おはようございます。



タブレット→

は、もう18,000円の高級マウスパッドと、

マウスセット化してる。ヽ(`Д´)ノ




娘しゃんが珍しくまじめにはなすのだ。

「理科の先生がさ~

物質は、炭素とか水素とかが集まってるわけで~

昔のくろまにょん人とかが、死んで土とかになって、

また、今の人がその元素を使ってるかも

しれないって!」



ん~いいじゃん。いいじゃん。



太鼓太古の思いを胸にいだく。というか。


うなぎの匂いでご飯が3杯食べられる感じ。


違うか。


この場合、匂いは無いので、うなぎをイメージするだけでご飯が3杯食べられる感じ。


それは無理だな。


人生は気分のみ。と、鈴木大拙が言ってた。出典は忘れたけど。


変える事のできない幾多の周りの状況の中で、いかにして幸せを感じる?



人間にとって最も耐え難いことは、

『なんのために』という問いに対して答えがないことであり、

また反対に『なんのために』を知っている者は、

『ほとんどあらゆる事に』に耐えることができる。


                 生きる意味への問い 山田邦夫 佼成出版社より

                          (少し変えましたm(_ _ )m)

でば、よい一日を

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

生きる意味への問い―V・E・フランクルをめぐって/山田 邦男
¥2,415
Amazon.co.jp

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 食事中の方はぜったいみないで!!↓















           この写真載せたら、ぜったい嫁さんと娘しゃんに怒られるんだよなぁ。

           クリックしても知らないよ~。

           夕馬のパソコンだよ~おぉ。

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おはようございます

今日の弁当です。

いつものメニューです。なはは。


昨日の記事にたくさんのコメントありがとうございます。

しっかり読んで、いろいろ感じてます。

ほんとうにありがとうございました。

コメレスは休ませてください

申し訳ありません。m(_ _ )m


うつ病の方との対話については、

どうしても自分が「ガツン」と気付かせてもらった思いが強烈で、

ついつい熱くなってしまいます。



自分の眼自身は、自分の眼では見えないんですよね。

自分の眼が見えなくなったり、見え方がおかしくなって、

はじめて自分の眼の異常に気がつきます。



うつ病の方には、わたし自身の眼の異常のヒントをもらった。という感じ。

って、わかりますか?




市原悦男の『ミュージシャンへのみち』リターンズ


リターンしてへんがな。

引っ張ったわりには、想像してもらった内容と違うだろなー。って今後悔してます。



20歳すぎのミュージシャンを目指す、若い子と知り合う機会があって、

いろいろ話を聞いてきました。

あちこちのライブハウスにも出れるようになってきた。

楽器の練習も楽しく、金は無いけど生きてる実感を感じるって言ってた。



それが、先日こんな事を言い出したんですねぇ。


「ライブハウスって、気に入ってもらえないと出してもらえないんですよ」


それは、なんかわかるよ。永久歯が持ちそうも無いおじさんでも。


やっぱりそういう世界って、なんか光るものがいるんじゃない?


違う。違う。


派閥みたいなのが、あるんだって。

そのバンドのメンバーと仲良くなれないと出してもらえない。


なるほどー。

なんかわかるよ。


黒いうわさっぽいな。


「なんか人間関係に疲れちゃって~」


あ。

ここでこの言葉を聞くんだ。

そう思いました。


ミュージシャンの方々が読んでおられたら、ごめんなさい。

素晴らしい体験もたくさんあると思います。

ただ、ひとりのミュージシャンの悩みを紹介しただけなのですが、

なんだろ。


こんなところにも染み出してきている。


今の世の中、人生までオートメーション化されて、管理されてしまってるような。

自動的にストレスを溜め込まされて、心の病気になるようにされているのか?


バブル期に何も考えず、浮かれた20代を過ごしたわしにとって、

20歳から、人生を真剣に見つめている若者が多いと感じるのは早計かな?


踏ん張れ。

おじさんも踏ん張ってるし。

その悩みには意味がある。

外に出よう。

悲しい巧妙な罠に決別を。

外に出れば自分の眼自身が見えるよ。


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おはようございます。

昨日の記事の続きをどうしても書きたくなりました。

市原悦男の『ミュージシャンへのみち』vol.2と書こうかな。

と思いましたが、月の雫さんから、怒りのコメが入るに決まってるので、

やめます(ごめんなさ~いぃぃ)


まったく私個人の考えで勝手に書き進めます。

こういう考え方もあるのか。と、軽く読んでほしいです。


うつ病の方と、もしお話することがあったとしたらですが、

「ただ、その方の気持ちを聞く」という態度に徹して欲しいです。


とは書きましたが、これがなかなかできません。

わたしは、10年間うつ病の人と仕事をしてきましたが、

ただの一度も、そのことの大切さが理解できませんでした。


これは、ほんとうに難しい事です。

わたしもわかっているのか、まだ自信がありません。


このような記事は今まで何度も書いてきましたが、

何回書いてもいまいちうまく書けません。


はたして書くことに意味があるのか、自問自答が続いていました。


もっかい挑戦だぁ。


あくまで、わたしの気持ちとして書きますが、うつ病の方と接すると、

どうしても「あーだ、こーだ」指摘してしまうのです。

これ、すべて自分の自信の無さから来ています。

言い切りますよ。私の意見ですから。

相手をおとしめる事で、自分の満足を得ているのです。



静かなところでゆっくり自分と向き合ってみると、

間違いなく、『うつ病の人はダメな人』という思いを自分が持っていることに

気がつきます。



そのような思いを持っていては、どのような策を講じても

うつ病の方とこころから話をするなんてことは到底ありえない事なのです。


これ、うつ病の方の話を書いていますが、すべての人間関係に通じる話です。

たとえば、いじめの問題もそうかもしれない。

差別の問題もそうかもしれない。



そして、ここまで書くと、あることに気がつきます。

今度は、うつ病の人を責める人を批難したくなる気持ちが出てきます。



そして、それも同じ理由でダメなことは想像つきます。

そういう人に対しても、「ただその人の思いを聞く」という態度が必要なわけです。

ぐるぐるです。



こっちも認めて。あっちも認めて。

無理でしょ。

かみさまじゃないんだから。


どうなってるんでしょ。


こう考えましょ。

みんなダメでいいじゃん。

だって人間だもん。(やっぱりこの言葉はさいこ~)



つまるところ、どうも人間の一番安定する位置は、ふわふわ浮いているような

中途半端な、空中に浮いている状態が一番安定するようなのです。



みんなしっかり大地に足をつけて、安定して生きたいと思うのが普通です。

それが、中途半端のふわふわが一番いいかも?なんて言われたら。



そりゃあ世の中矛盾だらけの争いだらけになるわけです。



ま、この話は確認しようが無いので終わりにして、

つまりうつ病の人と話す場合に限らず、

こころの底から、相手の方と分かり合おうと思うならば、

胃袋をひっくり返すくらいのつもりで、自分を見つめてみる。

そして真摯な態度で相手と向き合うということだと思います。

これが大変なんですよね。



自分探しというのは、素晴らしいことなのですが、

くれぐれも大切な事は、自分探しは常に実体験とセットだということです。

誰かと接して、奇蹟を感じて欲しいです。

人生第二章のはじまりですよ。


あしたこそ、『ミュージシャンへのみち』だぁぁ


それではよい一日を


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おはようございます。


最近、思います。本、書評、文学ブログのジャンルのままでいいのだろうか?

書評楽しみにしてます♪って、たくさんコメントやメッセージいただいてます。

ほんとありがとうございます。

とくに女の方から『ルン♪』って、音符ついたメッセージいただくと、

「あなたのために書いちゃおうかな」って、つい思ってしまいます。

でも、申し訳ないことに、今まったく本読んでません。

どうもわたしは、疑問が出るとヒントにたどり着くまで、病気のように

読み続けるみたいです。



これ、思い起こしてみると、恥ずかしい体験をした時の後が多い。

「あぁ、何であんなこと言ったんだろう」

「あぁ、何であんなことしたんだろう」

「あんなこと、しなければよかった」



そういうあとに、人に会いたくなくなりますから、猛烈に読書していたナ。

なんせ古本屋ですから、本は売るほどありますから。



で、今にしてみると思うのですが、恥ずかしい体験をしたから、

もうそんな思いをしたくないから、必死で勉強したんですね。

そのおかげで、たくさんの読書をして、気付きがあったと思っています。

恥ずかしい体験には、意味があったと思えるんですね。

そう気付くと、恥ずかしい体験をしてもいいかな?とさえ思える。

恐れていたことの呪縛から開放された気がします。


人生は気分のみ。

この感覚を是非伝えたい。



で、ここから、いつもの


まったく私個人の考えで勝手に書き進めます。

こういう考え方もあるのか。と、軽く読んでほしいです。


思い出すのは、恥ずかしい体験の後って、けっこう落ち込んでたな。ってこと。

これって、たとえば、気付きと心の病気って紙一重のところにあるのかも。


鬱病の苦しみをわたしは、たぶんわかっていない。

しかし、このままだと、おかしくなりそう。という感覚はわかる。


こういう考え方は、わたしの勝手な考えなのかもしれないのですが、

もしかしたら、うつってすごいのかも。って例えば思える。



思えない?

うつの人って、気付きのチャンスのところまで行っている人なのかも。



ちょっとした考え方の違いなんですが。

間違いかもしれない。見当違いかもしれない。

それでもいいのです。

ほんとうに自分が自分らしくあるために。



こころから、他人に優しくなれるって、どういうことなのか?


自分の為に。

まさに自分自身を生かすために他人を思う。



こういう考え方広めたいなぁ。



いやしかし、どこがミュージシャンへのみちやねん。

ということで、次回こそミュージシャンへのみち。



それではよい一日を。


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おはようございます。

娘が熱があり、様子をみるため休んでます。

弁当も休みになったので、変更してチャーハンをたくさん作りました。



5人前作ったけど、(3人家族だけど)

その場で娘に食われたので、4人前。


うちの家族は、みんな仕事が不規則なので、

勝手に冷蔵庫から出して、食べます。


娘はまだ定期券を探しとる。

もう。一回もつこてないのに。

やっぱり性格がざーっとしとる。

しかし大切なことは、伝えとるつもりや。

ギャグのセンスは、梅田へ行っても(大阪)

充分、張り合えると思う。



『ティッシュペーパーのストックについて』補足



まったく私個人の考えで勝手に書き進めます。

こういう考え方もあるのか。と、軽く読んでほしいです。



ティッシュペーパーのストックのことを、”世の中の決まりごと”と考えるとします。

たとえば、会社の方針、世間の慣習、儀礼、親の見栄などなど。

世の中、嫌気がさす事ばかり。

「もっと自分らしく生きたい!」

そういう気持ちが出てくるのもよくわかります。


ティッシュペーパーはストックしなければならない!

と、自分をがんじがらめにしてしまうと、精神的に縛られてしまい、

たとえば、実際にティッシュが無くなってしまうと、パニックになってしまいます。


『トイレットペーパーでもティッシュペーパーの代用ができる』

という考え方は、それを防ぐわけです。


具体的には、自分らしく生きたいのであれば、それを具体的にイメージする。

さらには、具体的に準備する。

「いざというときには、自分にはこういう生き方もあるんだ!」

という代替案を持っておくということは、心の余裕に繋がります。


ティッシュペーパーが無くなりそうな時、それしか考えられないと、

とにかく、買いに行かずにはおれず、あせって車で走っていきます。


心に余裕があれば止まるはずの信号も、

黄色で突っ込んだりして、事故を起こすかもしれない。


仕事やその他の辛い状況のとき、代替案を持っていると

こころに余裕ができるので、まったく同じ処理の方法を取っている

ようでも、結果がまったく変わってくる場合があるわけです。


さぁ、トイレットペーパーで鼻をかんでみましょう!


それでは、よい一日を


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