ヒッピーの聖地で語学学校に通う【豪州ワーホリ日記⑩】 | 地球の裏側から愛を振りまく

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いよいよ、島を出る事になった私達。
バタバタと荷造りをして、
メインアイランドに向かった。


前回から少し時間が空きました↓


初めからは右差し

【豪州ワーホリ日記①】 

【豪州ワーホリ日記②】 

【豪州ワーホリ日記③】 

【豪州ワーホリ日記④】 

【豪州ワーホリ日記⑤】 

【豪州ワーホリ日記⑥】
【豪州ワーホリ日記⑦】 



そこからは、彼の友達と3人で車で移動した。


私は、長時間同じ場所で、空気が薄く狭い場所にいるのが好きじゃないので、長時間ドライブは苦手真顔たまに車酔いもするし…
ドライブ好きな人は氣にならないのかな?



そして、
オーストラリアって
めちゃくちゃ広い!!


何時間走っても走っても、
曲がり角一つない一本道ポーン


ガソリンスタンドや休憩場とか、
そんなのも一切ない泣き笑い



ただひたすら草原を走る走る。




男性が交代で運転し、私は助手席だ。

やはり彼らが居眠りしないように、横でちゃんとみておかなくてはいけないし、氣は抜けない知らんぷり

もちろん運転の方が疲れるけどね~ありがとう飛び出すハート


簡単な一本道と言えども、たまに、牛やカンガルーが飛び出てくることを想定しながらの運転だ。
特に夜間は要注意注意




私は眠気とひたすら戦った…マジ退屈w





そして、お手洗いももちろん野外だ。
青空トイレ


私はそんなこともあろうかとニヒヒ
ロングスカートを履いていた合格 ←出来る女w



お尻丸出しより少し隠れる感じが
野外初心者にはオススメである物申す
誰得情報爆笑



昔々ベルサイユ宮殿の貴族は、
庭園の隅でこっそり用を足したらしいですからね乙女のトキメキ


私も気分はマリーモリリン・アントワネットドレス


ちょっとお花を摘みに行ってまいりますわぽってりフラワー


と華麗に用を足す。

見ちゃ嫌よッ



後に彼から、君はどんな所でも用を足せるねグッド!

「I AM VERY PROUD OF YOU 」
     
と誉められた。


直訳すれば、“君を誇りに思うよ”
一般的には、“良かったね“ “頑張ったね” “すごいね” “私も嬉しいよ” の意味が多いが、ここでは、直訳の意味かと思われるニコニコ




いや、そんなとこ誉められても
全然嬉しない笑い泣き


ここでも好感度アップアップ笑したらしいが…
彼もなかなかズレとるw

もっと違うとこ誉めとくれ!!爆笑





そんなこんなで、一日中休まず走り続け、

ようやく目的地に着いた。



彼の元ルームメート(女性)と対面し、私達がこれから住む場所の話をしていたら、彼女も一緒に来ることに(フッ軽か!w)なり、3人で家を探すことになったひらめき




無事家も見つかり、私達は荷造りをして(私も彼女達の荷物をパッキング)新天地に向かった。




向かった先は、ヒッピーの聖地
と言われる観光地だ。


元々は、アボリジニの人々のパワースポットとされ、豊かな自然美しいビーチに囲まれていて、サーファーヒッピーが暮らしていたが、健康環境意識の高い富裕層が移り住み、いまやオーストラリアの中でも最も物価が高い場所とされている。



今でも大好きな想い出の場所ニコニコ



私はVISAの繋ぎとして、そこの語学学校に3ヶ月通うことになった。おそらく価格も他の学校よりも高かったと思う。島で貯めたお金を全てはたいた立ち上がるスター


余談だが先生に、
「エリカ・サワジリ知ってる?私の生徒だったのよ。」と嬉しそうに言われた乙女のトキメキ
別に…  そんな知らんけどw
「綺麗な人だよね!」と言っておいたふんわり風船ハート


その頃も既に街の中心部は、人気で家賃も高かったので、少し離れた街に住み、バス通学する事になった。




彼は彼で、心機一転、
自分でビジネスを立ち上げたあんぐり

そんな、
3人の愉快な同棲同居生活が始まったニコニコ




学校へは、フルタイムで月曜~金曜日まで毎日通学した。私の英語レベルはインターミィディエット(中級)であったが、私はより高いレベルで卒業したいと目論んでいたキメてる



めちゃくちゃ
真面目に授業を聞いて
勉強したびっくりマーク
(当たり前なのかも知れないがw)


ヒッピー・サーファーの街だから、観光・リゾート目的の方もたくさんいた(私がフィジーに行った時みたいに指差し)


私はガリ勉!!
観光氣分は皆無!!



なんとか、
この地で自立するために
英語は必須!!物申す



前列に座り質問しまくりメラメラ

もっと上のクラスに移りたいと先生にも交渉する。



ある日、今日はクッキングクラスにしようと言われた時には、私は英語の勉強に来ているから(授業料払っとるし知らんぷり)と一人クラスに残り自習する徹底ぶり物申す(ほんとにあのモリリンか?w)


放課後は、一本しかないバスに乗って帰らなくては行けないから、授業が終わるや否や急いで帰る。

もしくは、たまに彼が迎えに来てくれた。


そんなこともあり、友達もほとんど出来なかった煽り

もちろん、昼休憩に話したり、仲良く話す人はちらほらいたが、プライベートを一緒に過ごす程仲良くなった人はいなかった。本来なら、語学学校って友達が出来たりするはずなんだが爆笑



さらに、私は放課後は家の近くのパブで皿洗いのバイトをしていた。学生VISAは、週に20時間以内なら働く事が出来たのだ。



仕事はひたすら大量のお皿や鍋を洗うだけで、楽しくはないガーン
ここで働いたことも今となれば良い経験…にっこり


それでも、素早く綺麗に洗うことで段々と認められ、キッチンハンドをしたり、ホールに出ることもあった。



シェフは美食家のイタリア人で、美味しいコーヒーを入れてくれたり、パートのおばさまも優しく、ミルクシェイクを作ってくれたりもした。



イタリア人シェフは、こんなゴミみたいな料理(と言ってた笑い泣き)は作りたくないとばかりに投げやりな勤務態度ではあったが…




この地には、住みたい人が多いけれど、仕事が少ない。そして、物価も高いお金持ち以外の一般人はそうやって、やりたくない仕事でもしなくては生活が出来なかったのだと思う。


私もその一人だった。


英語もろくに話せない外国人で、学生VISAを持つ私にとって、仕事が貰えるだけでラッキーなのであった。


実際に周りには仕事を探している人ばかりだった驚きそして、そんな私達の足元をみる人達…不安



そして、私は3ヶ月間の学校生活を終え立ち上がる

アッパーインターミィディエット(中上級)で、修了証をゲットしたスター頑張ったけど、これが精一杯の結果だった。それでも私は、頑張った自分結果に満足していた。



そして、同棲して、(確か約)10ヶ月程過ぎた頃には無事にデ・ファクトVISA(事実婚VISA)を申請し、ブリッジングVISAが降りていた。

※ブリッジングVISAとは、現在保持しているVISAから次のVISA申請~審査が終わって付与されるまで、オーストラリアに合法的に滞在出来る仮のVISAのこと。



そんな順調に思えた生活も、
長くは続かなかった。

色んな面で、
少しずつ歪みと迷いが生じていったのだ不安






最後まで読んで頂きありがとうございますキラキラ



モリリン🥭