おはようございます。
最近、思います。本、書評、文学ブログのジャンルのままでいいのだろうか?
書評楽しみにしてます♪って、たくさんコメントやメッセージいただいてます。
ほんとありがとうございます。
とくに女の方から『ルン♪』って、音符ついたメッセージいただくと、
「あなたのために書いちゃおうかな」って、つい思ってしまいます。
でも、申し訳ないことに、今まったく本読んでません。
どうもわたしは、疑問が出るとヒントにたどり着くまで、病気のように
読み続けるみたいです。
これ、思い起こしてみると、恥ずかしい体験をした時の後が多い。
「あぁ、何であんなこと言ったんだろう」
「あぁ、何であんなことしたんだろう」
「あんなこと、しなければよかった」
そういうあとに、人に会いたくなくなりますから、猛烈に読書していたナ。
なんせ古本屋ですから、本は売るほどありますから。
で、今にしてみると思うのですが、恥ずかしい体験をしたから、
もうそんな思いをしたくないから、必死で勉強したんですね。
そのおかげで、たくさんの読書をして、気付きがあったと思っています。
恥ずかしい体験には、意味があったと思えるんですね。
そう気付くと、恥ずかしい体験をしてもいいかな?とさえ思える。
恐れていたことの呪縛から開放された気がします。
人生は気分のみ。
この感覚を是非伝えたい。
で、ここから、いつもの
まったく私個人の考えで勝手に書き進めます。
こういう考え方もあるのか。と、軽く読んでほしいです。
思い出すのは、恥ずかしい体験の後って、けっこう落ち込んでたな。ってこと。
これって、たとえば、気付きと心の病気って紙一重のところにあるのかも。
鬱病の苦しみをわたしは、たぶんわかっていない。
しかし、このままだと、おかしくなりそう。という感覚はわかる。
こういう考え方は、わたしの勝手な考えなのかもしれないのですが、
もしかしたら、うつってすごいのかも。って例えば思える。
思えない?
うつの人って、気付きのチャンスのところまで行っている人なのかも。
ちょっとした考え方の違いなんですが。
間違いかもしれない。見当違いかもしれない。
それでもいいのです。
ほんとうに自分が自分らしくあるために。
こころから、他人に優しくなれるって、どういうことなのか?
自分の為に。
まさに自分自身を生かすために他人を思う。
こういう考え方広めたいなぁ。
いやしかし、どこがミュージシャンへのみちやねん。
ということで、次回こそミュージシャンへのみち。
それではよい一日を。
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