【mixi過去記事】若き人生の達人
2009年01月10日11:05
理科一類から経済学部に進学が内定している彼は、講義後にいつも先生に熱心に質問をしている。茶髪にピアスという出で立ちで見た目はややチャラいが、なんと勉強熱心な人なのだろう、と尊敬の眼差しで見つめていた。
僕は精神的に弱いせいか、追い詰められると、自分の能力に限界を感じることがある。周りを見渡してみると、自分よりも若い学生たちが希望に満ち溢れ、前途洋々としているように感じられ、彼らと比較すると、「自分は生きている意味があるのか?」などと思ってしまう。そんな折、彼に「何だか自分が生きている意味が分からなくなった。」と漏らしたところ、こんな言葉が返ってきた。
「将来、こんな風になりたい、と思ってもその通りになる確実はとてつもなく小さい。将来のことを思い煩うより、『今、自分がどう生きたいのか』を考えて、今やりたいと思ったことをやる方がいいよ。今を大事にして生きるんだよ。これは理屈じゃないんだ!理屈で考えてもどうにもなるものじゃないんだ。」
驚くべき言葉だった。彼は理一だし、線形代数の教科書を興味深そうに眺め、統計の講義の際には、先生に鋭い質問をし、式の誤りを指摘したこともある。数学的・論理的思考に馴染んでいると思っていたのだが、そんな彼から「理屈じゃないんだ!」という言葉が出てくるとは思ってもいなかった。そしてまた、これと同様のことは古今東西の偉人たちが異口同音に言ってきたことだ。
「なんで若いのにそんな凄い事が言えるの?今、君はとてつもなく凄いことを言ったんだよ。人生の達人じゃなきゃ、自分の実感としてそんな言葉は出てこないよ。」
「いや、40代の会社社長なんかと付き合いがあるから、いろんな話聞いてるしね。」
その後、結局そうは言っても、先々のことはいろいろ思い悩むよなぁ、と思い、すっきりしない思いもあったが、きっと彼の言葉は正しいのだろう。
ますます、彼に対する尊敬の念は深まった。
【mixi過去記事】箱根駅伝-城西大学の棄権-
2009年01月10日10:22
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ここで倒れてはいけない、前へ進まなければ。そう思っても体が動かず、両脇を抱えられながら、石田選手は号泣する。「すみません、すみません......。」と何度も謝る。寝かされてから、酸素の補給を受けながらも、朦朧とする意識の中で、なおも「すみません、すみません......。」と謝りつづける。周りが「分かった。もういいから、休め。」といっても、彼は涙ながらにひたすら謝りつづける。
きっと、彼はこう思ったに違いない。城西大学は好成績が期待されていたにも拘らず、自分が襷を繋ぐ事はできなかった。いくら詫びても詫びきれない悔悟と屈辱と自己嫌悪。どうしようもない気持ち。そんな中で、ひたすらに「すみません」を連呼する以外に一体何ができるだろう?
一般的に「スポーツマンの涙は爽やかだ。」などというコメントがよく聞かれるが、これは部外者のコメントでしかない。本人にとってみれば、棄権や敗北はとてつもなく残酷なことだ。
次の9区を伊藤一行主将が公認区間賞を上回る記録で走り、意地を見せたが、城西大学は棄権しているため、「幻の区間賞」となった。
全区間を走り終わり、最後に集まった際に、伊藤主将は「今回は途中棄権という形になったが、それは彼が『勝ちたい』と思う気持ちが強かったからだと思う。そんな彼を称えたいと思う。」と皆の前で言っていた。その言葉に勇気付けられたのか、石田選手からは「来年はもっと強くなって頑張る」と、前へ進もうとする力強い言葉が聞かれた。
伊藤主将は4年生。来年は大会には出られない。「自分にとって最後の大会を途中棄権にするなんて」と腹を立てるのではなく、現実をありのままに受け止め、どうすればチームメイトが石田選手を責めることなく、良い雰囲気の団結を保てるか、そう考え、「彼を称えたい」と言った伊藤主将はチームのリーダーとして立派だと思った。
城西大学の来年の活躍は大いに期待できそうだ。
【mixi過去記事】クリスマスソングに思うこと
2008年12月25日03:41
「神の御子は今宵しも」、「牧人 羊を」、「荒野の果てに」などの定番曲を歌っていたが、これがなかなか素晴らしい。足を止めて聴いてみた。しかし、道行く人道行く人、興味も無いという素振りで通り過ぎてゆく。もったいない!これは足を止める価値はあると思うけどなぁ。それとも本当は聴きたいけれど、止まって聴くのが恥ずかしいのだろうか?などと勘繰ってしまった。私自身も、止まって聴くと、野次馬のように見られるのが嫌で、一瞬、足を止めるのに躊躇してしまった。
日本では「諸人こぞりて」という歌詞で有名な曲が
"Joy to the world, the Lord is come!"
と歌いだされた時、ああ、救世主とは、抽象的に言えば喜びそのものであり、その救世主の存在によって、この世は捨てたもんじゃない、どこかで愛されるべき存在、愛すべき存在なんだ、と直感的に思った。
「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。」(ヨハネ3:16、口語訳)
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。」(同、新共同訳)
(それぞれの訳に一長一短あると感じられるので、両方載せておきます。)
救世主の存在によって、愛されている、守られている、喜びがある、そんな素朴が願いがキリスト教の一つの純粋な形なのではないだろうか、と(主観にすらなっていないが)感覚的に、そのように思った。
さて、クリスマスシーズンになると、よく流れているのが、ジョン・レノンの "Happy Xmas (War Is Over)" だ。クリスマスという本来はキリスト教徒の行事に過ぎないもの(と言っては言い過ぎかもしれない。本来、キリスト教とは関係の無かった冬至の祭りやクリスマス・ツリーなどが入り込んでいるから、この行事は確かに種々の文化の混合物なのだが)を、これほどまで人類的レベルに止揚した曲は無いのではないかと私は思う。
And so this is Xmas
For weak and for strong
For rich and the poor ones
The world is so wrong
And so happy Xmas
For black and for white
For yellow and red ones
Let's stop all the fight
と、多様性を認め合い、今日くらいは戦いをやめようではないか、と歌われる。
オバマ次期米大統領が先日の勝利演説で、
It's the answer spoken by young and old, rich and poor, Democrat and Republican, black, white, Hispanic, Asian, Native American, gay, straight, disabled and not disabled. Americans who sent a message to the world that we have never been just a collection of individuals or a collection of red states and blue states. We are, and always will be, the United States of America.
と言っていたが、もしかしたらこの歌詞を意識したんだろうか?しかし、単に貧富、人種だけではなく、性的マイノリティーと障害者の存在を取り込んだところに、より深みを感じる。
来年は、皆が平和で安らかに、そして幸せに暮らせる一年でありますように。
補足
今週の『AERA』に佐藤優氏が「民主党も共和党も、黒人もヒスパニックも、同性愛者も障害者も、一つの『アメリカ合衆国』という国だ、という、オバマ氏の演説は聞こえは良いが、極端に言えばファシズムの影を感じる。民主党も共和党も一緒に、などということはあり得ない。」という主旨のことを書かれていた。確かに、"We are, and always will be, the United States of America." をことさらに強調すればそのように解釈できなくもないが、むしろ、これは対立陣営をなだめて取り込むためのリップサービス的要素があるのではないかと思う。
以前に、オバマ氏が「私はバラク・オバマという変な名前だが、変な名前でも受け入れてくれるこのアメリカ合衆国という国は素晴らしい」という演説を行ったと聞いたことがある。つまり、そのように多様な存在を認め合うのがアメリカ合衆国という国であり、それこそがアメリカ合衆国の良いところであり、そこを大事にしなければならない、ということだ、という意味に解釈したい。
昨年の期待とは裏腹に、中東情勢は泥沼化している。止まぬ悲劇に心が痛む。
na hi verena veraani sammantidha kudaacana
averena ca sammanti esa dhammo sanantano
まことに、怨みによって怨みが静まることは、決してありません。
怨まないことで静まるのです。この真理は永遠です。
(法句経 Dhammapada 第5偈)
【mixi過去記事】生と死のはざまはリアルだ。
2008年12月25日02:42
「あ、親父さん大丈夫?」
「すみません、ご心配お掛けしました。父親は、まあ、何とか落ち着いたんですが......。」
どうやら話しぶりからすると、その後輩君の弟さんが亡くなったらしい。先輩君も、どうも同じような境遇を抱えているらしく、「気持ちは分かるよ。」というような事を言っていた。そして、兄である君は、弟が死んだということを背負って生きていかなければいけない、というような事を話していたように思う。
ここのところ、繰り返し繰り返し、「生きること、死ぬことをもっと見つめろ」と誰かが私にメッセージを発しているのではないかと感じることもある。それは単に私が(若干、精神的に病んでいるのかどうかは分からないが)そういうものに敏感になり過ぎているだけなのかもしれないが。
小学生の頃、同級生の弟が用水に落ちて亡くなったが、彼は、あっけらかんとした感じで「俺の弟が死んだんだ。」と話していたことを思い出した。その当時は僕は彼の気持ちなど知るべくもなかったが、ようやくこの年になって、全く顔を見たことのない他人であっても、その死というのは、とてつもなく重大なものなのだと感じられるようになった。
Mr. Children の「いつでも微笑みを」に
もし僕がこの世から巣立って逝っても
君の中で僕は生き続けるだろう
そう思えば何とか やっていけそうだよ
とあるけれど、そんなに簡単に心の整理はつくものか?
今日、今年最後の坐禅会ということで、しばらくお休みしていたが、時間もとれたので、久しぶりに林泉寺に出かけ、坐禅を組んだ。坐前後の法話で住職が、昨今の不況は厳しいが、それ以前から、日本では自殺者が年間3万人を超えている、という話をされた。条件付きで生まれてくる人はいない、人は無条件に生まれてくる。親から、大自然から、無条件に生まれてきて、それぞれの役目を終えたら、大自然に帰ってゆく。人から借りた物は大切に使う。自分の命も「自分だけの」命ではなく、大自然からお借りしているだけ。お返しすべき時まで大事に扱って、お返しする時が来たら、有り難うございました、と言って喜んでお返ししたいものだ。という話だった。
警視庁の資料によると、昨年の日本の自殺者数は33093人、1日あたりに直すと、約90人。1日に90人もの人が自ら命を絶っているのだ!人ごとではない。
死は身近だ。生きることとか、死ぬこととか、抽象的で哲学的な、「なぜ生きるのか」とか、そういうんじゃなく、それは誰にでもリアルに起こること。リアルにしてシビアな現実世界。自分は心の準備はできているだろうか?
【mixi過去記事】忘年会-清々しい敬意、瑞々しい感受性-
2008年12月21日18:53
嫌味な響きかもしれないが、さすが東大生だけあって、皆、勉強熱心だ。しかし、単に勉強ができればよいと考えている人はおらず、その努力は人間的な素晴らしさに支えられているのだ、と実感した。人生への長期的熱意、日々を生きることの短期的熱意。後で彼らのmixi日記を覗いてみると、家族との軋轢を乗り越えながらも逞しく(しかし、人目にはまったく逞しさの素振りを感じさせること無く)生きている姿に、彼らへの敬意を新たにした。また、彼らの日記には多くの仲間たちからコメントが付いている。彼らの人徳がこれほどの仲間を惹き付けたのだろう。「桃李不言下自成蹊」(桃李は言はざれども下自づから蹊を成す)
昨晩は本当に楽しく、皆、予想外だったが、朝まで飲みつつ語り合ってしまった。
もし、自分がこのような人生を選択しなければ、こんなにも尊敬できる彼らに巡り合うことは無かったのだ、と思うと、自分は幸せだと思えた。
久しぶりに、素直に他人への敬意を自分の努力の糧にできるという、思春期の頃の瑞々しい感覚を思い出したような気がした。
【mixi過去記事】日々是好日
2008年12月21日18:40
そして、また、ふと思った。一方で死に対する恐怖があり、生きることへの執着を感じる。辛いとか何とか言いながら、「生きている」ってことは結局こういうことなんじゃないか。
一歩引いて、他人になったつもりで、自分を客観的に見てみると、悩みながら生きていく自分を主人公とした、人生という超長編映画の中で物語を演じているのだ、と思える。俳優として、精一杯に主役の気持ちに「なりきって」、演技を楽しもうではないか。
楽しんで生きていこう。
【mixi過去記事】趣味の力
2008年12月05日23:06
僕自身も鉄道は好なので興味津々だったが、こいつらは並みの鉄ちゃんではない。米坂線の車両形式とか、車体の塗装とか、只ならぬレベルである。携帯で撮った写真を見せて、「雪景色だったら良かったんですけどね。でも稲穂が実っている時期はきれいですよね。」「いやぁ、写真撮るのがうまい人って羨ましいですよ。」などと話している。もはや芸術の域にまで昇華されている。
しかし、あることに気が付いた。こいつら、何でお互いに敬語で話し合っているんだ?最初は先輩後輩かと思ったが、お互いに敬語というのはおかしい。よく見ると制服が違う。推察するに、彼らは鉄道という共通の趣味をきっかけとして知り合ったのだろう。違う学校の人ということで、微妙な距離感からお互いに敬語になっているのだろう。
しかし、逆に言えば、本来は接点の無かった人どうしが、趣味を媒介として知り合い、親交を深めてゆく。たかが趣味だが、人と人をつなぐ大きな力がある。当たり前のようだが、改めて考えてみると、これは結構すごいことなのだ、と思った。
【mixi過去記事】勇気付けられる一言
2008年12月05日22:49
時々、自分に自信を無くし、生きるのが嫌になることもある。
僕が親しくしている文学部のMさんは既に33歳で、大学4年生。
「来年、卒業されたら、その後はどうされるんですか?」
「いやあ、来年も人間やってますよ。」
少なくとも日本にいる限り、どんなに自分自身に能力が無いと言って悲観しても、人間として生きてゆくことはできる(という可能性は極めて高い)。
僕はどんな生き方をしようとも、来年も人間をやっていられる。
【mixi過去記事】畏友と呼ぶべき人の引越し
2008年07月21日15:22
S大学は、さいたま市にあるとは言え、駅からは離れており、意外に交通の便が悪く、通学に時間がかかり過ぎる、との事で、今日、彼は大学の近くに引っ越すことになった。
昨晩、いろいろ話そう、ということで、彼と食事に出かけた。実家が兼業農家だそうで、農家の視点から、これからの日本・世界の農業について、大学での勉強、そして今後の進路についてなど、話は尽きなかった。そして、何より驚いたのが、彼が「生きる意味」を真剣に考え、そして悩んでいることだった。
なぜだ?なぜだろう?彼はまだ18歳だというのに、私が18歳の頃に考えていた事よりも、ずっと多く、ずっと深く思索している。昔から少林寺拳法をやっているそうで、そこで教えられたことや、農業の手伝いをする中で、厳しい日々を送ってきたことが影響しているのかもしれないが、彼の人間性をこれほどまでに深くしたものは何だろう?しかし、決して陰鬱ではなく、むしろ飄々として、自由自在に生きているようにも見える。まったく、頭の下がる思いがした。
そんな話をしている時、人間が外界を「認識」して五感から得ている情報は実は自分の脳によって再構成されている全情報の30%程度、という話がある、という事を彼が言っていた。もしかしたら自分が見ている世界は全て夢かもしれない。全ては脳が作り出した世界。そう思うと、とてつもない虚無感に襲われた。
人間はいつ死ぬか分からない、ということも彼と僕は共通の認識を持っているようで、「もしかしたら、この店から出る時に階段から転げ落ちるかもね。」と、冗談ぽく話した。しかし、その後、道を歩きながら車道を走る車を見て、「もし、今ここで飛び出したら自分は死ぬ。経済学では家計は来期のことも考えて効用の最大化をすると言うが、ばかばかしい!人間は只今にも死ぬのかもしれないのに!」と、瞬間的にニヒリズムに陥ってしまった。
今日、引越し屋さんが手際良く彼の部屋の荷物を搬出して行った。「昨日はありがとね。これからも元気で。」と、彼と握手を交わし、見送った。
なんだか、すっかり寂しくなってしまったが、昨晩のわずかな時間に、僕にとっては、彼は単なる「知り合い」から「畏友」に変わった。
【mixi過去記事】無常
2008年07月07日20:56
まあ、私の判断ミスなのだが、「君は前からこういう事が多い。もう、こんな事はやめた方がいいよ。」と言われ、自分では全く思い当たる節が無いのに(だからこそ言われても直らないのかもしれないが)、自分が否定されたようで、すっかり落ち込んでしまった。
一旦、鬱のスイッチが入ると、抜け出すのはなかなか難しい。
家に帰ってテレビをつけてみる。「名探偵 コナン」が放送されていた。ちなみに、私はこの番組がわりと好きだ。
この番組は私が高校生の頃から放送されている。実家が富山の理容店なので、月曜日は店の定休日。月曜日に学校から帰って来ると、いつもとは違う独特の雰囲気がある。そんな雰囲気と「名探偵 コナン」はセットになっていた。この番組自体が好き、というよりは、放送されている曜日、時間帯の持つある種の「空気」が私は気に入っているのかもしれない。
そうだよ。高校生の頃から、実に約12年に渡って放送されている。そして、今、高校生の頃に抱いていたこの「空気」に対する感情と同じ感情を今、抱いている。12年以上経っているのに、気持ちは12年前と変わっていない。
小さい頃は、大人になることは、今の自分とは違う人間になることだと想像していた。だが、大人になっても、自分はあの頃予想していた「大人」にはなっていない。
10歳の自分は、あっという間に20歳になり、20歳の自分は、あっという間に30歳になる。そうやって年を重ねて、あっという間に死がやって来る。「大人」には永遠になりきれないままに。
他人とうまくいかなくてクヨクヨしている今日があっても、あっという間に露命は無常の風に吹かれてしまう。私も既に30歳だというのに、しがない学生。収入は無い。不安になる。
何のために生きているのだろう?
看取せよ看取せよ。
日々、ただひたすらに生きるしかないのか?分からん。まあ、生きながら見つけるしかないのだろうが。
勉旃。勉旃。