大学受験を考える<第1章 序章~私の選択> (3/4)~社会人になってからの違和感~
私が就職したバイオ関連の専門商社では、自分の専門知識を生かすことができ、その会社は決して悪くはありませんでしたが、実際に社会人として働いてみると、やはり、「会社」である以上、資本主義の土台の上に乗らなければならず、競争に勝ち抜き、利潤を追求することは当然の目標となります。そしてまた、バイオ関連産業は先進国にしか恩恵をもたらさないのではないか、と思うようになり、私は次第にそのあり方に疑問を感じるようになってきました。確かに、昨今話題になっているiPS細胞など、最先端の基礎医学は今後の臨床応用に大いに期待されています。しかしながら、世界の人口の多数は、今なお、貧困と飢餓に苦しめられています。先進国ならば簡単に抗生物質が手に入るため、問題にならないような感染症は、途上国においては、今なお多くの人を苦しめています。科学の進歩は人類にとって必要なものですが、所得配分が著しく不平等なこの世界の現状は、はたして我々にとって許容できる世界なのでしょうか?(ただし、実は、途上国には単純に「物が無い」のではなく、国連、先進国の援助機関、NGOなどから様々なものが提供されているのですが、その分配がうまくいっていない、という面があるのです。)
また、少し異なった視点からは、ちょうど私が就職したころに、イラク戦争が始まり、「このままいくと、世の中がどんどん間違った方向に進んでしまう」と感じ、自分に何かできるわけではないと分かりつつも、「間違った」方向にいかないよう、ささやかな貢献をしたい、とも思ったのでした。
思い返せば、高校生の頃感じていた、発展途上国などで国際的に貢献したいという思いは、心の片隅で、燻り続けていたことに気が付きました。やはり、国際貢献できる仕事に就こう、と改めて思いました。しかし、何も知識・技能が無いのに、いきなり現場に赴いても役立たずであり、むしろ、現場の足を引っ張るだけの存在になってしまいます(青年海外協力隊の募集要項を見たところ、非常に高度な技術を持っていることを要求される職種が多く、協力隊への応募を諦めたことがあります)。ならば、発展途上国の開発にあたって必要な知識を学び直そうと思い、偶然にもT大学 経済学部には開発経済学を学ぶゼミ(研究グループのようなものです)があることを知り、また、学士編入学試験(4年制大学を卒業すると「学士」になります。この「学士」の称号を持っている人が3年次に編入学するための試験です。ちなみに、私の場合は、先に述べたように、その上の「修士」も取得しています。)で課せられる受験科目は論文(2題)とTOEFL、及び出身大学の成績評定のみであることから、T大学 経済学部 経済学科の学士編入学の入学試験を受験することを決意しました。2008年の春、幸いにも合格することができ、5年間勤めた会社を辞して、大学に入学致しました。
参考
TOEFL
アメリカのETSという組織が作成する、英語の試験です。読む、聞く、話す、書く、と総合的な英語の力が問われます。
高校生であれば、受験に向けて周りの皆が(良きにつけ、悪しきしつけ)応援してくれますが、私の場合、会社に勤めており、そこにいつづけることが当然であり、会社を辞めて大学に入るということは、残念ながら現在の日本社会では「アブノーマル」なことと考えられる傾向がありますので、ごく一部の人以外には誰にも口外せず、いわば「隠れて」勉強しなければならなかったのは非常につらく感じました。欧米や一部のアジアの国々では一度社会に出て働いてから、向学心に駆られ、または仕事上の必要性から、もう一度大学に入り直すことは一般的です(これには、欧米では正規雇用と非正規雇用との間の賃金格差が小さいこと、また、学費が安いことなども関係しています)。「生涯学習」と言われて久しいのですから、日本もそのように「学び直し」のしやすい社会になってほしいものです。私は、高校3年生の時に受験したセンター試験最初の英語の試験の時に(当時は英語が最初の科目でした)、「この結果次第で自分の人生が決まるのか」と思うと、終始緊張して、心臓が激しく鼓動し続けていた事を覚えています。二次試験の時は前の席に座っていた学生が試験中にもやたらと溜め息をついていたのを思い出します(結局、彼を大学で見かけることはありませんでした)。やはり、現在の日本のように、18歳そこそこの高校生に、卒業後の進路次第で人生に決定的影響を及ぼすような選択をさせるのは、誠に酷な事だと言わざるを得ません。
さて、いざ、再度大学に入ってみると、当初、夢と希望に満ち溢れてT大学に入り直したはずでしたが、周囲の学生を見るにつけ、若く、前途洋々としているように感じられ、現役でストレートに入学した人と私は9歳離れていますから、取り残されたような気がして、非常に不安を感じることもありました。なぜ、高校生の時に自分が進むべき道についてきちんと考えなかったのだろう、と後悔することもあり、こうして現役高校生・大学受験生の皆さんに、いわば「反面教師」としてお伝えしたいことがあり、筆を取っているわけです。今から思えば、私は高校生の頃は、成績が思うように振るわず、また、友人との摩擦から自分に自信を無くし、自分を見失っていた時期でした。そうした中で、先生に勧められるがままに進路を決めてしまったように思います。ただ、この遠回りした経験が今後に生きるのか、それとも全く無駄なものに過ぎなかったのかは、分かりません(後に述べるように、それこそ自分が臨終の床に就く時でないと評価できないでしょう)。