星たちが見ている
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  • 22Oct
    • 喉の調子が悪い時に人と話したり、プレゼンをしないといけない場合、どうすればいいでしょうか。

      喉の調子が悪い時に人と話したり、プレゼンをしないといけない場合、どうすればいいでしょうか。 たとえば、学校の先生は、喉の調子が悪い時に、どのように対処しているのでしょうか。学校の先生で喉を痛めたり、ポリープができたりする人は、結構多いようです。それは、元々の発声に問題がある場合が多いです。無理に大きな声を出そうとして喉に力を入れる発声を癖になっていて、喉の血流が悪くなるんです。ですから、丹田を中心としてお腹から声を出す方法を習得することが必要です。丹田の意識を形成するためには腹式呼吸法が役に立ちますが、この腹式呼吸法が曲者で、世の中のほとんどの腹式呼吸法は間違っています。特に、発声や歌のために必要な腹式呼吸法は、健康のための腹式呼吸法とは少し違うため、様々な誤解が生じています。それでも近年は、CTなどの発達で、生理学的なメカニズムがかなり解明されてきたため、いずれ正しい腹式呼吸法が広まっていくと思います。喉の調子が悪い時にプレゼン等をしなければならない場合、のど飴などの民間療法では厳しいと思うので、医薬品や漢方薬をお勧めします。喉の炎症を抑えるには、アズレンという抗炎症剤があります。アズレンは、カモミール(カミツレ)の成分です。トローチでは濃度が低いので、アズレンの喉スプレーがいいと思います。 【第3類医薬品】パープルショット 30mL 382円 Amazon イソジンなどのヨウ素の喉スプレーは、殺菌作用はあるようですが、抗炎症作用はないので、アズレン系をお勧めします。漢方薬は、響声破笛丸料が喉の不調に効果的です。 響音破笛丸料エキス顆粒KM 9包 699円 Amazon 桔梗湯や、喉の風邪に効く銀翹散という漢方薬もあります。以前の記事はこちら発声が良くなる!? 喉にいい漢方「響声破笛丸」「銀翹散」普段の喉のケアとしては、のど飴、プロポリススプレー、マヌカハニー、スチーム吸引などがあります。また、良いものがあればご紹介します。

    • バーチャルボイトレ塾92 『シクラメンのかほり』のベースにある別れの悲しみ

      ゆう:曲をじっくり聞いてみたけど、昔を回想している曲なの?Shin:「呼び戻すことができるなら」とサビで歌ってるから、失った後に回想しているんだよめ。ゆう:別れた後に思い出してるのかぁ。Shin:1番は出会いを歌っているんだけど、別れた後で回想しているから、幸せな情景ではないんだよ。幸せなんだけど、その背後に深い悲しみがある。この悲しみが、この曲全体のベースにあるから、そこを踏まえて歌わないとね。ゆう:1番は幸せな感じだから、幸せに歌えばいいと思うけど。Shin:そんな単純な曲じゃないよ。2番は恋の喜びを歌っているよね。まぶしいとか、木漏れ日を浴びた君を抱くとか、両思いになった喜びがそこにはある。でも、その背後に、それらをすべて失った悲しみがあるんだよ。むしろ、その悲しみがあるからこそ、1番と2番の喜びが、ものすごく切なくなるんだよ。ゆう:難しいなぁ。Shin:別れた後で、彼女との楽しかった日々を回想することほど悲しいことはないでしょ。この曲は、そういう曲だから、それを表現しないといけない。この主人公は、彼女を失った状態で、1番を歌い始めるんだよ。単に、物語が時間に沿って進んでいくのではなくて、3番が終わった段階の主人公がそこにいて、その主人公が、1番と2番を歌う。だから、出会いも恋の喜びも、大きな悲しみのなかに存在するんだよ。ゆう:ちょっとついていけないよ。Shin:主人公が今、どういう状況なのか、どういう心理なのかを読み解かないと。こういうことは、国語の授業でもするでしょ。だから、学校の勉強だって歌に必要なんだよ。ゆう:勉強は苦手だったからなぁ。Shin:詩の勉強と同じだよ。解釈をして深めていくと、それがそのまま歌の表現力につながる。2番に、「淋しささえも置き去りにして」っていう歌詞があるけど、これはどういう意味だと思う?ゆう:主人公がさびしかったのかな。Shin:僕の解釈としては、別れの予感を感じていたけど、それを感じないようにしていたのかなと。まぁ、この部分の解釈は自由だけどね。淋しさは、3番の歌詞にも出てくるし、置き去りにした淋しさが自分たちを追いかけて、追い越していくとも解釈できるね。「時が二人を追い越していく」というサビの部分につながる。ゆう:そのサビの部分の意味がわからないよ。時が追い越していくって意味不明だし。Shin:小椋佳さんは、この曲に関しては、そこまで考えて作っていないみたいだけど、それでもヒットする曲というのは人の心の琴線に触れる何かがあるんだよ。だから、このサビのフレーズというのは、僕たちの心に、強い影響を与えるような言葉になっている。「疲れを知らない子供のように」なんて、恋の無邪気さや残酷さを上手く表現しているよね。それは、恋だけではなくて、運命の残酷さでもあるんだよ。続く

  • 21Oct
    • 息子のことですが、転校した学校に、なじめず、 夜中、ゲームに参戦する大人を待ちわびて、昼夜逆転。

      息子のことですが、転校した学校に、なじめず、 夜中、ゲームに参戦する大人を待ちわびて、昼夜逆転。 現在、引きこもり、3年目です。 スクールカウンセラーさんからは 「ゲーム、私も好きですし、いいんじゃないですか。」とアドバイスされました。 それで、どうやってゲーム依存を解決したらいいのか、理解できませんでした。 他のカウンセラーさんからは 「辛いことがあるから、ゲームに逃げるんですよ。」とアドバイスされました。 同じくそのアドバイスで、どうやって、ゲーム依存から脱出させるのか、やはり私には理解する脳力がありませんでした。 ゲームを破壊してみました。 「親の真剣さに驚いた子供がゲームを止めた。」 そんな効果があった話を聞いたからです。 でも、息子の場合はダメでした。いくつかの問題が複合していると思いますので、一つ一つ見ていきたいと思います。まず、転校した学校に馴染めないということですが、私も転校を経験したことがあります。私の場合、学年が変わるタイミングで広島から岡山に引っ越したのですが、隣の県なのに、方言のことでからかわれたり、県民性も随分違うなと思いました。子供にとって転校はそれなりに心理的な負担になるので、転校がきっかけで学校に行きたくなくなるという気持ちは、よくわかります。その場合、学校に行くようにするという方向性も模索する必要があるかもしれませんが、別の手段で学校を代替できるようにしたら、不登校の影響もそれほど受けなくなると思います。学校というのは、授業と人間関係で成り立っていますよね。授業というのは、知識や技能の伝達です。人間関係というのは、主に他の子供たちとの関係ですが、先生との人間関係もあります。これらの二つの要素を、別の手段で代替できるようにすればいいと思います。授業に関しては、近年、ネットで学習できるシステムが増えていますので(スタディサプリなど)、そういうものを活用すればいいと思います。人間関係に関しては、習い事などの何らかのサークル活動をすればいいと思います。その場合、住んでいる地域から少し離れた場所の方がいいでしょう。私は若い頃、社会学者の宮台真司さんの著書をよく読んでいたのですが、宮台さんが言うには、子供の人間関係というのは、学校という単一のコミュニティしか存在していないせいで、そのコミュニティで問題が起こると、逃げ場がなくなってしまうと。だから、複数のコミュニティに所属して、どこかで問題が起こっても、タコの足のように切れるようにしておいた方がいいということです。確かに宮台さんが言うように、学校だけのコミュニティだと、そこで人間関係がうまくいかなくなった場合、不登校をするしかなくなります。でも、他のいくつかのコミュニティに所属していたら、学校に行かなくても、他のコミュニティでの人間関係を維持することができて、そこで社会性を育むことができます。ですから、学校以外でのコミュニティを探して、そこに所属するようにしたらいいと思います。それから、昼夜逆転の生活ですが、これは遺伝的な要素も大きいそうです。私が学生の頃は、朝方まで後輩たちとゲームをしたりしていましたが、結局、私の場合は、朝から夜にかけて活動する方が向いているようです。でも、私の友人のクリエイターやアーティストは、大抵、夜型の生活をしています。大切なのは、朝方であれ夜型であれ、社会的な活動ができているかどうかということだと思います。子供の場合の社会的な活動は、上記に書いたようなコミュニティでの活動や、教科の勉強ですよね。夜遅くにコミュニティの活動をしているグループはあまりないと思うので、できるとしたら勉強だと思います。昼夜逆転の生活であっても、その時間に勉強をしていればいいのだと思います。最後に、ゲーム依存に関してですが、ゲームといってもいろんな種類があり、体を動かすゲームや、パズルゲーム、ネットに繋いで一緒に戦ったりするゲームがあります。体を動かすゲームは、スポーツと同じようなものなので、健康にはいいと思います。パズルゲームも、思考力を鍛えるので、勉強に近いです。問題は、ネットに繋いで複数の人と一緒に戦争をするようなゲームですが、私は、戦う系のゲームが苦手なので、そういう経験がないんです。昔、家庭教師をしていた高校生の子が、そういうゲームが好きで、遠方の複数の人とチャットをしながら戦争ゲームをしているのを見せてもらいましたが、グロい映像(敵を殺すような)が多くて、これはちょっと問題があるなと思いました。そういう敵を殺したりするようなゲームの場合は、やはり心理的にも良くないのではないかと思います。ですから、ゲームといっても、心身に良いゲームもあれば、悪いゲームもあるので、まずは心身に悪い影響を及ぼすようなゲームへの依存を減らすことが大切だと思います。依存に関しては、私も依存症をサポートするグループのライティングの仕事をしたことがあって、その時に依存症に関する本を何冊か読みました。主にドラッグやギャンブル依存に関しての本でしたが、やはり依存症を治療するのは、簡単なことではないようです。私たちでも、スマホ依存になっていたり、甘いものがやめられなかったり、毎晩お酒を飲む習慣の人も多いですから、依存対象と程度の問題になるのだと思います。依存対象が、ドラッグのような体に危険のあるものであったり、ギャンブルのように大金を失うようなものだった場合は、非常に問題があります。ゲームの場合、上記のような戦争ゲームは、心理的に良くないのではないかと私は思いますが(もちろん程度によるし、そういうゲームをすることによって暴力性を発散できる場合もあるので、一概に悪いと断定はできませんが)、ゲームでも、心身に良いものであったり、それほど長時間しないのであれば、それほど問題にする必要はないかもしれません。依存症は一気に解消しようとするのではなく、段階的に少しずつアプローチする必要があります。まずはゲームの種類を変えて、心身に良いゲームをするようにしたほうがいいと思います。そこから、体を動かすゲームやパズルゲームなどに変えていき、学校の勉強も学習ゲームを活用するようにします。あとは、親子でオセロや将棋や囲碁といったアナログゲームをしたり、卓球やボーリングをしたりして、日常の中にゲームと同じような楽しさを感じることができる機会を増やしていきます。そのようにして、今のゲームから得られる快楽を、これからの人生に役に立つような活動に少しずつ変えていくようにしたらいいと思います。ただ、何事も一気に変えることはできないので、本当に少しずつ変えていくしかありません。そのためには、親御さんもゲームについて勉強する必要があると思います。ゲームの利点を書いたものとしては、以下のような著書もあります。 ゲームは人生の役に立つ。 ~生かすも殺すもあなた次第 1,320円 Amazon 依存症に関しては、上記のような視点では解決できるとは思えませんが、ゲーム=悪というわけではないので、ゲームのメリットとデメリットを知って、そのデメリットの部分だけをいかに日常生活で解決していくかという視点で取り組むことが大切だと思います。そういう方向性でないと、息子さんからの理解を得ることも難しいでしょうし、なぜゲームにはまってしまうのかという根本的な部分へのアプローチができなくなります。カウンセラーの方がおっしゃったように、ゲームというのは現実逃避としての役割を果たしているのだと思います。もしそうであるなら、つらい現実の部分を少しずつ変えていく必要があります。現実の生活の中に、ゲームと同じような喜びや幸せが増えていけば、ゲームへの依存は相対的に低下していくはずです。私は子供がいませんから、何も偉そうには言えないのですが、人生の喜びを、親子で一緒に作っていけばいいのではないかと思います。そんなに簡単なことではないかもしれませんが、私もそうやって日々の生活の中で、小さな喜びを見出そうと努力しています。息子さんもそうですけど、親御さんご自身も、ご自分の人生を楽しむようにしてみてください。良い方向に行くことを祈っております。

    • バーチャルボイトレ塾91 『シクラメンのかほり』の1番の解釈

      ゆう:恋愛の歌なんだね?Shin:真綿のように見えるシクラメンは、柔らかくて、輪郭がぼやけているような感じ。これが、出会いの時の君とオーバーラップする。青年は変性意識の状態なんだよね。ゆう:恋してるから、そういう状態なの?Shin:そう。恋をして、ドキドキしている状態。だから、ためらいがちに彼女に声をかける。すると、彼女が、驚いたように振り向く。その時に、季節が頬を染めて、過ぎていく。ゆう:夕暮れってこと?Shin:いや、僕は夕暮れじゃないと思う。頬を染めるというのは、恋の暗示。そして、季節が通り過ぎて行くというのは、その恋は、やがて失われるであろう、はかない恋ということ。ゆう:文京区の街角だったっけ?Shin:主人公は大学生で、大学の近くの街角を歩いている。彼女は、初対面ではないと思うんだよね。知り合いだけど、そんなに親しくない。でも、主人公は彼女のことが好きなんだよ。その彼女を、街角で見かける。ためらいがちに、彼女に声をかける。彼女が驚いたように振り向く。その瞬間の彼女の表情は、主人公にとって、一生忘れられない。この恋の高揚感と切なさを表現する必要があるよね。ゆう:でも、それってShinさんの解釈でしょ。僕は、なんか違う感じがするけど。Shin:どんな感じ?ゆう:街角を散歩していたら、超タイプの女の子がいたので声をかけた。Shin:ナンパかよ。この曲のイメージと違うでしょ。この曲の主人公は、繊細で、内向的な青年だよ。そもそもナンパなら、ためらいがちに声をかけないでしょ。ゆう:そっかぁ。確かに、ピュアな感じだよね。Shin:大学は、文京区なので東大かもしれないから、1975年の東大の近くの街角をイメージする。主人公は、恋愛経験がないピュアな青年かもしれない。勉強はできるんだけど、奥手で内向的な性格。そんな彼が、勇気を出して、彼女に声を掛けるんだよ。「ためらいがちに、かけた言葉に」この部分を歌うときに、その主人公の気持になる必要がある。ものすごくドキドキしながら、ためらいがちに声をかけたんだから。ゆう:たったそれだけのフレーズなのに?Shin:普段、なんとなく歌ってるかもしれないけど、プロの歌というのは、ひとつのフレーズを、どこまでも深めていくんだよ。ドキドキしながら声をかけて、彼女が驚いたように振り向いた。その彼女の顔は、一生忘れられない。主人公は、その時の彼女を回想しながら歌っているんだから、もうこの時点で、ものすごく切ないよ。ゆう:なんで?Shin:いずれ彼女と別れることになるから。別れた後の主人公が、回想しているのが、この曲だから。回想している主人公が、出会いの時の気持ちを思い出しているという構造なんだよ。ゆう:ややこしいなぁ。Shin:全体的に、別れの雰囲気がベースにあるんだよね。その中で、出会いを回想している。だから、1番を歌っても、単純に恋の喜びを歌うわけじゃない。別れた後の回想だから、そういう意識で歌わないといけない。もちろん、これは僕の解釈だけどね。ゆう:そんなことまで考えて歌わないよ。Shin:どこまでも深めていくから、表現に深みが出てくるんだよ。歌い方や発声の問題じゃない。どれほど歌のテクニックを磨いても、内面の深さがないと、表現に深みが出てこない。続く

  • 20Oct
    • 子供がゲームをやめなくて困っています。どう言えば、ゲームをやめさせることができるでしょうか。

      子供がゲームをやめなくて困っています。 一時間でゲームをやめるように約束しているのですが、一時間経ってもゲームを続けます。 そのせいで宿題をきちんとする時間がなくなります。 子供にどう言えば、ゲームをやめさせることができるでしょうか。ゲームというのは、快の行動ですよね。宿題は、不快な行動です。人間は、快の行動をやめるのは難しいです。そして、不快な行動を始めるのも難しいです。ということは、ゲームをやめて、宿題を始めるというのは、難しいことが二つ重なっているので、不可能に近いです。自分をある程度コントロールできるであろう大人でも、これは至難の技です。宿題をしなければならないのは、しかたがありません。そして、ゲームがやりたいのも、子供であれば当然だと思います。私たちの世代は、ファミコン世代でしたから、ゲームの面白さはよくわかります。ゲームというのは、本当によく研究されていて、それ自体が悪いものだとは私は思いません。昔のゲームだった将棋や囲碁はプロの仕事になっていますし、競技スポーツも同様です。それは人類の文化の一部なので、上手に活用できたらいいですよね。快から不快という行動の流れは、大人でも難しいので、順番を入れ替えます。最初に宿題をするようにします。そして、宿題をしたご褒美として、ゲームをするようにします。ご褒美が機能するためには、きちんと宿題をしなければなりません。適当に宿題をした場合は、ゲームというご褒美は無しにします。そういう習慣を身につけると、快楽に流されるような生き方になることを避けることができます。喜びを味わう前に、すべきことをきちんとするようになるからです。そもそも、喜びというのは、苦痛を乗り越えた先にあるから、喜びが倍増するものです。最初から喜びだけだと、感覚が麻痺してしまって、喜びも薄れます。宿題をした達成感の中で、思う存分ゲームができれば、ゲームの楽しさも増します。ですから、順番を逆にして、不快→快という流れにしてみてください。

    • 多数派からの否定的な何かを感じてとても居心地が悪く辛い。団体行動できない私に問題があるのか?

      組織というものは、やはりどうしても多数派の人間中心に構成されて、少数派は排除されていくものなのでしょうか。 私は人間関係の構築がとても苦手で、一人で山に登ったり自然を見たり、興味ある分野の本を読んでいる方が好きなのですが、職場の方々は、殆どが、休憩時間など常に皆で集まって話していて、また、皆でランチや、夜に食事に集まったりしています。 私も呼ばれたり呼ばれなかったりなのですが、行きたくないので大抵はお断りします。 趣味も合わないので、話すこともなく疲れるし、陰口大会の中にいたらもう、自分がダメになるのが分かったので、抜け出したくて、仕事の必要な事くらいしか話しかけません。 しかし、向こうからしたら、協調性のない人間、もちろん私も人間的に欠点だらけで腹立つこともあるでしょう。 最近特に、多数派からの否定的な何かを感じてとても居心地が悪く辛いです。 このまま行くと、排除されるのではないか?と、被害妄想かもしれませんが考えてしまいます。 単に、皆と一緒にいるより一人が好きなだけで、みんなの事を嫌いなわけではないのですが、何となくですが、あんな風に常に皆で集まっている人達って、一度嫌いになったらその人を完全に否定してしまうんじゃないかと思ってしまいました。 でも、もちろん私にもこういう部分もありますし、以前は安全圏に居るために自分を殺して合わせていた時もありましたので、多数派を責めるわけではありませんが、単に、休憩時間や、仕事が終わったあとくらい、一人で居たい、好きなことに時間を使いたいという意思を理解してもらえたらなと思います。無理みたいですが。 団体行動できない私に問題があるのでしょうか? こういう性格では、生きて行くのは難しいのでしょうか。日本は、単一民族の島国なので、どうしても村社会になってしまいます。集団の協調性が重視され、違う価値観や考え方への寛容さが失われます。女性の集団になると、この傾向がさらに強くなります。女性は、村を守る存在でしたから、村の中での協調性が、自分と子供の生存にとって重要な要素だったからです。したがって、日本で、なおかつ女性のグループということになると、極めて強い同調圧力が働きます。近年では、SNSの発展が、この集団内での同調圧力に拍車をかけていて、凄まじく息苦しい社会になっています。世界的に見ても、日本に自殺者が異常に多いのは、このような日本独特の同調圧力が深く関わっていると思います。以下は、オカルト話なので、科学的な根拠はありませんので、その前提で読んでください。集団に馴染めないのは、その集団の気(エネルギー)と自分の気が合わないからです。集団というのは、その集団のエネルギー場を作ります。それは気のフィールドのようなものですが、数人が集まるだけで、エネルギー場ができます。そのエネルギー場と自分の気が合う場合は、その集団にいると心地よいです。でも、合わない場合は、とても疲れるし、文字通り、気を使います。たとえば、エネルギー場を色にたとえるとして、それが黄色だったとします。そして、自分の気が青色だったとしたら、色が馴染まないですよね。黄色に馴染むのは、同じ黄色か、それに近い色です。(これは、少し単純化した考え方で、実際は、補色などもあり複雑ですが)ですから、集団に馴染まないというのは、その集団のエネルギー場が自分に合わないというだけです。自分に合う集団には馴染めるはずなので、集団だから苦手だということではないと思います。実際、私も集団は苦手なタイプですが、学生時代は、水井会と言って、よく鍋パーティーをしていました。自分が作った集団ですから、自分に馴染むのは当然のことですよね。でも、その後にいろんな集団と関わりましたが、あまり馴染めない集団もありました。それは色が違うということです。問題は、その集団に対して優劣の意識を持ってしまうと、それが現象に反映してしまうということです。たとえば、悪口を言う集団には自分は入りたくない、ということで、その集団を避けたとします。その気持ちはわかるし、実際、そういう集団に入らないようにすることは大切なことだと思います。ただ、その集団を、悪口を言う集団であるとネガティブに認識すると、それは無意識レベルでその集団の人たちに伝わるため、その集団の人たちからも、こちらが悪く思われるようになってしまうのです。ネガティブな想念が同調してしまうんです。ですから、あまり集団に対してネガティブな感情は持たない方がいいと思います。お互いに反目し合うような現象を引き寄せてしまいますから。単に、自分の色とは違うとだけ認識して、そのまま気にしない方がいいと思います。そして、重要なのは、集団と自分という風に区別しないようにすることです。集団といっても、個人が複数集まっただけですよね。その集団のエネルギー場には馴染めなくても、その集団の一人一人の気とは、合うかもしれません。人間というのは、複合した気を発しているので、主要な気はあるのですが、グラデーションのように幅を持っています。全く気が合わなければ、そもそも出会うこともないですから、通じ合える部分は必ずあるのです。ですから、集団と自分という風に捉えるのではなく、一人一人との人間関係を上手に形成していくようにすればいいと思います。一対一でのコミュニケーションを大切にしてみてください。私自身も、いろんな失敗をしてきていますから、偉そうにアドバイスはできないのですが、集団を相手にしたら、うまくいかないということを学んできました。一人一人との信頼関係が大切だと思います。ですから、まずは一人でもいいので、仲の良い人を作って、あとはそれを繰り返していけばいいのだと思います。そうすれば、今よりも心地よく過ごせるようになると思います。

    • バーチャルボイトレ塾90 『シクラメンのかほり』の舞台設定

      ゆう:『シクラメンのかほり』って、どんな歌だっけ?Shin:Youtubeにあるから調べてね。僕は、この曲を仕事でよく歌っていたよ。ゆう:古い時代の歌って、いい曲が多いよね。Shin:物語になってるんだよね。この曲を作ったのは小椋佳さんで、石川啄木の詩を参考に作ったらしいよ。ゆう:文学的だね。Shin:そうなると、舞台は関西ではなくて、関東だよね。啄木は文京区に住んでいたし、小椋佳さんも上野出身だから。ゆう:東京が舞台なのかな。Shin:東京でも、新宿や渋谷ではなくて、文京区や台東区かなぁ。ゆう:でも、人によって感じ方が違うでしょ。Shin:作者の背景を踏まえつつ、歌い手なりの世界を作っていけばいいと思うけど、まず最初にすることは、作者がどういう世界観で作ったのかを理解することだよね。ゆう:時代も、古いんでしょ?Shin:この曲が作られたのが1975年だから、僕のイメージとしては、その頃の文京区の街かな。ゆう:そう考えたら、今の時代とは全然違うね。Shin:この時代の、この地域の雰囲気というのをキャッチしないといけない。そして、主人公は青年だよね。学生くらいの年齢かな。ゆう:シクラメンは?Shin:シクラメンという花があるんだけど、真綿色というのは、オフホワイトなので、そんなシクラメンはないんだよね。ゆう:ないの?Shin:真っ白なシクラメンはあるんだけどね。でも、真っ白なシクラメンが、真綿色に見えたということだよ。つまり、ちょっと幻想的な心象風景になっている。ゆう:どうして?Shin:恋をしてるからだよ。この曲は、恋と別れの曲だよ。続く

  • 19Oct
    • ビタミンCをたくさん飲むと風邪予防になる

      先日、風邪をひいたときに、ビタミンCをたくさん摂取した体験について書きました。風邪にはメガビタミンCが効くらしい 〜日本薬局方のビタミンCを30分ごとに2グラム摂取してみたその後、昔購入した本で、ビタミンCの大量摂取について書かれた本を読み直してみました。2010年に出版された本ですが、今読んでも、目からウロコのビタミンC情報がたくさん書かれています。 ビタミンCの大量摂取がカゼを防ぎ、がんに効く (講談社+α新書) 922円 Amazon 元々、ビタミンCをたくさん飲むと風邪に効果があると言ったのは、ノーベル賞を受賞した化学者のライナス・ポーリング博士でした。風邪以外にも、ガンなど様々な病気に効果があるということでした。しかし、安価なビタミンCが広まると医療利権にとっては困るのか、ビタミンCには効果がないといった研究結果が意図的に世界中に広められたようです。ところが、2005年になり、NIH(アメリカ国立衛生研究所)のマーク・レビン博士のグループが、ビタミンCがガン細胞を殺すという研究結果を発表し、ビタミンCの点滴がガン治療法として広まりました。ただ、以前に広まったビタミンCへの否定的な研究結果の影響が今でも続いていて、医師たちの間でも、ビタミンCには効果がないと信じている人も多いそうです。ビタミンCが風邪やガンなどに効果があるのは、ビタミンCの血中濃度が高い時だけです。ですから、経口での摂取の場合、それなりの量を摂取しなければ、効果が得られないということです。従来のビタミンCの研究では、意図的なのか、少量のビタミンCしか用いられず、効果がないと断定されたものばかりでした。血中濃度が高くなければ効果が得られないのは当然ですから、近年のビタミンCの研究では、その点がきちんと考慮されるようになり、ビタミンCの効果が解明されてきたということです。ビタミンCは、4時間で血中濃度が元に戻ってしまうので、血中濃度を維持するには、数時間ごとに摂取する必要があります。もし、1時間ごとくらいにビタミンCを摂取し続けると、血中濃度がどんどん上がり続け、ビタミンCの点滴に匹敵するくらいの効果が得られるそうです。ビタミンC点滴は、効果は高いですが、値段も高いので、安価なビタミンCの経口摂取がコスパに優れています。どれくらいの量を飲めばいいかは、ぜひ上記の著書を購入して読んでみてください。ビタミンCは活性酸素を無害化する作用があるのですが、後で過酸化水素を作り出します。過酸化水素には酸化作用があるため、ウイルスを殺す役割を果たすそうです。なおかつ、選択毒性があり、ウイルスやがん細胞にだけ悪い作用を及ぼすため、正常細胞を傷つけることはないそうです。もしこれが本当なら、魔法の薬だと言えますが、あまりにも安価なので、全く儲からないのです。儲からないものは積極的に広まらないということで、ビタミンCの大量摂取は、一部のマニアの民間療法のようになっています。ということで、風邪予防やガン予防にもなると思いますから、ご興味のある方は、ビタミンCのメガドース(大量摂取)について調べてみてください。ビタミンCは、コラーゲンを作る作用もあるため、美容にも効果が高いそうです。高品質な日本薬局方のビタミンC 【第3類医薬品】ビタミンC「イワキ」 200g 1,855円 Amazon

    • 神戸の教師イジメ問題で、カレーは関係ないと言われていますが、HSPやHSCは食べられなくなる。

      神戸の教師イジメ問題で、小学校が、給食にカレーを出さない対策をしたそうです。 それに対して、カレーは関係ないだろうという意見が多いですが、HSPの子は、ああいう動画を見るとカレーが食べられなくなるではないでしょうか。 多くの人は、あの動画を見てもカレーは関係ないと思うかもしれませんが、HSPやHSCは、カレーが食べられなくなると思います。 Shinさんは、あの動画についてどう感じましたか?私の場合は、カレー以前に、あの動画自体が見れないです。あの動画がニュースで流された時、画面から出てくる黒々としたエネルギーを感じて、目を覆いました。なんていうか、人間の残忍さというものが、よく現れている動画だと思います。HSC(ハイリー・センシティブ・チャイルド)が、あの動画を見たせいでカレーが食べられなくなるというのは、あり得ることかなと思います。ただ、あの動画自体、直視できないのではないかと思うんですよね。映像を見る前に、そこから醸し出される雰囲気を察知して、その時点で、映像が見れなくなると思うんです。それでも見てしまった場合、確かに、カレーが食べられなくなるかもしれません。カレーに罪はないというのは、その通りだと思いますので、しばらくしてから、本当に美味しいインドカレーなどを食べて、情報を上書きするようにしたらいいと思います。あの映像のカレーは、ニュースでも静止画で何度も放映されたので私も見ましたが、どす黒い気(エネルギー)です。食べ物というのは、それを作った人の気が入るので、相当ひどい意識で作られたものではないでしょうか。ですから、素晴らしい料理人の作ったカレーを食べて、情報を書き換えたほうがいいと思います。人間って、本当に残忍ですね。あの動画には、人間の一番嫌な部分が現れていると思います。でも、そういう嫌な部分は、きっと私たちの中にもあるのだと思います。彼らは、私たちの内面に隠されている嫌な部分を、あのようにして表に出すような役割があったのかもしれません。私たち自身が、自分の汚い部分、嫌な部分をしっかり認識し、それを克服していかないといけないですよね。

    • 宗教になると戦争までしますし、むしろ人類にとって有害ではないでしょうか。

      私は神秘的なことが好きなのですが、宗教やスピリチュアルは金儲けや権力争いばかりしていて、ものすごく世俗的だと思います。 宗教になると戦争までしますし、むしろ人類にとって有害ではないでしょうか。 そのせいで神秘的なことを話題にすると、宗教をやってるのではないかと誤解されて甚だ迷惑しています。 Shinさんは、その辺の区別や対処はどのようにしているのですか?私は、神秘的なことやオカルト話は、普段の人間関係では全く話さないですよ。以前は、習い事をたくさんしていて、いろんな方と交流していましたが、私がブログを書いているということすら、その方々に言ったことはありません。ライティングやボイトレの仕事をしているとは言っていましたが。世間一般の人々にとっては、神秘的なこと=オカルト=スピリチュアル=宗教=怪しい、という単純なカテゴリーになると思います。詳しくない分野に関しては、大まかなことしかわかりませんから。神秘的なことが好きだけど、宗教やスピリチュアルは嫌いです、と言われても、よくわからないと思います。スピリチュアル業界で有名になっても、宗教みたいなグループを作って信者が増えても、世間一般の人たちから見れば、単なる怪しい人たちです。そういう一般的な視点というのを、きちんと維持しておくことが大切だと私は思います。そして、神秘的なことは、研究対象として扱えばいいのではないでしょうか。私は、そういうスタンスで取り組んできました。もちろん、研究といっても、自分で実践しなければわからない部分もありますから、文献の研究だけではなく、ワークや修行的なことも積み重ねてきました。それは私にとっては、ある意味で科学的な探求の一つなのです。私は研究者ではありませんから、それを論文にして学会で発表するといったことはしていませんが、研究成果は、自分のワークショップで公開しています。そういうスタンスであるなら、理解してくれる人は理解してくれると思います。おっしゃるように、大半の宗教というのは、人類にとって有害ですらあると思います。それは、組織であり、ビジネスであり、大衆を支配するための手段になっている部分がありますから。でも、だからといって、超越的なものや神秘的なものが、すべて洗脳であるとか、支配であるといったことではないですよね。現代の日本では廃れていますが、昔の日本人は、素朴な宗教心を大切にして、いろんな行事をしていました。それは組織やビジネスとは関係なくて、自分自身と超越的なものとの直接的な関係性から生まれるものでした。つまり、本当の意味での宗教心というのは、グループや組織が必要なものではなくて、自分と大いなるものとの直接的な繋がりなのです。これまでの時代には、それを仲介するような人が必要だったのかもしれませんが、これからの時代には、一人一人が、自分の内に存在する叡智にアクセスできるようになっていくと思います。そうなると宗教組織や、特別な能力を持ったリーダーも必要なくなるはずです。時代は、急速にそのような方向性に変化しているので、もう宗教もスピリチュアルビジネスも、時代遅れになっていくだろうと私は思っています。

    • ジャーニー『Faithfully』

      Shin:ジャーニーの『Faithfully』を紹介します。ゆう:この曲は、声量が必要だね。Shin:ロックバラードは、実力が必要だよ。特に日本人がこういう曲を歌う場合は、ものすごく難しい。ゆう:どうして?Shin:日本語は、声量があまり必要ないから、こういう発声が難しいんだよね。ゆう:あぁ、外国人って腹式呼吸でしゃべるよね。Shin:日本人も、和服を着ていた時代は、腹式呼吸をしていたんだけどね。ゆう:そうなの?Shin:和服は、お腹を膨らませていないと、ずれてしまうから。ゆう:じゃあ、和服を着て生活すると腹式呼吸になるの?Shin:和服を綺麗に着こなそうと思ったら、腹式呼吸が必要だよ。厳密に言えば、逆腹式呼吸なんだけどね。ゆう:じゃあ、和服を着て洋楽を歌えばいいね(泣)

    • バーチャルボイトレ塾89 歌詞の世界をステージの場所に結びつける

      ゆう:歌詞をイメージと結びつけるの?Shin:物語になっている歌詞の場合、時間の経過があるよね。その時間と空間を結びつけるんだよ。ゆう:時間と空間?Shin:たとえば、後ろから前に向かって時間が進むとする。前方が未来で、後ろが過去。ゆう:時間の軸みたいなもの?Shin:そう。そのときに歌詞1番を手前、2番を少し前方、3番をずっと向こうに配置する。ゆう:どういうこと?Shin:たとえば、布施明さんの『シクラメンのかほり』っていう曲があるんだけど、1番は、真綿色したシクラメンが出てくる。2番は、薄紅色のシクラメン。3番は、薄紫のシクラメン。この場合、目の前に、真綿色したシクラメンを置く。少し前方に、薄紅色のシクラメン。向こうに薄紫のシクラメンを置くんだよ。ゆう:置くというのは、イメージで置くということ?Shin:ステージの空間とイメージを融合させるんだよ。そして、歌いながら、1番の歌詞の世界に入る。次に、少し前方に進んで、2番の歌詞の世界に入る。さらに前方に進んで、3番の歌詞の世界に入る。ゆう:ステージで歩くの?Shin:少し歩いてもいいし、イメージの中で移動してもいい。ゆう:歌詞の世界に入るというのは?Shin:その空間に、歌詞の世界を作り上げておくんだよね。目の前の1番の空間には、真綿色したシクラメンと出会いの頃の君。前方の2番の空間には、薄紅色のシクラメンと恋する時の君。向こうの3番の空間には、薄紫のシクラメンと後ろ姿の君。ゆう:そういうイメージの空間を作るのかぁ?Shin:そういう風に前方に向かって歩いて行くと、歌詞を思い出せるからね。ゆう:ただ歌詞の世界をイメージするだけじゃなくて、ステージの場所に結びつけるのかぁ。続く

  • 18Oct
    • 経験は、優しさの母

      急に寒くなった。東京にいる頃、岡山は冬でも暖かいのかと聞かれるがよくあった。東日本では、西日本が一年中暖かいと思われているようだ。実際は、西日本でも冬は寒い。特に岡山は、冬の朝、放射冷却現象で氷点下になることもある。私が小学校時代を過ごした広島では、よく雪が降っていた。西日本に住む私たちは、東北や北海道は、夏でも涼しいと思い込んでいる。学生時代に夏の北海道に行った時、札幌の暑さに驚いた。札幌といえども、夏は暑い。同じ日本なのだから、それほど気候が違うわけではない。でも、このような思い込みはたくさんある。まだ、東京に行ったことがなかった高校生の頃、私は新宿や渋谷が怖い街だと思っていた。数年後に、私は渋谷の学生マンションに住んだが、真夜中のセンター街も平気で歩くようになった。実際に体験してみれば、思い込みと事実が違うことがわかる。私たちは、体験してみなければ、本当のことはわからない。きっと人生の苦しみや悲しみも、体験した人でなければわからないのだろう。病気の苦しみは、病になってみなければわからない。失業の苦しみは、職を失ってみなければわからない。詐欺にあった苦しみは、騙されてみなければわからない。体験しなければ、人の苦しみは決してわからない。わかったような気になるだけで、本当のことは絶対にわからないのだ。経験した時、私たちは、その苦しみが自分のこととしてわかる。わかるから、相手の苦しみに共感できる。共感できた時、人は自然に優しくなれる。きっと経験は、優しさの母だ。だから、どんな経験も、決して無駄にはならないと思う。苦しみを知るほどに、人は、どこまでも優しくなれるのだから。

    • 地球は牢獄で、そこから出さないようにするために、宇宙人が生まれ変わりの洗脳をして地球に戻す?

      生まれ変わりが洗脳だという本を読みました。 その本によると、地球は牢獄で、そこから出さないようにするために、宇宙人が生まれ変わりの洗脳をして、すぐに地球に戻すそうです。 その本を読んで、心底怖くなりました。 私たちは牢獄に閉じ込められているのでしょうか。 生まれ変わりは洗脳なのでしょうか?私は、その文献(『エイリアンインタビュー』だと思われる)も読んだことがありますし、最近の日本のスピリチュアル業界で、それを元ネタにしたであろう情報が広まっていることも知っています。でも、そういう本自体が、何らかの洗脳である可能性も考慮しなければなりません。洗脳だと主張すると、非常にセンセーショナルなので、理性的な判断を失ってしまいます。私自身も時々、洗脳という言葉を使うので、その言葉を使うときには、できるだけ慎重に扱うようにしています。一般的な社会問題に対して洗脳という言葉を使う場合は(たとえば、日本の教育は洗脳ではないかといったこと)、一般的によく使われる文脈なので、それほど問題はないと思います。でも、スピリチュアルやオカルトのように検証不可能な事象について、センセーショナルに恐怖心を煽って、それは洗脳だと主張するならば、そういう主張こそが、ある種の洗脳になりかねないということを知っておく必要があります。つまり、センセーショナルに恐怖心を煽るようなものは、それがどのような主張であっても、気をつけて取り扱う必要があるということです。その文献に関しては、そういう考え方も面白いと思いましたし、一理あると思える部分もありましたが、生まれ変わりが洗脳であると断言するに足るだけの証拠が示されておらず、単なるSF小説の域を出ません。私が疑問に思ったのは、もし優れた宇宙人文明が存在するとして、なぜそういう文明が宇宙戦争をしたり、地球を監獄として利用しなければならないのか、ということです。つまり、この物語の中では、宇宙人による監獄地球の支配システムとして輪廻転生があるといった考え方には一定の説得力がありますが、その物語自体が、信じるに足るだけの証拠を内容の中に示しているのかと言えば、そんな証拠は出てこないということです。ですから、結局は、信じるか信じないかといったことになって、科学的な判断の範囲を逸脱していることになります。そういうものとして読むのは楽しいですが、これが真実であると真に受けるのは、私は微妙だと思います。もちろん、これは様々なスピリチュアル、オカルト思想や陰謀論に共通する問題ですが。いずれにせよ、こういう文献を読むときには、小説として読むということが大切だと思います。

    • 悪行を重ねるとカルマになるという考え方は、不遇な人を傷つけるような考え方ではないでしょうか。

      カルマの法則についてお聞きします。 悪行を重ねると、それがカルマになって、来世で貧しい家に生まれたり、病気になったりするというのを聞いたのですが、そういう考え方は、不遇な人を傷つけるような考え方ではないでしょうか。 私は、そういう考え方に納得ができないです。 Shinさんは、そういう考え方を少し肯定しているように思えますが、この問題については、どのようにお考えですか?カルマの法則については、私もわからない部分があります。私の捉え方は、物理法則と同じように、エネルギーはバランスをとる、与えたものを受け取る、というものです。これを伝統的なカルマの法則として解釈すれば、悪行が自分に戻ってくる、ということなのかもしれません。でも、善悪という概念は人間社会が規定したものですから、人間の価値観が、宇宙の法則性に影響を与えるとは思えません。もし与えるとしたら、それは個々人の価値観が、自分の運命に影響を与えるといったことではないでしょうか。つまり、宇宙に善悪の基準があり宇宙法のようなもので裁かれるということではなく、私たち人間の価値判断や観念が、自分の運命に影響を与えているということです。ただ、だからといって、善悪の判断を捨てれば何をやっても許されるとか、そんなことはないと思います。なぜなら、私たちの価値観は集合意識を形成しているため、その集合意識が個々人の運命に影響を与えてしまうからです。自分だけが善悪の観念を捨てたとしても、人類がそういう観念に囚われている限り、その観念に基づいて何らかの反動が起こる可能性はあります。カルマの法則に、そのような人類の集合意識の観念も含まれるということならば、少なくともこれまでは、そういうカルマの法則が機能していたと捉えても間違いではないと思います。いずれにせよ、私の捉え方は、善悪や賞罰としてのカルマの法則ではなく、宇宙の基本的な法則性として、エネルギーがバランスする現象だと思っています。もう一つは、カルマのせいで不遇な運命になるのかという問題ですが、私は必ずしもそうだとは思っていません。そういう考え方は、やはり善悪や賞罰としての伝統的なカルマの法則の捉え方だからです。私は、成長のためにあえて試練を受け入れ、それを乗り越えようとする人々がいる、ということを実体験として知りました。それは、知的障がい児たちと、学生時代を含めて六年間交流して、彼らの本質的な清らかさに直接、触れたからです。彼らは、世間的に見れば不遇ですが、私が感じたのは、彼らは私たち以上に心が美しいということでした。もちろん、障がいが重い子の場合は、様々な苦労がありますが、多くの子は、素直で美しい心を持っています。彼らが、何らかのカルマによって、そのように生まれたとは私には思えません。むしろ、全く逆に、心が清らかであるがゆえに、より自分を成長させようとしたり、あるいは周囲の人々の学びのために、あえてハンディキャップを背負って生まれてきたのではないかと私は思いました。もし、そのようなケースが多いならば、カルマの法則を善悪や賞罰で捉えた場合、間違った思想になりかねません。不遇な人や不幸な人は、伝統的なカルマの法則で言えば、何か罪を犯した人ということになりますが、上記のようなケースで考えるなら、全く逆に、意識の高い人ということになるからです。そういうこともあって、私は伝統的なカルマの法則の捉え方に関しては否定的ですし、もっと抽象度の高い法則性が存在するのではないかと思っています。その法則性がエネルギーのバランスということですが、それと同時に、人間というものはハンディを背負ってでも自分を成長させようとする存在である、ということではないかと思うのです。貧しい家に生まれることも、病気になることも、その人が、その環境においてたくましく生きていくための修行であり、その修行に耐え得るだけの素質を持っているということになります。弱くて、未熟だからそうなるのではなく、全く逆に、強くて、成熟しているからこそ、そのような環境を自ら選ぶ場合もあるということです。全てがそうだとは言えませんが、そのようなケースも多いので、ケースバイケースで捉える必要があると思います。

    • バーチャルボイトレ塾88 記憶術は覚えるための技術ではない

      Shin:じゃあ、イメージトレーニングを踏まえて、具体的な歌詞の臨場感の作り方に進んでいくよ。ゆう:歌詞は、すぐに忘れてしまうんだよね。Shin:僕も、結構忘れたり、間違えたりしてたよ。でも、本当は、忘れるんじゃなくて、思い出せないだけなんだよね。ゆう:どういうこと?Shin:人間は、経験したことは忘れないんだよ。ゆう:僕は、どんどん忘れていくけどなぁ。Shin:顕在意識では忘れるんだよ。でも、潜在意識は、絶対に忘れない。思い出そうと思えば、思い出せる。ゆう:じゃあ、忘れたことでも、思い出せるの?Shin:思い出せるよ。思い出す練習をしないから、思い出せないだけだよ。ゆう:でも、覚えようと思ってがんばっても、なかなか覚えられないけどなぁ。Shin:いや、人間は全部覚えてしまうんだよ。ゆう:でも、思い出せないよ。Shin:覚えているけど、思い出せないだけ。覚えられないんじゃないんだよゆう:じゃあ、なんで思い出せないの?Shin:思い出す練習をしないからだよ。記憶に関しては、ほとんどの人が誤解してるんだよね。覚えようと努力するんじゃなくて、思い出そうと努力すればいい。ゆう:じゃあ、覚えようとしなくていいの?Shin:いいよ。全部、勝手に覚えるから。ゆう:ほんとかなぁ。じゃあ、どうやって思い出せばいいの?Shin:思い出す練習をする。ゆう:思い出そうとしても、思い出せないよ。Shin:もっと思い出そうと努力しないと。そうしていると、少しずつ思い出せるようになる。ゆう:それじゃあ、わからないよ。それに記憶術ってあるじゃん。あれは、覚えるためのものでしょ?Shin:記憶術は、覚えるための方法じゃないよ。ゆう:どういうこと?Shin:記憶術って言うから、覚えるための方法だと思うでしょ? でも、本当は、記憶術じゃなくて、想起術なんだよね。たとえば、覚えたいものを、部屋の中に置いてあるものに結びつけたり、通学路の景色に結びつけたりする。それらは、思い出すきっかけを与えているだけなんだよ。ゆう:覚えるための方法じゃないのかぁ。Shin:覚えようとしなくていい。そのかわり、思い出そうとしてね。ゆう:じゃあ、歌詞はどうやって覚えるの?Shin:歌詞も、思い出すきっかけを作ればいい。そのためにはイメージと結びつけるんだよ。それが記憶術でもあるんだよね。続く

  • 17Oct
    • あの世に戻ったときに、自覚がなくて相手を苦しめていたことも反省材料になるのでしょうか?

      私は、随分と苦しめられてきた人生だと思っています。 逆に、私が苦しめてきた人も随分といるのでしょうが‥。 質問ですが、本当にあの世に戻ったときに生きてきた人生を振り返ることがあったとして、自覚がなくて相手を苦しめていたことも反省材料になるのでしょうか? 自分の行為が邪なものかどうかを本人は自覚があるのか、ないのか、顕在意識で分かっているはずだと思うんですよね。 その時に、自覚があるかどうかを比べたときに、反省材料として違ったものになるのか?、お聞きしたいです。詳細は忘れたのですが、私が読んだ文献の事例で、自分がした悪事が、他の人の人生にどのように波及していったのかを見せられたというのがありました。たとえば、利己的な目的で爆弾を製造した科学者が、その爆弾によって傷つけられた人々の人生を如実に見せられたとか、そういう話だったと思います。その場合、生前は、そこまでの影響については無自覚だったわけですよね。つまり、生前から自覚している悪事については、生きている時に反省をしていたり、そのことに何らかの罪悪感を持っていたりするのですが、そうではない部分に関して、死後にそのことの自覚を促されるということではないでしょうか。ですから、生前に自覚していない悪事の方が、反省材料として取り上げられやすいのではないかと思います。もしそうであるならば、生きている時に自分の悪を自覚し、反省をしておくことには意味があると思います。サイコパスのように罪悪感を持たずに悪いことができる人たちは、死後に相当な反省を迫られるのかもしれません。こういう考え方は、善や悪、罪や罰といった二元的な考え方なので、近年流行しているスピリチュアル思想とは相容れないかもしれません。どちらかというと、伝統的な宗教的ドグマに近い部分があり、余計に人を洗脳するものだと捉える人々もいるでしょう。その点、私も、人に罪悪感を抱かせるような考え方は、問題があるのではないかと思います。ただ、だからといって、善も悪もない、反省する必要もない、といった極端な考え方になってしまうと、それはそれで利己的な方向に進んでしまいそうです。私自身は、あまり極端な方向に進みたくないので、物事をシンプルに捉えたいと思っています。死後に人生を振り返ることがあるならば、それは善悪や懲罰といったことではなく、単純に、自分がしたことが人にどのような影響を与えたのかを理解する、ということではないかと思います。それは、今の自分を知るということです。未熟であることが悪いのではなくて、未熟であるなら、未熟な部分を現実的に改善していく必要があります。そのためには、自分がした行為の影響をきちんと知らなければなりません。それはスポーツでも、楽器でも、勉強でも同じで、自分の苦手な部分を知って、傾向と対策を練ることと同じだと思います。それに、もしあの世があるなら、私たちは今の肉体をベースとした利己的な意識のままであの世に戻るのではなく、本来の肉体を超えた意識の状態に戻ると思いますから、恐怖や罪悪感といった低次な感情には囚われなくなり、もっと高い意識で自分の人生を振り返るはずです。その時には、過去生の情報も、本来の魂同士の繋がりも思い出しているでしょうから、全く違う視点から、今回の人生について振り返るのだと思います。たとえば、前世退行催眠の事例では、その人生で敵だった人が、実は魂の次元で親友で、自分の学びのために敵になってくれるようにその人にお願いしていたといった事例がよく出てくるのです。もしそういうことがあるなら、この世での敵とか争いといったことに、全く別の意味が存在することになります。こういう考え方は、この世での常識からはあまりにも逸脱しているので、安易に書くと誤解されます。ですから、ご興味のある方は、ご自分で前世退行催眠の文献などを調べてみてください。まだ、この世界には、わからないことがたくさんあります。今後も、探究を続けていきたいと思っています。

    • なぜかその猫が人間に生まれ変わったような気がしました。動物が人間に生まれ変わるようなことはある?

      生まれ変わりについて、ずっと疑問に思っていることがあります。 私は、ずっと可愛がっていた猫がいるのですが、その猫が亡くなってからしばらくして、なぜかその猫が人間に生まれ変わったような気がしました。 私は霊感などは全くないし、そんなことを考えたこともなかったので、自分でもなぜそう思ったのか不思議です。 動物が人間に生まれ変わるようなことはあるのでしょうか?こういう事柄については、知識というよりも、私の感覚を書くしかないので、オカルト話に抵抗がある方は、話半分に聞いてください。私が書くことは、正しいとか、真実だとか、そういうつもりで書いているわけではありません。私がそのように感じるということをそのまま書くことしかできないので、全くの妄想や嘘の可能性もあります。そういう前提で読んでいただきたいと思います。私が以前飼っていた犬は、確か数年後に、人間に生まれ変わったような気がしました。その時に私が感じたのは、人間に生まれ変わったけど、流産をしたということです。それは、人間としてのエネルギーにまだ慣れていなかったというのも大きな理由だったようです。でも、その後は、きっと人間として生まれ変わって、幸せに生活しているのではないかと思います。本当は、あの世に戻った時に犬と再会したかったのですが、生まれ変わったのなら、それはそれでいいと思っています。今の犬は、映像を見た時から(ブリーダーが動画をアップしていました)、今回の生で犬は卒業だと感じました。そこで名前も、それにちなんだ名前にしました。今の犬は、感情もほとんど人間のようで、生まれ変わったら人間になるだろうなと思います。本当に動物から人間に生まれ変わることがあるのか、と思われるかもしれません。でも、私の感覚では、そういうことはよくあるようです。人を見ると、この人は犬だったことがあるなとか、爬虫類系だったなとか、そういうことを感じることがあります。また、すぐ直前の人生が犬だったなと思える人もいて、そういう人は、やはりこの人間の文化に馴染むのに苦労しているようです。こんなことを書くと、世間一般の人からは頭がおかしいと思われかねないですが、そういう感覚があるので、正直に書いています。このようなことを感じる時にいつも私が思うのは、動物というのは、私たち人間が思っているほど未熟な存在ではないということです。人間と同じような感情を持ち、同じような内的体験をしています。人間と違うのは、人間のように言葉を使って思考をするような脳の構造ではないということです。でも、彼らは彼らなりのコミュニケーションの手段を持っていて、犬であれば匂いとか、イルカであれば超音波とか、それらを言葉のように使っています。人間は、動物が自分たち以下の存在であると思い込んでいますが、全くそういうことはありません。もちろん、魂の進化ということで言えば、動物から人間に進化するのがオーソドックスなプロセスだと思いますが、その垣根は、それほど高いものではないと思います。特に犬のように、人間と一緒に生活をしてきた動物の場合は、その傾向が強いと思います。また、人間から動物に戻るというパターンも、私が調べた文献には存在しました。ただ、私の感覚では、前世で人間だったと思えるような動物には出会ったことはありませんが。

    • 前世瞑想の本で、亡くなった後にあの世に戻って、その人生の振り返りをするらしいです。

      前世瞑想の本を読んでモヤモヤしていることがあります。 死んだ後にあの世に戻って、その人生の振り返りをするらしいです。 もしそんなことが本当にあるなら、私はものすごく恥ずかしくなりそうです。 本当にそういうことをするのでしょうか? もしそうなら、なぜそんなことをするのでしょうか? 作り話のように思えてしまいます。亡くなった後に、その人生の反省をするというのは、前世退行催眠を受けた人々に共通する記憶ですね。それが本当なのかどうかはわかりませんが、同じような記憶が出てくるということ自体は、興味深い現象だと思います。唯脳論では、臨死体験も文化的背景の影響を受ける(その人の知識が生み出した幻覚)と言っていますが、亡くなった後に人生を振り返るというのは、何らかの知識によって生み出された妄想だとは思えないです。多くの人が同じような記憶を持っているということは、そこに何らかの共通のメカニズムがあると考える方が合理的だと思います。もしこれが事実だとしたら(もちろん、それを肯定するには、生まれ変わりということを認める必要がありますが)、亡くなった後に人生を振り返って反省をするというのが、一連のカリキュラムとして組み込まれているということでしょう。つまり、この世での人生は、ある種の修行であり、その修行の成果を振り返る機会があるということになります。それは、スポーツや勉強の合宿の後に、コーチと一緒にその合宿の成果を振り返り、上達できた部分とできなかった部分を分析するのと同じです。人生を振り返るときに、世話人のような人がついて、一緒にそういう分析をするようです。その時に、その人生で人を傷つけたり、苦しめたりした場合、相手の気持ちが自分のことのように感じられるそうです。また、自分がした行為が、どのように相手の人生に波及したのかも、すべて見ることになるそうです。それによって、自分の行為を深く反省して、次の生まれ変わりの時に、どのような人生にするのかを計画するそうです。これらは、ある意味で肯定的なプロセスとして受け止められていますが、これを否定的に考えている人々もいるようです。世の中にはいろんな考え方があり、こういうプロセスも宇宙人による支配のプロセスであるとか、魂の次元の洗脳であるとか、そういう考え方もあるようです。いずれにせよ、まだわからないことが多いので、これ以上は私も何とも言えません。研究対象としては非常に興味深い分野ですが、人生の振り返りに関しては、十分に信じるに足る証拠があるというわけでないので、判断は保留にしています。なぜそのようなことをするのか、ということですが、成長ということを目指しているからだと思います。エネルギーの同調という法則からいえば、自分が成長すれば、それだけあの世の高い階層に住むことができるようになります。この世と違って、あの世はエネルギーの世界なので、同じような波長の人としか生活できません。成長したら、それだけ高い階層に進むことができるので、そのためにこの世で合宿をして、少しでも成長しようとしているのではないでしょうか。こういうこともオカルト話なので、真に受けないでほしいのですが、理論的にはそういうことになります。もちろん、この考え方自体の是非については、また別のレベルの問題です。このような考え方も、宇宙の捉え方の一つなので、別の捉え方も存在してしかるべきでしょう。成長と進化というのも、一つの次元での捉え方であり、別の次元から見れば、それ自体が幻想ということになります。

    • バーチャルボイトレ塾87 意識のコントロール

      Shin:イメージの臨場感を高める方法を一通り教えたけど、どうだった?ゆう:イメージはわかったんだけど、それをどうやって演技にしていくの?Shin:僕たちの会話は、アドリブで進行するよね。でも、演技の場合はセリフが決まっている。だから、セリフをアドリブのようにしゃべる必要があるよね。ゆう:そうだね、最初から言うことが決まっているから。Shin:そうすると、その言葉が生まれる前の感情を作る必要がある。たとえば、「幸せだなぁ」と脚本に書いてあったら、幸せな感情と感覚が先にあって、それが自然に言葉になるようにセリフを言わないといけない。ゆう:先に感情を作るのかぁ。Shin:その感情や感覚を作るのに、イメージの臨場感が必要なんだよね。逆に言えば、臨場感さえ高ければ、セリフのことはほとんど考えなくてもいいんだよ。こう言おうとか、ああ言おうとか考えると、素人の演技になってしまう。ゆう:歌の場合は?Shin:歌も同じだよ。歌は、一人芝居だからね。ゆう:でも、セリフの掛け合いはないよね。Shin:演技の場合は相手がいるから、その難しさはあるよね。あらかじめ相手のセリフがわかっているのに、まるで初めて聞いたかのように反応しないといけない。ゆう:わかっているのに、わかっていないようにしないといけないのかぁ。Shin:でも、歌でも同じ歌を何度も歌っていると、変に慣れてしまうんだよね。そういう慣れた歌って切迫感がないので、僕は好きじゃないけどね。ゆう:慣れた演歌歌手みたいな?Shin:美空ひばりさんみたいな一流の歌手は、何回歌っても、涙を流しながら歌うんだよね。その時、初めてその歌を歌うような感じなんだよ。そういう意識のコントロールが大切だと思う。続く