高校時代の友達が、私が大学受験前に描いた一枚の静物デッサンを、未だに自分の部屋に飾っていてくれてるという。この話を聞くまで、静物デッサンを友達にあげたことすら忘れていた。友達は嬉しそうに、ほら、ここに高校時代からずっと飾ってるんよ、とか言って、デジカメで撮影した自分の部屋を見せてくれたが、まあ、デッサンの腕前には赤面してしまった。
そういえばあの頃は、一日6時間、石膏像の前に座っていた。
小さな画塾でデッサンを教わった私は、関西の大学志望だったが、下手くそなりに関東の大学受験組と同じ内容をこなした。高校が終わると、毎日画塾に直行した。石膏像と沈黙の会話をし、気を落ち着かせてから鉛筆をとり、描き出す。周りには、めちゃくちゃうまい浪人生の木炭画などがあって、その先輩がいない時に、こっそりじっくり拝見させてもらったりした。
自分がやってみたいことは、何でもやらせてくれる画塾であった。石膏デッサンの他に、人体、静物デッサンやクロッキー、ヌードデッサン(チケット制)も行われていたし、油絵や彫塑の基礎も教えてくれた。狭いけど共同のアトリエだったから、炊事場にはコーヒーとお茶が置いてあり、いつでも好きな時に勝手にいれて飲んでよかった。先生や、ホッと一息中の仲間と、鉛筆を削りながらお茶しては、未来を語りあったりした。
モデルのバイトもしていた。モデルのポーズは自分で考えるシステムだった。ロダンの「考える人」や闘士のポーズをして、20分間耐えられず、墓穴を掘ることもあった。
画塾で煮詰まってくると、仲間と、近所のアーケードに行っては、唄っているストリートミュージシャンやダンスの練習をしている若者(当時は私も若者)をクロッキーして、(夜の街クロ、と名付けたりして)デッサンの腕をあげるため、とか言って息抜きもした。
終電に乗り遅れて、迎えに来てもらう事も度々だった。
毎日クタクタだったけれど、充実していた18歳の夏。
もうすぐ28歳になる私は、10年前の私みたいに充実してるのだろうか。
大学受験の為の画塾だったけれど、がむしゃらに描いて、悩んで、泣いた日々と同じ気持ちで向き合えるのかな。
この画塾で育ったOBの展覧会を目前にして、自分の原点にちょっと戻った。