「とびどぐもたないでくなさい」
賢治の「どんぐりと山猫」にある言葉。山猫から、かねた一郎のもとに面倒な裁判へ招待する葉書が届いた。葉書の最後に記してある言葉である。一郎は喜び勇んで山猫のもとに向かった。争いごとというのは、どんぐりのだれがいちばん偉いかというもめごとである。頭が尖っているのが偉い、いや丸いのが偉い、いちばん大きいのが偉い、いやいや背が高いのが偉いのだ、という争いだ。山猫は困り果てて一郎に相談する。一郎は、この中でいちばんバカで、めちゃくちゃで、まるでなっていないのが偉いんだ、ということにしてはどうかというと、山猫は感心して、一郎のいうとおりどんぐりたちに申し渡すと、裁判は片がついた。
山猫から届いた招待状の最後に書かれていた「とびどぐもたないでくなさい」というのは、賢治の野生な本能から発した言葉でしょうかねえ。
「とびどぐ」をもって争いを解決しようとしても、解決できないということをアメリカなんか学習できないのかねえ。ロシアやイギリス、中国だってそうだろう。暴力は怨念の連鎖を深めるだけだ。空爆という「とびどぐ」によって、目の前で家族や友人を殺されれば、その怒りがテロに直結しても不思議じゃない。
もしかして「とびどぐ」を使うこと、それ自体が目的か。経済効果も大きいだろうしねえ。そのために、アフガンやイラクの子どもたちが犠牲 になっても、しょうがないということか。
どうか日本よ、「とびどぐもたないでくなさい」。
山猫から届いた招待状の最後に書かれていた「とびどぐもたないでくなさい」というのは、賢治の野生な本能から発した言葉でしょうかねえ。
「とびどぐ」をもって争いを解決しようとしても、解決できないということをアメリカなんか学習できないのかねえ。ロシアやイギリス、中国だってそうだろう。暴力は怨念の連鎖を深めるだけだ。空爆という「とびどぐ」によって、目の前で家族や友人を殺されれば、その怒りがテロに直結しても不思議じゃない。
もしかして「とびどぐ」を使うこと、それ自体が目的か。経済効果も大きいだろうしねえ。そのために、アフガンやイラクの子どもたちが犠牲 になっても、しょうがないということか。
どうか日本よ、「とびどぐもたないでくなさい」。
やりきれん
アフガンでペシャワール会の若者が拉致され、殺された。アフガンの人々、とくに子どもたちが飢えないように専門の農業から援助しようという志をもった若者だ。そんな若者が殺された。なんともいいようがないほど痛ましい、ほんとうに悲しい。同時に、憤りがわいてくる。殺したのは誰か。
直接手を下したのはタリバーン系のグループのようだ。壊滅状態といわれた地獄から這い上がるように息を吹き返しつつあるタリバーンは、軍隊であろうが、NGOであろうが、ジャーナリストであろうが、外国人ならば容赦ない攻撃をしかけてくる。ここまで強暴になるほど追い詰めたのは誰か。アフガンの国土と人々をこれほどまでにぐちゃぐちゃにした大国、ロシアとアメリカだ。この二つの大国が生みだした底なしの怨念が中央アジアにみなぎり、そのマグマがいたるところで爆発しているのだ。
1979年のソ連介入以前は、アフガンはいまよりはるかに緑豊かで、イスラムの戒律のゆるやかな国だった。その後、絶え間なくつづく戦闘で国土は荒廃する。その荒れ果てた土地に農 業を根付かせようと、長い時間かけて粘り強く精魂かけて働いていた31歳の若者が、銃弾によって、一瞬で命を絶たれてしまったのだ。
直接手を下したのはタリバーン系のグループのようだ。壊滅状態といわれた地獄から這い上がるように息を吹き返しつつあるタリバーンは、軍隊であろうが、NGOであろうが、ジャーナリストであろうが、外国人ならば容赦ない攻撃をしかけてくる。ここまで強暴になるほど追い詰めたのは誰か。アフガンの国土と人々をこれほどまでにぐちゃぐちゃにした大国、ロシアとアメリカだ。この二つの大国が生みだした底なしの怨念が中央アジアにみなぎり、そのマグマがいたるところで爆発しているのだ。
1979年のソ連介入以前は、アフガンはいまよりはるかに緑豊かで、イスラムの戒律のゆるやかな国だった。その後、絶え間なくつづく戦闘で国土は荒廃する。その荒れ果てた土地に農 業を根付かせようと、長い時間かけて粘り強く精魂かけて働いていた31歳の若者が、銃弾によって、一瞬で命を絶たれてしまったのだ。
老人虐待
介護に疲れ、ストレスがたまり、先がまったく見えない状況で介護の生活に行きづまってくると、知らず知らずに虐待してしまうというケースが多いらしい。虐待という認識すらしていないこともあるという。最悪の事態は介護者が家族を殺してしまうケースだ。認知症の母親を介護していた長男が母の了解を得て首を絞めたとか、老老介護で疲れはてた夫がもう世話をできないと妻を殺してしまったという事件があった。
そういう心情が俺にはいたいほどわかる。俺がいま介護している母親を虐待することはないと断言できるが、そういう状況に追い詰められる介護のつらささがわかるのだ。虐待する最も多い介護者は息子で40%、配偶者は20%、次に娘の15%とつづく。
俺が虐待することなどありえないといえるのは、ストレスがないからだ。肉体的な疲れはたまるが、ただそれだけで、介護生活に行きづまるということはいまのところない。介護は仏さんに与えられた行なんだとあきらめて、毎日の介護ルーティーンをこなしているだけだ。たしかに先の見えない生活ではあるが。
ただ、介護するのがお袋ではオヤジだったなら……、虐待しないと断言できるだろうか。俺にはその自信がない。なにせ、晩節ますます粗暴になったオヤジを、できるものならデコチンに粗大ゴミのシールをはって捨てたいと思っていた。在宅介護という最悪な事態になる前に亡くなったが。とにかく介護施設や病院に迷惑をかけるだけかけて、死んでいった。俺は穴があったら入りたい思いだった。
そういう心情が俺にはいたいほどわかる。俺がいま介護している母親を虐待することはないと断言できるが、そういう状況に追い詰められる介護のつらささがわかるのだ。虐待する最も多い介護者は息子で40%、配偶者は20%、次に娘の15%とつづく。
俺が虐待することなどありえないといえるのは、ストレスがないからだ。肉体的な疲れはたまるが、ただそれだけで、介護生活に行きづまるということはいまのところない。介護は仏さんに与えられた行なんだとあきらめて、毎日の介護ルーティーンをこなしているだけだ。たしかに先の見えない生活ではあるが。
ただ、介護するのがお袋ではオヤジだったなら……、虐待しないと断言できるだろうか。俺にはその自信がない。なにせ、晩節ますます粗暴になったオヤジを、できるものならデコチンに粗大ゴミのシールをはって捨てたいと思っていた。在宅介護という最悪な事態になる前に亡くなったが。とにかく介護施設や病院に迷惑をかけるだけかけて、死んでいった。俺は穴があったら入りたい思いだった。
のんびりしてるぜ
ピーマンやカボチャ、レタスやら、キャベツ、ネギやら、さまざまな野菜が畑に実り、リンゴ畑にはこぶし大に成長した実がアルテミスの乳房のごとくたわわに実っている。もうすぐリンゴの実は、枝をへし折らんばかりに太って赤みを帯びてくるはずだ。田んぼでは稲穂が頭を垂れはじめている。朝晩は秋めいてだいぶ涼しくなったが、昼は夏の陽ざしがまだ暑い。
早朝5時すぎ、湿った土の匂いと緑の香りがただよう涼しさの中で、畑仕事をするお年寄りがいる。70すぎだろうか、腰の曲がりようを見ると80に近いかもしれない。朝暗いうちから畑に出て、土いじり、野菜の世話に余念がない。もと教員で、小学校の校長まで務めて退職した人だという。いまは野菜づくりがいちばんの楽しみのようである。
俺の家から畑まで50メートルほど離れているが、老人の土を踏みしめる音や息づかいが聞こえてくるような気がする。だいたい7時半頃、ちょうど俺が介護セレモニーを終えて朝飯の用意を始めるころ、老人の携帯の着信音が、ひんやりと湿気を含んだ空気の中に響く。「はい、はい」と答えている声が聞こえてくる。たぶん、朝食の用意がととのったという家からの報せだろう。平和でいいねえ。
早朝5時すぎ、湿った土の匂いと緑の香りがただよう涼しさの中で、畑仕事をするお年寄りがいる。70すぎだろうか、腰の曲がりようを見ると80に近いかもしれない。朝暗いうちから畑に出て、土いじり、野菜の世話に余念がない。もと教員で、小学校の校長まで務めて退職した人だという。いまは野菜づくりがいちばんの楽しみのようである。
俺の家から畑まで50メートルほど離れているが、老人の土を踏みしめる音や息づかいが聞こえてくるような気がする。だいたい7時半頃、ちょうど俺が介護セレモニーを終えて朝飯の用意を始めるころ、老人の携帯の着信音が、ひんやりと湿気を含んだ空気の中に響く。「はい、はい」と答えている声が聞こえてくる。たぶん、朝食の用意がととのったという家からの報せだろう。平和でいいねえ。
オリンピックは終わったが
ようやくオリンピックが終わる。今ごろ、ど派手な閉会式をやっているんだろう。
2、3日前に、フランスを訪れたダライ・ラマが、最近チベットで弾圧があって、死者も出ているようなコメントがあった。死者数とか、どこで起こったのかということがはっきりせず、事実かどうかも曖昧であるが、あって不思議はない。
今年春に起こったチベット騒乱にたいする武装警察の弾圧や、20年前に起こったチベット弾圧(俺はそのときチベットにいた)などを見ても、多数の死者が出るほどの容赦のない暴力の根っこにあるのは、漢民族のチベット族にた いする差別意識だろう。イスラム教を信仰するウイグル族にたいしても同じだろう。蔑視といってもいいが、そういう意識から起こる残虐性は、アイヌや沖縄の人たちの虐げられた歴史が教えてくれる。
2、3日前に、フランスを訪れたダライ・ラマが、最近チベットで弾圧があって、死者も出ているようなコメントがあった。死者数とか、どこで起こったのかということがはっきりせず、事実かどうかも曖昧であるが、あって不思議はない。
今年春に起こったチベット騒乱にたいする武装警察の弾圧や、20年前に起こったチベット弾圧(俺はそのときチベットにいた)などを見ても、多数の死者が出るほどの容赦のない暴力の根っこにあるのは、漢民族のチベット族にた いする差別意識だろう。イスラム教を信仰するウイグル族にたいしても同じだろう。蔑視といってもいいが、そういう意識から起こる残虐性は、アイヌや沖縄の人たちの虐げられた歴史が教えてくれる。