【書評】バーカー著『残酷すぎる成功法則』――「異常」であることは、なぜ人類を前進させるのか
(「Glenn Gould」Free)世の中には、「まとも」であることを過剰に求める空気があります。特に、日本社会には、この空気が蔓延しています。協調性があり、空気を読み、ルールを守り、周囲とうまくやれる人間が「正しい」とされる。しかし、人類の歴史を振り返ると、時代を変えてきた人々は、むしろ常識から逸脱した存在でした。エリック・バーカーの『残酷すぎる成功法則』は、私たちが信じ込まされてきた「成功の常識」を、心理学・行動科学・遺伝学・歴史研究などを通して容赦なく解体していきます。努力すれば報われる。性格の良い人が成功する。バランスの取れた人間が最強だ。社会性のある人ほど幸福になる。本書は、そのような耳障りの良い教訓を次々に覆していきます。そして読後に残るのは、「人間の才能とは、そもそも危険で偏ったものなのだ」という、ある種の冷徹な認識です。一 常識を逸脱した精神構造――天才グレン・グールドの「狂気と情熱」本書の象徴的存在として登場するのが、20世紀を代表する天才ピアニスト、グレン・グールドです。バッハ演奏において神格化されるほどの評価を受けた彼ですが、その私生活は、ほとんど「奇人」の領域にありました。 天才ピアニストのグレン・グールドは重度の心気症だった。いつも手袋をはめていて、カバンいっぱいに薬を詰めて持ち歩いていた。人前で演奏するのも、移動してホテルに泊まらなければならないコンサートツアーも大嫌い。だいたい三割の公演を取り止めにし、ときには、せっかく日程を組みなおした公演を再度キャンセルしたりする。現代の芸能界やクラシック界なら、SNSで炎上し、「社会性がない」「プロ失格だ」と徹底的に叩かれても不思議ではありません。彼は極度の寒がりで、真夏でもコートと手袋を手放さず、雑貨類をゴミ袋に入れて持ち歩いていました。その異様な姿ゆえに、フロリダではホームレスと間違えられたそうです。さらに、運転中には赤信号を平然と無視し、友人たちは助手席を「自殺席」と呼んで恐れていたという逸話まで残っています。演奏スタイルも、異様でした。極端な猫背で鍵盤に顔を近づけ、うなり声を漏らしながら弾く。生涯愛用した椅子は、父親が折り畳み椅子の脚を切って作った異様に低い特注品でした。軋む音が録音に入り込むほど老朽化しても、針金とテープで補修しながら使い続けました。普通に考えれば、「まともではない人」です。しかし、その異常性こそが、彼の圧倒的才能の源泉でもありました。グールドはレコーディングになると、一日16時間、週100時間近くをスタジオで過ごし、カレンダーの存在すら忘れて音楽に没頭したといいます。若い演奏家に助言を求められた際、彼はこう答えました。「演奏以外のすべてを諦めることだ」この言葉には、彼の精神構造のすべてが凝縮されています。グールドは30代前半で、コンサート活動から引退します。名声も、他者からの評価も、競争も、彼にとって重要ではなかったのです。彼が求めていたのはただ一つ、自分の理想とする音楽を、徹底的に追究することでした。ここで本書が示唆しているのは、非常に重要な事実です。「極端な才能」は、多くの場合、「極端な偏り」とセットである。つまり、社会性・協調性・バランス感覚といったものを完璧に備えたまま、人類史に残る創造性を発揮することは、極めて稀なのです。そしてもう一つ、見落としてはならない点があります。グールドは孤独な天才ではありましたが、完全な孤立状態ではありませんでした。彼の繊細で偏執的な性質を理解し、支え続けた両親という存在があったからこそ、彼は社会から完全に脱落せずに済んだのです。才能は、本人の能力だけでは開花しません。その異常性を許容し、支える「環境」が存在して初めて、歴史に残る偉業が生み出される。本書は、その残酷で現実的な側面を、静かに突きつけてきます。二 「悪い遺伝子」は存在しない――最先端科学が暴く「有望な怪物」の正体人間はつい、「良い性格」「悪い性格」、「良い遺伝子」「悪い遺伝子」という単純な分類をしたがります。しかし本書は、その発想そのものが間違っていると指摘します。たとえば、ADHD傾向や衝動性との関連が指摘される「DRD4-7R」という突然変異遺伝子があります。長年、この遺伝子は「問題を起こしやすい危険な遺伝子」と見なされてきました。ところが近年の研究では、まったく逆の結果が示されています。本書では、人間を「タンポポ」と「蘭」に例えています。タンポポはたくましい。どんな環境でもよく繁殖する。一方、蘭はきちんと管理してやらなければ枯れてしまうが、丁寧に世話をすれば見事な花が咲く。つまり、一部の人間は環境から極端な影響を受けやすいのです。劣悪な環境に置かれれば、うつ病、依存症、犯罪などに向かう可能性が高まる。しかし逆に、適切な環境を与えられれば、普通の人間をはるかに超える創造性や成果を発揮する。驚くべきことに、DRD4-7Rを持つ子どもは、良好な環境下では、通常の子ども以上に「他人に親切になる」という研究結果まで存在します。同じ遺伝子が、環境によって「破壊者」にも「貢献者」にもなる。つまり、絶対的な意味での「悪い遺伝子」など存在しないのです。この考え方は、肉体的才能にも当てはまります。本書で紹介されているのが、競泳選手の マイケル・フェルプス です。 フェルプスは肉体的に完璧だろうか? とんでもない。フェルプスはダンスがうまく踊れないし、走るのも苦手だ。早い話が陸上で動くようにできていない。彼の身体は、陸上では不格好でした。脚が短く、胴が長く、手足は異様に大きい。陸上競技なら欠点になる体型です。しかし「水の中」という環境に置かれた瞬間、その欠点は人類史上最強クラスの肉体へと変わりました。進化生物学では、こうした存在を「有望な怪物」と呼びます。標準から大きく逸脱しているがゆえに、特定の環境で爆発的な適応能力を発揮する存在です。この視点は、現代社会に対して極めて鋭い批判にもなっています。社会は「平均的で扱いやすい人間」を求めます。学校も会社も、多くの場合、「突出した個性」より「均質な安定性」を好みます。しかし、それによって切り捨てられるものがある。それが、人類を飛躍させる「極端な才能」です。本書では、イスラエル国防軍 が、自閉症スペクトラムを持つ人々を衛星画像分析部隊で重用した事例も紹介されています。一般社会では「適応困難」とされる特性が、特定の環境では、平均的人間を遥かに超える成果を生み出すのです。「変わり者」を排除することは、組織の平均値を上げるかもしれません。しかしそれは同時に、人類の未来を切り拓く可能性を、自ら切り捨てることでもあります。本書は、その残酷な矛盾を読者に突きつけています。三 秀才はシステムに従い、天才はシステムを破壊する――異端のリーダーたちの「光と影」学校で優秀な成績を収め、既存システムの中で高評価を受け続けてきた「秀才」は、社会で成功しやすい。これは事実です。しかし本書は、そこに非常に興味深い研究を提示します。ボストン・カレッジ の研究によれば、首席卒業生たちは、医師や弁護士として安定した成功を収める傾向が強い。一方で、「世界を変革するような存在」になるケースは、極めて少ないというのです。 「優等生たちは、先見の明をもってシステムを変革するというより、むしろシステム内に収まるタイプだ」この指摘は非常に痛烈です。秀才とは、既存ルールの中で最適化する能力に長けた人々です。しかし本当に新しいものは、多くの場合、ルールの外側からやってくるのです。本書では、ピクサー の事例も紹介されています。創造性の停滞に悩んでいたピクサーは、監督として ブラッド・バード を迎えます。彼が集めたのは、模範的な優等生ではありませんでした。組織内で浮き、扱いづらいとされ、アイデアを持て余していた「変人」たちです。しかし、その異端者集団が『Mr.インクレディブル』という大ヒット作品を生み出しました。創造性とは、多くの場合、「秩序」からではなく「摩擦」から生まれるのです。本書には、ある広告代理店CEOの印象的な言葉も引用されています。 「頭を冷蔵庫につっこんで、足先をバーナーにかざしていれば、平均体温は正常だ。私は、平均値にはいつも用心している」これは本質を突いた言葉だと思います。平均値は、安心感を与えます。しかし、歴史を前進させるのは、多くの場合「平均」ではありません。偏執性。強迫観念。衝動性。異様な執念。そうした「社会的不適合性」が、特定状況では巨大な推進力へと変わるのです。その典型として、本書は政治的リーダーにも言及します。エイブラハム・リンカーン や、第二次世界大戦期の ウィンストン・チャーチル は、平時なら「危険人物」と見なされてもおかしくないほど、偏執的で極端な人物でした。しかし、その異常な危機意識こそが、歴史的危機において巨大な力となったのです。ここで本書が強調するのは、「光が強ければ、影も濃くなる」という事実です。世界を変える異端者たちは、同時に破壊者でもあります。彼らの持つ「増強装置」は、世界を救うこともあれば、組織や国家を破滅へ導くこともある。つまり、天才性とは、本質的に危険物なのです。私たちはつい、「才能だけほしい」「狂気はいらない」と考えてしまいます。しかし本書は、それが不可能だと示唆します。極端な創造性と、極端な欠陥は、多くの場合、同じ精神構造から生まれている。光だけを取り出して、影だけ消すことはできないのです。終 天才とは「進化の危険な試み」である『残酷すぎる成功法則』は、単なる科学本ではありません。むしろこれは、「人間という存在の不均衡さ」を描いた本です。社会は安定を求めます。しかし、進化は逸脱からしか生まれない。平均的で穏当な人々が社会を維持し、一方で、危険で偏った少数者が時代を飛躍させる。本書を読むと、「社会不適合者」という言葉の見え方が大きく変わります。もちろん、だからといって破壊的行動や反社会性を無条件に肯定すべきではありません。しかし、少なくとも、人類の歴史において、突出した才能とは常に「危うさ」と隣り合わせだった。その事実だけは、直視しなければならないのでしょう。天才とは何か。それは善悪を超えた場所で、新しい可能性を世界にもたらす、「進化の危険な試み」なのかもしれません。残酷すぎる成功法則 文庫版Amazon(アマゾン)