サカナクション「マッチとピーナッツ」レビュー 歌詞 意味 | A Flood of Music

今日の一曲!サカナクション「マッチとピーナッツ」

 今回の「今日の一曲!」は、サカナクションの「マッチとピーナッツ」(2019)です。7thアルバム『834.194』収録曲。


 当ブログ上にサカナの単独記事を立てるのは、今年の4月に更新した平成振り返り企画以来です。従って、6月に発売された本作への言及は未だ行っておらず、本題に入る前に総評的なことを記そうと思います。…こう考え、実際にプチアルバムレビュー的な文章を途中までは認めたのですが、何時まで経っても得心のいく内容に仕上げられなかったため、思い切って全てカットすることにしました。ただ、他の収録曲に全くふれないのも寂しいので、適宜曲名は登場させていく次第です。

 というわけで、早速本題である「マッチとピーナッツ」の紹介に入ります。Disc 1「35 38 52 9000 / 139 41 39 3000」の2曲目に収められており、同ディスク延いては本作全体の中で最も気に入っているナンバーです。初聴時から好みでしたが、繰り返しの鑑賞を経た後でも、フェイバリットの上位に君臨し続けています。ちなみに本作が初出の新曲に限ると、僕の中で同曲と一二を争っているのは、Disc 2「43 03 18 9000 / 141 19 17 5000」の04.「ナイロンの糸」です。または1の03.「陽炎」も、正直「-movie version-」(2018)はあまりピンとこなかった状態から好きに転化したので、振れ幅的には対抗馬かもしれません。以降、本作の収録曲に関しては「1/2-曲番号.」で表示します。


 回り道をご容赦いただくとして、まずは楽想面から語るとしましょう。サカナの楽曲形式を敢えて類型的に見て、本作の収録曲を例に挙げていきます。第一に【Aメロ → (Bメロ) → サビ】をスタンダードとする楽曲(e.g. 1-06.「モス」、2-01.「グッドバイ」)が主流であるのは、製作陣が日本人ゆえ当然だと言えますが、2番で1番の展開を素直になぞらないニュースタンダードな楽曲(e.g. 1-01.「忘れられないの」、1-04.「多分、風。」)の存在も、同バンドに顕著な特色のひとつです。前者を直球とすれば後者は変化球となりますが、両者の対立はあくまでも、J-POP的なマナーに根差したものだと考えています。

 この「定番およびそこからの逸脱」も確かな聴き処と言えど、僕が一層惹かれやすい楽想がどのようなものであるかを突き詰めていくと、実はどちらのタイプも第一位とはなりません。そこで第二に取り出だしましたる別の対立軸では、視点を上位に移して、J-POP的なマナーそのものと対立する何かを擁立します。この「何か」とは非J-POP的なものであれば何でもOKですが、サカナの音楽性に於いてマナーと絡めた談話にするならば、「ダンスミュージックらしいもの」をその代表としたいです。換言すれば、個人的に最も好いているサカナ楽曲の類型は、ダンスミュージックのマナーに基いたものであるとの論旨になります。

 補足:「マナー」即ち「方法・作風」と銘打っているように、この場合の「ダンスミュージック」は音楽的もしくはジャンル的なものを指すというよりは、楽想に宿る精神性や楽曲の目指す方向性について言ったものなので、実際にアウトプットされたサウンドと必ずしも一致しないことに留意してください。例えば2-07.は、下記ではピーク系の楽想を意識してダンスミュージックの扱いにしていますが、サウンドとしてはロックが優勢ですし、踊るタイプのナンバーでもないと思っています。

 具体的には、最後の一度きりのピークに向けてじわじわとメロディが積み重ねられていく楽曲(e.g. 2-04.「ナイロンの糸」、2-07.「さよならはエモーション」)が、この観点で特に好みの楽想を有しているものです。しかし、肝心なのはここからで、同じくダンスミュージックの立脚地には、これに匹敵するほどに僕が魅力的に思う楽想が別に存在します。それはずばり「シンプルな旋律を軸にアレンジの妙で陶酔感を増大させていく楽曲」で、本作では1-02.「マッチとピーナッツ」がこれに該当するとの認識です。ここまでずっと何やらややこしいことを書き続けていて恐縮ですが、前出の「シンプルな~」が要するに「ダンスミュージック的」であることは、直感的にも理解してもらえるだろうと期待して話を進めるとします。


 まずは前半の「シンプルな旋律を軸に」についてです。これは歌詞を見れば、或いは音源を聴けば瞭然でしょう。"こぼれた/心がこぼれた"のパートをBメロとする区分の仕方もアリでしょうが、個人的にはそこも含めて"深夜に噛んだピーナッツ"から続くAメロと見做しているため、そうすると歌詞の上ではメロディが一種類しかないことになり、同曲が如何に最低限の旋律しか持ち合わせていないかがわかると思います。とはいえ、これは本当に歌詞上に限った話で、実際には歌詞に記載されていない「ランランラン…」で歌われるセクションがサビとして振る舞っており、当ブログ的には「ヴァース-コーラス(V-C)形式」の楽曲であると扱うことで、一応の説明はつけられる楽想です。しかし、やはり歌詞上の非明示をここでは重視したいので、V-C形式の中でも殊更にシンプルなものとして、特筆性があると主張します。

 補足:主旨がぶれるため挿話的な言及にとどめますが、嘗てアップしたこれらの記事()にも同様のことを記している通り、「サビに具体的な意味を持つ言葉がのらない曲」の存在は、僕の中で「自信と技術が共にあることを示すバロメーターのひとつ」になっているため、この点も本曲を高く評価している理由です。


 楽想・旋律の極まった単純さを、単調といったネガティブな感想に落ち着けないために、編曲または演奏に凝らされている技巧性が、後半の「アレンジの妙で陶酔感を増大させていく」に繋がります。以下、本曲のサウンドを通時的に見ていきましょう。奇妙にディレイする歪んだ電子音で幕を開け、残響に何処か暑苦しさを覚えるギターが彩りしイントロ部は、この先に控えている熱量の大きさを予見させる仕上がりです。最初の「ランランラン…」も、この段階ではまだニュートラルで、少しの切なさはあれど抽象的なものだと言えます。

 グルーヴィーなベースラインを引き連れたまま、0:52から1番ヴァースのスタートです。過剰も不足もしていないリズム隊の丁度好い存在感は、主旋律の持つ陶酔性を適切に立たせるものであると評せます。このダンサブルな展開を4回繰り返した後に、"こぼれた"から続くクロージングへと移行し、1番は意外なほどあっさりと終了です。歌詞の中身には後ほど詳細にふれますが、1番後の「ランランラン…」は少し具体性を帯びていて、ここまでに鏤められた言葉と音から感じ取れるファクターが上乗せされた結果、「暑さともどかしさで眠れぬ夜の無常観」の向きが強められているとの解釈に至りました。


 この変容を受け、2:00から2番ヴァースが始まります。同じ旋律が4回繰り返される点は変わりませんが、前2回は所謂「落ち」のアレンジとなっているため、今度はより主旋律に意識が向かいやすいですね。都合8度の繰り返しで、当該のメロディが持つシンプルさの虜になったところで、再び"こぼれた"のセクションに移行します。あっさりと終わってしまった1番とは対照的に、2番では歌詞に於ける表記以上に"心が/こぼれた"が幾度もリフレインするのが特徴です。ボーカルトラックへのフィルター使いが次第にきつくなり、不協和音と共にバックトラックの乱雑さが増していくカオティックな展開は、実にダンスミュージックらしいタメの作り方だと、近年の用語で言えばビルドアップ的なトラックメイキングだと表せます。

 このテンションが解放される2番後の「ランランラン…」では、転調とカウベル(ウッドブロックかも?)の挿入が印象的で、このベタな盛り上げ方も非常にダンスミュージック的ですよね。ここまで来ると「ランランラン…」の意味合いもかなり具体的になり、前述の「眠れぬ夜の無常観」の解釈を引き継げば、そのフェーズを越えて「もうどうにでもなれと開き直る域」に達していると聴き解けます。今までにも当ブログで何度か述べているように、僕はダンスミュージックの本質は忘れることであると、即ち忘我の音楽だと捉えているので、終盤のサウンドは文句無しにダンスミュージックだと喧伝したいのです。長々と解析的に記してきましたが、以上が「マッチとピーナッツ」を「シンプルな旋律を軸にアレンジの妙で陶酔感を増大させていく楽曲」に分類した上で、その何がツボなのかを説明した文章になります。


 最後は歌詞内容を見ていきましょう。注目したポイントは主に二つで、Ⅰ.「"夜"と"ピーナッツ"のコロケーション」と、Ⅱ.「過去の人からの思わぬカウンター」に関して語ります。

 Ⅰ. 冒頭の一節、"深夜に噛んだピーナッツ/湿気ってるような気がしたピーナッツ/あの子が先に嘘ついた"を読んだ時、僕はMr.Childrenの「I'LL BE」(1999)の歌詞を思い出しました。同曲は過去にレビューをしたことがあるので、詳細はリンク先をご覧くださいと丸投げしますが、関連する記述のみを墨付括弧で次に引用します。【"ピーナツをひとつ 噛み砕きながら 飲み込んでしまった想いは/真夜中 血液に溶けて 身体中をノックした"は、何気ない日常のモーションから期せず覚醒に至る時の頭脳の明晰さを鮮やかに切り取ったフレーズであると解釈出来】。表記揺れはあれど、両曲に共通しているのは「夜にピーナッツを噛んでいる状況」です。

 おそらく「晩酌とおつまみ」のイメージがトリガーになるのだと推測しますが、"夜"と"ピーナッツ"のコロケーションから連想可能なビジョンは、とても「男性的な孤独感」ではないでしょうか。「I'LL BE」では"飲み込んでしまった想い"、「マッチとピーナッツ」では"あの子が先に嘘ついた"と、心に残ったしこりや喉のつかえに結び付き得る文脈を伴っているのも共通項で、一人の晩酌時に覚える内省的な気持ちを、どちらの例も鮮やかに切り取っていると絶賛します。"噛む"も共起語に含めるならば、硬いものを自らの意志で砕くという行為には、「苛立ちの捌け口と状況打破への意欲」の両面が窺えるので、この意味でも"ピーナッツ"は有用なモチーフだと言えそうです。あとは細かい点で、先にアレンジを語る中で「暑さと~無常観」との形容を行ったのは、ギターの熱砂的な音作りを根拠にした面も勿論ありながら、歌詞の"湿気"を考慮して時期に梅雨時~夏を想定したからでもあったのでした。


 Ⅱ. こちらはⅠ.での記述に沿えば、「心に残ったしこり」に纏わる事柄です。本曲の主人公を悩ませているのは"あの子"の存在で、"あの子が先に嘘ついた"および"あの子の方が真剣だった"は当然として、"いつかのあの幸せ"も"あの子"と関わりのあるものだと考えています。"あの子"をどのようにプロファイルするかには人の数だけ答えがあるでしょうが、何にせよ「過去の人」だと捉えるのが据りがいいと僕は理解しました。今更言いたいことが次々と溢れてきても、"あの子"と言葉を交わす機会は二度と訪れないということを確信している感覚。

 そんな過去からの「思わぬカウンター」というのは、特に"あの子の方が真剣だった"を指しての言です。これは後から相手方の正しさというか真摯な姿勢に気付くという、対立していた側からすると最も恥ずかしい敗北の追認であるため、そうすると主人公側の言い分である"あの子が先に嘘ついた"も、ひどく子供じみた惨めなものに映ります。その廉恥の芽生えと発狂したくなるほどの羞恥心は、"ピーナッツ"と共に胃の中に押し込んでしまいたいと、或いはダンスミュージックと共に忘れてしまいたいと、そう思ってしまうのも無理からぬことでしょうね。

 よりわかりやすく色恋に擬えても、未練を浄化していくプロセスに於いて、誰しもが経験したであろう苦い記憶を想起させるフレーズとして、"あの子の方が真剣だった"はパーフェクトな言葉繰りだと称えます。自虐も込みで残酷なことを言いますと、恋人・夫婦関係の解消にせよ片想いの玉砕にせよ、状況だけ見れば振られた側が真剣味に欠けていたというのは、その通りかもしれません。本当に真剣だったならば、前者では関係維持に全力を挙げたはずですし、後者では告白までの下準備が不十分だったということもないはずなので、結果論であろうと"あの子"が「過去の人」になってしまった事実からは、自身の落ち度が示唆されていると受け取れます。この残酷な事実を受け止めきれない時、"心がこぼれた"となるのではないかな。