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【mixi過去記事】適度な焦りと適度な自信

2010年06月16日00:22


<エピソード 1>
私の知っているある優秀な後輩(学部4年生)は、いつも大学の図書館の、ほぼ決まった場所で勉強している。先日もそこで彼に会った。彼は学部生があまり取っていない大学院生向けの講義を取り、一生懸命に勉強していた。近い将来、留学もするらしい。「勉強大変じゃない?」と聞くと、「大変だけど、なんとかこなせてる。」という答えが返ってきた。

自分のことを振り返ってみる。まあ、自分に効率的に勉強をやれるだけの才能が無いことは分かっているのだが、今は授業のrequired reading、宿題、研究のための知識収集とプランを立てて指導教員に報告、MPJユースの活動、アルバイト、と、何でこんなに毎日余裕が無いんだろう、と思いながら暮らしている。適当に手を抜いている所もあるが、宿題などはまあまあやれているし、とりあえずこなせるだけのことはこなしている。「大変だけど、なんとかこなせてる」状態。


<エピソード 2>
自分は英語が苦手だと思っている。特に帰国子女が喋っているのを聞くたびに、自分の英語力の無さが厭になってくる。

先日、私が所属する専攻の合宿があり、英語での研究発表と討論があった。実験系の研究室と社会医学系の研究室が混在している専攻であり、実験系の研究室はタンパク質の話やら、遺伝子の話などをしていた。久しぶりにバイオの世界に舞い戻ってエキサイトしてしまった私は、自分の英語力など顧みることなくバンバン質問してしまった。ある研究に関して質問したところ、発表者が、”Fantastic question!” と返してくれた。

後で他の研究室のインドネシア人留学生がこう言った。「お前はフィリピン人っぽい英語を話すから、フィリピン人かと思ったよw」いや、私は至って日本人的英語を喋っているつもりですがあせあせ また、その研究室の日本人学生は私のことを勝手に「シンガポール人」とか「中国人」とか思っていたらしく、「やっぱり日本人以外のアジア人は英語がうまいなぁ」などと思っていたそうだ。自分の英語、そんなに悪くないのかも。


<感想>
「大変だと感じるということは自分はダメな人間だからだ。」と考えるのと「ギリギリだけど、自分、何とかやれてるじゃん!」と思うのとでは心にかかる負担が異なってくる。もちろん、優秀な人(特に後輩たち)を見るたびに自分の努力不足を痛感させられることは確か(でも、時々、「この人はいつ寝てるんだ?というより、この人は1日が48時間じゃないとこんな生活できないだろ!?」と思う人もいる)。適度に焦りつつ、「何とかやれてる」自分に自信を持って、日々、努力を重ねていこうと思った。

【mixi過去記事】「頭いいですね!」

2010年05月22日02:13


今日、寮で隣人に出会い、「ご近所付き合い」と思って少し話しかけてみた。

「どちらの学科でしたっけ?」彼は理学部の物理学科だった。理学部物理学科と言えば、秀才揃いの難関学科。僕は思わず「頭いいですね!物理できる人って尊敬しますよ。」と言ってしまったのだが、よくよく考えると、その裏には自分自身が物理が苦手だったから、コンプレックスみたいなものがあるのだと気が付いた。彼は「まあ、でも物理も慣れれば......。」と口数が少なく、物静かだった。(彼は若干人見知りするような性格もあるように感じることがあるから、もしかしたらそのせいかもしれないが)よくよく考えたら「頭いいですね」という言葉は相手の事を褒めているようで、褒められた当人にしてみれば別に何の得も無い。「頭いいですね」という言葉は、実は「お前は頭が良くていいなぁ。出来の悪い俺の気持ちも分かってくれよ」という気持ちの発露なんじゃないかと思った。もちろん理系の物理学科は授業、実習、演習と朝から晩まで忙しい。

大学で、凄いなぁと思う学生を実際に見たり、ブログやmixiなどの書き込みを見てみると、陰で物凄い努力をしていることが分かる。決してそれは「他人に勝とう」とかいう打算的なものではなく、学ぶことを通してストイックに真理を追い求める姿。「頭いいですね」という言葉は、もしかしたら言われた側からすると「俺の努力を見ずに,たったその一言で自分のコンプレックスを『この人は頭がいい』ということにして責任転嫁をするのかよw」という気持ちになるかもしれない。

何気ない自分の一言を振り返って、少し反省した。

【mixi過去記事】巣鴨~新生活の喜びと憂い~

2010年04月30日08:13


4月になり、大学院にも無事に入ることができ、西巣鴨にある寮での新生活が始まった。寮に入るに当たっては、確定申告の手続きなど、これまで父がやっていたことを突然、母がやらなければならなくなってしまったため、母には無理を言って迷惑をかけたと思う。

巣鴨。驚くほどのバイタリティに溢れた町。地方の商店街ならばこうはいかないだろう。地方の人ならば、今は寧ろスーパーマーケットや大型ショッピングセンターに行ってしまい、商店街には人は集まらない。思うに、地方は人口が少ないため、人々が「他人もどうせ商店街に行かず、ショッピングセンターに行く」と合理的に予想した時、その予想は自己成就しやすい。商店街に行ってもきっと客が来ないから、何もないだろう、と。そして商店街は疲弊する。しかし東京は人口が多く、母集団の分散もそれだけ大きくなるだろうから、「まあ、ちょっくら商店街にでも行ってみるか」と、ささやかな期待を胸に、巣鴨へと赴くのだろう(もちろん、巣鴨は単なる商店街ではなく、観光地という特殊性も持っているのだが)。その結果、巣鴨は賑わう。こんな所にも、「期待の自己成就型調整ゲーム」が見て取れる。

調子が悪かったため、しばらく乗っていなかった自転車を直してもらおうと、商店街の自転車屋さんに持って行った。私は修理には3000円くらいはかかるだろうと思っていた(ずいぶん昔に自転車修理をやってもらった時、それくらいだった)が、「壊れてるベルの交換も合わせて、2000円ちょうどでいいや」と店の主人から言われた時、思わず「おっ、サービスがいいですねぇ。」と答えた。その後、ちょっと得した気分になってニヤけてしまった。「消費者余剰」を実感した瞬間だった。

巣鴨の活気は新生活の喜びとなった。しかし、すぐに、そればかりでもないことが分かった。

先日、私が住んでいる寮で、連絡会議の後、新入生の歓迎会があった。「コモン」と呼ばれる同じブロックの人々はほとんどが理系だが、多様な人々が集まっていた。実家で作っている蒲郡みかんを薦める人、千葉の田んぼの復活に取り組む人、真摯に学問を学んで、自分の興味を探求すべく、薬学部に進学した人、などなど。薬学系研究科のある大学院生は、数学にも興味があり、数理科学研究科や経済学研究科も受験したそうだ。結局、学部の時と同じ研究室の大学院にそのまま上がることになったようだが、英語で言うところの”versatile”な人とは、まさに彼のような人を言うのだろう。

私が現在所属している大学院は、日本人は寧ろ少数派なくらいで、留学生が多く、世界各地から学生を引き付けるだけの魅力を持っているのだろう。欧米式の教育方針のようで、講義の前に読まなければならない文献や宿題がやたらと多い。英語の文章を長くよんでいると、すぐに集中力が切れてしまい、結局はかどらない。自分はやはり勉強の基礎的能力を欠いているのだろうか、と、先程の寮の優秀な仲間たちを思い出しつつ、また、経験豊かな研究室の先輩たちを思い出しつつ、自己嫌悪に陥ってしまう。以前、インターネットのQ&Aサイトに書き込まれていた「多くの人は自分の能力を過大評価しがちなのです」という言葉が、自分のことを批判されているようで、いつまでも心に引っ掛かって取れない。いや、そんなことは無い、と私の心は必死に抵抗しようとするのだが。

学部生の頃は、そして、今、寮の若い学生を見ると、自分が無駄な遠回りをして来ているようで、そして能力が無いから遠回りをせざるを得なかったのだと考えると情けなくなる。いや、遠回りしているだけでなく、周囲の学生たちに追い付けてすらいない。一方、大学院の研究室では、明らかに経験の少ない自分が情けなくなる(周囲の学生たちは、青年海外協力隊を経験し、海外留学をし、国際機関や開発コンサルタントなどで働いてきた経験を持っている)。二つの「社会」に二重に所属している自分は、二つの分裂した価値観の中で右往左往する。大学の図書館は毎日、22:30の閉館まで、学生たちでごった返している。自分ならば早く帰って自由な時間を過ごしたいと思う所だが、(もちろん勉強している人にはそれぞれの事情があるのだろうが)、彼らの努力を見ていると、自分の人格の至らなさに、また情けなくなる。世の中には学生よりも社会人を崇める風潮があるが、社会人をやっている時の方が、ずっと気が楽だった。仕事は仕事、プライベートはプライベートではっきりと切り分けられていたのだから。

某ファミレスでコーヒーをすすりながら課題の文献を読む。なぜか心には漠とした不安が飛蚊症のようにまとわり付いて離れない。自分は一体何のために生きているんだ?という問いが、また頭をもたげる。また死にたくなる波が押し寄せてきた。しかし、父があんな状態で、母も看病に疲れているだろうし、自分が今ここで死んだら、きっと家族はそれこそめちゃくちゃになってしまう。弟はきっと「この大変な時に死ぬダラ(注:富山弁で「馬鹿」「阿呆」のこと)がおるか!」と怒り狂って、私の棺桶を蹴り飛ばすだろう。ああ、生きることも死ぬことも許されない。

不思議なことに、自分が高校生の頃思い描いていた「寮生活」は、地元から離れたすがすがしい新天地で、今の寮のように、建物の外側に階段があり、隣人とごく自然な挨拶を交わす、というものだった。もしかしたら、この場所こそが、自分が13年をかけて、やっと辿り着いた「いるべき場所」なのかもしれない、と、ふと思った。私は19歳ではなく、32歳になってしまっていた。しかし、今までの人生が「無駄」だったかと言うと、決してそうだとは思っていない部分もある。先日、ミレニアム・プロミス・ジャパンのユースチームの会合に参加した際、工学部の化学生命工学科から公共政策大学院に進んだ方とお話をする機会があった。似たような人生の方向転換を経験している者同士、互いに共感し合った。しかし、その時思ったのだが、彼の卒業研究を聞き、また、私の修士の時の研究についてなど、熱く語り合い、やはり私はバイオが好きなんだな、と改めて思った。今、国際保健学を勉強して、非常に面白く感じている。そこでは経済学の知見も生かされながら、現実の保健問題をどのように解決してゆくか、という問題に取り組んでおり、もちろん、私がこれまで学んできた生物学・基礎医学的知識と社会科学とが結び付いている。私が経済学を学んだ時には、ある種の「気持ち悪さ」を感じたのだが、国際保健学に関しては、あまりそれを感じない。バイオでもそれを感じなかった。おそらく、それは、国際保健学やバイオでは、あくまでも現実を観察して、そこから帰納的に論理を引き出すのに対して、経済学はあまりに高度に数学的手法が発達してしまったために、(少なくとも一部は)数式から演繹的に結論を導き出す、という通常の科学の論法とは逆のルートができているためではないか、と思った。たとえ、計量経済学による実証という事後的「審判」があるとしても、それは理論成立の後で行われるものである。経済学の側からすれば、国際保健学やバイオはあまりに泥臭く、洗練されていない分野なのかもしれない。確かに、社会科学ゆえに、実験ができないといった制約から、計量経済学が高度に洗練された手法を開発してきたことは、もっと他の研究分野でも生かされるべきだろう。ミレニアム・プロミス・ジャパンのユースチームの代表をされている方は、そうした異なる分野の学生を集めて、敢えて意見が合わない人同士、議論してほしいと考えているようだが、現実の問題の解決のためには、一流の学者同士でもそういった異分野との議論が大切なのではないだろうか。


新生活は意外に悩みの多いものになった。とりあえず今は前に進むしかない。以前、自分の日記に書いた、旧JBICの方の話を読み返してみた。
「何かを結果として残すのも大事だが、何かのために頑張ること自体も大事ではないか。ヘレン・ケラーは偉人と称えられる。しかし、健常者が同じ事をしても称えられるだろうか?人々は彼女の『努力』そのものを見て称えている、ということではないか?君が世界のために役立ちたいという気持ちをもっているならば、それで結構ではないか。能力が低いと思うなら頑張りなさい、人よりも一生懸命勉強するという貴重な機会を与えられたことを喜びなさい。そのこと自体が、単なる経験というレベルではなく、君にとってかけがえの無い価値そのものになるはずだから。」

前へ、前へ。

【mixi過去記事】卒業式

2010年03月27日14:28


先日、大学の卒業式があった。あいにくの雨。卒業生たちよりも、記念写真を撮る写真屋さんや、その他のスタッフの方々の方が骨が折れるだろう。

卒業式はオーケストラの「王宮の花火の音楽」の「序曲」で幕を開けた。管楽器に比べてアンバランスなまでに少ない弦楽器の編成(おそらく、安田講堂のピットが小さいせいだろう)。ヴィブラートを抑え気味にし、過度に粘着質になることなく、ドライな弾きぶり。かといって、古楽器演奏のように、独特の付点リズムで弾むような軽さを出すわけでもない。個人的な感想だが、まるで1930年代のSP録音を聴いているような「古き佳き時代」の香りを感じた。

総長は式辞でしきりに「多様性」を強調しておられた。大学においては、性別・国籍・人種・年齢・社会的門地・宗教・信条・その他の経歴等で差別されないことが保証されなければならない、と。私は大学の中ではマイノリティーだったが、「多様性」を掲げ、このような私を受け入れてくれる懐の深さを持つこの大学に率直に感謝の気持ちを抱いた。と同時に、東京大学は今後ますます素晴らしい大学になるのではないか、と期待した。

卒業式の後、私はある学生に「総長の話に感銘を受けた」と話したところ、彼は「でも当たり前のことを言ってましたよね」と言った。この返答は喜ぶべきものなんだろうか?うん、きっと喜ぶべきなんだろう。多様で差別のない大学というものを、彼は「当たり前」と何の躊躇もなく言えるのだから。

金融においてポートフォリオを組み、分散投資によってリスクヘッジをするように、生物も多様性を獲得することによって、外的な環境変化に対してリスクヘッジを可能にした。理系の研究室では、教授と准教授が全く同じ研究ではなく、やや異なった系統の研究をすることが普通だが、これは研究室のリスクヘッジ戦略であると聞いたことがある。

私はこれまで、3箇所の大学と1つの会社を経験してきたが、「違う組織には違う考えがある」ということを知ったように思う。「常識」と思っていることが、実は「組織特殊的」な考えであるかもしれない、と疑ってみることが必要だろう。もちろん、その「組織特殊的」なものを共有するからこそ、その組織の人々が結び付けられ、絆が生まれるのだろう。しかし、それが「定常状態」であれば、長い時間にわたって安定だが、「閉鎖系」であったとしたら、針で突かれた瞬間にその平衡は壊れてしまう。多様な外界と接することによって(言い換えれば、異質なものと接触することによって)、それは初めて「定常状態」となり得る。

ずいぶん前のことになるが、ベンチに座って昼食を食べていると、近くに座っているチャラい系の二人の学生が、塾講師のアルバイトで、東大の学生である自分たちと他大学の学生の給料が同じだと不満を口にしていた。そして、そうした他大学の学生を散々バカにして盛り上がっていた。私は彼らの意見が生理的に受け付けられなかった(ある人にこれを話したところ「理屈だけではなく、その『生理的に受け付けない』という感覚は大事だと思いますよ」と言われた)。確かに彼らの言いたいことは分からないでもない。硬直的な制度によって彼らが不利益を被っているという事に対する批判であると解釈することもできるだろう。また、もし、「偏差値の高い大学に行っている学生の方が能力が高い」という信念を塾側が持っているとしたら、確かに、東大生に高給を払う事はベイジアン・ナッシュ均衡になるだろう。しかし、その「信念」はどれほど確固としたものとしてあるだろう?件の東大生たちが予想している「塾側が持っているであろう信念」と、「塾側が実際に持っている信念」とがずれているかもしれない(つまり、シグナルとしてうまく機能していない)。あるいは、他の条件がコントロールされていないのだから、仮に学歴がシグナルとして十分機能しているとしても、見掛け上学歴の効果が無くなっているのかもしれない。また、塾にとっては、アルバイトの学生が所属する大学によって給料を変えていると、かえってコストがかかってしまうので、アルバイトの学生を正社員ほど強く引き留めておくインセンティヴが無いとすると、学歴に関わらず、一律の賃金を払う方が合理的なのかもしれない。あるいは、塾にとっては、アウトカムの評価の方が大事なのだから、リスク回避的な塾は、現時点では「学歴」というその人の能力のシグナルになり得ても、シグナルに過ぎない情報だけから支払うべき給料の額の判断を留保しているのではないか、等々、考えてしまった。

話しを聞いてみると、どうやら彼らは経済学部の学生らしい。愚痴を言うだけでなく、もうちょっと考えてほしいなぁ。。。ただ、彼らは「MARCHの学生はまじめだ」とも言っていた。あくまでも彼らの主張だが、東大生は楽しても就職できるが、MARCHの学生は必死に就職活動をしている、と。彼らのうちの一人が「自分は東大生の中では不まじめな方」と言っていたが、高慢な言い方になってしまうかもしれないが、彼が持つその一抹の危機感に私は救いを感じてしまった。東大生よ、多様な人々、多様な価値観、多様な世界を知るべし。

閑話休題。

卒業式、学位記伝達式終了後も名残惜しく、多くの人と長時間にわたって話し込んでしまった。私はつくづく周囲の人に恵まれたと思った。学問に対する真摯な態度、弱者への共感と正義感を兼ね備えつつ、冷静に社会を見る目、そして優しく人に接する態度。「以春風接人 以秋霜自粛」とはこのことを言うのだろう。私は彼らに出会う事によって、大いに刺激を受け、成長することができた。学位記伝達式では学部長がアルフレッド・マーシャルの言葉を引用して「君たちは大学以外でもwarm hartsを学ぶであろうが、大学ではcool headsを学んだはずだ。世の中、いかにcool headsが足りないことか」と仰っていた。しかし、これはマーシャルの言葉を誤解している。マーシャルは貧困にあえぐ人々のために何をなすべきかを経済学に求め、冷徹な分析と同時に温かい心を持つことを強調し、”cool heads BUT warm harts”と述べたのではなかったか。確かに世の中にcool headsが足りない部分はあるだろう。しかし、私が『「のび太」という生きかた』のレビューに書いたように、warm hartsがあるからこそcool headsが養われるのではないだろうか。

その後は卒業記念パーティーがあったのだが、参加したところでどうせ話し相手もおらず、みじめな思いをするだけだろうと思い、参加しなかったのだが、冷たい雨の中、一人で帰るのも、これはこれでみじめだと後悔した涙

卒業生のみんな、おめでとう!民間企業に就職する人、公務員になる人、大学院に進学する人、道は様々だが、きっと素晴らしい人生が待っているに違いない。なぜならば、そうした素晴らしい人格を持ったみんなが形作って行く社会は、少しでも幸せの方向に向いているはずだから。

【mixi過去記事】父の入院

2010年02月24日07:26


先日、父が倒れて救急車で病院に運ばれた、との連絡を母から受けた。当初は脳梗塞と聞いていたが、父がもともと持っていた脳動静脈奇形が破裂して、脳内出血を起こしたらしい。酒を飲んで寝た翌日、富山は大雪。朝、雪かきをして、汗を流すために風呂に入った後、これから仕事に向かおうとする矢先に突然倒れたらしい。

ICU(集中治療室)に入り、治療を受けているとの事だった。連絡を受けた弟がすぐ実家に帰ってくれたようだが、私は大学院入試を控えており、帰省することはできなかったが、心配ではあった。

インターネットで偶然、北海道にある「西野神社」という我が家の苗字と同じ名前の神社を見つけ、そこの「病気平癒御守」を実家宛てに送ってもらった。その後、実家に帰り、父の病室を訪ねると、点滴をぶら下げる竿に、その御守りも吊るしてあった。

気がかりなことがあった。私は自分の目標の実現のために大学に入り直し、現在、それをさらに仕事に生かすべく、大学院への進学を考えていたが、父が入院したことで母が弱気になってしまい「富山に帰って来て、県庁にでも勤められよ」と言ってきた。しかし、それでは......、と私は躊躇してしまう。父は右半身が麻痺してしまい、言語障害も出ているため、もはや理容師としての復帰は望むべくもない。母の「お父さん、頭パーになってしもうた。」という嘆きは深いものがあった。

父はその後、一般病棟に移り、麻痺していた右の手足も少しずつ動かせるようになってきた。まだ認知・理解力が低く、言葉も十分に喋ることができない。だが、せめて日常生活くらいは自立してできるようになってほしいと思う。

コンビニで、ある客が店員に「今日は寒いねー。また雪が降るんじゃないの?」と言っていたが、その日はこの言葉が忌わしく思われた。

先日、父の回復を願い、「川口三薬師」と呼ばれている、川口市の慈林寺、薬林寺、光音寺を順にお参りして回った。その道中、青空に映える梅の花など、確かに春の息吹を感じ取った。私の父も日に日に良くなっているから、暖かくなる頃には、春の花がほころぶように、もっと良くなっていることを期待している。弟は仕事のため富山を離れた後も、心配して毎日実家に電話をかけているそうだが、私は不思議とあまり心配することはなく、元気だった頃のいつもの父の姿に戻るのではないか、という気さえしている。

【mixi過去記事】今日も誰かの誕生日

2010年02月24日00:09



最近、mixiを放置してしまっていたが、メールの受信箱に「もうすぐ○○さんのお誕生日です!」「本日は○○さんのお誕生日です!」というメールばかりがたまる。

「今日も誰かの誕生日」という歌があるし、劇団ひとりのiGoogleでは「今日も誰かの誕生日、おめでとう」というメッセージが出るらしい。言い訳になってしまうかもしれないが、マイミクだけでなく、自分の知っている人だけでなく、みんなに「おめでとう」を言っていると切りがない。この人には「おめでとう」を言って、この人はあんまり絡みがないから、別に言わなくてもいいか、というのも、どうもいやらしい気がしてしまう。

今日、この瞬間にも、世界のどこかで、いや、日本国内であっても、誰かが生まれ、誰かが死んでいる。

今日、誕生日の人も、誕生日じゃない人も、全ての人に祝福あれ。

【mixi過去記事】S君の悩み

2009年06月09日07:17


先日、S君、Mさんと映画を見に行った。映画を見て解散、というのも味気ないので、その後、ファミレスでお茶でも飲もうということになった。

S君は成績優秀、そして誰もが羨むような所に就職が内定している。彼の書く文章も面白い。僕にとっては憧れ、というか、やや近付き難い存在ですらあった。しかし、S君も一年に一度くらいは鬱になる時期があるのだという。彼が高校生の頃、携帯サイトで綴っていた日記を見せてもらった。僕の抱いていたS君のイメージからは思いもつかないような、苦悩する青年の姿がそこにあった。「死にたい、死にたい」と綴られていた。

「世界がみんなうまくお互いにはまり合っているのに、自分だけ余っているような気がすることがある。」と語っていた。

後日。S君とは、たまたま、同じとある講義をとっているため、講義が終わった後、ベンチで弁当を食べながら、いろいろなことを話した。どうも毎年5月くらいに鬱になるらしく、なおかつ、最近、付き合っている人とあまりうまくいっていないようで、それがちょうど鬱をひどくしているらしい。

三四郎池の周りを散歩し、木々の緑を眺めながら小一時間ばかり話し込んでしまった。

こんなにも順風満帆に見える人が疎外感に苦しみ、生きる意味を問い続けている。僕自身も悩むことはあるが、悩んでいるのは自分だけではない、と気付き、安堵を感じるとともに、甘えずに自らを律しなければ、という思いにもなった。

S君の悩みは、おそらく、彼の繊細な感受性ゆえではないかと思った。彼の恐ろしいほどに研ぎ澄まされた感性に感服し、その素晴らしさを褒めたところ、彼はこう言い放った。
「いや、研ぎ澄まされた感性はいらないから、研ぎ澄まされたイケメンになりたい。やっぱり世の中、顔だよね。」

【mixi過去記事】人間は脆い。

2009年03月10日09:31

<エピソード 1>

私のアルバイト先に、最近、新しく高校生が一人入ってきた。まじめで素直な性格に好感が持てた。「何でバイト始めようと思ったの?」と私は何も気にすることなく訊いたところ、「お金が欲しかったんで。」という率直な答えが返ってきた。

後で店のオーナーに話を聞いたところ(オーナーと彼の家族とは旧知の間柄らしい)、かなり前に彼のお母さんが家を出、そして、つい先日、中学生の弟さんが部活動中に突然死したそうだ。家族みな、茫然自失の状態だったらしい。学校から帰ってきて家にいても悲しみが深まるだけだから、いっそのことバイトで忙しく働けば、と、彼のご家族とオーナーの配慮らしい。

屈託のない彼の笑顔の裏に、そんな事情があったのか。


<エピソード 2>

そのバイト先には、現在浪人中の人がいる。現在、大学受験真っ只中のため、ここしばらくは顔を合せていない。

彼が高校生の頃、ご両親が離婚、そして母親に引き取られる。程なくして、父親が亡くなったそうだ。そうした事情から彼は荒れてしまい、高校を中退。しかし、教師になりたい、という夢を見出し、先日、見事、高等学校卒業程度認定試験(旧大学入学資格検定)に合格、休む間もなく、大学受験を迎えたが、これまでのところ、大学に受かったという話は聞けていない。

先日、早朝にバイトを終え、帰ろうとしたところ、彼がこう言った。「あ、俺、線香買わなくっちゃ。日曜日は親父の墓に線香あげに行く、って決めてるんで。」


<エピソード 3>

そのバイト先には、もう一人、高校生がいる。先日、語学研修兼修学旅行でハワイに行ってきたそうだ。

「久しぶり。ハワイはどうだった?」
「いやぁ、それがいろいろありまして……。」

修学旅行終盤間近、彼の同級生がハワイの海で溺れて亡くなっという。彼の次の出席番号で、寡黙な人だったらしい。直後は全く信じられず、実感が無かったそうだが、1週間くらいすると悲しみが込み上げてきたそうだ。

その日の彼は、仕事が手に付いていないようだったが、さすがに責める気にはなれなかった。

<エピソード 4>

先日、俳優の伊藤隆大さんが亡くなった。死因は自殺とみられている。彼はまだ21歳だ。大学にも通い、仕事の面でも勉強の面でも、これからの活躍が期待されていたというのに。もちろん、彼自身、悩み、そして、その悩みを共有できる人がいなかったのかもしれない。逆にそれは、仲の良かった兄にとっては、今となっては余計につらいことなのかもしれない。

いつもは他人を罵り合うことで有名な某掲示板でも、「弟の骨を拾う兄貴の気持ちを思うとつらい」など、「人の死」を茶化すことなく、真剣に向き合っている書き込みが見られた。


<エピソード 5>

私が最初に所属していた大学の学科は医学部内にあったため、法医学教室の前の標本を見る機会があった。ホルマリン漬けになった臓器が陳列ケースに並べてある。今でも忘れられないのが、ある標本とその前のプレートに書かれた解説だった。「猟銃で自殺を図り、破裂した心臓。17歳、男」なぜだ?なぜ、17歳の少年が自らの胸を撃たなければならないのだ?もちろん、私はその少年の顔も名前も知らない。だが、彼の遺した心臓は、沈黙の中で、見る者に何かを語りかけている。


「生あるものは必ず死を迎える」観念でそう分かっていても、いざ、その現実を見せつけられると、私は途端に慌て出す。今日、この瞬間にも、どこかで誰かが生まれ、誰かが死んでゆく。そして、それは意外に私たちの身近な人かもしれない。

【mixi過去記事】「真剣さ」の中に生きる

2009年03月06日09:32


先日、いつもより早く大学に着いた日のこと。1限の開始時刻までしばらく時間があったので、大学近くのファーストフード店でコーヒーを飲みながら勉強することにした。

店内では大学のテニスサークルとおぼしきグループが何やら神妙な顔をしてミーティングを行っている。曰く「大会まで自分がやれることを精一杯やって。」張りつめた緊張感に、みな表情がこわばっている。

私の隣に座っていた母親と中学生くらいの息子がこんな会話をしていた。
母「あの人たち、東大生かな。」
息子「多分、そうだよ。頭よさそうな顔してるもん。」
そう言って、息子はフライドポテトをほおばる。

そうだ!あのテニスサークルのメンバーが試合に勝とうが負けようが、東大生であろうがなかろうが、この親子にとっては何の関係も無いのだ!

件のテニスサークルのメンバーたちにとっては、試合での勝敗は重大問題に違いない。しかし、それはそのシナリオを選択した者にとって意味があるのであって、「試合に負けたらおしまいだ」というような重圧に押しつぶされる必要のあるものではない。ただ、その「真剣さ」は自らが選択したシナリオに沿って、人生という壮大なドラマの一齣を演じているに過ぎない。

「真剣さ」の中に溺れるのではなく、シナリオを「シナリオ」として知った上で、自分自身を客観視して自由自在に泳ぎ回る。そうすれば、人生は気楽で楽しいものになるのではないだろうか。ふと、そんなことを思った。「真剣」であることを楽しめれば人生の達人になれるかもしれない。

【mixi過去記事】「若き人生の達人」を書いて考えたこと

2009年01月10日13:12


先の日記に書いた「若き人生の達人」から聞いた言葉は、私がかつて頂いた絡子に裏書されている「随所作主」と通じるものがあるように思う。他人と比較するな、自分がどんな人間であろうとも、常に主体的に、その瞬間瞬間を大事に生きるのだ、と。

大学からの帰り道、本屋に寄って偶然見つけた 村上和雄著『アホは神の望み』を立ち読み(買わずに失礼!)してみると、「無用の用」という事が書かれていた。

以下、『荘子』からの引用

恵子、荘子に謂いて曰く「子の言は無用なり」と。荘子曰く「無用を知りて、始めて与に用を言う可し。夫れ地は廣く且つ大ならざるには非ざるなり。人の用うる所は、足を容るるのみ。然らば則ち足を廁りて之を塾り、黄泉に致らば、人尚お用有りや」と。恵子曰く「用無し」と。荘子曰く「然らば則ち無用の用為るや、亦明かなり」と。

以下、自分なりの現代語訳

恵子が荘子に言った。「あなたの議論は無用なものです。」荘子が反論して言うには「無用とは何かということを知って初めて有用か無用かをいう事ができるものです。大地は広く大きなものですが、足を置くスペースがあればよいのではないでしょうか?そうであれば、足の大きさを測って、それ以外はいらないということで、そこだけ残し、その周りの地面を深く掘ったらどうなるでしょうか?まだ、この、足の下に残った地面は役に立つでしょうか?」恵子が答えた。「そんなものは無用になります。」荘子が言う。「ならば、一見、無用なものであっても、それも有用なものだということは明らかでしょう。」

私が最初にいた大学で、ある先生がこんなことを仰っていた。
「高等生命が複雑に進化し繁栄できたのは、雄と雌の存在により生殖が行われ、遺伝子の交換により、子孫世代に遺伝子の多様性が生み出され、結果として外的環境の変化に対しフレキシビリティーを獲得したからだ。そして、遺伝子の多様性が生み出される過程で、必ず、ある比率でうまく働かない人(障害者)も出てくる。こうした障害者を排除すればより強い人間だけが残るという優生思想は誤りである。我々が生命の多様性を享受し、長寿を実現できたのだから、遺伝子の多様性を生み出すために影響を蒙った障害者に対して感謝の気持ちを持たなければならない。」
もちろん、「障害の社会モデル」などの見地からは、必ずしも同調できない部分もあるだろうが(「障害」=「犠牲」という図式)、ある優劣の線を引き、「劣等者」のレッテルを貼られた人々を排除する考えに対する強力な批判と考えたい。蛇足だが、こうした遺伝子の多様性という考え方は、金融におけるポートフォリオを組み、分散投資を行うという発想と似ていると感じた。

改めて、「多様性を認め合う」という原点に回帰した気がする。障害の議論と結び付けるのは論理の飛躍があると言われるかもしれないが、「アホ」を大事にできる社会であってほしいし、あるべきだと思うし、「アホ」な自分を大事にできる自分でありたいと思った。