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【mixi過去記事】震災 メモ書き

2011年03月18日19:49


中東で革命まで起こす、インターネットの力。災害の際に情報を伝える際にも有効だろう(一部の出会い系掲示板は安否確認掲示板と化しているという話も聞く。この国の人々は捨てたもんじゃない!)。だが、電気が来ていない所では、それすら無力だ。時にインターネットはきわめて強力だが、時に、あまりに無力だということを痛感させられる。

タイトルを「メモ書き」としたのは、世間に何か良い影響があるわけでもなく、被災者の役に立つわけでも無い。ただ思った事を書いたまでだから。

三陸地方には「津波てんでんこ」という言葉がある。津波が来たら、他人の事など構わず、てんでんに逃げなければならない、という意味だ。なんと悲しく、そして厳しい言葉だろう。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm13864308

「寝たきりのおばあさんがいたのに、津波が来たら、おばあさんの事など忘れて逃げて来てしまった。情けない……。」と、ある人は涙を流しながら記者に答えたという。もし自分がその立場だったら、と思う。この人の悔しさは痛いほど分かる。

「夫も子供もみんな津波に流されてしまった。一人ぼっちになってしまうよ。」そう言って涙を流す女性。また胸が締め付けられる。

神戸新聞のコラムニストは、きっと泣きながらこのコラムをしたためているに違いない。
http://www.kobe-np.co.jp/seihei/0003867676.shtml
神戸だけではない。今、世界中の人々が被災者の事を思ってくれている。


親鸞は、自分は心が良いから人を殺さないのではなく、ただ殺す縁が無いから殺さないだけだ、もしかしたら、人を殺しているのは自分だったかもしれない、と言った。最近ふと開いた本に書いてあったことだが、聖書の中で、神は “I am that I am.”(私は私であるものである)と言ったそうだが、著者はその意味を、あるホームレスの人と出会ったときに、”I am that…… I am.”(あれは私、私なのだ)なのだということを悟った。もしかしたら、私こそ何らかの縁で、今ホームレスであったかもしれない、と。もしかしたら、私は津波に呑まれていたかもしれないし、避難所で暮らしていたかもしれない。


報道を見て、何度も涙を流し、今の自分には何もできないのがもどかしい。そして、同じように感じている人も多いだろう。しかし、自衛隊が10万人規模で展開するとなると、その規模の大きさから、当初は指揮命令系統が混乱しないか懸念されたというし、世界各国から災害救援チームが来ている。今はプロフェッショナルの人々を信頼し任せるべき時だ。そうした人々の活動を支えるべく、義捐金を送るのが最も良いだろう。マスメディアからは「今、被災地で何が足りていないか」が伝えられるが、これはロジスティクスのプロフェッショナルに向けて発せられているメッセージと思った方がいい。阪神・淡路大震災の時にも言われていたことだが、不用意に物品を現地に送ると、仕分けの手間が増えるなど、かえって迷惑になることもある。もちろん、適切な知識と技能を持った人のサポートとしてボランティアを行うのであれば、それは素晴らしい事だ。

ある人が「東日本の分まで、仕事がんばる!」とつぶやいていた。うん、そうだ。被災者に共感することは人間として自然な事だし、美しい心だ。しかし、何もせず、ただ悲しみにくれていても何にもならない。日本の景気がどんどん冷え込むと、それはかえって被災地の復興を妨げ、被災者を苦しめることにもなるだろう。 “Do your own duty.” 私たちは互いに分業して社会を成り立たせている。途上国の問題と違って、「同じ日本人だから」という感覚から、それなりの適切なメカニズムが構築される事は楽観視して良いと思う。ならば、原悟克氏が言うように、今、私たちは被災者から日本を「お預かり」し、日々の活動から復興のための原資を紡ぐ時ではないか。
http://norihara.livedoor.biz/archives/51672594.html


ただ、今は電気、燃料、食料、日用品が周辺地域(含む首都圏)でも不足している。節電のため、部屋の電気を消し、電気スタンドの明りでパソコンを打つ。膝には毛布をかけ、上着をはおる。そんなの、誰かにフリーライドされたらおしまいじゃないか、と言われるかもしれないが、幸い、今の日本は、良きにつけ悪しきにつけ空気を読む文化から、「節電均衡」の方へと向かっているようだ。スーパーマーケットには保存のきく食料が軒並み不足している。自分はこのところ、玄米と雑穀のおかゆ、味噌汁、漬物の粗食生活が続いている。


星野富弘さんの詩「日日草」を合唱曲にした「今日もひとつ」
http://www.nicovideo.jp/watch/nm10216772

悲しみにうちひしがれようとも、希望に向かって進もう。ただ涙を流すくらいなら、何かをしよう。アメリカで、自らも身体に障碍を持ちつつ、障碍者のための会社を作り、成功したヘンリー・ビスカルディは言う。
「希望を持つ事は贅沢などではなく、私たち人間の務めなのだ。」

【mixi過去記事】この兄弟は排除されるべき「特殊」な兄弟に過ぎないのか?

2011年02月21日00:28


『日テレニュース24』より

「通り魔やった」殺人予告中学生の兄を逮捕

 2月17日午後、東京都のJR新宿駅近くの交番に、東京・練馬区の少年(19)が「通り魔をやった」とカッターナイフを持って出頭し、警視庁に銃刀法違反で現行犯逮捕された。

 少年が出頭したのとほぼ同じ時刻には、新宿駅の高速バス乗り場付近で「カッターを持って『殺してやる』といいながら走り回っている男がいる」と110番通報があったという。

 少年は、今月6日にインターネットの掲示板で、新宿駅での無差別殺人を予告したとして逮捕された中学3年の男子生徒の兄。警視庁は、動機を中心に関連を調べている。


上記のニュースに関して、何か心に引っかかるものを感じたので、mixiでのニュース日記を探してみたところ、あまりにも「この兄弟はバカ」で片づけている意見が多かったので、私なりの考えも書いてみたいと思いました。

他の方が、実はこの兄弟は父親から虐待を受けており、家を出て、兄弟二人だけ暮らさなければならない、極めて厳しい事情があったのだと指摘されており、そのような子供を見つけ、ケアをするのは、周囲の大人たち、社会の役割ではないか、とmixi日記の記事にされていたのですが、ここでは省略させて頂きます。以下が、その記事に対する、私のコメントです。

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初めまして。ニュースから来ました。他の多くの方にも見て頂きたいので、引用させて頂けますか?

私も、コメントには同感です。私はこのニュースを見た瞬間に「あ、この兄弟、きっと裏に何か事情があるに違いない」と直感しました。多くの日記が、これを「バカ」の一言で片づけてしまっていますが、私はこれは、極めて「第三者」的であり、単なる排除の論理でしかない(単純化すれば「悪い奴を社会から排除すればすべてがうまくいく」という類の思考)と感じました。

もちろん、彼らの父親が悪い、そして、彼らがとった行動も正当化はされない。確かに、人混みの中でナイフを振り回すような人がいるのであれば、人々の不安を煽り、最悪の場合、身体的にも被害者が出る可能性がありますから、これを「兄弟愛」と言って正当化することはできないでしょう。しかし、その家庭内の「閉じた」問題として捉えると、こうした問題が起きる構図を矮小化してしまう可能性があるのではないか、と懸念します。つまり、親が子供を育てる能力を欠いている場合、適切に他者に頼れるようにしやすくする制度や設備の充実、また、Mさんがおっしゃるように「それに気づかなかった周りの大人が一番いけないとおもう」というのも、ソーシャル・キャピタルの欠如した「無縁社会」となり、周囲の大人が、子供の健全な成長に無関心だったとすれば、適切な責任を果たしていないという意味において、その通りだと思います。

さらに言えば、彼らの父親がそのような状況に追い込まれているのにも何らかの事情があるのではないか、と思うのです。今回の事件の裏にある詳しい事情は分かりませんので、正確な推測ではないかもしれませんが、「格差社会」の中で下層にいる人たちに対する精神的ストレスが様々な問題行動を引き起こす可能性を高めることが数々の研究で示されています(決して、社会・経済状態が下層の人々は全てそのような行動を起こすと言っているのではありません。統計的に見て、他の事情が一定だったとした場合、そのような傾向が見て取れるというだけです)。そうした「原因の原因」にも目を向けるための教訓としなければならないかもしれません(確かに、私のこのコメントも「第三者」的ではありますが)。

長文失礼しました。


【mixi過去記事】自分の中に巣食う差別意識

2011年02月02日20:14

※ 以下の内容は人によっては挑発的意図があると取られるかもしれませんが、自分の心をありのままに吐露したものですので、決して「煽り」ではなく、どう考えるべきか建設的な意見をお聞かせ頂ければ幸いです。


<エピソード 1>
キャリーカートにたくさんの荷物を乗せたおばあさんが電車に乗ろうとしていた。しかし、電車とホームとの間には隙間がある。
「すみません、ちょっと荷物を持ち上げるのを手伝ってもらえませんか。」
おばあさんは、私も含め、電車に乗っている人、乗ろうとしている人に声をかけるが最初は誰もなかなか相手にしようとしない。きっとみんなはその大量の荷物からこの人がホームレスであるということが一目で分かるからだ。早く誰か手伝ってあげないと、電車のドアが閉まってしまう。そう思った時、一人の女性がその重そうな荷物を持ち上げるのを手伝った。

「早く誰か手伝ってあげないと」そう思う僕の心はまさに「自分は手を貸さない」という心の裏返しだ。そして「儀礼的無関心」の態度を取るのだ。そして、電車の中で居心地の悪さを感じながら「早くこの人が降りないだろうか」などと考えたりする。

上記のエピソードとは別の機会だが、電車の中でホームレスの人から漂ってくるアンモニア臭のような異臭に「なぜこの人は体を清潔にしないのだろう?」などといぶかったりする。自分がやや潔癖症ぎみなのかもしれないが、きっと潔癖症のホームレスがいたら、きっと僕はそんなことは思わないと信じているのだが(いや、そう信じたい)。

<エピソード 2>
これも電車の中で。時々、知的障がい(「障害」、「障碍」、「障礙」どの表記を使うべきかは論争があるようなので、「とりあえず」平仮名で書いておく)を持っているであろう人が何かつぶやきながら車内をふらふらと歩いている。「自分は特に気にしていないが、他の人は彼のことをどう見ているんだろうな。」などと考えてしまう。一番気にしているのは自分のくせに……。

<エピソード 3>
以前、大学のキャンパスで足に障がいを持ち、松葉杖を使って歩いている人(そしておそらく、若干の知的障がいも持っているように見受けられた)が「学食はどこですか?」と僕に尋ねてきた。僕は学食へと案内し、彼は「カレーが食べたい」と言うので、カレーの食券の買い方も教えてあげた。そして彼は「大学で働きたい」と言うので、僕は大学のバリアフリー支援室にわざわざ訊きに行き、「ハローワークに情報を出すので、そちらを確認してほしい」旨、学食まで伝えに行った。「ああ、自分はなんという善行をしたのだろう。実に気持ちの良い事だ。」そして「その自分の行為は『善行』であると位置づけねば、この骨の折れる無報酬の仕事に意味を見出すことなど出来やしない!」と心の中で嘯く自分がいる。「そうさ、これは『功徳』を積んでいるんだ。きっと昔話の世界なら、彼は観音様に変身して、僕を極楽浄土へと導いてくれるに違いない。僕は昔話のヒーローだ。」

<エピソード 4>
いわゆる「黒人」や東南アジア、南アジアから来た人と握手をする際、妙に体臭を気にしてしまったり、その握手をする手が清潔なのか疑ってみたりする。彼らの作った料理を食べる際、「お腹こわさないだろうか?」「彼らは素手で食べてて、お腹こわさないんだろうか?ちゃんと石鹸で手を洗っているのか?」などと余計な事を考えてしまう。

<エピソード5>
コンビニの入口脇に置いてある灰皿の周囲でたばこをふかしながら携帯電話で大声で喋る若い女性。つい「ああ、こんな無教養な人間にはなるまい。」などと思ったりする。もしかしたら彼女はとんでもない教養を持っているかもしれないのに、ただ外見から、そう思ってしまった。


口では「多様性」と「共生」を言いながら、振り返ってみると自分の心の中は醜い差別意識でいっぱいだ。そして僕の理性はその事に気付いているから、ひたすら「儀礼的無関心」を貫く。インターネット上の某掲示板はホームレスに対する罵詈雑言に溢れているが、その中にある「人権派よ凍死ホームレスに涙するならお前の家に入れてやれ!!」という言葉が真実を突いている。

「ホームレス」と一括りにされる人々がホームレスになった理由は一様ではない。ある時突然、会社が倒産した人もいるだろうし、リストラされた人もいるだろうし、実家にいられなくなり、都会に出てきたが「ネットカフェ難民」にも「ファーストフード店難民」にもなれずにホームレスになった若者。知的障がいを持っているがゆえに、一度何かのきっかけでホームレスになってしまったら、もうそこから抜け出せなくなってしまった人(特にこれは深刻だと思う)。そんな人々のためにはセーフティ・ネットがあるべきだし、行政側はそうした情報をもっと周知する努力をしないと、せっかくのセーフティ・ネットが利用されないままになってしまう。だが一方で、件の某掲示板にも多く書き込まれているように、自らの意志でホームレス生活を続けている人に対して、自分も含めて、果たして人は同情するだろうか?「自己責任だ」「せめて他人に迷惑はかけるな」という声が聞こえてきそうだが、果たして本当にそうだろうか?周囲を気にせず、異臭を放つ人はきっとそれが「異常なことではない」と考えるような精神状態に至る何かがあったに違いない。だが、ここでも僕は「異臭を放つなんて世間的に見れば異常だ。彼らは精神がどうかしているに違いない。」という思考に陥っている。これは「差別」に相当するのだろうか?もし、そうではないとすれば、「通常の」日常生活が送れるような精神状態にするためのカウンセリングなどの適切な機会が提供されるべきではないだろうか?

深夜、おそらく老女だろう、腰を曲げ、空き缶を大量に積んだリアカーを引きながら凍てつく風の中を薄着で歩いている。そして、彼女は「単なる通行人」であり、僕も「単なる通行人」として、彼女には目もくれず、家路を急ぐのだ。何とも言えぬ後味の悪さのようなものを噛みしめながら。


(寄せられたコメントについては省略)


(コメントへの返信のまとめ)

ということで、皆さん、お忙しい中、本当にありがとうございました。一つの結論としては「人間が何らかの差別の心を持ってしまうこと自体は仕方が無い。重要なことは、どのようにして、社会の中で差別により不利益を被る人がいないようにするか」といったところでしょうか。

もちろん、この後も気になった方がいらっしゃれば、ご意見、どんどんお待ちしていますexclamation



【mixi過去記事】英語の「社内公用語化」の流れ

2010年09月23日23:33


msn産経ニュースの「風」に寄稿してみた。

【風(4)英語が公用語!?】記者も賛成、話せて「損」はない
http://sankei.jp.msn.com/life/education/100909/edc1009091433001-n1.htm

本文中の「かつて商社に勤めていたという男性(32)」というのは、おそらく私の事。かなり長々とつづったのだが、スペースの関係からほんの一言になっているあせあせ

以下、そのメールの全文。改めて読み返してみると、ちょっと文章がくどいあせあせ(飛び散る汗)

<二者択一でない議論を~「道具」としての英語~>
どうも他の方のご意見を拝見すると(「【金曜討論】「国際化の必然」?「長いものに巻かれる発想」?社内の「英語公用語化」」、「【私も言いたい】「社内の英語公用語化」/「賛成」2割台にとどまる」)、英語の社内公用語化に対し「賛成」か「反対」かの二者択一の議論になってしまっているように思います。私は、英語の社内公用語化は、外国から優秀な人材を引き付けるため、また、日本人社員が海外で活躍するために英語での仕事に慣れておくという意味では歓迎すべき事と思いますが、日本人同士のコミュニケーションまで英語に縛る「英語原理主義」に至る必然性は感じません。おそらく、「何が何でも英語で」というスタンスは「自社は英語でビジネスを行う」ということをアピールするためのパフォーマンスのためであり、それ以上の実質的意味は持ち得ないでしょう。

私は以前、とある小さな専門商社に勤めていましたが、日本人同士のコミュニケーションは日本語で、外国人を交えて話をする場合は英語で話し合っていましたが、これは誰かがルールを作ったわけでもなく、皆が当たり前のように使い分けていました。つまり、言語は道具に過ぎず、通じればそれで良いのです。また、逆に通じないのは問題で、英語力が十分でないのに、無理やり英語を強制されて、かえってコミュニケーションが取れなくなる、となれば、言語の使い方としては本末転倒です。私は、現在は日本国内の大学院で学んでいますが、留学生が多いため、授業、資料、学生への連絡事項等に関して、英語は部門内の「事実上の」公用語になっています(ただし、留学生はアジア、アフリカ、南米等から来ており、英語を母国語とする人はほとんどいません)。また、日本人同士が個人的に会話をする場合は、日本語ですが、互いに母国語が異なる人々がコミュニケーションをとる場合、英語で会話をします。しかし、これも誰かがルールを決めたわけではなく、そうしないと互いにコミュニケーションが取れないからであり、皆がこの状況を当たり前の事として受け止めています。日本人、中国人、インドネシア人、バングラデシュ人、タンザニア人、ブラジル人が集まって会話をするとしたら(この中に英語を母国語とする人は一人もいません。従って、条件は皆、平等です)、英語で会話をする以外考えられません(私の実体験として、事実その通りです)。(ちなみに、【私も言いたい】の中での宮城の男性会社員の方の「日本語による細やかな社内コミュニケーションがなくなることで仕事の質が低下する」というご意見の真意は測りかねますが、「日本語は英語よりも細やかなコミュニケーションに適している言語である」という意味ならば、それは全くの誤解であると指摘せざるを得ません。)

私が重要だと思う点は、「何が何でも英語で」という「英語原理主義」に陥るのではなく、コミュニケーションの道具として、英語は、好むと好まざるとに関わらずデファクト・スタンダードになっている以上、その利便性を生かさない手は無い、わざわざ「不便」にするために使うものではないけれども、英語を使う事によって「便利」になることは、大いに歓迎すべきである、という事です。おそらく、記事の中にある日産自動車の例が、ちょうど良い塩梅なのでしょう。また、英語はコミュニケーションのための「道具」に過ぎないのですから、英語を話せる事はプラスの評価になるとしても、その道具を使った上で、どのような仕事ができるかが問われるべきであり、内田樹氏の「『仕事はできるが英語ができない』人よりも『仕事はできないが英語はできる』という人が社内で高い格付けを得ることになる」という指摘は杞憂でしょう(むしろ、それが現実になってしまうくらいに日本の企業が愚かでない事を信じたいと思いますが)。例えば、はさみという道具は使えないよりは使えた方が便利になるに決まっています。しかし、だからといってはさみの使い方で仕事が評価されるのは理容師や美容師などに限定されており(「英語」という道具で言うならば、それは通訳や翻訳家といった仕事でしょうか)、はさみが使える事自体はそれほど自慢にはなりません。また、理容師や美容師とてはさみ以外の技術やセンスが求められるように、通訳や翻訳家などにも時事問題に対する深い知識や洞察が求められる、つまり、英語のスキルアップは必要だけれども、仕事には英語以外のスキルも当然必要である、ということです。

先に挙げた、日本人、中国人、インドネシア人、バングラデシュ人、タンザニア人、ブラジル人といった異なった母国語を持つ人々が「英語」という言語で意思の疎通を行う時、太古の昔、バベルの塔の建設により人々の言葉を分断したという神の怒りは、そろそろ解け始めているのではないか、と思うのです。

<「英語」=「アングロ・サクソンの言語」か?>
私は東京に在住していますが、最近、JR山手線の車内の自動放送における駅名の英語発音が、いわゆる英語式アクセントから日本語式アクセントに変わったことに気付きました(例えば「シ『ブ』ヤ」のように真ん中にアクセントを置くのではなく、「シブヤ」を平坦に発音する)(東京メトロは以前から英語の放送でも駅名は日本語式アクセントで発音していました)。私は、これは英語が「アングロ・サクソンの言語」から「世界の言語」に変わった象徴的出来事だと思ったのです。もし、当初の英語式アクセントでの読み方が、「外国の人に聞きとってもらいやすいように、英語式アクセントで」という発想をしているのであれば、その「外国の人」は、英語を母国語とする人を暗黙のうちに想定しているのです。では、どの言語のアクセントに合わせるべきか?スペイン語か?中国語か?ならば、「日本の地名なのだから日本語式アクセントに合わせれば良いのではないか」という考えは至極尤もであると思われます。つまり、ここに至って英語は「アングロ・サクソンに固有の文化としての言語」から「コミュニケーションのためのドライな道具」に変化したのです。英語の公用語化に反対されている方の中には、「アングロ・サクソンの文化的所産である英語」を押しつけられる事に対する反発があるようにも思えます。もし、これがエスペラントであれば、このような反発は少なかったかもしれませんが、残念ながら、歴史的な経緯もあり、エスペラントはなかなか普及しないまま、英語がデファクト・スタンダードとなってしまったのです。もちろん、これが今後変わる可能性もありますが、あまりにも英語話者が多くなってしまったがゆえに、しばらくは変わる事は無いと見てよいでしょう。

かつては、英語はネイティブ・スピーカーのように発音する事が良い事と考えられていました。しかし、今や世界で英語を話している人のうち、英語を母国語としない人の方が圧倒的に多いのです。発音・アクセントも様々です。フランス語を母国語とする人はフランス語なまりの英語を話し、ヒンディー語を母国語とする人はヒンディー語なまりの英語を話し、中国語を母国語とする人は中国語なまりの英語を話すのです(ただし、互いに意思の疎通ができる程度のなまりで、ということですが)。日本語を母国語とする人は日本語なまりの英語を話しても何ら問題は無いと思うのです。現在の世界の共通語は「英語」ではなく、「英語もどき」と言った方が良いかもしれません。

<英語を母国語としない人は不利?>
英語が世界の共通語になれば、英語を母国語とする人は、わざわざ英語を習得する必要は無いが、英語を母国語としない人は英語を習得する必要があるので不利になる、という意見もありますが、逆の発想もできないでしょうか。つまり、英語を母国語とする人が他の言語を一切習得しないのならば、その人は英語しか話せませんが、もし、日本語を母国語とする人が英語も習得したならば、その人は日本語と英語という二つの言語を操れる事になるのです。また、英語が世界の共通語になっているとは言え、中東においてはアラビア語が、西アフリカにおいてはフランス語が、南米においてはスペイン語が重要な位置を占めています。より多くの言語を扱える事が、その人にとって有利になる事はあっても不利になる事はあり得ません。繰り返しますが、英語を母国語としている人が、他の言語を全く習得しようとしなかったならば、その人は一生「英語しか」話せない人間になってしまうのです。

また、先に述べましたように、現在は英語話者の多くは、英語を母国語とする人々よりは、英語を母国語としない人々であり、日本人のみがとりわけて不利であるとは言えないでしょう。よく「日本人は英語が下手だ」という話を聞きますが(統計的な根拠を示すことはできませんが)、私が思うに、原因は二つあると思います。第一に、日常会話がほぼ全て日本語で成立してしまうため、英語を使う必要性がほとんど無いこと、第二に、学校教育において、英語で自分の意見を述べるという訓練がほとんどなされていないということです。フィリピン、香港、インド、あるいはナイジェリアなど、日常生活において英語を使う必要性に迫られている人々は、当然のことながら英語が上手になります。一方、現在の日本にはそのような機会は必ずしも多いとは言えません。また、学校教育における英語の授業は、リーディングや文法中心で翻訳に力点が置かれており(もちろん、これはこれで、英語学習の非常に重要な部分を占めているのですが)、「英作文」であってもそれは「作文」ではなく「翻訳」と呼ぶべきもので、「受信型」に偏っています。英語の授業において、英語で自己紹介などのコミュニケーションを行う(1回限りではなく、授業の度ごとに毎回行う)、英語で自分の意見を言う、書く、といった「発信型」の訓練が殆どなされていないのではないか、と感じるのです。おそらくそのように感じ取った人々が「発信」の場を求めて英会話スクールなどに行くのでしょう。適切な教育と訓練の場がもたらされたならば、決して英語の習得が英語を母国語としない人にとって不利であるとは思いません。地方で生まれ育った人が「自分は方言で育った人間であり、共通語(標準語)のネイティブ・スピーカーではないから不利だ」と不満を言う人が果たしているでしょうか?最近は、東京で生まれ育った人が、地方出身の人が話す方言に魅力を感じると言うではありませんか。

道具のために人間があるのではなく、人間のために道具があるのですから、「英語」という、とてつもない利便性を持った道具を賢く使いこなして、より楽しく生きて行こうではありませんか。

【mixi過去記事】宇宙人への恐怖

2010年09月11日15:27


僕は小学生のころ、「矢○純一 UFOスペシャル」などを見て、宇宙人に対する恐怖を抱いたものだ。あの不気味なテーマ曲。その中には「リトル・グレイ」のものと思われる「キキーィッ!」という鳴き声まで入っている。”cattle mutilation” と呼ばれ、無残に殺された牛……。UFOに誘拐され、「インプラント」される事件。オカルト系雑誌などを立ち読みしてみると、宇宙人は銃で撃たれても死ななかったという。宇宙人に出会ったら、どうしよう?僕は恐怖におののいた。

今思えば、いたいけな子供の本能的「怖さ」に過ぎないのだろうが、こうしたテレビ番組やオカルト雑誌は大人たちも見ているはずだし、他ならぬ大人たちが制作している。何が彼らを引き付け、恐怖を抱かせるのか。考えてみれば、不思議な事に、こうしたテレビ番組やオカルト雑誌に登場する宇宙人は、我々人類と敵対するような役回りで描かれているように思われる。別に、「E.T.」や「アルフ」のように友好的でユーモアにあふれた宇宙人がいてもいいと思うのだが。

おそらく、人間の恐怖心を煽るのには、人間に似ていながら異質なものがちょうどよいと聞いた事がある。小さな子供は「怪獣」でも怖がるが、大人になると「怪獣」はさすがに怖くなくなるが、「幽霊」は尚も恐れ続ける。大きな黒目をした「リトル・グレイ」は人間に似ている。しかし、それでいて「キキーィッ!」という動物のような鳴き声(考えてみれば、文明が高度に発達しているはずの宇宙人が「キキーィッ!」と鳴くというのも変な話だが)。銃で撃たれても死なない、とか、鉛筆のような器具で殴られて動けなくなった、という証言を紹介している記事を思い出したが、おそらくこれらは、人間が自分に危害を加えようとする人間に対する恐怖心から来る幻影を見ているのではないか。

「宇宙人恐怖の思考回路」
http://item.rakuten.co.jp/heart810/62/
という本があるそうだが、僕はまだ読んだことがない。ネット上の書評を見てみると、どうやらこの本は、高度な技術が結集されているはずのUFOが、なぜ意味もなくジグザグ飛行したり、墜落したりするのか、これは当時のアメリカの視点からみたソ連の象徴なのだ、ということを言っているらしい。高度な科学技術によって作られた大量破壊兵器や原子力発電所。しかし、チェルノブイリ原発事故に代表されるように、それらは時としていとも簡単に故障するというソ連の現状。という内容らしい。ハリウッド映画が「仮想敵」と戦うプロパガンダ的要素を持っているという話があるが、そう考えると、UFOや宇宙人の存在とは、そうした「恐怖の幻影」である可能性は十分にあると思う。

僕は子供の頃、「宇宙人が地球に攻めて来て、地球人を人体実験に使うかもしれない。」そんな恐怖が頭をよぎった。しかし、考えてみれば、高度な文明を発展させているはずの宇宙人が、そんな前時代の野蛮な価値観を持ち合わせているとは到底考えられない(彼らが我々地球人を「同種の生命体」とみなせば、の話だが。我々地球人は、「異種の生命体」である、動物を実験に用いたり、殺して食べたりして生きている)。電話の横に置いてあったメモ帳をお絵かき帳がわりにして、僕は地球人代表(テレビの影響か、アメリカ合衆国大統領を想定していたように思う)と宇宙人代表とが、互いに笑顔でかたく握手を交わし、その上にはオリーブをあしらったデザインの旗(国連旗からのインスピレーションか?)が誇らしげに掲げてある絵を描き、平和を願った事を思い出す。

【mixi過去記事】人間の存続価値

2010年09月11日15:15


ふと「金融」の講義のノートを手にとって開いてみた。

資金の貸出先の企業の存続価値は、「その企業が存続することで現在から将来に生み出される利潤の割引現在価値」と定義される。

(ある貸出先企業の存続価値)<(その企業の債務残高)
であれば、債務超過の状態であり、これが「不良債権」である。では、債務超過の企業は全て潰してしまうべきなのだろうか?

(ある貸出先企業の存続価値)<(その企業の清算価値)
となれば、その企業は社会的に存続すべきではなく、直ちに清算されるべきだが、
(ある貸出先企業の存続価値)>(その企業の清算価値)
となれば、会社は清算せずに、社会的には存続した方が良いことになる。

これを人間に当てはめてみると恐ろしいことになる、と思った。その人が将来に渡って生み出される何らかの価値と、現在の肉体を構成しているタンパク質やカルシウムなどの栄養素、あるいは、臓器を提供することによって回収される価値を比較した場合、将来生みだされる価値の方が小さいと判断されると、その人はいない方が良い事になる。まさに「お前は『穀潰し』だ」とう宣告を受けることになるのだ。

しかし、ある人が、その時、何も生み出せないとしても、将来、何かを生み出す可能性があるかもしれないではないか。そうか、このモデルには不確実性の要素が無いのだ(注)。人間の「割引現在価値」が正確に見積もれる保証など、どこにあろう?もし、「社会のお荷物」を排除し続ける社会だったならば、どんなことが起こるだろう?

2009年01月10日の日記に「無用の用」という話を書いたが、社会にも機械と同じように「遊び」がある方が良いのではないか。具体的な根拠を示すことはできないが、なんとなく直観的に、そう思うのだ。


(注)もちろん、このモデルは過度に単純化したものであり、この時、講義をなさったF先生も参加されている研究には以下のようなものもあることを付け加えておく。
「いわゆる『ゾンビ企業』はいかにして健全化したのか?」
http://www.rieti.go.jp/jp/projects/cgp/09.html

【mixi過去記事】シリーズ 死と葬儀 3 Sさんの葬儀

2010年09月11日15:10


私はここしばらく坐禅会をお休みしていたが、7月、その幹事として中心的な役割を果たしてきたSさんが亡くなったという知らせを突然受けた。私はSさんの元気な時の姿しか知らなかったから唐突に思ったが、以前から喉の異常を訴えていたが、逆流性食道炎と誤診されたまま、食道癌と気付くのが遅れたらしい(あるいは逆流性食道炎から食道癌に進行したのかもしれないが、詳細は分からない)。昨年来、入院していたのだという。

Sさんは酒を飲み、わいわいと賑やかにすることが好きだった。通夜の後、会食の際は皆で酒を酌み交わし、ちょうど生前のSさんが楽しんでいたように、皆で盛り上がった。もちろん、Sさんの棺の前にもグラスに入ったビールを置き、Sさんと共に乾杯した。

次の日、Sさんの遺体が荼毘に付されると、舎利礼文を唱えながら、二人ひと組になって、箸で遺骨を拾い上げ、骨壷に納める。甚だ不謹慎な言い方かもしれないが、私たちは生命を失った死体を「ご遺体」と呼び、土葬すると、衛生上の問題や土地の問題などがあるかもしれないから、その死体を燃やしてしまう。しかし、それではあまりにも味気ないので、恭しく経文を唱え、その「処理」を「儀式」と化すのだ。もちろん、私はそれに意味が無いなどとは全く考えていない。その「儀式」こそが、その亡き人の生前の遺徳を偲び、感謝の気持ちを表すものならば、それこそが、単なる物質の集合体ではなく、(その実態はなおも不可解であるとしても)精神というものを持ち合わせた人間なればこそできることではないか。

通夜後の宴席の話に戻ると、どんな話の流れだったかは忘れたが、語り合っているうちに、価値観の変遷と人の生き死にの話になったように思う。人は生まれ、老い、そして病んで死んでゆく。伝統宗教は「あの世」と「生まれ変わり」の存在を説き、葬儀、墓参り、法事などの行事を行う。近年の科学(とりわけ脳科学)の発展により、「脳科学者」たちの間でも、近年の「スピリチュアル・ブーム」に対して様々な議論がなされているようだ。元々、坐禅会の一般参加者だったが、その後公務員を早期退職して出家したCさんがつぶやいた。「私たちは、長い歴史の中で、人が生きて、死んで、そして死者を弔って、敬意を表する。そういう文化を大事にしてきたんだ。そうやって連綿と受け継がれてきたものは、無視しちゃいけないと思うんだよな。」

Gさんは元スペインの国家官僚だった。しかし、仕事のストレスなどから体調を崩し、生きる事の意味を問い始めた。その際、知人から坐禅会に誘われたのだそうだが、キリスト教という宗教からの束縛を感じていたGさんは「宗教には興味が無い」と言って最初は断ったそうだ。しかし、「宗教に関心は無くてもいいから、とりあえず、坐ってみないか。」と誘われ、坐禅会に通ううちに、自らを仏教徒であると自覚するようになる。そして、本格的に仏教を学ぶために来日、大学院では道元の研究をしながら、出家し、日本で僧侶としての第二の人生を歩んでいる。私はGさんの来歴を、この時初めて聞いたような気がする。私が大学院で学んでいる事を話すと、「良い刺激になった。あなたも頑張ってほしい」と励まされた。

Sさんの人徳は、かように多くの魅力的な人々を引き付け、交流させるものか。以前に読んだ本に、霊魂の存在について尋ねられた日本の伝統仏教宗派の中に、「『霊』とは、その人の生前の生きざまであり、思いである。」との答えがあったのが印象的だった。ならば、Sさんの「霊」は、今、まさに人々の心の中にしっかりと生きている。Sさんには「今までありがとうございました」と言うだけでなく、その「生ける霊」に対して「これからもよろしくお願いします」と言わなければならないだろう。

宴の最後に、Sさんの奥さんが締めの挨拶をした。「主人は皆様から愛され、幸せ者でございました。」決して湿っぽくなく、どちらかというと笑みを浮かべながら、そう述べ終わった瞬間、皆から自然と拍手が沸き起こった。皆、異口同音に言う。「こんな明るいお通夜はなかなか無いね。」

【mixi過去記事】シリーズ 死と葬儀 2 「じいちゃん」の死

2010年09月11日15:04


もう、「じいちゃん」(同居していた大叔父、その後、父とは養子縁組をする)が亡くなってから5年が経つのか。

ある7月の暑い日曜日、地下鉄に乗って出かけようとしていたところ、父から留守番電話録音が入っている事に気が付いた。
「じいちゃんが死んだので連絡下さい。」

以前から、もう間もなく、という事は聞いていたが、母方の祖父の時のように、またもや「あっけない」幕切れのような気がした。

僕がまだ幼稚園児くらいだった頃の会話を思い出す。
「じいちゃんは死ぬのは怖くないの?僕は死ぬのが怖い。」
「じいちゃんくらいの年になったら、もう死ぬのは怖くなくなるんだよ。」
後にじいちゃんがある会報に寄稿した文章から、輪廻とカルマを強く信じていたことが分かったが、その当時の僕にとっては「暗闇への恐怖=死への恐怖」となっていたのかもしれない。

その時以来だろうか、自分はやがて小学校に行き、中学校に行き、高校に行き、大学に行く。そんな先の将来のことは想像もつかないけれど、いつか確実にじいちゃんは死ぬんだ。そう思った。自分が大学生になった頃かな、などと、その事は常に頭から離れなかった。だからだろうか、今回の事も「来るべき時が来た」という感じで受け入れられたのだと思う。

じいちゃんは僕たち兄弟を本当に可愛がってくれた。時にその価値観が押し付け気味になることがあったとしても、愛してくれた事は間違いない。人と会う時、常に笑顔を絶やさなかった。しかし、晩年は認知症を患い、老人ホームで寝て過ごすことが多くなった。僕も弟もじいちゃんの元から離れ、じいちゃんの生き甲斐を奪ってしまったために認知症になったのではないか、という一抹の罪悪感が心の中にあった。じいちゃんが少しずつ認知症の傾向を示し始めた頃、とある坐禅会にて、幹事をされている気品あるご婦人に話したところ、
「でも、おじいさまもあなたがたを育てること以外に生き甲斐を見つけることだってできると思いますよ。私だって80歳を過ぎてもこうやって、この会の運営をすることに生き甲斐を見出しているんですから。」
驚いた。まさか80歳を超えているとは。しかし、「生き甲斐」は人をこんなにも若々しく見せる。そうか、そうやって自分を責めても意味が無い、と思い、少し安心した。しかし、その後、じいちゃんが死んだのは、じいちゃんが「もう自分の役目は終わった」と思い、身の引きどころを感じたからかもしれない、などという思いが、また頭をよぎるのだが。

じいちゃんの死の知らせを受けた日、今はもう定期運用から離れてしまった夜行列車「急行 能登」に乗り、実家へと帰った。翌朝、富山に到着。仏間に寝かされているじいちゃんの遺体と対面した。布団をめくると、その手にはしっかりと数珠が握られていた。もちろん、これは葬儀屋さん(「納棺師」?)がしつらえたものだろうが、その手は、浄土への救いを求めて祈りを捧げているようにも見えた。迫り来る死の恐怖から逃れようとするように。そう、そう見えるのはじいちゃんの気持ちではなく、ほかならぬ僕の気持なのだ。この自我とは何か、死ぬとどうなるのか、無に帰するのではないか。僕はその時、じいちゃんに向かって心の中で「自分は死ぬとどうなるんだろう?」と語りかけていたような気がする。

次から次へと、ご近所の人々が弔問に来る。老婆(不適切な言葉かもしれないが、農業で生計を支え、逞しく生きぬいてきた、年老いたこの女性を、畏敬を込めて「老婆」と呼びたい)のKさんが片足を前に投げ出して座り、手を合わせる。
「行儀悪かれど、足悪いもんで、許してったはれ。今まで我儘言うて、すんませんでした。」
Kさんは、じいちゃんの生前の行いに深く感謝しているのだ、という思いをつぶさに感じ取った。そして、この片田舎の村では昔と同じように、村落のどこかで人が生まれて、それを祝い、村落のどこかで人が死んでゆき、それを悼む、その歴史が途切れることなく続いているのだ、と、ふと思った。

ちょうど暑い7月の末日、じいちゃんの遺体が腐敗しないように布団にはドライアイスが入れられていた。遺体に水滴がつく。母が
「あ、これドライアイスのせいで水が付いとんがだ。暑いから、じいちゃん汗かいとるんかと思った。」
そう言って笑い、じいちゃんの「汗」をぬぐう。本当にじいちゃんが汗をかいているようだ。まだ、どこかでじいちゃんの死を信じられないのかもしれない。

県外に住む弟も、じいちゃんの死の知らせを聞いて帰ってきた。
「ねえ、ほら、じいちゃんの顔見てやって。」
と、僕が顔を覆っている白い布をはがすと、弟は突然に、驚くほどの勢いで号泣した。弟は学業やアルバイトなどに忙しく、なかなか実家に帰って来なかったが、もしかしたら十分に孝行ができなかったことへの悔悟の涙なのかもしれない、と思った。その後も弟はそれを埋め合わせるかのように、よく仏壇に長時間手を合わせるようになった。父が脳出血で倒れた時も、いち早く実家に駆けつけ、家族との時間を大事にするようになったように思う。

葬儀の日、以前から体調を崩していたばあちゃん(じいちゃんの妻)は、ますます状態が悪化し、正常な意識とは言えないくらいにまでなっていた。早速、僕のいとこのMちゃんが同行して病院へ連れて行ったが、その後、葬儀場にMちゃんから電話が入る。父が電話を受け、皆に言うには
「ばあちゃんの病状を説明するのに、Mちゃんでは縁が遠過ぎると医者から言われたらしい。そんなに具合悪いんか。」
それを聞いて、その場に居合わせた葬儀屋が言う。
「あってはならん事なんですけれども、以前にも旦那さんが亡くなられて、その直後に奥さんが亡くなられて、ということがありましてね。まあ、あってはならん事なんですけど。」
いや、葬儀屋さんよ、「あってはならん事」などとエクスキューズを付けるくらいなら、別にそういう話はこの場で言わなくてもいいんでないかい?
母方の祖母(ばあちゃんの実姉でもある)が言う。
「やっぱり、ショックやったがやろ。」
その当時、僕はマーフィーの自己啓発本に凝っていた事もあり、葬儀場の二階で瞑想し、静かに祈った。今、自分にできることは祈る事くらいしか無い。
「じいちゃん、あなたは亡くなり、今や、宇宙の根本原理たる『阿弥陀仏』(我が家は浄土真宗である)と一体となられました。愛、慈悲、成功、希望、健康、幸福、富。あなたの愛と慈悲の御手は、今やあなたの妻を癒しつつあります。そしてばあちゃんは健康を取り戻しつつあります。」
その甲斐があったのかどうかは分からないが、ばあちゃんはその時の体調の悪さは嘘のように回復した。病床で、朝起きるたびに、じいちゃんの遺影に向かって「じいちゃん、おはよう」と挨拶していたいという。退院して、家に帰って来ると、仏壇に手を合わせ、
「じいちゃん、葬式も骨送りも行けんでごめん。」
と、しみじみと謝っていた。

さて、葬儀当日は月曜日だったため、富山市では理容店の休みと重なり、理容関係者が多く弔問に訪れていた(じいちゃんは、昭和40年に、現在の国道41号線が砂利道で、周りが田んぼだらけだった頃に、現在の理容店を開業した。富山市内で初めて、ドライヤーによるセットを導入したと、じいちゃんは生前、自慢していた)。しかし、その時、ふと気がかりな事があった。もし、自分の両親が死んだ時、果たして葬儀にこれだけの人を呼べるだろうか、と。僕は正直なところ、地元の近所の付き合いはあまり無い。さて、どうしよう?そして、その時は、僕が「今度は自分の親が死ぬ番だ」と意識した瞬間でもあった。

その後、じいちゃんの遺体は荼毘に付された。じいちゃんは生前、リウマチを患っていたが、白骨に、膝に入れていた金属製の人工関節も混じっていた。僕と弟は互いに言い合った。
「きっと、じいちゃんの事だから『こんな人工関節が膝に入っとったんだぞ』と、他人に見せびらかすやろうね。」
じいちゃんは何でも人に見せびらかすのが好きだった。なにせ、自分の車が事故に遭ってボンネットの部分が壊れた写真を嬉しそうに親戚に見せていたのだから!

あれから、5年。今年のお盆も、母と、リハビリ病院から一時外出許可をもらった父と共に墓参りに行った。この墓はじいちゃんが生前に建てたものだが、今では黒く塗られているじいちゃんの名前が、ついこの間まで、赤い文字だったような気がしてきた。

【mixi過去記事】シリーズ 死と葬儀 1 母方の祖父の死

2010年09月11日14:59


2001年 8月 28日(火)の日記

先日、母方の祖父が亡くなった。

土曜日の昼頃、風呂のボイラーのスイッチが入っていたので、おそらく切り忘れだろうとは思いながらも、何か必要があるのかと思い、店(両親が働く理容店)に電話をかけてみた。ばあちゃん(同居する大叔母)は病院に行っているとの事だったが、父がいかにも仕事が忙しいというような口調で
「もう死なれたと。」
と言った。何ともあっけない「幕切れ」という気がした。祖父は先日から、危ない、危ないと言われ続け、その度に何とか持ちこたえてきた。

祖父はF町に住み、僕とはそれほど会う機会があったわけではなく、正直なところ、さほど深い絆があったわけでもない。しかし、祖父に対しても、最後の孝行になろうし(今まで「孝行」などしてきたのかと言われると、返す言葉は無いのだが)、また、自分に対しても「死」というものを自分自身の中で受け入れる事ができるようになるだとうと考えていた。しかしながら、祖父の死を告げる父の言葉は何ともあっけなかった。

F町の母の実家へと行き、祖父の遺体と対面した。親戚一同、もう分かっていた事だという感じで落ち着き払っていた。以前にも、ある人が、葬儀等の忙しさに任せて悲しみを紛らわせている感じがした、という話をしていたのと聞いたことがあるが、まさにそんな感じだった。葬儀が終了する段になって、祖父の長男である伯父のSさん、祖父の甥であるTさんが、それぞれ喪主の挨拶、葬儀委員長の挨拶の際に初めて言葉をつまらせていたのは、その時になってようやく気持ちが解放されたからではないだろうか。

祖父が亡くなる直前に、ずっと病院に泊まり込んでいた祖母は、疲れた様子を見せながらも、これから寂しくなるでしょうと周りから言われても、
「そう言うたって、いつかは諦めんにゃどうなんがいね。」
と、あくまで冷静だった。しかし、弔問に訪れた客に対して、
「入院しられてから喧嘩ばっかりしとったけど、今で、喧嘩する人もおらんようになってしもうた。」
と、寂しさも隠しきれない様子だった。

通夜、葬儀と滞りなく済み、祖父の遺体を乗せた霊柩車は斎場へと向かった。斎場は山深く分け入った所にあり、そこへ向かう道中、草が青々と、深く生い茂っていた。その草々には、喜びも悲しみも無く、ただそこに「在る」だけのような気がした。冷たく、硬い緑がどこまでも続いていた。

斎場での読経が済み、棺は炉の中へと入れられた。炉の扉が降ろされる時、斎場の職員が炉の中の棺に向かって深々と頭を下げた。一人の人間の命というものの尊厳を、深く垂れた頭に感じ取った。

二時間後、遺体が焼き上がり、台の上に、竹の箸と、白骨とが置かれていた。その骨を見て、母が優しく語りかけるようにつぶやいた。
「ああ、これ、じいちゃんながだ。」
目の前にある白骨が自らの父その人であるということを自分に納得させ、父の死を乗り越えて行こうとする、母の心の葛藤をつぶさに感じ取った。

富山から兵庫に戻る際、高山線の列車の窓から、葬儀を行った寺、墓、そして、祖父が入院していたY総合病院が見えた。その後にただひたすら続く山と田畑を見ながら、斎場へと往復した道の事を思い出していた。越中の山と田畑は冷たく、ただ静謐がそこにあるだけだった。しかし、その静謐の中から、我々はやって来て、そして帰って行くのだと確信した。人は死に、静かな山へ、田畑へと帰って行くのだ。途中、列車の窓からK温泉の街並みが見えてきたが、今まで、これほどにまで、人の作った「街」というものに対して、嫌悪感とまでは言わないが、強い違和感を覚えた事があっただろうか。

人が帰って行くべき場所には、静謐以外の何もいらない。

【mixi過去記事】自分が他人を尊敬する時、羨望を感じる時

2010年09月11日14:54


例えば、経済学や統計学、あるいは保健学などの分野に優れている人がいて、「この人すごいなぁ」と感じる時、自分は、彼もしくは彼女を尊敬の眼差しで見つめる。生き方として立派な人も、もちろん尊敬する(むしろ「畏敬」に近いかもしれない)。

一方、ある塾講師をしている学生が「俺はやっぱりちゃんとした東大生だ。塾で生徒からどんな科目について質問されても分からないところは無いし、初見でも、見た瞬間に解法が思い浮かび、周到に準備したかのように授業ができる。」と、ブログで豪語していた。私が今、アルバイトをしている塾でも、多様な科目の講師が集まって、それぞれに、英語・数学・国語・物理・化学などを教えている。物理や化学のテキストを見てみると、意外と高度な事(大学受験にはそこまでいらんやろ、と思う事も囲み記事的な扱いで)も書いてあり、勉強してみたい衝動に駆られる。また、寮で化学を専攻している学生と話をすると、昔、ほんの少しだけ勉強した化学を思い出し、「もっと化学の事が勉強したいなぁ」と思う。医学部の学生と話をすると、「医学の勉強も面白そうだなぁ。」と思ってしまう。しかし、如何せん、自分には時間が無い。

学問研究をするに当たっては自分も今後努力しなければならない。自分に勉強する時間は十分に与えられているし、また、それが自分のためにもなる。つまり、自分も将来、そんな尊敬すべき人たちに近づける可能性を感じているのだろう。一方、受験から離れて久しい身なので、今更受験時代に戻るわけにもいかない(そしてきっと、大学受験レベルの知識では自分は満足しないだろう)。そんなことを勉強している暇があったら、今の目の前の勉強、研究を優先せざるを得ない。やろうと思えばできるのかもしれないが、合理的に考えると自分の将来にとって役立つとは思えない。今の自分にとって、やりたくてもできないような事をやってしまっている人を見ると、きっとその人が羨ましくなり、と同時に自分の行動に縛りがかけられていて手が出せないから、嫉妬すら感じてしまうのだろう。

どうでもいい話だが、私は昔、青年海外協力隊か何かで途上国の長閑な田舎へ行き、暇な時にはゆっくりと物理の本でも読むのが夢だったことを思い出した。「何のための協力隊だよ。」とつっこまれるかもしれないが。

人間は何かを追求しようとする時、何かを諦めなければならない。

マンキューの経済学の十大原理にある通り、

第一原理:人々はトレードオフに直面している。
第二原理:あるものの費用はそれを得るために放棄したものの価値である。

ということか。でも、ある人が日記に書いていた
「パイロットを諦めた料理人は、空を飛ぶことを夢見るよりも客を驚かせるほどの料理を研究する方が満足いくことが多いはずだ。
選択肢を捨てるということは広さを捨てる分、深さを得る機会を得るのだと思う。機会損失は、作用反作用じゃないけれど、どこかで機会利益とでも呼ぶものを生み出しているはずである。」
という言葉を信じたいと思う。素敵な言葉だ。

よし、今やるべきこと、頑張ってみますか。