2021年 衆議院選挙 各政党のODA・国際保健外交等の政策(マニフェストより)
2021年衆議院選挙、いよいよ投票日前日になってしまいましたが、ODAや国際保健外交などに関する政策について、各政党のマニフェストからピックアップしてみました。
ACTアクセラレーターなど、新型コロナウイルス感染症に対する国際的な取り組みは、重要な問題であるにもかかわらず、国内政策に比べればあまり大きく報道されることはないように思います。投票の際だけでなく、これからの中長期的な日本の国際保健外交、国際協力を考えていくうえで、何らかの参考になれば幸いです。
自民党
https://special.jimin.jp/political_promise/
「政権公約2021 (PDF)」
「外交 」(p.61 左カラム)
「国益に即したODAを質・量両面で拡充し、民間投資との有機的連携により日本企業の海外進出を一層後押しします。脱炭素化など世界の環境改善、防災、教育、貧困撲滅など、SDGs達成への取組みを加速します。」
「総合政策集2021 J-ファイル (PDF)」
p. 66 「390 国際社会の『場』で女性活躍」、p. 102「617 人権外交の推進」、「620 わが国の特性を生かした国際協力の推進」、p. 103 「623 中東アフリカ地域への積極的関与」などでODAについて言及
p. 102 「619 新型コロナウイルス感染症への万全の対応」では、UHCやCOVAXワクチン・サミットについて言及
<コメント>
科学技術や民間投資を通じた、経済重視、国益重視のスタンス。唯一、「390 国際社会の『場』で女性活躍」(p.66)は女性の健康などへの支援を通じて国際社会における日本の地位向上に努める、という比較的リベラルな援助の原則的立場での言及。様々な政策分野にわたって、網羅的に書かれているものの、個々のイシューについては簡潔な記述。
公明党
https://www.komei.or.jp/special/shuin49/policy/
「2021 衆院選マニフェスト 政策集 (PDF)」
p. 61「7 安定した平和と繁栄の対外関係」
「②「人間の安全保障」、持続可能な開発目標(SDGs)の達成に向けた協力等」から抜粋
●新型コロナウイルス感染症対策並びにユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC)の達成のため、「人間の安全保障」の基本理念のもと、COVAXファシリティを中心に、グローバルファンド、Gavi、CEPI などの ACT アクセラレータの関係機関に貢献し、治療・ワクチン・診断を通じた危機克服や保健システムの強化に向け、従来の枠を越えた財政支援とあわせて積極的役割を果たしていきます。また、コールド・チェーン整備のための支援の継続・拡充を図ります。
●開発途上国の医療・保健分野における無償資金協力や医薬品・物資支援、技術支援、経済対策支援等の国際協力の一層の拡大を図ります。
●これまでの教訓を生かし、「次なる危機」に備えるべく、開発途上国の保健システム強化や保健・衛生分野での国際的な協力体制やルールづくりに貢献していきます。
●人間の安全保障の理念に立脚した「持続可能な開発目標(SDGs)」の達成に向け平和構築、軍縮・不拡散、保健・感染症、女性の活躍、防災などといった日本が得意とする分野における取り組みを強化します。
●貧困や飢餓、感染症などの危機に直面するアフリカに対する人道復興支援を継続するとともに、TICAD8の成功に向け、平和と安定のための関与及び官民一体となった経済・社会開発のための国際協力を主導します。
<コメント>
「人間の安全保障」、SDGs、UHCなどのキーワードを基本理念に据え、ACTアクセラレーター(ただし、COVAXへの言及が中心)への支援に言及。コールドチェーンや保健システム強化にも努めるとする。自民党がハード系偏重なのに比べて、「平和構築、軍縮・不拡散、保健・感染症、女性の活躍、防災などといった日本が得意とする分野」と、ソフト系分野重視。
立憲民主党
「立憲民主党政策集 2021」
https://change2021.cdp-japan.jp/seisaku/detail/
「外交・安全保障」
https://change2021.cdp-japan.jp/seisaku/detail/18/
SDGs(持続可能な開発目標)2030アジェンダの達成、開発協力、地球的規模課題
・ODAの実施に当たっては「人間の安全保障」とSDGsを指針とし、自国の利益だけではなく、人類全体の共通利益を増進する「開かれた国益」を実現します。
・新型コロナウイルス感染症の1日も早い収束は全世界的な課題です。先進各国と協調してワクチンの迅速で公平な投与体制の全世界的な構築に外交的資源を投入するとともに、将来的なリスクに備えてワクチンや治療薬の国内的な開発・供給体制の整備に努めます。
・UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)等の国際機関やNGO、市民社会等との連携のもと、人権保護や平和構築など、世界各地の難民問題に関する国際的な取り組みを支援します。わが国の周辺事態での難民の発生について対応策を検討します。
<コメント>
「新型コロナウイルス感染症対策」
https://change2021.cdp-japan.jp/seisaku/detail/28/
では、国内政策についてはかなり詳細に述べている一方、国際的な政策については、上記の「外交・安全保障」の項目で述べているように、理念的な言葉にとどまり、あまり深く掘り下げられていない印象。
日本維新の会
「外交」日本維新の会 政策提言 維新八策 2021」
https://o-ishin.jp/policy/8saku2021.html
326. ODA予算を有効活用し、積極的な対外支援策に転換させることで、途上国との友好と経済安全保障を促進します。
<コメント>
ODAについては上記の記述があるのみで、あまり重視されていない印象。SDGsに対する見方も、いかに企業が経済活動を行うにあたって有利になるか、という視点が強い。
国民民主党
「国民民主党の『政策』」
https://new-kokumin.jp/policies
「政策パンフレット PDF」
https://new-kokumin.jp/wp-content/themes/dpfp/files/DPFP-Policies-Pamphlet2.pdf
p. 21 最下段「SDGsの推進」で、SDGs、「人間の安全保障」について言及しているが、国際的なコロナ対応などについては具体的言及なし。
<コメント>
環境問題、人権外交、国際課税などについて言及しているものの、視点がどちらかというとマクロなものや、経済活動を密接に結びついているものに偏っている印象。
日本共産党
「2021 総合選挙政策」
https://www.jcp.or.jp/web_policy/2021/10/2021-sosenkyo-index.html
「81、ODA」
https://www.jcp.or.jp/web_policy/2021/10/2021s-bunya-081.html
「新規感染症への全人類的対応の協力の強化を」の項目で、いわゆる「ワクチンナショナリズム」に触れたうえで、
「WHOなどの国際機関や民間財団が連携して発足した「ACTアクセラレーター」(新型コロナ関連製品アクセス促進枠組み)や、新型コロナに関する新たな技術に関わる知的財産権を、途上国での安価な供給につなげる仕組みである「C-TAP」(COVID19関連技術アクセスプ-ル)は、前者では資金不足によって、後者は多くの先進国や製薬会社の反対で、機能が発揮できずにいます。」
と指摘。新型コロナ対応にはODA以外の予算の活用、TRIPS waiverの支持、さらにPHCの重要性も指摘。
「1、 コロナ・感染症対策」
https://www.jcp.or.jp/web_policy/2021/10/2021s-bunya-001.html
でも、再興感染症・新興感染症に備えるための国際社会と共同について言及。
<コメント>
他の政党のマニフェストは「〇〇をします」という文章を列挙している書き方なのに対し、日本共産党のマニフェストはこれまでの経緯の整理や、現状の課題分析などから入り、そこから政策提言に繋げる構成になっており、どのような思考を経たのかが分かり易い。国内外の市民社会組織が訴えている内容に最も近く、言及している範囲も広い。
社会民主党
「2021年 重点政策」
https://sdp.or.jp/priority-policy-2021/
「30)平和外交で北東アジア非核平和地帯を。核兵器禁止条約に加入」の項目で「人間の安全保障」やNGOの活動を国際社会の主要な構成要素と位置付ける、などの記述があり、また、ジェンダーや多様性についての言及があるものの、国際的なコロナ対応については具体的記述なし。
<コメント>
国内政策中心で、外交については日本と他国との間での軍事的な動きに対する懸念が中心的な関心事で、コロナ対応を含め、多国間外交の中でどのようなアクターとなるのかという視点が弱い印象。
れいわ新選組
「2021年 衆議院選挙マニフェスト れいわニューディール」
https://reiwa-shinsengumi.com/reiwa_newdeal/
「11_れいわ外交安全保障政策」
https://reiwa-shinsengumi.com/reiwa_newdeal/newdeal2021_11/
に「『人権政策』を通じた公正な国際社会の実現」についての記述はあるが、国際的なコロナ対応に関する具体的言及はなし。
<コメント>
「権威主義国家や軍事政権によるその国の人権抑圧が問題になっている中で、我が国企業が人権抑圧国ゆえに保証されている「低賃金・労働条件」の恩恵を受けていることが問題になっています。」という、いわゆる”sweat factory”批判の記述があることが特徴的。ただ、国内外ともに経済政策に主軸があり、上記の社民党同様、多国間外交におけるスタンスが見えづらい。
NHKから国民を守る党
「基本政策 NHK党のマニフェスト」
https://www.nhkkara.jp/%E5%9F%BA%E6%9C%AC%E6%94%BF%E7%AD%96/
外交、ODA政策等については具体的な言及がなく「NHK党では、原発問題・外国人参政権などその他の問題について、直接民主制を導入しています。」とし、個々の議題についてインターネット投票を行っている。
ただし、例えば
「世界保健機関(WHO)の台湾への対応に関する決議案 あなたは賛成?反対?」という議題については、有効投票総数が3票しかない、など、この仕組みにどれほど実質的な意味があるのか疑問。
(他の政党については割愛させて頂きます。)
<全体を見てのコメント>
あくまでも私の印象ですが、とりわけODAなどの分野において、
私個人としては、
福山哲郎議員の参議院予算委員会での質問
5月11日の参議院予算委員会で、立憲民主党の福山哲郎議員の尾身茂基本的対処方針当諮問委員会会長(専門家会議副座長)への質問態度を巡って、Twitterでは #福山哲郎議員に抗議します というハッシュタグまで作られました。
フル動画はこちら
https://www.youtube.com/watch?v=A5SO7xdwnTw&t=1320s
ただし、この「炎上」には、Dappiというアカウントによる「切り取り動画」によって、あたかも福山議員が尾身先生に対し怒号を上げたかのような誤解が少なからず影響したように思います。
https://twitter.com/dappi2019/status/1259708910547550208?s=20
上記のフル動画を見れば、福山議員が声を荒げた場面は尾身先生が答弁しようとした際に安倍総理が介入するかのように不規則発言をしたことによるものであり、尾身先生に対して「恫喝」したのではないことが分かります。
朝日新聞
https://digital.asahi.com/articles/ASN5C4QJRN5CUTFK018.html
だけでなく、夕刊フジ
https://www.zakzak.co.jp/soc/news/200513/dom2005130006-n1.html
も、この大声を出した場面は安倍総理に対してのもであると書いています。
<BuzzFeed Japanによる解説記事>
いつも医療系に関して深く取材して読み応えのある記事を書くBuzzFeed Japanにはこんな記事が出ました。
「実際の感染者数を誰も答えることができない理由 立憲民主の福山議員の質疑を検証してみた」
記事の内容には私もおおむね同意するものの、最後の結論で、峰宗太郎先生が「全数が把握できていないことで責めるのは、的外れで勉強不足で理解ができていないように思います。」と断ずるのは私は違和感があります。例えば、できるだけ多くの国民が検査を受けられるようにすることがロックダウン後の出口戦略であると主張する人々もいて、議論が分かれるポイントでもありますし、市中感染の全体像の把握(サーベイランス)は、ロックダウンなどの政策を打つにあたって、臨床的な意義とは別途必要な情報になります(そして、特にインターネット上では、それらが「科学」の議論ではなく、「政治的対立」の議論になりがちなのが残念なところです)。
例えば
「緊急提言 新型コロナ・V字回復プロジェクト『全国民に検査』を次なるフェーズの一丁目一番地に」
賛同者の一人でもある、渋谷健司先生はFacebookの投稿を公開設定にしており、医師会、臨床医、他分野の専門家などとコメントを通じていろいろ意見交換していることが分かり、このような発想に至る流れも見えてきます。
https://www.facebook.com/kenji.shibuya.5
(私の理解が正しければ、検査の大幅拡大は臨床上足りていない部分を補うという意味もありますが、どちらかというとロックダウンを避けるために陽性者を見つけ出して、隔離すべき人と「経済を回すべき人」とを分けることが主たる関心事であるように思います。)
また、同じく、賛同者の一人である、徳田安春先生は、なぜ検査を増やすことが大切なのか、という点について動画で解説しています。
ちなみにこの解説動画で千葉大学のプレプリント論文
Global Comparison of Changes in the Number of Test-Positive Cases and Deaths by Coronavirus Infection (COVID-19) in the World
https://www.preprints.org/manuscript/202004.0374/v1
(日本語プレスリリース)
http://www.chiba-u.ac.jp/general/publicity/press/files/2020/20200421covid19_PCR.pdf
に言及し、「陽性率を7%以下にする」という話が出てきますが、この論文は地域相関研究(生態学的研究)であり、機械学習によって何らかの相関が見いだされたに過ぎず、結論もモニャモニャした感じになっていて、「7%」という数字に過剰にとらわれてはいけないと思います。
WHOは、十分に広く検査が行われた国を見てみると、陽性率は3~12%であるとしています。
(00:53:53 のDr Maria Van Kerkhove (MK) の発言)
ただ、これもある種の「経験則」であって、現段階では、この範囲にあることが必要十分な検査が行われていることを示す論理的因果関係にあるわけではないし、WHOとして「推奨」しているわけでもないことに注意が必要です。
NHK「東京都がPCR検査「陽性率」を初めて公表」
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200508/k10012423091000.html
という記事を見ると、「ピークは4月11日と14日で、いずれも31.6%でした。その後、減少する傾向が続き7日は7.5%でした。」とのことで、東京都においては、一時期は逼迫していたものの、5月初旬現在はまずまずの下がりといったところでしょうか。
BuzzFeed Japanの記事では特に指摘されていませんが、福山議員は「超過死亡」についても言及していました。ただ、その指摘は微妙だと私は思います。
福山議員はもしかしたら、上昌広先生のこの記事を読んだのかもしれません。
PCR躊躇しまくった日本がこの先に抱える難題
https://toyokeizai.net/articles/-/347364
しかし、奥村晴彦先生のこちらの記事や
「東京の超過死亡?」
https://oku.edu.mie-u.ac.jp/~okumura/python/tokyodeaths.html
そこにもリンクされているこちらの記事
「日本の『超過死』についての注意事項」
https://note.com/lotta_liz_di/n/n506972308fd6
を見ると、超過死亡の速報値を使っていろいろ判断するのは危ういと思います。
BuzzFeedの記事にも「参考記事」としてリンクさているこちらの記事
「本当にPCR検査は必要か?」
でも超過死亡について述べていますが、上記の通り、現時点の速報値を以て議論してもあまり有意義とは言えないように思います(ただ、もし仮に多少の超過死亡が全て新型コロナウイルス感染症によるものだったとしても、死亡数の桁が増えるほどに多くはない、ということは間違いなさそうです)。
それに、岩田健太郎先生が「時間や場所を無視して『日本は』と検査を論ずるのはおかしい」
https://twitter.com/georgebest1969/status/1260760142435323906?s=20
と言うように、この21大都市を擁する都道府県だけで見ても、例えば岡山県と東京都の違いを無視して、ましてや岩手県のような県まで含めて「日本は」といった議論をしても意味がありません。
参考
厚生労働省「国内の発生状況」
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000164708_00001.html#kokunaihassei
(「各都道府県の検査陽性者の状況(空港検疫、チャーター便案件を除く国内事例)」を参照)
加えて、国によって感染拡大のフェーズもそれぞれ異なるはずですから、ある同じ時点で他国と比較して検査数が多い、少ない、というのもナンセンスだと思います。現在、問題になっているのは、医師が必要と判断しているのに検査ができない人がいるという、臨床上必要な検査が満たされていないということであり、各地で医師会の協力のもとPCR検査センターが立ち上がっています。もしかしたら、リソースの偏在という点もあるかもしれません。また、上記の岩田先生のツイートにもあるように、臨床的に必要な検査とコミュニティでの感染の動向を調べるサーベイランスは目的が違いますので、そこが混同されると議論がかみ合わなくなってしまいます。
<不毛な対立を超えて>
特にインターネット上で、国会での質疑を巡って「誰の言っていることが間違っているか」「誰が勉強不足なのか」といった批判が起きがちですが、私は不毛だと思います。福山議員は「10倍」という数字にこだわっていましたが、要は「無症状の把握できていない感染者がいる、そして、『10倍』という数字を挙げて尾身先生や西浦先生が過去の記者会見で発言されましたよね?」という言質を取ろうとしたのだと思います(国会の質疑では分かり切っているようなことでも官僚に事実確認の質問をすることなどもよくあるので、そのような意図だったのかもしれません)。ただ、尾身先生は科学者として誠実にそのロジックを説明しようとしたが、福山議員が確認したかったこととずれていて、話がかみ合わなかったため、福山議員がいら立ってしまったようにも見えます。福山議員の質問の重要なポイントは「無症状の感染者が感染を広げる、特に院内感染は深刻だ。だからここを強化すべき」という点のはずですが、安倍総理とのやり取りではそのポイントが共有されているようには思えませんでした。福山議員が自身の強調すべきポイントを分かっていなかったか、あるいはうまく説明できなかっただけなのかは分かりませんが、安倍総理が陽性率を持ち出して「検査はそんなに不足していない」と説明しても、市中感染が広がっている場合、臨床上必要な検査、濃厚接触者追跡に加えて、無症状の人に広く検査を行うべきかどうか、という論点を共有したうえでの論争になっておらず、とてももったいないと感じました。また、これはあくまでも私の推測ですが、尾身先生が福山議員に対して「大切なポイントを指摘していると思います」と言ったのは、単に「丁重な態度」というだけでなく、本当に大切なポイントであると感じる理解力のある方だからであり、だからこそ、その背景を丁寧に説明しようとされたのだと思います。
尾身先生は誠実に「10倍か、12倍か、20倍か今のところ誰も分からないが、今報告されている数よりも多いことは間違いない」と答えているのですから、福山議員は、「尾身先生が過去に『10倍』と言ったかどうか」というあまり本質的でない部分にこだわるのではなく、この答弁の直後に安倍総理に切りかかるべきだったと思います。福山議員は、京都の病院で院内感染が起きたので、病院関係者や来訪者の「水際対策」として無症状の人にもPCR検査を拡大せよと主張しています。おそらく、これを踏まえているのでしょう。
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のPCR検査に関する共同声明
https://www.kuhp.kyoto-u.ac.jp/press/20200415.html
英国Imperial College LondonのReport 16 - Role of testing in COVID-19 control
https://www.imperial.ac.uk/mrc-global-infectious-disease-analysis/covid-19/report-16-testing/
でも、医療従事者や介護従事者に検査を行うことは一つの戦略として提案されています。BuzzFeedの記事中で峰宗太郎先生が「院内感染などを防ぐために患者に検査を行うことは、目的にかなっているといえるでしょう。今までも、医療機関では患者の同意のもとに、手術前などにHBV、HCV、梅毒、HIV などの検査を行なっています。感染管理の面からは、合理的であり当然許容される検査です」と語っているように、立場を超えて一致できる点を見出して、そこを少しでも前に進める方が生産的だと思います。
富士レビオ株式会社の「エスプライン SARS-CoV-2」というイムノクロマト法による抗原検査が保険適用されることになりましたが
新型コロナ「抗原検査」を保険適用、まず抗原検査行い、陰性患者にPCR検査を―中医協総会(1)
https://gemmed.ghc-j.com/?p=33897
「緊急入院を要する患者で症状の有無の判断が困難な場合」には、「症状があるもの」と判断される例外を除いては無症状者への実施は保険適用されません(5月13日現在)。感度や、確定診断にPCR検査が必要と言った運用面でのハードルはあるものの、今後の動向が注目されます。
参考までに、3月10日の参議院公聴会での小池晃議員の「不勉強」を批判するツイートを見かけたことがきっかけで、このようなブログ記事も書きました。
「2020年3月10日(火)参議院予算委員会公聴会での小池晃議員の質問」
https://ameblo.jp/mot82yn/entry-12582462851.html
それに、cosmosさんがこのスレッドで指摘しているように
https://twitter.com/mhcosmos/status/1260886592643665922?s=20
福山議員の態度云々でこれらの論点が忘れ去られているようにも感じます。国会議員はもちろん勉強しないといけませんが、専門の研究者ではないのですから、そのことを云々するよりも、制度設計に関する重要な議論の方に注目すべきと思います。
もちろん、人と接するときに、敬意を持って誠実な態度で臨むことはとても大事なことです。しかし、「科学」の議論が「態度」の問題に目をそらされ、それが「政治的対立」にすり替えられる様子を見て娯楽的に消費している暇はありません。そして、福山議員自身は野党議員とはいえ、政治家なので「社会的弱者」とは言えないかもしれませんが、野党の仕事はそうした声なき声を政治に伝えることです。社会的弱者の声を代弁しようとするとき(たとえそれが空回りしていようとも)、「トーン・ポリシング」的な表層的な議論に終わってしまうことには、私は違和感を覚えます(ましてや、福山議員本人に対してはネット上でレイシズム的な言説が浴びせられています)。そこで必要とされることは「科学的な間違い」の指摘に終わるのではなく、何を伝えようとしたのか、どのような人々の声を伝えようとしたのか、という点に注目すべきではないかと思います。
ある産婦人科医の先生がHPVワクチンに関連して、こう仰っていました。「私が若い頃、よく分からない痛みなどを訴える患者さんはベテランの先生ではなく私のところに回されてきた。検査をしても異常が見つからないから先輩医師たちは患者さんに対し『そんなの気のせいですよ』で片づけてしまう。ところが、患者さんの訴えと話がかみ合わなくなり面倒だと思って回されてきたのだろう。でも患者さんは痛いから、苦しいから病院に来ているのであって、そこに共感して話を聞かなければならないのではないか。同様に、確かにHPVワクチンの問題は、いわゆる『名古屋スタディ』で決着がついたと思っている。だが、『気のせいですよ』で済まされて、まともに話を聞いてもらえなかった患者さんからしたら医師側への不信感が募るだけだ」と。
混沌としていながらも、議論の中から一致できる点、理解できる点を見出し、一歩一歩前を向いてゆくことが大事だと思います。
<専門家の「ノーブレス・オブリージュ」>
ネット上では専門家会議のメンバーに対し不信感を覚える人の声も上がっています。私はもちろん、専門家会議メンバーが、いわゆる「御用学者」だなどとは思いませんが、適切なリスク・コミュニケーションができているかというと、私は少々疑問に感じます。新型コロナウイルス、そしてそのウイルスによる感染症について、何も分かっていない状況から少しずつ情報が分かってくる中で、途中でそれまで考えられていた説が否定されたり、変更されたりすることもあるでしょう。また、世の中には0か1かで区切られるものよりも、量的なグラデーションのどこかに最適解があるようなことはよくあります。科学研究の世界にいる人にとってはこうした感覚はわりと常識的だと思うのですが、一般の方々にはなかなか分かりにくいと思います。「これまではこう考えられていました、しかし、こんな新しい情報があるので、以前の知見のこの部分は訂正し、このように変更します」ということを記者会見や「提言」などで逐一表明していないように感じます。記者会見の場と言うのは、研究室セミナーではなく、それによって国の政策が決定される以上、一回一回が論文発表と同じ場だと思います。論文の導入部分に「以前はこのようなことが分かっていた。しかし、この部分は不明であった。よって我々はこのような研究を行う」といったことが普通は書いてあるのですから、一回一回の記者会見が自分たちの研究の成果を論文で発表するのと同じように、これまでの知見の積み重ねについて整理して一般の人に伝えるのが良いのではないかと思うのです。
<「公衆衛生」は個人の健康と社会の健康の「対立」ではない>
時に、公衆衛生は個人の健康か、社会の健康かといった対立で語られることがあります。感染しているかもしれない人が自由に外出する権利を享受すると、他の人に感染させてしまうかもしれない、不安で検査をしてほしいと思っている人にむやみに検査をすると「医療崩壊」して社会の多くの人の健康が守られなくなる、といった具合に。しかし、私は抽象的で漠然とした目に見えない「社会」というものを想定するのは違うのではないかと思います。この社会を構成しているのは、一人ひとりがそこに生きている人であり、誰もが健康や幸せを願っているはずです。押谷仁先生がこの記事でこのように仰っています。
「新型コロナウイルスに我々はどう対峙すべきなのか(No.4) 想像する力を武器に」
https://www.med.tohoku.ac.jp/feature/pages/topics_217.html
「そこで亡くなる人は『60代の女性』ではなく、もしかすると来月生まれてくる初孫の顔を見られていた女性だったかもしれないという想像力を持つことが必要だと私は考えている。」
一人ひとりの人間が生きていて、この社会を作っている。ちょうど日本国憲法における「公共の福祉」の概念のように(私は憲法学の専門家ではありませんので、「一元的内在制約説」などがどこまで妥当なのかについては言及できませんが)、一人ひとりの人権・権利を守るための「落としどころ」を探るというのが公衆衛生の目指すところだと思います。「持続可能な開発目標(SDGs)」は「誰一人取り残さない(Leave no one behind)」をキャッチフレーズとしていますが、単純に「量」に還元できるものではないし、(本来、ベンサムが言ったこととは概念的に異なりますが)ナイーヴに単純化された「最大多数の最大幸福」だけで政策の良し悪しが決まるわけではありません。今、苦しんでいる、悲しんでいる人のために、政治は何ができるか?を政治家は考えるべきであり、私たちも一人ひとりがそれを後押しすべきだと思います。
専門家会議は3月初旬から「PCR検査は十分とは言えない」「保健所・現場は疲弊している。一刻も早く人的・財政的支援を」と訴えてきました。しかしながら、まだまだ保健所は大変な業務量を抱えています。相談センターへの相談基準の緩和によって相談件数が増えて現場がパンク状態になっている様子も伝えられました。現状を不動の前提としてどう社会を「操作」するか、という視点ではなく、「理想的な状態」に対して現状で足りない部分を測り、「理想的な状態」に一歩でも近づけるように予算を付け、ロジスティクスを考え、物事を動かしていく、そして、そのプロセスを徹底的に透明化する、そういう姿勢が政治に求められていると思います。
「理想論」だけではダメですが、「理想論」すら語られなくなった時、社会は歩みを止めてしまうでしょう。少なくとも、笑われながらも「理想論」を語り続ける人は、この社会に絶対に必要だと私は思っています。
2020年3月10日(火)参議院予算委員会公聴会での小池晃議員の質問
3月10日(火)の参議院公聴会に関して、Dappiという、どうもTwitter投稿をお仕事にしているっぽいアカウントのこの「切り取り」動画
https://twitter.com/dappi2019/status/1237201157711257600?s=2
小池晃「政府と専門家会議は4日間経過観察と言ってるが高齢者もそれでいいのか!」
— Dappi (@dappi2019) March 10, 2020
上昌広「流石、先生!同感です!」
尾身茂「初日から息切れや怠さがある場合や高齢者や基礎疾患がある人は2日と例外規定にある」
印象操作する共産党&マスコミ御用達専門家の適当っぷりが酷い#kokkai pic.twitter.com/JrYa1zji29
をもとに、共産党の小池晃議員を批判している医療系アカウントの方々がおられますが、フル動画をご覧になることをお勧めします。
「国会中継 予算委員会 公聴会 2020年3月10日(火)」
結論を先に言うと、小池議員との討論では、最終的に、「尾身先生も含めて」(←ここ重要)3人の見解は一致しています。上先生も意外に(苦笑)マトモなことを仰っています。私は、非常に有意義な討論だったと思います。これを分断と対立の材料に使う方がCOVID-19対策にはマイナスです。
順を追って簡単に説明を加えます。
【尾身茂 専門家会議副座長は、疲弊する現場への支援を強調】
まず、専門家会議 尾身茂副座長です。
「参議院 2020年03月10日 予算委員会公聴会 #02 尾身茂(公述人 独立行政法人地域医療機能推進機構理事長)」
前半は「専門家会議の見解」
https://www3.nhk.or.jp/news/special/coronavirus/view/
の内容を紹介しています。
その中でも言及されていますが、基本戦略の3本柱は
① クラスター対策
② 医療体制の充実・強化を通じて、感染者の早期診断と重症化の防止(←ここにも注目)
③ 一般市民の行動変容
また、「我々が “All Japan” としてなすべきこと」として
① クラスター対策のため、厚労省、保健所、自治体の担当職員は疲弊している。適切な人材と財源の確保が必要。
② 保健所の職員も手一杯。帰国者・接触者相談センターについては保健所以外の担い手を求めるなどの、人的・財政的支援が必要。
③ 都道府県・市町村の枠を超えての広域での、迅速な情報共有・連携が重要。
④ これからの感染拡大も否定できない。このままでは医療機関がいっぱいになってしまう可能性もある。これに対応するための一般医療機関や診療所を選定する必要(すべての診療所で対応すると、院内感染や医療従事者への感染の恐れもあるため望ましくない)。
⑤ 感染リスクの高い場所(換気が悪く、人が密集していて、近距離での会話・発声のある場所)を避ける。
④ 事業者にはリモートワークや時差出勤などをお願いしているが、ぜひ、どのような対策を取っているか社会に発信してほしい。そうすることで、市民にとって施設やサービスを利用する際の安心感にもつながる。
専門家会議として、「個人ができることを気を付けて」といったレベルではなく、「このままではまずい」と、政府に思い切った人的・財政的措置を取るよう求めていることが分かります。
【上昌広医師は、「エビデンス」に基づいた対策、そのためにも検査態勢拡充を主張】
(質疑の中での発言も含まれますが、ブログとしての見やすさを重視し、まとめて記載します。)
次に、上昌広公述人です。
「参議院 2020年03月10日 予算委員会公聴会 #03 上昌弘(公述人 特定非営利活動法人医療ガバナンス研究所理事長)」
私はテレビを持っていないので、上先生がテレビでどんなことを仰っているのかよく分かりません。ただ、「もっとPCR検査をせよ!」という主張をされている方であると理解しています。
上先生は「武漢を封鎖したが、せいぜい感染の拡大を3~5日程度遅らせたに過ぎなかった。潜在的な感染者が既に広まっていた可能性」という論文に言及。
Matteo Chinazzi et al., The effect of travel restrictions on the spread of the 2019 novel coronavirus (COVID-19) outbreak, Science 06 Mar 2020: eaba9757, DOI: 10.1126/science.aba9757
https://science.sciencemag.org/content/early/2020/03/05/science.aba9757
(私は感染症疫学モデリングの専門家ではありませんので、この論文の妥当性自体については分かりません)
しかし、「ヨーロッパにはまだ潜在的な感染者も広がっていなかったので、ヨーロッパに広げることはなかった」というところで言及を終えています。そのため、Dappiからは「イタリアの状況を見てます?」と突っ込まれています。
https://twitter.com/dappi2019/status/1237175096529137664?s=20
上昌広「我々、研究者はWHOより雑誌がコンセンサス!そしてサイエンスに『武漢閉鎖は効果なし!欧州の患者が80%減ったのはコロナが伝搬されなかったから』と書いてあった。これが科学的な現在のコンセンサス!」
— Dappi (@dappi2019) March 10, 2020
この人が専門家としてTVに出てるから恐ろしい。
イタリアの状況を見てます?#kokkai pic.twitter.com/yZAYQm10Sp
しかし、この論文では、初期には確かに中国国外での感染拡大を防いだが、2月後半以降、潜在的な感染者によって、イタリア、韓国、イランなどに広がった可能性に言及しており、PCR検査を広めたいはずの上先生がこの部分に触れないのは不思議です。
上先生の公聴会での発言を聞く限りにおいては、「エビデンス」に基づいた対策をすべきである、との主張が中心にあり、それ自体はさほどおかしな内容ではありません(なお、医学や経済学などの実証研究における「エビデンス」は帰納的な推論に基づく特殊な専門用語であり、「証拠」と訳すとかなりニュアンスが異なる点には注意が必要です)。ただ、先の記事
「イタリアは新型肺炎の検査をし過ぎたせいで「医療崩壊」しているのか?」
https://ameblo.jp/mot82yn/entry-12582400183.html
にも書きましたが、「臨床における鑑別診断のための検査」と「積極的疫学調査」という目的の異なる検査をどの程度区別しての発言かは分かりづらいですし、どちらかというと後者の目的でPCR検査を拡大せよ、と主張しているように感じられます。
一方、上先生は震災後の福島で、放射線にまつわる風評被害や不安を取り除くために被曝検査をしてデータで示したのが良かった、だから検査をして安心してもらうことが大事なのだ、と仰っていますが、被曝量の検査と感染症の検査という、質的にもコスト的にも大きく異なるものを同列に語るのは、私は危ういと思います。
なお、ネット上には上先生が自分のことを「プロ」と呼んだと勘違いしている意見がありますが、上先生は5大医学誌のような、国際的な有名医学専門誌の査読者や編集者を「プロ」と呼んでいます。また、上先生は冒頭で自分自身のことを「血液内科医」と正直に話しています。
【小池晃議員は高リスク者を意識し、相談基準の見直しを要求】
さて、問題の小池議員の質問です。
「参議院 2020年03月10日 予算委員会公聴会 #08 小池晃(日本共産党)」
受診する場合の判断の基準として、
・風邪の症状や37.5℃以上の発熱が4日以上続いている。
・強いだるさ(倦怠感)や息苦しさ(呼吸困難)がある。
が挙げられているが、高齢者はリスクが高いので、熱が出たらすぐに受診すべきではないか、と発言。例のDappiの動画をご覧になった方は、「小池議員は『高齢者や基礎疾患等のある方、妊婦の方は、上の状態が2日程度続く場合』という例外規定を知らないのか!予め明文化されている基準も読まない医師など信用ならん!」といった声が上がっています。
参考
「相談・受診の目安」(PDF版)
https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000596905.pdf
小池議員が本当に知らなかったのか、それとも、公述人の言質を取るために、わざと知らないふりをしたのか、私は分かりません。
小池議員は3月3日(火)にこのような質疑をしていますので、全く知らなかったというのは考えにくいようにも思いますが。
しんぶん赤旗「新型コロナ対策 国民の不安にこたえ、対案示す 参院予算委 小池書記局長の質問」
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik19/2020-03-04/2020030403_01_0.html
しかし、大きく印象が変わるポイントだと思いますが、小池議員は、NEJMに掲載された、中国の約500の病院から集めたデータで「重症者であっても約4割には入院時に37.5℃以上の発熱は見られなかった」という論文
Wei-jie Guan et al., Clinical Characteristics of Coronavirus Disease 2019 in China,
New England Journal of Medicine, February 28, 2020, DOI: 10.1056/NEJMoa2002032
https://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJMoa2002032
(Table 1 参照)
を紹介し、また、3月9日に出された
「新型コロナウイルス感染症対策の見解」
https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000606000.pdf
では、「重症化する患者さんは、普通の風邪症状が出てから約5~7日程度で、症状が急激に悪化」という部分を踏まえて、この基準は厳しすぎるのではないか、と質したわけです。ここから、尾身先生の「説明の仕方が悪かった。個人的には初日でもいいと思っている。PCR検査のキャパシティも考慮して現実的な基準を考えた。これからのデータやキャパシティの変化に合わせて基準もアジャストしてゆく」という発言につながったわけです。
また、小池議員は「政府はかかりつけ医に相談をと言っているが、そもそもかかりつけ医がいない人もいる」とも述べています。
しんぶん赤旗「新型コロナ肺炎対策 日本共産党の対策本部長 小池書記局長に聞く」
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik19/2020-02-27/2020022703_01_0.html
【小池晃議員は「誰でもPCR検査できるようにしろ」とは言っていない】
また、小池議員も「PCR検査拡充派」と見られているようですが、何もマス・スクリーニングに使えと言っているのではなく、「医師が診察して必要があると医学的に判断したら検査できる」体制の確立をすべき、と言っていることは、動画やしんぶん赤旗の記事を確認すれば分かります。
動画をご覧になって分かるように、小池議員は「誤解の無いように言っておくが、全ての医療施設で検査をしろと言うつもりはない。地方の開業医は高齢化しており、彼らが感染すれば、それこそ、その地域の医療は崩壊する」とも述べています(ただ、ここで、小池議員はウイルスへの「曝露」のリスクについて言及しようとして「被曝」と言い間違えていますが、ちょっとこれは一般の方に誤解を招きかねない、まずい言い間違いだと個人的には思います)。
なお、補足情報ですが、韓国、米国、ドイツ等の「ドライブスルー検査」も、どうやらマス・スクリーニングをしているのではなく、事前にある程度絞り込んでいる、または集団感染のハイリスク群に行っているようです。ドライブスルー検査のメリット(目的)は、「誰でも気軽に受けられる」というのは誤りで、外で行う(つまり、換気が最も良い状態)、また、病棟や待合室から離すことで、周囲への感染のリスクを抑えることにあると考えられます。日本では「ドライブスルー検査」があたかもファーストフードの「ドライブスルー」のようなイメージで見られて誤った理解が広がっているように思います。
小池議員は「日本の高齢者は真面目だから、体調が悪くなっても我慢をしてしまう」と主張しています(おそらく、「医療崩壊」を心配する人とは、患者をどういうイメージで見ているかが真逆なのでしょう)。
【厚労省ウェブサイトの情報の出し方は分かりにくい】
なお、実際に厚生労働省のウェブサイトから
「相談・受診の目安」(PDF版)
https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000596905.pdf
を探し出すのは、パソコンの使用に慣れていない高齢者でなくとも極めて分かりにくいと思います。また、都道府県など、地方自治体もウェブサイトでこの「目安」を紹介していますが、都道府県によっては妊婦に関する記述や、「なお、現時点では新型コロナウイルス感染症以外の病気の方が圧倒的に多い状況であり、 インフルエンザ等の心配があるときには、通常と同様に、かかりつけ医等に御相談ください。」という記述が省略されていることもあります。さらに、PDF版では、二つある基準のうち「いずれか」と記述があるため、この二つは「または」で結ばれることが分かります。尾身先生も「だるさや息苦しさは初日から出るらしい」と述べておられますから、「または」で結ばれていると考えるのが妥当です。しかし、
通常のHTML版
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000121431_00094.html#soudan
の記述では「かつ」なのか「または」なのかが分からず、混乱を招くと思います。
東京都のフローチャート
https://www.fukushihoken.metro.tokyo.lg.jp/iryo/kansen/coronasodan.files/madoguchi.pdf
は、分かりやすいのですが、この二つの基準が「かつ」で結ばれているように読め、実際に混乱が見られます。「強いだるさや息苦しさ」を4日以上我慢してしまう人が出てきてしまうことが予想され、専門家会議が考えている「目安」が現状でも正しく伝わっていないように思います。
専門家会議のメンバーである岡部信彦先生も
「37.5度以上の熱が出たら4日間必ず待たなければならないと考えている人がいます。そうではなく、具合が悪ければ早く行った方がいいし、高齢者や持病のある人は2日以上となっていても、症状が強ければ帰国者・接触者相談センターなどにすぐ相談するのはもちろんいい。ほかの重症な病気のサインかもしれませんし。」と述べておられます。
BuzzFeed Japan Medical 「『流行の封じ込め』から『流行を前提とした対策』へ 専門家『切り替え時期を考えなくてはいけない』」
https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/covid-19-okabe-2
先の公聴会でも尾身先生は「メッセージを出し直すことも検討する」と言及しておられました。
ちなみに、WHOの検査基準
米国CDCの検査基準
https://emergency.cdc.gov/han/2020/han00429.asp
でも、発熱が継続した「日数」に関する記述はありません。
【「公衆衛生」と「臨床医」の発想の違いというより、政治思想の違い】
なお小池議員が「公衆衛生と臨床医の発想は違うのかな」と言ったのは、どちらが「上」か、ということではないと思います。冬樹蛉 Ray Fuyukiさんは「感染症対策というのは、つまるところ、とても大規模なトリアージだ」
https://twitter.com/ray_fyk/status/1237261830541553666
COVID-19をめぐるさまざまな議論を見ていると、「感染症対策というのは、つまるところ、とても大規模なトリアージだ」という考えかたを受け容れられるかどうかの程度で、摩擦が起こっているような気がする。
— 冬樹蛉 Ray Fuyuki (@ray_fyk) March 10, 2020
と表現しておられますが、完全ではないにせよ、このツイートはかなり核心を突いていると思います。
左派にはロールズ的なマキシミン原理(最悪の事態を避ける、リスクを最小化する)という発想があり、臨床医としての経験がある小池議員は、このような考え方を信念として持っているため、社会全体のバランスを重視する施策はそれよりは「不平等回避度」が小さいものに見え、心情的に受け容れがたいものがあるのでしょう。
参考
スペックの持ち腐れ「社会的厚生関数」
https://yu-kimura.jp/2020/01/15/social-welfare-function/
【他の議員の質疑】
この予算委員会公聴会では、他に、福岡資麿(自)、塩村あやか(立)、里見隆治(公)、片山大介(維)の各議員が質問しています。こちらの記事で全体を通してかいつまんで紹介されています。
FNN PRIME 「国会でコロナの今後と安倍首相「休校」の是非を聞かれた専門家2人の立場と葛藤 尾身氏×上氏の濃密2時間」
https://www.fnn.jp/posts/00050707HDK/202003111700_KeitaTakada_HDK
福岡資麿(自)議員
塩村あやか(立)議員
里見隆治(公)議員
片山大介(維)議員
【全体を通しての尾身先生、上先生の共通認識と相違点】
全て拾えていないかもしれませんが、尾身先生と上先生とで認識が共通しているもの、異なっているものを挙げてみました。
<共通認識>
・ 感染拡大を防ぐために全国一律の学校閉鎖(正確には「臨時休業」)や、現段階での中韓からの入国制限など、効果が全く無いとは言わないが、今のところ、それをサポートする「エビデンス」は無い。したがって、公衆衛生的な効果はあまり期待できない。
・ 学校閉鎖、入国制限などの効果があったとしても、それが学校閉鎖や入国制限そのものの効果であったとは断言できない。
・ ただ、「エビデンス」が無いところで、社会全体のバランスを考えて判断するのが「政治」なので、そこについてはとやかく言わない。
・ 一方で、そのことによる社会経済的なデメリットとのトレードオフを考えなければならない。デメリットを回避する対策も打っておかねばならない。
→ 行動制限をすることのトレードオフ
尾身「高齢者が外に出ないようにするのはいいが、逆にメンタルを病む恐れも」
上「2011年、福島では原発事故後に高齢者は避難先で多く亡くなった。環境を変えるだけでもリスク」
(多分、野村周平きゅんの論文に言及している)
Shuhei Nomura et al., Mortality Risk amongst Nursing Home Residents Evacuated after the Fukushima Nuclear Accident: A Retrospective Cohort Study, PLoS ONE 8(3): e60192. doi:10.1371/journal.pone.0060192
https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0060192
・ 各地方の実情に応じて柔軟な対応が取れるようにすべき。
・ 現状のPCR検査体制は不十分(これは2人の共通認識であることを改めて強調しておきたいと思います)
<それぞれ独自の意見>
上先生
・ クラスターはたまたま数人で検出されればクラスターに見えるが、実は周囲に蔓延しているかもしれない。もし、蔓延していれば、クラスターに対応するだけでは感染拡大を抑制できない。したがってPCR検査の拡大が必要。「PCR論争」が起こっているのは日本だけ。
・ 日本の高齢者は栄養状態が良いので、死亡率が抑えられているのではないか
尾身先生
・ 感染拡大初期には「やや、やり過ぎ」の方が良い。「かなりやり過ぎ」でも、「足りなさ過ぎ」でも批判される。全国一斉休校などは心情的には理解できる部分もある。
・ PCRも大事だが、抗原抗体反応を利用した迅速診断キットの早期の開発が必要
・ 日本の医療、特に肺炎に関する知見等に優れており、高齢者の死亡率が抑えられているのではないか
尾身先生、上先生、小池議員、それにそれ以外の質問をした議員含め、それぞれ考え方に若干の違いはあるものの、向いている方向がそんなに違うようには少なくとも私には感じれられませんでした。ネット上では対立構図を煽るように「極論」に振れることがしばしば見られますが、そのような「陣営対立」に持ち込むのは不毛だと思います。共通の方向性を見出し、適切な「落としどころ」を探ってゆくという姿勢を持つべきではないか、と感じます。
イタリアは新型肺炎の検査をし過ぎたせいで「医療崩壊」しているのか?
【イタリアは検査をし過ぎて「医療崩壊」に至ったという言説】
Twitterを中心に、まるでイタリアでは新型コロナウイルスの検査をし過ぎたために「医療崩壊」したような言説が出回っていますが、様々な報道を見てみるとこのような理解は誤りだと考えます。
まず、このツイート
https://twitter.com/Ortho_FL/status/1236073774664957952?s=2
手当たり次第検査→軽症患者発覚→軽症でも隔離→リソース不足で医療崩壊
— おると🦠💦🐦手を洗う医師YouTuber (@Ortho_FL) March 6, 2020
韓国やイタリアが直面しています
軽症の入院が増えるとキャパオーバーで重症患者が入院できなくなる恐れもあり
軽症は様子を見るだけで良いし、その方針の日本は死亡が少ない
これ報道しないよねhttps://t.co/o2ElOQQlem
ですが、The Washington Postの記事では、気付かないうちに感染拡大→「医療崩壊」に近い状態→感染者を洗い出すために徹底的に検査 と書かれており、時系列の理解を誤っており、明らかに誤読です。
日本経済新聞
「イタリア、医療現場混乱で感染急増か 全土で移動制限」
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO56642800Q0A310C2910M00/
では、「米ブルームバーグ通信は世界保健機関(WHO)関係者の話として「検査をやり過ぎて害を及ぼしたようにみえる」と伝えた。無症状の人は自力で回復できた可能性があると指摘した。」
ビジネスジャーナル
「新型コロナ、PCR検査抑制は日本政府の英断か…徹底的な検査で医療崩壊したイタリアと韓国」
https://biz-journal.jp/2020/03/post_146091.html
では、「米ブルームバーグ通信が、世界保健機関(WHO)関係者の話として「検査をやり過ぎて害を及ぼしたようにみえる」と伝えているように、軽症者まで徹底的に検査することには弊害があるのだ。」
と書かれています。
【イタリアにおける検査し過ぎの「害」とは?】
ところが、海外の報道を丹念に調べると、WHO関係者(Walter Ricciardi氏)が述べる「害」は決して「医療崩壊を招く」という意味ではなく、「”インフォデミック”を煽る」というニュアンスで使われていることが分かります。
引用元のブルームバーグの記事はおそらくこれ
"Coronavirus Accounting Is Looking Vulnerable"
この発言のソースとして、さらにこの記事が引用されています。
La Presse (カナダのケベック州で発行されているフランス語紙)
"Coronavirus : l’Italie surestime-t-elle le nombre de malades ?"
私はフランス語は読めないので、Google翻訳で英語にして読んでみました(日本語訳はいまいち)。イタリアでは、症状の無い人にも検査を行い、情報の透明性を確保するため、迅速にそれをWHOに報告していたが、それによって実際以上に事態が深刻であるかのような誤解を与えている(=「インフォデミック」を煽っている)ことが「誤り」であった、と述べているわけです。それに対して、イタリア当局は「最初の感染源を見つけるための局地的なものであり、今後は症状のある人またはある特性を持った人のみを検査対象にする。これは方法の修正ではなく、緊急時の対応から通常時の対応に切り替えただけだ」と話しています。また、実際に軽症者や無症状者には自宅待機を要請しており「イタリアでは無症状者や軽症者も入院させている」という理解は誤りです。
なお、上記のブルームバーグの記事では、中国が2回にわたって感染者として報告すべき例の定義を変更したため、トレンドが分かりにくくなっている点を批判的に書いていましたが、イタリアとは背景にある事情が異なるように思われます。
参考
AFP BB News
「中国、新型コロナ感染者の集計法を再び変更 先週に続き2度目」
https://www.afpbb.com/articles/-/3269396
さらに、この記事
AP
"Italy blasts virus panic as it eyes new testing criteria"
https://apnews.com/6c7e40fbec09858a3b4dbd65fe0f14f5
では、WHOのRicciardi氏は「イタリア政府は地方レベルで陽性と判定されたデータを国レベルで精査せずにそのまま報告しているため、このような場合は『陽性疑い例』とすべきだ」と話している一方、イタリア当局は、国立保健衛生研究所(?)がこれまでに分析した282例から、偽陽性であった例は一つもなく、おそらく結果が大きく変わることは無いだろうとしています。また、イタリアはこれまでに北イタリアの特定の地域を訪れた人や、その人と接触した人は症状にかかわらず誰でも検査していたが、これからは症状のある人に限定する、と検査の方針を変更しました。これは欧州疾病予防管理センターの助言に基づくものとしています。
さすがに、
日経ビジネス
「新型コロナのパンデミックで避けたい未来、医療崩壊のイタリア」
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00122/031200005/
では、「過剰検査→軽症者も入院→医療崩壊」というストーリーでは辻褄が合わない、と疑問を呈しています。
なお、イタリアでの感染者の急増を受けて、WHOと欧州疾病予防管理センターがイタリアを調査したところ、確かに、4/5は軽症者または無症状者だったとの記載がありますが、
WHO Europe
"Joint WHO and ECDC mission in Italy to support COVID-19 control and prevention efforts"
WHO Europe
"WHO rapid response team concludes mission to Italy for COVID-19 response"
感染の疑いのある人を検査して発見することを優先すべきと書いているものの、「検査をやり過ぎたから、医療崩壊につながった」といったようなことはどこにも書かれていません。
【異なる検査の目的が理解されず、議論が混乱】
ところで、日経の
「新型コロナ、日本の検査遅らせた『疫学調査』」
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO56568590Z00C20A3I00000/
について、神戸大学の中澤港先生が批判記事
鐵人三國誌「【第337回】 後期入試など(2020年3月12日)」
http://minato.sip21c.org/im3r/20200312.html
を書いておられ、「臨床における鑑別診断のための検査」と「積極的疫学調査」が混同されているという問題点を挙げられています。これは私の個人的な印象ですが、イタリアの例に限らず、世間の「PCR検査論争」は、実はこの混同こそが議論の混乱の元凶ではないかとさえ思います。しかし、イタリアについては、WHOのアドバイザーがこの二つの違いを知らないはずはないので、もしかしたら「積極的疫学調査をするにしても妥当な範囲より過剰だった」と言いたかったのかもしれません。
【イタリアの何がいけないのか】
一方で、イタリアの政策の間違いについては、この記事
Vox "Italy’s coronavirus crisis could be America’s"
https://www.vox.com/2020/3/10/21171217/coronavirus-covid-19-italy-hospitals
では、Yale大学のSteven Hoffman教授は、集団隔離は対象者をリスクに曝すだけでなく、本来離れるべきでない人に逃げ出すインセンティブを与えてしまうという誤った政策であると指摘しています。ネット上ではミラノから逃げ出そうとする人々、例えばこの映像
https://twitter.com/massi3112/status/1236662641491202049?s=2
「自分が感染してたら」を考えず、皆ミラノから逃げてる。
— マッシ 🇮🇹🇯🇵 日伊逐次通訳者 (@massi3112) March 8, 2020
pic.twitter.com/fYzC5LGjPx
を見て、「自分が感染している可能性も考えずに、自分勝手で迷惑だ!」といったコメントが散見されます。しかし、その根底には「周囲に迷惑をかけないために自己犠牲を強いる」という発想が垣間見え、個人の行動ではなく、政策判断の誤りの方に批判の矛先が向かないというのは、私は危険なことだと思います。上記のVoxの記事中でもHoffman教授は、「武漢の封鎖は感染拡大をせいぜい3~5日遅らせたに過ぎなかったとの研究がある。長期的にトラウマになるであろう経験、そして子どもたちにもそれを説明しなければならない親にとって、そのたった3日間のために取るべき政策だろうか?社会的に隔離された人々は、きっと自分たちは危険に曝され、そして尊厳を傷つけられたと感じ、公衆衛生上好ましくない行動にもつながりかねない」と疑問と懸念を呈しています。
国際保健や国際法に詳しい弁護士Alexandra Phelan博士は、韓国で新規に罹患する人が減っているのは集団隔離を行ったから?とするツイートに対し、「まったく逆」と反論するツイートで、取るべき対策について述べています。
・ 感染者の隔離
・ 接触者のしっかりとした追跡と検査
・ 自己隔離(自宅にこもる)
・ 医療従事者の(感染に対する)万全の態勢と保護
を挙げています。
(追記)
現時点では、なぜイタリアがこのような状況になってしまったかについて確定的なことは言えないかもしれません。ただ、日経新聞の「イタリア、医療現場混乱で感染急増か 全土で移動制限」にも「イタリアは欧州連合(EU)が求めた財政緊縮策として医療費削減を進め、医療機関を減らしてきた。」書かれているように、新自由主義的改革によって医療リソースが減らされてきたことが指摘されています。
https://twitter.com/hori_shigeki/status/1237845589997391873?s=2
新自由主義の下で緊縮経済政策が各国の病床数を減らしてきた。偶々ネットで、病床数/千人の推移グラフ(出典OECD)に遭遇しました。日本は素晴らしい水準なのに下降一途。EU緊縮の優等生イタリアの状況は悲惨。右は世界銀行のグラフでフランス限定の推移ですが、1983年頃が転機だった事が分かります。 pic.twitter.com/1E9hYQZv44
— 堀 茂樹 (@hori_shigeki) March 11, 2020
また、高齢化の影響も指摘されています。
共同通信「イタリアの致死率、高齢化一因か 医療体制不備で拡大指摘も」
https://this.kiji.is/611492293631575137?c=39550187727945729
東北において、過疎化、高齢化、そして「医療過疎」がもともと進行していて、それが2011年の東日本大震災をきっかけに問題が一気に深刻な形で現れたように、あるいは、2014~2016年頃の西アフリカでのエボラウイルス病(エボラ出血熱)の感染拡大も、もともとの保健医療体制の不備、政治的な不安定性などに由来する問題が一気に噴出したように、気付かないところで緩慢に進行していた「病気」の症状が、大きな負荷がかかった瞬間に「自覚症状」として現れた、と言えるかもしれません。
【米国でもイタリアを教訓として「もっと検査態勢の拡充を」という議論が】
Business Insider
"Americans are being told to prepare for a coronavirus outbreak — but US health agencies lack funding, and disease testing lags behind"
では、米国でも検査体制の整備の遅れが指摘されています。Vanderbilt大学のWilliam Schaffner教授は「咳が出る人を誰でも検査しろとは言っているわけではありません、それは不適切です。しかし、現状よりも検査範囲を拡充する必要があります。遅れをとるわけにはいきません。」と話しています。
Yale大学のRichard Martinello准教授は「風邪のような症状があっても、流行地域に渡航したり、感染の可能性のある人と接触したりしたのでなければ、検査をする理由はありません」としつつ、米国でも感染が広がるならば、医療機関はより広範囲な検査をする必要があり、彼の部局もできるだけの準備をしている、と語りました。
【思い込みではなく、冷静に情報を読み解く】
ここまでいろいろ調べてみて、ニュース記事を読んで事実を把握しようとしても、読み手の側にまず先入観として「ストーリー」が出来上がってしまっていると、事実を正しく把握できないことがある、という可能性に注意しなければならない、と感じました。さらに、個人のSNS上での発信もそうですが、マスメディアににも責任ある情報発信をして頂きたいと感じました。特に、マスメディアの中には、英語だけでなく様々な言語が分かる方がいらっしゃるでしょうから、海外の報道も丹念に調べて報道して頂きたい、と思います。
<東大から考えるジェンダー (6/6)> 【「共感」に頼り過ぎない】
社会の問題を考えるにあたって、人間は「共感」できるかどうかに頼りがちである。「ああ、差別されている人がいてかわいそうだね」とか、「自分は差別しないようにしている。なのに、その『差別の構造の一員だ』みたいな言われ方をすると腹が立つ」などといった感情を抱きがちだ。もちろん、誰に/何に共感し、誰に/何に共感しないか、は全くもって個人的な事柄だし、共感の感情を持つことは人間として自然なことだ。しかし、このような「共感」は必ずしも社会を正確に分析し、公平で公正な社会を実現するためには役に立たないことがある、という点には注意が必要だ。「共感できる」ものにしか関心が寄せられない社会は、果たして望ましいものだろうか?市場メカニズムでは解決できない問題は「外部性」として、文字通り市場の外部に追いやられる。だが、共感によってその市場の外部の問題を非市場的なメカニズムでケアすることは可能だ。だが、共感すらされないものは、「共感の市場」においてすら、その外部に追いやられる。
参考
朝日新聞 永井陽右 連載「共感にあらがえ」
https://www.asahi.com/and_M/seriese/empathy/
私としてはいくつか同意できない部分も無いわけではないが、共感と理性とのバランスを保つこと、という指摘は重要だろう(注6)。
上記の連載第3回目の記事でも触れられているが、どうして、NGOや国連系ドナーなどは、「かわいそうな」子供の写真を使い「○○ちゃんを助けて下さい!」といった広報戦略をしばしばとるのだろうか?しかし、実際の援助の仕組みなどを考えれば、人によっては、どこかモヤモヤした感じを抱く方がいるかもしれない。
こうした、「かわいそうな」特定の人を前面に押し出す広報戦略の理由は、例えば
RF-077 世代間・世代内リスクトレードオフと持続可能性
(2)世代間・世代内のリスク解析と管理原則
産業技術総合研究所安全科学研究部門 岸本充生
https://www.env.go.jp/earth/suishinhi/wise/j/pdf/J08RF077200.pdf
の3ページ目
「(2)距離についての関心の減耗」
に論文が複数引用してあるように、(元論文をきちんと読んでいないので、サンプリングの仕方など、どのくらい妥当なのかは分からないが)、生身の人間が単なる統計数字に落とし込まれた時、「思いやりの崩壊」と呼ばれる現象が起きる。人間心理には一般的に「世界で飢えている○人のために!」よりも「△△ちゃんが飢えています!」というメッセージの方に共感しやすい、という性質があるようだ。こうした心理に訴えるのが効果的だからなのではないか、と推測している。人間は全人類を救うことはできない。自分にとってつながりのある人から助け合っていくしかない(これは個人に限らず、どんなNGOもどんな国家のODAも同じだ)。確かにテクノロジーの発達により、地球の反対側のことが分かるようになったとしても、人間が本来、有限なる存在の動物であることを思い起こせば、自分にとって身近に感じられる人に対してのみ共感し、助けたいと思う心理は必然なのかもしれない(上記文献5ページ目には、「ヒトが適応した集団サイズの上限が150人程度」という研究が引用されている)。
だからこそ、社会の現象を把握するには、統計の力を借りることが不可欠だ。確かに、統計それ自体は無味乾燥なものだ。しかし、統計数字は思いやりを「崩壊」させるためではなく、思いやりの「再構築」のためにあるのではないだろうか。この点からは、上野氏の祝辞の統計に対する扱いが雑であったのは残念だ。一方で、何を統計の俎上に載せ、何を載せないか、は共感に左右される。共感を疑い、そして統計も疑う。更に、統計に対して向けられた疑いの眼差しから、自分が共感するものを新たに発見し、共感が拡大される。共感と統計との間で、共感を疑い、統計によって気づき、共感を拡大し、統計によってもう一度共感を疑う、という循環を繰り返すことで、私たちはより正確に世界を見渡せるようになるだろう。しかし、世界が不変でなく、私たちの時間が有限である以上、この循環は決して収束することはない。
私たちは、時に、あまりに「当たり前」すぎて、その「当たり前」に気付かないことがある。それは、社会の成員である以上、マジョリティもマイノリティもその構造を前提として、「当たり前」としておかないと生きてゆけない状態なのだ、ということには共感できる。だが、その瞬間に足を止め、「当たり前」を疑い(もちろん、自分の過去の経験から自由ではいられないのだが)、共感も重要だが、それを一旦措いてもなお、理性を働かせることで見えてくる、より「良い」社会の在り方を考えてゆきたい、と思う。
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注6: おそらく、永井氏の主張の根底には、”Human Rights Based Approach to Development”があるのではないかと思われる。支援を行う際、「何が足りないか」を見出し、それを補うのではなく、「本来保障すべき人権が侵害されている」と考え、その人権を回復する、という考え方だ。
参考
川村 暁雄「国際開発協力の新たな潮流 - 人権に基づく開発アプローチ」
https://www.hurights.or.jp/archives/newsletter/sectiion3/2008/01/--.html
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<東大から考えるジェンダー (5/6)> 【「女性」「男性」に対し、現在の社会は何を求めているの
東大は、上野千鶴子氏の入学式祝辞だけでなく、最近、もう一つ世間をざわつかせるニュースを出した。私もよく存じ上げている方々が著者に加わっている。
東大、出生動向基本調査(1987-2015)で日本成人における異性間性交渉経験の割合分析を実施
https://www.nikkei.com/article/DGXLRSP506932_U9A400C1000000/
男性の異性間性交渉経験率は収入と相関している、というものである。
ライブドアニュースは以下のようにこのニュースをTwitterで発信した(掲載元の記事は既に掲載期間が過ぎたようで削除されている)
https://twitter.com/livedoornews/status/1115053168453279749
このツイートに対するリプライを見て感じたことは、どうも現在の日本の社会は、個人の嗜好とは別の次元で「性交渉できることは社会的に価値のあることである」という同調圧力が強いのではないか、ということだ。異性間性交渉を経験する確率の低い属性を持った人が侮辱されたように感じているのかもしれない。しかし、ハーバード大学のイチロー・カワチ氏も指摘していたことだと思うが、ある属性を持った集団の特性を、特定の個人に当てはめてはいけない。一方で、もちろん、このニュースを取り上げたメディアの書き方の問題ではあろうが、研究者は学術研究を紹介する時に注意深く言葉を選択しなければならないし、疫学・公衆衛生の研究だとしても、ジェンダー論・フェミニズム・社会学・倫理学・哲学などの研究の蓄積を無視することはできない(余談だが、例えば、かつて、パチンコ屋でミニスカートのナース服のコスプレをして健康診断の勧誘をすると受診率が上がったという研究があったが、私はこれはジェンダー論的に問題のある研究だと思っている)。
さて、ニュースソースとなった論文を見てみよう。
Trends in heterosexual inexperience among young adults in Japan: analysis of national surveys, 1987–2015
日本成人における異性間性交渉未経験の割合の推移について: 出生動向基本調査の分析, 1987 – 2015年(日本語訳)
Table 2(表2)を見てみると、年齢で調整し、ロジスティック回帰分析した結果(論文を読む限りでは、年齢でのみ調整しており、多変量回帰分析した結果ではないように読めるが、どうなのだろう?)、男性では、学歴が上がるほど、異性間性交渉未経験のオッズ比が下がっているのに対し、女性は逆である。雇用形態は男性では非正規雇用や無職の場合は、異性間性交渉未経験のオッズ比が高いが、女性では、無職を除いて雇用形態の違いによる有意差は見られない。年収も男女で傾向が逆になっている。男性は年収が上がれば異性間性交渉未経験のオッズ比は下がるが、女性ではむしろ逆だ。そして、無職や、年収のほとんどない女性の異性間性交渉の割合が高いことは、考察でも述べられているように、専業主婦という形態が影響している可能性が大きいだろう。公衆衛生の論文なので、この点についてこれ以上の言及はされていないが、ここで私たちはスルーしてはいけない。なぜ多くの場合、女性にのみ「専業主婦」なる形態が求められるのか。よく考える必要がある。安易な因果関係の想定は避けるべきだが(当然、本研究は相関関係に関するものである)、男女で求められる性役割が異なっていることによる影響はないだろうか?例えば、男性は高学歴であるべきで、稼ぐべき存在であり、そのような人こそが「恋愛市場」において「価値ある」存在であり、一方で女性には学問や仕事のスキルなど不要であり、可愛らしくしていさえすれば、それでよいのだ、と。
<東大から考えるジェンダー (4/6)> 【「差別」とは何か?】
男性は男性としての「特権」に無自覚であることが多く、日本国内で「日本人」である人は、日本人としての「特権」に無自覚であることが多く、性的マジョリティの人は性的マイノリティに対する「特権」に無自覚であることが多い。もしかしたら、上記のように反発した学生たちは「自分は差別なんかしていないのに、なぜこんなことを言われなければならないのか」と思ったのではないだろうか。
マサキチトセ氏が指摘しているように、差別はしようと思ってする(intent)から差別になるではなく、その言論や行為がどのような影響を持つのか(impact)ということだ、という点は重要なポイントだ。
https://twitter.com/GimmeAQueerEye/status/901355427518132224
(ツイートの埋め込みがうまくいかないのでリンクを貼ります)
YouTubeへのリンクはこちら
https://www.youtube.com/watch?v=XDwPwDpSZis&feature=youtu.be
また、「差別」というのは、あるカテゴリに属する人が不利益を被る可能性が高い、ということであって、「私は不利益を被っていないから『差別』など存在しない」という、自分だけのサンプル(n=1)で判断してしまうことは間違いだし(ところが、しばしばこのような主張を見かける)、「差別されないようにするためには個人の能力を磨くことが必要だ」という主張も「差別」の解消という観点からはポイントがずれている。
引き続き、マサキチトセ氏からの引用
https://twitter.com/GimmeAQueerEye/status/91138568507188019
「差別」とは「社会全体の構造による不利益の蓋然性の差」
島田暁氏は次のように言う。
https://twitter.com/Akira_Shimada/status/584680623043776512
「マイノリティ」とは「放っておいたら構造的に抑圧されがちな立場」
日本語版Wikipediaでは「社会的少数者」という訳語を当てている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E7%9A%84%E5%B0%91%E6%95%B0%E8%80%85
例えば、現在の社会構造においては、男性は「マジョリティ」であり、女性は「マイノリティ」となる(しかし、見方を変えれば、シスジェンダー・ヘテロセクシュアルの女性は「マジョリティ」であり、レズビアンやトランスジェンダーの女性は「マイノリティ」になる(注3))。そして、男性が意図して女性を差別しようと思わなくても、自動的に差別が生み出されてしまう社会の構造になっていたとしたら、それは差別が存在するということだ。そして、私の感覚だが、その中でマジョリティたる男性にはその差別を解消するための「消極的義務」が存在するように思われる。「消極的自由」(ざっくり言ってしまえば、リスクからの自由)に対応する「消極的義務」(こちらもざっくり言ってしまえば、他者にリスクを負わせない義務)が対応しており、もし、直接的に差別に加担していなくても、マジョリティであることに伴う「消極的義務」が伴うのではないだろうか。マジョリティであるがゆえに行使できる「特権」があるのなら、それを差別を解消する方向に使うことが、そのような「消極的義務」を果たすことにつながるだろう。
参考
macska dot org(小山エミ氏のブログ)
「消極的義務」の倫理――「トロッコ問題」の哲学者フィリパ・フットとその影響
一方で、ネット上には「いや、そもそも女子が東大受験を希望していないのだ」という主張も見られた。この点については、私自身もっときちんと勉強する必要があるだろうが、「サバルタン」と「ケイパビリティ」がキーワードとなるだろう(注4)。
参考
'12読書日記88冊目 『サバルタンは語ることができるか』ガヤトリ・スピヴァク
http://d.hatena.ne.jp/ima-inat/20121221/1356022942
絵所 秀紀「後期アマルティア・センの開発思想」
(PDFファイル)
孫引きで恐縮だが、上記ファイル16ページ目
「極貧から施しを求める境遇に落ちたもの,かろうじて生延びてはいるものの身を守るすべのない土地なし労働者,昼夜暇なく働き詰めで過労の召使い,抑圧と隷従に馴れその役割と運命に妥協している妻,こういったひとびとはすべてそれぞれの苦境を甘受するようになりがちである。かれらの窮状は平穏無事に生延びるために必要な忍耐力によって抑制され覆い隠されて,(欲望充足と幸福とに反映される)効用のものさしには,その姿を現さない」(鈴村興太郎 訳『福祉の経済学』岩波書店, 1988)
自由意志は本当に「自由」なのか。私たちは、古来続けられてきた哲学の大論争を、形を変えてまだ続けているのかもしれない(注5)。
また、「在日特権」といった言葉を用いて、在日コリアンに対する差別を全く真逆に捉えるような言説が現れてから久しい。女性に対しても、性的マイノリティ(LGBTs)に対しても同じロジックが向けられることがある。すなわち「もはや差別など存在しないのに、マイノリティが『差別だ!』と騒ぎ立て、マジョリティの権利を不当に脅かしている」というものである。これは、高史明著『レイシズムを解剖する』に言うところの(さらに元ネタは米国における黒人差別の研究)「現代的レイシズム」あるいは「新しいレイシズム」と呼ばれるもので、差別の存在を隠蔽・無化するロジックである。
参考
Synodos「古くて新しい、在日コリアンへのレイシズム『レイシズムを解剖する』著者、高史明氏インタビュー」
https://synodos.jp/newbook/16538
現代ビジネス(高史明)
「データで読み解く『在日コリアン』への偏見とネットの関係」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48886
祝辞に反発した学生もこのロジックと同じように感じたのではないだろうか?この点については、私は以前に、行動経済学における「プロスペクト理論」である程度説明できるのではないか、と書いた。
杉田水脈衆議院議員の『新潮45』における差別的言説と、マイノリティを巡る社会の変容(4)
https://ameblo.jp/mot82yn/entry-12398988197.html
追記するならば、権利配分は多数派と少数派との間でトレードオフ関係にあるだけでなく、この記事で述べたゲームの構造のように、パレート改善できる場合もあるだろう。その場合、マジョリティは一時的に不快感を覚えても、それは「産みの苦しみ」なのかもしれない。
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注3: ところが、特に最近、SNS上でよく見かけるようになってきたが、TERF (Trans-Exclusionary Radical Feminists) と呼ばれる、トランスジェンダー女性を「女性」の枠から排除する、「女性」とは認めない(自称)フェミニズムの一派が現れている。フェミニズムが本来目指していたものは、ジェンダーは生得的なものではなく、社会的に構築されるものだから、性別による役割の押し付け、差別をなくしましょう、というものだったはずだ。ところが、TERFの議論では、「女性の領域に生物学的『男性』が入ることによって性犯罪が助長される」というロジックを用いて、トランスジェンダー女性はまさに生得的な「女性」でないがゆえに「女性」と認められない、という転倒した議論になっており、フェミニズムの本来の枠を逸脱したトランスジェンダー差別であると言わざるを得ないと思う(東大の清水晶子氏ら、少なくないフェミニズム研究者もこのTERFを批判している)。
参考
文春オンライン「なぜ2019年の日本で、トランスジェンダー女性たちが攻撃されているのか トランスジェンダーにとって世界で最も安全な国だったのに」三橋 順子
https://blogos.com/article/373807/
注4: 「これらは途上国の問題だ、日本の問題とは違う」という反論があるかもしれない。だが、私は途上国の人々も日本の人々も同じ人間である以上、私からすると、両者に本質的違いは無く、これらはいずれも同じ地平の延長線上にあるものだと思う。私のこの文章も、日本における女性差別の問題と途上国の問題がごっちゃになって述べられていると感じる人がいるかもしれない。しかし、現に持続可能な開発目標(SDGs)にある通り、途上国においても、先進国においても、女性の人権を守り、活躍を後押しすることは喫緊の課題だ。
注5: 原則的には「当事者の事は当事者抜きでは決められない」。ただし、自由意志を前提に論理を構築した場合、精神障碍者などの問題を考える際に逆説的状況に陥る。この点については、
川越敏司「情報保証と自由」
http://www.fun.ac.jp/~kawagoe/disability/kawagoe.ppt
(PowerPointファイル)
が参考になる。
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<東大から考えるジェンダー (3/6)> 【上野氏の祝辞に対する反発】
一方で、この祝辞に対し、Twitterで「実況」し、反発する学生もいた。例えば、
「平成31年度東京大学学部入学式 上野千鶴子さんの祝辞で会場が大荒れ #東大入学式2019」
https://matome.naver.jp/odai/2155503775969443301?&page=3
東大の男子学生比率は高いし、ここで反発しているのも、おそらく男子学生だろうが、外野から「これだから東大生は世間知らずだ」とか「いやいや、東大生をディスるなんて、学歴コンプかよ」みたいな「場外乱闘」も起きている。では、その時語られる「東大生」とは誰なのだろう?東大には女子学生ももちろんいる。また、伝統的な性別によってカテゴライズできない/しない学生もいる。無意識のうちに、東大の男子学生を「東大生」として語っていないだろうか?また、反発する東大生に批判を向けるとき、その矛先は、批判する者自身にも向かっている。自らの内なるジェンダー・バイアスや差別意識はないか、今一度振り返る良い機会だと思う。この祝辞を聞いていた女子学生はどのように感じたのだろうか?東大に入る娘の親や、東大を卒業した女性の意見を載せているこの記事は良かった。
Business Insider Japan「【東大入学式】上野千鶴子さん祝辞の反応は。東大女子のつらさ思い出し涙したOG」
https://www.businessinsider.jp/post-189030
<東大から考えるジェンダー (2/6)> 【上野氏の祝辞の射程範囲の広さ】
そして、この祝辞はジェンダーによる差別の構造を一つの例としつつ、それに限らず、あらゆる差別・格差を普遍的に語っている。
「世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます。」「あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。」
これらの主張は、リスク回避的な一般的な人を想定すれば、ロールズの「無知のヴェール」にたどり着くものであり、リベラリズムの原則的な立場だ。「私」は「私」だが、「あなた」は「あなた」だ。そして、「私」は「あなた」ではなく、「あなた」は「私」ではない。この偶然性、不可思議性に思いを致す時、「私」にとっても「あなた」にとっても良い社会になることを誰もが願うだろう。
私はこれまで、いろいろな人と出会い、性別によるものに限らず、人生のかなりの部分は「運」に左右されるのではないか、と感じることもある。例えば、塾でアルバイトしていた時に、頑張っても報われない生徒を見てきた。「毒親」の元で、本人も発達障害あるいはなんらかの精神疾患に苦しんでいるような人にも出会ってきた。私のいとこは、早稲田大学の受験当日、高熱を出してベッドから起き上がることすらできず、早稲田への進学はかなわなかった。私のある友人が家庭教師のアルバイトで中学2年生に連立方程式を教えていたが、いくら教えても理解してくれない。よくよく聞いてみると、方程式自体を理解していなかった。そこで、方程式を教えたものの、それでも理解してくれない。更によくよく聞いてみると、その子は引き算を理解していなかった、というのだ。断定はできないが、何らかの学習障害の可能性があるかもしれない。私自身はと言うと、運に助けられた部分もあるし、一方で「もっとこんな運に恵まれていたら、こんなことができたのに」と、残念に思うこともあった。成功している人はもちろん努力したのだろうが、「努力できる条件・環境」が揃っていたのだろうし、自分自身では気付かない「運」もあったかもしれない。
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<東大から考えるジェンダー (1/6)> 【女性にとっての「ガラスの天井」~東大も例外ではない】
上野千鶴子氏の東大入学式での祝辞がネット上で話題になった。
https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message31_03.html
私もこれに関連していろいろと思うところがあったので、少し乗り遅れたが、自分の意見を書いてみたい。もし、事実認識に何らかの誤りがあればご指摘賜りたい。
私はジェンダー論の専門家でもなんでもないが、彼女のこれまでの主張云々は別にして(特に、クィア系の議論に関しは、他のフェミニズム系研究者からの上野氏に対する批判も少なくなかった)、この祝辞だけを見るなら、全体にあまりにも当たり前のことを言っていて特段驚いたり、感動したりはしなかった(注1)。多分、私は、必ずしもジェンダーにまつわるものではないが、社会関係資本・文化資本に関する話を知っていたし、特に、社会疫学を中心にやってきたから、社会における不平等・分断はふわっとした抽象的なものではなく、生々しいデータと統計的実証研究の蓄積から明らかであり、今更それを指摘されても特に驚かなかったのだろうと思う。いや、驚かないくらいに、このような社会構造に馴らされ過ぎていて、感覚が麻痺しているのだ、と愕然とした。一方、ジェンダーによる差別の問題について私たちがきちんと向き合うことができるようになったのは、とりもなおさず、上野千鶴子氏らのフェミニズムの蓄積があったからにほかならない。
東大の学部新入生の定員は文系約4割、理系約6割だが、女子学生は2割に満たない。それに、「女子は文系、男子は理系」というのも、「男性脳・女性脳」などのように、生物学的特性のように信じられてきた面があるが、それが社会的に構築されたものである可能性は大いにある(注2)。もちろん、東大も女子学生の比率が少ないこと、都市部の高収入家庭に生まれた学生が多い(例えば、「社会階層」によって学力格差が存在し、固定化されてきたことは苅谷剛彦氏などによって指摘されている)ことで、多様性が損なわれているという危機感をかねてから持っており、女子高校生向けの説明会、女子学生向けの借り上げ寮、年収400万円以下の家庭の学生への学費全額免除など、様々な工夫を講じてきた。今回、上野氏に祝辞を依頼したのも、その一環だった可能性は大いにあるだろう(そして、東大と上野氏の目論見は見事に成功している)。しかしながら、実際のところ、成果が出るまでにはまだ時間がかかりそうだ。
------------------------------------------------------------------
注1: ただし、「偏差値の正規分布」という表現は不正確だし、だから「男子学生以上に優秀な女子学生が東大を受験している」とは断定できない。上野氏は偏差値以外の要素が男女間で異なること(交絡の可能性)を主張しているわけだし、同じカットオフ値で合否が分かれるのだから、女子のみ正規分布の右側に偏っている、という推論は常に正しいとは限らない(正しい可能性は排除されない)。また、最近6年間全体での男女比の大学間比較から結論を導くような論の立て方など、統計の扱い方が雑である、という点は様々な人が既に指摘している。男女の間に学力格差が無いとすれば、合格者の男女比は、かなり長期間をとれば、「大数の法則」から1:1になると予測することは正しいが、短い期間の場合、どうしてもある程度の幅をもってばらつきが出るため、95%信頼区間が云々、などの考慮無しに、このデータからの大学間の比較などをする場合はかなり注意が必要である。データの詳細は
「医学部医学科の入学者選抜における公正確保等に係る緊急調査の結果速報について」
を参照されたい。ただ、この祝辞全体として見ると、どちらかというと種々のanecdotalな例から一つの考え方の道筋を説くものであり、統計データの部分はむしろ蛇足だったかもしれない。
注2: 余談だが、私の親戚のとある女性は、東大ではないが、物理学科を卒業して、霞ヶ関の某役所で物理職として働いており、身内として贔屓目に見ている部分もあろうが、素晴らしい活躍をしていると思う。ところが、こういう人は、その希少性ゆえに「リケジョ」などと呼ばれることがある。これは社会学などで「有徴化」と呼ばれるもので、特徴のない「普通」と、「普通」でない特徴のあるものという対立軸を置いて区別することによって生じる。例えば、「女医」という言葉はよく用いられるが、「男医」という言葉はほとんど用いられない。これは、医師が男性であることが「普通」であり、「無徴」である一方、女性であることが「有徴」であるという思考の表れである。逆に「イクメン」という言葉は時折用いられるが、「イクウィミン」という言葉は(使うべきだ、と主張する人はいるが)、一般的にはあまり聞かない。つまり、育児は女性が行うことが「普通」であり「無徴」なのに対し、男性の育児が「有徴」になるのだ。
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