ご訪問ありがとうございます。2018年、第二子の次男ちゅけぷんが生まれる時の妊娠記録です。現在CAKUT(小児先天性腎低形成異形成)温存期の3歳です。

きぃまる小学校も本日より学級閉鎖でございます。あーたん保育園でも上の学年のクラスが閉鎖になっていてジワジワと包囲網きてます。

 

 

 

 

ところでね?今日、あーたんが英語が母語の子向けの童謡動画を見てたんですよ。したら、きぃまるがニワトリのことpoultryっていうの?って聞いてきて、お恥ずかしながら、マム知らなかった。へ?

 

 

 

 

ググったらpoultryって"食肉として放牧されている鶏"って意味だったんですよ...さ、さすが言語習得期にアメリカにいただけあって、耳すげぇな!知らない単語でも聞き取れる。帰国してからもフォニックスで教えている英会話スクール通っているので、初めて読む単語でもかなり正確に読めて驚かされます。欧米では日本のブロイラー方式が動物虐待にあたるとする国や州も多いので、chiken、rooster、henの他に童謡でさえ、poultryも明確に区別するんですね。勉強になりました。

 

 

 

 

 

特性のあるきぃまるにとって、将来日本で暮らすのがしんどい、ということは多いにあり得るな、と思って英語教育にだけは大枚叩いています。マム、昔、水泳を習わされていたのですが、海で溺れた時に母は姉を助けるので、お前は自分の命は自分で守れるよう、泳げるようになりなさい、という理由で習わされていました。

 

 

 

 

 

 

日本で発達障害グレーと言われるお子さんの多くも、NYだったら大体定形の範疇です。個性?多いに素晴らしい!という環境だから。いつか日本で溺れてしまっても、言葉さえできれば、場所を変えて生きていくことができるかもしれない、そんな母心です。

 

 

 

 

 

 

 

さて前座が長くなりましたが、

本日もちゅけぷんのお話しの続きです。

 

 

 

登場人物の紹介はこちら

 

 

初めての帝王切開、長男の妊娠記録はこちら→★

重症妊娠悪阻で命の危機、長女の妊娠記録はこちら→★

 

 

ポッター症候群で、腎臓がない、ほぼ100%生きられない、と言われ、提携大学病院でセカンドオピニオンをしますか?と聞かれました。セカンドオピニオンの予約まで1週間くらいあり、その間のことです。

 

 

 

これまでのお話はこちら

ポッターと生まれて#1#2#3#4#5#6

 

 

 

 

日本の法律では妊娠22週より赤ちゃんに人権的なものが発動することになっています。

新人看護師さんのミスにより21週で生まれても助けてもらえた女性の話がありますので、リンクしておきますね。

 

 

私はこの話を読んで胸が苦しくなりました。

答えの出ない、しかし目を背けられない問題がいっぱい詰まっていたからです。

 

 

 

 

 

 

そして私たちの赤ちゃんも20週に100%生きられない、と言われ21週5日がセカンドオピニオンの日だったので、その日中に結論を出すように、と迫られていました。上のリンクとは逆に22週を過ぎたら、法的に中絶することが許されないからです。

 

 

 

 

 

 

セカンドオピニオンの結果を待ってから考える余裕はありません。

 

 

 

 

 

告知されたその日、きぃまるを寝かしつけるまで、きぃまるの前では、努めて日常生活になるよう、夫婦とも最大限の努力をしました。

 

 

 

 

 

その日の夜、きぃまるを寝かしつけてから、私たちはひたすら「ポッター症候群」について検索しました。お互いに思ったことを言葉にできる心の余裕がなくて、ただ黙って別々にスマホの画面をひたすら見ていました...。

 

 

 

 

ポッター症候群とgoogleの検索ダイアログに入れると、確率と予測変換がつきました。

生存率は0.1%〜1%と言われている病気です。多くの人が生存の確率は?と検索するのでしょう。

 

 

 

心がちぎれそうでした。

 

 

 

 

検索しても検索しても検索しても...生きて生まれた子がいません。頭がガンガンしました。

 

 

 

死、死、死...

死で溢れている検索結果を前に、私は夫につぶやきました。

 

 

 

 

「ねぇ...中絶を考えないといけないのかな?」

 

「クリニックの診断は間違っているかもしれない。
セカンドオピニオンを受けて、それからどうするか考えればいい。」

 

 

 

と、夫は言いました。

 

 

(わかってない...それじゃ、何も考える猶予なく、セカオピの診断が出たその場で決心しないといけないというのに...)

 

 

 

と、思いましたが、言葉にして言い合う気力が湧きませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

少しでも、時間が必要だ、そう感じました。

 

 

「ねぇ...明日から2〜3日、会社、休めないかな?」

 

 

「うん、そうしよう。」

 

 

話合いたいことはたくさんあるのに、お互いうまく言葉にできず、その夜の会話はそれだけでした。

 

 

お腹の中からドンドンと勢いよく胎動が響いていました。私はお腹を大切に抱え、この日からずっと、眠れぬ夜を過ごすのです。

 

 

『あぁ、私はあなたのお母さんですよ...』

 

 

 

呑気に腹を蹴る次男をそっと抱きしめました。

 

 

 

続きはこちら

 

 

 

 

にほんブログ村 病気ブログ 子供・赤ちゃんの病気へ
にほんブログ村