ガルガル期を迎え、イライラすることもあったが、赤ちゃんがただただ可愛かったので、彼(夫)が可愛げなくてもさほど氣にならなかった
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はじめからは
家が大好きな彼は朝早く仕事に出るが、4時には必ず帰宅し、飲みに行ったりする事もほとんど無かった。
家に帰ってから離れのシェッド(広い物置みたいな作業場)でエクササイズ(ホームジム)をしたり、広い庭の芝刈りをして、裸でプールに飛び込んだり(敷地が広くて近所から見えない)、DIYのバンブーバーで飲んだり、野外にバスタブを作ったりと、家を快適に整えてくれた。(腰が痛いだのシャワーしかないだのぼやいてたら作ってくれた)
そして、家から外出したくないと言うくらい彼にとって家は憩いの場であったようだ。
そこに愛する家族がなに不自由なく過ごしている。それが彼のやりがいと幸せでもあった。
私もそんな平穏な生活に幸せを感じていた。
が
私は常に人里離れた家で赤ちゃんと過ごす毎日で、時に人恋しく感じたり(カンガルーのママ友が唯一の話し相手)、外出したいなと思うこともあった。買い物もオンラインでたまに彼がスーパーに寄ってくれた。
息子は、新生児の時は育てやすい赤ちゃんだったと思う。オムツ(布・紙 併用)やおっぱい(母乳のみ)以外で理由なく泣く事もなかった。常にご機嫌の赤ちゃんであんなに振り回されるなんて思いもしなかったこの時
夜も何回か起きて授乳するが、お腹がいっぱいになれば直ぐに寝てくれた。
2・3ヶ月の赤ちゃんて、ミルクでぽっちゃりしてくる頃で…そりゃまたこの世の生物とは思えない位可愛いんだよね…色んな表情をしたり、ニコニコ笑ったり(産後、実母が居た時に一度声を出して笑ったそうだが…新生児でそんなことあるの?)
もぅ、母ちゃんキュンが止まらねえよ!
眠っていた母性が
完全に開花した
太陽蟹座の本領発揮じゃ!ファミリーラブ
私は、授乳婦として、引き続き食事に氣をつけた。そのお陰か?5年間(長男+次男)という長い?授乳期間一度も乳腺炎になることはなかった(かなり痛いらしい)
そして、子供に余計な(個人的に私達が不要だと思う)医療行為を受けさせないと決めていたので、代替医療や、自然療法、予防医学、免疫学、ホメオパシーといったことに興味を持ち日々学習した。
そして、食生活についても色々調べて実践した。
腹直筋離開していたので、ハードなエクササイズは出来なかったが、ヨガを再開し少しずつだが身体も整えていった。(クンダリーニヨガとの出会い)
独り暮らしの時は、ほとんど外食でお料理なんかしなかった私が…キッチンに籠りお料理を作るのが趣味になり(他にする事なかったからね)、インテリアを楽しんだり、音楽を聴いたり、本を読んだりと穏やかな時間を過ごした。
今までの人生で、こんなにもゆったりとした氣持ちで、過ごした事があっただろうか?
この平穏は長くは続きません
ニートの時もかなりダラダラのんびりしていたが、どこか働かなきゃというプレッシャーがあった(一応ね)
今は、赤ちゃんのお世話が私の仕事である。
私は、1人の人間を育てるという立派な任務を果たしているのだと使命に燃えていたのである。
生後半年頃、
友人の結婚式に出席する為に日本に帰国した。
飛行機に乗せるのは、少し早かったが…
私はどうしても日本に帰りたかった。
これくらいの赤ちゃんを連れて帰るのは意外と楽。動き回らないし、おっぱいさえあげていれば大して愚図ることもなかった。
同時期に大親友が出産し、なんと1ヶ月違いの赤ちゃんがいた。生粋のママ友だ
彼女の産後のお腹を見せてもらって、妊娠線一つない綺麗でフラットなお腹で自分のお腹にちょっと凹んだけどね
そして、姉もちょうど第二子が誕生したところで、里帰り中だったし、弟の第二子も同時期に生まれていて、休暇の際に実家に帰省していた。甥・姪・息子揃って可愛かった母は飯炊きおばさんで大忙しw 授乳婦ら良く食べるんだわ
久しぶりに家族が揃い、
最高に楽しかった。
風邪を引いて、日本滞在中味覚障害になったのがちょっと残念だった…せっかくの日本食の味がわからん結局3ヶ月位続いたよ。授乳で栄養(亜鉛?)が回ってなかったのかな…コ6ナじゃなくとも味覚障害になる時もありまっせ~
結婚式で久々の旧友との再会
搾乳し、母親と姉に赤ちゃんを託し出席した。
それでも足りなかったらしく、姉が母乳を飲ませてくれていた乳母は伯母w
式が終わってソッコーで帰宅した私。
(二次会には参加しなかった)
そんな私の変貌ぶりに母が驚いていた。
(どんなイメージや私)
そんな、楽しい一時帰国を終え…
オーストラリアに帰った。
また田舎に引き子守りの毎日…
楽しく充実していた日本での生活とついつい比べてしまい少し落ち込んだ。味覚もないしお料理もテンション下がるわ~
日本にいれば、両親にたまに甘えたり、家族集まったり、友人達とママ会したり、お茶したり、お買い物にも行けるのになぁ…美味しい日本食や本も簡単に手に入るのになぁ…(毎度スーツケースは本や食べ物やお買い物戦利品でパンパン)
でもこれは私が決めたこと
自分で選んだ人生だ。
国際結婚とはそういうことなんだ…
と自分に言い聞かせた。
こんな素敵な所で最愛の人と可愛い息子と暮らせるんだもの。
そんなプチホームシックの中、
義母から驚くべき事実を知らされる。
義母は乳癌のステージ4で、
あちこちに転移しており、
余命1ヶ月だと…
そして、
自分の事が何も出来ないから助けて欲しいと。
義母が弱音を吐いたり、
人に何かを頼むことなんてなかった。
余程の事だ…と察知した。
二人抱き合って号泣した
今思えば、立ち会い出産の為に来てくれた時に咳をずっとしていた。風邪でも引いたのかと思ったのだが、既に胸水が溜まっていたのだと思う。
私「私行くわ。」
彼「いいの?」
私「もちろん!出来る限りの事をする末期癌だって治る!」
早速飛行機のチケットを取り、荷物をまとめ3日後には乳飲み子を抱えて義理両親の所に向かった。
結局このまま私はこの家に帰ることはなかった。
長くなったので続きます。
今回はフリー画像以外の写真も載せてみました
モリリン🥭