43.「国家以上の立場から来られるのがメシヤです」 | 御言 missing link

御言 missing link

ブログの説明を入力します。

 文先生の御言の中には、ご自身のことを「来られたメシア」ではなく「来られメシア」と言っておられる個所が見かけられます。そこに違和感を感じるのは私だけでしょうか。これは、単に、翻訳上の問題なのでしょうか? あるいは、それとも、何かのメッセージが秘められた意味のある表現なのでしょうか?

「神様とあなたたちは、本来神様が理想としていた血統が連結されていなかったのです。人類を救わなければならない神様は、この血統を連結させて再創造摂理を終結させるために、メシアをこの地上に送って小羊の婚宴をしなければならないのです。(祝福家庭18号 P48 「第1次入籍のための祝福家庭婦人特別修練会」)

「メシアをこの地上に送って小羊の婚宴をしなければならないのです」
 とは、これから起こるできごとであるかのような言い方ではないでしょうか。

来られるメシアの前に女性たちは、絶対的な信仰、絶対的な愛、絶対的な民の道理を持たなければなりません。)」 (祝福家庭18号 P48 「第1次入籍のための祝福家庭婦人特別修練会」)

 これも同様です。「これからメシアが来られるから、その人に対し、絶対的な信仰、絶対的な愛、絶対的な民の道理を‥‥‥」と言っておられるようにとれます。

「自分の心と体の戦争、この戦争をやめさせ、戦争を停戦させることのできる主人がいたならば、自分が千年、万年、僕になったとしても、その道を求めて行こうと叫ぶ人がいなければなりません。それゆえ神様が、メシア、救世主というかたを送るのです。(ファミリー98年1月 P14 「真の子女の勝利圏を相続しよう」)
 
 私達は、いまだ、心と体の戦争を停戦させることができていません。その私達のために、これから神様がメシアを送る、と言っておられるようにとれるのではないでしょうか。
 この「メシア」とは、文先生ご本人のことのはずですから、ここは、本来なら、
「メシアをこの地上に送って小羊の婚宴をしなければならなかったのです」
「来られたメシアの前に女性たちは、‥‥‥」
「神様が、メシア、救世主というかたを送ったのです」

 というように、すでに、メシアは来られたものとして語られるべきところではないでしょうか? なぜ、過去形の表現ではなく、現在形、もしくは未来のことであるかのように語られているのでしょうか?
 ある先輩食口に、この「来られるメシア」について聞いたところ「ご自分の位置に侍っておられるが故の文先生特有の言い方だ」とか、「大きな大会や講演においては、来賓に配慮され、このような表現をされることがある」と言っていました。
 これも、全面否定はできませんが、かといって、「なるほど」と、得心のいく説明ではありません。このような説明以外にも他の説明、解釈が可能かもしれません。しかし、今後、このような事態に際して、いちいち、対外的に説明し続けないといけないのでしょうか。
 もし、文先生をメシアとして理解していない人が、上の御言を読めば、間違いなく、「文先生は、将来『メシアが来る』という予言をしている」ととるはずです。
 今後、文先生の御言が、聖書と並んで、いやそれ以上に、一般社会や大学の神学部等で研究される時代がくるでしょう(と、私は思っています)。そのとき、私達が信じている結論とは違う結論が出てきたりはしないでしょうか。
 上の「メシア」が「文先生」であることは否定はしません。ですが、
 第40、41の記事の「三代圏の継続」、第33の記事の中の「中心家庭――直系を受け継ぐ一中心」
 という観点から考えると
「文先生から始まる三代圏」
 を総称して
「来られるメシア」
 と言っておられる可能性があるのではないかとも考えられます。
 そう思いながら次の御言を読むと、違和感は半減します。

「では、メシヤをどこに送るのが神の願いだったのでしょうか? 堕落した世界の個人の前に送るのではなく、堕落した家庭の前に送るのでもなく、堕落した氏族の前に送るのでもなく、堕落した民族の前に送るのでもありません。民族と国家が一つになった立場で、主権を持った国に送ることを願っておられるのです。カイン国家を屈服させるために、一つの国にメシヤを送るのです。
 メシヤは一つの国に送られて、そのような使命を果たさなければならないということを、皆さんははっきりと知らなければなりません。分かりますか? 国家以上なのです。国家以上の立場から世界を復帰するために来られるのがメシヤであり、国家以下の立場で勝利するために来られるメシヤではありません。」
(み言選集 55「今後私たちがなすべきこと」72年5月9日)

 文先生から始まる三代圏の中において、
「神様が、一つの国にメシヤを送る」
「国家以上の立場から世界を復帰するためにメシヤが来られる」

 ということが実現するのではないかと考えることができます。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 統一教会へ
にほんブログ村