日本人はフランスびいき。フランス人は日本びいき。そう思っているのは私だけか。IM(差別用語なんで控えます)なんて言われる時代はとうに過ぎ去り、フランス人はプライドが高いから英語で話しかけてもフランス語でしか話さない、なんて時代も過ぎ去り、ここ数年パリジェンヌの間では、英語で話すことが粋でかっこいい、なんていわれているみたいではないですか。昔の日本人の偏見だったのでしょうね。良い時代になったものです。人付き合いの基本はあいさつ。パリに来たら、ボンジュール、メルシーをおもに、人の目を見て話し、やさしい気持ちが伝われば少々日本語でもモ-マンタイ!

様々なおしゃれ雑誌や雑貨特集、旅行本などでも沢山紹介されていて、圧倒的な人気を占めているフランスはパリ。乙女心をくすぐるくすぐる。私にとってもパリは大好きな街なのである。(今回は2回目)

パリに着いたとたん、テンションが上がる。何故って、好きなんだわ、単純にフランスが。パリが。空港の掲示板のグレー、レモンイエロー、ホワイトの色調もいいし、迎え入れてくれる空気が、白壁の街並みが、景色が、姿勢良くさっさと歩く人達が、服の色と街の色が、公園が、犬が、まあ、なんせ見ていて飽きることはないのだ。

パリに到着したので、気分上々だったのに、事件は起きた。

そう、またもやトランクが、出て来ない。(届いてない)

原因は、そう、またもやイギリスはヒースロー空港にあった。(最初グラスゴーに行った時も出て来なかった問題の空港で、皆が化粧品を全部没収されたところ)テロ対策とはいえ、イギリスを経由すると、ここまで面倒な事になるとは正直思っておらず・・・。特に今回はひどかった。私達が乗った便の乗客の、約60人分のトランクが届かなかったのだ。その為か、トラブル対応の窓口は、あふれる人達でいっぱいだった。手続きにも、一苦労。(すごく時間がかかった)でも、一回グラスゴーで荷物が届かないのを経験したので、正直ちょっと慣れてしまっていた。(強くなった。)

すぐ届くやろ、と気を取り直して街に出る。有名所のルーブル、オルセー美術館は3年前に来た時廻ったから、今回は近代~現代の美術館を中心に廻ることにした。ホテルはルーブル美術館とチェイルリー公園のすぐ裏側で、なかなかの一等地であった。

うろうろと近所を徘徊して、ああ、やっぱりパリはええわあ~~、と実感する。

しかし、パリで荷物が届かないとなると、困る事が沢山あるってことを思い出した。

次の日は、パリ最大のインテリアの展示会(商品未発表)に行くことになっていた。世界中からバイヤー達が商品を仕入れる為、商談に来るので、それなりの格好をしなければならなかった。その為に、散々悩んで旅のコーディネートを決めたのに(スーツやったらシワになったら嫌やしとかブラウスにしよかな、とか)。まあ、その時の私の格好が、別にとんでもないほど奇抜な格好でもなかったし(黒のカットソーにスカート、黒のぺたんこ靴、ショールも持ってたし)、到着したその日は日曜日で、ブティックや百貨店はまあ見事に閉まっており(フランスでは日曜日は仕事をしない、その為街は静かである。しかし美術館は土日は深夜まで開館している。)服を買えない状況にあったので、その日と同じ格好で行く、と腹をくくるしかなかった。

展示会当日、やっぱりトランクは届かなかった。

地下鉄と専用バスで会場へ。未発表のトレンドが拝見できるというので、気分上々。バスの中では色んな国の言葉が飛び交っていた。展示会場はパリからは郊外で、博覧会会場のような、倉庫のような建物、6個分。その中で、来年のトレンドの展示会場(一番の見せ所)、インテリア部門、雑貨部門、アパレル部門、などといった具合に、建物別にジャンルが分けられている。普通に歩くだけでも時間がかかる。出展はヨーロッパのショップが多いみたいだが、アジアからの出展も、ちらほら目についた。

ショップ(企業)ごとのディスプレイが斬新で、私自身、自分の作品展示の参考にさせていただきたいものが沢山あった。

あと、ダイレクトメールや、ショップカード、商品一覧表などの広告デザインが、どのショップもセンスが良くて、お金をかけることを惜しんでないので、プロ意識を感じる。(当たり前か、、)ショップごとにあれもこれもとDMをいただいてたら、すばらしい紙の量を持ち歩くことになってしまった。でも、写真撮影は禁止されてたし、ショップカードはおしゃれでかわいいし、ねえ。テキスタイル部門では、日本のF江テキスタイルさんも出展していて、色々お話を聞かせてくれた。(日本語に、ホッ)会場はパーテイションで各ショップ(企業)ブースに区切られているにせよ、設営は大変そうだ。上からソファを吊り上げたり、何百個のテレビを天井まで積み上げたり、生花をふんだんに使ったり、ディスプレイはお手のもの。F江テキスタイルさんいわく、自分とこのスタッフは2人、展示会の総合準備は3日間でやり、(イタリアの設営会社と一緒に)そのまま4日間商談ビジネス、搬出は1日、で、すぐに日本にトンボ帰り、だそうだ。そんなこと、別に聞かなくてもよかったけれど、舞台裏が知りたくなる性格上、聞いてしまった。海外で商談て疲れるやろなー。ぐるぐる廻ったので足がパンパンになった。展示会場ではレストランやカフェブースもあるので、サーモンキッシュとコーヒーで休憩。そしてまた、会場内を歩く。

ホテルに帰るころには、もうへとへとである。しかーし、だらだらしているのはもったいないのだ!(フランスは夜8:30くらいまで日が沈みません)トランクがパリにいる間は届かないだろうとふんだ私は、ヨーロッパの低コストショップH&Mへ。(日本でいうユニクロ?うーん違う、ZARAより1ランク安い)インナー、タンクトップ購入。そして下着やらを買いに大型スーパーモモプリへ。(案外商品高かったわ~)そうしてるうちに、日没。ヨーロッパをまたいで一週間以上経っていたので、急に和食が食べたくなる。お寿司屋さんは至るところにあったのだが(さすが日本びいき)、そういえば高知は安芸郡にある「国虎うどん」の、パリ支店がオープンしましたよ、という記事を地元のタウン誌で何年か前に拝見したのを思い出し、探してみる。と、案外分かりやすいところに、簡単に見つけることができた。しかし、さすが海外、さすがパリの一等地、素(かけ)うどんが8ユーロもする。ほうじ茶3.5ユーロ。た、高~!おしんこ4ユーロ。日本ではタダで付いてくるものも、ここでは貴重なブランド食なのだ。一応お店は繁盛しているみたいで、長蛇の列を帯びていた。(アジア人ばっかだった。まあ、お寿司屋さんは沢山あったがうどん屋は近くになかった)友達と入るかいなか躊躇していると、店員さんが外まで注文を取りに来た。ここで帰るのも変やし、入ってみることにした。入ってすぐに私が目にしたものは、、高知城、功名が辻のポスターと、キリンビールたっすいがはいかん、のポスター。(ここはパリか?)天ぷらうどんとキリンビールを頼んで、高知から来ました、とアピールしたら、枝豆とほうじ茶をサービスしてくれた。そう、私達がその時一番欲していたのは、あたたかいダシの味であった。お、おいしかった~。ダシ汁完食!(しかし、天ぷらうどんはエビ天1個しかのってなかった。ねぎものってなかった。貴重なのね。因みに帰国して母親に話すと、あほやろあんたは、普通にこっちでたべたらいいやんと言われた。それもそうだが)店長ともう一人のおっちゃんが高知の方でした。私が仮にパリ留学したなら、まずバイト先はここやな。


ドイツに向かう飛行機の窓から、ぼんやり街並みを見下ろしていると、グラスゴーとはまた、ガラッと違った空気感を持った街が顔をだす。もくもくと、ブロッコリーのような木々。建物もがっちりしていて、シャープである。ワーゲン、ポルシェ、車もがっちり。ゲルマン魂がぷんぷんにおう。どかんと、ソーセージにビール。イメージカラーはシルバー&ブラック。街も空気も、強そう。ドイツ人は厳格だ、なんていうけれど、それはきっと生真面目で誠実な人が多いのでは!?だって、ホテルが分からず道を尋ねたら、親切に教えてくれたし、おまけに地図もくれた。タクシーの運転手さんなんて、身長180cm以上ある、足長のお兄さんが多かったし、なんせ優しくて、かっこよかった。(タクシー運転手さん、私服だし、車内ではポピュラーミュージックが流れ、友達の車に乗せてもらってるようなラフさ)街ゆくおじいちゃんも、ハンチングがとっても似合っていた。街並みには、ブラウン、ワインレッド、ダークグリーンなどのコーディネートがお似合いですな。ウオータムファッションが似合う街だわ。(誰だ私は)

上海のテレビ塔似の、これまたでっかいテレビ塔が、迷った時の目印。

ベルリンの街、探索開始。

ベルリンと言えば、ベルリンの壁。一目でも見なくては、と思い、タクシーに乗って、壁の端っこに降ろしてもらう。(といってもポツダム広場周辺の、ね)

1989年に崩壊されてから、ある程度の場所は、観光地となっている。私達が見て歩いたのは、最新型の壁のようだった。見える範囲のところまで、ずっと落書き(壁画)が続いている。壁の高さは3Mくらいはあったと思う。壁が設置された初期の頃は、金網だけのものや、ブロック式、板塀などもあり、変化していったみたいだ。ドイツの歴史を語ると長くなってしまうし、私がその当時の事を話できる能力もないのだが、観光地となった今でさえも、悲壮な雰囲気は、充分に伝わってきた。ある日を機会に向こう側の景色(様子)が見えなくなる、ってどんな感じなんだろう。そして、壁の向こうは政治が全く違うって。日本の自分ちに置き換えてみて妄想してみると、とんでもなく恐ろしいことだと思った。しばらく壁に沿って歩いていくと、何ヶ所か、ボロボロに崩れた所があり、壁の裏側に回る事ができる。そこは、なぜか砂浜になっていて、突き当たりには、でっかい川が流れていた。壁は、裏側の方が古くて、趣があった。表側のほうは、何回か定期的に落書きを描き換えているようだった。そのビーチでは、テクノがガンガンに流れており、バーになっていた。ビーチパラソルにベンチ、老若男女がビール瓶でラッパ飲み。ベルリン式海の家(川やけど)!?もちろん私達も参加。ご挨拶のようにラッパ飲みして、去る。(あんまし長居すると、ちょっとやばそうな雰囲気でした)そういや、ドイツって、テクノの発祥地だったけ!?

しばらくは、壁沿いにどこまでいけるかプラプラ歩き、日が暮れたところで、テレビ塔を目印にホテルに戻る。そっからも、ビール三昧。(だって、安くておいしいんだもの)そして、就寝。

2日目。まずはバスでペルガモン博物館へ。付近の博物館島をぷらぷら見学した後、大聖堂で癒しのひととき。

あいにく、雨にみまわれたので、移動がめんどくさいことになったが、次はバスでバウハウス資料館へ。この資料館、外観も内装も、すばらしくおしゃれで、展示内容も、すばらしかった。日本でやってるイームズ展とか、話になりません。(比べるとこ間違ってるやろか)洗練されたデザインのもの(インテリアや食器など)が集まっているだけなんだけど、うん、すばらしいほどハイセンスだった。それしかいいようがない。無駄がないし、機能的。ポスターも、いちいちかっこ良かったし。

満足して、次はデザイン博物館へ。

バウハウス資料館に引き続き、言うことないわ、って感じ。ただただ良い。ちょうどやってた、ファッションの企画展も奇抜でかっこ良かった。いいもん見過ぎて、視力が低下しそうだった。

SONYセンター周辺に行っても感じたけど、ドイツの建築には無駄がない。シャープだ。三角形のぎらぎらした建物とかもあったけど、ほんとにいちいちかっこ良かった。好きな街だな、と思った。

夕食は、もちろんでしょう、ソーセージにビール!濁色のフルーテイーなビール(名前忘れた)を、飲み干す飲み干す。20cmくらいの5種類のソーセージに、ジャガイモ、豚のほろほろに煮込んだお肉(マスタードをつけて食べる、激ウマ、名前忘れた)、ビール、肉、いも、ビール、肉、いも。完全なるデブ旅行ですな。野菜といえば、キャベツの酢漬けくらいかな。

ずっしり胃が肉肉しているのにもかかわらず、ホテル朝食が良すぎるくらい豪華だったので、朝からチーズ、生ハム、スモークサーモン、なんてものを(他にもおいしいものいっぱい)たらふく食べ、この旅行中で、ピークに太る。

でも、気にせず。食べる食べる。

街に出ても、ジャンクな、でっかいソーセージ(ケチャップ、マスタード、カレーパウダーがたっぷりかかってるやつ)や、1瓶1ユーロほどで売っているビールを、買い込んで来ては、食べる食べる。

ホテルのバーでも、色んな種類のビール、飲む飲む。

ビールとソーセージと肉といも漬けの日々でした。

強くなった気がする。そらサッカーも強いはず、ゲルマン魂。

グラスゴー空港に到着したと共に、すこぶる寒い風が吹く。

そして、私のトランクは、荷物ゲートから、いくら待っても出て来なかった。いきなり悪運を掴んでしまった。去年、イギリスでテロがあったこともあり、ヨーロッパの航空事情が厳しくなってるとは充分察知して行った。税関を抜ける時に、ペットボトルの飲み物は勿論、ビン、香水、化粧品や歯ブラシ粉までも没収された。(特に化粧品は厳しく、口紅からファンデーション、マスカラやアイライナーなどほぼ全部没収。同行した何人かは、本気で泣いていた・・・あいにく私は化粧品に関しては無縁でした)

日本を離れる時は、薄地のTシャツにサブリナパンツという軽装で出発したのに、香港経由、約15時間のフライトを経て、いざ空港を出ると、長袖2枚にニット、その上にウインドブレーカーを着ても縮みあがるくらいの寒さ。手荷物で、一通りの服のレパートリーを持ってて良かった。日本の11月末くらいの気候やったかな。機内泊で、足もパンパンにむくんでしまっていたが、グラスゴー時間で、朝の10時にはホテルに到着してしまっていたので、休む間もなく、街に繰り出す。

町並みは古く、建物の色はダークブラウン。質素であまり飾りっ気がなく、気取ってもない。観光地としても、熱を上げている雰囲気はない。ホテルが駅のすぐ裏だったので、迷うこともなく目的地へ行ける。

まずはグラスゴーの現代美術館へ。一通り繁華街を通り抜けて、ブティックやショップが建ち並ぶ町中に、ひときわ古い、宮殿のような建物。Gomaのどでかフラッグ。(Momaじゃないのよ)

美術館といえどもギャラリー形式、そして無料。ギャラリーといえども空間は宮殿。一階は吹き抜けの高い天井に、立体作品がドンドンドン!!配置を意識させることもなく、宮殿の中のフロアに、でっかいもん置いちゃいました的な見せ方だったけど、なんせ空間の魔力というか、壮大なスケール感が、見る私たちを、より楽しませてくれた。作品は、ヨーロッパ出身の作家が多かった。

新作も旧作もミックスされていた。二階にいくと、日本でも見られるような、美術館展示スペース。写真、絵画、ビデオアートなどの展示。そこに、3点ほど展示されていた、陶器の壺。これが私を魅了させた。日本にいても、最近は現代アートを見飽きていて、ああ、またこんな感じか、なんて見るたびにがっかりする事が多かったのだが、見落としそうな存在感のその壺は、ただ単にコラージュっぽく、シルクスクリーンでプリントがされていて、金彩と黄色の釉薬で焼かれているだけのようであった。でも、そこに、素晴らしいセンスが凝縮されていて(特に色のセンス)、見ていて楽しかったし、ノスタルジックな気分にさせてくれた。(まあ、一緒に行った友人はさほど興味を示してなかったけどね。)

お昼ご飯は、少し早めに駅近くの広場で、ベンチに腰掛けながらバーガーキングでテイクアウト。働き者の国、ジパングと違って、サラリーマンも杖をついたおじいちゃんも、のんびりと新聞など読みながら、世間話などをして、日光浴をしている。私たちもしばらく混ざって、ボーっとしながらハンバーガーにかぶりついていたが、まあ、足下を見ると、鳩に雀、カモメや鴨のような鳥たちが、わさわさと、おこぼれを狙っていた。(怖かった)

昼からは、ギャラリー巡りと、チャールズ・レニ・マッキントシュも勉学に励んだ、グラスゴー美術学校を見学する。

なだらかな坂に、ひっそりと、いくつもの学科別の校舎が並ぶ。通りを挟んで、学科棟と、実習室(共同アトリエ)に分かれていた。

実習室には、そこで制作している者以外は、入れなくしていた。マンションのように、オートロック形式だった。

外から覗くと、大きなキャンバスにペンキで絵を描きなぐってる人や、隣の制作者と、楽しそうにおしゃべりしている人たちの様子も伺えた。大学の事務所や展示室がある学科棟は、入口からもう、マッキントッシュ一色、て感じで、扉や窓枠、教室案内の看板までもが、マッキントッシュの装飾になっていて、紫や淡いピンクのガラスが埋め込まれていたり、何気ない照明がおしゃれで、マッキントッシュが日本の文化の影響を大いに受けていたっていう事実もあり、どこか懐かしい感じがして、落ち着く場所だった。

ちょうど、私たちが行った時期、グラスゴーの街は、マッキントッシュのお祭り的なフェアが開催されており、どこにいってもマッキントッシュ展だの、縁の地などの宣伝ポスターを見かけた。大学の展示室でも、マッキントッシュデザインの建築のパースなどが展示されていた。パースも、別に、特別何かが上手い、てことはない。この学校にマッキントッシュが在籍していて、それが現代に深く受け繋がれる為の刻印のように、時と共にひっそりと存在しているようだった。世界的に有名なデザイナーを送り出した学校とグラスゴーの街は、本当に質素で、ただ、そこに存在している、それだけの街なのだと思う。

美術学校の周りにも、いくつかギャラリーがあった。偏見かもしれないが、ヨーロッパの作家は、素材の組み合わせ方が、実にハイセンスだと感じた。(ミクストメディアと称する作品において)

ホテルに戻ると、トランクが届いてるではないか。よかった~、ホッとして眠りにつく。

2日目も、マッキントッシュにまつわる旅をする。バスでヒルハウスへ。100年前に個人宅として建てられた家。文句のつけようがない整備されきった庭園。海が近く、水平線が一望できる。現在は財団が管理しているそうだ。

私自身、マッキントッシュに関しての知識は薄い。有名なラダーバックチェアなんかは以前働いてた家具屋でお目にかかったこともあったけれど(複製やけどね)、家全体がまあここまで完璧にデザインされていると、逆に息がつまりそうだ。(マッキントッシュ好きにはたまらんのだろうな)部屋の間取りはもちろん、カーテンやカーペット、棚や暖炉、バスルーム、照明や時計まで、すべてにおいてマッキントッシュが炸裂していた。

ヒルハウスを見学した後は、ペイズリー博物館へ。

偶然にも、ペイズリーの柄のデザイナーさんに、色々と話を聞く機会があった。大体のペイズリーの、織物のデザインの工程は、日本で私たちが勉強してきたテキスタイルのデザインと、ほぼ同じであった。多くの布が展示されていたが、ペイズリーの柄の、大体のモチーフは、インドでは孔雀の尾、ヨーロッパでは植物を象徴している、という説もあるそうな。

しかし、博物館に記されていたペイズリーの由来については、何ともヨーロッパ優位の志向で書かれており、ちょっと疑問を感じてしまった。

その後、ウイスキー・ディスティラーを見学し、記念にウイスキー一杯とグラスをいただいた。ウイスキーは、大人の味がして美味しかった。(そのウイスキーが飲めるまでに、なんともひどい、いい意味でゆうとレトロきわまりない、ウイスキー構造過程のアトラクションを体験せねばならなかった・・・)

そして、最後は近くのエディンバラ城を観光する。

お城は個人的に大好きで、外観は、とても迫力があり、素敵だった。でも、敷地内に入ってしまうと、観光客が多すぎるのと、突風で、あんまし楽しめず、だった。

こんな感じでグラスゴーに滞在していたのだが、おおっと、旅の食事の事を書き忘れていた。

さて、イギリスのごはんがおいしくない事は、ご存じのこと、スコットランド、グラスゴーでも、衝撃の食べ物に出くわした。

ランチを、あるホテルのレストランで食べた時のこと。イギリスでは、クッタクタに煮込みすぎた野菜や、ひどい味付けのものが出てくる、と聞いていたので、相当ひどいもんがでてくるんや、と覚悟を決めていたが、普通にサラダがでて、ガーリックポテトと温野菜とどでかサーモン、味はぜんぜん無かったが、塩や胡椒をふりかけて、なんとかおいしくいただいた。な~んや、皆それなりに満たされて、まったりしていると、横目にデザートが用意されてるのが見える。パッと見は、ストロベリー&クランベリーとバニラアイスのパフェ、もしくは、上にイチゴが乗った、ヨーグルトドリンクのようなみてくれだった。おいしそ~、これは期待できる!と、皆、がっついて、ぱくっといったその瞬間・・・・。          おえ~!

し、塩味だった・・・・。正確に言うと、レモン汁の味と、生クリームをホイップする前の、なんともいえん乳くさい、乳脂肪の味。

お砂糖はひかえめどころか、全く使われていなかった。それに、ふんだんにストロベリー、クランベリー、ラズベリーなど、色んな種類のベリーさんたちが、混ぜ込まれていた。ああ、もったいない!もっとアイスクリームに混ぜるとか、普通のことすりゃいいのに~。皆、頑張って、コーヒー用のお砂糖を入れてかき混ぜてみたり、むりやり甘い、と思って食べたり、試行錯誤を重ねたが、もとが塩味なので、どうにもなるはずもなかった・・。

二度と食べたくないデザートだったわい。






8月末から12日間、ヨーロッパに行ってきた。(主にスコットランド、ドイツ、フランス)

帰国してからも、数日間、金沢や京都に滞在して、昨日やっとこさ家に帰ってきた。

旅先での出来事は、またゆっくりと書きたいと思う。

思い返せば、約3週間、家に帰ってなかったので、先日お父さんが磯釣りに出かけて(珍しく大漁だった)釣ったらしい、グレとがしらの煮付けを食べて、うまああああああ~い!和食最高!と小さく叫んだ。だし、醤油万歳!

お母さんには、「あんたの留守中、暑かったし、大雨も降ったから、どうなってるか知らんでえ」と脅かされたから、作業場の鍵を開けるのが怖かったが、まあ出る前に一通り掃除もしてたし、なんてことはなかってよかった。(サボテンがひからびてる以外は)

両親に、私の留守中、何か世の中の変化はあったかと尋ねると、秋篠宮ご夫妻に長男がご誕生したことと、いとこが東大の大学院に合格したことがまあトピックスかな、と言われ、私に関しては、以前、接ぎ木のバイトに行ってる途中で、車のサイドをぶつけたことが、内緒にしてたのにばれてしまっていた。ちっ。

それにしても、秋篠宮ご夫妻のご長男は、悠仁(ひさひと)さまと命名され、全国各地に祝福の輪が広がっているみたいだ。

最初私は「ゆうじん」と読んでしまい、「友達のお兄ちゃんと一緒の呼び名やん!」とテンションが上がったが、どっちかといえば、「ひさひと」の方が同名が多そうだ。

それに因んでか、千葉県成田ゆめ牧場では、名前に「悠」か「仁」の文字が入っている人と、悠仁さまご誕生の9月6日生まれの人を対象に、入場無料だとか。

鳥取県フラワーパーク・とっとり花回廊では、ペチュニア(ナス科)の新品種に、「ひさひとペチュニア」という名がつけられた、とか。

う、う~ん。

まあ、平和でおめでたい情報ばかりで、よかったよ。


今日はレイトショーで観た「UDON」で、田舎のホッとするかんじも共感したし、くるりのベストアルバムも買ったし(やっと)、久しぶりに車を運転してフィッシュマンズと小沢健二を熱唱したし(私の車、軽のわりには実にウーハーきいてます)、悔いなく眠ることとします。

おやすみなさい。


今日の一曲:「春風」くるり (も~秋ですけどね)



最近、車の運転をしていて、やたらと、道路の上で、小動物が自動車にひかれて死んでいる光景を目にする。

救急車や、事故現場にも、よく遭遇する。

人間も、動物も、この残暑に、動きが鈍くなっているのだろうか・・・。交通事故が多発。

今日は、猫に鳩に、近所の国道では、イタチのようなものも、道端に、ぐでん、と横たわっていた。


ドライバーも、気をつけなければ、と思って慎重に運転していたのに、今日に限って、衝撃的な事件が、2回も起こった。


まず、最初の事件は、電気屋さんに向かう、比較的広い、国道で起こった。

反対車線の歩道を、小学校高学年くらいの兄と、低学年(たぶん1.2年生)くらいの弟が、歩いている光景は目に入った。

2人は会話をしながらぶらぶら歩いている様子だったが、次の瞬間、信じられない事が起こった。

弟の方が、急に、運転している私の目の前に、むしろ、ぶつかってくるかのように、猛スピードで飛び出して来たのだ。

時速50キロくらいで走ってた私は、車が傾くくらい急ブレーキをかけた。

車がキキキキキキーーー!!と音をたてた。

助手席に置いてたかばんが吹っ飛び、後部座席に置いていた荷物も、バンバン!と、床に落ちる音がした。そして、頭前の日よけ

シートに付けてた、万能CDケースから、CDがバサバサっと20枚ほど足下に落ちた。

心臓がバクバクいってる音が聞こえた。

おそるおそる顔をあげると、小学生も、目を丸くして、固まっていた。突然飛び出してきた猫が、ライトに目がくらんで、凝固してしまうのと、同じ現象のようだ。

あと、30センチくらいで、接触していた。

高学年の兄の方も、弟の起こした行動がよくわからず、ポカン!としていた。

危なかった!もうすこしでひくとこだった!

「ばきゃろう!死にてえのか!!」と怒鳴るおじさんの気持ちが大いに解った!

「大丈夫?」と優しく声をかけると、小学生は「うん」と言ってよそよそしく去っていたが、ああ、ほんと、こっちが死ぬかと思ったよ!


お次は、家の前の国道、家からすぐの、スーパー付近で起こった。

段差のある歩道、すれすれのところを、補助輪をつけた自転車にまたがって、まだほんの小さな男の子が(幼稚園児?)おぼつかない様子で、よちよちと自転車をこいでいるのを、同じ車線の左前方に発見した。

これは要注意!と、警戒した。

辺りに、保護者がいる気配は感じられなかった。

警戒しつつ、その子供の横を通過するときは、徐行運転を計らったのに・・・!

次の瞬間、また信じられない出来事が起こった。

私が横を通過する瞬間、バランスをくずした子供が、車道に、自転車と一緒に、ドテッ!と倒れたのだ。

男の子よりも、自転車が、車道にゴロンと転がってきた。

徐行運転をしながらも、とっさによけた私は、おもいっきし反対車線側にはみだしてしまった。

運良く前から向かって来ていた自動車がタイミング良く過ぎた後だったが、追い越し禁止線地帯だったし、もう少しその車が遅かったら、完全にぶつかり、交通事故を招いたに違いない。

男の子は泣きじゃくるし、保護者は現れないわ、しばらく困った。


こんな感じで、今日は、交通事故になりかねない事件に、2回遭遇した。

寿命が縮む思いをした。


先日友達が、旅行帰りに、車に乗って赤信号で停止してたら、となりの原付に乗ったおじさんが、急に倒れて、けいれんを起こし、

意識不明になって救急車で運ばれる、という現場に遭遇したそうだ。救急車を呼んだのは友達本人だが、こういう緊急事態に、自分がしてあげられることは、少ない、どうしたらいいかわからない、と、すごく落ち込んでいた。

旅行どころじゃなくなった、と言っていた。


事故を起こさないように、どんなに気をつけていても、予期せぬ出来事に巻き込まれたり、自分のちょっとした不注意で、人を死に至るまで巻き込む現実が、日々日常存在しているのだ。

恐ろしい事だ。

それにしても、保護者の皆さん、もうちょっと自分の子供を目の届く範囲で守ってあげてください。

今日の出来事は、私も怖かったけど、子供には、それはすごい衝撃と恐怖感で、心臓が止まる思いをしたんだろうなあ。





5日早朝、三ノ宮から始発電車で東京へと向かう。久しぶりに時刻表を手に持っての旅は、どこか落ち着かない。時刻表の地図を見ながら、名古屋までは関西本線で行った方が近いわ、とおかしな判断をした私は、奈良の山越えがいかにローカルで鈍行列車しか動いてないことをすっかり忘れていたため、東京までの到着時間を、予定より2時間以上ロスしてしまった。コトコトとのどかな風景を眺めながら列車に揺られて心弾んだが、東京でゆっくり展覧会を見る予定が、なんとも駆け足状態になってしまった。名古屋駅、繋ぎの列車乗り換え2分、2番のりばから16番のりばまで、猛ダッシュ。静岡~熱海間の列車で、ダダをこねて泣きじゃくる子供と、冷たい母親を目のあたりにしながら、東京到着。友人の展覧会最終日、搬出しかけの時に跳び込む。先輩の展覧会を見て、日本橋三越で働く友人に会う。前から行きたかったショップに立ち寄り、渋谷へ。ちょうど居合わせた大学の後輩と会う。いろいろと大変そうだ。渋谷に勤める友人と、職場の隣にある「人間関係」という怪しい名のバーでドイツビールを2杯。東京で働くと、スタイリッシュになるのか、都会の毒にやられて仮面をかぶるのか、会った人たちの以前の個性的でキュートだった顔立ちが、薄れていってるような気がした。今回の東京は、珍しく悲しい気分にならなかった。


6日早朝、あまりにも汚い渋谷の街を前に、「眠らない街」を実感。金沢へ。大宮からいっきに新潟県柿崎まで行く快速列車に乗る。途中爆睡。目が覚めるごとに、乗客の顔ぶれが変わる。父親と小学生くらいの息子の2人旅。無言でふたり並んでお弁当をほうばる。でっかいリュックサックをかついだ登山隊。韓国人の旅行客で埋めつくされている1車両。地元の高校生。日本海は冬に見た時よりも、青が深く、強い印象。土底浜で一時間の列車待ち。風は涼しい。駅周辺、数少ない飲食店はどこも開いていない。近くの海水浴場へ。堤防に囲まれた船着き場のような場所で、家族連れや子供がぷかぷか浮き輪で泳いでいる。砂浜のない海水浴場をはじめて見た。おみやげのますの寿司と、おにぎりとお菓子を買い込み北陸本線。富山の日本海沿いを走る。各駅で必ず下車してはおっきなカメラで列車や風景を撮りまくっているおっちゃん、多数。その人らに共通するファッションは、決まってキャップ帽、年期の入ったTシャツ、リュック、短パン。富山~金沢間の景色、本当によかった、久しぶりに時間を忘れて、吸い込まれるように景色に見入ってしまった。金沢到着。21世紀美術館に、陶芸をしている友人に迎えに来てもらう。車で友人の作業場へ。ガラス、陶芸、金工の共同作業部屋。乱雑だけど一定に整頓されている作業スペース。並んだ器。窓ガラスには好きな作家、アフリカ旅行の写真。昔の小学校を改造して作られたその施設は、隣に運動場があり、近々盆踊り大会があるそう。そのまま山奥にある天然温泉へ。辺りは深い渓谷。おもいっきり森林浴。片町に戻り、友人の作家仲間の飲み会に混ぜてもらう。1時間半、時間制限の屋上ビアガーデン。料理充実。アパホテルの強烈な女社長の看板と澄んだ空に光る月。関西出身者が数人いたため、関西人はおばちゃんくさい、という話題。なんの偏見?芸術の話。恋愛の話。今の自分の話。友人含め、それにしてもよく飲む人達だった。金沢にせっかく来たのだから、と親切なはからいを受け、お造りをいただく。その次はおでん屋さんへ。最後は魚民で幕を下ろす。


7日。京都へ向かう。久しぶりに見上げた京都タワーはやっぱりシンボル的でいい。好きなかたちだ。夏の京都はものすごく暑い。駅のインフォメーションに行くと、行きたい場所が沢山ありすぎてしまった。お寺さんを巡るのも良いし、美術館裏や哲学の道や路地を歩くのもしたかったけど、あまり時間がなかった為、四条界隈をぷらぷらする。ちょっと歩いただけなのに、倒れそう。原因はたぶん連日の飲み。しかしながらビールが飲みたくなる。大学時代の友人を誘い、昼間っからミュンヘンへ。友人はビール大ジョッキでごくごく飲み干す。さすが。京都の滞在はほんの少しだけだった。次回はもっと満喫しよう。大阪に住んでいた時の感覚で京都を訪れるのと、また少し違って、新鮮だったけど、複雑な心境だった。そして、以前はほぼ毎日顔をあわせていた友人と、今は違う環境で、久しぶりに会って、それぞれの生活は日常で普通なのだけれど、話ができて刺激しあえることに感謝したい。その日のうちに高知へ戻る。もうすっかり夜だったけれど、暑さは京都とどっこいどっこい。夜風がたまに吹いて涼しい。


JRの駅に掲示されている、毎年変わる青春18切符のポスターの景色を見て、もっと日本の風景を、その場所に行って、肌で感じたいと思いつつ、今回も夏の18切符、活用いたしました。一人旅なんて言いつつ、行った先では沢山の知人に会ったし、飲んでばかりでした(笑)。今度は、もう少し時間をかけて、ゆっくりと行きたい。一人で、強く、いろんなことを感じたい。また、旅に出よう。

私のまわりには、結構、風変わりな友達が多い。

その中の一人で、山奥に自分で家を建て、炭焼きをしている友達がいる。

昨日、一年ぶりに、共通の仲間たちと、お宅訪問してみた。

市内から、鏡川の上流の方へ、ひたすら山の中に入って行く。途中、コンクリートの道はなくなり、砂利道に変わり、どことなく不安になっても、なおさら奥へと進む。樹木のトンネル。木漏れ日が眩しくてきれい。

辺りに家はなく、森に囲まれたその家の周辺からは、マイナスイオンがみなぎっている様子だ。

家は二階建てで、木造。バンガローが高級になった感じ。大きな窓。吹き抜ける風。ベランダにはカフェスペース。

でっかいスピーカーから流れる音楽に身を任せて、最高のリラックス。

生活に必要なものはなんでも作ってる友達は、そこらへんの落ち枝や竹で、スプーンやらおたまやら食器を作っている。それがキッチンの壁に、かたちよく掛けられている。

トイレ、お風呂もとってもすてきである。

しばらく団欒した後、軽トラックのうしろにみんな乗っかって、少し下った場所にある川で、水遊び。慣れてる友達は早速飛び込み開始。水、冷たすぎました。

澄んだ空気を吸い込むって、なんて気持ちが良いのだろう。体が改善しまくってる感じ。

日没の前に、帰るね、じゃ~ね、とあいさつ。

気持ちよかった~。


 




2年前の秋、関西空港へ向かう、あるひとりの友人を、仕事前に早起きして、大阪南港に迎え(見送り)に行った。

空港バスに乗り込む彼女に手紙を渡し、お互い、今にもこぼれそうな涙を我慢しながら、別れをつげた。

彼女はイタリアに発った。

木工の勉強をするために、留学を決意した彼女の努力は見事であった。


エアメールで送られてくる彼女のおもしろくて心優しい手紙には、何度励まされたことか・・・


その彼女が、ゆうべ、高知に帰って来た。

お隣に、素敵なイタリア人男性をつれて・・・恋の矢


そう、ゆうべは彼女のビバビックリマーク結婚オメデトウパーティーブーケ1だったのです。


アトリエの先輩と駆けつけたパーティー会場は、すでに高揚した熱気に包まれており、ここはイタリアかな?と錯覚するほどの、なんともインターナショナルなにおいのする、アットホームなパーティーであった。


シルバーグレーのシンプルなワンピースを着た彼女は、とても綺麗だった。

お隣には、白いシャツにジーンズ姿の優しい目をした、にっこりほほえむ旦那さまが立っていた。


なんともお似合いな、素敵なふたりでした。いつまでもおしあわせにね~!


幸せいっぱいなふたりを囲んで、バーカウンターでは異国の言葉が飛び交い(日本人と外国人の比率、1:1くらいだったので)、指笛をふいてふたりをひやかし、ギターや太鼓の音と共に、オールスタンディングでお祝いの歌をうたった。こてこての土佐弁を話すイタリア人(たぶん)の、日本語バージョン作り歌が、おもしろすぎて笑った!


楽しい時間はアッという間に過ぎ、SeeYou!!と元気にあいさつを交わし、パーティーは幕を閉じた。


ラブラブのふたりは、今日は、磯釣りフグに出かけたみたい。


結婚てい~な☆




来週あたり、青春18切符を使って、旅をしようか、なんて思い巡らせている今日このごろ。

私は日中電車に乗るパターンよりも、夜行(ムーンライト)での移動が案外多い。いろんなとこの夜行列車をフルに使い切りたいけれど、今回の計画は、あ~んまりうまくいかない。

目的地は高知発、京都、東京、金沢。このあたりを、5日以内に廻りたい。

・・・・・う~ん、、、これは厳しいかも・・・・

そもそも18切符って、ゆっくりした時間(余裕)がないと、楽しめないんじゃないのか。

それぞれの場所に逢いたい人がいるし、景色も楽しみたいな。

まあ、どうなるかはわかりませんが、フラッと行ってみるつもりでいる。


高校時代の友達が、私が大学受験前に描いた一枚の静物デッサンを、未だに自分の部屋に飾っていてくれてるという。この話を聞くまで、静物デッサンを友達にあげたことすら忘れていた。友達は嬉しそうに、ほら、ここに高校時代からずっと飾ってるんよ、とか言って、デジカメで撮影した自分の部屋を見せてくれたが、まあ、デッサンの腕前には赤面してしまった。


そういえばあの頃は、一日6時間、石膏像の前に座っていた。

小さな画塾でデッサンを教わった私は、関西の大学志望だったが、下手くそなりに関東の大学受験組と同じ内容をこなした。高校が終わると、毎日画塾に直行した。石膏像と沈黙の会話をし、気を落ち着かせてから鉛筆をとり、描き出す。周りには、めちゃくちゃうまい浪人生の木炭画などがあって、その先輩がいない時に、こっそりじっくり拝見させてもらったりした。

自分がやってみたいことは、何でもやらせてくれる画塾であった。石膏デッサンの他に、人体、静物デッサンやクロッキー、ヌードデッサン(チケット制)も行われていたし、油絵や彫塑の基礎も教えてくれた。狭いけど共同のアトリエだったから、炊事場にはコーヒーとお茶が置いてあり、いつでも好きな時に勝手にいれて飲んでよかった。先生や、ホッと一息中の仲間と、鉛筆を削りながらお茶しては、未来を語りあったりした。

モデルのバイトもしていた。モデルのポーズは自分で考えるシステムだった。ロダンの「考える人」や闘士のポーズをして、20分間耐えられず、墓穴を掘ることもあった。

画塾で煮詰まってくると、仲間と、近所のアーケードに行っては、唄っているストリートミュージシャンやダンスの練習をしている若者(当時は私も若者)をクロッキーして、(夜の街クロ、と名付けたりして)デッサンの腕をあげるため、とか言って息抜きもした。

終電に乗り遅れて、迎えに来てもらう事も度々だった。

毎日クタクタだったけれど、充実していた18歳の夏。


もうすぐ28歳になる私は、10年前の私みたいに充実してるのだろうか。

大学受験の為の画塾だったけれど、がむしゃらに描いて、悩んで、泣いた日々と同じ気持ちで向き合えるのかな。

この画塾で育ったOBの展覧会を目前にして、自分の原点にちょっと戻った。