開催中です! 『吉本伊織、石巻展』
皆さま、こんにちは。
彫刻工房くさか 日下育子です。
今日は素敵な展覧会を紹介いたします。
2012年1月にみんなの学び場美術館作家インタビューに
ご登場下さった 美術家 吉本伊織さん
の個展です。
『吉本伊織、石巻展』
会期: 2015年2月7日(土)~11日(祝・水)。10~
会場: 旧パナックけいてい
(宮城県石巻市中央二丁目4-3
石巻駅歩いて8分、ことぶき町通りにあります。)
地図⇒http://www.mapion.co.jp/m/38.42885341_141.31154387_10/
展示内容: 画家、吉本伊織が昨年の暮れから1ヶ月滞在して、
その、
2012年のインタビューでは、
風景画、特に水平線にこだわりを持って、
グラファイト(黒鉛、鉛筆の元になる素材)と、パールの墨汁などを用いて
描いていらっしゃるとのことでした。
そのことを吉本伊織さんは
「僕は風景画を描いていますが、風景画自体は新しいことじゃないですよね。
画材のグラファイトも、墨汁も中国で昔から使われているものです。
パールブルーという反射する画材を素材に使っていますが、
銀箔を貼って描くという技法は室町時代からあります。
反射性のある素材に描くというのは、僕の発明でも何でもなく
前の世代の人たちの面白いところを編集して作品を作っている
という感覚が強いです。」(インタビューより要約)
と仰っていました。
石巻の風景を吉本伊織さんがどんなふうに捉えられたのか
作品から直に感じられたら素敵だと思います。
石巻にお出かけの際はぜひ、
吉本伊織さんの作品を ご覧になってみてはいかがでしょうか?
本日もご訪問下さいまして、
どうもありがとうございました。
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造形作家 石山 駿さん 第4回 ~陶で最初の作品がアメリカで紹介されました ~
みなさま こんにちは。
彫刻工房くさか 日下育子です。
今日は素敵な作家をご紹介いたします。
陶を素材とした作品を作っておられる造形作家 石山 駿さんです。
前回までの山本 哲三さんからのリレーでご登場頂きます。
山本 哲三さん
第1回
、第2回
、第3回
、第4回
、第5回
、第6回
、 第7回、
第8回
、 第9回
石山 駿さん
第1回
~作品のかたちを日夜考える学生時代でした ~
略歴紹介ページ
第2回
~専攻科で決定的に変わりました ~
第3回
~瀬戸で陶に出会いました ~
第4回目の今日は、石山 駿さんが瀬戸で陶に出会われて、最初に取り組んだ即興シリーズ
についてと、その最初の作品が、アメリカで日本の現代陶芸を紹介する展覧会に出品された
というお話をお伺いしました。
どうぞお楽しみいただけましたら幸いです。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
土(未焼成)
高さ約40cm
1969年
陶
「6人の日本青年陶芸家展」(スクリプト大学及び全米巡回展)
1970年作
陶
「6人の日本青年陶芸家展」(スクリプト大学及び全米巡回展)
1970年作
作品
1-10(即興シリーズ)
作品
1-11(即興シリーズ)
作品
1-12(即興シリーズ)
作品
1-13(即興シリーズ)
作品
1-14(即興シリーズ)
作品
1-15(即興シリーズ)
作品
2-5(グラフィックシリーズ)
日下
前回は石山さんが、アメリカ留学から帰国した先輩の作品に接して、
それまでの自分の制作の在り方を全て捨てようと思ったというお話でした。
そこから、どんな風に制作をされたのでしょうか。
石山 駿さん
その時に僕は土に出会ったことが大きなやっぱりきっかけになった。
土というのは形を作っている途中で嫌だったらすぐに壊せる。
石や鉄などは、嫌でもすぐには壊せないんです。
他のどんな素材を用いる時でもデッサンをしたり、エスキスを作ったりしながら、徐々に徐々に形を確かめて作り上げていく、長いプロセスがかかるじゃないですか。
日下
そうですね。
石山 駿さん
勿論その人の感性が作り上げていくんだろうけれど、僕にとっては制作の過程で僕の感性、
僕らしさがどこまでそこに入り込んでいるかということを考えた時、ものすごく自信がなかった。
美術が好きだった、たまたま入った彫刻科で抽象という思いもしなかった表現世界に触れて、引き込まれて、意欲的になれたし、大学6年間は濃密な時間ではあったけれど、僕が作るものと他の人が作ったものとの違いに、決定的に違う、というものがどうしても見いだせない、
これは僕のものだと言えるものがなかったんです。
それで僕は、僕にまとわりついている作り上げられてきた僕の感性を一度全部捨てようと
思ったんです。
その方法として、まったく頭の中で何も考えないで物を作ってみよう、
極端な言い方をすれば、目をつぶって形を作って、それでできたものを出してみたいとか、
作品の意図を強く押し出そうとすると自分の積み上げてきた様々なものが入り込んでくるから、即興的に作ろうといという気持ちになったんです。
その方法論で最初のものが即興シリーズとして作品化されていくんだけれども、
ご覧になったらわかるように、完成した形は結果であって、作る過程では各部分しか
作っていないんです。
部分は断片的なものであって作品構成上の重要な意味性を持つものではありません、
その場で思いついた形をランダムに作っているだけです。
アイデアスケッチなどは一切しないし、そうしないことが重要なのだと思いました。
日下
はい。
石山 駿さん
最初は、ひょろっとした棒だとかせんべいだとか、グニャっとしたものだとか。
それらを無造作にペタペタひっつけて、粘土の状態で作っては壊ししてたんですね。
別に美しくもない、リズムがあるわけじゃない、シンメトリカルじゃない、
すごく洗練されているわけでもない、とにかく無意識的に積み重ねたものを見ながら、
何作っているんだろうと自分で思いながら、でも意識して自分の思いからどんどん
離れようとしていたわけだから、そういうものになっていったんでしょうね。
実際にそれを徹底していったら、ばらばらの部品をいっぱい作っては、わざと折ってみたり、
変な形にしてみたりして自分の理解の範疇にないものを作っていました。
それらのパーツを組み合わせて形が生まれた瞬間、何も考えず、自分の考えが
入り込まないうちに、僕の表現とする、そしてそれぞれのパーツに釉薬をかけて、
再構成して焼成すると釉薬が溶け合ってそれぞれのパーツは固定されて立体作品として
出来上がることになります。
かつて自分が点・線・面から始めて、さまざまな造形的要素を考えながら形を構成してきた
やり方を全く無視して作った結果生まれた作品なんです。
不定形で、乱雑に作った、意味のない様々なパーツを即興的によせ集めて、自分の思いが
入り込まないうちに決定してしまう。
言ってみれば、僕は付けたり、取ったりして形がどんどん変化してゆく一瞬をすくい取って
作品化していたのです。
その時僕が思っていたことは、僕が決定した形によって、僕自身が驚いたり、
何故と困惑するような形を敢えてもとめていたということです。
いうなれば僕自身の既成概念を徹底的に否定して白紙の状態から生まれる形を
求めたように思います。
そうして作った作品が即興シリーズになったんです。
そこにはもう、形式的な彫刻、彫刻的な形式といったものと無縁のものに
結果としてなっていたように思います。形にも何の意味性もありません。
だからこんな作品世界が自分の中にあったんだろうかと、最初は自分でも説明できなかった
です。今でも説明できないものがたくさんありますけれどもね。
日下
全く意図を入れないように作る、というのは実はとても高度な事だと思います。
素晴らしいですね。
ご自分の持っていらっしゃるものを壊して取り去って新しいものを作るというのは、
壮絶な制作体験だったろうと思います。
とは言っても今、このお話をお伺いするまでは、即興的シリーズの作品は、
私には、とても新鮮でカラフルで楽しいものだと受け取っていました。
石山 駿さん
あはは。
ここに「6 YOUNG JAPANESE CERAMIC ARTISTS」というカタログがあるんですね。
日下
はい。ご経歴
にある1970年のものでしょうか。
石山 駿さん
そうそう。僕は1969年の後半頃から焼き物に入ったんです。
で、最初に作った作品(※作品写真1-11)が、運よくと言うか、アメリカに紹介されて。
これに載っているんです。
これは下の部分と上の鉢のような部分と、4枚の羽根、折った羽根、円筒形などが
別々のパーツで、それらを下から積んで組み立てて、焼くことによって釉薬が溶け合って
互のパーツがくっついて出来ている作品なんですね。
僕は瀬戸に来て初めて焼き物をやるようになったので、釉薬のことも、窯の焼き方も
全く知らなかったんです。
ちょうどその頃に、勤めていた窯業高校の全日制のデザイン科の先生に、金沢美術工芸大学で工業デザインを専攻して来られた久世建二さん
という若い先生がおられたんです。
彼は福井県の芦原で代々陶芸をやっておられる所の息子さんで、焼き物の知識を十分
持っていて、僕に焼き物の技術的なことを随分と教えてくれたり、窯を焼いてもらったりと
ずいぶん助けてもらったりしてこれら作品を作ることができたんです。
彼とは、彼が瀬戸を離れるまでの間一緒に多くの展覧会に作品を発表しきましたね。
そういう得難い友人がカバーしてくれたから、僕は焼き物の中に入っていけたんです。
日下
素晴らしいご友人と出会われて良かったですね。
石山 駿さん
最初は釉薬もどんな色になるかなんて、ほとんどわからないまま
全部ぶっかけるようにして出来上がった作品なんですね。
これを作っていても僕は、これに一体どんな意味があるのか、人が見たときに作品として
どんな位置づけになっているのか全然わからない。
誰も作っていないわけですから、こんなやり方や表現というのは。
焼き物で立体を作るのは、普通はひも状にした土を順々に積み上げて壁のようにして
形を作っていくわけでしょ。
そこに形を足したり切りとったりしてできるだけ壊れにくい形を考えるものなんです。
僕のように細い棒を作ったり、せんべいみたいな形や、網みたいな形を関連なく組み立てて
ペタペタと釉薬をくっつけて焼き上げるなんてこと誰もしないんです。
この展覧会にえらばれた作家たちは、僕以外はすべて焼き物の作家なんですよ。
中村錦平さん
といって有名な。
日下
はい。多摩美大の先生でいらっしゃいますよね。
石山 駿さん
宮永諭吉さん(※1) は、宮永東山という何代も継いでおられる焼き物のお家の方で、
鯉江良二さん
は、非常に優れた現代陶芸家ですが、やっぱりずっと焼き物をやって
おられる方で。
三輪龍作さん(※2) は、萩焼の三輪休雪を今襲名されて、何代も続いた作家ですね。
そして、柴田正明さん(※3)、常滑の焼き物の家系で。
僕だけがまったく焼き物の畑から出ていない、当然基礎的な知識は何もないわけです。
もちろん、そういう人間が作っているからヘンテコリンなものを作るのは間違いないんですけれども。
たまたまこれを認めてくれたのが、当時アメリカから帰国された
金子潤さん
という方なんです。
※1 宮永諭吉さん⇒三代 宮永東山
※2 三輪龍作さん⇒ 当代 三輪休雪
※3 柴田正明さんについて↓
(↑クリックして頂くと拡大してご覧頂けます。)
日下
はい。
石山 駿さん
この方も、現代アメリカ陶芸の第一線で活動しておられる非常に優れた作家で、
僕と年齢的にほとんど一緒の方です。
アメリカに留学して陶芸家として向こうで生活されていて、日本の若い陶芸作家をアメリカに
紹介したい。ただし陶芸家でも、彫刻的な作品を作っている人を10人ほど選んで、それで
1年間くらいアメリカ各地を巡回させた展覧会をしたいと。
そういうプロジェクトで日本の作家を探しに来たというのを新聞のコラムで偶然に目にして、
すぐにその新聞社に電話をして、僕はこういう仕事をしているから一度見に来てほしいって
要請したんですね。そうしたらすぐさま彼がわざわざ瀬戸まで来てくれて。
そして僕の作品を見て、非常に面白い、こんな仕事をしている人が日本にもいるなんて
全然想像もしなかった、とにかくその場で出品してほしいと言われて。
これから各地を回って10人ほど探して、もう一度連絡します、ということで半年かけて
回ってこられて。
結果的に今お話した6人の人しか選ぶことができなかったわけですが。
このとき初めて、あっ、自分の作品もそれなりに作品として見られる位置にあるんだな
ということを体感できたんですね。
日下
素晴らしいですね!
石山 駿さん
誰かが面白いと思ってくれるだけの表現を自分はしているんだなと、ようやく自分の作品が持っている意味合いとか、方向性に自信が持てるという思いがしました。
それから焼き物に対してちょっと興味が沸いてきて、よく調べてみると、アメリカの西海岸に
こういう方向で焼き物を素材にした面白い表現をしている作家たちが多くいるということを
知ったんですね。
1950年代くらいから、アメリカ西海岸を中心にファンク・アートという一群の作家たちがいて。
日下
もう一度言って頂けますか。
石山 駿さん
ファンク・アート(※)、ファンキージャズとかファンクミュージックとかでよく使われている
ファンクという言葉の。
いってみれば非常に素朴で卑野で、反知的な、ちょっと批判的で快楽的で即興的で
多色な表現、素材などに無頓着で、厚かましくて、自由で、挑戦的でさえある表現をしている
作家たち。
ファンキーという言葉に代表されるような。ファンクそのものは今言ったようなフィーリングを
意味する言葉ですね。ファンキーな作品を総称してそう呼んでいたと思います。
表現ジャンルや用いる素材も多様で、作家個人の思いが強烈に出ていて、自由で、奇妙で、
とても不思議な魅力を感じて、僕もそういう方向で作品が作っていけたらな、と感じましたね。
※ファンク・アート⇒ファンク
日下
はい。
石山 駿さん
そうやって自分の方向性に確かな一つの、今、というものを感じられるようになってきたん
です。
すごく納得しながら、だんだんと積極的に作っていこうという気持ちになれたことは、
瀬戸に来て土と出会わなかったら、多分焼き物、陶を素材にした形、そういう表現は
できなかったんじゃないかと思っていますね。
そういう意味ではまったく偶然の出会いがその後を決めたんじゃないかなという気は
していますね。
日下
素晴らしい出会いがあって、本当に良かったですね。
今日も深いお話しをどうもありがとうございました。
**************************
編集後記
今回、山本 哲三さんのご紹介で、初めて石山 駿さんにお話をお伺いしました。
石山 駿さんは陶を素材とした彫刻作品で国内外での発表活動歴が豊富で多彩な造形作家でいらっしゃいます。
山本 哲三さんからは、クレーワーク(学生当時は陶彫と言われていた)をやっていらして、
既成概念に捕われない楽しい作品が大変評価されている彫刻家として、ご紹介頂ききました。
愛知県瀬戸市でアートのNPO理事もしていらっしゃいます。
今日は、石山 駿さんが美術大学専攻科終了、瀬戸に教員として赴任され、そこで土に
出会ったことから、それまでご自身が積み上げられたものを捨てようと決心されたという
貴重な体験談をお聴かせ頂きました。
それまでのご自身の制作を捨てるというのは、大変な痛みを伴うものだと思います。
けれども、大きい決断をするほど、その後大きく飛躍できるのかもしれないと、
石山さんの作品を拝見していて感じます。
それらの素晴らしい作品群は、これから年代を追ってご紹介させて頂きます。
次回は、グラフィック・シリーズなど石山 駿さんのその後の作品展開と制作への想い
についてお話をお届けいたします。
どうぞお楽しみに。
**********************************
◆ 石山 駿さんが所属する特定非営利活動法人 Art-Set 0のホームページ
特定非営利活動法人 Art-Set 0で運営しているギャラリーのフェイスブック
アートセットスタジオ
◆石山 駿さんの略歴
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節分には
皆様、こんにちは
おいしいお茶で癒しと健康をお届けする【下総屋茶舗】五代目の金久保です。
節分の今日は、関東は風も無く穏やかなお天気です
この辺りでは毎年節分前後が一番寒さが厳しいです
昨年は2月に3回積雪がありましたね
とても立春の前日とは思えない寒さですね
まあ、昔よりは温暖化の影響で平均気温は高いでしょうが…
で、節分といえば
豆まきで「福は内」ですが、最近は豆まきしないで
恵方巻きを食べるって人も多いのかな
これって江戸末期くらいから関西の商人達が始めた縁起かつぎの習わしらしいですが
それをスーパーやコンビニが日本中に広めて商売してるんですね
うちでは、既製品は買わないで
上等の焼き海苔で好みの具材を巻いて食べる
「手巻き寿司」で代用しています
こっちの方がおいしいし、家族で団欒する楽しみが倍増ですからね
気になる恵方巻きには色々ルールがあるようですね
まず、福を巻き込むことから巻き寿司(太巻き)をひとりにつき1本準備する。
縁を切らないよう包丁を入れずに丸ごと1本食べること。
七福神にあやかり7種類の具が入った太巻きが望ましく
で肝心なのは恵方を向いて食べること
恵方とは、その年の幸福を司る歳徳神(としとくじん。年神様の別称)のいる方角のことで
その年の最も良いとされる方角で今年の恵方は「西南西やや西」です。
そして、願いごとをしながら、黙々と最後まで食べる
しゃべると運が逃げてしまうので、食べ終わるまでは絶対に口をきいてはいけません
となっているようです(笑)
ま、海苔もビタミン類やミネラルが豊富だし
ネタを工夫すれば優れた「和の健康食」といえるでしょうね
自分で7種類の美容と健康に良い具を巻いて
スペシャルダイエット恵方巻きなんてのも楽しいかもしれません
でも、玄米とかじゃ巻き寿司はおいしくないかな?
そして、締めくくりは熱めの緑茶ですよ
カテキンたっぷりに濃いめで飲めば
これで、口の中もさっぱりするし
口臭も気にならないし
緑茶の抗酸化力と殺菌力と合わせて
相乗効果が期待できますね
皆さんも、和の食文化や先達の知恵を活かして
毎日健康で人生をたのしみましょうね~
今日も健康に感謝。
造形作家 石山 駿さん 第3回 ~瀬戸で陶に出会いました ~
みなさま こんにちは。
彫刻工房くさか 日下育子です。
今日は素敵な作家をご紹介いたします。
陶を素材とした作品を作っておられる造形作家 石山 駿さんです。
(茶屋町画廊個展2010)
前回までの山本 哲三さんからのリレーでご登場頂きます。
山本 哲三さん
第1回
、第2回
、第3回
、第4回
、第5回
、第6回
、 第7回、
第8回
、 第9回
石山 駿さん
第1回
~作品のかたちを日夜考える学生時代でした ~
略歴紹介ページ
第2回 ~専攻科で決定的に変わりました ~
第3回目の今日は、石山 駿さんが京都美術大学専攻科終了後に愛知県瀬戸市にある
県立瀬戸窯業高校で教員になられたというお話をお伺いしました。
瀬戸に赴任されてからもしばらくは、専攻科の時に方向転換して、プライマリーストラクチャーふうの
作品を制作発表されていましたが、瀬戸で土に触れた事をきっかけに、それまでご自身が積み上げ
られたものを捨てようと決心されたという貴重な体験談です。
どうぞお楽しみいただけましたら幸いです。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
合板にポリエステル樹脂塗装、ポリエステル成形にカラー蛍光塗料、鏡 アクリルケース
1966年
専攻科1年 修了展出品作
個展(京都・ギャラリー16)及び「次元’66展」出品
1966年
個展(京都・ギャラリー16)出品
1966年
個展(京都・ギャラリー16)出品
1966年
1966年
彫刻三人展(東京・秋山画廊)出品
合板にポリエステル樹脂塗装 ラッカー塗装仕上げ
1969年作
土(未焼成)
高さ約30cm
1969年
高さ約30cm
1969年
高さ約40cm
1969年
(スクリプト大学及び全米巡回展)
1970年作
(スクリプト大学及び全米巡回展)
1970年作
日下
石山さんは京都美術大学の専攻科修了後は、どのように制作を続けられたのでしょうか?
石山 駿さん
たまたま卒業を迎える時期に、瀬戸窯業高校の美術教員をしていた大学の先輩が、
誰か教師として瀬戸に来てくれる人はいないかと、大学の学生課へ話しを持ってきたそうです。
それで僕に学生課から「君行ってみないか」と紹介されて。
僕は卒業したら、どこかには就職しなきゃいけないとは思っていました。
そして同時に、僕はもう物を作り続ける作家でありたいという強い気持ちだけは、
すごく持てるようになったんですね。
それは大学時代ずぅーと堀内正和先生や辻晋堂先生の作品や、姿勢を見ながら育ってきていますから、
どの学生も皆そうだったと思うんです。
当時では、就職しても制作を続けてゆこうと思うと就職先は限られていたように思います。
僕ら彫刻科ではマネキンの会社に行く人が多く、あとは教員になるかでした。
だから僕はもう二つ返事で、そういう所があるんだったら行こうと。
そして、教員になりました。
瀬戸は、ご存じの通り焼き物の町ですよね。
日下
ええ、そうですね。
石山 駿さん
そこの焼き物の専門学校である瀬戸窯業高校で教員に採用されたんです。
日下
そうだったんですか。
1969年から土へということで、陶の制作が始まった写真がありますが、
環境的に自然に陶の彫刻を始められたのでしょうか。
石山 駿さん
いやいや、そんなに自然じゃないんですよ、それも。
行ってからも1年半ぐらいは、今までと同じように彫刻を作っていたんですよ。
日下
そうなんですか。
石山 駿さん
何か非常に中途半端な気持ちで、自分は変わらなきゃいけない、
だけどどういう方向に向かっていいかわからないという気持ちを引きずりながら。
それで合板にポリエステル樹脂を流して、塗装して東京の画廊で友人との3人展に、
天井につっかえる位の作品を作って展示したりして。
その時期アメリカのプライマリー・ストラクチャー と呼ばれたスタイルの彫刻が、
1960年代からようやく日本にも紹介されるようになってきたんです。
そして、福島さんも日本ではプライマリー・ストラクチャーの先鞭をつけた作家の一人なんですが、
私もそういう方向性のある、ミニマル・アート のような形態の大きな柱のようなものを作って、
教員になってからも発表していたんです。
それでも、これは自分で納得して作っている作品じゃないという思いは常にどっかにあったんですね。
今こういう作品が新しい方向を持った作品だと解っているから、自分が作っているんだ
というぐらいで、心底自分らしいものを作っているという気持ちにはまったくなれなかった。
だから作っていても自分の中で非常にもやーっとしたものがあって、言ってみれば
何を作っていいかわからない、そういう焦りを持ちながら作品を作っていましたね。
どこかで自分が捨てなきゃならないものが沢山あるんだろうけれども、捨ててその先に何があるのか
まったく掴めていないものだから、ただ、自分は今の流行を追っているに過ぎない、
そして自分のような作品を作っている人は他にも何人もいるんだろう、と思いながら作っていましたから。
本当に苦しい時代でしたね。
そうやって1年半くらいは卒業の時の気持ちを引きずったまま作っていました。
日下
そうでしたか。
石山 駿さん
はい。ところが、どうしてもそんな気持ちではもう作れなくなったもんだから。
僕の赴任した瀬戸窯業高校は、焼き物を専門的に教える学校で、焼成窯や土での作業ができる場所、
そういう設備、施設は十分あるわけですね。
僕自身はそこの夜間定時制に勤めていたんです。
日下
定時制だったのですか。
石山 駿さん
ええ、定時制にも窯業科というのがあって、そこで美術一般を教えていたんですね。
とくに焼き物に関することを教えていたわけじゃありません。
定時制は、当時は勤務時間が午後1時から始まるんですが、4時頃までは自宅で研修というのが
認められていていました。
職員の打ち合わせは4時半から始まって、生徒たちは5時位に登校してきて、5時半くらいから
授業が始まって、9時前に終わるという形態だったんですね。
だから午前、午後ともずっと空いていたんです。
まだ自分の家にはアトリエがなかったので、学校へは朝からや、昼から行って、
学校の空きスペースを借りて彫刻なんかも作らせてもらっていたんです。
さきほど言いましたように、制作に行き詰ってしまって先に進めなくなってしまった頃ですが、
焼成設備のある窯場の一角に、当時、生徒たちが絵付け実習に使う器を作るための
轆轤師さんがいたんですね。
とても年配の方でしたが、皿や湯呑をひたすら作り続ける様子を
時々傍で眺めさせてもらっていたのですが、
「ちょっとここで遊ばせてもらっていいですか」とお願いしたら、
「ああ、いっしょにどうぞ、どうぞ」と言うので、横で、余っている粘土で、
ぐしゃぐしゃと子供の粘土遊びのような気持でさわっていましたね。
何とはなしに作ったり、また嫌になったら、ペタンと叩いて元の土に戻して、
で、また作って、嫌だったらまたパタッと、土で遊んでいると
手の中で瞬時に形が生まれたり、消せたりするわけですね。
手で、ちょっとこう手で握って、離したら握った形がばっと出来てるわけでしょ、
そんなことをくり返しながら思ったんです。
その頃僕は、彫刻は頭の中で考えた意図的な形を、造形的な要素に従って構成してゆく、
そして、いろんな素材、木だったら、石だったら、鉄だったら、プラスチックだったらこうしようと
具体的な制作段階までの計画をたてて、時にはデッサンやエスキスなどで形を確かめたりして
彫刻を作っていたんですね。
どちらかといえば、観念が先行していて、その観念の意図するものを取り込んだ形を
組み立ていたように思うんです。
もちろん一つの作品を作り上げるまではそれなりの時間をかけていました。
でもこれを繰り返せば繰り返すたびに自分を無くしていってるんじゃないかと思えてきたんです。
それが結局、僕自身を追い詰めていくような結果に変わっていっていたんですね、僕の中では。
でも土は、嫌だったらすぐつぶせるんです。
自分の作った形、言ってみれば自分の表現しようと意図した形を即座に消し去ることができるのです。
日下
ええ。
石山 駿さん
で、また何かを作ろうと思ったらたらすぐできちゃうんです、考えなくても無意識にできるものなんです。
そう思った時に、僕自身が今まで自分の中に取り込んできたものをどうやったら捨てられるか
という方法を見つけ出せるきっかけが予感できたんです。
なぜ捨てようと思ったかと言えば、上手くは言えませんが、今までの僕は教育という枠組み、
カリキュラムに沿って育成されてゆく中で自分というものが組み立てられてきたと思ったんですね。
いろんな造形トレーニングを受けながら、書物上の経験だとか、他人の作品を見てきたものから
感じる経験値だとかを無意識的に自分の中に取り込み、積み重ねて、自分の形を探し当て、
作り上げて来たのではないかと。
そこでは、たぶん僕らしい装いはできるかもしれないけれど、僕自身の本質的なものが
本当にそこから生まれてくるだろうかということにだんだん疑問を持ち始めてきたんですね。
だからどっかで一度は自分を壊さなきゃいけない、と。
さっきの話に戻すと、福島さんはアメリカに行ったときに、圧倒的な違う世界を彼は身を持って体験して、否応なく壊されちゃったと思うんですね。
その新しいものに彼は何を感じたか、
僕は、福島さんのように身を持って体験したわけではないので、勝手な解釈かもしれません。
そこは僕にはわからないけれども、あれだけのすごい造形力を持った作品を
大学4年の時に作り上げておきながら、それをすべて捨ててきた、捨てた結果、彼自身の作品が
生まれてきているんだというふうに受け取ったんです。
僕もやっぱり何かを捨てなきゃならない、そして変わらなければならない、そう強く思ったのです。
このことは福島さんとの出会いから受けたメッセージだと感じました。
だから、どうしたら今までの自分を捨てられるかということで苦しんでいたんだと思いますね。
日下
それほどまでに、ご自身を深く見つめて、それまでにご自身が積み上げてきたものを捨てて、
新しい制作に向かおうとするのは、本当にとても覚悟のいることだと思います。
とっても深いお話をありがとうございました。
2014年作
**************************
編集後記
今回、山本 哲三さんのご紹介で、初めて石山 駿さんにお話をお伺いしました。
石山 駿さんは陶を素材とした彫刻作品で国内外での発表活動歴が豊富で多彩な彫刻家で
いらっしゃいます。
山本 哲三さんからは、クレーワーク(学生当時は陶彫と言われていた)をやっていらして、
既成概念に捕われない楽しい作品が大変評価されている彫刻家としてご紹介いただきました。
愛知県瀬戸市で現在開催中の「アートでびっくり!干支セトラ展」を主催するアートのNPOも
していらっしゃいます。
今日は、そんな石山 駿さんが美術大学専攻科終了、瀬戸に教員として赴任され、
そこで土に出会ったことから、それまでご自身が積み上げられたものを捨てようと決心された
という貴重な体験談をお聴かせ頂きました。
それまでのご自身の制作を捨てるというのは、大変な痛みを伴うものだと思います。
けれども、大きい決断をするほど、その後大きく飛躍できるのかもしれないと、
石山さんの作品を拝見していて感じます。
それらの素晴らしい作品群は、これから年代を追ってご紹介させて頂きます。
次回は、石山 駿さんが瀬戸で陶を素材とした制作を始められ、その作品が
日本の若手陶芸家作品と共にとアメリカの展覧会で紹介されたというお話をお届けいたします。
どうぞお楽しみに。
**********************************
◆ 石山 駿さんが所属する特定非営利活動法人 Art-Set 0のホームページ
特定非営利活動法人 Art-Set 0で運営しているギャラリーのフェイスブック
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黒にんにく
皆様、こんにちは
おいしいお茶で癒しと健康をお届けする【下総屋茶舗】五代目の金久保です。
今日は関東は風も無く穏やかなお天気です
小春日和で暖かく感じますね
この季節はマラソンや駅伝などの
ランニング系のスポーツイベントが全国各地で開催されていますね
私も3月に初マラソンに挑戦しますよ~
先日ランニングシューズも新しい長距離レース用のを買って
さっそく走ってみました
トライアスロンのランニングは10kmなので
いきなりフルマラソンは厳しいかなと思い
初戦はハーフマラソンで様子をみます。
交通事故の後遺症やらで膝がすぐに痛むので
故障しないよう慎重に無理せずトレーニングするつもりです
もちろん風邪など引いていられないので
手洗いや緑茶でのうがいの予防に加え
食事面でも体を暖めスタミナのつくものを食べるようにしていますよ
今、はまっているのは【黒にんにく】です
ネットや週刊誌、TVなどで話題になったみたいですね
免疫力が上がるとかガンに効くとか…
たまたま地元の倫理法人会のご縁で
知り合いになった農家さんが
青森からニンニクの種を仕入れて
無農薬で栽培しているんです
それをジャーで10日ほど置くと自然発酵して黒くなります
それを天日で数日干してできあがりだそうです。
食べてみるとニンニク特有の強烈な臭いはほとんどなく
甘みとかすかに酸味があっておいしいんです。
食べた後も息は臭くありません。
1日に1粒食べれば十分だそうです。
やはり発酵食品は健康に良い成分が凝縮されているんですね
発酵してるから消化も良く、エネルギーのロスになりません
ニンニクといえば、良質のアミノ酸で元々スタミナのつく食材ですから
元気で風邪も寄せ付けませんよ
コレステロール低下作用やLDLの酸化防止作用(悪玉コレステロールが増えない)
血圧低下作用、血小板凝縮抑制作用のほか
強い抗酸化力で風邪やガン抑制作用が強力なんですね~
ってことは血液もサラサラ、血管の詰まりも予防できて
スポーツで発生する活性酸素も減らしてすれるってことですね
ランナーやアスリートにはうってつけの食材です
胃が弱い人は少し刺激があるみたいなので
食後とかに食べる方がいいですね
私は毎日昼食後に1粒たべていますよ
そして、食べた後はもちろん
熱つめの緑茶をたっぷり飲みます
これで、口の中もさっぱりするし
口臭も気にならないし
緑茶の抗酸化力と殺菌力と合わせて
相乗効果が期待できますね
あんまり良いので
うちの店にも置かせてもらって販売もしていますよ
気になる方はフリーコール 0120-88-0968 に問い合わせてくださいね
ネットや新聞の通販のお試し価格よりすっと安かったです(笑)
110g入っていて750円です(税別)
やはり生産者直通だから安いのも嬉しいけど
人柄がわかっているから絶対に安心です・
我が家はお米や野菜も知り合いの農家さんから買っているし
もちろん店で販売している緑茶もすべて
生産者がわかっているものだけです。
「食と健康」の前に食材の安全性・信頼性は大事ですからね
【最愛の我が子に安心して食べさせられる】基準で選んでいます
皆さんも、和の食文化や先達の知恵を活かして
毎日健康で人生をたのしみましょうね~
今日も健康に感謝。
造形作家 石山 駿さん 第2回 ~専攻科で決定的に変わりました ~
みなさま こんにちは。
彫刻工房くさか 日下育子です。
今日は素敵な作家をご紹介いたします。
陶を素材とした作品を作っておられる造形作家 石山 駿さんです。
(茶屋町画廊個展2010)
前回までの山本 哲三さんからのリレーでご登場頂きます。
山本 哲三さん
第1回
、第2回
、第3回
、第4回
、第5回
、第6回
、 第7回、
第8回
、 第9回
第2 回目の今日は、石山 駿さんが京都美術大学専攻科に在学中の制作についてお伺いしました。
日本の寺社建築物にみられるフォルムの伝統美を造形要素に取り入れた作品を制作を
されていましたが、米国留学から戻られた先輩の作風の変化に強い影響を受けて、
非常に混乱した気持ちで作風を変化されたという貴重な体験談です。
どうぞお楽しみいただけましたら幸いです。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
(彫刻専攻科在学1965~)
発泡スチロール材に石膏直付け
(彫刻専攻科在学1965~)
発泡スチロール材に石膏直付け
(彫刻専攻科在学1965~)
発泡スチロール材に石膏直付け
「I氏のコレクション」
合板にポリエステル樹脂塗装、ポリエステル成形にカラー蛍光塗料、鏡 アクリルケース
1966年 専攻科1年 修了展出品作
(1995年 豊科近代美術館 福島敬恭作品展のカタログより転載)
福島敬恭氏作 「赤いマント」
石膏にラッカー塗装 アクリル板
1966年 専攻科2年修了展出品作
個展(京都・ギャラリー16)及び「次元’66展」出品
1966年
個展(京都・ギャラリー16)出品
1966年
個展(京都・ギャラリー16)出品
1966年
彫刻三人展(東京・秋山画廊)出品
合板にポリエステル樹脂塗装 ラッカー塗装仕上げ
1969年作
日下
石山さんは京都美術大学では専攻科在学だったということですが
大学院のようなところでしょうか。
石山 駿さん
そうですね。
今で言う2年制課程の修士課程と言いますかね。
その時分は4年制の美術大学全体では、まだ大学院を設けているところは、なかなか少なくて、
2年間のいわゆる修士課程を私たちは専攻科と呼んでいたんですね。
大学の4年間では素材体験を中心に、形と素材の組み合わせを基本にして自分が考えた形を
作り上げていくということを繰り返しておりましたが、専攻科になって初めて何でも自由に、
どういう素材を取り入れてもよいとうことで、ようやく自分の表現を追求してゆくことが
出来るようになるのです。
その2年間は僕にとっては非常に貴重になるだろうということで、僕たちの学年では
山本哲三君と2人が専攻科へ進んだんですね。
日下
そうですか。ではお二人は本当に親友でいらしたんですね。
石山 駿さん
そうですね。
彼は高校から美術コースを選んで、彫刻をずっとやってきた延長で来ていましたから、
傍目で見ていても非常に手馴れているなあと、そういう気がしていました。
その頃から石を彫り続ける覚悟のような気概を持っていましたね。
日下
その時に作られた作品ですが、私には「風」の文字をモチーフにしているように
見えるのですが、この作品についてお聴かせ頂けますでしょうか。
石山 駿さん
僕が決定的に変わったのは専攻科なんです。
そこでの最初の作品は、あの時期、日本の伝統的なフォルムというのは一体何なんだろう
という気持ちから、例えば日本建築に見られる屋根のそりや木組みの形が持っている
フォルムの美しさに惹かれていたんですね。
それをもっと単純化して構成していきたいという意識は持っていました。
写真に見られるような作品の流れが当時の私の思いを端的に表現していると思います。
形が文字に見えたかもしれないですが、文字については特別に意識は持っていなかったですね。
制作の段階では石膏の直付けで構成してゆきました。
日下
では、これは石膏の直付けなんですね。
石山 駿さん
はい。発砲スチロールで形を作って、そこに石膏で直付けして表面を削って調整して、
ごくごく単純な作業で作りました。
日下
とっても面白いです。仰る通り、流れを強く感じるので、
私は本当に風の文字を連想してしまったようです。
石山 駿さん
私は、そういういくつかのエスキス
を、だいたい50~60センチの大きさのものを作ったんですけれど
1年の終了制作の時に、それを一つの透明なプラスチックに置き換えて修了制作展に出したいと思って
作り始めていたんですね。
ちょうど修了制作への準備をしてゆこうという時期に、僕の先輩であった福島敬恭さんという方が
アメリカから戻ってこられたのです。
その方は僕が大学1年の時に4年に在学していた方なんですね。
卒業制作展で非常に素晴らしい作品を作られて、それがまたすごいダイナミックな鉄の塊のような
大きな作品で、門のような形をした非常に強靭な造形物だったんですね。
僕は圧倒されて、すごい力量を持った人だなあと思っていたんです。
当時の彫刻科は、1学年10名でしたので、しかも彫刻科だけが別棟でしたから
先輩後輩の垣根を感じることもなくとても過ごしやすい空間で学ぶことができました。
その方が専攻科を終える前に、海外留学のため、アメリカ、ニューヨークに行かれたんですね。
そして僕が専攻科1年の終わり頃に帰国されて、専攻科終了のために僕と一緒の所で過ごすことに
なったんです。
日下
はい。
石山 駿さん
福島さんが、制作されるのを傍目で見て、そしてお話を聞いて、まったく違う世界を
持って帰ってこられたんです。
あの素晴らしい強靭な造形力のある彼の力が、どんな形でさらに逞しくなってすごい作品世界を
もって帰ってこられたか、そしてどんな作品を作られるのか期待していたら、まったく違う、
僕にはとても理解できないものでした。
日下
何があったんでしょうか。
石山 駿さん
僕には、というより僕らが、美術大学で学んできた造形教育、
そういう教育から受け継いで作り上げてきた造形理念とはまったく違う作品。
それはアメリカの最先端と言いますか、とにかく「アメリカの今」という作品を
持ち帰ってこられたんですね。
僕らの1960年代の現代彫刻の世界というのはヨーロッパを中心としたモダニズム造形主義的な、
素材の特性や質感を生かした非常に造形的な作品、例えば現代イタリア彫刻であったり、
イギリスの彫刻であったりでした。
いわば彫刻という言葉で説明ができて、共通理解が共有されていたように思うんです。
海外からの彫刻展を見ていても、私たちが習って取り入れようとしていた、現代彫刻の
延長にある作品がずっと紹介されてきたし、私たちもそういうものから影響を受けて作品を
作ろうとしてきたわけだけれども、全く違うんですよね。
僕にとっては、アメリカの彫刻は入ってこなかったんですね、まだ。
本当に全く違うんです。
専攻科での制作の合間に、福島さんからはアメリカの人たちの作品の世界を話してくれたりたり、
教えてくれたりでした。
ところが僕のそれまでの5年間での、自分がこうありたい、こういう風にして自分の作品を
作っていきたいといった気持ちでは、福島さんの話してくれる世界がまったく理解できない、
どういうことなんだろうと思ったんですね。
日下
はい。
石山 駿さん
ものすごく混乱したんです、私自身が作品を作っていく上で。
それで「石山君、こんなもの作っとったらあかんぞ」と言われるくらいに打ちのめされちゃった。
でも何を、どうしていいかわからない。
あれだけの力強い作品を作っていた彼が、現実にアメリカの世界で、それだけ変わらざるを得ない
経験をして、そして僕の隣で作っている彼の作品を、僕は理解できなかった。
僕の持ち合わせている造形に対する概念に照らし合わせても答えは見つからない、
そのことに僕はものすごいショックを受けたんですね。
僕はやっぱりこんなことしとっちゃいかんのだろうか、という気持ちにまで追いつめられた。
もうこんなん作っていたらダメだとその時は思って、作らないでおこうと、衝動に近い気持ちで
発注までしようとしていたその作品をポンッとやめてしまったんです。
日下
そうだったんですか。
石山 駿さん
そして、にょろっとした赤い作品を作ったのです。
「I氏のコレクション」という題名で専攻科1年修了作品として出品しました。
3つの棒状の形がアクリルケースの中にぶら下がるようにあって、それぞれに蛍光カラーで
信号機のように色分けしたのです。
それを合板にポリエステル樹脂塗装した台の上に置きました。
この作品は思いだけがあって、どうも中途半端な出来に思えたので、
次の学年にもう一度作り直して同じ年の個展とグループ展に出品しました。
先にお話した、石膏からプラスチックにしようとして作っていたフォルムの作品を急きょ、
ほんの2ケ月ほどでそんな形のものに変えて出品したんです。
その時の福島さんの作品は、サブロク(3尺×6尺)板くらいの透明なプラスチックを火で炙りながら
有機的な形にグニャッと変形させたものを、円錐形のような形や,そっけない円筒形の形の上に
フワッともたれかかせるように乗せてあったんです。 (※参考作品)
その支えになっている形にはそれぞれ派手な赤と青の色が塗られているのです。
従来の彫刻の概念とはまったく異なる表現でした。
感じるだろう材質感も語りかけてくるフォルムの意味性も存在していませんでした。
その上、これまでの彫刻科の卒業展で作品に色が塗られたということも初めてだったんです。
木をつるつるに磨いて光沢を出すとか、鉄に少し黒いものを塗って材質感をより効果的に
見せるために色を感じさせたりとかはあっても、色を意識的に使う、質感を消して材質を
あえてニュートラルにしてしまうというのはまったく今まで誰もしてこなかったんです。
日下
はい。
石山 駿さん
僕は彼の話を聴きながら自分も変わらにゃいかんと、僕も色を使ったんです。
だから、その年に作られた作品で色をつけて出したのは、福島さんと彼の影響を受けた僕の
2人だけだったんです。
そうやって、僕は突然自分の今まで学んできたことを全部捨てようと思って。
福島さんの世界が理解出来たわけでもないんですが、実際は何もわかっていないんです、
まったくわからずに、その思いだけでした。
次の年も同じように赤いカラスウリのような形をプラスチックのケースに閉じ込めて作品を出しました。
日下
ええ。
石山 駿さん
それまでの4年間と専攻科の1年間は、ものすごく何かをやろうという充実感と意欲があって
そして福島さんに出会ってからめちゃくちゃと混乱して、だけど何をしたらいいかわからない。
ずぅーとそんな状態が続きました。
福島さんと同世代だけに自分も変わらなければとやみくもに思っていました。
専攻科2年の時には、もう福島さんも専攻科を出てゆかれたし、僕はもうここでの時間が必要ないな、
やることはないなと思って。
後の方は、早く修了したい、やめたい、そういう気持ちになっていましたね。
日下
そうだったんですか。
これほどまでの大きな変化は、なかなか無いことだと感じます。
このあと、どう作品を展開していかれたのか、とってもお聴きしてみたいです。
本当に貴重な体験談をありがとうございました。
干支(巳-2)
干支(巳-3)
**************************
編集後記
今回、山本 哲三さんのご紹介で、初めて石山 駿さんにお話をお伺いしました。
石山 駿さんは陶を素材とした彫刻作品で国内外での発表活動歴が豊富で多彩な彫刻家で
いらっしゃいます。
山本 哲三さんからは、クレーワーク(学生当時は陶彫と言われていた)をやっていらして、
既成概念に捕われない楽しい作品が大変評価されている彫刻家としてご紹介いただきました。
愛知県瀬戸市で現在開催中の「アートでびっくり!干支セトラ展」を主催するアートのNPOも
していらっしゃいます。
石山 駿さんは美術大学専攻科で、とっても美しい日本伝統のフォルムを追求して構成される作品を
制作なさっていました。
アメリカ留学から戻られた先輩のまったく作風が変化されていたことに混乱されたこと、その方のお話を聴かれて、ご自身も作風を大きく変化された体験談をお伺いしました。
私も自分なりに迷い迷い、思考錯誤して制作して来ましたが、石山さんほどのショッキングな体験は
まだ味わったことが無いように思いました。
けれども、もしかしたらその体験が、この後に石山さんが素晴らしい造形を生み出される、
一つの大きな原動力にもなったのかもしれないとも感じました。
次回は、 石山 駿さんが専攻科修了後、愛知県瀬戸市の美術教員に赴任され、
陶に出会われたお話をお届けいたします。
どうぞお楽しみに。
**********************************
◆ 石山 駿さんが所属する特定非営利活動法人 Art-Set 0のホームページ
特定非営利活動法人 Art-Set 0で運営しているギャラリーのフェイスブック
◆ 石山 駿さんの展覧会情報
アートでびっくり!干支セトラ(午)展
2015年1月9日(金)~25日(火)
毎週、金・土・日と祝日のみ開廊/AM11時-PM5時
アートセットスタジオ
〒489-0042瀬戸市仲切町3番地 TEL0561-83.0484(開廊日のみ対応)
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風邪をひいたら…
皆様、こんにちは
おいしいお茶で癒しと健康をお届けする【下総屋茶舗】五代目の金久保です。
相変わらず埼玉では
冷たい北西風と乾燥が続いており
インフルエンザの猛威は衰えそうにありません
あちこちの学校で学級閉鎖が出ているようですね
皆さん風邪の予防は万全ですか?
私は毎晩ロードバイクで片道9.5km走り2000m泳いでいますが
手足と顔は痛いくらい冷たいのに体はウィンドジャケットの下に
半袖速乾Tシャツと長袖Tシャツ重ね着でも大汗をかきます
この汗が冷えると最悪ですね
間違いなく風邪を引きます
だからスポーツ後は即着替えます
泳いだ後にそのままシャワーを浴びても
後から後から汗が出て来るので
プール後は水風呂につかってからシャワーを浴びます
こうすると体を乾かした後からまた汗が出てくるというのを抑えられます
先日、友人がハーフマラソンを走った後に
汗をかいたままターキーレッグを買うために並んでいたら、
風邪ひいてしまいまったそうです。
そこで彼は、「病気の時は食べずに寝てろ」を実践したそうです
家に帰り布団にくるまり、とにかく体温を上げる事に集中したんだとか。
体温を上げると大抵のウィルスは死ぬのでじっと我慢ですね。
夕食もパスして飲み物は、お白湯とポカリを薄めた物。
いっぱい汗かいて夜に目覚めるとかなりスッキリしたので
さらにお風呂に入って体を温めてまた布団へ。
すると翌朝は気持ちよく目覚めたそうです。
解熱剤なんか飲んでいたら体温が下がってウィルスが増殖し、もっと長引いていただろうね。
風邪ウィルスに効く薬はない、
風邪薬を飲むとかえって長引くって事、早く常識にしたいね
と彼いわく
そうなんですよね。
体の中には酵素が働いていて、これが消化酵素と免疫酵素として
活躍しているんですね
この酵素活性が一番高まるのが体温37.2度くらいだそうです
で、スポーツの時なんかもそうですが
食べ過ぎたり食べ合わせが悪いと消化にエネルギーと酵素を浪費して
かえって疲れるんです。
だから病気の時も消化に酵素を無駄遣いせず
免疫酵素を活性化して免疫力、治癒力を高めたほうがいいんですよね
理にかなってるんですね
和食文化は発酵食品を上手に取り入れたローカロリーな健康食が多いです
ふだんから食事で酵素をしっかり摂っていれば
消化にも良いし免疫力も適正に保てるんですね
ご先祖様から受け継いだ日本の食文化の知恵を
しっかり後世に届けたいですね
もちろん緑茶もビタミンやカテキン、ポリフェノールが豊富な
ノンカロリーの天然アルカリ飲料ですよ
カテキンの強力な殺菌力はインフルエンザ予防やO-157予防にも
有効だとわかっています
皆さんも、和の食文化や先達の知恵を活かして
毎日健康で人生をたのしみましょうね~
今日も健康に感謝。
東日本大震災復興支援アートプロジェクト 「POSTCARDS TO JAPAN」展巡回
メイプル館 ℡022-796-2078
■場所:岩手県山田町中央コミュニティセンター
■場所:岩手県山田町田の浜コミュニティセンター
■場所:岩手県宮古市ショッピングセンターDORA
■場所:福島県南相馬市立博物館
■場所:福島県立美術館エントランスホール
■場所:岩手県立美術館アートスペース
第1回 第1回続き 第2回目 第3回 第4回 第5回 第6回 第7回
彫刻家 ケイト・トムソンさん
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アーティストを応援する素敵な彫刻工房@日下育子の学び場美術館
がんばっている女性のあなたへ ~「あなたのワクワク大作戦はなんですか?」
皆様、こんにちは。
彫刻工房くさか 日下育子です。
私は尊敬する女性の週一回配信の無料メルマガを購読しています。
それは、女性応援企業エグゼクティブクルー株式会社の熊谷留美子さん の
「本当に頑張っている女性のあなたへ」
というものです。
このメルマガでは、熊谷さんご自身が成功へむけて行動される中での
気づきの体験談をシェアしてくださっています。
特に無意識に抱いている、成功を阻害する考えをクリアする体験談は、
本当に頑張られている方々にとっては一読の価値ある内容です。
このメルマガでは、熊谷さんの体験談を読んだあとに
読者も同様のテーマでの体験談をシェアしあえる双方向のやりとりが展開されています。
これからここに書くのは、
11月14日の熊谷さんのメルマガと
それに対しての私の体験談のシェアです。
以下、大分長くなりますが、
成功に向けて頑張っていらっしゃる貴女さまにも
楽しんで頂けましたら嬉しいです。
*********************************
日下育子さん、こんにちは。
女性応援企業エグゼクティブクルー株式会社の熊谷留美子です。
このメルマガは、本当にがんばっている女性の方々と温かく見守ってくださっている
ナイトの男性の方々にお送りしています。
今回のテーマは、「あなたのワクワク大作戦はなんですか?」です。
毎年行われる「箱根駅伝」今年も楽しみました。
なんといっても、青山学院がぶっちぎりの優勝!
普通なら一位との差が開いていたら番組としては面白くないケースがあるのですが、
なんとも新春にふさわしい「温かな気持ち」になった駅伝になりました。
そして、優勝の原監督のインタビューに惚れてしまいました。
「ワクワク大作戦 成功しました!」が第一声。
箱根駅伝の以前のイメージ。
必死に頑張る選手たち。
雪が舞い、山道を走る学生たち。
お正月にのんびりしている「テレビをみている観客」側からは、
「よし! こんなにがんばっている学生がいるんだ!自分も今年こそ、がんばるぞ」って、
思ってしまうのですが・・・。
今年は・・・・。
優勝候補と呼ばれた駒沢大学を追い抜き、2位とは往路で5分差。
普通は、この貯金の5分を食いつぶして優勝へつなぐケースですが、なんと復路も、合わせて10分差。
しかも学生たちがとても楽しそうに走っている!
しかも、インタビューの受け答えも、楽しそうにそして長い時間一人一人が話すんです。
山の妖精と呼ばれることになった5区の神野くんは、「イメージ通りでした。
そのとおりなので夢みたいです」って。
優勝候補の駒沢大学の大八木監督は、監督車から学生たちを
「叱りまくる」いつものスタイルで、青山学院と大きく「比較」をさせてみせていただきました。
この青山学院の原監督は元営業マン、優秀だったそうです。
その営業マンが「ワクワク大作戦」をたてられて、3年、5年、10年計画を実行されたのです。
監督就任後、11年目にして「記憶に残る優勝」になられたのです。
そこで私自身も「ワクワク大作戦」をさっそく適用しました。
中・長期計画もそうです。
ただ、一番は「ワクワクかどうか」です。
今年になって2件、「美味しい話」がありました。
その方と契約することになるとかなり自分の仕事も広がるなぁ・・・・・。
ただ、1月3日にこの箱根駅伝をみることができたので、見直したのです。
「ワクワクしない」
収入は入るけれど、自分のターゲットのがんばっている女性たちの応援にはならない。
・私は目先のお金を得るために、貢献すべきクライアント様のターゲットを変えようとしたりしません。
・私は目先の集客を得るために、貢献すべきクライアント様のターゲットを変えようとしたりしません。
いくつかのミッションのうちの2つに反していたのです。
軸がぶれそうでした。
ワクワクしない!
今年は「ワクワク大作戦」が私の軸になりそうです。
日下さんもの今年なさりたいこと、スタートされたことでしょう。
もし、よろしかったら「このワクワク大作戦」が参考になっていらしたら、シェアしてくださいね。
多くの読者の方の指針になります。
お待ちしています。
*********************************
以下、私からの返信です。
ハイジ様 (熊谷さんのニックネーム)
こんにちは。
お世話になっております。
私の今年のワクワク大作戦は『スピードアップすること』です。
これまで、
本当は絶対に必要ではないのに、
ワードで済む文書を無理にエクセルにして手間取っていないか、
これまでは内容も伝え方も洗練されていることを心がけて来ました
日下育子
*********************************
私の返信の「スピードアップ」の意図を紹介させて頂きますね。
私のお気に入りの本、
「奇跡を起こす 目覚めのレッスン」
著者・・・ジョー・ヴィターレさん
では、 人が、本当に精神的に自立して成功できるようになるステップを
「犠牲者意識」、「めざめ」、「手放す」、「ゆだねる」の四つのステージに分けて
明快に説明してくださっています。
この中で、「神聖なる存在」は、私以外にも同時に、数人の人にアイデアを授けているという
お話があります。
複数の人に降ってきたきたアイデアを一番先に行動に移した人が
一番潤うことができる。というものです。
だから「スピードアップ」と言うことが一点。
それから、クライアント様など相手のかたのために「スピードアップ」です。
クリエイティブな仕事は、本当にじっくり取り組まないと、クオリティが出ないことがあります。
ですが、これも自分が必要だという思いこみだけで、不要な段どりが入っていないか、
いつまでもやみくもにいじりすぎていないか、見直しをかけています。
これは、私の長い間の習慣を見直すことなので、ちょっと大変かもしれませんが
きっとできるようになります!
本当にがんばっていらっしゃる方のご参考になるようでしたら幸いです。
本日も、ご訪問くださいまして
ありがとうございました。
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(文:日下育子)
アーティストを応援する素敵な彫刻工房@日下育子の学び場美術館
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造形作家 石山 駿さん 第1回 ~作品のかたちを日夜考える学生時代でした ~
みなさま こんにちは。
彫刻工房くさか 日下育子です。
今日は素敵な作家をご紹介いたします。
陶を素材とした作品を作っておられる造形作家 石山 駿さんです。
前回までの山本 哲三さんからのリレーでご登場頂きます。
山本 哲三さん
第1回
、第2回
、第3回
、第4回
、第5回
、第6回
、 第7回、
第8回
、 第9回
第1回目の今日は、石山 駿さんが美術大学に入られたきっかけと、学生時代の造形の学び方についてお伺いしました。
前回の山本 哲三さんと同じ京都美術大学彫刻科の同級生でバウハウスの造形教育の精神を導入したカリキュラムのもとで点・線・面の形態構成の基礎や実材による造形演習等を学ばれたとのことです。
そうしたいろいろな素材での制作を通して、日夜、かたちのことを考えている学生時代だったという
お話です。
どうぞお楽しみいただけましたら幸いです。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
「モーニングタイム」
陶器 19.5×36.2×27.7cm
1970年作
(呉市立美術館所蔵)
陶器 概寸 32×36×33cm
1973年作
「基礎形態の演習 面による構成」
ブリキ板 高さ約 30cm
1960年(大学1年生)
1960年作
「基礎形態の演習 有機的な形による構成」
石膏 高さ約 70cm
1962年作
「具象形態の演習 トルソ」
テラコッタ 高さ 100cm
1962年作
「実材による演習 テラコッタによる造形」
テラコッタ 高さ約80cm
1962年作
「実材による演習 テラコッタによる造形」
テラコッタ 高さ約50cm
1962年作
1962年作
1963年作
1964年
卒業制作展展出品
日下
美術に興味をお持ちになられたきっかけをお聴かせ頂けますでしょうか。
幼少時から物作りがお好きだったとか、ご家族の影響があったとか。
石山 駿さん
いいえ、まったくそういう環境にあったわけではなくて、
小さい頃から美術に強い興味を持っていたという印象は持っていません。
とにかく戦後何も無い時代で、ただただ友達と草野球や自然の中で遊ぶことに夢中だった、
ごく平凡な幼少期でした。
中学は美術部に入っていたんですけれども、高校ではほとんど部活には入らなくて。
日下
そうでしたか。
石山 駿さん
ええ。
私は滋賀県の出身で、入学した高校は多くの学友がこぞって一流大学を目指す
文武両道の進学校でしたが、スタート早々からして私の成績は一番最後の方で、
これはまぁー何とか皆についていければいいか、というようなゆるい学生時代を送っていました。
友達関係はものすごく楽しく過ごしたんだけど、美術大学を目指そうなんて考えもしませんでした。
日下
はい。
石山 駿さん
ええ、だから高校3年の2学期が終わった頃でも、自分はどうすればいいのか、
私も大学に行かなきゃならないのかな、なんて他人事のように思いながら。
僕の1才上の兄貴も同じ高校でしたが、僕が3年のときは浪人して家におりましたので、
私もどこかの大学をと思った時に、そういえば美術が好きだったなという気持ちに気づいたぐらいで、
それから行こうかな、と思った程度です。
当然のことながら、そんないい加減さで受かるわけないですから。
私の家は、石山寺が近くにあったもんだから、父親は観光写真を生業として生活していたんです。
ご存知ですか、石山寺
というのは。
日下
はい、名前だけは。
石山 駿さん
紫式部ゆかりの地であったり、いくつかの国宝建造物があったりで知られたお寺で、
春、秋には観光客が大勢来ていたものですから、そういう人たちを相手にした商売をしていたんですね。
私自身も高校生ぐらいから家も手伝はしていたんですが、高校3年の終わり頃に思い立ったみたいに
美術大学を受けると言ったら、親父からは美術では食っていけんから反対、って。
親を説得するために「いや大丈夫だ、デザインの仕事だったら就職口があるだろう」
なんて言い方をしてデザイン科を受けましたが、好きだというだけでは通用する訳もなく、
ものの見事に滑って浪人するはめになったんです。
兄貴は2浪、僕が1浪で2人が浪人していました。 さぞ両親には迷惑だったとおもいますよ。
浪人しても僕はどこの美術教室に実技講習を受けに行くわけでもなく、のんべんだらりと過ごして
いるうちに、やっぱり美術にだけは行きたいと思って、家で身近にあるものをデッサンをしたりは
していたんです。
さすがにもう浪人はしたくないので、親に内緒で美大ではどこの倍率が一番低いだろうかと探したら、
彫刻科だったんです。
日下
そうですか。
石山 駿さん
そんな不純な動機で彫刻科を選んで、まあなんとか入ることができて。
僕らの時代どこの中学でも、彫刻なんて美術の授業で取り上げたこともないもんだから、
正直それまでやったことがないんですよね。
受験道具に、カルトンとか彫塑ベラ持ってきなさいとか、いろんなものが書いてあるんですけれどね。
彫塑ベラなんて家にないし、カルトンなんて言葉も知らなかったですから、「何だろう、困ったなあ」と
思いながら、京都までわざわざカルトンを探しに画材屋さんに行ったら、なんだ画版か、と。
画版なら画版と書いておいてくれよ、と思ったんですけれど、それでカルトンを一応、買い求めて。
彫塑ベラは、中学の先生の所に行って、受験に要るので「貸して頂けませんか」と言って先生から借りて、
彫刻そのものについては、まったく何も知らずに大学受験に臨みました。
ただ、入ってみたら、先の山本哲三君が話されていたように、点・線・面から始まるような
ああいう造形教育をしているのに出くわして、僕はそれを見てほっとしましたね。
日下
そのほっとなさったというのは、どういう。
石山 駿さん
石膏デッサンを描くのは好きだから、その程度は普通にできたかもしれないけれども、
写実的なこと、デッサンから始まる勉強だったら、それを深く掘り下げてやったことないもんだから、
なかなかついていけないだろうなと思っていました。
ところが、点・線・面から始まるような基礎的な造形教育(※)だったんです。
※点・線・面から始まるような基礎的な造形教育
⇒山本 哲三さん第1回
でも詳しくお伺いしています。
日下
ええ。
石山 駿さん
初めてバウハウス
という存在も知ったし、造形教育をカリキュラム通り組んで習っていく
というのを見て、ああ、これだったら僕は自分で何か頭の中でいろいろ考えて作ればいいんだな、という。
何を作ったらいいかということはわからなかったけれども、そういうカリキュラムと勉強の流れで
僕は正直、ほっとしましたし、過ごしやすかったですね。
自分が好きなことを構成していくというか、僕にとっては素直に取り組んでいける出発点だったですね。
日下
はい。
石山 駿さん
もちろん、そういう世界に触れて、わからないことはいっぱいあったから、いろんな作家の作品などは
積極的に図書館に行ってたくさん見て、ああ、こういうことかとだんだん自分の中で理解していく、
そういう学生時代を過ごしたんですね。
日下
はい。
作品ファイルの1番から始まる美術大学在学中、1961年からの白黒写真の作品群は
私が学生の頃とは比べ物にならないくらい、すごく完成度とレベルが高いですし、
実材もすでに扱っていらして、とっても素材を扱い慣れていらっしゃるような感じがします。
非常に洗練されていて、驚きましたし、素晴らしいと感じました。
石山 駿さん
そうですね、でも、周辺を見ると皆が形、造形を、点・線・面の構成から始めて、
それを実材に置き変えながら、素材の体験をずっと繰り返しやっていくという、
あの時期はいろんな造形要素に沿った形の捉え方をトレーニングしてきたなと思うんですね。
たとえば、美しい形、リズムのある形というのはどういう形か、
重さや軽さを視覚的に感じさせる形とはどういうものなんだろうかとか、
あるいは線や面が空間を構築していく時に、空間とどういう関わりを持っているんだろうかとか。
そういったものを形の中に自分が取り入れるときに、どういう風に生かすなり、反発するなりしていくか、
それから、素材が持っている特性とか、抵抗感だとか。
そういうことを常に頭の中に思い浮かべながら、作品に組み立てていくということを
日夜考えていましたね。
だから、あれほどのめり込んで作って仕方がないということは、ものすごく自分の大学4年間の体験は
すごく充実していましたね。
日下
そうですか。それだけのめり込まれて制作されて、素晴らしい学生時代だったのですね。
今日は、ここまでありがとうございました。
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編集後記
今回、山本 哲三さんのご紹介で、初めて石山 駿さんにお話をお伺いしました。
石山 駿さんは陶を素材とした彫刻作品で国内外での発表活動歴が豊富で多彩な彫刻家で
いらっしゃいます。
山本 哲三さんからは、クレーワーク(学生当時は陶彫と言われていた)をやっていらして、
既成概念に捕われない楽しい作品が大変評価されている彫刻家としてご紹介いただきました。
愛知県瀬戸市で現在開催中の「アートでびっくり!干支セトラ展」を主催するアートのNPOも
していらっしゃいます。
今日は、そんな石山 駿さんが彫刻を始められた頃のお話をお伺いしました。
高校3年生の半ばに美術が好きだったと、思い立って美術大学進学を目指されたとのこと。
点・線・面から始まるような基礎的な造形教育で自分が好きなことを構成していく、
素直に取り組んでいける出発点だったそうです。
このことは、石山 駿さんの自由な作品イメージを拝見する上で、とても興味深く感じました。
これから数回にわたって、石山 駿さんの彫刻の活動の歴史、について、お届けしてまいります。
次回は、京都美術大学専攻科在学中の制作と大きな方向転換を体験されたお話を
お伺いしてまいります。
どうぞお楽しみに。
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◆ 石山 駿さんが所属する特定非営利活動法人 Art-Set 0のホームページ
特定非営利活動法人 Art-Set 0で運営しているギャラリーのフェイスブック
◆ 石山 駿さんの展覧会情報
アートでびっくり!干支セトラ(午)展
2015年1月9日(金)~25日(火)
毎週、金・土・日と祝日のみ開廊/AM11時-PM5時
アートセットスタジオ
〒489-0042瀬戸市仲切町3番地 TEL0561-83.0484(開廊日のみ対応)
◆ 石山 駿さんの略歴
1941 滋賀県大津市に生まれる
1967 京都市立美術大学(現京都市立芸術大学)彫刻科専攻科修了
1970 6人の日本青年陶芸家展(U.S.A-スクリプト大学及び全米巡回)
1971 第1回日本陶芸展(毎日新聞社主催) 以後1979年第5回まで連続出品
現代の陶芸“アメリカ・カナダ・メキシコと日本展”(京都・東京国立近代美術館)
1972 ファエンツア国際陶芸展(イタリアーファエンツア) 1974年にも出品
1978 日本クラフトコンペ京都展審査員特別賞(京都勧業会館)
1979 アート・ナウ‘79(兵庫県立近代美術館)
1980 クレイ・ワーク<やきものから造形へ>(西武大津・西武池袋)
1982 イタリア巡回「現代日本陶芸展」(国際交流基金主催)
1983 カナダ巡回「現代日本陶芸展」(国際交流基金主催)
1984 現代のやきもの展(呉市立美術館)
1986 米国・東欧巡回「現代日本陶芸展」(国際交流基金主催)
1989 デザインけっさく大賞展・審査員特別賞(名古屋―世界デザイン博)
1992 アートは楽し‘3(群馬―ハラミュージアムアーク)
陶-空間の磁場≪現代陶芸5人展≫ (名古屋市民ギャラリー)
1996 ソウル⇔名古屋立体造形の交流(韓国―ソウル)
2003 石山 駿・名和 章-遊戯するフォルムー展(瀬戸市新世紀工芸館企画)
2005 瀬戸の現代陶芸展 (瀬戸市美術館)
個展18回 グループ展 多数
パブリック コレクション
・国際交流基金 ・呉市立美術館 ・高松市美術館
・北海道立近代美術館 ・アルゼンチン近代美術館
・愛知県立春日井西高等学校 ・愛知県立瀬戸北高等学校
収録出版物
・月刊「陶」(1981年5月号)
「プライマリーストラクチャーから転身する作家―石山 駿」里中英人著
・季刊「銀花」(1981年48号冬)「やきものオブジェ遊び」海上雅臣著
・「近代美術30 現代工芸」 至文堂
・「現代の陶芸 第16巻」 講談社
・「原色現代日本の美術 第16巻 陶芸(2)」 小学館
・「現代日本の陶芸 第15巻 明日の造形を求めて」 講談社
・「探訪日本の陶芸 10 瀬戸・常滑―東海」 小学館
・「現代日本の陶芸家たちー瀬戸・常滑」 学習研究社
・「現代陶芸家列伝」井上隆生著 風媒社
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