おはようございます。
昨日の記事の続きをどうしても書きたくなりました。
市原悦男の『ミュージシャンへのみち』vol.2と書こうかな。
と思いましたが、月の雫さんから、怒りのコメが入るに決まってるので、
やめます(ごめんなさ~いぃぃ)
まったく私個人の考えで勝手に書き進めます。
こういう考え方もあるのか。と、軽く読んでほしいです。
うつ病の方と、もしお話することがあったとしたらですが、
「ただ、その方の気持ちを聞く」という態度に徹して欲しいです。
とは書きましたが、これがなかなかできません。
わたしは、10年間うつ病の人と仕事をしてきましたが、
ただの一度も、そのことの大切さが理解できませんでした。
これは、ほんとうに難しい事です。
わたしもわかっているのか、まだ自信がありません。
このような記事は今まで何度も書いてきましたが、
何回書いてもいまいちうまく書けません。
はたして書くことに意味があるのか、自問自答が続いていました。
もっかい挑戦だぁ。
あくまで、わたしの気持ちとして書きますが、うつ病の方と接すると、
どうしても「あーだ、こーだ」指摘してしまうのです。
これ、すべて自分の自信の無さから来ています。
言い切りますよ。私の意見ですから。
相手をおとしめる事で、自分の満足を得ているのです。
静かなところでゆっくり自分と向き合ってみると、
間違いなく、『うつ病の人はダメな人』という思いを自分が持っていることに
気がつきます。
そのような思いを持っていては、どのような策を講じても
うつ病の方とこころから話をするなんてことは到底ありえない事なのです。
これ、うつ病の方の話を書いていますが、すべての人間関係に通じる話です。
たとえば、いじめの問題もそうかもしれない。
差別の問題もそうかもしれない。
そして、ここまで書くと、あることに気がつきます。
今度は、うつ病の人を責める人を批難したくなる気持ちが出てきます。
そして、それも同じ理由でダメなことは想像つきます。
そういう人に対しても、「ただその人の思いを聞く」という態度が必要なわけです。
ぐるぐるです。
こっちも認めて。あっちも認めて。
無理でしょ。
かみさまじゃないんだから。
どうなってるんでしょ。
こう考えましょ。
みんなダメでいいじゃん。
だって人間だもん。(やっぱりこの言葉はさいこ~)
つまるところ、どうも人間の一番安定する位置は、ふわふわ浮いているような
中途半端な、空中に浮いている状態が一番安定するようなのです。
みんなしっかり大地に足をつけて、安定して生きたいと思うのが普通です。
それが、中途半端のふわふわが一番いいかも?なんて言われたら。
そりゃあ世の中矛盾だらけの争いだらけになるわけです。
ま、この話は確認しようが無いので終わりにして、
つまりうつ病の人と話す場合に限らず、
こころの底から、相手の方と分かり合おうと思うならば、
胃袋をひっくり返すくらいのつもりで、自分を見つめてみる。
そして真摯な態度で相手と向き合うということだと思います。
これが大変なんですよね。
自分探しというのは、素晴らしいことなのですが、
くれぐれも大切な事は、自分探しは常に実体験とセットだということです。
誰かと接して、奇蹟を感じて欲しいです。
人生第二章のはじまりですよ。
あしたこそ、『ミュージシャンへのみち』だぁぁ
それではよい一日を
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