ことばのチカラLite -2ページ目

白い嘘

 先日私の友人がひざの靱帯を切ってしまった。3月にフラメンコの公演を控え、つい練習に気合が入ってしまったのだろうが、佳境に入っている中大変だ。思えば私も学生時代は運動神経が鈍いくせに柔道なんかをやっていたので、右腕は脱臼するし、両手首骨折に両足の捻挫はしょっちゅうと怪我が絶えなかった。
 それが末期癌など不治の病が自分の身に起きた場合はどうだろうか?たいていの人は次の3つの段階を経て最終段階の「受容」にいたるという。すなわち第1段階の「否認」:「何かの間違いだ」というもの、 第2段階の「疑問」:「なぜ自分が?」、そして第3段階の「交渉」:「神様、何でも言う通りにしますからどうか助けてください。」
 一方その患者を診る医者の立場は複雑だ。事務的に「あなたはレベル4の癌だから、あと6ヶ月持たない、残りの短い人生を有意義に過ごしなさい。」とはっきり言う医者がいる一方で、「大したことはない、あの大木の最後の一葉が落ちるまでにあなたに何かがおきることはない。」と断言する医者もいる。
 そのような状況でどっちにするかというのは意見が分かれるところだが、英語では道徳的に許される嘘を特に"White Lie"という。信念を持って行動することは大切なことだが、常に正直に表現していると人を傷つける場合がある。そんなときについた「白い嘘」皆さんには経験ないだろうか?

一歩前へ踏み出す勇気を与えるコトバ

 ここに一組のトランプがある。ジョーカーが1枚含まれており合計53枚。よくきった後でジョーカーを出すために何回かめくるとさすがに最初から出てくるということはめったにない。しかしここでわかっているのは53枚すべてめくれば必ずジョーカーが出てくるということだ。これを二組のトランプにして1枚ジョーカーを抜き、105枚にしてやってみると、ジョーカーにあたる確率が約半分になるのは納得してもらえると思う。しかしここでも当然のことながら、どんなにたくさんめくっても105枚めくれば必ずジョーカーにあたるという事実である。
 生きてく中で、このようにトランプをめくっていかなくてはならない場面は山ほどある。ある人は仕事でセールスの結果としてのスペードのキングを求めているかもしれない。またある人はプライベートで自分だけのハートのエースを探しているかもしれない。しかし自分の確率を正確に知っている人は少ない。私の経験則からいうとどんなに確率の悪い人でも300枚がいいところだろう。言い換えればどんなにコミュニケーション能力のない人であっても300人に会えば自分とまったく同じタイプの人間に会える。その人は仕事であろうが、プライベートであろうが、あなたに完全に共鳴してしまうので、あなたが望むことはその人が可能な範囲で何でもかなえてくれる。一歩前へ踏み出ためにここでは3つのアプローチを試してもらいたい。

最初のテーマは300枚のトランプをいかに減らしていくかということ。仕事におけるトレーニング、プライベートにおける魅力性の開発だ。あなたは自分のことが好きだろうか?自分がどれくらい好きかという限界値以上に人を好きになることはない。人を好きになることがない人は人からも好かれることはない。しかし好感度をあげない限り幸運を招きいれることはできない。
松下幸之助氏は人をとるとき今までの人生の中でその人は運がよかったか?という点を重視したらしい。『運がよかった人は必ず人から好かれた結果として人の協力を得ることができ、結果として本人には運がよかったと感じられる』
 好感度を具体的に上げる方法にはいくつかある。好かれたいと思う相手を好きになることだ。自分が好きでもない相手から好かれることがないのはいくらなんでもわかるだろう。それでもわからないのであればまず笑いかけてみることだ。微笑みかけるという行為自体が相手に対して「I like you.」場合によっては「I love you.」といっているようなものなので、男も女も魅力的な人は強力な笑顔を持っている。
 もうひとつ具体的に好感度をあげていく方法がある。相手を尊重することだ。平たく言えば相手の話を聞くということ。傾聴の魔術である。相手には価値があり、自分はその価値を認めていることを表明することが「傾聴」という行為に凝縮されている。想像してみれば納得がいくと思うが、自分しか興味ないだろうと思われることに目の前の人が共鳴し、関心を持ってくれたら自分はその人にどういう感情を抱くだろうか?決して悪い気はしない。それどころかもっと自分をわかってもらおうとして思わず熱弁をふるっている自分に気づくことだろう。そこで相手がさらに関心を持って質問などしてきたら、一生懸命それに答えようとするのではないか?それは自分の最大の関心事なのだから当たり前だ。誰にでも自分だけの世界があり、関心を持ってもらいたい話題がある。その人に好かれたいのなら、その話題を見つけ、それにフォーカスすることだ。
 魅力的で人から好かれる人というのは手持ちのトランプが非常に少ない。そして運がいいので1枚か2枚めくれば当たりが出るようなこともある。そうでない人はその現象だけに目を向けてはいけない。自分のトランプの手持ちも有限であり、必ずあたりが入っていることを認識しよう。

 2番目のテーマは渡された自分の能力に応じた枚数のトランプを当たりが出るまで、出なければ最後まで確実にめくり続けることができるようになることである。
誰でも失敗をすると次への挑戦に怯んでしまう。拒否されることに対する恐怖心が大きくなるからだ。しかし、その恐怖心を小さくすることができれば次のトランプをめくる行為はずいぶんと楽になる。そしてその恐怖心は実際に小さくすることができる。
ひとつ確実に約束できることは自尊心と拒否されることへの恐怖心には逆の相関関係があるということだ。自尊心の高い人は拒否されてもそれを個人的に受け止めない傾向がある。トランプはめくり続けなければならない。運がいい人でも最初の2,3枚であたりが出ることは少ない。しかしめくり続ければ必ずあたりが出るのだ。
 外資系の生命保険会社が税理士や医者、弁護士という社会的ステータスの高い人をセールスマンとしてリクルートするには意味がある。第一に彼らは顧客を持っているということがいえる。単に顧客名のリストを持っているというだけなら誰でも持つことは可能だろう。しかし彼らはその顧客一人ひとりから一目置かれている存在であり、ある意味尊敬されている。影響力があるのだ。そして彼らは自分に影響力があることを知っている。生命保険のセールスは大変なことだ。ほかのセールス同様、断られることが商売と考えたほうがいい。多くの人はお客から拒否されることにより自分自身が拒否されているように勘違いしてしまい自信をなくしてしまう。しかし彼らはどんなに拒否されても非常に冷静に考えることができる。「アプローチの仕方がまずかったのかな。では少し変えて次の人あたろう。」
 生命保険はいまや加入していない人を探すほうが難しいくらいみんな入っている。必要性がないのではなく必要性を認めているからすでに加入しており、そのために「もう必要ない。」といっている点が通常のほかのセールスの場合と事情が違う点だ。彼らはどんなに断られても決して気に病むことはない。たとえば、かかりつけの医者からわざわざ電話がかかってきて、体の具合を聞かれて失礼な対応をする人がいるだろうか?電話をかけるほうもそういうイメージを持っているので、その状況で失礼な対応をされても気に病むのではなく、相手をかわいそうに思うくらいかもしれない。
 松下幸之助の言葉に「やってみなはれ」というのがある。物事は始めることができればすでに半分完成したのも同然。十分時間をかけて完璧な決断をくだすよりも、タイムリーに合格ラインの決断を下すことのほうが世の中では結果を残せる。やり始める前にクリアしておかなくてはならないリスクへの対処法は人によって違う。 いずれにしても完璧を求めるスタイルと、合格を求めるスタンスが結果に大きな違いを生み出している。完璧型はビジネス上の決断をする際に、考えられるすべてのリスクをつぶしてから決断を下すタイプだ。また通常頭がいいので想定されるリスクの数が半端ではない。世に言う頭でっかちだ。しかし実際行動してみるとそんなリスクはどこ吹く風で、すんなりうまく行ってしまうことが意外に多い。彼らは自ら多くのリスクを想定し、必要以上に恐れてしまうために決して行動することはない。そして種を蒔かない農夫は決して収穫することはない。
 一方松下氏は回顧録の中で、結果的には100点満点で40点、50点という決断が多かったことに触れている。彼の場合合格点にも満たない決断といえるかもしれないが、それを実にタイムリーに行っていったのだ。致命的でなければとりあえずやってみるということだろう。合格レベルで動いている人ならもっと確率がいいはずだ。動き出すと不思議なもので、どこからともなく情熱がわいてくる。体験上この情熱が勝負を決めていることを私は知っている。知能指数よりも情熱指数が重要だ。ビジネスの上でお客が重要な決断をする際キーになるのはあなたの情熱であり、知能ではないことを覚えておこう。確かに情報は判断の基準になるが、決断するのは100%感情的なものである。それは相手があなたをどれくらい好きかということであり、どれくらい信じているかということ。信用されているレベルではなく信頼されているレベルになっているかということが重要になる。情熱的な人はうそをつくことができない。うそを突き通すためには常に自分の言ったことに整合性をとる必要があり、言ったことを覚えておかなければならないからだ。そんな計算をしながら情熱的に話すことは人間には難しく、相手はそれを本能的に知っているために目を見るのだ。最後のカードまで情熱的にめくってみよう。

3番目の方法は対象を広げるということ。エースばかりがハートではない。もしかしたらクイーンの方がもっと自分にふさわしいハートかもしれない。7だって場合によってはラッキーセブンと呼ばれる。ハートのエースにこだわるのも人生だが、自分をよく知り、自分にふさわしい相手が本当にエースだけなのか?と考えることは重要だ。仕事で言えば代替案を探ることにもつながるだろう。常に自分の思い通りに世の中が回るとは限らない。ビジネスでは分母に時間があるためその限られた時間の中で当たりをめくっていかなければならない。スペードのキングにこだわったためにタイムオーバーになるのであればセカンドベストを探るということも忘れてはならない。パーフェクトアンサーはひとつかもしれないが、合格点のとれるアンサーは決してひとつとは限らない。場合によってはあきらめることも重要だ。消極的に聞こえるかもしれないが、ビジネスの世界では経営戦略の一つに撤退戦略という言葉がある。ブラックホールに吸い込まれることがわかっている状況でそれを回避しないことは自殺行為だ。
 やりたいと思っていることをできない状況を続ける事は自分の自尊心を下げることになり、すべての生活において悪影響を与えてしまう。あきらめない限り失敗はないが、できない状況を続けることによって自信をなくしてしまいそうになったら撤退することも考えてみるべきだと思う。そのバランスをとることによりストレスを回避し、精神衛生上の健康を取り戻すことができる。十分元気になってから再度チャレンジしてみるのもありだろう。

ずいぶんと長い間やり始めたいと思っていたが、なかなかやりだせなかったことというのは誰でも一つや二つはあるだろう。しかしそれはやり始めない限り淡い希望で終わってしまう。それをやり始めたとき初めてその実現に近づき始めるのだ。夢、憧れ、願望、希望。そういったものがただ、心にあるだけの状態では何も起こらない。やると決めるか断わるか。いずれにしても決断が重要だ。
 今の自分はなぜここにいるのか?なぜこんなことをしているのか?それは今の自分が決めたことではない。たまたまそうなった所為だと感じられるかも知れない。しかしそれは紛れもなく、過去の自分が決めたことだ。まずそれを認めよう。周りから導かれたにしても、それに従う決断をしたのは自分の決断だ。決して他人は自分をコントロールすることはできない。多少影響を与えることはできるかもしれないが、それに従うかどうかは自分に選択権があるからだ。
それを認めることができるとすばらしいことが待っている。つまり「過去の自分が決断した結果により今の自分が生み出されている」ことを認めると、その関係をそっくりそのまま今と未来の関係にシフトできるからだ。つまり「今の自分が決断した結果により未来の自分が生み出される」ということだ。ここで初めて人間は自由を得る。将来の自分は「どうなるかわからないもの」ではなく「今の自分が決められるもの」に変わる。
 この前提に立てたときに3つのオプションはさらにあなたの強力な武器になる。魅力を高めてトランプの枚数を減らし、必ず当たりがあることを信じ情熱的に最後までめくり、どうしてもだめなら一旦立ち止まって等身大の自分を見つめなおす。正確なトランプの枚数を数えて自分の確率を知れば、また一歩前に前進する勇気がわいてくるだろう。

人生の時計

 「お年はいくつですか?」と聞かれたら答えたくない人もいるかもしれないが、「いま何時ですか?」と聞かれて不快に思う人は少ない。年齢を3で割ると自分の人生の時計がいま何時かがわかるそうだ。

 21歳のあなた。朝の7時で、まだ家にいる時間だ。一日が始まる前に必要なものは十分な睡眠と休息だ。
 この時点で燃え尽きてしまっていると1日を始めることができない。ある人は睡眠を削って勉強してきたかもしれない。またある人は宿題を忘れて遊びほうけ、朝帰りの状態かもしれない。しかし人生というマラソンランナーのあなたにこの時点で必要なのは十分睡眠をとって頭がすっきりとし、エネルギーが満ち溢れる状態になっていることだ。どのレースに出場するかも決めていないうちにとにかく外に出てしまうくらいならチカラあることばという朝食を摂り、英気を養ってから飛び出しても遅くはない。
 36歳のあなた。人生の時計ではちょうど12時。72歳まで生きるとすればちょうど折り返し地点。折り返してその道を完走し、究めるのもいい。
 走り続けてきた道で獲得してきたものと失くしてきたものを立ち止まって考えてみる。男も女も40からが本番だ。もしかしたらリタイヤして別な道を歩んでいく方が幸せなのかもしれない。
 輪廻転生が自由にできる人でない限り、この人生は一度きりだ。走り続けるにしても、まわりにつられてなんとなくというのはもったいない。
 54歳のあなた。午後6時。まだ働いている人もいる時間だが、仕事から帰ってきたあなたを迎えてくれる家族の表情はどんなものだろう? その日の出来事を肴に夫婦で晩酌。楽しく一家団欒といきたいところだ。

 ある休日、朝の純白な強い光がいつの間にか赤い光になり、そして暗闇になっていた。やることを決めずに流されてボーっとしていると休日の時間はすぐになくなってしまう。

 『光陰矢の如し』は英語では『Time Flies Like an Arrow』となる。洋の東西を問わず時の流れが空を切る矢にたとえられているのは興味深い。終わってしまえば、放たれた矢のように一瞬の出来事でしかない人生。休みの日には時々自分の時計を人生の時計に見立てて過ごしてみたらいかがだろう?

基準を持つ

「あの、どうぞこちらに座ってください。」腰まであろうかと思われる漆黒の髪に白いマフラーをし、赤い革のコートを着た若い女性が私の隣に立っている男性に声をかけた。初老の男性は杖をついている。女性は対面側のずいぶんと離れた座席から声をかけて来たようだ。
 通勤電車の中で、その光景をみて清々しい気持ちになり、ふと自分はどんなときに席を譲るのか考えてみた。

 ひとつの基準として乗っている時間と距離を考える。目的地までが近距離、大体20分から30分くらいで到着するときは譲る。目的地までが遠いとき、1時間以上の小旅行になる時は譲らずそのまま座っている。
 そして譲る基準には相手の状況も考慮する。ご老人、妊婦や赤ん坊を抱いているご夫人、身体障害者の方そしてその他のハンディキャップを持つ「かわいそうな人たち」は対象になる。
 しかしそのようなハンディキャップをもっていても時々「かわいそうではない人たち」もいる。自分は老人なので座るのが当たり前だという態度でこられると、譲る気も意気消沈し、だったらシルバーシートに行ってくれという態度をとってしまうこともある。体調が悪いときなどは自分を「かわいそうな人たち」に該当させ狸寝入りを決める。
 小旅行のときに席を譲らないのにはわけがある。旅行ということになれば1時間、2時間という長い時間乗ることが最初からわかっているので、早めに家を出て並ぶなり、指定席を取るなり、今の時代いくらでも座れる工夫はできるからだ。

 儒教の国韓国では、その基準はもっと明確で『「若い者は立つ」以上!』という風潮がある。この暗黙のルールは徹底しており、老人が目の前に立っていて寝た振りなどしていたら必ず起されて席を譲るように説教までされてしまう。
 余談だが地下鉄に乗るときには秩序などなく、ドアが開いたら全員一斉に駆け込む。ひどい場合はドアの周りで半円に空間が開いてしまい誰も乗れないなんてこともある。
 また座っている者のひざの上に自分の荷物を置くのは当たり前、座っている人もそれを当然だと思っているので立っている人の荷物を奪うようにして自分のひざにおいてくれる。日本からの旅行者はそれをわかっていないと面食らうので注意が必要だ。

 折角勝ち取った座席権。それを譲る基準というのは各人各国各様だろう。私の基準もほめられたものではないが、その基準を自分なりに持っていないと「譲ること」も「譲らないこと」もできないのだ。突然の出来事に戸惑い、迷っていると、その間にことは片付いてしまう。それは譲らないことではなく譲る気持ちがあるのに「譲れない」ことで非常に勿体ないことだ。譲られた本人だけでなく場合によっては周りの人々をも清々しい気持ちにさせたかも知れない貴重なチャンスを失うことになる。

ある愛のカタチ

「ピーーー」遠くから汽笛の音が聞こえてきた。釣り船が通ってからしばらくするのに、なかなか跳ね橋が閉まらない。「ピッピーー、ピー」汽車の運転手はなお執拗に汽笛を鳴らす。もう直前まで汽車は迫っている。係員が居眠りでもしていたのか跳ね橋の桁はようやく下り、大事故はギリギリのところで免れた。
 「バカヤロー!」管理事務所とすれ違いざまに運転手は窓に立つ秀雄に向かって罵った。しかし秀雄は悪びれもせず笑みを浮かべ手を振っている。汽車に乗って遠足に向かう何も知らない子供たちは元気に秀雄に手を振り返した。乗客の大人たちはそれには無関心で、自分の関心ごとで汽車に揺られている。
 佐藤秀雄は来年40を迎える。生来曲がったことが嫌いで、上に対しても言いたいことを言ってしまう彼に本社勤務は正直つらかった。昨年跳ね橋管理事務所の田村さんが12月の誕生日で定年を迎えたため、志願して跳ね橋勤務となった。
 今日は妻の恵子が母の看病で町外れの病院まで出かけることになり、愛娘の恵美を職場に連れてきていた。恵美は2月で3歳になる。年末に七五三の写真を撮ったばかりで秀雄にとっては生きる希望である。
 遠くから汽笛が聞こえてきた。いつもはその時間になると体の方が先に反応し、汽笛を待つほうなのだが、朝から胸騒ぎが止まらず調子が悪かった。あわてて桁を下ろそうとボタンを押した。しばらくして、後ろから悲鳴が聞こえた。遊んでいた恵美にとっては突然のことだった。急に足元のギアが回りだして右足に激痛が走った。「お父さん痛いよ!」。秀雄はあわてた。ギアはボタンを押してから動作するまでタイムラグがあるため、ギアを戻して恵美を助けると跳ね橋を下ろすのには間に合わない。汽車は迫ってくる。
 秀雄は即座に覚悟を決めた。途端に恵美を授かってから今日までの幸せな日々が走馬灯のように流れた。現実には一瞬のうちだったのだろうが、走馬灯はゆっくりと回っていた。
 娘との別れ、心は決まっていたはずなのに左手の人差し指は橋げたを下ろすボタンの上で凍りついたように動かない。とめどなくあふれる涙。無情にもそこに2度目の汽笛がけたたましく鳴った。「すまんな、恵美。お前を助けられん父ちゃんを許してくれ。」
 それまで凍り付いていた左手の人差し指がゆっくりとボタンを押した。
 秀雄は汽車を見送った。悲しげな笑みを湛え、手を振った。

仮面

 人前では無口でおとなしい彼が、少し様子がおかしい。目の前の相手を指差し、非常に興奮した口調で大声を出して罵っているのだ。言われた相手も売り言葉に買い言葉となってしまい、私が間に入ってもどうにも収拾がつきそうもない。そのうち相手はイスを振り上げたかと思うと、なんと彼めがけて勢いよく振り下ろしたではないか。

 後楽園ホールで見たプロレスのワンシーンだ。プロレスラーである彼はそんなことで怪我をする柔な身体はしていない。幼い頃、祖父と一緒によくテレビでプロレス中継を見ていたが、時代も変わったのか当時の流血シーンや残酷さは全くなく、最初の第3戦くらいまではまるでお笑い番組を見ているような内容だった。そしてそれはまたその意味で大いに楽しめた。
 単に相手を罵倒するトークではなく、演劇を観に来たのではないかと錯覚するほど緻密に構成されたシナリオどおりにトークの応酬が進行していく。ヒールに扮してわざと嫌われるようなことを言っていたが、その覆面の奥の素顔は全くの別人なのだ。

 「人間」と言う言葉は英語で”パーソン”というが、その語源となった”ペルソナ”という単語には「仮面」という意味があるそうだ。
 人間なら誰しも仮面を被って生きている。そういう自分も日常生活で本当の自分を晒けだして生きているわけではない。そんなことをしたら私などは犯罪者になってしまう。また仮面の中の本当の自分のことを知り尽くしているかというとそうでもない。他人のことはよくわかるが、自分のことになると意外にわからないものだ。何をしたいのか、なぜそうなのか。なぜ?なぜ?と聞いていくとすべてに確信をもっては答えられない。

 最後のメインイベントの盛り上がり方は尋常ではなかった。それまでの筋書き通りに動いているのが見えてしまう闘いとは迫力が違い、多くの人が真剣勝負だと信じた感動的な試合だった。
 まだメインを張れない、いわゆるインディーズに位置するレスラーたちが思い思いの仮面を被り、生き生きと自己表現していく姿を見て、この中のまた何分の一かがその延長線上でメインを張れる本当の自分で戦えるレスラーになっていくのではないかと感じた。
 我々ももしかするといろいろな仮面を被って楽しんでいく過程で仮面の下の本当の自分がわかってくるのかもしれない。

『モノを頼むときは忙しい人に頼め』

 仕事はデキル人に集中する。デキル人はいつも忙しい。また時間管理を心得ている。そして急いでいる人の気持ちが判るので内容を理解して誠実に対応してくれる。

 かく言う私の帰りがいつも遅いのは仕事自体が遅く時間管理ができていないためであるが、締め切りに間に合わなければ仕事の意味はなくなってしまう。だから私は時間内にできそうもないなと思ったら早めにあきらめ、人に頼むことにしている。そこでいつも不思議な発見があるのだ。
 こちらから見ていつもヒマそうな人に頼むとき。たいてい受けてくれない。「忙しい」そうだ。また、わかりましたと言ったきり進捗がない。できたものは期待はずれで、結局自分でやり直さなければならない。
 頼むのに気が引けてしまうくらい忙しい人に頼むとき、まずレスポンスが早い。自分ができないときはそれをできる人に振ってくれ、その人が解決してくれる。そして驚くべきことにクオリティが高く自分でやる以上の成果を出してくれる。
なぜだろう?一つには有能な人は完璧を目指さない。満点レベルの仕事を一つやる間に合格レベルの仕事を八つから十こなしてしまうのだ。もう一つには個人的に自分が依頼できる職人のネットワークを持っている。公私両面であえて貸し借りを作り自分の世界に巻き込んでしまう。自分がやるのではなく、貸しを作っている有能な職人に委任するのがうまいのだ。

 『忙しい』とは心を亡くすと書く。急いでいるときにはとかく目の前の仕事から片付けたくなる衝動に駆られる。確かに集中力を最大限に高めて片っ端から鬼のような形相で片付けていけば間に合うかもしれない。しかしそんなことをしなくてもこのことを知っていればもっと楽に片付けられる。『計画に全体の10%の時間を費やすと全体の時間を20%から30%近く節約できる』という真理だ。やるべき順序を計画し、やらなくていいことを計画すると意外に見通しが明るくなる。

 ホワイトカラーの仕事が増えてきたが、頭の中で起きていることは中々外からは見えにくい。工場の生産性が上がっているかどうかはそのアウトプットで見ることができる。聖書では果実を見ればその木の本質がわかると説いている。
 『モノを頼むときは忙しい人に頼め』。頼むべき「忙しい人」とは心を亡くしている人のことではなく、計画するゆとりを持ち、依頼する人の立場を理解し、委任する人をいたわる心を持つ人のことである。

親心

 母親の表情がいつもに増して厳しい。父親はいつものとおり黙々と酒を飲んでいる。私は状況もわからず困り果て、楽しい雰囲気に持っていこうといろいろと当たり障りのない話題を提供するが一向に功を奏さない。

 昨夜帰宅途中実家に寄り、両親を夕食に誘った。東京に戻っても出張が多くあまり東京にいなかったせいもあり、期待されたほど実家に立ち寄らなかったことに不満があるらしい。

 『親思ふ心にまさる親心きょうの音づれなんと聞くらむ』
明治維新の立役者を輩出した松下村塾の主、吉田松陰が親に先立つ無念を詠った辞世の句である。
 いつの世でも自分以外の人間で自分の幸せを願っているのは親であることに変わりはないようだ。

 「もし自分に残された命がきょう一日限りだとしたら何をする?」と問うと『両親への感謝』を表明したいという人が多い。
 感謝を態度で表明するためには時間が必要だ。しかし時間が許されているときというのは「いつでもできるだろう」と思い、一日延ばしにしてしまう。今年はそんなことも少しやっていきたい
      『親孝行、したいときには親はなし』(詠み人不知)

親友

 「ブルルルル」、「ブルルルル」。13時を回った頃にマナーモードにしてあった携帯電話がコートの中で元気よく震えた。「やぁ、元気?」声の主は名古屋にいたときに交流のあった取引先のK氏だった。私はこの7月に東京に転勤してきたわけだが、そのときのあいさつ回りで誇張ではなく唯一、涙を滝のごとく流してくれた親友である。

 彼とは実は去年3月に知り合ったばかりで実質的に付き合いがあったのは賞味4ヶ月だけだったが、不思議と初めて会ったときから10年来の友人のような感覚を互いに持っていた。
 今日もいつ名古屋に戻ってくるのか、どうすればいいのか?と埒の明かない、たわいもない会話に終始した。

 東京では小中学生の頃、「友達調査」というのを体験した人もいるのではないだろうか?紙片を渡されそれに自分のもっとも親しい友人を3名書くという単純な調査だが、これが残酷なのだ。たいてい自分が一番親しいとして書いた相手の一番が自分ではない。場合によっては3人の中にも入っていないことすらある。

 親友というものは付き合った時間が長ければいいというものではなく、また利害関係のない学生のうちにしかできないというものでもない。
 社会人となってからでも、価値観が共鳴すれば自然と惹かれあう。むしろ自分の価値観が確立してからのほうがよりたやすく真の友に巡り会えるのではないだろうか。

ことばのチカラ

 『初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。このことばは、初めに神とともにあった。万物はことばによって成った。成ったもので、ことばによらずに成ったものは何一つなかった。ことばの内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。』新約聖書に書かれている天地創造の場面だ。

 我々が生きるこの世界を創造したことばに偉大な力があることはクリスチャンなら誰でも知っている。
 しかしクリスチャンでなくても「ありがとう」と言われれば誰でも気分がいい。恋い慕う相手から「好き」といわれれば「ポーッ」とし、「愛してる」といわれると幸せになる。カウンセリングの世界ではこのような前向きなことばは実際に「治療」にも使われているほどだ。
 ネガティブなことばを日常的にもらっている人は、疑う心が強くなり、被害妄想になってしまう。そしていつも気分が悪い。悪い気分はストレスを感じさせる。溜まったストレスは体に変調をきたす。胃に穴が開く人もいる。これを治すには「前向きなことば」が一番だ。前向きなことばは植物に水と光を与えるようなものだ。

 すべてのものは2度作られる。まずは頭の中でそのイメージが作られ、次に物質に変換される。家を建てるにも設計図をまず作る。成功する飲み会の幹事はありありと成功した飲み会を事前に頭の中でリハーサルしている。これと同じことが多くのことで行われている。それだけ頭の中で考え、想像する作業は大切なことだ。そして考え、想像するためにことばが道具として使われる。

 想像してみよう。取れたてのレモンを。洗ったために水が滴っている。ナイフで薄切りにし、一枚を手にとって口にほうばる。2,3度噛んでみる。残りのレモンを絞った原液をそのまま飲み干してみよう。もう耐えられない。
 あなたの口の中に起きた異変は私のことばによって成ったものだ。我々の人生は限られている。万物を創造し、日常のイベントを成功させ、友人知人を元気にさせる「ことば」を自由自在に操れたら、人生はもっと楽しいものになるはずだ。