Yoshitaka's blog -14ページ目

【mixi過去記事】独白

2008年06月29日14:10



ひとりごと。

希望をもって新しい道へと踏み出したはずなのに。

昨日、落研のコント・ライヴを見に行き、毎回の事ながら洗練されたプロ級のネタ、あまりの完成度に「なんでこいつらこんなに面白いんだぁぁ!!」と、感激と尊敬と、そして自分に無い才能を欲しがってみたりする。もちろん、相当な努力無しではあの完成度には至らないだろうことは容易に想像できるが。

東大落研(マジでハンパなくスゴイ。プロ級、いや、テレビに出ているプロ以上だろう)
http://todai-ochiken.cocolog-nifty.com/


ゼミでも周りの学生があまりに優秀、そして人間的にも素晴らしい。切磋琢磨するには良いのかもしれないが、自分の居場所はどこなのか、と自分自身を見失ってしまう。1年生から絆を築いてきた人の間に、3年からいきなり入ってきた人間が割り込む余地などない。そして「どこかいいサークルはないか」「地元のつながりはないか」など、帰属するものを求めて、自分の存在証明を求めてあてもなくさまよう。

もしかしたら日々の勉強に疲れているのかもしれないが、「皆も頑張っているのだから、これくらいで音を上げてはだめだ」とも思う。休みの日に思い切って出かけられないストレスがたまっているのかもしれない。もっと集中力があり、効率的にこなせれば良いのかもしれないが、自分のだらしなさにあきれながらも抜け出せない。時間の無さを言い訳にして「学力の貧困のトラップ」から抜け出せない。

周囲の3年生は私を気遣ってか、「さん」付けで呼び、敬語を使う。私としてみれば3年生と同じ目線に立ちたいのだが、それは私のわがままか。年齢が周囲の学生よりも高いことは、プレッシャーであり「人より遅れている」という焦りを感じる(ただ、とある優秀な学生と話したところ「意外とみんな焦ってるのかもしれませんよ。自分だってそうですし。」と話していた)。

100歳でもなお現役で医師として活動されている方をテレビで見た。私は人よりたかだか9年遅れているだけだ。人より9年余計に働けばいいだけのことではないか。そう思いつつも、過去のことばかり振り返り、「反省」ではなく「○○だったら」「○○であれば」を繰り返し「後悔」する。一説によるとA型の人間は海馬の活動が活発であり、過去のことを振り返りクヨクヨしやすいのだとか。どれほど信頼性のある説かは知らないが。

ネガティブ思考になると、負のスパイラルにはまり込む。何らかのつながりを求めて、インターネットをいじると、2chなどでは大学のレベルについて論じ、貶して面白がっている。大学の中で能力が低いであろう自分と重ね合わせ、それを真に受けてますます憂鬱になる。秋葉原の事件は許すべからざる事件だが、件の犯人は自分の存在証明を求め、インターネットを通じてかえって自分の存在を否定され、大量殺人によって他人のみならず自分自身の人生を破壊することで存在を証明しようとしたのではないか。

ただし、要注意。「大学の中で能力が低いであろう」自分は客観的評価ではなく、観測不可能な物を主観で感じているに過ぎない。しかし「頭」では分かっていても、自分の「心」が納得しない。

先日、大学でカンボジアで地雷除去をしているNGOの方と、国際協力銀行の方の話を聞く機会があった。大学に行けるなんて、世界の中では100人に一人の恵まれた存在である、との話しもあった。自分を局所的な環境において相対的にしか評価できないから、自分がいかに恵まれた幸せな存在であるか、認識できない、と。講演後、国際協力銀行の方に「自分はどうも能力が低くて」と話すと次のようにお答えになった(私なりの解釈が含まれている)。

「何かを結果として残すのも大事だが、何かのために頑張ること自体も大事ではないか。ヘレン・ケラーは偉人と称えられる。しかし、健常者が同じ事をしても称えられるだろうか?人々は彼女の『努力』そのものを見て称えている、ということではないか?君が世界のために役立ちたいという気持ちをもっているならば、それで結構ではないか。能力が低いと思うなら頑張りなさい、人よりも一生懸命勉強するという貴重な機会を与えられたことを喜びなさい。そのこと自体が、単なる経験というレベルではなく、君にとってかけがえの無い価値そのものになるはずだから。」

ごもっとも。素晴らしいお話である。しかし、私は今なお自分の存在証明を求めて悩みつづける。

「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」

【mixi過去記事】引越し

2008年05月19日19:50


この4月からまた学生になり、割安な所に住みたい、また、そして何より、これを気に散らかり放題だった部屋から、新しい部屋に移り、心機一転したい、という思いもあり、5年間住み慣れた足立区から埼玉県蕨市へと引っ越すことにした。

部屋の明け渡しの日、そのアパートを管理している不動産会社の方が点検と敷金からの償却額の見積もりのために来た。まだ若い方で、なかなかに感じの良い方だった。多少の傷などは自分で持ってきた塗料で補修し、大目に見てくれる箇所もあった。

実は自分は思うところがあって会社を辞め、大学に入り直したこと、それがゆえに、割安な所に引っ越すべく、ここを引き払うことなどを話したところ、その方も、中学・高校の教員免許は持っているものの、小学校の教師になるべく、今、通新制大学で単位を取っているとのことだった。思わぬ「再出発」を目指すもの同士の出会いに、互いに手を取り合って将来の健闘を誓い合った。その後も、私とその方とで、なるべく敷金からの償却額を少なくするべく、補修・清掃などの作業を行った。妙な連帯感のようなものを感じた。

自分ではあまりきれいに使った記憶は無いのだが、その不動産会社の方がこんな事を言っていた。「以前に私が担当したある物件では、住まわれていた方が公認会計士事務所を立ち上げ、ベンチャービジネスでも成功し、アパートを引き払うことになった時、とてもきれいに掃除をしておられました。ですから、あなたのようにとても大事に使ってもらえ、それから退去の際にはきちんと掃除もしてくれる、そんな方はきっと将来成功しますよ。」思わぬお褒めの言葉を頂いたが、掃除をする前の自分の部屋はとても人様には見せられるようなものではなかったのだが......。

「では、これで閉めますね。」といって、彼がドアに錠を掛けた時、「ああ、もうこの部屋に入ることは無いんだな」と思うと、一抹の寂しさが込み上げてきた。

「5年間住みましたからね。ほんとに、『お世話になりました』って感じですよね。」と言って、部屋に向かって頭を下げると、涙がこぼれそうになった。

その後、用事があったので、部屋の前にとりあえず一部の荷物を置いておき、後で荷物を取りにもう一度戻った時、改めて、5年間お世話になった部屋に深々と頭を下げた。

さて、次はどんな人が住むのだろう?

【mixi過去記事】人は皆、自分の世界でものを見る

2008年04月26日21:50


<エピソード1>
今日の昼、ファミレスで一人寂しく昼ご飯ついでに、ドリンクバーで粘りつつ、ちょっとばかり勉強していた。

隣の席ではおじさんがアメリカの国家戦略と金融・経済情勢について熱っぽく語っていた。かたや、後ろの席では、女子高生が化粧をしながら、あいつの彼氏がどうしたとか女友達どうしの人間関係など、極めて「俗っぽい」会話をしていた(あらかじめ断っておくが、この両者に優劣の価値判断を付けようとするものではない。寧ろ、「おじさん、そんなに得意げに語るなよ」と思ったくらいだ)。

何だろう、この差は。同じ日本という国、それも同じ地域に暮らしていながら、何がこれほどまでに両者の見る「世界」を変えているのだろう?教育か?周囲の環境か?

<エピソード2>
先日、とある飲み会で「例えば『お金は銀行に預けるな』みたいなビジネス書は中学生が読むようなもので、これから社会に出ようとする大学生が読む物じゃない。いや、寧ろ、中学生こそ、そういうビジネス書を読むべきだ。大学生ならば、ちゃんと一流の人が書いた本や、"The Economist"、"Newsweek"などを読むべきだ。」と言っている人がいた。

おそらく、それはその人が「超一流」大学の学生だからであり、また、その人自身が自分と同じレベルの学生を想定して発言しているからだと思う。だが、現実には大人であっても件のビジネス書ですら難しい人もいるわけだし、おそらく世の多くの大学生は、"The Economist"は読まない。

持論を展開させてもらえれば、私自身、昨今のビジネス書には興味が無い(経済学部生がそんなことは言っていられないのだが)。なぜならば、こうしたビジネス書は現状を追認し、その上で処世術を教えるようなものだからである。(ついでに言えば、私は正直言って日本経済新聞も好きではない。経済情勢については詳しく書いているかもしれないが、社説や論説委員の記事がやれ「このままでは日本が立ち遅れる」とか「構造改革を急ぐ必要がある」とかのたまわっているのである。では、その「構造改革」とやらは何であるか?この新聞には、社会の矛盾・暗部を鋭く指摘するジャーナリズムのかけらもない(逆に日経新聞に言わせれば「ジャーナリズムなんかくそくらえ!」という立場になるのだろうが)。もちろん、日経新聞とは対極的立場にある新聞に問題が無いとは言わない。)私ならば、中学生に「世界がもし100人の村だったら」の英語版を音読させたいところだ。

閑話休題。

<エピソード3>
ある予備校講師が「比例定数が2の時、xの値が3倍になったら、yの値は6倍になる。そんな簡単なことは小学生だって分かる。」と発言していた。

私が以前に塾講師のアルバイトをした際に、比例のグラフの書き方が分からない、という中学1年生がいた。また、私のある友人は、家庭教師で中学2年生に連立方程式を教えていたところ、その子がどうも連立方程式を理解できない。よくよく調べてみると、方程式というものがそもそも分かっていなかった。しかし、それを教えても、どうしても理解してくれない。更に調べてみると、その子は中学2年生にして引き算を理解していなかったというのだ!

<エピソード4>
その「超一流」大学の卒業生を多数擁するであろうマスメディアが田中耕一さんのノーベル賞受賞の際に、どれほど研究内容そのものについて報道しただろうか?彼の人柄、一介の会社員という地位だけがむやみに注目されることとなった。日本はいわゆる「文系社会」である。だが、もはや「専門外だから知りません」ということが通じる時代ではないだろう。また、専門家は専門外の人に分かりやすく語る責任があると思う。マスメディアは学力低下を嘆いている暇があったら、<エピソード3>の中学生たちに、科学は本来楽しいものあることを分かってくれるような社会にするべく、専門家と協力してほしいものだ。


人は皆、ややもすると自分の見る世界が「世界」そのものであると勘違いするものである。かく言う私も何度思い違いをしただろうか。それらを思い出す度に穴があったら入りたくなる。もしかしたらこの日記そのものも勘違いの賜物かもしれないが。

【mixi過去記事】大学に受かった、そして寮に落ちた。 -孤独の中の再チャレンジ-

2008年04月12日10:00


就職してから、あっという間に5年が過ぎ去った。バイオの世界はそれなりに面白く、刺激的ではあった。iPS細胞が一斉を風靡し、21世紀の最先端科学であるとの認識を新たにした。もちろん、仕事を通じて、マスメディアで華々しく取り上げられることは無いものの、それ以外の無数の革新的技術を知ることができた。

しかし、バイオ系の学生にとってバイブル的とも言うべき教科書「細胞の分子生物学」は「がん」の章においていみじくも指摘する。「我々がここでがんを取り上げるのは、それが生物学的に興味深い現象だからであって、世界的に見て最も深刻なのは感染症などの保健問題の方である」と。もし、「最大多数の最大幸福」の概念を支持するならば、バイオは先進国の一部の人々には有用かもしれないが、飢餓、貧困、感染症等に苦しむ大多数の発展途上国の人々には何ら恩恵をもたらさないのではないか?青年海外協力隊やNGOなどで活動することも考えたが、いくら熱意があっても知識無しには何もできないのが現実である。また、もちろん、そうした現場の活動無しには国際援助は成り立たないことは指摘するまでも無いが、そのような構造的問題を是正するためには、どうしても政策的なアプローチが必要である。カロリーベースで考えれば、先進国で無駄にされている食糧、肉を生産するために穀物を直接人間が食べる場合に比べてロスする量などで、地球上の飢餓の問題は即時に解決してしまうはずである。しかし、では、なぜ、日々の食事にも事欠く人々が多数存在しうるのであろうか?それを理解し、適切な処方箋を探るべく、社会の経済システムをしっかり学びたいと思った。一方で現場も見なければ机上の空論になってしまう。(現段階では、まだ希望するゼミに入れるかどうか確定していないが)、この3月で会社を退職し、4月から東京大学経済学部の3年次に学士編入学することを決意した。願わくは卒業後は国際公務員かNGOなどで活動したいと考えている。自分が今際の床に就いた時に「自分の人生はこれで良かった」と思える人生を送りたい、と考えた末での決断だった。

しかし、それにしても孤独だった。高校3年生ならば、大学受験に際し、周りの皆から応援されるが、私は合格しないことには会社を辞められないので、人知れず、ごく一部の人以外には口外せずに勉強しなければならなかったのが辛かった。合格発表は午後1時。午前中は仕事をして、午後は半日分だけ有給休暇を取るつもりだったが、午前中にどうしても片付けなければならない仕事が入り、かなり遅れてから合格発表を見に行った。そもそも母集団が少ないということもあるが、胴上げしてくれる人などいるわけも無く、私一人で、無言のまま心の中だけでガッツポーズをしてみた。合格発表の後、親に電話をかけた。理解してくれるかどうか不安だったので「怒らずに落ち着いて聞いて欲しい」と切り出したが、「自分の人生なんだから」と理解してくれた。自分はこの人たちの息子で本当に幸せだと今更ながら思った。

大学に入ってからもなおさら孤独だ。文科二類から進学してきた大多数に対し、私は誰一人友人がいない。そして、文科二類の学生が2年次で履修する一部の科目を今年度の後期で履修しなければならないため「○○の科目を2年生の時に取ってない人」などの質問に対し、恥ずかしくて手が挙げられない。おまけに学士入学はTOEFL、論文試験、出身大学の成績で合否が判定されるから、センター試験や一般入試を受けていないという引け目もあり、2chなどの「学歴ロンダリング」、「裏口入学」といった批判が気になって仕方が無い。

そうした中、同じ講義を縁として、文学部4年のMさんという32歳の方と知り合いになった。彼は高校卒業後フリーターを経験し、一般入試で東大に入ったと言う。彼も自分がマイノリティーであるという自覚があるらしく、不思議と話が合った。それから、マイミクにもなっているシゴンさんから紹介してもらった同郷のKさん(ちなみにC高校出身)。他大学の法学部を中退し、「法律には自分には向いていない」と言って(ちなみにその大学は私立大学の中では司法試験合格率が良いようだが)東大に入り直し、哲学科を卒業し、現在は大学院進学を考えていると言う。彼に私が経済学部への学士入学が決まった旨のメールを送ったところ、東大の後輩ができたことを喜んでくれた。坐禅会を通して知り合ったある人は、他大学の生物系の学科を卒業し、言語学を勉強するために昨年、文学部に学士入学した。まっさきに小さな居酒屋で私のささやかな合格祝いをしてくれた人だ。だが彼らいずれも文学部。経済学部の私とはそうそう顔を合わせることは無い。

思えば、大学院進学の際も孤独だった。私は自分のやりたい研究を探した結果、他大学の修士課程に進学した。内部からそのまま進学する人は学部からのつながりがあるが、私は他大学からいきなり飛び込んできた人間であり、研究室の中と、それを媒介としたごく少数の人としか知り合えなかった。しかも、内部から進学した人について言えば、大学に入り、右も左も分からない時点で友達になり、そして学部時代を共に過ごしてきた絆に、後から割ってはいることなど到底できるはずは無い。自分の選択ではあることは十分承知しているが、今回の学士入学といい、もし、10年前にバイオ系ではなく最初から経済系に進んでおけば、という憾みも感じた。この10年は「失われた10年」なのか、それとも何らかの貴重な経験を得られたのか......。

さて、会社を辞めて学生になるということは、収入が絶たれることを意味する。今さら親に迷惑は掛けられない。現在住んでいるアパートは、学生にしては家賃が高くなるので、少しでも安い所に住みたいと思った。驚くべきことに、大学の学生寮は学士入学の合格発表の際には既に募集の申し込みが終了していた。学士入学者など最初から「いないもの」とされている。加賀藩の藩校に由来する学生寮は募集要項の請求のメールを送った時点で、改装のため部屋数が少なくなったこと、そして年齢を理由に丁重な断りの電話があった。県人会の寮はとりあえず応募して面接に来て欲しい、と言われた。しかしながら、面接では「25歳を過ぎれば結婚して、子供もおって普通なんやから」と言われ「まあ、あなたの勉強したいという意欲は認めますが、困った息子さんで...」などと言われ、結局、入寮は認められなかった。不合格の理由を聞いてみたところ「18, 19歳の子との感覚的ギャップ」なのだそうだ。私は学部・大学院とも大学の寮で過ごしてきたので、その事を面接でも話したのだが、「君は既に東京で住まいを見つけている。しかもこれまで寮で過ごしてきたのだから、そこで学ぶべきことは十分に学んできた。まだ東京での住まいが見つけられていない若い諸君に、社会経験の場として寮での生活を譲ってくれないだろうか」と言われれば私も納得しただろう。私は新入生として、私よりもずっと年下でも学年が上の人には先輩として敬語を使って接するつもりでおり、寮内のある種の上下関係の秩序は守り、新入生に要求される仕事はこなす、ということを話していたにも拘らず「感覚的ギャップ」と言われると一体何が理由なのかよく分からない。面接のために高い交通費を払って富山に帰ったのに、これならば、最初から断ってきた加賀藩の藩校に由来するもう一つの寮の方がよほど良心的だと思った。

今思えば、鳥取大学の米子キャンパスの寮は懐が深かった。日本人学生もいれば、中国・バングラデシュ・インドネシアからの留学生、学士入学した40代の学生など、実に多様な人々がいた(ただ、日本人学生の側に、習慣などの違いから、留学生に対す偏見は少なからずあったように思う)。

この県人会の寮の態度は「田舎」のステレオタイプな態度かもしれないが、欧米のように、学びたいと思った時に学び直せる社会であってほしいと感じた。TOEFLと論文対策のために専門の予備校にも通ったが、仕事をしているとなかなか時間がとれないのに、予備校で受講できる時間の制約もあり、都合をあわせにくい。また、受講料が高い。大学にしてもそうだが、日本は先進国中において、予算全体に対して教育に占める割合が極端に少ない。学びたいと思った人が、都合のつく時間にいつでも学べる学校が欲しいと思った。通信教育、放送大学などはどうしても一方通行になりがちで、対面形式の講義にあるメリットが失われてしまう。かつてNOVAは早朝や深夜にも「お茶の間留学」というウェブカメラを使った双方向型のオンライン授業をやっていたのに、ジー・エデュケーションが経営主体になってからは、早朝・深夜の授業が無くなり、魅力が半減してしまっている。サイバー大学の方式は一つの新しい試みだとは思うが、少なくとも現段階では学べる対象分野があまりにも限られているし、先のNOVAのように英会話などの授業には適さない。

「生涯学習」と言われて久しいが、では、日本はどれほど生涯学習がしやすい環境になったと言えるだろうか?「大学全入時代」と言われるほど日本中に大学を作り過ぎているのに、はたしてどれほどの大学が夜間・土日に開講しているだろうか?東京などの都市部はまだましな方だが、地方に行けばまだ絶対数も少なく、学べる分野の選択肢も限られている。予備校は大学受験生が行く所と思われているが、定年退職後の人や、主婦が、純粋に勉強するために通っても良いではないか?夜間中学や定時制高校(のみならず昼間部も)一度卒業はしたものの、もう一度学びたい人を受け入れることはできるのだろうか?(私の不勉強のため制度上の正確なところは分からない。)

以前、大仁田厚が制服を着て、若い高校生に混じって高校に通う姿がテレビで映し出されたが、教育の場が、そのように多様な人を受け入れる場であってほしいと思う。まさに、年齢、社会的境遇などを超えて「学びたき者集う」場としての学校であってほしい。

【mixi過去記事】シリーズ坐禅 5 在家得度 -二元対立を超えて-

2008年01月04日16:18


先日、いつも坐禅会でお世話になっている林泉寺で在家得度して頂いた。

「正しい」「正しくない」は別として、今、この世界は、地球上の全ての人々、生きとし生けるものが幸せに暮らせる世界とはおよそ異なった方向に進んでることは疑うことはできないだろう。

しかし、二度の世界大戦を経て、それを軌道修正すべく誕生した国連を中心とした国際機関が必ずしも十分に機能しているとは言えないのはなぜだろう?これは欧米に基点を置くNGOなどにもあてはまるのかもしれないが、ある種の宗教性、スピリチュアリティが欠けているからではないか、と漠然と思っていた。

仏教では「我他彼此(がたぴし)」の無い、二元対立を超えたところに真実の姿があるとする。一方、一般的に西洋においては論理こそが尊重されるものであり、神とサタンは論理的に対立するものであり、神がサタンをも包含するなどと言えば、それはすぐさまサタンの言説と言われてしまうであろう。

「非民主的なイラクに民主主義を根付かせる」としてイラクを攻撃したアメリカの例は極端としても、例えば、「ブルカの着用は女性の人権侵害」として責め立てることは果たしてどれほど正当なことだろうか?先日、テレビでペシャワル会の中村哲医師が「ターリバーンは田舎の国粋主義者」としていたのに対し、大学教授や元政治家などは「ターリバーンを壊滅させない限りアフガンに平和は訪れない」「ターリバーンは山賊みたいな奴ら」などと言っていた。ターリバーンが具体的にどのような存在であるのかについては私自身、もう少しきちんと調べる必要があるだろうが、少なくとも中村医師の方が現場をよく知っているはずなのに、主として欧米メディアが捉えるターリバーン像を元に現場を見ていないにも拘らず声高に反論してみせる。自分たちの主張が脅かされたと感じられたからだろうか(もちろん、ターリバーンは都市部では厳格な支配を敷いた一方で、農村部では放置していた、または監視の目が行き届かなかった、という状況はあったようである。中村医師が見て来られた範囲におけるターリバーンは「田舎の国粋主義者」、都市部においては、メディアで報道されるような、また違った面を見せていたのかもしれない)。

結局、このような一方的な価値観の押しつけが世界中の至る所で「人道」の名の下に行われていることが、世界の混乱を解消できない要因の一つではないだろうか?

かく言う私も現場を見ているわけではないので偉そうなことは言えないが、中村医師の『医者よ、信念はいらない まず命を救え!』に書かれていたことを参考にすれば、世界を良くしようという取り組みが成功しないのは「これは人権を大事にするやり方、これは人権を踏みにじるやり方」「これは文明的、これは非文明的」「これが善、これが悪」という二元対立を根底に据えた考え方があるからではないだろうか。中村医師自身はキリスト教徒であるが、それを理由に現地の生活、文化を非難することはない。

もちろん、同じ文化圏、同じ地域から起こる変革の動きは大切にされなければならない。先日テレビでパキスタンの都市部の服屋の女性が「まだ幼い少女が老人と無理やり結婚させられることがズィルガ(部族会議)によて決められるこの国の部族社会を変えなければならない。」と言っていた。我々の側から見れば明らかに不条理であるが、では一方的にこれを「おかしい、世間の常識と違う」と言ったところで変えられるだろうか?

二元対立を超えた境涯に対する憧れは強く、また、将来、発展途上国など海外で活動したいと考えており、僧堂での半自給自足生活に憧れ、出家得度へと心が向いていた。住職に話したところ、「若者としては健全な考えで結構だが、出家を何かと絡めるのは間違っている。出家とは後が無いのだ。命がけなのだ。もし、君が僧堂生活を経験したとしても、その後で感じるのはおそらく失望だろう。」と言われた。

そうか、悟りは「求める」ものではない、行住坐臥そのものが仏道ではないか。まだ十分に割り切れぬ思いもあったものの、自分なりの妥協点として在家得度を選んだ。

まあ、そもそも「二元対立のある世界」と「二元対立の無い世界」との二元対立に捉われるというスパイラルにはまり込んでしまうのだけれど......。

得度式に先立って戒名に関して住職から説明があり、「仕事などがあり、立場上出家することはできないが、在家の身のまま、しっかりと仏道を修めた人のことを『居士』『大姉』と言う」とのお話があった。では、その居士の道をしっかりと歩んで行こうではないか、と思った(残念ながら、私はまだウパーサカにすらなれていない。「居士」の定義がはっきりしないのだが、もしどなたか「居士」、「信士」、「優婆塞」の厳密な違いをご存じであればお教え頂きたい)。

多くの人の参列のもと、在家得度式が行われた。林泉寺の先代の住職と親交の深かった森本和夫先生もご参列であった。同時に得度を受ける他の4人と共に、灌頂洒水を受け、五戒を「よく保つ」とお誓い申し上げた。

私は「義徹慈貫」の安名を頂戴した。義に徹すればややもすると硬直的になりがちだが、慈悲を貫くことによってその軌道修正が図られる、実にバランスの取れた良い名前を頂いた。

絡子を頭上に頂き、搭袈裟偈を参列者一同と共に唱える。道元禅師が「袈裟を頂く」方法を聞いてはいたものの、天童山(もしかしたら私の記憶違いかも)で初めてそれを目の当たりにした時、涙を流したという話があるが、言葉では説明できない感激が全身を覆った。多くの人々と共に仏縁を頂く喜びを知った。

本来、麻の絡子を頼んだのに、法具屋さんが間違って正絹の絡子を持って来たそうで、これを一旦返し、改めて麻の絡子に裏書きをして頂けるとの事だった。さて、何を書いて頂けるだろうか。

「鏡」の字を含む安名をもらった人がいたこともあり、得度後、住職から奇しくも「大円鏡智」のお話があった。鏡はきれいなもの汚いものを線引きせず、全てを映し出す。人間はきれいなもの汚いものの線引きをし、汚いものを見まいとする。だが、人によってきれいなもの、汚いものの境界線は異なる。そもそも境界線など引きようが無い。鏡は選り好みしない、二元対立を超えている、と。

その後、忘年会があり、得度のお祝いの杯を受けた。私の地元のお酒も皆にふるまった。さっそく、不酤酒戒(本来は不飲酒戒であったのであろうが)を保てているか、怪しくなってきた。

【mixi過去記事】シリーズ坐禅 4 瑞岳院弁道会

2008年01月04日12:04

自分の日記を読み返してみると、更新が遅れた事を反省する文言で始まることが目立つ。さすがにしつこくなってきたので、もう割り切ります(←一方的。。。)。

JR中央本線初狩駅から徒歩で1時間(!)ほど山に登った所、山梨県大月市にある大菩薩山僧堂 瑞岳院での弁道会に参加した。電気も電話も無い。水は山から引き、夜はガスランプと懐中電灯で過ごす。

初日の夜、ガスランプの明かりに照らされた山小屋の風呂は印象的だった。子どもたちの研修会をここでやれば、きっと忘れられない夏休みの思い出になるだろうな、と思うほどに、私の中の童心も揺さぶられた。

参禅者の一人にKさんという方がいて、その方は坐禅歴はそれほど長いわけではないらしいが、いろいろと教えて下さった。最初のうちは「俺に聞くより、ベテランのHさんに聞いた方がいいかもね。」などと柔らかく接してくれたが、「函櫃の上に懐中電灯を置くな」「そっちを歩くな、廊下は左側通行」「汲み取り式便所だから掃除の際には水を使いすぎるな」「風呂掃除は浴槽の水を効率的に使って素早くやらないとだめだろ」など何かと注意されることが多く、その一方で、僧堂に私と二人しかいない時であったが、堂々と聖僧さんの前を横切っているので、私は段々と反発を感じるようになっていった。

弁道会も恙無く終わり、皆で文字通り山を下りる事となった。山道の途中に車を停めるスペースがあるので、車で来た人が乗せられるだけ人を乗せて山道を下り、東京方面へと向かって行った。その中にKさんもいた。麓まで徒歩で下り、電車で帰ることにした私たち数人は彼らを見送り、また歩き出した。私たち一行の一人がしみじみと語っていた。「あのKさんもだいぶ明るくなったわね。奥さんと息子さんを亡くしてからすっかりふさぎ込んでたのに。」

私はKさんに対して感じていた反発を恥じた。最愛の人を亡くしてから、参禅弁道に新しい道を見出したか、あるいは供養か。いずれにしてもその行為は真剣そのものだったのだ。もし自分がその身になってみたら、と思うと、その真剣さは想像に難くない。

初狩駅から電車に乗ったが、お土産を買うために、大月駅で途中下車した。ホームの売店前では、あまり客もいないのに「釜飯ぃ~!弁当ぅ~!」と声を張り上げているお婆さんがいた。人生の喜怒哀楽、苦労と慈愛とが全て顔に刻み込まれているようだった。無心に「弁当ぅ~!」と声を上げる姿がなぜか心地よさそうだった。真剣さの中に安住してしまえば、大した事無いんだよ、楽しいもんさ、と言っているかのように。

【mixi過去記事】シリーズ坐禅 3 頼岳寺夏季修禅会

2008年01月04日09:50


「日記」がリアルタイムでないのは勘弁して下さい。冬なのに夏のことを書くなんて。。。

いつも坐禅会に行っているお寺の企画による、長野県茅野市にある頼岳寺での3泊4日の修禅会が毎年行われている。私は仕事の都合もあり、2日目から参加させて頂いた。

到着して間もなく、蝉時雨の中、単の上に坐れば、「夏に涼風あり」。肉体的な心地よさと、脈々と受け継がれてきた伝統の中に身を置ける幸せとを感じ、何とも言えぬ気持ちになった。

私は最近はこのお寺の夜の坐禅会にはすっかりご無沙汰しているので、初めてお見かけする新しい方も何人か参加しておられた。若い方も熱心に坐っておられた。私はと言えば、相変わらず足の痛みと格闘する日々......。

この会は坐禅だけではなく、長野の自然を肌で感じることも目的の一つのようで、3日目には山中の滝近くの渓流に泳ぎに行った。透き通った水は夏だというのに信じられないくらい冷たく、川底に足が付かない地点では溺れるかと思ってしまった。その後、温泉で冷え切った体を温めた。温かいお湯がこれほど有り難いとは......。

車での移動の際に、その比較的新しく来られたであろう若い方とお話をしていたが、彼は学生時代に交換留学でハワイに行き、また卒業後にもフランスへ留学されていたそうだ。また、インドなど、海外へも多く旅行しているとの事。何とも羨ましい。
「いやぁ、いいですね。そういう普通じゃない人生って憧れますよ。」
「『普通』の人なんていませんよ。」
うっ、何という核心を突いた言葉。なんとなく「普通」と思っていても、実はその「普通」には明確な定義が無く、人の人生はそれぞれに違うもの。私が以前に書いた「みんなちがって みんないい」もそれに通じることか。

では、私なりの「普通でない」人生。どう生かそうか?

【mixi過去記事】シリーズ坐禅 2 発心寺摂心

2007年12月31日17:55


また思い出し日記になってしまうが、5月の連休を利用して、福井県小浜市にある発心寺の摂心会に参加してきた。

原田雪渓老師との相見の際に「お分かりにならない事はお分かりにならないままにお坐り下さい。分かろうと思ってはいけません。ただ、吐く息、吸う息を意識して下さい。」と言われた。

若い方も参加しておられ、私もしっかり坐らねば、と奮い立たされた。坐禅と坐禅の間の時間に比較的余裕のあるスケジュールになっていた。休憩時間中に僧堂で坐る人の姿はなぜか少なかったが、私は外単で一人坐っていた。しかし、日に日に足が痛くなるので(特に結跏趺坐だと)、皆で坐禅をする時間に影響しないように、随坐は控えめにしておこう、とか余計な事を考えてしまうのが悲しい性か。

位牌堂で夜坐を組む人も多かったが、私はどうしても眠くなってしまうので、翌日からは僧堂の軒先で茣蓙を敷いて坐った。外は夜になると適度に気温が低く、気持ちよく坐れた。

摂心会中日の雪渓老師の法話(「提唱」と言うには簡易的な感じに思えたので)で「皆さんが努力したとか、努力してないとか、そういうんじゃなく、今日までの結果は『かくの如し』ということです。」というお話があった。私は、これはきっと「みんな努力が足りないからこの程度の結果なんだ」という意味だと思ってしまい、叱られているようで落ち着かなかったが、その後、ルメ大岳師(雪渓老師のお弟子さんで"The Essence of Zen"の訳者)の英語訳を外国人参禅者に混じって聞くと、確か"Regardless of your effort, the result is here."というような事を仰っていたと記憶している。ああ、なるほど、そういうことか。厳密にして厳粛なる因果の道理を説明しておられるのであって、決して人を責め立てているのではないんだ、ということが理解できた。しかし、その因果の道理は厳然としてそこにあるのだから、自分の行為が只今の結果を導き出していることを素直に見つめなければならないのだが。私にとっては雪渓老師ご自身の言葉よりもルメ大岳師の英訳の方がよく理解できることが多かった。そして、やはりルメ大岳師が雪渓老師の弟子として、老師が最も言いたい事をよく理解しておられるからこそ、そのような名訳ができるのだと思った。(ちなみに、"The Essence of Zen, Dharma Talks Given in Europe and America"は比較的平易な英語で書かれており、ある程度禅や仏教に対するバックグラウンドを持っている人であれば読みやすいと思うので、ぜひご一読をお勧めする。私は決して講談社インターナショナルの回し者ではありませんが。)

しかし、いいことばかりではない。僧堂から出る際にある人が維那和尚に向かってあかんべーをしていた。何か気に入らないことがあったのだろうが(多分あの件かな、と私の中である程度想像はついている)、せっかく坐禅をしに来ているのに、それじゃあ、台無しだよ、と思ってしまった。まあ、他人の批判ばかりしてちゃ「不説過戒」に背いてしまうし、やめておこう。

そしてやはり参禅者は「お客様」なのだな、と感じた。部屋のごみ箱の片付けも雲水さんがやってくれるし、ごみの分別方法が複雑になったので、一般参禅者は勝手にごみを分別せず、すべて部屋のごみ箱に入れて下さいとも言われた。食事の用意はもちろん食事当番がするから何もしなくて良いし、何から何まで至れり尽くせりで、その分しっかり坐れということだと思うが、なんだか申し訳なくなった。

発心寺を後にし、小浜駅のトイレの鏡に写った自分の顔を見ると、ひげが伸びていて、すごく怖い人に見えて若干ショックだった。まあ、そんな自分にとらわれている日常がまた始まる。

【mixi過去記事】シリーズ坐禅 1 鎌倉

2007年12月31日15:27


先日、鎌倉に泊りがけで坐禅会に参加した。泊りがけ、といってもお寺に泊まったわけではなく、円覚寺の暁天坐禅に参加しようと思うと、どうしても鎌倉近辺で泊まらなければならないので、鎌倉駅前のホテルに泊まった。

古い洋館のようなホテルで、「離れ」の部屋と聞いていた。さぞかし風情があるのだろうと思っていたが、駐車場の片隅の警備員室のような建物、なおかつ部屋のトイレは駐車場のトイレを共用している。しかし、まるで家族ぐるみのようなアットホームな感じと、部屋の「思い出帳」のようなノートに書き綴られた様々な人の様々な思い、なかなかに別の意味で風情のあるお部屋ではないか。

まずは円覚寺居士林での土曜坐禅会。天気が良いこともあって多くの人が参加していた。おばちゃんたちがおしゃべりをしていると、指導にあたられる老師が「ぺちゃくちゃおしゃべりをしない!」と一喝。カップルの姿も多く見られた。坐禅後、その老師が「その人を見てみれば真剣に坐禅をしに来ているか、物見遊山で来ているかすぐに分かる。」と仰っていた。

その後、経験者のみが参加できる宿泊坐禅会に志ある居士の方々が集まって来ておられたが、準備作務のお手伝いの後、おそらくリーダー格的な居士の方が「人間はちょっとでも油断をするとすぐに後退してしまう。厳しく鍛えてゆかねばならない。」という旨のお話があり、その後、外国人参禅者が悟りを得たいと言ったのかもしれないが、「悟りなんて我々は口にすることすら許されない。もっと地に足を付けた目標を持ったほうがいいんじゃないか。」と彼に言っていた。

どうもここは私が来る所ではないような気がした。

続いて、建長寺方丈での坐禅会に参加した。割と若い僧侶の方が指導をされていたが、法話として「三宝」のお話があった。

仏とは指導者。テニスをやっている人なら、テニスを教えてくれる先生。
法とはその教え。テニスをやっている人なら、その教えの内容。
僧とは仲間。テニスをやっている人なら、一緒にテニスをがんばる仲間。

参禅している人には観光客も多いので、最初はその人たちのレベルに合わせてあえて分かりやすい例えを使っているのだろうと思っていたが、話を聞いているうちに、いや、これは至極本質的な事ではないか、と気付き、涙が出そうになった。考えてみたら、人生常にそうではないか。何かを教えてくれる人がいて、その教えがあって、そして共にがんばる仲間がいる。これは宗教とか制度とかを超えた人の生きる姿そのものだ。その全てを、その瞬間を敬い、愛し、慈しむ。何を今更当たり前の事を、と言われるかもしれないが、私にとっては感動だった。

翌朝、円覚寺の暁天坐禅会に参加した。法堂の端にベンチのような簡易的な単があり、その上に坐った。

その後、さらに円覚寺大方丈での説教坐禅会に参加した。大方丈は満員だった。円覚寺の塔頭寺院の住職が、面白いことに曹洞宗で用いられる『修証義』の「発願利生」をテキストにして法話をされた。この老師の師匠であった朝比奈宗源老師が分かりやすい法話をすべきだ、との信念をお持ちだったそうで、この修証義も分かりやすい法話の題材として選ばれたのだそうだ(もしかしたら宗源老師が駒沢大学の教授をされていたこととも関係しているのかもしれない)。

その後、坐禅を行ったが、老若男女多くの参加者がいた。昨日の外国人参禅者もいた。友達と来ていた学生風の若者は、警策で叩く音が大きく響き渡っていたせいか「びびった」と言っていた。しかし、こういう若者(そう書いているお前は何歳じゃ、というつっこみは無しで。。。)が、観光がてらとは言え、自ら坐禅会に来てくれているのは嬉しい気がした。その後の清掃作務にも多くの人が進んで参加していた。

「物見遊山」でもいいから、仏教と坐禅に触れようとする人が多くいる事を頼もしく思った。

【mixi過去記事】生えてる子も生えてない子も

2007年12月31日13:10


先日、銭湯に出掛けた。

体を洗っていると近くに中学生くらいの子が5人くらい来て、やたらと騒いでいる。おいおい、少し静かにしてくれないと迷惑なだけじゃなく、自分たちも転んで怪我するぞ、と心配しながらも、僕は気が小さいので(本当か?)特に注意もしなかった。

「おい、俺の顔の前にちんこ近づけんなよ!」などと言いながらキャッキャッ騒いでいて、まあ、仲の良いこと。しかし見てみると黒々と陰毛が生えている子もいれば、生えかけの子、まだ小学生みたいで全然生えていない子もいた。

僕は小学6年生の夏に、プールの授業の着替えのとき、陰毛が少し生えていることが見つかってしまい、それをネタにされていじめられたことがある。まあ、それが単一の原因ではないのだろうが「ちん毛の生えとる奴と一緒にせんでくれ!」と、付き合いに壁を作られたり、「普通は中1か中2で生えるもんやじゃ。エロいことばっかり考えとるから小6のうちから生えるがんじゃ。」という全く根拠のないことを真実であるかのように言われた。まあ、小学生に限らず、人間は常に全く合理的根拠を欠くにも拘らず、それが真実であると思い込む行為を世界中の至る所で繰り返しているのだから。

一方で、僕が中学1年の時、中学3年の先輩が同じく3年の人を「そんなガキみたいな事を言っているやつはちんこに毛が生えてないんじゃないの!?」と、からかっているという風ではなく、侮辱的な口調で罵っているのを見かけたことがある。

その銭湯に来ていた中学生くらいの集団は違っていた。みんなそれぞれに陰毛の生え具合は違うのに、仲間はずれはいない。まあ、他の場所で見れば違うのかもしれないが、少なくともその場では全員が一緒になってはしゃいでいた。

君たちはいい子だ。あともう少し、周りに迷惑を掛けないように気遣うことさえ覚えれば、きっと将来いい大人になるに違いない。

「みんなちがって、みんないい。」