椎名林檎『逆輸入 ~航空局~』レビュー。歌詞。意味。「暗夜の心中立て」「人生は夢だらけ」 | A Flood of Music

逆輸入 ~航空局~ / 椎名林檎

 椎名林檎のセルフカバーアルバム『逆輸入 ~航空局~』のレビュー・感想です。3年前にリリースされた『逆輸入 ~港湾局~』(2014)に続く、『逆輸入』シリーズの第二弾となります。今度は空輸でというわけですね。

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 僕が林檎ファンだというのは当ブログ上でも何度も表明していることですが、意外にも彼女自身(ソロ)の名義による作品をきちんとレビューしたことは今までにありませんでした。以下にその経緯を書きますが、これは読み飛ばしても本作のレビューには子細無しです。

 当ブログの第一期(2010年6月~2011年8月)に於いては、東京事変での活動が盛んでソロ名義の作品はリリースされていなかったため、当然ディスクレビューも事変関連のものばかりとなっていました。その後に事変は解散してソロのリリースが再開するものの、今度は当ブログが長い休止期間(2011年8月~刹那の第二期~2016年3月)に入ってしまったので、レビューの機会を逸し続けていたというわけです。

 第三期(2016年3月~現在)では、通常のレビュー形式では林原めぐみの『今際の死神』(2017)の記事が唯一の林檎関連のディスクで、あとは「今日の一曲!」で「やさしい哲学」(2013)「駅前」(2004)を取り上げたくらいですが、何れにせよソロ名義のナンバーではありません。

 余談ですが、「やさしい哲学」の記事にはなぜか検索流入が多く…というかこの曲について検索する人自体が多く(どちらもサーチコンソール調べ)、そのせいか曲名で検索した際の当該記事の順位がやたらと高いです。こうなるとわかっていたならもう少しちゃんとした内容にしたのにという僅かな後悔と、楽曲自体の人気を思い知って嬉しい気持ちもあり、複雑です。笑



 裏話はこの辺にして本作のレビューに入るとしましょう。全11曲で、02.と10.のペアが惜しいですが、06.を中心に字数でシンメトリーにしようとしたことは窺える曲順です。笑

 セルフカバーアルバムなので楽曲の周辺情報も多いのですが、それらについては各曲の項でその都度ふれることにしました。なお、以降で「オリジナル」「元」「原曲」などの言葉が出てきた場合、これは「提供先の楽曲」を指しているとご理解ください。

 また、ウェブ上で読める本作の特設ページ;『猫柳本線』の方では作品の急所が端的に、『ユニバーサル・ミュージック』の方では内田正樹さんによるライナーノーツと林檎自身による全曲コメンタリーをそれぞれ読むことが出来るので、作品理解の一助となるかと思います。


01. 人生は夢だらけ "Ma vie, mes rêves"



 このタイトルはかんぽ生命のキャッチコピーとして耳にしたことがある方も多いかと思われます(正確には『人生は、夢だらけ。』という表記)。女優の高畑充希さんがCMで披露していた楽曲のセルフカバー…というか初のフル尺音源化ですね。高畑さんは歌唱力にも定評があり、「花は咲く」のコンピでも彼女のVer.がいちばん好みだったというくらいには僕も好きです。

 編曲者は「彼奴等」こと「MANGARAMA」のメンバーとしてもお馴染みの村田陽一さん。近年の林檎楽曲のライブアレンジに於いてブラス担当と言えば?というお方ですね。本作収録曲のうち五曲は彼による編曲なので、最初に耳に届けるサウンドとして正道と言えるでしょう。

 ということでこの曲は管楽器アレンジが素晴らしいです。村田さん自身もトロンボーン&ユーフォニアムで参加なさっています。端的に言えば「人生の自由さ」を説いた歌なので、その解放感を示すのにどうしてこう管楽器は映えるのだろうと、楽器自体の性質に思いを巡らせてしまうほど。


 その素晴らしさが爆発するのは1番終わりからなのですが、1番のピアノのみのアレンジもこれまた素敵です。クレジットには2人のピアニストのお名前(フェビアン・レザ・パネさんと林正樹さん)が記載されているので、細かいところまではわかりませんが、著名な方がなぜ著名なのかを理解するのには充分なハイスキルさだと思いました。

 歌詞も何処を引用すべきか迷うほどに全てが良いですね。ここでは代表として、"こんな時代じゃあ"から始まるくだりを1番/2番共に紹介しますが、1番の"違いの分かる人"のために諦めない姿勢も、2番の"古い物は尊い"という真理も、僕が何かを審美する際に大切にしている心掛けなので、烏滸がましいですが共感を覚えることが出来た表現でした。


02. おいしい季節 "The Creamy Season"

 栗山千明の4thシングル曲のセルフカバー。オリジナルについては昔の拙い文章ではありますがレビューしたことがあるので、『おいしい季節 / 決定的三分間』(2011)の記事と、MVとそのメイキングも含めて当該楽曲が収録されているアルバム『CIRCUS』(2011)の記事をリンクしておきます。

 オリジナルは事変による演奏も聴き処のひとつでしたが、こちらのカバーでは当然異なるメンバーでプレイされており、編曲は林檎自身(弦編曲は斎藤ネコさん)が手掛けています。斎藤さんについては説明不要だと思うので改めて詳しい紹介はしませんが、この曲を含めて本作収録の三曲にアレンジャーとして携わっているので、信頼のほどが窺えますよね。

 そんな長きに亘って音楽制作を共にしてきた間柄だからこそ、互いの音の解釈に関しては完璧で、この曲は正しく「おいしい季節 椎名林檎ver.」に仕上がっているという感想を持ちました。

 総勢33名による弦楽アレンジとバンドサウンドとの融合が巧く、それはボーカルにも寄り添ったものであるため、26歳の時の栗山さんに提供した楽曲を38歳*の林檎が歌ったとしても、違和感のない可愛さが醸されているのだと分析します。*「明治・ザ・チョコレート」のCMソングとして今年の10月から披露されていたので、収録は誕生日前だろうという意味。


 本項の冒頭にリンクした過去記事の中では、歌詞について曖昧なことしか書いていませんが、これは単に表現力がなかったこと以外に、当時はアメブロとJASRACとの間で歌詞掲載の許諾契約が締結される前だった(つまり歌詞が掲載出来なかった)からというのも理由です。"旬は流離う悪者"や"旬は恥じらう生物"というフレーズに見られる本質をついた表現が、女性の本音らしくて素敵だと思った。…これが言いたかったのだと、6年前の補足をしておきます。笑

 細かいところで嬉しかったのは、コーラスにあたる英語詞の部分;ここは元の歌詞カードでは(シングルでもアルバムでも)日本語詞の横に後から付箋を貼りつけたかのような遊び心があったのですが、それが本作ではフキダシで再現されていたことです。


03. 少女ロボット "Girl Robot"

 元はともさかりえ名義での8thシングル曲(2000)として提供されたナンバーですが、ライブでは幾度かセルフカバーとして披露されており、映像集としては事変の『Just can't help it.』(2006)及び林檎の『座禅エクスタシー』(2008)に収められています。配信限定でしたが事変の楽曲としてライブ音源もリリースされていたので、本作に於いては「祝!スタジオ音源化」ということで意義があると言えるでしょう。

 編曲者は01.と同じく村田さんですが、この曲ではアレンジャーに徹しているというか、そもそもブラスは登場しません。ジャジーなリズム隊とピアノの演奏を軸に、グレート栄田ストリングスの確かな手腕と大井貴司さんの素敵ヴィブラフォンが彩っていくという、お洒落なショーケースに入れられた「少女ロボット」という趣です。


 元々好きな楽曲ですが、こうして全く新たな解釈でアレンジされると更に好きになってしまいますね。その変化を許しているメロディ自体の自由さにも気付くことが出来るので、種々のアプローチを受け容れられるという「素体っぽさ」が「ロボットらしい」かもと、そんなことを思いました。

 良い機会なので歌詞の難読部を解説しておきますが、"佞言は忠に似たり"は「ねいげんはちゅうににたり」と読みます。『広辞苑(第五版)』によると「佞言」というのは「へつらいの言葉」のことで、それは一見真心を尽くしているようにも映るので注意せよといった意味の故事成語のようですね。『広辞苑』では「佞言」という語の使用例にこの成句が載っていました。


04. 暗夜の心中立て "Le vœu d'amour"

 石川さゆりの116th(驚きの数字!)シングル曲として2014年に提供された楽曲のセルフカバーです。オリジナルでは斎藤さんが編曲を手掛けていましたが、本作では村田さんによるアレンジで差別化が図られています。

 ふらふらと揺蕩うような旋律が"月に叢雲"のところで一気にピークを迎えるものの、それを受ける"花に風"の部分では早くも散りゆく儚さが醸されているという、瞬間的な美しさで愛の深さを物語っているようなところが好みです。


 この曲も次曲も題に「心中」を冠しているので、ここで先に「心中」という言葉自体に迫ることにしました。再び『広辞苑』に頼りましたが、付焼刃ゆえ誤解もあるかもしれません。長くなったので、見にくいでしょうが文字サイズを小さくしてスペースを圧縮します。

 まず「心中立て」というのはこれで一語で「しんじゅうだて」と読み、基本的な意味は「人との約束を守りとおすこと」です。特に「相愛の男女が誓い(中略)の証拠を示すこと」を指すようなので、成程納得の仏題(直訳で「愛の誓い」)ですね。

 それがなぜ「心中」という共に死ぬことを表す語と繋がるのかについては、何となくのイメージでは理解出来ますが(愛する人と共に死にたいという感情)、この点に関しては「心中立て」で検索してトップに出てくる自傷行為に関するサイトの記述が非常に参考になったので、詳しく知りたい方はそこをご覧になると良いかと思います。どういうものが「愛の証拠」たりうるのかを理解すると、この言葉の過激さに得心がいくでしょう。

 ここでそもそも「心中」自体の意味が気になり、再度『広辞苑』に尋ねてみました。すると意外にも一番目の意味は「人に対して義理を立てること」で、二番目に「心中立て」と同様の意味(証拠の例)が載っています。そこから派生して三番目に「相愛の男女がいっしょに自殺すること」が来て、よく知った意味の「二人以上のものがともに死を遂げること」と「組織などと運命をともにすること」は四・五番目です。更に元を辿れば「心中」は「こころのうち」を意味する「しんちゅう」なので、元々情事的な向きが強い言葉だとも言えますよね。


 こうして「心中(立て)」の意味を理解した上で歌詞を見ていくと、まさにと思える表現ばかりでゾクゾクしませんか。"だけどこの命/一思ひに投げ出した相手は唯一人だけ"や"無無しの命の証を点しておくんなんし"あたりは直球ですが、"指切拳万針千本"のくだりは、「約束」という意味の他に「切指」にも掛かっていると思われ、怖い遊び心があるなと思いました。


05. 薄ら氷心中 "A Double Suicide"

 オリジナルは林原めぐみの41stシングル曲(2016)で、TVアニメ『昭和元禄落語心中』第1期のOP曲でした。因みに本記事の前置き部で紹介した「今際の死神」は、同アニメの第2期OP曲です。c/wを含めると、これまでに都合4曲が林原さんに提供されていることになりますね。

 アレンジに関しては04.とは逆で、元は村田さんによる編曲(木管)のナンバーでしたが、本作では斎藤さんが編曲を担当なさっています。とはいえ、村田さんもトロンボーンで演奏に加わっておられるので、両名のコラボが堪能出来る楽曲でもありますね。全体的に原曲よりも勢いが増している且つお洒落なサウンドになっているので、死に際の美しさを孕んだ切羽詰まった感じの演出が巧くなっているなと思いました。

 前項で書いた通り二曲続けての心中ソングなので然もありなんという感じですが、こちらはダイレクトに「心中」が英訳され「ダブル・スーアサイド」という情緒もへったくれもない表現になっているのがまず面白い。しかし、これはこれでエッセンシャルな味があって良いようにも思えるので不思議です。笑


 「切羽詰まった感」と書いたのもそうですが、04.との違いは必死さ加減だという気がします。"こんな女にしたのは誰。"とか"あゝ/人生ご破算。お前さんあんたの所為だつて。"とか、相手を責めるような表現が見られますし、2番Aの"好きよ大好き、" ~ "お前さんで出来てんだ、全部。"の一節なんかも中々に恐ろしげですよね。

 「心中」に絡む直接的な表現は、ラスサビの"憎く可愛い人よ。" ~ "生命ごと終はらせて仕舞ひたい。"の部分だと思いますが、個人的には歌詞の"私"は心中を(自殺も殺人も)思い留まっていると解釈しています。1番サビの"脳味噌も腸もばら撒いて見せやうか。"もそうですが、断定していないんですよね。ギリギリのところで理性が勝っている印象を受けるので、だからこそ結びの"薄らいで行くわ。私は独り法師。"は、これからも険しい生が続くことの表現だと取りました。

 三曲続けて語の解説に文章を割いて恐縮ですが、タイトルの「薄ら氷」は「うすらひ」と読みます。古語なので現代の発音に直せば「うすらい」です。文字通り「薄く張った氷」(『全訳古語辞典』第三版より)のことで、上に書いた解釈に従えば、理性と本性の境界が薄ら氷なのかなと思います。


06. 重金属製の女 "The Heavy Metalic Girl"

 曲名を見て「こんな曲あったっけ?」と思ったのですが、英題で納得しました。元は「The Heavy Metalic Girl」という題で、ICHIGO ICHIE(深津絵里)のアルバム『毒苺』(2012)に収録されていた曲ですね。これはNODA・MAPの舞台演劇『エッグ』の劇中曲を収めた作品で、公演は観ていませんが、林檎ファンとしてCDだけは持っています。

 この曲に関しては単なるセルフカバーではありません。オリジナルで日本語詞だったものが本作では英語詞になっている…というだけなら以降にも同タイプの楽曲がありますが、「THMG」は元々野田秀樹さん作詞のナンバーゆえか(原詞という表記があるのはこのため/元は林檎は助作詞にクレジット)、少々特殊です。共に添えられている日本語訳が元の日本語詞のものではなく、歌唱言語である英語詞と対応したものになっているので、林檎作詞によって新たに生まれ変わった楽曲と言えるだろうというのがその理由になります。


 アレンジャーは名越由貴夫さん。01.の項で名前を出した「MANGARAMA」メンバーの一人で、彼もまたライブとレコーディングの両方で林檎と深い関わりのある方ですね。この曲にもエレキギターとシタールでプレイヤーとしても参加なさっています。

 名越さんが編曲者兼奏者ということもあってか、只管にギターが格好良いロックナンバーに仕上がったという感じです。乱暴に言えば事変の曲っぽいと思いました。そこにタブラとシタールが加わることで熱っぽい質感が付与されているように聴こえたのですが、これは冷たい重金属を熱で変化させようとしていることの表現かなと妄想しています。

 名越さん以外にもこの曲の演奏クレジットは個人的に面白く、まずはタブラ&電子ノイズをASA-CHANGさんが担当なさっていることに驚喜しました。イントロでもしやと思いましたが本当にそうだとは。当ブログでは未だ記事を書いたことはありませんが、ASA-CHANG&巡礼の唯一無二としか言えない音楽は高く評価していて、アルバムも愛聴しています。唯一無二ゆえレビューも難しそうだと若干畏れている節があるぐらい。笑

【追記:2024.4.25】 6年以上越しに巡礼の本格的なレビュー記事をアップしました。 【追記ここまで】

 ドラムスのBOBOさんについては、割と最近にパスピエのアルバム中島愛のシングルでもお名前を出したばかりですし、ベースのキタダマキさんはSyrup16gのメンバーとして有名ですが、個人的には『カウボーイビバップ』のサントラ(シートベルツ)にクレジットされていることが気になっている存在です。



07. おとなの掟 "The Adult Code"

 TVドラマ『カルテット』の主題歌としてお茶の間への浸透度も高いと思われる本ナンバーは、元はDoughnuts Hole(松たか子、満島ひかり、高橋一生、松田龍平)の歌唱による楽曲(2017)で、それは邦ドラマらしくしっかりと日本語の曲だったのですが、本作では英語詞に変換されて収められています。

 言語が変わっているとはいえ06.ほどに特殊ではなく、英語詞の横には元の日本語詞がそのまま添えられていますし、楽曲のクレジットも原曲とほぼ同じです(チューバのみ田村優弥さんから石丸菜菜さんに変更)。ヒイズミマサユ機さんのピアノも健在で、斎藤ネコカルテットの弦楽は一層素晴らしく楽曲の明暗を彩っています。


 林檎の楽曲には歌唱言語が日本語/英語の両方存在するものが結構ありますが、そのどれもが翻訳が上手くて毎度感心させられます。なるべく文意を変えずに、或いは変えるとしても補足的にすることで、元のメロディの輪郭が維持されているので流石だなと。

 特に気に入っているのは、"ト書き通りに生きている自分"を"I live according to stage-right, stage-left, exit"と訳しているところです。そのまま"stage direction"とすると旋律に合わないからでしょうけど、「下手から上手*に移って退場」と具体的になったことで、指示通りに生きて大人になってしまった(もしくは大人になれていない)ことに対する悲哀が強まっているなと感じました。*英語では舞台から見て左右を表現します。

 "・・滅びの呪文だけれど・・"に対応する"Though like a chant of ruination it'd be"も地味に好きで、語順を上手く弄って心地好い音の連なりにしているところが鮮やかです。"it'd be"というのも英語ならではの表現だと思うので、きちんと言語の特性が活かされているところにも好感が持てます。


08. 名うての泥棒猫 "Le célèbre chat voleur"

 04.の項で紹介した石川さゆりのシングル『暗夜の心中立て』、そのc/wに収められていた楽曲のセルフカバーです。04.と同じく編曲は村田さんに変更されていますが、演奏陣のクレジットはリズム隊に加えて名越さんのエレキとヒイズミさんのクラビネットのみとシンプルで、管楽器は出てきません。これに関する裏話はコメンタリーにて知ることが出来ます。

 そこにある記述(村田さんによる言)がこの曲の魅力を端的に表しているので内容が重複することになりますが、エレキとクラビネットの掛け合いが素敵なナンバーだというのには僕も同感です。ボーカルを立てつつも埋没しまいという気概が感じられる演奏は、バランスが丁度好く聴き易くて良い。


 歌詞は情事と猫の性質を上手く組み合わせたという感じですかね。"あたし"にとっては不服であろう表現をしますが、04.や05.の心中女とは異なる「強者の余裕」を感じさせる内容だと思いました。以下、自分語りを多分に含みつつ歌詞解釈を続けます(恥ずかしいので文字は小さく)。

 歌詞に見られるような「来る者は拒まず、去る者は追わず」の精神でいると、結局自分の欲しいものだけが近くに残る。これを経験上真理であると考えているので、このロジックは色恋に限らず強者へと至る道のひとつだと認識しています。意図してやり出すと途端に上手くいかなくなるのがもどかしいところなんですけどね。

 "なんてったって女と男の縁は/切ったって切れないたぐいか/どう足掻こうと切れる手合よ"というフレーズは本当にその通りだと思います。僕は殆どの物事にグレーを認め、それを良しとする輩ではありますが、こと男女の関係に至っては「間は無い」と思うようになりました。こう書くと色々と反例が頭に思い浮かぶでしょうが(僕も嘗てはグレー容認派だったのでわかります)、そういったものも根源を質せばオールオアナッシングに帰結するという結論なのです。

 ここで「いいや、そうじゃない!自分はグレーのまま全てを手にする!」と考えるのもそれはそれで格好良いと思いますが、僕はもう「来る者は拒まず、去る者は追わず」の心地好さに甘えたい人間なので、その道には戻れそうにありません。弁明しますがこれは別に無気力やネガティブというわけではないんですよ。こうした方が自由に生きられるという意味ですし、そもそも「来る者を拒まない」というのはエネルギーの要ることですからね。 

 共感を得られたかは扨措き、曲名に絡めて何とかまとめるならば、僕は「疎まれたくはないが、名うての泥棒猫では居たいタイプ」なんだと思います。誰かに"泥棒猫呼ばわり"されるような積極的に奪う生き方を、自分ではしてこなかったと信じていますが、それを"この頃は好い加減/馴れちまいんした"とまで言えたら格好良いよなという、憧れは持っているのだろうということです。消極的に(結果的に)奪ってしまったことを責められても、そりゃ"言い掛かり"だよというのには同感なので。



09. 華麗なる逆襲 "Splendid Counterattack"

 オリジナルはSMAPの54thシングル曲(2015)。TVドラマ『銭の戦争』の主題歌でしたが、結果的に最後のドラマタイアップ曲となってしまいましたね。知っての通りSMAPは、ただ単に解散したというよりは分裂したという向きが強いため、この「華麗なる逆襲」という題に他意が加わってしまいそうなのが哀しいところです。

 勿論タイトルにそんな下衆い意味合いは無く、コメンタリーには林檎のスマヲタとして熱い思いが載っているので、それを読んで誤解なきようにお願いします。主語が「SMAP(全員)」ならば、「華麗なる逆襲」ほど痛快な曲名もないだろうと思いますしね。


 07.と同じく、元は日本語詞/林檎ver.は英語詞というパターンです。村田さんによる編曲というのも元と同じですが、プレイヤー陣に関しては原曲からそのまま引き継いでいる方も居れば、楽器は同じでも奏者が違う場合もあるということが読み取れるクレジットになっています。

 細かい違いはあれど、ご機嫌なブラス(サックスがあるからホーンとすべき?)によるラグジュアリーな質感と、ストリングスが醸しているディスコっぽさによって、ダンサブルな側面がより際立っているというところは、まさにSMAPのために書き下ろされた曲だと納得がいくものなので、それが林檎ver.でも変わらずに残っているというのは嬉しいですね。


 ここでも翻訳の妙について語るならば、日本語詞に於けるSMAPの過去曲を意識したと思われるフレーズ("毎度あり!"や"びりびりさしてダイナマイト"など)を含む部分が、どう訳されているのかというのは気になるポイントでした。

 例えば"毎度あり!"は"Thanks to all of you"になっていて、SMAPの境遇を思うとこのストレートさが胸にくるよなという感じですが、何よりも上手いと思ったのは、"天下一"を"the only one"と訳しているところです("NO.1"ではなくね)。これに気付いた時は軽く鳥肌でした。


10. 野性の同盟 "The Wild Union"

 柴咲コウの29thシングル曲(2015)のセルフカバーで、原曲はTVドラマ『科捜研の女』SEASON15の主題歌でした。元は林檎と斎藤さんによるアレンジでしたが、本作では名越さんが編曲者としてクレジットされており、演奏陣はドラムス+エレベ+エレキのみでハードなサウンドに生まれ変わっています。

 『科捜研』のイメージには合っていると思いつつも、元々あまりキャッチーな曲(シングル向き)ではないという印象を持っていました。今回激しいアレンジになったことで、それが覆るどころかまた一段と深く潜り込んだなと思いました。悪い意味ではなく、タイトルに合わせればより野性に近付いた気がして素敵だということです。

 もう少し共感を得られそうな表現に変換するなら、アルバムのラストの曲っぽい昇天感があるといった趣ですかね。同じく林檎の作品で言えば「依存症」(2000)のアウトロが好例ですが、歌詞に宿る切なさがギターの音と共に天に召されていくように思えて、救いへと至る過程で自身も野性の状態に近付いていくということが反映された、まるで野晒しのアレンジだと感じるというのが、野性=ラストソング*=昇天感を繋ぐ持論です。*実際は後にもう一曲控えているので、ここでの「ラスト」は「終盤」程度の意味で捉えてください。


 こうしてサウンドに委ねた感覚的な歌詞解釈になってしまったのは、歌詞の内容を正直理解しきれていないからです。テーマである"野性"の解釈が定まらない。"ふたり"を"引き合"わせたもの且つ"ひとりじゃ野性を無くしそう"とされていることから、「同盟」の礎となっていたものだろうとは思います。

 しかし現在"ふたり"は離れた場所に居ると推察されるので、"そう「生きている」と言う絶望こそが君と僕とを結わえている野性"というのは、「それだけが確かなこと(=それ以外は何もわからない)」という意味で"絶望"なのだろうか。

 また、"沈黙"もキーワードで、"挨拶のない手紙を書き損じたまま"や"内緒の願い"というのもそれに類する表現だと思いますが、これは「寄る辺となるような言葉が存在しない(=言語を有さない)」という意味で"野性"なのだろうか。何とか意味を繋げて、僕に解釈出来たのはここまでです。


11. 最果てが見たい "¿Dónde quiere estar mi alma viajera?"

 オリジナルは石川さゆりのコラボアルバム『X-Cross Ⅱ-』(2014)に収録されているので、本作に於ける楽曲の提供先としては石川さんが占める割合が最も大きいということになりますね。因みにこのコラボ盤を買えば、04.「暗夜の心中立て」も08.「名うての泥棒猫」もまとめて聴くことが出来るので、蒐集の際にはおすすめです。

 当該の盤と同じく本作でもラストに据えられているので、そこからもこの曲の重要性がわかるというものですが、「最果てが見たい」というタイトルで据りが好いのはトリしかないという気もしますね。なお、西語の題については一応訳そうと試みた結果、感じの良い意訳は出来たのですが、間違っていたら恥ずかしいので封印しておきます。笑


 原曲では01.の項でもお名前を出した林さんが編曲を務めていましたが、本作ではハープ奏者の朝川朋之さんがアレンジャーとなっており、演奏も朝川さんによるハープと名越さんによるエレキだけという、最も剥き出しの音作りとなっています。(他の楽器もあるならともかく)この組み合わせは一見反発しそうに思えたのですが、意外にも心地好くマッチしているので不思議です。

 朝川さんもまた林檎との繋がりが濃い人で、15周年ライブでは演者のひとりでしたし、音源ではSOIL&"PIMP"SESSIONSと椎名林檎による「殺し屋危機一髪」(2013)や、前置きでリンクした林原めぐみの「今際の死神」、そして本作では02.「おいしい季節」と04.「暗夜の心中立て」にも(後者は原曲にも)参加なさっています。この「最果てが見たい」で満を持してメインを張るという感じですね。

 もっと掘り下げると、林檎とのコラボ曲「二時間だけのバカンス」が収録されていることでもファンにとってはお馴染みの、宇多田ヒカルの6thアルバム『Fantôme』(2016);この盤に収録されているハープが印象的な楽曲「人魚」も彼によるワークスです。


 これを書くのも三度目ですが、元は日本語で/林檎ver.は英語で歌われているタイプの曲です。ただただメロディが美しくそれだけで落涙必至だと高く評価しているので、日本語の美しい響きの方が至高だとは思いますが、英語には英語ならではの儚さ(子音が多く早く消えていく感じ)があるので、ハープが主体のアレンジでは英語も悪くないなという感想です。

 歌詞を見ていて気付いたのは、この曲にも"wild"("野性")が出てくることです。実は09.「華麗なる逆襲」の日本語詞にも"野性"が出てくる*ので、10.「野性の同盟」を含めると三曲続けて"野性"に言及されていることになるんですよね。偶々か意図的か…何れにせよ近年の林檎にとっては意義のある言葉なのでしょう。*09.では"manic"(熱狂的な)の訳語が"野性"で、"wild"は"野生"(漢字の違いに注意!)と訳されています。

 カバーでない林檎名義のナンバーでは、「赤道を越えたら」(2014)の歌詞に"野性の侭で生産し続ける女の境目よ"という表現があり、これは"繁栄を急ぐにも利便性をはかる男と"に対するものとして出てきているわけですが、ジェンダーに絡む言葉として出しているのだろうか。因みにこの曲に於ける男女観では、この1番Aよりも2番Aの"太陽の後押しで地上へ根差した男と/月に愛されて海洋を漂う女の境目よ"という歌詞がどうしようもなく好きです。



 以上、全11曲でした。セルフカバーアルバム第一弾の『逆輸入 ~港湾局~』では、曲毎に異なるアレンジャーを迎えていたため非常にバラエティ豊かな内容となっていましたが、本作(第二弾)は勝手知ったる編曲者のみで固めて制作されているため、アルバムとしての統一感は明らかにこちらに分がありますね。

 第一弾は正しくセルフカバーアルバムという感じで、ファンサービス的な側面が強かったように思えましたが、第二弾はセルフカバーといっても、オリジナルアルバムと同等のこだわりで以て世界観が構築されているという印象を受けました。

 全曲それぞれ魅力的だということはここまでに示した通りですが、敢えてフェイバリットのトップスリーを挙げるなら、03.「少女ロボット」、07.「おとなの掟」、09.「華麗なる逆襲」です。04.「暗夜の心中立て」もスリーまでに入れるか悩みました。単に林檎の楽曲として聴いた場合でも、ここに挙げた楽曲群は大層気に入ったであろうという理由での選曲です。


 最後に少し言い訳というか編集後記のようなものを書きます。自分でもわかっているのですが、本レビューではあまり楽曲のメロディ(主旋律、ボーカルライン)について言及することが出来ませんでした。他のレビュー記事と比較してみると、「Aメロがどう」とか「サビの旋律がこう」とかいった類の記述が少ないということがおわかりいただけるかと思います。

 僕のレビュースタイルは、楽曲を細かく分解して要素要素で更に細かいツボを挙げていくのを基本にしています。勿論林檎の楽曲に対しても、「ここがAでここがB」とか「Cの後は変則的なBだな」とかの分析は可能なのですが(この意味では林檎のソングライティングはあくまでも常にキャッチーだと思っています)、言葉同士の繋がりや結び付きが強いせいか、或いは歌詞カードに於ける表記に拘りが感じられるからか、どうにもそうして分解されるのを良しとしないような抵抗を感じるんですよね。

 これは最大級の賛辞です。それだけ言葉が大切にされていることの証左だと思うので。メロディという別次元の区切りを持ち込んでも、なお言葉(歌詞)が分裂を拒否しているように感じる(格好良く言えば膠着性が強いと感じる)というのは、ソングライターとしての椎名林檎の才が如何に優れているかということを物語っていると思います。それを痛感したレビューとなりました。



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