【mixi過去記事】DJ OZMA 紅白問題
2007年01月20日23:30
政府の教育再生会議で、去年大みそかのNHK紅白歌合戦でDJ OZMAと共演した女性ダンサーが裸に見えるボディースーツ姿で踊った事が大問題になっているらしい。
私自身はその放送を見ていないので細かいことは言えないかもしれないが、「とんでもない」「ショックだ」などの意見は、やや感情的に過ぎるように思う。実際に裸だったわけではなく、「裸に見える」だけのことであるのももちろんその理由だが、なぜ、「性」のこととなると多くの人は強く反発するのだろう?
私が以前に読んだ本にこんなことが書いてあった。「一方で暴力シーンがこれでもかと溢れかえっており、その事はそれほどの反発を受けないのに、性のこととなると多くの人がヒステリックなまでに反発する」まさに「一切顛倒夢想」ではないだろうか。人間の体は本来美しいものである(そもそも、「美しい」とか「美しくない」とか言うこと自体が何の意味も無いのかもしれないが、『ミロのヴィーナス』をいやらしいと言う人はまずいないだろう)。それを「いやらしいもの」「隠すべきもの」とするのは一体どのような根拠からだろう?大人がそのように子どもに教え、そして子どもは人間のありのままの姿をタブーとするようになり、そしてまた、その子どもに,,,、と連鎖してゆく。暴力シーンは何とも無いのに、性描写は「教育上よろしくない」などと言って、それどころか、やや踏み込んだ内容の性教育まで「セックス教育だ」などと言ってヒステリックなまでに騒ぎ、すぐさま性犯罪に結び付くかのような言説は、はっきり言って子どもを馬鹿にしているようにも思える。その結果、子どもたちは正しい性情報を得られず、いろいろと問題が起きる。その一方でアダルト情報の市場たるや計り知れない大きさだろう。もちろん、あまり小さな子どもに興味本位で捉えられた性情報を見せるのは決して好ましいことではないが、大人側の二重基準と思われても仕方があるまい。
かつて日本においても、女性はあまり肌を見せてはならないとされていたが、今や女子高生はわざわざ制服のスカートを折って短くするらしい。別の国では女性は夫以外の男性の目に触れる所ではベールをかぶっていなければならない。かと思えば、ほとんど裸同然で暮らす人々もいる。「いやらしい」とか「いやらしくない」とかは文化や歴史的背景などによっても左右される。
「性情報、人間の裸は隠すもの、そして陰で楽しむもの」という不条理があるように私には思える。「寝た子を起こすな」という表現があるが、寝た子は起こさなくてもひとりでに起きる。それを起きていないかのように見て、「起こすな、起こすな」というのは大人の側の幻想でしかない。
これを読まれている方々の中にはいろいろなご意見があろうかと思う。私自身、決して無節操に性情報を流しても良いと言いたいのではない。本当に子どもの成長にとって良い事、悪い事とは何だろう、ということを、一旦、「常識」を置いておいて、再考してみる必要があるのではないのだろうか。
私自身はその放送を見ていないので細かいことは言えないかもしれないが、「とんでもない」「ショックだ」などの意見は、やや感情的に過ぎるように思う。実際に裸だったわけではなく、「裸に見える」だけのことであるのももちろんその理由だが、なぜ、「性」のこととなると多くの人は強く反発するのだろう?
私が以前に読んだ本にこんなことが書いてあった。「一方で暴力シーンがこれでもかと溢れかえっており、その事はそれほどの反発を受けないのに、性のこととなると多くの人がヒステリックなまでに反発する」まさに「一切顛倒夢想」ではないだろうか。人間の体は本来美しいものである(そもそも、「美しい」とか「美しくない」とか言うこと自体が何の意味も無いのかもしれないが、『ミロのヴィーナス』をいやらしいと言う人はまずいないだろう)。それを「いやらしいもの」「隠すべきもの」とするのは一体どのような根拠からだろう?大人がそのように子どもに教え、そして子どもは人間のありのままの姿をタブーとするようになり、そしてまた、その子どもに,,,、と連鎖してゆく。暴力シーンは何とも無いのに、性描写は「教育上よろしくない」などと言って、それどころか、やや踏み込んだ内容の性教育まで「セックス教育だ」などと言ってヒステリックなまでに騒ぎ、すぐさま性犯罪に結び付くかのような言説は、はっきり言って子どもを馬鹿にしているようにも思える。その結果、子どもたちは正しい性情報を得られず、いろいろと問題が起きる。その一方でアダルト情報の市場たるや計り知れない大きさだろう。もちろん、あまり小さな子どもに興味本位で捉えられた性情報を見せるのは決して好ましいことではないが、大人側の二重基準と思われても仕方があるまい。
かつて日本においても、女性はあまり肌を見せてはならないとされていたが、今や女子高生はわざわざ制服のスカートを折って短くするらしい。別の国では女性は夫以外の男性の目に触れる所ではベールをかぶっていなければならない。かと思えば、ほとんど裸同然で暮らす人々もいる。「いやらしい」とか「いやらしくない」とかは文化や歴史的背景などによっても左右される。
「性情報、人間の裸は隠すもの、そして陰で楽しむもの」という不条理があるように私には思える。「寝た子を起こすな」という表現があるが、寝た子は起こさなくてもひとりでに起きる。それを起きていないかのように見て、「起こすな、起こすな」というのは大人の側の幻想でしかない。
これを読まれている方々の中にはいろいろなご意見があろうかと思う。私自身、決して無節操に性情報を流しても良いと言いたいのではない。本当に子どもの成長にとって良い事、悪い事とは何だろう、ということを、一旦、「常識」を置いておいて、再考してみる必要があるのではないのだろうか。
【mixi過去記事】吉祥寺坐禅会
2007年01月20日13:48
昨日は思いのほか仕事が早く終わったので、久しぶりに本駒込にある吉祥寺の坐禅会に出かけた。
ここの坐禅会では、福井県小浜市の発心寺から原田雪渓老師が指導に来られ、独参があるのだが、この坐禅会にはまだ参加して間もないので、今回はちょっと遠慮しておくことにした。最後の提唱で「ぜひ時間を見つけて独参に来て欲しい」と仰っていたので、次回は「お言葉に甘えて」独参してみたいと思う。とは言ってもまだまだ未熟な身なので、とても「真剣勝負」という感じにはならないだろうけれど...。
昨晩は非常に寒く感じられ、3炷目は背筋にじわじわと寒さが広がってきた。眠気は全く感じなかったが、雑念が多く、意識がぼんやりしてくるとサマーディになっているようで、なっていないようで...。いいんだか悪いんだか、何だかよく分からん。おまけに最後に結跏趺坐を解くと足がつってしまい、単から下りる時に思わず牀縁にお尻をついてしまった(罰当たり(>_<))
帰り道、ベテランのTさんは、ずいぶんと熱っぽく語ってくれた。「この間、知り合いのお見舞いに行ったらチューブにつながれて、ここが痛い、あそこが痛い、と。私は意識しなくても足が自然に前に出る。足を意識して、初めてそれが認識できる。何も思わなくても足が前に出て歩いて行ける。すごいことだ。」というような主旨の事を仰っていたように思う。また、「あなた方、若い方には真剣に取り組んでもらいたい。原田老師が亡くなったら法が絶えてしまうんだよ。これを次の世代に伝える責任が君らにはある。いくら頑張ったところで、もうすぐ逝ってしまうじっちゃんからの願いだ!」と。自分が参禅していることは単なる自己満足ではないのか?と思っているところに、思いがけない、有り難い、また、身の引き締まる言葉だった。
その後、いつもの、Sさん、Tさん、Gさんと、あと数人の御婦人方と一緒にラーメン屋に寄った。ごま油とたれで香り付けされ、ねぎと刻み海苔をたっぷり載せた「ねぎ飯」がなかなかおいしかった。
ここの坐禅会では、福井県小浜市の発心寺から原田雪渓老師が指導に来られ、独参があるのだが、この坐禅会にはまだ参加して間もないので、今回はちょっと遠慮しておくことにした。最後の提唱で「ぜひ時間を見つけて独参に来て欲しい」と仰っていたので、次回は「お言葉に甘えて」独参してみたいと思う。とは言ってもまだまだ未熟な身なので、とても「真剣勝負」という感じにはならないだろうけれど...。
昨晩は非常に寒く感じられ、3炷目は背筋にじわじわと寒さが広がってきた。眠気は全く感じなかったが、雑念が多く、意識がぼんやりしてくるとサマーディになっているようで、なっていないようで...。いいんだか悪いんだか、何だかよく分からん。おまけに最後に結跏趺坐を解くと足がつってしまい、単から下りる時に思わず牀縁にお尻をついてしまった(罰当たり(>_<))
帰り道、ベテランのTさんは、ずいぶんと熱っぽく語ってくれた。「この間、知り合いのお見舞いに行ったらチューブにつながれて、ここが痛い、あそこが痛い、と。私は意識しなくても足が自然に前に出る。足を意識して、初めてそれが認識できる。何も思わなくても足が前に出て歩いて行ける。すごいことだ。」というような主旨の事を仰っていたように思う。また、「あなた方、若い方には真剣に取り組んでもらいたい。原田老師が亡くなったら法が絶えてしまうんだよ。これを次の世代に伝える責任が君らにはある。いくら頑張ったところで、もうすぐ逝ってしまうじっちゃんからの願いだ!」と。自分が参禅していることは単なる自己満足ではないのか?と思っているところに、思いがけない、有り難い、また、身の引き締まる言葉だった。
その後、いつもの、Sさん、Tさん、Gさんと、あと数人の御婦人方と一緒にラーメン屋に寄った。ごま油とたれで香り付けされ、ねぎと刻み海苔をたっぷり載せた「ねぎ飯」がなかなかおいしかった。
【mixi過去記事】夜の散歩
2007年01月13日22:05
せっかくmixiにも参加したわけだし、これから、思ったことを、ぼちぼち書いていきたいと思います。
そうだ、お金をおろさなくっちゃ、と外に出た。お金をおろすついでに、図書館にでも行ってCDを借りようかと思った。正月に帰省した時にNHK-FMでふと耳にしたヴォーン=ウイリアムズの交響曲第5番が忘れられず(そのうち「おすすめレビュー」にでも書きたいと思います)、そのCDがあればいいな、などと考えながら北千住の街を歩いた。
特にこれといって何かが変わっているわけではない。何かがそこにあるわけでもなく、何かが抜け落ちているわけでもなく...。伊達なコートに帽子をかぶったおじいさん、日焼けサロンで焼いたであろうお兄ちゃん、主婦らしき中年女性は冷たい北風の中、自転車をこいで行く。
今日が土曜日だからというのもあるかもしれないが(僕は土曜日の夕方から夜にかけての、この空気が好きだ)、全てが妙に美しい。過ぎ去ってゆく人々、流れてゆく景色、活気と静けさと、洒落っ気と猥雑さと...。ただ、全てはそこにあるだけなのに、そのままで、なぜだか美しい。
図書館に着く頃、空を見上げると、すっかり辺りは闇に包まれていたが、空は晴れており、白い雲が、昼間と同じように透明なまま浮かんでいた。
図書館には結局お目当ての曲の入ったCDは無く、ペルトの「鏡の中の鏡」なども思い出したが、それも無く、以前借りたことのあるバロック・オペラでも借りようかと思ったが、結局何も借りずに隣の雑誌コーナーで雑誌を読んでいた。自分では分かっているはずなのだが、それが思いのほか時間をくってしまった。
外に出てみると、来るときは全然寒く感じなかったのに、意表を突かれる寒さに思わず体を縮こまらせた。
そうだ、お金をおろさなくっちゃ、と外に出た。お金をおろすついでに、図書館にでも行ってCDを借りようかと思った。正月に帰省した時にNHK-FMでふと耳にしたヴォーン=ウイリアムズの交響曲第5番が忘れられず(そのうち「おすすめレビュー」にでも書きたいと思います)、そのCDがあればいいな、などと考えながら北千住の街を歩いた。
特にこれといって何かが変わっているわけではない。何かがそこにあるわけでもなく、何かが抜け落ちているわけでもなく...。伊達なコートに帽子をかぶったおじいさん、日焼けサロンで焼いたであろうお兄ちゃん、主婦らしき中年女性は冷たい北風の中、自転車をこいで行く。
今日が土曜日だからというのもあるかもしれないが(僕は土曜日の夕方から夜にかけての、この空気が好きだ)、全てが妙に美しい。過ぎ去ってゆく人々、流れてゆく景色、活気と静けさと、洒落っ気と猥雑さと...。ただ、全てはそこにあるだけなのに、そのままで、なぜだか美しい。
図書館に着く頃、空を見上げると、すっかり辺りは闇に包まれていたが、空は晴れており、白い雲が、昼間と同じように透明なまま浮かんでいた。
図書館には結局お目当ての曲の入ったCDは無く、ペルトの「鏡の中の鏡」なども思い出したが、それも無く、以前借りたことのあるバロック・オペラでも借りようかと思ったが、結局何も借りずに隣の雑誌コーナーで雑誌を読んでいた。自分では分かっているはずなのだが、それが思いのほか時間をくってしまった。
外に出てみると、来るときは全然寒く感じなかったのに、意表を突かれる寒さに思わず体を縮こまらせた。