"The African Night" (10月6日に改めて開催決定!)
!!!10月6日(木) 日程を改めて開催します!!!
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"The African Night" presented by Millennium Promise Japan Youth
October 6 (Thu) 19:00 - 21:20
At Roppongi CUBE
http://www.mp-cube.net/
(Itakura-Chuo Bldg. B1, Azabudai 3-4-11, Minato-Ku, Tokyo)
Touch Africa!!
<Fee>
Advance ticket
Students 1500 yen, Working people 2000 yen
At the door
Students 2000 yen, Working people 2500 yen
Including a glass of alcohol drink and African cuisine
<Capacity>
100 persons
<Contents>
1. Talk event by YASUDA Natsuki (photo journalist) and NASTUI Yuki (MPJY OG)
2. Performance of djembe by Tama Univ. djembe club
3. Drinks and snacks
If you want to join the event, please send an e-mail to
mpj.youth.2009 (atmark) gmail.com
by October 5 (Wed). If you miss the date, we ask you to pay "at the door" fee.
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Name:
Age:
Affiliation:
PC e-mail address:
By which source did you know the event?
mailing list (specify: )
bulletin board (specify: )
web(specify: )
friend(specify: )
others(specify: )
Do you have any question?
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We are mindful of the protection of personal data. We do not use your personal information other than notification of our next event or related announcement.
Millennium Promise Japan youth
http://blog.livedoor.jp/mpj_youth_09/
http://mpjyouth.web.fc2.com/index.html
(Sorry, only in Japanese)
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Touch Africa! the African Night
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10月6日(木)19時~21時20分
@ 六本木 CUBE
Produced by Millennium Promise Japan Youth
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“アフリカの毒”という言葉を聞いたことがありますか?
「一度アフリカの空気を吸った人間はまた必ずアフリカに戻りたくなる」
“Touch Africa”
遠い日本の地から想像することが難しいアフリカに、一緒に想いを馳せてみませんか?
全てが待ち受ける“African Night”
アフリカの息吹にそっと触れてみましょう
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┃【1】イベント概要
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【日時】 10月6日(木)
開場19:00 開演19:20 終演21:20
【場所】 CUBE ( http://www.mp-cube.net/
) 六本木駅より徒歩10分 麻布十番駅徒歩10分
【内容】
第一部 トークイベント:フォトジャーナリスト安田菜津紀氏 、対談:安田菜津紀氏×夏井悠妃(MPJユースOG)
第二部 多摩美術大学ジャンベ部による演奏
第三部 交流会(軽食(アフリカ料理)付き)
・その他:ルワンダ写真展開催
※詳細に関して、こちらをご覧ください。http://blog.livedoor.jp/mpj_youth_09/archives/51258156.html
参加費:学生前売り 1500円 社会人前売り 2000円 、学生当日 2000円社会人当日2500円
(アルコールワンドリンク&軽食(アフリカ料理)付)定員:100名
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┃【2】 Millennium Promise Japan Youthとは
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当会は、アフリカの貧困削減を支援し日本におけるアフリカの広報につとめるNPO法人ミレニアム・プロミス・ジャパン(MPJ)(http://millenniumpromise.jp/
) の活動に賛同する学生たちによって構成される団体です。
現在、東大・中央大・明治大・一橋大・津田塾大・専修大等から集まった40名程で運営しており、各々の関心事項も多岐にわたっています。(外交・国際協力・アフリカ開発・NGO&NPO・医療など)活動メンバーは、随時募集しているので、興味がある方は下記のメールアドレスまでご連絡ください。
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┃【3】 お申込みフォーマット
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下記のフォーマットをご記入の上
件名を「African night参加申し込み」として
【 10月5日(水)までに 】
《mpj.youth.2009 (atmark) gmail.com 》へお申し込みください。当日、受付でお名前を確認し、参加費をいただきます。
※10月5日以降のお申し込みは当日券扱いとなります。
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☆ African night申し込みフォーマット ☆
名前( )
年齢( ) 所属( )
PCメールアドレス( )
イベントを知ったのは( ML( )/掲示板( )/WEB()/友人の紹介( )/その他( ) )
質問・意見など
( )
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【主催・連絡先】
Millennium Promise Japan youth (MPJユース)
E-mail : mpj.youth.2009 (atmark) gmail.com
http://blog.livedoor.jp/mpj_youth_09/
http://mpjyouth.web.fc2.com/index.html
※詳細はこちらのブログにて掲載しております。=
若き日の文章
部屋を整理していると、私が最初の大学の1年生の時、つまり、19歳だった頃のレポートが出てきた。今読み返すと稚拙なたどたどしい文章で、具体性に乏しく、説得性に欠けており、お恥ずかしい限りだが、敢えてそのまま転載する。というのも、ベースとなる自分の考えはこの時から変わっていない、と思ったからだ。「成長が無いな」と思う一方で、「自分の芯はこの時からぶれていないんだな」とも感じ、なんだか安心もした。
<自分にとって天才とは?>
授業の中で「天才」に関する三つの考え方が提示されました。
1) 「素人」が努力して「エキスパート」になるが、「天才」までは長い道のりなので、死ぬまで努力しなければならない。
2) 「エキスパート」の域に達するということは創作(創造力)が芽生えることである。
3) 「エキスパート」になろうと、訓練を積むということは、即ち「天才」の域に入るということである。
僕は 3) の考え方はとても素晴らしいと思います。エジソンの有名な言葉にも、「天才とは99%の努力(発汗)と1%のインスピレーション(霊感、閃き)である。」というのがあります。確かにそういう考え方はとても素晴らしいと思うのですが、現実問題として、「天才」とは、やはり他の人にはない才能に恵まれた人のことを言うのではないでしょうか。しかし、一口に才能、能力と言っても、いろいろな分野があるので、全ての人は、何らかの、自分の得意な分野において「天才」ということになるでしょう。ある人は掃除の天才であり、ある人は睡眠の天才であり、またある人は何も考えずに、ぼーっとすることの天才であるのです。そうした、様々な分野における「天才」が集まって世の中は面白くなっているのではないでしょうか。「三人寄れば文殊の知恵」というのも、ある人が知っていても、他の人は知らない事はあるわけですから、それぞれの人が自分の知っていることを少しずつ出し合えば、文殊菩薩にも匹敵するほどの考えになるということの例えだと思います。
しかし、例えば音楽の才能に恵まれていない人は音楽の「天才」になろうと思えば、相当な努力を強いられることになるでしょう。そして、「天才」と肩を並べるまでになった人の事を「秀才」と呼ぶと言われています。よく「長島は『天才』、王は『秀才』」と言われます。しかし、「天才」と呼ぶか「秀才」と呼ぶかは、その人がそこに至るまでにどういう過程をたどってきたかということに着目して言い方をかえているだけで、最終的には、同じものになっていると思います。しかしながら、凡人が「秀才」になることは、極めて困難なことです。「秀才」になるにしても、秀才になるための「素質」のようなものも必要なのではないかとさえ思われるのです。では秀才になれない凡人はどうすれば良いのでしょうか。単なる愛好家にとどまることしかできないのでしょうか。努力次第では「エキスパート」になれたとしても、まだ一般の「愛好家」の域を脱してはいないと思うのです。「天才」や「秀才」になれない凡人は「愛好家」になる他はないのです。しかし「単なる」愛好家であるがゆえに、天才や秀才であっては見えないものが見えてくることもあるのです。「凡人」でなければ見ることのできない世界があるのと同様ではないでしょうか。
単純に「天才」、「秀才」、「凡人」と三つに区分することはできないとしても、その人がどのグループに入るとしても、その価値は同様であり、「天才」、「秀才」だから「凡人」より偉い、ということにはなりませんし、また逆に、「凡人」だからと言って肩身の狭い思いをする必要は毛頭ないのです。「凡人」であることは、「天才」、「秀才」であることと同様に、その人の個性であると思うのです。それゆえ、「凡人」という個性は尊重されねばならないと思います。
このレポートに対する先生からのコメントは
「凡人が、救われる文章ですね。」
だった。
仮想と現実
<プール>
最近、友人に触発されてプールで泳ぎ始めた。といっても水泳なんて小学生の時以来だから、大人向け初心者用水泳教室に通いながら練習している。水の中に顔をつけるのも久しぶりだ。思ったより苦しい。ふと、津波に呑まれた人々のことを思った。きっとこんなふうに苦しかったんだろうな。
<海水浴>
先日、友人と一緒に海に出かけた。海水浴も小学生の時以来だろうか。8月も半ば近くだったので、あちこちクラゲに刺されたのが痛かったが、久々の海を楽しむことができた。
沖に顔を出している岩礁まで行こうと言うことになり、一人が浮き輪を持ち、あと二人がそれを追いかけながら、疲れたら浮き輪につかまって休みながら岩礁まで辿り着いた。その岩礁には他の多くの海水浴客も訪れており、ボートに乗った監視員も常駐していたから、そうそう事故は起きないだろうが、一般に海水浴中の海難事故の話はよくあることだ。もし、この途中で力尽きてしまったら、自分は海の底へと沈む。そう思うと怖くなってきた。
帰りも無事に浜辺へと戻り、楽しい思い出を胸にしまって家路に就いた。でも、もし一歩間違えば、僕は海から帰って来ていないかもしれない。そんな思いが頭をよぎった。
<頼岳寺坐禅会>
今年も、林泉寺の坐禅会の企画による、長野県茅野市の頼岳寺での宿泊坐禅会に参加した。長野へと向かう特急列車はお盆の混雑真っ只中。デッキの壁にもたれかかりながら、うつらうつらしていると、自分がこうやって何事も無かったかのように長野へと向かうことが不思議に思えてきた。もしかしたら海で死んでいたかもしれないのに。これは現実なんだろうか?それとも夢?
坐禅中も疲れからか、いろいろな雑念が湧きあがって来る。本来ならいるはずのない架空の家族がこの坐禅会に参加し、有機野菜を食べているという、現実にはありもしない事が、まるで本当のように僕の脳の中現れた。虚構の世界は、いとも簡単に脳の中で作り上げられるんだな、と感じた。
何が現実で、何が夢なんだろう。人間は脳というフィルターを通して外界を見ている以上、常にそこにあるのは「夢」だけなのかもしれない。
そして、もう一つ強く感じたのが、自分が生きていることの偶然性。以前のエントリ「震災メモ書き」にも書いたが、僕は「たまたま」東京で暮らすという選択をしていたから、「たまたま」津波には呑まれなかった。更に加えるなら、最近リビアの内戦がニュースでしばしば伝えられるが、自分がもし、リビアで戦う民兵だったら、もしかしたら死の恐怖から発狂していたかもしれない。ソマリアで生まれた赤ん坊ならば、飢えと渇きゆえに、絶望の淵に追いやられていたかもしれない。
一人、坐禅堂の廊下を経行しながら、ふとこれまでに出会った様々な人の事を思い出した。ああ、自分は子供の頃から水泳をやっていたら、子どもの頃からピアノやヴァイオリンをやっていたら、子どもの頃都会に出て来て、私立中高に行き、すごい人材の中で揉まれていたら、もっと、あんなことやこんなことをしていたら、今頃は別の人生を送っていただろうに……。そんな「仮想現実」を思い浮かべてみる。でも、そんな数え切れないほどの可能性の中で、本当の「現実」の自分は今ここにしかいない。先程のように、「たまたま」の選択の巡りあわせが今の自分だ。それに、その「本当の現実の自分」も現実にいるんだか、夢の中の存在なのか分からない。一体どれが「本当にあるべき自分」なんだろう?とすれば、今現在の自分が「あるべき」自分かどうかを問うことに意味はなくなってしまう。これから先の「たまたま」の積み重ねを、なるべく自分の意識した方向に持って行くことを考えるしかないのかもしれない。
福島県 飯舘村 第2回
先週末、福島県の飯舘村で2回目の健康診断のお手伝いをしてきた。
<流された海岸の街並みの中で孤軍奮闘する小さな旅館>
相馬市の「岬荘」という小さな旅館に泊まらせて頂いた。
http://www9.ocn.ne.jp/~matukawa/syukuhaku/detail/misakisou.htm
海岸のすぐ近くにあり、周囲は瓦礫と無残に破壊された建物の残骸ばかり。海にはバスが沈んでいて、道路のギリギリの高さまで海面が迫っており、地盤沈下していることが如実に分かる。こんな所に旅館なんかあるんだろうか?そう思っていると、海岸のすぐ近くの小高い丘の上にポツンと小さな旅館(というか民宿のような風情)があるではないか。女将さんに聞くと、旅館が丘の上にあったお蔭で、津波がギリギリまで迫って来たが、浸水は免れたのだという。確かに、丘よりも低い位置にある隣のホテルは1階部分が破壊され、流されている。上記ページの紹介文には「絶景」とあるが、沿岸には島があり、もしかしたら、その島が防波堤の役割を果たしてくれたのかもしれない。今は痛々しい景色が周りに広がる。
朝、飯舘村に向かう際には、女将さんが「いってらっしゃい!」と、屈託の無い笑顔で送ってくれた。
<いいたて全村見守り隊>
飯舘村では、現在、大部分の村民が避難しているが、防犯対策と村民の雇用確保を目的として組織された「いいたて全村見守り隊」の方々が、引き続き村内で活動しており、今回の健診も大部分が「見守り隊」の方々だった。
「飯舘村、住民が防犯隊 24時間巡回、雇用対策にも」(朝日新聞)
http://www.asahi.com/national/update/0606/TKY201106060115.html
大部分の方が福島市内から車で約1時間かけて飯舘村まで通勤している。もちろん、被曝量を最小にするように、勤務・パトロール時間もかなりきちんと管理されているようだし、全員が胸に小型線量計を付けていた。だが、回収して測定してもらわなければ、積算被曝量がどのくらいか分からず、自分自身で、現在の被曝量がどれくらいなのかは確かめられないのだと言う(もしかしたらフィルムバッジ的なものなのだろうか?そのあたりはよく分からなかった)。飯舘村に24時間いるのと、必要時だけ飯舘村に滞在するのとでは被曝量が違うだろうが、正直なところ、村民は避難しているのに、そこで働くということにやや疑問を感じた。実際に飯舘村の中でも議論はあるようだ。
「見守り隊」(愛する飯舘村を還せプロジェクト 負げねど飯舘!!ブログ)
http://iitate.seesaa.net/article/210004268.html
見守り隊の方の話を聞くと、高齢で介護が必要な人、そしてその人を介護する人で、避難せずに飯舘村に残り続けている人が少なからずいるという。実際の状況を見ていないので何とも言えない部分はあるが、避難しようにも受け入れ先が無い、あるいは、避難後に放射線に対するスティグマなどで苦しむ事を心配しているのかもしれない(以前のエントリ「『ほーしゃのー』が怖い」参照)。
<被災者の様々な気持ち>
健診に訪れた方の話を聞くと、今回の震災に対して人それぞれ感じ方が様々なのだということが分かった。
ある人に私が宮城県にも言ってきた事を話すと、こう言っていた。
「でも、向こうの人の方がまだマシよね。もう津波は終わった事だけど、私たちはまだまだこれから放射能で将来の生活が不安なんだから。」
私は宮城の現状に対してそう言われることに違和感を抱きつつも、福島の人々が、放射線による健康への影響、そして避難に伴う、今後の生活に対する不安からストレスを募らせていることは理解できた。
朝日新聞の「声」欄に記載されていたそうだが、こんな記事を見つけた。
「福島の高校生の絶望聞いて」(再出発日記)
http://plaza.rakuten.co.jp/KUMA050422/diary/201105310000/?scid=we_blg_tw01
このブログでは様々な意見が飛び交っているが、おそらくこの高校生は(表現が極端ではあるが)不透明な先行きを不安に思う人々の気持ちを代弁しているのだ。まさか、この高校生が米原子力委員会(NRC)による50マイル圏外への避難勧告を意識して言っているとも思えないが、その不安感覚は人情として当然だと思う。
(参考)福島原発の危険評価をめぐる、米国政府と米原子力委員会(NRC)の温度差(東洋経済)
http://www.toyokeizai.net/business/international/detail/AC/9671cb6c2bb086f5434a24bf55b2af0a/
確かに、福島市内にも空間線量率の高い場所はあるが、飯舘村に比べれば低い。
(参考)「文部科学省による第3次航空機モニタリングの測定結果について」(文部科学省)
http://www.mext.go.jp/component/a_menu/other/detail/__icsFiles/afieldfile/2011/07/11/1305819_0708.pdf
しかしその一方で、別の人はこんな事を言っていた。
「あんまり大きな声じゃ言えないけど、何だか最近、人が信じられなくなって。『自分たちは被害者だ』って言って、お金を取れるだけ取ろうとして、働く気を無くす人を見てると、どうも不信感が募ってしまって。まだここはマシだよ。この村の人にお金を渡すくらいだったら、家族が亡くなったり、家が流されたりした人にお金を渡してあげた方がいいと思う。昔はこの村はこんなんじゃなかった。なんだか震災以降、村がおかしくなった気がする。」
きっとこの人は私が外部の人間であり、かつ、マスメディアの記者など影響力のある人ではないと分かっているから話してくれたのだと思うが、このブログなど、読んでいる人はほとんどいないだろうから、ここに書いても許してもらえるだろう。
確かに、以前に南三陸町のベイサイドアリーナでも避難者の方が「避難所にいたら何でも出てくるから働く気を無くす人も出てくるのではないか」と言っていたし(以前のエントリ「南三陸町」参照)、岩手県の遠野市や釜石市で活動されている方も「被災者を避難所に引き留めておく事ではなく、自立のための支援が大事」と言っていた。こんな記事も見つけた↓
「気仙沼からの便り」(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/job/biz/columnnational/20110809-OYT8T00703.htm?from=os4
(「迅速で実のある復興対策」が取られていないのは民主党政権のせいである、という論調はやや我田引水的ではあると思うが。)
「見守り隊」は確かに雇用対策にはなるものの、永久に「見守り隊」をやっているわけにはいかない。被災者一人一人に届く、自立のための支援としては、何が良いのだろうか?それが分かれば政治家も苦労しないのかもしれないが。
<政治家は一体何をしている?>
アメリカでは連邦債務の上限を引き上げるか否かで、政治が混乱した。野党 共和党は債務不履行の危険性を口実に、社会保障費の抑制など、オバマ政権に対し「小さな政府」になるよう迫った。こうした緊縮財政政策への執拗な要求に対し、ジョゼフ・スティグリッツは「西洋資本主義のイデオロギー危機」と警鐘を鳴らす。
「西洋資本主義のイデオロギー危機」(スティグリッツ教授の真説グローバル経済)
http://diamond.jp/articles/-/13242
おや?どこかで聞いた話ではないか。国家財政の圧迫を理由に、子ども手当、高速道路無料化、高校授業料無償化、(農業者)戸別所得補償が「無駄遣いの4K」として攻撃されている。そして、与党から野党まで、「消費税を上げろ」と、増税のことにばかり関心があるようだ。昨年の参議院選挙前に、菅総理が消費税増税を言い出した時は「おや?菅さん、もしかしたらリフレ派?」とか思ったが、震災後のこの状態で増税を言うんだから、どうやら「リフレで景気回復」という意図は無かったのかもしれない。私はマクロ経済政策に対して議論を挑める資格は全くないが(ちゃんとした経済学者によるものも含むインターネット上の様々な記事を読む限り、日銀による国債引き受けとリフレ政策が一つの解決の糸口を示しているように思える。今はインフレよりデフレの方をよっぽど気にかけるべきだ)、少なくとも、現実問題として、今は国債を発行してでも被災者の生活再建のための具体策を示すことこそ、真っ先に急いで取りかからなければならない問題のはずだ。将来世代のことを気にし過ぎるあまり、現在世代がないがしろにされてはならない。
「強い人」も「弱い人」も
昨日からどうも精神面の健康状態が良くない。この病気とはこれからもずっと付き合っていかなければならないんだろうか?
ある会合に参加した。世界を変えるために素晴らしいキャリアを積んでいる方々の講演もあった。「自分を変えるほどの出会いがあった。」よく美しいフレーズとして使われる。でも、自分自身を振り返った時、そんな出会いはあっただろうか?あるいは自分のアンテナの感度が悪かっただけ?
聴衆からも盛んに質問が出た。ものすごいバイタリティのある人たちだ。自分たちが世界を変えるんだ、そんな意気込みに燃えているようだった。若くして何らかの意識に目覚め、そしてそれに向かって邁進する。凄い人たちだ、と思うと同時に、「結局世の中を変えてゆく人たちはそういう強い人たちなんだ。自分みたいな弱い人間に何ができるんだろう?」そう思った瞬間、この集まりに参加した事を後悔した。来なければ良かった。結局、自分のみじめさを改めて感じさせられるだけだから、と。
東北の被災地の児童・生徒の中から、将来のリーダーになりたいという人(ここでの「リーダー」とは必ずしも「エリート」を意味するのではなく、水産業や芸術なども含めてある分野において秀でた人材のことを言う)を支援する基金に関してお話があった。例え災害で様々のものを失おうとも、夢を諦めてほしくない、それを応援する。素晴らしい取り組みだと思うが、もちろん、予算制約から、募集人員は限られている。フロアからこんな質問があった。「募集人員は限られているから、夢があっても選考に漏れる子もたくさんいるはずだ。そんな子にどう対応していけるだろうか?」確かに、現実的な予算制約、持続可能性の面から、募集人員に制限をかけ、ある程度の基準でもって選抜することはやむを得ないだろう。回答もそんな感じだった。しかし、きれいごとと言われるかもしれないが、私自身は、誰からも見向きされない、そんな人の苦しみが少なからず分かるような気がしている。決して「優秀」とは言えない。バイタリティも無い。しかし、なんとかして「生きて」ゆかなければならない。そんな人に寄り添えるような仕組みは無いものだろうか?真っ先に寄り添うべきは家族や友人といった社会的な繋がりのある人たちなのだろうが、そうした人たちを亡くしている、あるいは避難先がバラバラになってしまっている場合、一体誰が支えられるだろう?基金の方からこんなお話があった。「親や友達を亡くして、『何で自分が生き残っているんだろう?』という罪悪感を持ってしまっている人もいる。だが、そうした人だからこそ、すごいリーダーに育つかもしれない、と感じた。」確かに、その可能性はあるだろう。しかし、そうした哀しみ、無力感にさいなまれている人がそう簡単に「私はリーダーになって世の中を変えていく」と、そう簡単に言えるだろうか?(親を亡くしたが、「世の中にはもっと大変な人もいる」と発言していた子供がいたそうだが、稀有な例だろうと思う。とは言うものの、その子がどのような心境でこの発言をしたのか分からないので、イデオロギー的に礼賛するつもりはないが、尊敬に値する子供だと思う。)
災害の時であれ、そうでない時であれ、人々は「目立つ」ものに関心を寄せる(「避難所格差」だってその一例だ)。しかし、目立つものは目立たないものに支えられなければ存続し得ない。家屋は土台が無くては建てられない。よく「寧為鶏口、無為牛後(寧ろ鶏口と為るも、牛後と為るなかれ)」と言う。だが、世の中は鶏だけで成り立っているわけでないし、牛にしっぽがなくては困る。牛テールのスープやシチューは立派な高級料理だ(つまり、時と場所が変われば、その物の持つ価値は一変する)。私はこの言葉は牛のしっぽに失礼だと思っている。
以前のエントリ「社会事情と受験産業」にも書いたが、多くの人が被災地の子供の教育支援に温かい心を寄せている一方で、大人への教育支援には目が向けられていないように思う。次世代を担うリーダーを育てることは重要だけれども、不幸にして(?)若いうちには気付かなかった様々な事にもがきながら気付き、そして、手探りの中で道を見出そうとしている大人たちがもう一度夢を見られるように、何か良い考えはないものだろうか?「実務経験 奨学金」で検索してみると、結構ヒットするが、特定の専門分野に限られている場合が多く、ハードルも高い。やはりヨーロッパのように正規雇用と非正規雇用との賃金格差を小さくすること、大学側に社会人の身分のままで受け入れてもらうこと、などしか道は無いのだろうか?
そうした中、今更と言われるかもしれないが、放送大学という素晴らしい仕組みがあり、学費も安く、被災者にも配慮した学費の減免制度がある(正式に単位を取るのでなければ、適切な受信設備があれば無料で講義自体は受けられる)。確かに、スクーリング以外では他の学生や教員と議論する場が無いのは少々ディスアドバンテージかもしれないが、それでも、せっかくのこの取り組み、もっともっと知られるべきではないか。更に、本家本元、イギリスのThe Open Universityも、正規の課程ではないが、一部の科目を無料公開しているので、日本にいながらにして「留学」することもできる(ただし、正規の課程はそれなりに学費が高い)。
http://openlearn.open.ac.uk/
如来像は必ず水かきを備えているという。志ある、あらゆる人々が、誰も漏れることなく、その水かきで掬い上げられることを願ってやまない。そして、そのすくい上げの過程で、「慈・悲・喜・捨」の四無量心を持って寄り添えるような人間でありたいし、そういう人がたくさんいてほしい、とも思った。人間という如来の指一本一本は独立しているが、互いに寄り添うことで、その間に見えない水かきができるかもしれない。何か大きなシステムができるのを待つのではなく、一見、無力に思える「草の根」的行動であっても、それは大きな手となって、人々を掬うことができるかもしれない。
東北のお酒
ボランティア、募金、どれも素晴らしいと思います。でも、内心「時間も無いし、お金も無いよなぁ」と思っている方もいらっしゃるのではないでしょうか?
東北の物を買えば、ダイレクトに東北経済を支えることができる一方、買い手の側は、その商品から効用を得る事ができます。
「商法は売りて悦び買ひて悦ぶ様にすべし。」 (二宮尊徳)
こんなお酒を見つけました。僕は日本酒好きなのですが、とてもおいしく頂きました。
福島県 人気酒造 「人気一 吟醸」
宮城県 角星 「船尾灯(ともしび)」
http://www.kakuboshi.co.jp/index.html
福島県 川内村
先日の飯舘村同様、川内村にも健康診断のお手伝いに行って来た。
健診会場となっている小学校の体育館で会場設営の後、磐越東線(ゆうゆうあぶくまライン)の神俣駅(田村市)近くにある宿へと向かった。本来は宿泊施設ではないが、休憩施設のある温泉銭湯を寝床として使わせて頂いた。この近くでは水田にきちんと稲が植えられ、田は青々としていた。夕方、田んぼの横を走る線路には、上り・下りともに5両編成のキハ110系を見ることができた!
明くる朝早く、健診会場となっている体育館に向かう。こちらが到着するよりも前に、お年寄りたちは既に列を作っていた!
川内村は「緊急時避難準備区域」に指定されている。解除の動きは出ているが、まだ詳細は何も決まっていない。子供たちは既に他の地域に避難してしまっているようで、学校には子供の姿は無い。おおむね高齢の方が残っている。
飯舘村と同じく、もうこの土地では農業はできない。村役場の方に「神俣駅近くでは稲が植えられていましたが」と話すと「ここと神俣じゃ、放射線レベルはほとんど変わらないんですよ。それが緊急時避難準備区域ということで、一律にコメが作れないということになっているんです。」生産者(というよりは、もっと伝統的な意味での「農家」)としてはコメを作りたいだろう。一方、消費者は食品の放射能汚染を懸念する。
ある初老の夫婦はこう言う。「今は畑では何も作れないけど、何も作らなかったら畑が荒れてしまう。向日葵が放射能汚染を除去するのにいいらしいっていうから、商品にはならないけど、向日葵を植えたんです。」
「日常的に運動されていますか?」と、ある初老の男性に尋ねた。「川内村にいた時は、夜によく散歩をしていたんだが、郡山に引っ越してからは、夜は出歩けなくなったね。『不審者』になってしまうから。」
東京へは郡山駅から新幹線に乗って帰ったのだが、確かに、川内村の美しい風景がまだ脳裏に新鮮に焼き付いている時に見た郡山市内は、活気に溢れた大都会だった。
ある初老の男性はもともと東京電力(あるいはその下請けかもしれない)にお勤めで、原発から出る放射性廃棄物の処理を担当していたという。地震当日、命からがら逃げてきたものの、その後、解雇。これまでの生活を支えてもらってきた原発に、これからの生活を奪われた。新聞記事によると、震災後の原発の処理のために多くの人手が必要であり、中には放射能汚染に対して馴染みが薄く、不慣れな人も参加しているという。もともと放射性廃棄物を扱ってきたベテランを使わず、解雇するとは、奇妙な話ではないか。
役場の方に川内村と原発との関わりについて話を聞いた。やや内陸に位置する川内村でも沿岸部の原発関連産業に従事する人が多かった。そしてそうした人たちは、先程の男性と同じように、原発を支え、そして原発に裏切られた。原発近くの町村では万が一の時のために避難訓練も行っていたそうだが、その「万が一」の際、どれほど役に立っただろう、と役場の方は言う。南北方向に避難道路が整備されていたらしいが、東西方向の避難道路が無かった。津波の危険性は以前からも指摘されていたというから、なぜ南北方向(即ち、海岸に沿った方向)にしか避難道路を確保しなかったのか、大きな疑問が残る。村として、今後の復興に向けて、企業の誘致の話も進んでいるという。だが、原発の災禍は、この村が本質的に抱えている、高齢化・過疎化の問題と重なり、企業誘致だけでは、復興は心もとない。
今回、村の方々に話を伺って、私は日本の農業が持っている問題の一端を垣間見たように思う。以前のエントリにも書いたことがあるが、「農業人口が過剰だから他の産業に移れば良い」というのは言うのは簡単だが、現実にはそれは極めて難しい。川内村の多くの人が郡山市に避難している(そして、郡山市と川内村を頻繁に往復する生活を送っている)。農地を追われた高齢者が都市部で仕事に就けるか、と言われれば、答えは火を見るより明らかだろう。一方、宮城では「復興水産特区」の創設が提案されているが、果たしてこれはうまくいくかどうか?
パネルディスカッション「東日本大震災:経済学に何ができるか」(立命館大学 松尾匡教授のホームページ、ページの真ん中よりやや下)東京大学の澤田康幸准教授の話
http://matsuo-tadasu.ptu.jp/essay__110527.html
沿岸漁業が漁協というシステムで運営されているのには、それなりの合理的理由があるというのだ(ここからは私なりの解釈だが、つまり、漁協が単に「既得権益から特区構想に反対している」という見方は実は正しい理解ではないのかもしれない)。「産業が無いなら企業を誘致すればよい」というのは、あまりに楽観的に過ぎる議論なのかもしれない。地震、津波、原発、そして過疎化と高齢化。これらが複雑に絡み合った東北の現状は、復興への道のりは残念ながら遠いことを語っている。
川内小学校の周囲に建物はほとんど無いが、おそらく地震で崩れたブロック塀の脇の小さな道を上ってゆくとそば屋があり、そこでお昼に頂いたそばの味を思い出した。川内村で採れたそばの実から作ったのだという。また、あのざるそばの味が僕の脳の中にこだましている。
東京への憧れと反発
<食堂の学生への嫉妬の源泉>
大学の食堂で、ふと周りを見渡してみる。なぜだか学生たちが生き生きと過ごしているように見え、羨望の思いが湧きあがってきた。ああ、またいつもの事だ。そうやって他人を見ては羨ましがる。自分の悪い癖だ。しかし、そこには単なる欝々とした感情だけではなく、心の片隅で、どこか懐かしい匂いが漂っていることに気が付いた。それは今回だけではない、今までも、その「懐かしい匂い」は僕の心の中に幾度も現れては消えて行っていたことに気が付いた。
この「懐かしい匂い」それは高校生の頃、「大学生になったら、都会の桜を見るんだ」とぼんやりと思い描いていた事に起因しているように思った。そしてその都会への憧れは、テレビなどのマスメディアを通じて、僕の成長過程の中で形成されていったものなのではないだろうか、と思う。テレビの情報は常に東京中心に発信される。何のためらいもなく、ニュースキャスターたちは「渋谷」、「汐留」、「お台場」などを口にする。地方に住む人間にとっては、それは「東京の中のどこか」であることくらいしか分からないのだが。
<「東京」への憧れ>
私が初めて就職活動で東京を訪れた時のこと。夜行バスで目が覚めると、周囲は「この世のものとも思えぬ」霞が関の高層ビル群。まさに夜寝ている間に仙人の国に連れて来られたようだった。地下鉄で「浅草行き」の表示を見る。「浅草」と「渋谷」という、雰囲気が異なるということは聞いて知っていた二つの町がどこにあるのかは全く分からなかった。と同時に、この二つの町が同じ「東京」の中にあるということに気付き、「東京と言うのは不思議な町だ」と思った事がある。私のように小さな地方都市出身の人間にとって、同じ市(くらいの行政区分)の中に雰囲気の大きく異なる町があるということが、にわかには信じ難かったのだ。少々話が横道に逸れるが、私は旧姫工大にいた頃、就職活動で大阪に出る機会が多かったが、大阪では私鉄・地下鉄は一部の例外を除いて線路はほとんど標準軌(1435mm)で敷かれているのに対して、東京に出て来た時、地下鉄の線路がJRと同じ狭軌(1067mm)で敷かれているのを見て「ああ、これが東京なんだ」という感慨を持った事を思い出した。しかし、その後、都営浅草線が標準軌で敷かれていることに気付き、また、丸ノ内線を見ると、これまた標準軌である事に気付き(第三軌条方式)、線路の規格がバラバラな東京という街は「摩訶不思議な街」という印象も持った。しかしその不可思議さは、「未知の大都会」という印象の一側面でもあった。2001年当時、関西圏では既に223系新快速(1994年~)が大活躍していたのだが、東京では山手線では205系電車(1985年~)が走り、中央線では201系電車(1979年~)がまだまだ現役だった。だが、東京の電車の方が古いのに、なんとなく「東京の電車こそが日本のスタンダード」的な思い込みもあった。きっとこれもテレビの影響だと思う。そうだ、僕は「まだ見ぬ大都会」に憧れ、そして、その「夢の大都会」に出て来て、それを有り難がっていたんだ。
<「東京」への反発>
一方で、東京で働き始めたばかりの頃、私が勤めていた会社が発行しているメールマガジンのコラム案が社内で検討材料として回ってきた。その際「雨の日、満員電車の中で傘を縛らずに手に持っていると周りに迷惑ですね」あるいは「この間の週末に出かけた千葉のパーキングエリアのお土産にこんなものがあり」といった内容の記事に対して、私は病的なまでに激しく反発した事を覚えている。「地方の人にとって満員電車など想像もできないし、千葉のお土産の事を書かれても、都会の事を言っているばかりで、地方には何も目を向けてくれていないと感じるだろう」と意見を書いた事を覚えている。テレビでは東京のおいしいお店を紹介する番組をやっているが、これを全国放送で流しても、地方の人がその東京のお店に来られるわけでもない。はっきり言って「これは東京のローカル番組に過ぎない」そう思った。一方、高校生たちが「この間、池袋に行ったらさぁ……。」などと会話しているのを聞き「この子たちは都会しか知らない狭い視野で生きているんだな」と、東京の子を内心、見下して安心感を得ようと必死になっていた。
私は東京に住んで今年で9年目になるから、さすがに自分は東京とは無縁の人間とは言えなくなったが、この東京に対する反発心は今でも変わらない部分がある。テレビを始めとして、マスメディアの情報発信源はひどく東京に偏っている。今回の震災でも、千葉県浦安市などの液状化現象は、もちろんそれなりの被害があったのだが、首都圏の「帰宅難民」を特集する番組など、私は見る気がしなかった。こんなことを書くとお叱りを受けるかもしれないが、東北では愛する家族を亡くしていたり、地震から4か月経って未だに避難所暮らしをしている人々もいると言うのに、一日くらい家に帰れなかったというくらいで一体何を言っているんだ?と思ってしまった。
最初に述べた、食堂の学生たちに対して、きっと僕は羨ましさと反発の両方を抱いているんだろう。それは「東京」という権力への憧れと反発であり、「東京大学」という権力への憧れと反発なんだろう。自分もその権力と共に認められたい、しかし、その権力に比べてあまりにも小さな自分はその存在に気付いてもらおうと、必死になって反発と自己主張をしようとする。
<「地方」に住む人間の悔しさ>
IT化が地方の過疎の問題に一石を投じるかもしれない、地方が主役になる舞台を整えつつあるかもしれない、と思ったこともあった。しかし、残念なことに、どうやら世の中、そうでもなさそうである。より自分にフィットしたものを求めて、人々は都会へと出てゆく事をやめない。多様な需要の渦巻く都会では、それに応じて、多様な供給が行われる。そして人々はますます都会へと流れてゆく。確かに、地方にいた頃、私は「いくらITが発達しようとも、地方にはクラシックのコンサートが少ないんだよな」と感じていた。そして、それだからこそ、地方のアマチュアオーケストラの後援会に入ったりして、地方における文化活動を支えようともしていた。
確かに、交通網が整備されると「ストロー効果」によって、都市部への人口・経済活動の流出が起こるだろうが、「おらが村にも新幹線を」と考えた地方の人々のモチベーションを都会の人は知ろうと努力すべきではないか?(私は声を大にして言いたい。日本全国に電車が走っているわけではないし(気動車が走っている所も多い)、ましてや自動改札などあるのはごく一部だ。都会が世界の全てではない!)きっと多くの人にとって多かれ少なかれ、そうした都会への屈折した憧れと反発との併存があるのではないか、という気がする。テレビを見てみれば、「原宿」や「渋谷」という県庁所在地でも何でもない地名(確かに、東京特別区はそもそも県庁所在地と同列に論じられないものだが)は全国区で通用するなのに、私が住んでいた/住んでいる県の県庁所在地を答えられない人を見ると(全47都道府県の県庁所在地は、小学校の社会科で必ず習っているはずなのだが)、「おらが村」にも新幹線を通して、地名を全国に轟かせたいと思う気持ちが出て来ても不思議ではない、と思うのは、果たして突拍子も無い発想だろうか?地方の住人にとって、新幹線はただ単に便利になるためだけのツールではない。それは都会として「一人前」になったと認められるステータスの証なのだ(少なくとも私は、日本海側で生まれ育った人間にとして、常に「我々は『裏日本』の人間である」という意識が付きまとってきた。現在ではもう経済構造は変わっているかもしれないが、私が小学生の頃、社会科で習った「四大工業地帯」そして「太平洋ベルト」の学習事項は、明らかに「日本の経済を牽引しているのは太平洋側である」というメッセージを発していた)。新幹線の開通とは、もう「二流市民に甘んじる必要は無い!」そう思える瞬間なのだ。
私が鳥取にいた頃(1997年当時)、関西出身の学生たちが自らの事を自嘲的に「お下りさん」と呼び、山陰の気動車が遅い遅いと文句を言っていた(確かに、京都のように、かつて都だった所に住む人からすれば、東京へ移住することすら「東下り」であり「都落ち」なのかもしれないが)。私はそれを聞いて、何とも言えない悔しさを感じたものだった。だが、不謹慎な言い方かもしれないが、山陰の気動車に比べて圧倒的に速い関西圏の高速ダイヤを設定したJR西日本が最終的に招いたのは、2005年の福知山線の列車脱線事故ではなかったのか?(もちろん、誤解の無いように付け加えておくが、事故からしばらく経ってから、姫路から神戸・大阪方面の新快速に乗ると、曽根駅付近のカーブで以前に比べて随分とスピードを落として走行していることに気付き、「JR西日本は今や安全最優先に舵を切った」と感じた。)
もう一つ例を挙げよう。以前に、新聞の書評欄だったと思うが、「東北の人は我慢強いと言うが、これは東北を辺境とみなす意識の表れだ」と書いている記事を思い出した。「辺境」それは英語の”frontier”が持つポジティブな印象とはおよそ異なった響きを持っている。関西弁を喋る人は東京でもためらいを感じないかもしれない。だが、それ以外の方言を喋る人が、東京で同じように方言で喋る可能性は、関西人のそれと比べて低いだろう。この差は何に起因するのか、と考えれば、やはり各地域が東京に対して相対的にどのランクにあるのかという意識と結び付いているように思う。
<さて、これからの「地方」は?>
地方を活性化させたい、とは思う。では、都市と田舎の二極化が避けられないとしたら、地方はそもそもどうあるべきなのだろう?日本はもはや重厚長大型産業の時代ではないし、地方にも新しいビジネスのチャンスはいくらでもある気はする。
例: 地元富山の後輩、H君が興した会社ランプット
http://learnput.com/index.html
(リンク切れ)
http://learnput.sakura.ne.jp/
地方でも、学びたい人を応援する。このような取り組みがもっともっと広がってほしい。先程、ITの限界を書いたが、さはさりながら、ITは地方にメリットをもたらした事も事実である。私が中学生・高校生だった頃、Amazonは無かった(それどころかインターネットそのものがほとんど無いに等しかった)。しかし、今や、地方にいながら、本やCD録音などを通して、人類の至宝とも言うべき知識の体系や芸術を味わうことができるのだ。
もう少し別の考え方としては、経済活動だけでなく、福祉や教育の充実した地域を目指すのも一つの方向性だと思う。都市部には無い、「小さくともキラリと光る町」があっても良いではないか。もちろんこれは、武村正義の「小さくともキラリと光る国」をもじったものだが、その源流には石橋湛山の「小日本主義」がある。甚だ論理の飛躍があると言われるかもしれないが、地方都市において、過大なインフラのメンテナンスコストが負荷になるという状況は、過去の時代においては過大な植民地経営のコスト、現代においてはロシアのような巨大国家が過大な領土経営のコストに圧迫されるという状況に似てはいないだろうか。今、気付いたが、これは現代日本にはびこっている「経済成長こそ重要、福祉は国家財政を圧迫する元凶」という発想に対する挑戦である。「福祉と教育に投資し、個人個人にとって異なる多様な人的資本を育成し、もはやトリクルダウン効果など見込めないのだから、中核産業にばかり投資することは、日本全体を見渡してみたときに、極度の偏りをもたらしはしまいか。そして社会福祉に投資することで、おのずと経済成長できるのではないか」という考えである。そう考えると、「小地方主義」にこそ地方が生き残る鍵があるように思えてくる。
考えてみれば、「大きい事はいいことだ」という発想は明らかに時代遅れである。だが、これから地方はいかにあるべきか?今はまだはっきりした答えが見つからない。
福島県 飯舘村
宮城での一連のプロジェクトに続き、計画避難前の5月22日、23日に、東大医科研や南相馬病院などが絡んでいるプロジェクトで、福島県 飯舘村で健康調査のお手伝いをしてきた。すっかり記事にするのが遅くなってしまったので、あまり有効な情報発信にはならないかもしれないが、継続的な支援を考えるということで、ご寛恕願いたい。
沿岸部の津波による破壊は一瞬であり、はっきりと目に見える。一方で、放射線は長期に渡って影響を及ぼすものであり、また、目に見えないため、被害の状況がつかみにくく、対応も後手に回りがちである。飯舘村など、内陸に位置し、地形的・気象的条件から、今回の「震災」がほとんど放射線による災いとなってしまった。
現在は住民の9割以上が「計画」避難している飯舘村だが、私たちが訪れた時期においては、いつ、どこへ避難するのかが明確ではなく、とても「計画」されているとは言えないような状態だった。
今回は放射線レベルの高い南部の地区の住民の方々が健康診断に来ていた。住民の方々の話を聞くと、地震発生直後はほとんどの人が、福島市や県外へと非難していた。しかし、その後、家畜の世話をしなければならないなどの理由で飯舘村にわざわざ戻って来たのだ。その家畜にはもう市場価値は無いと分かっていながら、東京電力や政府による補償の方針がなかなか明確にならないため、放置する事が出来なかったのだと言う(補償の問題に関しては、現在でも様々な問題が続いている事は皆さんよくご存じの事と思う)。
健康調査の様子
http://www.news24.jp/articles/2011/06/02/07183840.html
住民の多くが農業・畜産業に従事している飯舘村。土壌が放射能汚染されているということは、村の基幹産業が確実に終焉を迎える事を意味する。
http://www.toyokeizai.net/business/society/detail/AC/3fe59bffc5df6f8e9e3ccf763d0d23de/
(4月末時点でのデータなので少し古いが、空間線量・土壌汚染が北西方向に広がっている事がよく分かる。)
菜の花を植えるとか、向日葵を植えるとか、大豆を植えるとか、いろいろ模索されているようだが、以前のエントリでも書いたように「ほーしゃのー」への恐れ・スティグマがある中で、一体どのくらいの人がその菜の花畑や向日葵畑で働こうと思うのだろうか?確かに、土壌の浄化効果はあるとしても、根強いスティグマがある中では、観光資源になるのかどうかも疑問だ(だが、ひょっとしたら、と思う。今、人々が被災者のために連帯する機運が盛り上がっている中、「春には福島の菜の花を見にゆき、夏には福島の向日葵を見にゆき、復興に貢献しよう」という機運が、もしかしたら盛り上がるかもしれない)。将来のことを考えると希望が見えるような気がしてしまうが、現在避難されている方々の、今日・明日の生活をどうするのか、その対応を真っ先にやらなければならない。国会では民主党も自民党も対立しているようで、くっついているようで、よく分からないゴタゴタをやっている場合ではないのは誰の目にも明らかなのに、わざわざそんな茶番劇を演じるインセンティヴがあるのはなぜなのか、誰か教えてほしい。
来週は川内村での活動のお手伝いに行く予定だ。人々の思いをしっかりと聞いてきたいと思う。
社会事情と受験産業
このところ、TVのCMやネット広告などでよく「東大に○名合格!」とか「東大を目指すなら□□で!」といったものをよく見かける。なんでそんなに東大にこだわる必要があるんだろう、と思っていたが、いろいろとネット記事などを見ているうちに、これはもしかしたら昨今の社会事情のせいかもしれない、と思った。
少子化、そして、AO入試など、大学入試の多様化により、いわゆる「大学全入時代」が言われて久しい。とすると、誰でも彼でも予備校に来てくれるとは限らなくなるから、依然として競争の厳しい、いわゆる「上位」の大学を目指す受験生を獲得しようとする。すると東大は目指すべきブランドとしては分かり易く、宣伝効果が大きいと考えたのだろう。某予備校の「第一志望は、ゆずれない」とか、私がかつてアルバイトをしていた某塾の「自分のトップ校へ行こう」いうキャッチフレーズは、「私にとっての第一志望」「僕にとってのトップ校」という、個人個人によって違うものを尊重しようという気持ちの表れで、私は好きなのだが、塾としての経営上、想像がつくように、理想論だけでは立ち行かないのも事実である。そういう曖昧なフレーズよりも東大ブランドのインパクトは大きいということか。
一方で、予備校はひたすら「現役生のみ」のコースを売りにしているようにも見える。浪人生クラスの方がむしろ「おまけ」のようにも見える。現在では状況は変わっているのかもしれないが、地方公立校出身の自分は、予備校というのは浪人生だけが行くものだと思っていた。ところが、厳しい経済状況から、大学入学前に浪人をすることも難しくなっているのかもしれない。とすると、予備校としては、なんとか現役生に来てもらわなければ経営上困るのだ。
大手予備校は、大学受験予備校だけでなく、資格試験対策予備校、ITやビジネス系の専門学校、通信制高校などもグループの中に有している。しかし、それらの大学受験予備校以外の学校の宣伝が華々しく行われているのを見たことが無い。おそらく、予備校グループとしては大学受験予備校の方が校舎の数も多く、顧客として来てくれそうな大学受験生も多いだろうから、より経営上大きなウェイトを占める大学受験予備校に宣伝リソースを集中投入するだろう。
なるほど、そう考えると、現在の予備校の宣伝・経営の戦略に合点がいく。だが、と私は思う。私の個人的な理想はそれとは少し違う。
ずいぶん昔の日記にも書いたが、主婦や定年退職をした人が、もう一度向学心に駆られて予備校に来ても良いではないか。大学受験を目指しても良いし、大学受験を目指さなくても、英字新聞が読めるように英語を習うのも良いし(残念ながら、英会話をマスターしたいのであれば、英会話スクールに行った方が良い。多くの英会話スクールでは日常会話だけでなく、ビジネスでの交渉や留学を見据えた上級者向けのコースも充実している)、純粋に学問として数学などを楽しむために予備校に来ても良いではないか(もしかしたら、予備校はあくまでも大学受験のための場所であり、「学問を究める」という目的には不向きなのかもしれない)。
そうした中、いくつか面白い試みだな、と思う例がある。
四谷学院
http://www.yotsuyagakuin.com/course/nenrei.html?banner_id=g2
Googleで検索すると「社会人でも通える四谷学院」という広告が出てくる。社会人やブランクのある人を対象としたコースを全面的に売りにしている予備校は他には見かけない。↓この方の「0点でも入れてもらえますか?」という質問が印象的だった。
http://124.146.221.80/exp/zero/?cat=8&paged=9
そう、私は予備校とは、現時点ではできない生徒にいろいろ教え、成績を伸ばすためのものだと思っている。東大選抜クラスなどの超難関校を受験するコースは選抜試験を課し、最初から「できる人しか取りません」というスタンスなのだから(見掛けの合格率は上げることができるので、これはこれで一つの経営戦略なのだろうが)、それは予備校の存在意義としてそもそもどうなんだろう、と思わなくもない。年齢、経歴、現時点での成績に関係なく、「やりたいことに挑戦したい」という人を応援する予備校がもっと増えることを願ってやまない。
大人のための楽しい数学教室 和
http://imakarasuugaku.com/index.html
社会人のための数学教室。レベルも幅広く、生活に役立つ数学という身近なものから、ε-δ論法に始まり、大学数学一般、相対論や量子論などの理論物理も学べるらしい。
物理ネット予備校
http://phys-yobiko.com/
本来は大学受験のためのネット配信型予備校だが、ネット配信というスタイルもあってか、社会人の方も多く受講しているようだ。動機としては、編入試験を受けたい、仕事で必要なった、純粋に物理を学びたい、など。
http://phys-yobiko.com/koe5.shtml
↓中には「子供に物理を教えたいから」という理由もあった。
http://phys-yobiko.com/koe9.shtml
もちろん、最近は分かりやすい良い本もたくさん出ており、独学するのも良いだろう。大人になってから英検や数検の合格を目指すのもかっこいいと思う。
↓この方の数検準1級合格体験記が飄々としていて、なかなかに味がある。
http://www.suken.net/about/goukaku-taiken/j-1kyu/index.html
受験産業は大学受験以外にも活路を見出す選択肢はまだまだたくさんあるように思う。
学問自身はそれに近付こうとする人を選別しない。ただ、そこで黙って待っているだけである。もちろん、近付くためには易しい道のものから険しい道のものまであるだろうし、こちらから嫌になって遠ざかってしまうこともあるだろう。しかし、学問の側が特定の人をシャットアウトすることは絶対に無い。誰に対してもオープンである。
しかし、一方でリソースは限られている。学生だけではなく、社会人であったとしても、被災した東北に住む人々、東北出身の人々が、それがゆえに学問を諦めてしまうような環境にならないよう、何ができるだろうか?学問はお金に余裕のある有閑階級の遊びだろうか?いや、未知の世界との邂逅によって人的資本が育成されるのならば、教育と学問に投資することは、教育産業と、そこで学ぶ人との双方に相乗効果をもたらすと信じたい。
日本国憲法 第26条 第1項
「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」
「すべて国民は」である。子供だけではないのだ。





