ROLEXラーニングセンター
19時から佐々木事務所にて月例SAPS会議。
久々に池田昌弘さんが参加。
ご自分の道を着々と進んでいらっしゃいました。
池田さんからの報告の他、小西泰孝さんがKAIT工房(設計:石上純也)で今年度の日本構造デザイン賞を受賞したことなど、いくつかのおめでたい話を聞いたほか、ローザンヌのROLEXラーニングセンター(SANAA)の現場報告会も。
最新写真をたっぷり見せてもらいました。
あれができてしまえば、当分の間はシェルはいらない(=作ってもしょうがない)。
極端に言えばそんな感じです。
歴史を刻む、とはああいうことを言うのでしょうね。
自分のやっていることなどは、(サイズの問題ではなく)まだまだ小さいわけですが、かといって背伸びをしても仕方ありません。
何事も「小さなことからコツコツと」です。
続きの懇親会でもっと先輩方と話をしたかったところですが、明朝の不動産契約のため21時27分品川発の最終の新幹線に乗るため、ビール一杯で中座。
いよいよ京都事務所が拡張です。
スクーリング@京都造形芸大
京都造形芸術大学大学院の通信教育コースの設計演習の構造スクーリングを行ってきました。
通信教育を受けている学生さん達は、大学院生とはいっても、それなりに年を重ねていらっしゃる方々でした。
察するに、平日は何らかの仕事につき働きながら、それでもなお大学で建築教育を受けたいという強い意志をもっていらっしゃる方々なのであろうと。
そういう意味で、親に学費を負担してもらっていることが多い普通の大学生とは基本的な姿勢(学ぼうという意欲)が決定的に違っており、教える側として非常に教え甲斐のある授業でした。
全員宿題として与えられた木造軸組模型をしっかりと作ってきており、語るべきポイントが見つけやすかったです。
何も準備してこずに、イメージだけをグダグダと言い訳調に語る普通の大学生とは違って、とても大人の世界でした。
しかも、教授の横内敏人さんの事務所の図面を参考資料として与えられているようで、基本的なプロポーションが間違っていないのです。やはり、第一線で活躍されている建築家の図面はどんな市販のテキストよりも教科書として相応しいようですね。
朝9時から12時というのが僕の担当時間ではありましたが、結局、10人全員分の構造チェックが終了したのは14時過ぎ。(新幹線の時間が・・・)
前日がハードな一日だったこともあり、正直言うと、朝起きたときはものすごくつらかったのですが、皆さんの熱心さが、こちらにエネルギーを与えてくれました。
素晴らしい学校だと思います。
学外講評会
構造エスキスを担当していた某研究室の4年生・M1生のスタジオ課題の公開学外講評会があり、クリティークとして参加してきました。
課題内容を大雑把にいうと、僕の事務所から比較的近くに実存する京都の市街地の2街区を対象に、昨年制定された景観法の意味を考えながら、建築なり町並みなり、何らかの提案を試みようとするもの。
講評の最後の総括で言った言葉は、もっと対象を見つめなさい、というものでした。
まぁ、課題が難しかったのでしょう。
選定されていた街区が、もはや京都とは呼べないような、手のつけようのないグダグダな街区でもあったので、デザインの手がかりとなるものがそもそも少ないという意味で難しかったのでしょうが、何が問題なのか、何を問題と感じたのか、という肝心な部分で彼らから伝わってくるものが少なく残念でした。
ひょっとすると、彼らにとっては、問題にすることに対し意味が感じられなかったのかもしれません。
「京大生なのだから、京都の景観や街のことを考えるのは当たり前だ」、だとか、「京都の景観を考えることは日本の都市景観そのものを考えることだ」、などと大上段に言われても、ひょっとすると彼らには「はぁ?」と、いうようなことだったのかもしれません。
こういう問題は、もっと見つめて、問題を自分の中に取りこんで、内側からエネルギーを発するように対峙しないと、およそ提案というレベルには到達しえません。4年生にとっては、これから卒業設計というこの4年間の総括的プロジェクトがスタートするわけで、単にカタチを提示するだけではなく、何が問題なのかを明らかにする部分をもっと大事に頑張ってもらいたいと思います。
しかしながら、僕自身も、あらためて、今の病んだ京都の実情をより深く見つめることができたのも事実です。
京都で建築をどうつくるかということは所詮はローカルな問題でしかない、あるいは、建築実務者として「LOVE京都」という立場でいることは、もはやマイノリティでしかない、と感じることは、単純につらく寂しいことでもあるのだけれども、共有意識を持ちえない人までをも巻き込んでまで脱マイノリティを目指したところで、話が拡散してしまうだけで仕方のないこと、という気持ちもあります。
徹底的に京都で物事を考えて、結果として提示される「京都モデル」というものが、同じく病んでしまった日本の各都市の再生に貢献できれば良い、というような思いをもちながら頑張っていくしかありません。
少なくとも『景観法による制約』という一つの方法が行政側から提示されているわけで、まぁ、問題と感じる部分もたくさんあるのですけれども、だからと言ってそれが建築や都市をダメにする、ということは決して無いハズで、冷静に取り組んで、良い成果を得ながら、かつ、改善すべきところを発見できていければ良いと今は思っています。
総括の中に、今の病んだ実情をよりはっきりと把握させてくれ、こまで以上に考えるきっかけを与えてくれたことに対するお礼を付け加えることを忘れてしまっていたことに、いまさら気付いてしまい反省しています。
たとえ今回うまく結果が出せなかったとしても、大きな敷地模型作りや調査のための街歩きなど頑張り話の土台作りはきちんとできていたわけで、学生たちの中にこのブログを見ている人がいたら、そういう感謝の気持ちももっているということを知っていてください。
風景の解像力
中山英之さんの計らいで、INAX GINZAでの、展示会「Phenomenal Resolution風景の解像力」のシンポジウムに参加させていただくことができました。
2月に、当ブログにて、自分がパネラーとして参加したヴィヴィッドテクノロジーの出版記念トークイベントを終えて、
あのバラバラさ加減が、我々構造家の実際の姿であり、また、あるべき姿ではないかと僕自身は思っています。
というコメントを残しておりましたが、30代を代表する若手建築家もまた全く同じ状況である、ということを再確認できた、そんなイベントでした。バラバラであるとは、平たく言えば、それぞれに強い個性を有する、ということでしょう。
そうしたそもそもバラバラである建築家たちを、非常に粗っぽく二項にカテゴライズしてしまう藤村さんの試みは、その主張の正当性が吟味される手前の段階で反撥を招くのは必死で、その異物感が如実に出てしまったイベントであったと感じました。しかしながら、その異物感により、藤村さんもまた、一廉の「個性の持ち主」であることが示されたわけで、その意味で、これまでの学生相手のイベンターとしてのカテゴリーを卒業し、晴れて従前の建築家群に仲間入りしたことを世に知らしめるイベントでもあったかと思います。
まわりくどい表現ではありますが、強いてまとめるとすれば、そういうイベントであったと思います。
で、やはり、その中でも強く議論の対象になった批判的工学主義についてですが、個人的には、その中で『郊外』をキーワードにして例示されている対象について(僕自身が少年期を過ごした千里ニュータウンを熟知している人間であるという自負を持っているにも関わらず)個人的な感情移入ができず関心がいかないこともあり、一部のマイノリティのためのNGO的活動のような印象を持っており、発想や主張として間違ってはいないだろうことは認めつつも、一方で、そのマイノリティが本当に救済の対象であるのか、という本質的な部分でまだ十分に同意はできておらず、そこにある表現(言葉)や提示されている手段を見る限りは、当面は同じ道を歩むことはできない、という結論を得るに至っております。
藤村さんについては、11日の金曜日に京都の僕の事務所にて某書籍出版企画のためのインタビューを受けることになっていますので、僕に何か誤解があるのだとすれば、それを解いてもらえる良い機会なのかもしれません。
で、藤村さんのことばかり書いているじゃないか、というツッコミを受けそうではありますが、事実、彼のこれまでの地道な努力によって、今回のイベントが導かれていますので、そこはその成果と手腕を素直に認めるべきだと思っています。そして、何よりも、自分の立場というか考え方のようなものを改めて見つめなおすきっかけを与えてくれていることについて感謝しております。
中山さんについては、伊東事務所+佐々木事務所時代からかれこれ7年以上も仕事をし続けていますので、基本的な部分で理解できていること、藤本さんについては、今売れに売れまくっているというコンセプトブックで基本的なことは示されているため、彼らが個人的に何を言うかということよりも、藤村さんに対してどういうメッセージを発するか、について着目しておりました。二人とも厳しい意見だったと思います。
その一方で、あの熱い議論の中、最後までマイペースを保ちつつも、平田さんとの違いを問われた時に「彼とは根本的に違う」とその瞬間だけは眼光するどく言い放った中村竜治さんの、『神』的な強さに、新鮮さ以上の、また別の強い個性を感じた次第です。
以上、無抽選で参加させてもらったことへの謝意を込め、簡単までに。
小西泰孝講演会@京都工繊大
佐々木事務所の先輩でもある小西泰孝さんの講演が京都工芸繊維大学にて行われました。
せっかく京都にいらしての講演だったので、ぜひとも聴きたかったのですが、締め切り直前で忙しくて、講演は聴きにいけませんでした。残念。(タイトルにつられてきた人、期待ハズレでごめんなさい)
小西さんからは
「夜8時過ぎから招待してくださった米田先生たちと食事しているからおいでよ。」
と声をかけていただいていたにも関わらず、結局合流できたのは、お誘いいただいた時間から約2時間遅れ。
しかも、学生の混じったにぎやかな飲み会かと思いきや、
小西さん以外のメンバーといえば、木村博昭先生、長坂大先生、米田明先生、中村潔先生の4名で、しかも割烹にての、しっぽりとした大人のお食事会・・・。
(そりゃ確かに工繊大での講演の後ではありますが・・・。正座しとかんとあきませんがな・・・。)
でも、図々しくも普通に混ぜていただきましたが。。。
といいますか、先生方、非常にフランクで、短い時間ではありましたが、とても楽しませていただきました。
名前と顔を覚えていただいただけでも光栄なことでもあります。
神戸方面に帰られる先生もいらっしゃったこともあり、私の到着後40分ほどでお開き。
最後、小西さんと北山に場所を移して2次会。
意匠系の先生方の前では弾ませにくい構造チックな話題も含め、近況を互いに語りあって24時過ぎに、解散。
繁華街を除き、京都の夜は非常に早く終わってしまいます。
次回は、もっとディープにご案内さしあげたいと思います。
明日は、小西さんとは別のヤスタカ氏と共に奈良に行ってきます。
GA JAPAN93
GA JAPAN93号の120~129ページに
私が参加しました伊東豊雄建築設計事務所のスタッフの方々との座談会の模様が掲載されています。
コンペと実施設計を担当した杉並区立杉並芸術館についての座談会です。
余計なことも含め、かなりの量をしゃべってしまっています。スイマセン。。。
10ページもあるし、構造の人間がしゃべっている部分が長いので、皆さんついてきてくれるかどうか心配です。
立ち読みじゃおそらく読みきれませんので、お買い上げの上、ご自宅や事務所にてじっくりお読みください。
その他、今回の号には、熊本アートポリスについての特集が組まれていることもありますが、コンペによるプロジェクトが多数掲載されています。
福生市庁舎、モクバン、モクバンR2、澄心寺など、最終審査で負けてしまった思い出のコンペプロジェクトが目白押し。
福生は古市徹雄さん、モクバンと澄心寺は松岡聡さん、モクバンR2は宗本晋作さんのチームでした。最終審査には残らなかったけれども、難波和彦さんのチームの一員として参加した長岡シティホールも掲載されています。唯一、勝てたのが座談会をした杉並芸術館(コンペ時は高円寺会館)です。
(※福生と高円寺は佐々木事務所在籍時のコンペです。)
コンペプロジェクトの場合だと、色々な思い出が伴っていますので、人の作品であっても、より深く見つめることができるので、そういうい意味で今回のGAはコンペフェチにとっては非常にお買い得な一冊に仕上がっているのではないでしょうか。
アーキフォーラム -布野修司「カンポンの世界」-
月末の土曜日と言えば、恒例のアーキフォーラムです。
ちょうど僕の講演から1年がたちました。
本日の講師は、滋賀県立大学教授の布野修司先生。
演題は「カンポンの世界」
アジアの建築紹介というような単純な話ではなく、それを通して
#Urban Involutionの概念(と同時にEvolutionの関係)
#建築にとっては「かた」が重要であり、建築家はそこを提案できないといけない
など色々とためになる話を聞くことができました。
布野先生は僕が学生のころは京大で助教授をされていたので、十数年ぶりに昔の授業を思い出しました。
特にカミングアウトというつもりはないですが、僕は大学4年生になる時の研究室配属では、第一志望は布野研でしたし、4年時の設計演習スタジオコースも布野スタジオでした。
日本やアジアの各都市のフィールドワークを通して建築を内側から考えていくようなスタイルにあこがれていたのでしょうか。
同期で、布野研を第一志望したのは、僕のほか、
スープデザインの土井伸朗くんや、先日の澄心寺コンペを共に闘った松岡聡くん、現在ライターとして活躍中のポム企画の平塚さん高木さん、など計7名程度。
卒業後は組織ではなくピンでやっていくぞという気概のある人間が集まっていたような気がします。
(まだ就職難の時代でもなかったですし。)
定員2名という高倍率で、結局松岡くんと土井くんが配属となりました。
第一志望研究室へ配属もれをした学生たちで、残席のある研究室への配属調整を行ったわけですが、
僕の場合は、たまたま構造力学の成績が優だったという非常に単純な理由で、成績条件付きだった中村恒善先生の研究室に所属となりました。
それが今の構造家人生につながっているわけですが、「お前はそっちの方が合ってる」と布野先生含め周りの皆がそのように導いてくれたのかもしれません。
澄心寺からはじまる
澄心寺庫裏コンペの結果が発表されました。
http://kokorosumu.web.fc2.com/compe_two_kekka.html
そこにチームを組んでいた建築家の名前はありませんでした。
残念。。。また、次回、頑張ります。
自分たちのチームの案が審査の議論の中でどういう位置づけであったのかは、気になるところではありますので、後日公開される講評を待つことにします。
と、このコンペ結果を知った直後に、宮本佳明さんチームの構造を担当されていた陶器浩一さんより携帯にTELが。。。
さっそく「おめでとうございます」と祝辞。
宮本佳明事務所OBの建築家が構造設計者を探しているので紹介してもよいか、とのことだったので、大丈夫ですよ、と回答。
澄心寺をきっかけに、またひとつご縁がうまれることになりそうです。
合掌。。。