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大学受験を考える<第2章 進路をどう選ぶのか> (7/8)~自分なりの努力の結果は平等~

受験に向けての勉強方法に関しては、各々のやり方があると思いますので、あまり細かいことは言えませんが、「1日(または1週間)にこれだけは必ずやる」という計画性が大事だと思います。そんな事は当たり前だと言われるかもしれませんが、一度ペースが崩れてしまうと、後で取り戻すのは大変になってしまいます。もし、遅れがちになってしまったら、苦しくても、その日のうちに軌道修正する方が、後々、良いと思います。

 

模試における合否判定は、もちろん有用な情報ではありますが、良い方向にも悪い方向にも過度に信頼し過ぎない方が良いでしょう。そもそも「偏差値」という概念は母集団が「正規分布」と呼ばれる分布をしていることを仮定していますが、母集団分布が正規分布からずれている場合、その数値を単純に比較することはあまり意味が無いこともあります。また、A、B、C……といった「合否判定」がありますが、おそらく予備校等が自社で行っている過去の調査データと比較して算出していると考えられます。大学受験者は無作為に選ばれているわけではなく、ある予備校の過去の受講生・模試受験生のデータを参考にしていると、標本抽出にどうしても偏りが生じてしまい、合格判定も偏り(母集団における真の値から推定値がずれてしまう)を否定しきれないのではないか、と思います(その証拠に、異なった予備校が算出した偏差値を同列に並べて比較することはできません)。また、当たり前だと言われるかもしれませんが、「確率」について今一度注意してみると「合格可能性80%」ということは、試験を5回受ければ、1回は不合格になる可能性があるということであり、「合格可能性20%」ということは、試験を5回受ければ、1回は合格する可能性があるということです。文理に関わらず、おそらく皆さんの大部分が大学で学ぶであろう統計学で一般的に用いられる「有意水準5%」(95%の信頼性)乃至は「有意水準1%」(99%の信頼性)から考えると(確かに、これらと単純に比較するのは必ずしも正確な議論ではないかもしれませんが)、これはかなり「いいかげん」な幅です。したがって「偏差値」や「合否判定」は参考にはなるものの、それに過剰に振り回されて一喜一憂するのは必ずしも賢明とは言えません。

 

 

勉強内容が学校の授業では十分理解できない、学校で指定される参考書が難しくて分からない、という方もいらっしゃるかもしれません。そういう方には、最近では基礎から丁寧に、かつ高度な内容まで説明している、優れた参考書が数多く書店や図書館に犇いていますので、活用されることをお勧め致します(アルバイトが禁止されている学校では、皆さんが「参考書を買いたい」と言って、いかに多くのお小遣いをもらえるか、親御さんを説得する力量も問われるかもしれませんね)。

 

 

現在では変わっているかもしれませんが、私が高校生の頃は、「T高校(私の母校)に通っている生徒は塾に行く必要など無い、学校で指定された参考書をやり、宿題をこなしていれば、自分で参考書など買う必要は無い。とにかく高校を信頼せよ。」といったパターナリズム的指導がされていました。しかしながら、学校というものは多くの生徒の平均的傾向に合わせざるを得ず(学校側がその「平均的傾向」を正しく推定できていればの話ですが)、個々の生徒にとって、参考書など、合う、合わない(分かりやすい、分かりにくい)という違いは必然的に存在します。ですから、書店で「自分に合った」参考書を見つける努力をし、そして、その参考書を使って勉強をするという二重の努力は評価されこそすれ、「自分は学校の指導方針にひそかに反旗を翻している」といった罪悪感のようなものを感じる必要はありません。生徒の平均的傾向に合わせるところまでが学校のできることの限界なのですから、それをうまく自分に合わせられるようにすることは生徒個人の責任として、寧ろ正当化されると思っています。また、自分で選んで自分でお金を出して買ったものというのは、他人から与えられたものよりもずっと大事にし、勉強のモチベーションも自ずと上がるはずです。

 

 

また、前回の記事でも、とりあえずやってみることの重要さを述べましたが、「自分には才能が無い」と悲観する人がいるとしたら、長い目で見れば、そのような心配は無用だと申し上げたいと思います。『魏書』に「読書百遍意自ずから通ず」という言葉があります。天才は一度読んで理解できても、凡才は100回読まないと理解できないかもしれません。しかし、凡才であっても、100回読めば、天才と同じように理解ができるのです。そうなれば、アンモニウムイオンにおいて、配位結合が、もはや共有結合とは見分けがつかなくなるように、途中の経過・由来がどうであれ、もうそこには天才と凡才の区別は無くなります。いや、むしろ、その100回読むプロセスが貴重な経験としてプラスに働くかもしれません。私は以前、ある方から次のように言われたことがあります。「君が、自分には能力が無いと思っているのなら、人よりも努力する機会を与えられたことを喜びなさい。その努力のプロセス自身が君にとってかけがえのないものとなるはずだから」と。

 

 

道元も言います。「切に思ふことは必ずとぐるなり。強き敵、深き色、重き宝なれども切に思ふ心ふかければ必ず方便(はうべん)も出(いで)来(く)る様(やう)あるべし。」(『正法眼蔵随聞記』より)

 

 

現代語訳(意訳)

 

「真剣に思っていることならば、必ずやり遂げることができる。人生にとってのチャレンジ、味わい深い色に輝く未来、またとない人生経験となる体験など、一つ一つと真剣に向き合っているならば、(だからこそ)なんとかなる道筋も見えてくるものだ。」

 

驚くべきことに、ここで道元は「切に思ふ心ふかかれば」と未然形ではなく「ふかければ」と已然形で言っていることです。皆さんは道元の意図をどう考えますか?

 

 

確かに、毎日努力を続けることは苦しい事です。皆さんの中にも、どうしてこんなに毎日大変で、毎日苦しいのだろう、と思ったことのある方がいらっしゃるかもしれません。『碧巌録』に「日(にち)々(にち)是(これ)好(こう)日(にち)」という言葉があります。この言葉は(誤解されることもありますが)およそ次のような意味です。GReeeeNがNEWSに提供した"weeeek"という歌がありましたが、まさにあの歌に歌われているように、毎日毎日が苦しい日々の繰り返しです。しかし、そんな苦しい毎日の中に、時として楽しいこと、嬉しいこと、悲しいこと、腹が立つことがあり、そんなどうしようもない日々を死ぬまで繰り返す、そう、それが日々を「生きている」ということに気が付くのです。二度とやって来ない「今日」という日は、どんな日であろうと、素晴らしいのだと。また、私は星野富弘さんの『日日草』(『今日もひとつ』という合唱曲にもなっています)という詩も思い出しました。

 

 

 

 

 

大学受験を考える<第2章 進路をどう選ぶのか> (6/8)~後悔はせず、努力してみる~

何かをやらずに「ああ、あの時やっておけば良かった」と後悔するのと、とにかく挑戦してみて失敗するのとでは、どちらが良いでしょう?私は後者の方が自分の心の整理もつき、挫折から学ぶこともあり、ずっと良いのではないかと思っています。また、目標を明確にすることで、その目標に向かって努力しやすくなると思います。

 

『論語』にこんな話が出てきます。孔子の弟子に冉求(ぜんきゅう)という人がいました。

 

 

「冉求曰(いは)く、子の道を説(よろこ)ばざるにあらず。力足らざればなり。子曰(のたま)はく、力足らざる者は中道にして癈(はい)す。今女(なんぢ)は画(かぎ)れり。」(『論語』雍也篇)

 

 

現代語訳(意訳)

 

冉求が言うには「決して先生の教えが気に入らないというのではありません。私にはそれを実行するだけの能力が無いのです。」

それに対して孔子はこう仰いました。「本当に能力が無いのなら、実行している途中で挫折することだろう。でも、あなたはどうか。まだ何も始めないうちから『自分には能力が無い』と言って、自分で自分の能力を見限ってしまっているではないか。悲観的になるくらいなら、まずはやってみなはれ。」

 

中には、他人との競争にどこかうしろめたさのようなものを感じている方がいらっしゃるかもしれません。しかし、他人と競争することは決して悪いことではなく、むしろ、スポーツなどと同じで、友達ががんばっているのに、自分が怠けていてはその人に失礼にあたります。例えるならば、部活動で、共に汗を流し、一生懸命に練習してきた友人と試合をすることになった時、手抜き試合をすれば、その友達にとても失礼です。自分も同様に、一生懸命に努力することが、そうした素晴らしい友人への最高の敬意の表現ではないか、と私は思っています。

 

 

 

 

大学受験を考える<第2章 進路をどう選ぶのか> (5/8)~自分の目標の本質を見失わない~

高い目標を掲げているものの、模試の成績が思うように伸びず、先生から「いつまでも夢を見るな」と言われている人を見かけたことがありますが、私にはこの先生の意見は、どうも間違っているように思えてなりません(もちろん、その人がどのような動機でその大学・学部を志望していたのかは私には分からないので、何とも言えない部分はあります)。しかし、現実を冷静に判断することと、夢を見ることのバランスをどうとるかは難しい問題です。「人間、夢を見なくなったらおしまいだ」などというきれいごとを言うつもりは毛頭ありません。大学名などにこだわって不必要に高い目標を求めるのは賢明な選択とは言えませんが、自分の夢の実現のために、どのような方向性を目指したいのか、についての本質は決して見失ってはなりません。本当は法学部に行きたいのに、成績が足りないので、経済学部にする、といった選択をしてしまいそうな人は、本当にそれで良いのか、きちんと考えてみた方が良いと思います。


確かに、レベルの高い大学を出ていれば(とりわけ、今のように景気の悪い時期には)、就職に有利になるということはあるかもしれません。また、学歴が賃金に及ぼす影響というものは、真に教育による人的資本の育成効果のためなのか、学歴が単にその人の先天的能力を雇用者側に伝えるための「シグナル」に過ぎないのか、については長い間論争があります.


参考

鈴木 俊光 「教育・学歴の経済学」

http://www.yomiuri.co.jp/adv/chuo/research/20110506.html


しかし、


「進路=大学進学」?

http://ameblo.jp/mot82yn/entry-12143972688.html


の節で述べたように、人生においては職業選択の幅は実に広いものであり、選択肢の一つでしかない「会社勤め」のために、単なる「シグナル」を獲得するために大学に行くのだとしたら、あまりにも悲しすぎると思いませんか?このことをどう考えるかは皆さんの価値観次第です。私は会社を辞めて、明らかに「キャリアダウン」である、大学に入り直す、という選択をしましたが、これはもちろん、自分の目標を実現させるために、大学教育によって、自分の「人的資本」が育成されることを期待したからです。


中には、大学というものがどういうものか実感が湧かず、勉強のモチベーションが上がらない人もいるかもしれません。そういう方は、自分の進みたい方向性が決まったら、ある程度志望校を絞り、各大学が開催しているオープンキャンパスなどに参加してみるとよいでしょう。先程も、人生に対する具体的イメージが大切だと書きましたが、大学に関しても、ぼんやりと思い描いているよりは、実際に見て、聞いて、肌で触れることによって、「そこで学びたい」という気持ちは強くなると思います。

大学受験を考える<第2章 進路をどう選ぶのか> (4/8)~研究内容も視野に入れる~

高校の先生によっては(特に理系で)「今は入れる大学に入り、大学院で行きたい大学に行きなさい」と言われる方がいらっしゃるかもしれません。これはどういう意味でしょうか?

 

 

【研究内容で大学を選ぶ」】

 

 

 

研究を行うにあたっては、大学全体としてではなく、その研究室でどんな研究が行われているのか、研究室単位で見る必要がありますので、これは尤もなことです。少し補足をするならば、特に理系分野に関しえ言えば、「どの大学に行くか」よりも、「どの研究室に入って、どの先生について、何の研究をするのか」の方がはるかに大事です。とりわけ理系分野や経済学・心理学などの一部の人文・社会科学分野などにおいては、インパクトファクターの高い(論文が引用される回数が多い、すなわち、レベルが高いと見られている)専門誌に、いかに多く、かつ質の高い論文を投稿し、掲載されたかが、評価の中心的基準になります。世界の中で競争するにあたって大学名自体は何の意味も持たず、極めてシビアな実力主義の世界です(もちろん、いわゆる「有名大学」、即ち研究予算が多く配分されている大学は確かに研究設備は充実しています。その結果、研究業績が上がり、更に予算配分が増えるという好循環が生ずる、ということは確かにあります)。単に大学名しか見ず、その他の様々な要素を考慮に入れずに選ぶと失敗します。

 

 

参考

 

インパクトファクター

http://ip-science.thomsonreuters.jp/ssr/impact_factor/

 

 

【「研究」に深く触れることができるのは大学院に入ってから】

 

 

 

学部4年生になると、ほとんどの大学の理系学部では、研究室に配属され、卒業研究を行うことになります。文系の場合は、「ゼミ」と呼ばれる研究グループに属して、卒業論文を書く場合が多いです。しかし、学部4年時の研究というのは、その分野のほんの最初に触れたにすぎず、研究の内容に深く触れ出すのは大学院に入ってからです。ですから、高校生・大学受験生の皆さんにはまだピンとこないかもしれませんが、学部の選択以上に大学院の選択は重要なのです。

 

 

同じ大学の大学院に上がるパターンが多いのですが、もちろん、大学と大学院は別なので、他大学の大学院に進学することも可能です。しかしながら、自分が行きたい大学院の入試科目が、自分が通っている大学で勉強できない場合、独学でカバーしなければなりません(仮に大学院の入試科目に無くても勉強が必用な場合があります。私の場合、所属していた学部では量子化学や有機化学の体系立った講義がありませんでしたから、大学院に入ってから独学でカバーしなければなりませんでした)。事前によく注意して検討すべきでしょう。大学院の募集要項も、学部の募集要項と同様にインターネットで公開している大学が多く、調べようと思えば可能です。

 

 

 

「同じ大学の大学院に進学する方が、他大学から進学するよりも有利になる」という噂がありますが、大学院入試自体は内部進学者であれ、他大学からの受験生であれ、平等に課され、公平に採点されます。ただ、大学院の入試問題もその大学の先生が作成するため、もともとその大学にいた学生のほうが、その先生の講義や定期試験のパターンを知っているため、情報収集という意味において有利になることはあるかもしれません。ただし、大学院入試の過去問は有料で販売されていたり、公開されていたり、あるいは、希望の研究室の先生に挨拶に行けばもらえることもありますので、事前によく調べておくとよいでしょう。

 

 

 

また、各研究室の情報を得るには、その研究室のホームページが情報量としては最も充実しています。とは言うものの、まだどんな研究をするのかすら知らない高校生の皆さんにそこまで調べろというのは酷かもしれません。だからこそ、高校の先生方には「大学入試まで」の指導ではなく、「大学入試以降」のこともよく調べて進路指導をお願いしたいと思います。いずれにせよ、高校生の皆さんには、大学を知名度や偏差値だけではなく、どんな勉強・研究ができるのかをよく調べて進路を選択してほしいと思います。

 

 

 

【大学の研究内容を知る】

 

 

 

『大学ランキング2017年版 (AERAムック) 』(朝日新聞出版)

 

http://www.amazon.co.jp/%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B02017%E5%B9%B4%E7%89%88-AERA%E3%83%A0%E3%83%83%E3%82%AF-%E3%82%A2%E3%82%A8%E3%83%A9%E3%83%A0%E3%83%83%E3%82%AF%E6%95%99%E8%82%B2%E7%B7%A8%E9%9B%86%E9%83%A8/dp/4022791233/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1459157953&sr=1-1&keywords=%E5%A4%A7%E5%AD%A6+%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0

 

『大学の実力 2016』(中央公論新社)

 

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また、少し古い本ですが(インターネット検索では、こういう内容の、より新しい本を見つけることができませんでした。現在では状況が変わっている可能性があることにご留意下さい。)

 

 

『学問の鉄人 大学教授ランキング 文科系編』(宝島社)(1997年)

 

http://www.amazon.co.jp/%E5%AD%A6%E5%95%8F%E3%81%AE%E9%89%84%E4%BA%BA%E2%80%95%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E6%95%99%E6%8E%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0-%E6%96%87%E7%A7%91%E7%B3%BB%E7%B7%A8-%E5%88%A5%E5%86%8A%E5%AE%9D%E5%B3%B6-322-%E6%B2%B3%E5%90%88%E5%A1%BE/dp/479669322X/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1459158224&sr=1-1&keywords=%E5%A4%A7%E5%AD%A6+%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0+%E6%96%87%E7%A7%91%E7%B3%BB

 

『わかる!学問 理科系の最先端―大学ランキング』(角川書店)(2003年)

 

http://www.amazon.co.jp/%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%82%8B-%E5%AD%A6%E5%95%8F-%E7%90%86%E7%A7%91%E7%B3%BB%E3%81%AE%E6%9C%80%E5%85%88%E7%AB%AF%E2%80%95%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0-%E6%B2%B3%E5%90%88%E5%A1%BE/dp/4048838431

 

『わかる!学問 環境・バイオの最前線―大学・研究者ランキング』(角川書店)(2003年)

 

http://www.amazon.co.jp/%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%82%8B-%E5%AD%A6%E5%95%8F-%E7%92%B0%E5%A2%83%E3%83%BB%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%81%AE%E6%9C%80%E5%89%8D%E7%B7%9A%E2%80%95%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E3%83%BB%E7%A0%94%E7%A9%B6%E8%80%85%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0-%E6%B2%B3%E5%90%88%E5%A1%BE/dp/404883844X/ref=sr_1_5?ie=UTF8&qid=1459157839&sr=8-5&keywords=%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%82%8B%EF%BC%81+%E5%A4%A7%E5%AD%A6+%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0

 

などは偏差値ではなく、研究内容や設備の充実度などで大学を評価しているので参考になるかもしれません(ただ、学問・研究のランキングというのはそもそも比較自体が非常に難しく、これらの本は必ずしも専門家が編集しているわけではなく、専門家の方から見れば異論もあるようで、あくまでも「参考程度」に見るべきでしょう)。

 

 

これまでに、

 

 

21世紀COE(Center of Excellence)プログラム

 

https://www.jsps.go.jp/j-21coe/

 

グローバルCOEプログラム

 

https://www.jsps.go.jp/j-globalcoe/

 

スーパーグローバル大学等事業

 

https://www.jsps.go.jp/j-sgu_ggj/index.html

 

科学研究費(科研費)助成事業

 

https://www.jsps.go.jp/j-grantsinaid/

 

といった国・日本学術振興会からの助成の対象になっている研究がどのくらい行われていた/いるのかという点も、その大学の研究の質を見る一つの指標になるかもしれません(このほかにも様々な研究費助成制度があります)。

 

 

 

【「学歴ロンダリング」という揶揄に惑わされるな】

 

 

 

一部の雑誌やインターネット上の議論などで「学歴ロンダリング」という言葉を見かける事があります。これは、受験偏差値が相対的に低い大学から、受験偏差値が相対的に高い大学の大学院に移る事を「マネーロンダリング」になぞらえて揶揄した表現です。この「受験偏差値」は大学学部の偏差値であり、それによって大学の「イメージ」がある程度決められていると考えられますが、大学院入試においてはこの学部の受験偏差値の概念自体をあてはめることができないため、楽をして最終学歴を塗り替えているように見えるのでしょう。確かに、大学院への入学時点でそのような動機の人もいることは否定しませんが、このような捉え方は、現実に大学院で何が行われているのかをよく知らない人が言っていることだと考えた方がよいでしょう。大学院入試に際しても、もちろんそのための「受験勉強」は必要ですし、また、入ってからは常に論文などで研究成果が求められます。欧米の大学院の教育方針を取り入れている大学院では、学部時代とは比べ物にならないくらいの大量の課題文献とレポートに追われる日々が続きます。決して「楽をして」最終学歴を塗り替えている人などいません。雑誌やインターネット上に溢れる情報に惑わされることなく、どんどん優れた大学院を目指して頂きたいと思います(日本では、いまだに高校卒業時点での学校選択が「学歴」と切り離しがたく結びついていますが(日本だけでなく韓国にも似たような現象はありますが、こうした大学受験制度を東アジアにおける「科挙」の歴史と関連付けて捉える人もいるようです)、欧米などでは、より研究・教育レベルの高い大学を目指して、編入学したり、大学院に進学したりすることは一般的であり、寧ろこうした選択は「努力の成果」として好意的に評価されるようです。

 

 

 

 

 

 

大学受験を考える<第2章 進路をどう選ぶのか> (3/8)~「進路=日本の大学」?~

大学進学にあたって「どの土地を選択すべきか」という問題に関して言えば、将来、大学、あるいは就職で地元に留まるか、それとも県外に出るかという選択肢の狭間で悩む人は多くいると思います。では、日本に留まるか、あるいは、海外に出るか、という選択肢の組み合わせを考えてみた事のある人はどのくらいいるでしょうか? 誤解の無いように書いておきますが、私は決して田舎や日本のあり方を否定しているのではありません。決して「田舎vs. 都会」、「日本vs. 海外」という構図を意味するのではありません。世界のあまたある多様性の中の一部に過ぎない、しかし、二つと無い、かけがえの無い土地であるあなたの地元、世界の一部としての自分の出身地という視点をぜひ持って頂きたいと思うのです。「グローバル化」には良い側面、悪い側面があるでしょうが、これはもはや避けることのできないものとして、私たちに否応なしに迫ってきます。しかし、それは「どこか知らない所で起こっていること」ではなく、とりもなおさず、あなた自身の選択の問題として迫ってくるのです。

 

富山県が進める「環日本海交流」の意図を示すものとして、日本列島を逆さにし、日本海を中心として朝鮮半島、ユーラシア大陸の一部(中国、ロシア)が描かれた地図が販売されています。皆さんは、この地図を見て、何を感じられるでしょうか?

 

 

環日本海・東アジア諸国図(通称:逆さ地図)の掲載許可、販売について

 

http://www.pref.toyama.jp/cms_sec/1510/kj00000275.html


日本国内では日本の大学の知名度が高いのは当然ではありますが、海外の大学の研究業績と比べると、旧帝国大学クラスでも、必ずしも常に上位にランキングされているわけではありません。これは日本の高等教育、基礎研究に対する政治のあり方そのものが問われているということであり、高校生の皆さんや教師の方々に直接の責任があるわけではありません(ただ、高校教員の方々には、教育の一環に携わる者として、また、大学に生徒を送るための指導をしている者の責任として、大学を含めた高等教育のあり方について、この問題はぜひ深く考えて頂きたいと思っています)。しかしながら、辛辣な言い方をすれば、「井戸」の中で「良い大学」に受かったと言って喜んでいたとしても、彼もしくは彼女は、案外、世界の大学という「大海」を知らない、ということは、あり得ることです。(日本の研究力という観点からは「残念ながら」と言うべきですが)日本の研究の中枢にいる人々はヨーロッパやアメリカに留学し、Ph.D.(日本の博士号に相当)を取得している人が多くいます(例えば、東京大学の教授のうち、かなりの数の方が欧米の大学でPh.D.を取得しています。ただ、その多くは日本の大学の学部・修士課程で基礎固めをしてから、博士課程で海外に留学する、というパターンです。また、理系の場合は、日本で博士号を取得してから、「ポストドクトラル・フェロー」(通称「ポスドク」)として、海外に留学するパターンが多く見られます。もちろん、私自身は「アメリカ流」の丸呑みを無批判に受け入れるべきであると思っているわけではありません。)。

 

“There are more things in heaven and earth, Horatio, than are dreamt of in your philosophy.”
「ホレイショー、この天地のあいだには、人智の思いも及ばぬことが幾らもあるのだ。」(福田恒存訳)

 

(シェイクスピア『ハムレット』第1幕 第5場)

 

もちろん、経済的理由などから、長期的な留学にためらいを感じる方もいらっしゃるだろうと思います。私自身は長期留学の経験が無いので、あまり有効なアドバイスはできないかもしれませんが、長期休暇を利用したり、1年間のみ休学したりという方法で、海外の大学に短期留学する人は多くいます。私はかつて「たかだか1か月程度の短期留学に意味があるのか?」と考えた事もありましたが、塾などでアルバイトをし、そこで貯めたお金で、例え短期であっても留学をしようという熱意溢れる人々を多く見てきたところ、やはり、異なった文化・環境に積極的に乗り出して行った人の視野の広さには、常に驚嘆させられています。そして、たとえわずかでも、日本とは全く異なる環境、システム、考え方を肌で知った人は、今現在、自分が置かれている状況(例えば、日本のとある場所に住んで、勉強をしているということ)を一段高い次元から、より客観的に見つめられるようになります。私が見てきた例では、留学先は欧米のみならず、シンガポール、インド、ロシアなど多様な選択肢があります。私自身はバングラデシュにある研究所で、3か月間、インターンとして研究の補助業務に携わりましたが、ある程度まとまった期間に発展途上国で暮らし、その社会を自分の目で見たことは非常に有意義な経験でした。

 

 

 

 

大学受験を考える<第2章 進路をどう選ぶのか> (2/8)~「進路=大学進学」?~

進学校にいると、どうしても「進路」と言えば、(日本の)大学(しかも昼間に通う大学)になってしまう気がするかもしれませんが、働きながら夜間大学に通う、通信制大学で受講する、海外の大学に行く、専門学校に行く、農業をやる、自営業をやる、どれも立派な進路だと思います(残念ながら、これは大学生の就職活動にも言えることで、会社や役所などで働くことだけが「就職活動」であるという思い込みが社会に蔓延しており、「就職」ではなく「就社」であると言われることもあります)。

 

もしかしたら、東京大学 経済学研究科の柳川範之先生が書かれた『独学という道もある』(ちくまプリマー新書)に参考となる情報を見出す方がいらっしゃるかもしれません。

 

 

http://www.amazon.co.jp/%E7%8B%AC%E5%AD%A6%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E9%81%93%E3%82%82%E3%81%82%E3%82%8B-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%9E%E3%83%BC%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E6%9F%B3%E5%B7%9D-%E7%AF%84%E4%B9%8B/dp/4480688056

 

 

また、一方で農業は後継者不足が言われて久しく、日本の農業を今後どうすべきかについて、自身の就農も含めて、農業を取り巻く昨今の厳しい状況をどのように改善すべきかについて考えてみる機会があってもよいのではないか思います。もし「○○高校(例えば、旧制中学を母体とした地元の進学校)に入る人はそうした人とは違って、社会を率いるリーダーにならなければならない」という人がいるとしたら(かつては確かに、特に年配の方でそう言う人がいました)、高度経済成長の終焉、そして1980年代後半から1990年代前半にかけてのバブル経済が崩壊して以降、社会構造は既に変化しており、そのような「エリート主義」はもはや歴史的役目を終えている、ということを認識すべきでしょう。今や、超一流大学出身で、超一流企業に勤めていた人が一夜にしてホームレスになり得る時代です。これは決して脅しではなく、2008年の、いわゆる「リーマン・ショック」と世界経済の悪化、転職市場の活発化などを見るに、かつての日本にあった、年功序列・終身雇用制度の中での学歴(その実体は、学士か修士か博士か、という真の意味での学歴ではなく、どこの大学を出たかという「学校歴」でしたが)と生活の安定度の相関は以前と比べて弱くなったのではないでしょうか。もちろん、その負の側面は、私としても憂うべきものと思っています。高度経済成長期においては、一部のエリートが先導して、社会に共有されていた、ある一つの「理想的」な国のあり方を目指して行けばよかったのですが、今や、日本や世界はどこへ向かうべきかという方向性が必ずしも一様に定まらない時代であり、一部のエリートの養成ではなく、個々人が確かな知識に裏打ちされた判断ができるように、社会全体の学力の底上げが必要なのです。船が小さな川にいて、行き先がはっきりしている場合、船頭は一人で十分ですが(「船頭多くして船山に登る」)、大海に放り出されて行き先を見失った船でも、3人の船頭がいたとしたら、じっくり話し合う時間が持てれば、正しい方向へと船を進め、座礁すること無く接岸できるかもしれません(「三人寄れば文殊の知恵」)。

 

 

参考

 

私は以前に、ブログにこんな記事を書きました。

「エリート」なんか大っ嫌いだ!(過去に私のFacebookに掲載した文章からの転載)

http://ameblo.jp/mot82yn/entry-11961976410.html

 

私は専門学校や短期大学には通ったことがありませんので、私が知っている大学というもののメリットを紹介させて頂くならば、「大学で学ぶ」ということは一部のエリートに独占されるものではなく、誰に対してもオープンであり、そして、大学で学んだことは、工夫次第でどんな生かし方もできるはずです。東大や欧米の一流大学の農学部で農芸化学などを学んだ人が、田舎で農業に就いて、先端的な栽培技術を生かすことは素晴らしいことだと思います。大学の経済学部や経営学部で経済や経営のノウハウを学んだ人が、伝統工芸の職人になって、その経営やマーケティングに生かし、社会への普及に貢献することは素晴らしいことだと思います。医学部を卒業して医師になった人が製薬会社でいわゆるサラリーマンやOLとして医薬品開発に携わっていることはあまり知られていないかもしれませんが、有効な新薬開発のためには無くてはならない、素晴らしい仕事だと思います。大学でロシア語を学んだ人が北海道や日本海側の商店街で自営業を行い、仕事でやって来るロシア人と交流を深め、温かいサービスを知ってもらうことは素晴らしいことだと思います。

 

 

「進路=日本の大学に入学すること」そして「卒業後は少しでも待遇の良い会社に就職する」という定式化の根拠を一度、改めて考え直してみるのもよいのではないでしょうか(もちろん、自分を育ててくれた親に老後は良い思いをさせてあげたいがゆえに、待遇の良い会社に就職したいという動機の方もいらっしゃることでしょう。特に、母子家庭・父子家庭、その他何らかの事情を抱えている家庭で育った方は、特に経済的な面で大変なご苦労をなさっており、そうした人の一人が「うちは母子家庭なので、学費を賄うためにがんばってアルバイトをしている。卒業後もなるべくたくさん稼ぎたい」と言っていたのを聞き、大変胸が苦しくなる思いを感じたことがあります。こうした志は、もちろん立派な目標だと思いますし、また、現実の私自身にも突き付けられている課題です)。

 

 

 

 

大学受験を考える<第2章 進路をどう選ぶのか> (1/8)~主体的に自分の進路を選択する~

まず、自分の進路を決めるにあたって、曖昧な選択はしない方が賢明でしょう。では、どこに進むべきでしょうか?私が思うに、「自分が死ぬ時に後悔しない人生を送るために、どこで何を学ぶべきか」を真剣に考えることが大事だと思います。皆さんのご家族や先生からいろいろな進学先を進められるかもしれませんが(もちろん、第1章冒頭で述べたように、それは皆さんのためを思う愛情から来るものですが)、最終的には他人の考えではなく、自分で納得の行く選択をしなければなりません。『臨済録』という禅の典籍に「随処に主となれば、立処皆真なり」という言葉があります。ご家族や先生のアドバイスを真剣に受け止めつつ、しかし、それを鵜呑みにすることなく、繰り返しになりますが、自分が臨終の床に就いて、人生を振り返った時に、「これで良かった」と思える人生にできるかどうか、が選択のポイントになると思うのです。そして、その「良い人生」をなるべく具体的にイメージしてみることです。そのためには(先生方はあまり勧めないかもしれませんが)1年やそこらの浪人もやむを得ない場合もあるでしょう。長い人生から見れば1年や2年の遅れは大したことではありません(これは決して、最初から浪人をすることを計画のうちに入れる事を勧めているわけではありません。現役高校生のうちにできることはきちんとやっておく方が時間やお金を無駄にせずに済む事は言うまでもありません)。


また、ご家庭の経済的事情も考慮する必要がありますが、本当にやりたいことならば、自分で働いて稼ぎながらでもやるべきです。私は最初に通った大学の学部、大学院では寮に住んでいましたが、寮に住む友人の中には、学費は奨学金で賄い、生活費はアルバイトで稼ぎ、親には一切頼らない人を多く見てきました(一般的な奨学金や各大学個別の奨学金に関する情報も、調べておくとよいでしょう。ただし、「奨学金」という名の利子付きローンもメジャーですから、返済に関する条件などには注意が必要です)。もちろん、これは非常に苦しいことです。私も二度目の大学生活では、大学から学費免除を受け、出身県の奨学資金、学生支援機構からの奨学金と、アルバイトでの収入、貯金の取り崩しで生活していましたが、やはりお金のことは常に気になっていました。現在でも奨学金は少しずつ返済中で、息の長い返済が求められます。

大学受験を考える<第1章 序章~私の選択> (4/4)~再度大学に入って学んだこと~

その後、T大学 経済学部では開発経済学、また、その理論的支柱となっている経済学理論、統計学などを学び、中学や高校の社会科の教科書のように、単に図表やグラフで語るのではなく、また、アド・ホックな状況分析ではなく、数学的に精緻な議論によって、統一的な理論の下に社会問題を解析することの威力を知りました(実は、経済学というのは、人々がどのように限られた制約条件の中で選択を行うのか、を科学する学問であり、社会科学に解析力学を中心とした物理学の分析手法を取り込んだものです。また、近年の開発経済学は統計による実証分析が欠かせない分野になっています)。

 

しかし、私の興味の中心は、あくまでも途上国における、人々の「命」の問題でした。栄養・衛生・保健などが私の主要な関心事であること、また、統計学の手法を用いることによって、説得的な議論が展開できると思い、国際保健学という分野、中でも、特に、定量分析を重視する研究室で学びたいと思いました(社会科学の研究のスタイルを大きく分けると、統計的手法を用いて数字を重視する定量分析(quantitative analysis)と、ケーススタディなどを重視する定性分析(qualitative analysis)とがあります)。同じT大学の国際保健学専攻という大学院にそのような研究室あることを知り、そこの博士後期課程に進学することにしました。ここでは、統計学や経済学の知識もさることながら、結核・マラリア・HIVといった病気に関わる知識を勉強する際には、私が当初学んだ、基礎医学(「医学の基礎」という意味ではなく、医学的応用の前提となる生物学研究)や生物化学の知識が大いに役立ちました。つまり、基礎医学・生物化学という柱と、経済学・統計学という柱の両方に支えられて国際保健学があり、いわば、私にとって、この博士後期課程は、これまで学んだことの集大成の時期でもあると考えています。また、国連などの国際機関などで世界を動かすだけの力のある職に就こうと思うと、博士号を持っていることが要求される時代になっているのも、私が博士後期課程に進学した理由でもあります。

 

 

 

 

 

 

 

大学受験を考える<第1章 序章~私の選択> (3/4)~社会人になってからの違和感~

私が就職したバイオ関連の専門商社では、自分の専門知識を生かすことができ、その会社は決して悪くはありませんでしたが、実際に社会人として働いてみると、やはり、「会社」である以上、資本主義の土台の上に乗らなければならず、競争に勝ち抜き、利潤を追求することは当然の目標となります。そしてまた、バイオ関連産業は先進国にしか恩恵をもたらさないのではないか、と思うようになり、私は次第にそのあり方に疑問を感じるようになってきました。確かに、昨今話題になっているiPS細胞など、最先端の基礎医学は今後の臨床応用に大いに期待されています。しかしながら、世界の人口の多数は、今なお、貧困と飢餓に苦しめられています。先進国ならば簡単に抗生物質が手に入るため、問題にならないような感染症は、途上国においては、今なお多くの人を苦しめています。科学の進歩は人類にとって必要なものですが、所得配分が著しく不平等なこの世界の現状は、はたして我々にとって許容できる世界なのでしょうか?(ただし、実は、途上国には単純に「物が無い」のではなく、国連、先進国の援助機関、NGOなどから様々なものが提供されているのですが、その分配がうまくいっていない、という面があるのです。)


また、少し異なった視点からは、ちょうど私が就職したころに、イラク戦争が始まり、「このままいくと、世の中がどんどん間違った方向に進んでしまう」と感じ、自分に何かできるわけではないと分かりつつも、「間違った」方向にいかないよう、ささやかな貢献をしたい、とも思ったのでした。


思い返せば、高校生の頃感じていた、発展途上国などで国際的に貢献したいという思いは、心の片隅で、燻り続けていたことに気が付きました。やはり、国際貢献できる仕事に就こう、と改めて思いました。しかし、何も知識・技能が無いのに、いきなり現場に赴いても役立たずであり、むしろ、現場の足を引っ張るだけの存在になってしまいます(青年海外協力隊の募集要項を見たところ、非常に高度な技術を持っていることを要求される職種が多く、協力隊への応募を諦めたことがあります)。ならば、発展途上国の開発にあたって必要な知識を学び直そうと思い、偶然にもT大学 経済学部には開発経済学を学ぶゼミ(研究グループのようなものです)があることを知り、また、学士編入学試験(4年制大学を卒業すると「学士」になります。この「学士」の称号を持っている人が3年次に編入学するための試験です。ちなみに、私の場合は、先に述べたように、その上の「修士」も取得しています。)で課せられる受験科目は論文(2題)とTOEFL、及び出身大学の成績評定のみであることから、T大学 経済学部 経済学科の学士編入学の入学試験を受験することを決意しました。2008年の春、幸いにも合格することができ、5年間勤めた会社を辞して、大学に入学致しました。


参考

TOEFL

https://www.ets.org/jp/toefl

アメリカのETSという組織が作成する、英語の試験です。読む、聞く、話す、書く、と総合的な英語の力が問われます。


高校生であれば、受験に向けて周りの皆が(良きにつけ、悪しきしつけ)応援してくれますが、私の場合、会社に勤めており、そこにいつづけることが当然であり、会社を辞めて大学に入るということは、残念ながら現在の日本社会では「アブノーマル」なことと考えられる傾向がありますので、ごく一部の人以外には誰にも口外せず、いわば「隠れて」勉強しなければならなかったのは非常につらく感じました。欧米や一部のアジアの国々では一度社会に出て働いてから、向学心に駆られ、または仕事上の必要性から、もう一度大学に入り直すことは一般的です(これには、欧米では正規雇用と非正規雇用との間の賃金格差が小さいこと、また、学費が安いことなども関係しています)。「生涯学習」と言われて久しいのですから、日本もそのように「学び直し」のしやすい社会になってほしいものです。私は、高校3年生の時に受験したセンター試験最初の英語の試験の時に(当時は英語が最初の科目でした)、「この結果次第で自分の人生が決まるのか」と思うと、終始緊張して、心臓が激しく鼓動し続けていた事を覚えています。二次試験の時は前の席に座っていた学生が試験中にもやたらと溜め息をついていたのを思い出します(結局、彼を大学で見かけることはありませんでした)。やはり、現在の日本のように、18歳そこそこの高校生に、卒業後の進路次第で人生に決定的影響を及ぼすような選択をさせるのは、誠に酷な事だと言わざるを得ません。


さて、いざ、再度大学に入ってみると、当初、夢と希望に満ち溢れてT大学に入り直したはずでしたが、周囲の学生を見るにつけ、若く、前途洋々としているように感じられ、現役でストレートに入学した人と私は9歳離れていますから、取り残されたような気がして、非常に不安を感じることもありました。なぜ、高校生の時に自分が進むべき道についてきちんと考えなかったのだろう、と後悔することもあり、こうして現役高校生・大学受験生の皆さんに、いわば「反面教師」としてお伝えしたいことがあり、筆を取っているわけです。今から思えば、私は高校生の頃は、成績が思うように振るわず、また、友人との摩擦から自分に自信を無くし、自分を見失っていた時期でした。そうした中で、先生に勧められるがままに進路を決めてしまったように思います。ただ、この遠回りした経験が今後に生きるのか、それとも全く無駄なものに過ぎなかったのかは、分かりません(後に述べるように、それこそ自分が臨終の床に就く時でないと評価できないでしょう)。

大学受験を考える<第1章 序章~私の選択> (2/4)~大学での学びの面白さと心の中の燻り~

私は高校生の頃、当初は、医師になり、発展途上国での医療支援活動に携わることを目指していましたが、学力面(自己弁護をしておけば、高校時代は決して遊びほうけていたわけではなく、勉強の仕方がよく分かっていなかったのでしょう)、及び自分の適性(例えば、対人コミュニケーション能力)などを考えた上で、その道は断念し、担任の先生に勧められたこともあり、医学知識をふまえた生命科学研究者になるべく、T大学 医学部 生命科学科に(なんとなく)進学致しました(私はこの時の体験を、平成9年に出身高校の合格体験記に寄稿致しました。その中で「もし、どうしても自分に向いていないと思えば、安易な気持ちかもしれないが、他の大学を受験し直しても構わない位に思っている。」と書きましたが、まさか11年を経てそれが現実になろうとは、私自身驚きました)。

 

私は元々、半ば偶然の選択によって「生命科学」と呼ばれる最先端の生物学を勉強することになったわけですが、大学では意外にもその面白さに惹かれ、T大学4年生の時の卒業研究ではアフリカツメガエルの卵母細胞を用いて、細胞周期に関わると考えられている新規タンパク質の解析を行いました。細胞周期の制御メカニズムに関する研究は、細胞のがん化のしくみを探る上でも重要なものです。

 

 

しかしながら、大学で勉強するにつれ、自分がやりたいと思う研究(もう少し生物物理化学的な研究を志向していました)は、T大学ではできない、と思うようになり、北海道から沖縄まで、国公立大学の各研究室のホームページを参照し(私立大学は経済的理由から割愛しました)、H県立 H大学大学院 理学研究科 生命科学専攻(現在は、合併・改組により、H県立大学大学院 生命理学研究科)の博士前期(修士)課程に進学致しました(後で述べますが、大学の研究室のことを知るには、各研究室のホームページが最も情報が充実していると思われます)。

 

 

修士課程では大腸菌の遺伝子を組み替えてヒトの酵素を産生させ、他のタンパク質との相互作用やリン酸化によって、酵素の酸化還元状態がどのように制御されているのか、という研究を行いました。酵素の反応制御機構が解明できれば、その酵素をターゲットとした医薬品の開発にも繋がります。

 

 

このように、当初、私が勉強した分野は、いわゆる直接の「国際協力」とはおよそ関係の無さそうな分野でした。確かに、生命科学の面白さにどっぷりと浸かり、この道で生きていこうと思っていた一方、『細胞の分子生物学』という、この分野では世界的スタンダードになっている教科書の第3版では、「がん」の章において、次のような事柄が述べられていたことが印象に残っています。「我々がなぜ、ここでがんに注目するのかと言えば、がんは細胞の基本的メカニズムを乱す、生物学的に興味深い現象だからである。しかし、世界的には感染症などの保健問題の方が深刻である。」

 

 

国際協力についても何かまだ心に引っかかっている。生命科学も面白い。しかしながら、実際に大学・大学院で研究生活を体験してみると、一生、毎日、休日も返上で朝から夜遅くまで研究室で実験を行い、来る日も来る日も英語の論文を読み書きし、寝ても覚めても研究のことばかり考えなければならない(特に私が師事していた先生がそのような方でしたし、全国の大学の理系の研究室では日常茶飯事です)、という人生は窮屈に感じられ、自分には向いていないと思い、また、ビジネスにも興味があったため、博士後期課程には進学せず、東京にあるバイオ関連の試薬・機械を扱う専門商社に就職致しました。