基準を持つ | ことばのチカラLite

基準を持つ

「あの、どうぞこちらに座ってください。」腰まであろうかと思われる漆黒の髪に白いマフラーをし、赤い革のコートを着た若い女性が私の隣に立っている男性に声をかけた。初老の男性は杖をついている。女性は対面側のずいぶんと離れた座席から声をかけて来たようだ。
 通勤電車の中で、その光景をみて清々しい気持ちになり、ふと自分はどんなときに席を譲るのか考えてみた。

 ひとつの基準として乗っている時間と距離を考える。目的地までが近距離、大体20分から30分くらいで到着するときは譲る。目的地までが遠いとき、1時間以上の小旅行になる時は譲らずそのまま座っている。
 そして譲る基準には相手の状況も考慮する。ご老人、妊婦や赤ん坊を抱いているご夫人、身体障害者の方そしてその他のハンディキャップを持つ「かわいそうな人たち」は対象になる。
 しかしそのようなハンディキャップをもっていても時々「かわいそうではない人たち」もいる。自分は老人なので座るのが当たり前だという態度でこられると、譲る気も意気消沈し、だったらシルバーシートに行ってくれという態度をとってしまうこともある。体調が悪いときなどは自分を「かわいそうな人たち」に該当させ狸寝入りを決める。
 小旅行のときに席を譲らないのにはわけがある。旅行ということになれば1時間、2時間という長い時間乗ることが最初からわかっているので、早めに家を出て並ぶなり、指定席を取るなり、今の時代いくらでも座れる工夫はできるからだ。

 儒教の国韓国では、その基準はもっと明確で『「若い者は立つ」以上!』という風潮がある。この暗黙のルールは徹底しており、老人が目の前に立っていて寝た振りなどしていたら必ず起されて席を譲るように説教までされてしまう。
 余談だが地下鉄に乗るときには秩序などなく、ドアが開いたら全員一斉に駆け込む。ひどい場合はドアの周りで半円に空間が開いてしまい誰も乗れないなんてこともある。
 また座っている者のひざの上に自分の荷物を置くのは当たり前、座っている人もそれを当然だと思っているので立っている人の荷物を奪うようにして自分のひざにおいてくれる。日本からの旅行者はそれをわかっていないと面食らうので注意が必要だ。

 折角勝ち取った座席権。それを譲る基準というのは各人各国各様だろう。私の基準もほめられたものではないが、その基準を自分なりに持っていないと「譲ること」も「譲らないこと」もできないのだ。突然の出来事に戸惑い、迷っていると、その間にことは片付いてしまう。それは譲らないことではなく譲る気持ちがあるのに「譲れない」ことで非常に勿体ないことだ。譲られた本人だけでなく場合によっては周りの人々をも清々しい気持ちにさせたかも知れない貴重なチャンスを失うことになる。