最後に

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最後に自分としての自分探しの意味を見つけたので、それを書いて終わりにしたいと思います。最初は辛かったけど途中からは楽しかった。

最後の本は、仏教の中の唯識学(ゆいしきがく)の本です。

『凡夫が凡夫に呼びかける唯識』 太田久紀(きゅうき) 大法輪閣 昭和60年

(お寺にいくと、『回光返照(えこうへんしょう)』という文字に出会う。
外に向けられた光を内に向けるということであるが、光を内に回(めぐ)らせば、おのずから〔慚〕(ざん)〔愧〕(き)の思いが沸きあがってくるはずだ。)

この中の、慚と愧というのは、”恥”のことです。
恥ずかしいと思う心。
〔慚〕は内面的な”はじ”の自覚で、自分の良心や真理、正義に照らして自分を恥じること。
〔愧〕は、世間に恥じること。世間の評判や、他人の眼、世間体を気にして、それによってはずかしいと思う”はじ”。

自分はこの、恥ずかしい思いに長年苦しんできましたが、この恥ずかしい思いが大切な事だったのです。
と、唯識では言っています。
自分探しが難しいのは、この自分を見つめると出てくる”恥ずかしさ”に堪えられなくなって、途中でくじけてしまうからなのです。

悩むということは、実に大切な事なのではないか。
そして、”恥ずかしい”という思いが出てきてから、ほんとの自分との会話ができるようになるのです。
〔慚〕と〔愧〕は、唯識学では人が人として成長する上で必要な条件の中に数えられているんです。
自分は”恥ずかしい”思いを無くそう、無くそうと、反対の方向ばかり目指していたのです。

それでは長い間読んでくださいまして、ほんとうにありがとうございます。
また、考えが変わったら始めます(笑)


大事をなそうとして
力を与えてほしいと神に求めたのに
慎み深く従順であるようにと
弱さを授かった


より偉大なことができるように
健康を求めたのに
より良きことができるようにと
病弱を与えられた


幸せになろうとして
富を求めたのに
賢明であるようにと
貧困を授かった


世の人々の賞賛を得ようとして
権力を求めたのに
神の前にひざまずくようにと
無力を授かった


人生を享楽しようと
あらゆるものを求めたのに
あらゆることを喜べるようにと
生命を授かった


求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞きとどけられた
神の意にそわぬ者であるにかかわらず
心の中の言い表せない祈りはすべてかなえられた
わたしはあらゆる人の中でもっとも豊かに祝福されたのだ


 「病者の祈り」ニューヨーク・リハビリテーション研究所の壁に書かれた一患者の詩



ロゴセラピストの先輩が教えてくださった詩なのですが、

とても感激したので。


気分気分

手を打てば はいと答える 鳥逃げる 鯉は集まる 猿沢の池』という歌があります。旅行客が猿沢の池(奈良にある池)の旅館で手を打ったなら、旅館の人はお客が呼んでいると思い、鳥は鉄砲で撃たれたと思い、池の鯉は餌がもらえると思って集まってくる、ひとつの音でもこのように受け取り方が違ってくる。一人一人別々の世界があるということです。


以上、薬師寺のホームページからパクリました。いや拝借しました。

薬師寺ホームページ”法相宗とは” より


猿沢の池かぁ。やっぱ修学旅行思い出すなぁ。関西出身は。

うちのむすめが鹿に蹴られて大泣きしたのも思い出すなぁ。


ところでなんとも小気味よい歌じゃないですか?

手を叩いたら、みんな寄ってくるわけじゃぁない。

逃げる人も、もしかしたら『うるさい!』言うて怒ってくる人もいるかも。と。

それと、手を打ったのが他の人のときを考えてみるのもおもしろくないですか。

自分がもし鯉だったら、鳥だったら。

今の政治なら、鳥といえば鳩かぁ(´0ノ`*)






哲学は人生の役に立つのか

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フランクル心理学を勉強している先輩方に混ぜてもらって、
読書会に参加する事になりました。
現在、僕が知っているフランクルの勉強会、読書会は
東京にふたつ、あと大阪と仙台。
今回、京都で初めてすることになりました。

それでやっぱり読み直しておこうと思ったのですが、

まぁ今まで適当に本を読んでたなぁ。と痛感しました。

まだ読書会始まってませんがもうすでに脳みそは泣きそうです。

そうか読書会って、こういうことかぁ。


哲学は人生の役に立つのか (PHP新書)/木田 元

¥777
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著者の木田先生は、ハイデガーの『存在と時間』が読みたくて大学の哲学科に入り、

まずは英語とドイツ語、そしてギリシャ語、ラテン語、最後にフランス語を覚える。

哲学をやるには、英独仏の近代語三つと、ギリシャ語、ラテン語の古典語二つは

どうしても習得しなければならないんですって。


そしてハイデガーの原書を半年かけて読む。

しかしどうも肝腎なところが全然わかってない。と感じたそうです。

ハイデガーの他の著書を読むと謎が深まるばかり。

そこからなんとなんと三十年あまり。

33年たって!、やっとハイデガーについてなんか書けそうな気がしたそうで。


この木田先生の33年間の回り道人生、これが実に楽しそう。

(結局、回り道した事がけっしてムダにはならず、

新しい道が開けてきた。)と


なんというか。


いやー実におもしろかったです。

普通に読みやすく書いてくださってるし、ニーチェやキルケゴールなど

哲学者の恋愛話とかおもしろくて哲学の森の雰囲気を感じることができました。



かみさま、わたしとこの木田先生という方とは、同じ種類の動物ですか?

うーん。




茂木健一郎 『生きて死ぬ私』

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生きて死ぬ私 (ちくま文庫)/茂木 健一郎
¥672
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この本は、茂木さん33さいの頃のエッセイだそうです。

33さいの茂木さんがとても謙虚に自分と向き合っている感じが伝わって

とてもやさしい気持ちになれました。


この本に『人間の心は、脳内現象にすぎない』という言葉が出てきます。

脳内現象である人間の心とは何か。

茂木さんは、その問いの答えを求め続けるとこの時点で書いておられます


えらい難しいはなしなんでしょうが、

ということは人間のこころは、自分の脳内現象によって

自分で勝手にストレスを生み出して勝手に苦しむのでしょうか。

茂木さんがよく使われる”アハ体験”というのがそこから抜け出すヒントなんでしょうか。


似た言葉を捜してみると、鈴木 大拙が、『人生は気分のみ』と言ってます。

それから、萩本欽一、欽ちゃんが『幸せは気分だと思ってる』というのを

下の本で見つけました。


鈴木 大拙と欽ちゃんは同じこと言ってるのか?

もちろん解説はできませんが鈴木 大拙と欽ちゃんが似てるのはすごい。

さぁ、どーんとやってみよう。



↓欽ちゃんの言葉はこの本から


自分探しのための読書 PHP研究所 2006