今日の一曲!センチミリメンタル「キヅアト」
【追記:2021.1.5】 本記事は「今日の一曲!」【テーマ:2019年のアニソンを振り返る】の第十五弾です。【追記ここまで】
今回の「今日の一曲!」は、センチミリメンタルの「キヅアト」(2019)です。TVアニメ『キヴン』OP曲。
本来であれば別の「今日の一曲!」を更新するつもりだったのですが、諸事情によりその分は後回しとする必要に迫られたため、此度は急遽違うナンバーを紹介することにしました。その選曲はどうしようかと思い巡らせていたところ、前回アップした記事がMr.Childrenの最新シングルのレビューだったことに関連付けられるネタを温存していたことに気付き、披露するなら今が好機と睨んだ次第です。これだけで何を言わんとしているか察せた人が、おそらく求めているであろう内容になっていると予告しておきます。敢えて勿体ぶった言い回しをしたものの、批判の類ではないので安心してください。
さて、当ブログでは過去に「女性向け作品」からのピックアップとして乙女ゲー原作アニメの主題歌をレビューしたことならありましたが、今回はもっと進んで(?)ボーイズラブ漫画原作アニメの主題歌に男だてらに迫ってみます。この「だてら」に侮蔑の意味は込めておらず、性的指向がヘテロの男がよくわかっていない世界に首を突っ込んですみません…といった申し開きです。別に大層なことを語るわけではないけれども、念のため筆者の立場を最初に明確にしておきます。
アニメをご覧になっていない方でも上掲PVのサムネにギターケースが映り込んでいるところからご理解いただけるように、『ギヴン』は「バンド」という名の繋がりを軸としたBL作品です。つまりは同じ音楽を共に奏でることで何かを得ようとする或いは何処かへ至ろうとする面々の軌跡を描く内容ゆえ、BL要素は関係なくいち音楽好きとして惹かれて端から視聴候補に入れていました。いざ観始めてから数話の時点ではまだBL描写がそこまでディープでないと感じましたが、重い過去の詳細が明らかになるにつれ恋愛模様も感傷的なものへと変貌を遂げ、同時に肉欲的なモーションへの躊躇いもなくなってきたので、免疫のあまりない自分にとっては新鮮なタッチの連続だったと結んでおきます。一方で物語そのものに対する評価を下すのは現時点では難しく、なぜならTVシリーズは「続きは映画で」的な終わり方をしたからです。その公開スケジュールもコロナ禍により延期となりましたし(奇しくも昨日が当初の封切日でした)、原作も連載が継続しているため、バンドメンバーが最終的に織り成す関係性については神のみぞ知る状態でしょう。
このようなコンテクストに於いても今の段階で言える確かなことはあって、それは「劇中音楽の格好良さは本物だった」ということです。主題歌はもちろん主人公バンド・ギヴン(given)が歌うナンバーも温詞のソロプロジェクトであるセンチミリメンタルがプロデュースを手掛けており、統一感のあるハイレベルなサウンドには特筆性があると判断しました。アーティストの名義はセンチミリメンタルだったりギヴンだったりthe seasonsだったり曲毎に区々ですが、ここでは代表としてセンミリによるOP曲「キヅアト」をメインに据えてレビューします。ミスチルとの関連付けについては記事の最後に言及するので、まずは純粋に本曲の魅力を書き出してくとしましょう。
"君が置いてったものばっかが/僕のすべてになったの"と深遠な背景を想像させる一節で幕を開け、エモーショナル且つメロディアスに展開していくギターソロに雪崩れ込む冒頭の17秒だけでも、聴く者の耳を釘付けにするだけの強烈なをインパクトを肌に感じるだろうと期待します。
センミリは元々バンドの名前で温詞さんはVo.&Key.の担当だったらしいのですが、メンバーが続々と脱退して一人残されてからもその名前をソロで受け継ぎ、現在は作詞作編曲の曲作りの領分は当然として、演奏面でもVo.とKey.に加えてGt.とProg.までもを一人で熟すミュージシャンへと、必要に迫られて成長していったことが窺える努力の人です。『アニメイトタイムズ』上のインタビューで語られている通り、ソロになっても「バンドへの憧れ」を捨てきれずにいたところからは執念の人の片鱗も示され、しかし個人のこだわりが強く手ずから楽曲制作の全工程に携われるソロの利便性との間に葛藤を抱き、紆余曲折を経て理想と現実が折り合い今のスタイルに至った御仁と見受けられます。このキャリアを意識して前出の17秒に再度耳を傾けてみると、ソロで制作したとは思えないほどのクオリティの高さに一層驚かされるはずです。
その後もサウンドの荒々しさは実にロックバンドの音像で、とはいえアニメ主題歌に求められるキャッチーさも両立させたからか、歌詞およびメロディにはJ-POPらしい馴染み易さがあります。情緒纏綿なAメロは旋律としてもストーリー性に富んでいて歌詞内容が切なく沁みてきますし、一転して音楽的な響きが優勢となるBメロは"雨 晴れ 曇り/春夏秋冬/365日/どれも君が宿る"と語彙が極端にシンプルでも違和感がありません。ここだけを抜き出すとパーマ大佐が「J-POPの歌詞あるあるの歌」(2018)でネタにしている、"1年のことを365日と言いたくなりすぎ"の好例であるかのような言い換えの連続ですが、当該のフレーズは登場人物の名前に由来している部分があるとすぐにわかるため、ただ陳腐なだけの言葉繰りと断ずるのは早計です。
2番以降は編曲面での多彩さが際立ち、アニメサイズでは「あえて封印した」というバンドサウンド以外の音が主張を強めてきます。2番Aメロは入りが「落ち」のアレンジでピアノが印象的ですし、Bメロ裏のグリッターなピアノも1番より挿入が自然だと感じました。歌詞に目を向けると2番Aのそれは特にお気に入りで、"絆や希望は眩しすぎて/うまく目を開けてられなくても/片っぽや薄目でもいいからさ/ちゃんと捉えてなくちゃ"は、正視するのに忍びない光でも感応まで諦めては哀しさしか残らないことが、素直な言辞で表現されていて素敵です。実際に手渡された優しさに対しては「期待通り」または「期待外れ」の評価が可能となるけれども、優しくしようとしてくれた文脈には絶対的な価値があって貶すこと能わずといった尊さが見出せます。
次第に温詞さん元来の色が濃くなっていくアレンジがピークを迎え、最もプログレッシブな変化を見せるのがCメロのセクションです。ここまでのロックサウンドからがらりとスケープが反転し、流麗で壮大な質感の鍵盤をバックに感情豊かな歌声が昇天していくことによる熱量の大きさは、サビメロに覚えたような背後にセンシティブさが滲む鋭利な勢いとは異なり、安堵や救済に根差した真に解放的で強かな勢いの発露だと思いました。鼓動の如きドラムスが逸らずに一定のリズムを刻んでいるのも、努めて平静な精神状態から得た前向きな帰結であることを裏付けています。"君が僕になる/僕が君になる"という歌詞からは、性別は違えど同じく同性愛作品である『やがて君になる』のタイトルがふと浮かび、同アニメの主題歌をレビューした際に提示した「相手のことを深く理解するあまりに同一性を帯び始めることを愛の顕れの一種とする」との概念は、性別にも指向にも囚われないひとつの解ではないでしょうか。
最後に冒頭から匂わせ続けていたミスチルと関連付けたネタを披露しますと、以下に載せるのは目下話題にしている「Cメロから受けるミスチルっぽさは異常」という俗物的な気付きに端を発した考察です。この「○○は異常」は昔からネット上に存在する定型句でネガティブな意味合いは持たせていませんし、況してやパクリだと糾弾する意図は一切ないので、その点に留意して読み進めていただけると助かります。歌い方というか発声の仕方が最も「っぽい」要素だと分析しますが(別けても顕著に感じたのは"代わりに担っていく"と"君の心臓を"のパート)、メロディラインとアレンジにも彷彿させるところがあり、連鎖的に歌詞内容にも桜井さんらしい趣がある気がすると作家性を重ねてしまいました。
これだけなら僕の個人的な感想に過ぎず、わざわざ載せることもない視座かなと見送りも検討していたものの、興味本位で「センチミリメンタル」を検索して「m」まで打った時点でサジェストに「ミスチル」が出てくることを発見し、更には同様のセンスを本曲に見出したミスチルファンのツイートも拾えたので、これは深掘ってみたら面白いかもしれないと俄然執筆意欲が沸いたのです。僕を含めていちリスナーの主観に基く意見をいくつも集めるより、表現者側から何かヒントになるような発言が供されてはいないだろうかと複数のインタビュー記事にあたってみると、温詞さんがルーツにレミオロメンの名前を挙げていて「おっ?」と思いました。そのまま調べを進めて辿り着いた決定的な発言が先にも引用元とした『アニメイトタイムズ』の中にあり、「レミオロメンのプロデューサーでもあった小林武史さんに憧れがあって」の一文を見た途端、上述の「っぽさ」は誉め言葉として機能するかもしれないと安心したのです。
小林さんとミスチルの関係の深さは言わずもがなのこととして詳細な説明は省きますが、非バンドサウンドが主体である本曲のCメロ部にミスチルらしさを覚えたということは僕にひとつの可能性を示唆してくれました。それは自分が「ミスチルっぽい」と認識しているファクターは、多分に「コバタケっぽさ」のことだったという仮説です。両者のパワーバランスに関しては古くからファンの語り種で、中でも直近のオリジナルアルバム3枚(17th~19th)に於いては小林さんが果たした役割を、それぞれ「過剰(オーバープロデュース)」「適度(共同プロデュースは全体の半分以下)」「不足(完全ノータッチ)」と理解すれば比較がしやすいため、どれを好むかで自分がミスチルに求める理想像が掴みやすくなっています。個人的には18thをかなり高位に置いて19thと17thは申し訳ないですがワーストのワンツーに位置付けているので(詳細はこの記事とこの記事にあり)、バランスが大事と考えているタイプの聴き手です。
話をセンミリに戻してというかスライドさせて、小林さんのプロデュース業に好感を持っている人間が作った楽曲として本曲を見ていくと、そのルーツを強く感じ取ったのはCメロのセクションのみとなるので、塩梅の好さでもって全体を甚く気に入ったのであろうとまとめられます。このバランス感覚の優れた手腕に鑑みれば、温詞さんがプロデュースした『ギヴン』の音楽が良質であることにも得心がいくでしょう。