東京から戻り、前日に慌ててパッキングをした。
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初めから
31歳直前でVISA取って、32歳になる前に出航。
ギリホリもえーとこや
ギリギリなのは何もそれだけじゃない
所持金も確か(うろ覚え~)20万円も無かったんじゃないかなとにかく少なかったのは覚えてる💦
一応最低40~50万は所持しておくのがワーホリのルールらしいし、知らんしよゐこの皆さんは気を付けてね~
当時、入国時に所持金残高を証明するものを見せなきゃいけないかもという恐ろしい噂を聞いて、過去の栄光(お勤めしてた時のボーナス後…古)の通帳ページをコピーしていったという(おバカさん…)
本当は、オーストラリアのワーキングホリデービザ申請時に必要な残高証明書は利用中の金融機関で発行するらしい稀に提示を求められる事があるらしい。私は不要だったぜ!
そして、そんなギリギリのバタバタで空港に向かった。更にろくに計らないで荷造りして、重量オーバーで泣く泣く冬服は実家に送り返すという手際の悪さ
(ねぇ、バカなの?)
そして、ようやく降りたったシドニー!
オーストラリア🇦🇺の経済の中心地!多分ねでも首都はキャンベラという
東京に行った時と同じ理由で、やはりオーストラリアのヘソとやらを経験したかった。
そして、仕事も見つかりやすいかなと目論んだ
さぁ、これから
私のひとり旅、挑戦が始まる!
はずだったのだが…
フィジーで出会った彼がシドニー迄来てくれた
彼はオーストラリアのリゾート島のホテルで働いていたのだが、辞めてシドニーに移動してきたのだ勿体無いから辞めるなとは諭したのだが…
彼とは語学学校で出会い、彼がフィジーを去るまでの2週間程しか時間を共にしていなかったのだが、
ご縁があり、再会し、
二人で部屋借りた方が良いところに安く泊まれるとなり…いきなり彼と同棲生活
日本人カップルの素敵なタワマンで、愉快な共同生活が始まった
私は、早速職探しに出かけた
運良く初めに面接を受けた日本食レストランで、当日トライアルし、働く事が決まった。
何とか家賃が払えるとホッとしたぜ賄い付いてるし
とにかく忙しいお店で、お客様はほとんどオーストラリア人だった。私の拙い英語力ではテンパる事が多く、(電話なんて聞き取れず切られたこともあった)とにかくメニューを丸暗記して、簡単な接客用語を覚えた。
スタッフはほとんどが日本人だったので、ベテランの方に沢山助けて頂き、何とか仕事に慣れていった。
家に帰れば、彼とオーナーカップルと毎日賭博(トランプだけど)で宴会状態
職場でも家でも日本語を使う事の方が多い。
彼は英語も上手で、周りも上手で、何だか取り残された感じ…
いや、これで良いのか!?
と自問した。
いや、良いわけない
もっと異文化交流を深めていかなくては…
後、仕事も週に3、4回だし金銭的にも心配だ
とにかく、もっと動かなきゃ
そんなこんなで、夜は日本居酒屋で働く事になった。
ここでちょっと当時のワーホリ(シドニー)仕事状況を追記する
当時(もう10年以上前)のシドニーでは、比較的仕事はあったと思う。私レベルの英語力でもどちらも直ぐに決まった。
ただ、当時は知らなかったのだが、雇い主は労働基準法で最低賃金を支払わなくてはいけないという決まりがあるにも関わらず、それに満たない給与を支払うレストランが多々あるのだった。現金手渡し
因みに当時の最低賃金は17ドル位で、週末や時間帯によって金額が上がる。
私の働いていたレストランは、どちらも時給11~12ドル程だった
現在2023年の最低賃金は23ドル位(2200円程度)になっている。物価も高いからね~
私は、その事実を後から知ることになったのだが、日本食レストランは、中国人の素敵なオーナーで、店長は日本人で素晴らしい腕前と志し(後に独立)、皆さんには本当に良くして頂いた。
仕事はめちゃくちゃ忙しかったけど、ほとんど英語が話せない状態からのスタートだったので、私的にはこんなもんだったのかなとは思った。
ただ、やはり知ってしまった以上、それ相当の金額が欲しかったので、約束の3ヶ月働いたら他の仕事を探す事にした。
訴えたり、密告したりとかは全く思わなかった。
味は(特に巻き寿司)美味しく、お手頃で、フェアな商売をしているお店だとも思った。中国人オーナーのお寿司屋さんってたいがい不味くて高いのよ~
今も頑張ってくれてたらいいなぁ~。(調べたらまだやってた)
問題は夜の居酒屋の方(名前忘れたけど、こっちはもう無いやろな…)
面接をしてくれた店長さんに、次期店長を視野にと言われ(多分店長が辞めたかった)入店する。
とにかく、暇。お客さんの入りが悪い。
スタッフもきっと入れ替わりが激しいのだろう、連携プレーが出来ていない。
厨房では、料理長のイライラが伝わってきた。
料理もフツー…食へのパッションなどは一切感じられない
その理由が直ぐに判明する…
上下黒の洋服を着た若干柄の悪そうなお客様が偉そうな態度で入店してきた
と思ったら、従業員の人に
「あれがオーナーだよ」と耳打ちされた。
なるほどなるほど、全てに納得。
またお店の雰囲氣が一段と重くなる。
広い店内で、立地も良いのでそれなりに一見さんも来て繁忙時はそこそこお客さんが入った。
お客さんが引いたから帰って良いよと言われて一足先に帰ろうとしたら…
一人で飲んでたオーナーに捕まった
オーナー「誰?新人さん?こっち座って飲みなよ。」
私「はい、モリリンです。宜しくお願いします。」
あんたは名乗らんのかい!
取り敢えず、仕事終わりの一杯はありがたく頂き理由を作ってさらっと笑顔で退散した。飲み逃げ成功
そんな事が2、3回続き、仕事も楽だし、まあお金もらえるならいいかと思って働いていたのだが…
事件は起きた
また一段と機嫌の悪いオーナーが
従業員に怒鳴り散らしたのだ。
「嫌ならお前ら辞めちまえ!!」
これには、氣弱なモリリンも黙っちゃおけねぇ
伊達に江戸前学んできたんじゃねぇやぃ!てやんでぃ
「あ、じゃあ私辞めま~す」と
氣弱な私のささやかな抵抗
厨房の皆さんや、ホールの皆さんに、そしてついでにオーナーにも
「短い間でしたが、お世話になりました。」
と挨拶をして帰ってきてしまったのだ
辞めたのは私だけで、その場はし~んってなった
どんだけ仕事は楽でも
あんな人の下では絶対に働けない
いゃいゃ、とんでもない経営者がいるもんですなオーストラリアには(稀です)店長なんか死んでもごめんやでw
後から聞いたら、かなり評判が悪いレストランだったみたい。だから募集してたんかな
結局、もう一つのレストランにフルで入れる事になり、お給料もほんの少しあげてもらったのである。まだ最低賃金以下
と言う訳で今回は、ちょっと真面目?なワーホリの仕事の状況でした。(最新情報じゃないけど)
ワーホリで仕事を探す時は、氣を付けて下され。
私は、セカンドホリデーVISAは取れないからファームには行かなかったから良く分からないのだけど、過酷なファームもあるみたいで(情報によるとずっと募集してるところや、直ぐに行けるファームや、日本語で募集かけてる所辺りは要注意だそーな)
レストランも、そうやって英語力が乏しく、仕事が欲しい日本人を不当に雇ってこき使い、仕事無くなったら困るのはそっちだろうと、上から目線で、態度が己の器と反比例した大きい経営者もいると言うこと。
いや、同胞に優しくないってどうよ
不当だと思ったら、交渉する事。嫌なときは我慢せずに辞めても大丈夫。もちろん、真面目な日本人だからと評価されていると言うのも忘れないで欲しい。求められた以上の仕事をするのが、ワーホリで生き残るコツだ。先輩面してる~
やはり、礼は尽くさなきゃね。仁義は大切だぜ
そして、フットワークは軽く、メンタルは図太くいくのが鉄則だ嫌でも強くなる
次回は、シドニーでの生活と彼とのお別れ編(早っ)
モリリン🥭