本稿は「サスペリア」(2018)のネタバレ全開詳細解読記事です。
「サスペリア」の上映、大阪ではあっさり終わってしまいました。もともと上映館少ないし、早々に回数は激減するし。なんかやる気なかったなあ…と思います。観た回はどれもそこそこ入っていたけどなあ…。
また、この記事は「サスペリア ネタバレ徹底解説その1」ならびに「サスペリア ネタバレ徹底解説その2」そして「サスペリア ネタバレ徹底解説その3」はたまた「サスペリア ネタバレ徹底解説その4」これまた「サスペリアネタバレ徹底解説その5」の続きです。
これまでの記事も、間違いなどはちょこちょこ修正したり、加筆したりしています。時々見返して頂けると嬉しいです。(この項も2/17に追記しています)
第6幕 Suspiriorum 嘆き
「深き淵よりの嘆息(Suspiria de Profundis)」。
「阿片服用者の告白」の続編。イギリスの評論家トマス・ド・クインシー(1785-1859)が、阿片中毒の中で見た様々な幻想を文学に昇華した作品。
その中の1章「レヴァナと悲しみの貴婦人たち」に登場する「三人の母」が、ダリオ・アルジェントの着想の元になって、1977年の「サスペリア」が生まれました。
「サスペリア」の焦点となるのは三人の母の一人、マザー・サスピリオルム。原典である「深き淵よりの嘆息」の中では、次のような描写をされています。
オックスフォードでしばしば、私は夢の中でレヴァナに会った。(略)
レヴァナとは、新生児をいち早く気高くする親切な勤めを果たすローマの女神だった。
そういうわけで、レヴァナは人の心を揺るがす様々な力と親しく交わる。それ故に、彼女は悲しみを溺愛する。「これらの貴婦人たちは」と私はレヴァナが話を交わしている使節たちを見て、そっと独りごちた。「彼女たちは“悲しみ”なのだ。数は三人、人間の命を美で装う三美神のように。人間の生命の暗い綴れ織りをその神秘的なはたでいつも部分的には物悲しい色合いで、時には悲劇的な深紅や黒の怒りの色合いで折り上げる運命の三女神のように。あるいは墓の向こう側から報復を呼び出し従えて、墓のこちら側を闊歩する罪悪に訪れ来る復讐の三女神のように。(略)
三姉妹の最年長の名は、Mater Lachrymarum「我らの涙の貴婦人」である。彼女は夜も昼も消え失せた面影を求めて、物狂い呻吟する者だ。(略)
次女の名は、Mater Suspiriorum「我らの嘆息の貴婦人」である。彼女は雲をよじ登ることも、風に乗って随所に現れることもしない。冠も戴いてはいない。
その眼は、仮に見ることができたとしたら、優しくも繊細でもないだろう。誰もその眼の物語を読むことはできなかろう。その眼は滅びゆく夢と忘れられた狂喜の残骸に満ちているのがわかるだろう。が、彼女は眼を上げはしない。崩れかかったターバンを戴くその頭は、いつもうなだれ、いつも地面を見つめたままだ。
彼女は泣かない。呻かない。時々、聞き取れぬほど微かに嘆息するばかりである。
姉の「聖母」はしばしば、嵐のように荒れ狂い、天に向かって自分の愛しい者たちを返せと怒り猛る。だが、「我らの嘆息の貴婦人」は決して叫ばず、決して反抗せず、反逆の熱望など夢だに抱くことはない。彼女は卑屈なほどに慎ましい。彼女のおとなしさは、絶望した者のそれだ。呟くことがあるとしても、それは眠っている時だけである。囁くことがあるとしても、それは黄昏時、自分に向かってでしかない。時にささめくことがあっても、それは彼女が侘しいように侘しい人気ない場所や、廃墟と化した都市であり、日が沈み憩いについた頃に限る。
この妹は「社会の除け者」、ユダヤ人、地中海のガレー船の底で櫂を漕ぐ奴隷、遥か彼方の美しい祖国の戸籍簿から抹消されてノーフォーク島に送られたイギリスの罪人、(略)そういう人々の元を訪ねてくる。(略)
裏切られた者、拒まれた者のすべて、因襲的な法律によって追放された浮浪者たち、遺伝的恥辱を受けて生まれた子供たち…これらすべての人々は、「我らの嘆息の貴婦人」と共に歩む者たちである。(略)
ところで、三番目の、いちばん年下の妹は…! しっ! 彼女のことを話すときは、そっと囁くように話さなければ!
彼女の王国は広くはない、広かったなら、生身の者は誰も生きられまい。だが、その広くはない王国で、権力はすべて彼女のものだ。(略)
彼女は神に反抗する者である。狂気の母でもあり、自殺を教唆する者でもある。彼女の力の根は深い、が、彼女が支配する国は狭い。彼女が近づくことができるのは、深遠な性質が心の中心の痙攣によって極度の混乱に陥った人々とか、内憂外患の嵐が結託したかの如くこもごも起こって、心は慄き頭は大揺れに震える、そういう人々とかに限られるからである。(略)
彼女は鍵を一つも持っていない。滅多に人々の間にやって来ることはないが、一旦、入るのを許されれば、彼女はどの家の戸口にも嵐のように襲いかかるからだ。こうして、彼女の名はMater Tenebrarumー「我らの闇の貴婦人」。
以上、野島秀勝訳、岩波文庫より引用しました。
面白いポイントは、三人の母が「悲しみ」であると書かれていること。
中でもマザー・サスピリオルムは非常に物静かな、内省的なキャラクターとされていて、悲しみ嘆息する者であるとされていること。
この辺りの描写を踏まえて、グァダニーノは本作におけるマザー・サスピリオルムを再構築しているように思います。
アルジェント版では、単なる邪悪なモンスターという印象でしたからね。
本作でも、偽マザー・サスピリオルムであるヘレナ・マルコスは、アルジェント版のキャラクターを踏襲しているようですが。
「社会の除け者」などの社会の下層にある人々と共に歩む者である、と書かれているのも気になります。ユダヤ人という言葉もあったりして。
嘆きの母はナチスに迫害されるユダヤ人のために嘆く者、でしょうか…。
ここから、クレンペラーのキャラクターが本作に形作られたのかもしれません。
もう一つ、マザー・テネブラルム/暗闇の母は迅速な死をもたらす者です。
その性格は、スージーが召喚するDeath/死の化身を想起させます。
スージーが召喚したDeathは、もしかしたら暗闇の母だったのかもしれません。
日付について(2/17修正・追記)
練習の途中で、ブランは「今夜やらなくては」と、儀式を決行することを決意します。
この日は1幕=1日対応であれば10月19日、第4幕でもう1日経っているのであれば10月20日ということになります。
…と思って書いてたんですが、情報によれば「民族」の公演が11月11日という記述もありました(「サスペリアMAGAZINE」の情報。ここまで書いてきて、今頃ようやく読みました)。その場合、劇中の昼夜の描写と関係なく、何日も経過しているということになります。
雪の描写に関してはその方が整合性がありますが、それにしても11月じゃ雪には早いです。(雪は第3幕の終わりから降り始めています。)
ハイジャックの報道と合わせて考えると、少なくとも第4幕の終わり頃までは、10月13日から17日の、ハイジャック解決前の出来事であると思われます。
第4幕の最後に流されるハイジャック報道は、事件の解決とその後の刑務所内での自殺、それに応じて行われたデモについて伝えています。ここで、何日か経過しているということなのかもしれません。
公演の日にちは前もって決められていたでしょうから、それが11月11日であるという可能性もありますね。第4幕でスージーがジャンプを会得するまでが10月17日までの連日で、そこから公演日までの間、何日かが経過している…のかもしれません。スージーの準備期間としても、その方が自然ではありそうです。
サラはパトリシアを探したいもののチャンスがなく、ようやく訪れたチャンスが公演日の朝だった…ということになるのでしょう。
クレンペラーが公演にやってきたのは、パトリシアの日記に挟んであった招待券?みたいのがきっかけだろうと思われます。その日付が読めればいいのですが。
Paris Barにて
今夜は、生徒たちが寮母たちと一緒に、例のParis Barに招かれています。
「酒も食事も好きなだけどうぞ」とミス・タナー。「民族」公演の打ち上げという名目でしょうが、実際は儀式の前段階でしょうか。
生徒たちに酒を飲ませて、意識を失わせた状態で、儀式に参加させるため?
アルジェント版「サスペリア」では、ワインに睡眠薬が混ぜられて、スージーは眠らされていました。
ブラン、タナー、ヴェンデガスト、フラー、バルフール、パヴラ、マークスなど、寮母たちの多くと、生徒たち数人が招かれています。(全員ではないようです)
それにしても、寮母も生徒もみんなタバコを吸いまくってますね。パイプを吸ってる人もいます。
この辺は、1977年という時代背景を物語る光景ですね。昔は、若い人も、女性も、大人はみんなタバコを嗜むものだったのです。
ただ、タバコというものは本来は、魔術的な用途に用いられるものでもあったはずです。タバコはもともと、ドラッグの一種ですからね。ネイティブアメリカンはタバコの煙を見て吉凶を占いました。
日本でも、妖怪や狸に化かされた時はタバコを吸うことで術が解ける、というような話もあります。
魔女たちは酒とタバコという人間界のポピュラーなドラッグを、生徒たちを儀式に参加させるために上手く利用しているようです。ワインで酔わせ、タバコで酩酊させ、意識を喪失させて、儀式のための踊り手として利用する。このバーで供されるワインやタバコには、何らかの呪術用の物質が含まれているのかもしれませんね。
ワインの酔いが回って、タナーとバルフールが歌を歌い、寮母たちは生徒たちの体にべたべたと触れ始めます。生徒たちは嫌そうです。
マルコス舞踏団の寮母たちは同性愛者なのでしょうか?
マルコス舞踏団はスタッフも含め、完全に男を排除しています。刑事たちへの対応を見ても、彼女たちにとって男は嘲笑の対象でしかないようです。
ブランがスージーを「愛している」とスージーが看破するのは、ただ目をかけたダンスの弟子への師匠の愛情というだけでなく、同性愛的な愛情も意味しているのでしょうか? その辺ははっきりとはしません。
舞踏団の中に同性愛がある描写は特にはありませんでした。もしあるにしても、それは多分にプラトニックなものなのかもしれません。
スージーとブラン
スージーは途中で席を代わり、ブランと向かい合う位置に移動します。
他の人々がわいわいと盛り上がる中、スージーは軽く微笑んでブランを見つめ、ブランは硬い表情でスージーを見つめ返し、黙ったまま向かい合い続けています。
このシーン、何の会話もないまま時間だけが過ぎていきますが、実際にはスージーはブランと会話をしているのではないでしょうか。
昨夜既にスージーが会得していた、心に直接話しかける会話で。
しかも、他の魔女たちには聞こえない、スージー独自のやり方で。ブランがスージーを恐れているように見えるのは、スージーが既に他の魔女たちを超える力を見せつけているからではないでしょうか。
無言のまま、ブランがハッとして窓を見るシーンがあります。スージーは相変わらず微笑んでいます。
ここ、第3幕の「魔女の飲み会」で、寮母たちが宴会しているところを窓からスージーが覗き込んだシーンと関連しているのではないかな。
「あの時、私はあなたたちの話を聞いていたのよ」と、スージーはブランに伝えたのではないでしょうか。
この夜、スージーは黒い大人っぽいワンピースを着ています。これは、前回の外出の時にサラに借りた服でしょうね。ちゃっかり、自分のものにしています。
ルカ・グァダニーノ「スージーには盗癖があって、留学資金も教会から盗んだものです。盗むことが彼女のフェティッシュでもある。彼女はサラの洋服もいつの間にか盗んで着始めます。他人のアイデンティティを奪っていく人間なのです」
サラの服を着て、サラのアデンティティを奪ってしまうスージー。
Paris Barで長テーブルを挟んで向かい合うスージーとブランは、まるで鏡合わせのようにも見えます。ここでのスージーは、次はブランのアイデンティティを奪うことを狙っているように見えます。
ジョセフ・クレンペラーとアンケ
クレンペラーは夜に”別荘”に出かけていきます。彼の別荘行きはいつもは朝の日課なので、これは例外的な行動です。
橋の上から、クレンペラーはパトリシアの日記を含む荷物と、サラが持ち出したフックを川に捨ててしまいます。
せっかくの証拠物件を捨ててしまう行為。これ、クレンペラーの白旗宣言ですね。
「民族」公演でのサラの惨状を見たクレンペラーは、すっかり怯え上がってしまい、彼女たちを助けるどころか、証拠をすべて捨て去って、見て見ぬふりをすることを決めたわけです。
別荘に着いたクレンペラーは、別荘に明かりがついて人影があることに気づいて、狼狽します。
そこにいたのは、アンケ・マイヤーでした。1943年に行方不明になって以来それっきりの、クレンペラーの妻。
実に34年ぶりに再会したことになります。
アンケの話によれば、1943年に起こった出来事は…。
カロルに通報され、逃げることになった。
証明書が見つからず、歩いてテプリッツへ向かうことになった。
国境警備隊に捕まり、ガルツ生まれと信じてもらえず、テレージエンシュタット収容所に送られた。
出所後、チューリッヒ、ブリストルと移り住んだ。今は幸せに暮らしている。
1943年、アンケが暮らしていたのはフリーデナウ。ベルリン市内、現在のクレンペラーの住居があるクロイツベルク地区の南西8キロくらいの場所です。
テプリッツはチェコのウースチー州の都市。テプリッツはドイツ語読みで、チェコ語読みだとテプリツェになります。
ベルリンからはまっすぐ南、ドイツとチェコの国境近くに位置します。ベルリンとの距離は約235キロ。歩いていくと50時間くらいかかるようです。
アンケはドイツ国境を越えることはできず、グラスヒュッテ近くの森で国境警備隊に捕まりました。グラスヒュッテは国境の北、テプリッツまで35キロほどの位置になります。
テレージエンシュタットはチェコ北部に実在したユダヤ人ゲットー/ゲシュタポ刑務所です。
1941年から1945年にかけて、計14万人以上のユダヤ人がこの地に連行され、そのうち3万3000人以上がここで死亡しました。
テレージエンシュタットまでの経緯は、本当のことになります。後にスージーがクレンペラーに語る通りです。
しかし、そこから先の経緯…無事に出所し、チューリッヒからブリストルに移り住み、今は幸せに暮らしている…はクレンペラーの虚しい願望が反映された幻影、ということになります。
国境を通ってアンケと二人帰ってきたクレンペラーは、いつの間にかマルコス舞踏団に連れてこられています。
呆然として振り返ると、アンケは消えています。彼女は、魔女が見せた幻想に過ぎませんでした。
マルコス舞踏団からフラーともう一人の寮母が奇声を発しながら飛び出してきて、クレンペラーを地下へと誘います。
フラーは「なんて薄汚い真似をする!」と言って、クレンペラーが川に捨てたはずのフックを突きつけます。「薄汚い真似」とは、フックを盗んで捨てたことでしょうか。それとも、サラもパトリシアも見捨てて証拠を隠滅しようとしたことでしょうか。
フラーはまた、「とっくに妻をベルリンから逃がせた」とも責め立てます。
クレンペラーは、アンケに危険が及ぶ前に、彼女を国外に逃がすことができた。別れて暮らすことさえ受け入れたなら。
危険が高まるまでアンケを逃さなかったのは、アンケと一緒にいたいというクレンペラーの勝手なエゴに過ぎなかった。フラーの言っているのはそういう意味でしょう。
クレンペラーが招かれた「民族」公演の会場でも、フラーはクレンペラーを睨みつけるように見ていました。フラーは、クレンペラーのそのような行動に個人的に激しく憤っているようです。
そして、アンケを救えなかったのが結局のところ自分自身のエゴであったことを突きつけられるのは、クレンペラーにとってはもっとも辛い、傷口をえぐる行為と言えるでしょう。
ブランとクレンペラー、そしてマルコス
サバトのシーンで、ティルダ・スウィントンの三役。ブラン、クレンペラー、マルコスが初めて一堂に会します。
この三役のせいで、ここも結構撮影の手間がかかってると思うんですが。どうして、あえてそこまでしてやるのか…?
最初三役に気づかなかったので何なんですが、知った上で見てみると、ブランとクレンペラーは顔立ちがよく似ています。口を開けた時の雰囲気とか、すごく面影を感じる。
本人なんだから当たり前ですが。
マルコスは特殊メイクが厚すぎてよくわからないですけどね。ブランとクレンペラーは、よく似ている。これは、知ってしまうと少々ノイズになるくらい。
劇中で明かされることでない以上、物語的な意味を読み取る必要はないのかもしれませんが。
でも、あえてやっているのであれば、そこには実は物語的な意味もあるのかも…なんてことも考えたくなります。
年齢の違う男女が似ているというとき、まっさきに思い浮かぶのは血縁関係ですね。
撮影時点で、ルッツ・エバースドルフさんは80歳(の設定)。
ティルダ・スウィントンは56歳。年齢差24歳。
親子と考えて全然不自然じゃない年齢差です。
俳優の実年齢が役柄の年齢だとは限らないんですが、とりあえずそう仮定して。
1977年にクレンペラーが80歳とするなら、アンケと離れた1943年には46歳です。
子供がいておかしくない年齢ですが、劇中ではまったく触れられていません。
一方、1977年にブランが56歳だとするなら、1943年には22歳となります。
戦争中、マルコス舞踏団は既にあって、ナチスの圧政にも負けずに地下に潜んで存続していた…。
地下に飾られていた絵から見ても、ブランはマルコスの片腕として、舞踏団の創設に関わっていたはずです。
22歳は若過ぎる気もしますが、当時のマルコスとブランの関係を、1977年のブランとスージーの相似形であると見るなら、不自然でもないように思えます。
戦争中、ブランは才能溢れる若きダンサーだったのかのしれません。
その才能をマルコスに認められ、取り立てられて、魔女としても開眼して、舞踏団の中心メンバーとなった。そして、1948年には代表作「民族」を発表し、戦後は表舞台に出て活躍する舞踏団を支えた…。
その年齢だとするなら、ブランが生まれたのは1921年。
その時クレンペラーは24歳。
度々回想される、アンケと共に家の壁にハートとイニシャルを刻んだ頃、でしょうか。
その頃に子供が生まれていてもおかしくないし、なんらかの事情で育てられず、里子に出される…というようなことがあってもそこまで不自然でもないかな、と思います。
1921年といえば第一次大戦後で、敗戦国であったドイツは混乱期だったでしょうし。
ただ、そういう過去があったのであれば、クレンペラーの回想に出てきたり、ブランを見て「もしや…」と思うようなシーンがあってもいいですね。
クレンペラーは子供の存在を知らない、という方がしっくりくる。
その場合、母親はアンケではないかもしれない。じゃあ誰かと考えると…。
もう一人、顔立ちがブランに似てる人がいますね。
ティルダ・スウィントンの3役目。ヘレナ・マルコスです。
マルコスとブランが、本当の親子だったというのはどうでしょう。
“マザー”・マルコスはブランにとっては、本当にマザーだった?
現在でも、男を蔑み、嘲笑の対象としか考えない魔女たちです。若い頃のマルコスが、奇怪なやり方で後継者を作ろうと考える…というのも、ありそうなことではないでしょうか。
若くて分別のないヨーゼフ・クレンペラーを舞踏団へと連れ込み、おぞましい方法で子種を搾り取り、記憶を消して帰す。
マルコスならそういうことやりかねないし、そういうことができる能力も持っている。
第5幕で舞踏団を訪れたクレンペラーは、それまでのパトリシアやサラを助けたいという熱意はどこへやら、急に怯えきって逃げ腰になってしまいます。
これは、舞踏団の建物に入ったことで、記憶からは消されているが潜在意識に残っている、忌まわしい過去の出来事が蘇ったせいかもしれません。
ティルダ・スウィントンが演じた三役、クレンペラーとマルコスとブランは、父と母と娘だった!
顔立ちに共通項を持たせて、その関係をそこはかとなく匂わすために、一人三役をさせていたのだ!
…って、妄想ですが。
でも、そこまであり得ない話でもないかなあなんて……どうでしょね。
第6幕の途中ですが、まだまだ長くなりそうなので一旦切ります。
というわけで、ネタバレ徹底解説その7に続きます!
長くなってしまったので、目次を作りました。
テロを語る意味、メノナイトについて、ロケーションについて、など
投票結果の記録、スージーの少女時代について、オルガに何が起きたのか、など
「借り物」の意味について、スージーがくすねたもの、悪夢について、など
アンケに何が起きたのか、ジャンプ特訓とグリフィスの自殺、髪を切る意味、など
ネタバレ徹底解説その5……第5幕 マザーの家で〜すべてのフロアは暗闇
赤い衣装の意味、ルッツ・エバースドルフのプロフィールからわかること、など
ネタバレ徹底解説その6……第6幕 Suspiriorum 嘆き(前編)
「深き淵よりの嘆息」採録、日付について、一人三役の意味、など
ネタバレ徹底解説その7……第6幕 Suspiriorum 嘆き(後編)
儀式について、赤と黒の衣装、Death/死の化身について、胸を開く意味、など
記憶を消すことの意味、ラストシーンの意味、ポストクレジットシーンの意味、など