三月は卒業式、四月には入学式と節目の行事が立て続けに過ぎた。

重い障害の子にとって「教育」とは、一体何なのだろうかと、大きな疑問を抱えながらの小学校の入学だったが、六年間を過ぎてみると、日々の小さな積み重ねが、大きな変化に繋がっている事を思い知らされている。

  明らかに周りを意識しながら、自分を感じている姿が見られるようになったし、関わろう、伝えようとしている様子も思い込みの動きではなく、初めて関わる人にもしっかりと伝わる表現になっている。

   六年前でさえ想像が付かなかった成長。生まれた当時の絶望的な脳の損傷の状態からすれば、奇跡を遥かに超えた回復を獲得しているが、何か真新しい特別な英才教育を受けていた訳ではない。

根気よく微かな変化を感じて、本人の意欲を認め、よろこびに結び付けていただけた地道な関わりの成果なのだと思っている。





   卒業式を迎える前日に、口をハクハクと大きく動かし、何かを訴えていた。正確なところはわからないけれど、心拍も酸素の値も異常がないので、なだめるように話しかけていた。
六年間お世話になった先生の名前、クラスメイトの名前、体験した行事の事、一つ一つ語り掛けながら、翌日の卒業式には必ず母親の私が来る事を伝えた。

看護師さんに聞いたところ、私が面会に行く頃までは、割りと落ち着いて過ごしていたらしい、夕方近くまで、約束をしていた卒業式に着る服を届けていなかったので、何かを感じて心の想いが身体の動きに出ていたのかもしれない。


   先日の入学式の前日にも同じような事があったと、理学療法士さんと看護師さんから聞いた。
入学式には、新しいシャツを買おうと約束をした。そのシャツを前日までには届けていなかった。
卒業式の前の日に来た母が、入学式の前の日には来てない。その違いに気が付いたからなのか、自分の着る服が揃っていない事を知って心配したのか、口をハクハクさせて、必死に何かを訴えていた様子だった。

事情を理学療法士さんに話をしたら、何かを言いたそうにしていた事をきちんと受け止めて下さっていて、前日の動きの様子との関連を納得されていた。

何気なく接して過ごしている事も、ベッドの上の もー  には一つ一つがものすごく大切な事柄なのかもしれない。

心の中に「心配」や「憂い」というものが存在している事を突き付けられた気がしている。