

 

 

袋とかフォルダとかイメージは人それぞれですが、

とにかく頭の中に分類BOXがあって

入ってきた情報が全て 自動仕分け→自動収納されます。

 

 

袋の絵;春夜さん『前者による「前者と後者の頭のなか」のイメージ』

 

 

どうしてそういう分類なのか

どういう判断でそう仕分けたのか

 

自動なので、前者自身にも実は説明できません。

 

しかし前者同士ではこれは共通しているらしく

前者同士だと話が通じます。

 

 

 

後者も大まかな袋くらいはありますが

相当大枠ですし、そもそも手動です。

 

そのため、後者は前者の話を聞いていて

 

・ なぜそのカテゴリーで分けるのか(切り方は色々ある)

・ 今なんのカテゴリーの話をしてるのか

・ なんでそれ↑が説明なしにわかるのか

 

がわからなくてポカンとする ポカン

ということが往々にしてあったりします。

 

 

 

また前者は情報を分類・整理して取り扱ってますから

 

思考の道筋も合理的です。

だから人にもそれをそのまま説明すればいいだけです。

 

説明や共有に強く、処理が速い。

そして何度でも再現できます。

 

 

ただし代償として合理的な発想法に

思考が規定されている、ともいえます。

 

また情報を「生」のまま置いておけず、

すぐに分類できないとストレスに感じるようです。

 

 

 

 

②後者

 

頭の中では基本的に

情報がバラバラに浮いています。

 

水中とか宇宙、4次元ポケットみたいなところに

情報が自由遊泳しているイメージです。

 

 

近しい情報はなんとなく一緒にいます。

(魚群や星雲みたいに)

 

IMG_20160928_235553675.jpg

 

 

何かのきっかけで

連想ゲームのように情報と情報が紐つき

 

関連性ができたり、パターンを形成します。

 

IMG_20160929_002428314.jpg IMG_20160929_000022478.jpg

 

この紐つけは基本は自動ですが、手動も可能です。

 

紐と紐は干渉し合いませんので

組み合わせは幾らでも自由です。

 

カテゴリーではなく

「関連性」や「つながり」として全体を捉えて把握します。

 

 

慣れてるパターンは得意で安心がありますが、

それが思いこみやワンパターンにはまる原因でもあります。

 

新しいことは頑張ってパターンを作る必要があります。

 

 

前者同士のカテゴリーは大体共通してますが、

後者の場合はそれぞれの独自システムでできあがってるので

後者同士でも共通しません。

 

 

 

花

 

後者の情報処理を具体例で補足すると、

例えばここに「ケチャップ」があったとしますケチャップ

 

 

前者の場合は、ケチャップという情報が

頭の中に元々ある「調味料」というフォルダに格納されます(自動)

 

IMG_20170111_153448007.jpg

 

 

後者の場合は

「ケチャップ」は「ケチャップ」という

生の情報のまま頭の中に浮いています。

 

IMG_20170111_153513469.jpg

 

そのケチャップの方に、

「調味料」でもあり「赤い」でもあり

「食事の時に使う」「テーブルに置いてある」とかの

 

 

色んな見えないタグがついているのです。(自動)

 

IMG_20170111_153536945.jpg

 

 

そして「”調味料””卵”といえば・・・・」

で連想ゲーム的に”塩”に結びついたり、

 

IMG_20170111_153745737.jpg

 

 

逆にタグを引っ張って情報の方を寄せ集めることもできます。

 

IMG_20170111_153702418.jpg

 

これが後者の頭の中で、

後者は個別の情報をいかようでも自由に取り扱えます。

 

逆にカテゴリー分けは邪魔な壁みたいなもので、

頭の中の自由度が阻害されてストレスになります。

 

 

頭の中で情報が勝手に自由遊泳してるので

偶発的な閃きもたびたび起きますし

必要な情報がダイレクトに見えてることも多いのです。

(逆に行方不明になることも多いですが)

 

 

ただし、

自分1人の脳内宇宙で起きてることなので

そのままでは人に通じません。

 

 

この言語化や説明のハードルはけっこう高く、

(もししようとするなら)受け手を意識した

言語化の訓練がある程度必要です。

 

 

発想の自由さや閃きや独自性はあるものの

体系化や言語化、プロセスを語ったりすることは苦手なのが後者です。

(ないから)

 

 

 

そして後者は、

無から有を作り上げてるので

 

自分の宇宙にないものは発想できませんし

要素だけあってもパターンが思いつかないことが多いです。

 

 

だから後者には(たとえ厳しい意見でも)

「言ってもらう」「教えてもらう」ということがとても大事なんです。

(後者すぐに自分のシステムに頼るけど、その中に答はない

 

 

後者自身には「他人を観察する」ということが

とても有効なのですが

後者はこれをしないんですよね( ̄ー ̄;

 

その「発想」自体も、やはりまたなかったりするのです。

 

 

全自動仕分け機能(!)

後者の言語化

頭の構造に合わせる!~前者は「カテゴリー」/ 後者は「紐つけ」

⇒ 頭の仕組みを理解して工夫する

(特に)後者の情報整理はこれがおススメ

 

 

 

 

(4)前者の頭の中の「普通のひと」

 

 

前者さんの口癖「普通は」

 

 

前者と後者の代表的な

ケンカポイントといってもいいですよね^^;

 

 

それにしても、この「ふつう」ってなんなんでしょう?

 

 

 

後者には衝撃の事実ですが

実は、前者の頭の中には本当に

 

「普通のひと」がいるのです真顔

 

 

 

私は「一般ビト」と呼んでいるのですけども

(1匹ではなく、バリエーションが色々あります)

 

 

これが前者の脳内モニターのどこかに常に映っていて

 

その画面に条件をインプットすると

「普通のひと」が「普通」に動いてくれる。

 

 

前者はそれを横目で確認すれば

「普通」が常にわかるんです。

 

 

 

そして「普通はこう」に応じた

ヒーロースーツのようなものが自動生成されるので

 

前者はそれを着用して「普通」に振る舞います。

 

絵:byにゃあさん(『これが目に入らぬか!一般ビトスーツ』)

 

 

前者は外にいる時は(下手したら家でも)

TPOに応じてなにかしらこの「スーツ」を着ています。

 

 

これが前者の「ふつう」の仕組みです。

 

 

 

花

 

で、この一般ビトの正体は何かというと、

その前者がこれまで直接・間接的に見知る

 

全人間データの「最大公約数」

 

いわゆるメタデータ、というやつなんですよね。たぶん。

 

 

言ってみれば前者の脳内特殊フォルダで、

そこにデータ(主に行動や言動)が

延々と自動的に蓄積され続けているのです。

(しかも前者同士だとこの情報を交換できるみたいです)

 

 

だから

前者の言う「普通」は、本当に「普通」なのです。

(ただの主観ではなく)

 

 

※1

ただしあくまでその前者の持つ情報内での「普通」ですからね。

 

また前者が実際に「普通は」という時の中身は

個人の推測や願望や「べき」が交ざってることも多々あり

 

バックデータも根拠もありますが

バックデータそのものとは限らないので注意です。

(それでもなしで言ってるのとは全然違いますが)

 

 

※2

「一般ビト」は前者なら誰でも持っていますが

その収集や利用の仕方には

個性やセンスが関わっているようです。

 

もちろん経験も関わるので、子供はまだデータが少ないです。

(子供のうちに色んな人や価値観に触れていると、一般ビトのバリエーションやスーツのセンスが豊かになりそうですね)

 

 

 

 

花

 

一方、後者の頭の中には

こんなひとは生息していません( ̄ー ̄;

 

 

後者に「ふつう」は

機能的にそもそもわからないのです。

 

 

もちろん後者にも「ふうつ」の感覚はありますが

自分の経験や人の言ってたことのなんとなくの集積です。

 

 

「こういうことがあった」

「こういう人が多かった」

「こう教えられた、それで上手くいったことがある」

 

 

・・・・・とりあえず今までは採用したけど

「違う」「それは普通じゃない」

 

と言われたらそれまでですびっくり

自分の中に反論する根拠もない。

 

 

 

「自分ならどうか」は大事な一つの判断基準ですが、

自分が気にならなくても人は気になる、

ということがわりと多過ぎるので

 

最終的には頼りになりません真顔

 

 

 

 

だから後者は「ふつう」(基準)ではなく、

枠(範囲)で考える戦略をとっています。

 

 

要は、怒られそうかどうかです。

(あと致命傷になりそうかどうか)

 

 

後者の人って

「怒られるかな~」「怒られそうじゃない?」「怒られるよー」

 

ってよく言ってる気がしません?^^;

 

 

ふつう(基準)がわからないので、

自由にやっていい最大領域を確認して、

 

それが確認できたら

「その範囲内は自由にしていい(考えなくていい)」

って考え方なんですよね。

 

限界までいってみて「痛かったけど死ななかった(´∀`)」。

その繰り返しで肌感覚が掴めてくるのですが、

痛い目見すぎると臆病になります。

 

 

 

誰かから教えられた「ふつう(基準)」も

大いに参考になるのですが

 

ただこの「基準」てあくまで「スーツ」の方なんですよね。

 

 

後者で逆に「普通」にすごくこだわる人って

いつぞや手にした”スーツ=マニュアル”を「これが普通だ」

後生大事に握りしめているんですが、

 

だから更新されないし、融通が利きません。

怒られないために身を守ってるんですよね。

 

 

あともう1つの戦略は、私もそうでしたが

「普遍的な”正しさ”」を考えることで、

これは相当に考え抜いたかなり強力な「基準」です。

ただしそれが一般的に通用するかどうかはまた別の話で

しかも本人は確信があるものだから、

それもそれでよく人とぶつかることになります^^;

 

 

 

 

花

 

後者は素直に前者に頼って

助言をもらったらよいと思いますよ照れ

 

 

ただ、前者さんが注意するとしたら

 

 

前者は「ふつう」を助言するだけでなく、

それに基づいた「理想郷」のための行動・・・

 

「スーツ」をおそろいで着せてこようとするんですよね(善意)^^;

 

 

 

 

確かにスーツがある方が安心で有用なことも多いし、

基本スーツはあった方が平和です。

(社会的な場面、社会ルール、冠婚葬祭など)

 

そしてそれは「みんなが着てこそ」意味があるのもよくわかります。

 

 

 

ただ最大公約数、って言ってみれば個性ゼロ。

 

 

一般ビトを元に生成されたスーツは、

自分を含め、どんな人間にも絶対にピッタリは合いません。

 

また「公約数」で共通している部分が

その個人にとってどれだけ重要か、優先か

ということは全く話が別です。

 

 

 

だからなんでもかんでもいつでも

スーツを着たり、着せようとしたり

 

現実とかけ離れ過ぎた

「理想のスーツ」をつくっちゃったりすると

 

個人がどんどん窒息していってしまうのです。

 

IMG_20161217_210003900.jpg

 

自分や周りがそういう苦しさを感じている時は

「なんのために?」を一度振り返ってみるとよいと思います。

 

 

あとそもそも「ふつう」はどこまでも「ふつう」ですし

 

前者は後者=日本の半分のヒトの

世界を全く知らないわけですから

 

 

「聞いてみないとわからない」

が基本であることは、

忘れないようにした方がいいと思います。

 

 

 

※それでもやってしまう前者さんの心理は、こちらもご参考ください。

 

⇒ 謎の人間標準像 ~ "一般ビト"

「結婚後に」なぜか苦しくなってしまった前者妻さんへ
⇒ 結婚後に発動する「一般ホームスーツ」!

⇒ 前者の「理想郷建設プログラム」

 

 

前者後者の本、出版中!

 

Amazon