
電車 と お月さま そして続報 / 西広島駅
昨日は 「 月の地球残照と木星 金星の共演 」をUPしましたが、今日の記事は「電車とお月さま」です。
広島電鉄 3900型 ぐりーんらいなー 3902号と、3700型 ぐりーんらいなー 3701号。
深夜の広電西広島駅で、お月さまと合わせてみました。
両方とも6番ホームに止まっているのですが、実は撮影日が異なります。
3902号は2025年8月7日の撮影で、満月の2日前であり、月齢としては″十三夜″を過ぎて少しずつ丸みを帯びていく、満月直前の大きなお月さま。
月齢は13.3 で、輝面比は95.8% なので、ほぼ十五夜でもありますが、どちらかと言えば 十三夜です。
厳密には前日が、月齢12.3 の十三夜でしたけど。
さて、3902号の冒頭と残りの2枚の間へ、2枚ほど別の写真をはめ込みましたが。
これは昨夜 = 5月22日 20:00の西の空です。
すっかり夜ですが広島は夏至前後では、山の稜線に残照がまだある時間帯です。
これから1ヶ月、梅雨へ入るまで、1年で1番長い日となる日々ですが、日出日没を考えたらその後1ヶ月も同様ながら。
だんだん日が短くなり始めるのと、梅雨で雲に覆われやすいことを考えると、やはり「夏至までの1ヶ月間が」と、言いたくなるところです。
と、話しは逸れましたが、昨日の記事の写真は19日だったので、3日後の夜のお月さま・木星・金星の並びとなります。
スマホでの撮影なので光が滲んで、月齢5.3ではあるものの、ずいぶんと丸いお月さまに見えます。
3つの星が一直線に並んで、見た目にはこちらの方がスッキリしていますが、あれは19日でないと″地球残照″が•••••••。
三脚に赤道儀というギミックを搭載しても、月面の地球の影の部分は、赤色偏向してしまいます。
地球残照は地球の海の色を反射しているので、薄い青色になります。
続いては3701号ですが、この3枚は昨年の10月 6日の お月さまです。
10月6日は旧暦の8月15日だったので、仲秋の名月の日でしたが、満月は翌7日でした。
残りの2枚ですが、お月さまクローズアップは、10月4日の月齢5月12.3の十三夜の写真と。
ラストは、10月7日「日の入り直後に昇る満月」、ハーベストムーン(ハンターズムーン)です。
昨年の10月は、4・6・7日と連続してお月さまを撮っていました。
月の地球残照と木星 金星の共演
5月19日の夕方です。
この月齢2.3のお月さまが、何か三日月なほど太くて驚きだったりします。
地球残照(地球照)で、本来は宇宙空間の暗闇に溶け込んでしまう月面が、キレイに撮れました。
地球照とは、細い月の欠けた部分が地球の明るさに照らされて、夜空に浮かび上がる現象です。
太陽の光が地球で反射し、その光がさらに月を照らすことで起こります
そう、太陽が地球を照らし、その反射した地球の光によって月を照らし、うっすらと光って見えている訳です。
地球では「月あかり」と呼ばれる明るい夜がありますが、お月さまでは「地球あかり」と呼ぶのでしょうか。
太陽・地球・月が一直線に並ぶ新月から三日月のころに起こる神秘的現象で、月から地球を見ると満月ならぬ「満地球」が明るく輝いています。
うっすらと見える場所は、実は地球の陰なのですが、地球の光を月面が再び反射していることで、地球の夜空にいる私たちの目に届きます。
日没から30分〜1時間後の、まだ空に夕焼けの「残照」が残っている薄明の時間帯がベストですが、写真だともう少し暗くても撮れます。
この空は、夕焼けは色褪せてしまった時間帯ですが、西の空がクリスタルチックな紺色の頃に撮っています。
もう少し早い時間帯だと、オレンジからレッドそしてパープルへのグラデーションと、月の地球照が非常に美しい風景となります。
もう少し早い時間帯だと、オレンジからレッドそしてパープルへのグラデーションと、月の地球照が非常に美しい風景となります。
が、とばりの降りつつある時間帯に撮ったのは、お月さまを中心に木星と金星のランデブーを、撮りたかったからなんですよ。
この3枚の1枚目ですが、西の空の″うさぎ″と″まこと″と″美奈子″の位置関係•••••••,いや、日本人ならちゃんとピンと来てよね(笑)
お月さまの左上が木星、直近の下いるのが金星です。
撮った順番で写真を貼っていないのですが、まぁ説明するのに都合の良い順番で貼っています。
地球からの距離がそれぞれちがうので、人間の目から見た星々の移動時間が、近い星が速く移動して、遠くの星はゆっくり移動して見えます。
またお月さまは地球を回っていますが、木星と金星は太陽を回っているので、撮っている間に星間の距離が変わって見えます。
木星との写真は1番早く撮った写真で、ちょっと水平ではないものの、お月さまとの距離がまだ近いです。
金星との写真は、あまり位置関係が変わらないように写っていますが、この直後、木星とお月さまを置き去りにします。
金星は地球より太陽に近いので、日没してわずかな時間差で、沈んでしまいます。
最後の2枚+1枚はオマケなのですが、夜景を入れてお月さまと金星を撮ったのですが、手ブレしてしまってちょっと残念。
な、ものの、画面1番下の、建物と建物の間の太い光の帯は、227系 RedWing だったりします。
ラストは設定ミスで、手持ちなのに2秒露光で、お月さまや木星と金星から、UFOが!みたいで貼ってみました。
翌日は三角形となる共演だったのですけれど、残念ながら広島は大雨となり、お月さまと2つの惑星が並ぶ壮観な夜空Part2は、見ることが叶いませんでした。
尚、この日の木星は-2等級、金星は-3.9等級という、非常識な(笑)明るさでした。
-追伸-
翌23日もお月さまネタで「電車とお月さまと続報」として、22日の月木金3連の写真をUPしました。
三原城址を新幹線コンコースから眺めてみた / 三原駅
去る5月13日、ハローキティ新幹線を撮るべく三原へ行ったことは、昨日の記事で記したところです。
繰り返しとなりますが、5月17日に500系 V2編成 ハローキティ新幹線はラストランを行い。
無事にその使命を果たし終えて、その人生を終えました。
当日は広島では、旧広島市民球場跡地にて、ランボルギーニ広島 特別展示会が行われていて。
革新と美学を纏うLamborghini Temerario をはじめ、厳選された特別車両を公開し、圧倒的な存在感と美しい造形美を堪能できたようです。
ラグジュアリーと革新が交差するランボルギーニスピリット•••••••,特別な一日を楽しんだ人々も多かったようです。
そんな広島市の玄関口″広島駅″をハローキティ新幹線が通過したのは、14:07着 → 14:08発でした。
また、ハローキティ新幹線のラストランの陰に隠れて、115系 A-12編成が下関へ向けて、廃車回送されました。
A-12編成は、岡山電車支所に所属する国鉄型 115系電車で、5月12日に岡山から広島へ回送され、テロ対策訓練に使用。
そして17日に解体のため、下関総合車両所幡生工場へ、廃車回送が行われました。
まぁ、17日は仕事だったので、ランボルギーニ展示会は行きたかったなぁ~と、それ故に廃車回送を目の前で見送れたなぁ~と。
冒頭からまず、記してみました。
ちなみにハローキティ新幹線の三原駅通過時刻は、上り新大阪行きが 09:04着 → 09:12発、下り博多行きが 13:34着 → 13:41発。
尚、こだま942号と949号はハローキティ新幹線引退後、5月19日~6月30日は8両編成(グリーン車指定席なし)で運転と記されていて。
18日は? 7月1日以降は? と、疑問ばかりとなっています。
では、本題の三原城ですが、三原駅博多寄りには″大嶋稲荷神社″の赤い連立鳥居が、山の中腹に見ることができます。
三原駅は全国で唯一 お城の中にある駅で、三原城は大島、小島を繋いで建てられた故に「浮城」との別名が授けられた「海上要塞」でした。
その大島 = 天主台の位置に建立されていた大島稲荷神社を、小早川隆景(こばやかわたかかげ)公は、お城の鎮守としました。
また、隆景公が豊臣秀吉(とよとみひでよし)公の″文禄 慶長の役″の折、九州の陣中にて毎日祈願していた厳島神社を。
終戦後に三原城中広間の庭に祀っていましたが、関ヶ原合戦後の福島正則(ふくしままさのり)公の統治時代に、この両社を併せて現在地へ遷移しました。
また、境内西隅には、城内の小島にあったものを同じようにここへ移された小島稲荷や、隆景公の崇拝していた久井稲荷も、ここに祀ってあります。
そして1番有名なのは、連立鳥居と階段そして太陽光により創出される、チェック柄 = 市松模様。
鬼滅の刃 聖地巡礼の1つとして、多くの観光客が訪れました。
そして新大阪寄りに見えるのは、曹洞宗の寺院で万年山 松寿寺の三重塔で、新幹線の車内からいつも気になっていました。
松寿寺は三原で1番古い寺院で、三原城築城以前の1365(貞治4)年に創立されました。
しかし福島氏改易後の、浅野氏統治時代の三原城主 浅野忠真(あさのただまさ)公の時、三原 浅野家の菩提寺として妙正寺が建立されることに伴い。
1669(寛文9)年に、来迎寺があったこの地に移されました。
来迎寺とは、主に阿弥陀如来をご本尊とする仏教寺院の名称で、宗派に関係なく全国に存在しています。
三原へも来迎寺はありましたが、1669(寛文9)年当時には、来迎寺は廃寺となったと考えられていて、その寺領へ松寿寺が移転し、現在に至っています。
境内には、画僧 雪舟(せっしゅう)氏によるキリシタン燈篭や、小説家 武者小路実篤(むしゃこうじさねあつ)氏の遺構などがあります。
ハローキティ新幹線が到着する前に、連立鳥居と三重塔は撮りましたが、新幹線ホームから見える天守台は到着してからの撮影です。
昨日とは違う位置からの撮影で、天守台の広さが分かるように撮りましたが、この天守台のためにスケルトン化されているのですから。
駅名標を入れてガラス越しにも撮った後は、上りホームの博多側から見える位置で、天守台を撮ります。
建物が残っていないので、奥に建つ穴吹マンションが、まるで天守のように見えますね(笑)
尚、下りホームからは、市街地のビル群の間から、かつての石垣やお堀の遺構を見ることができます。
今回は天守台へは行っていませんが、ホームから見える記念碑には、小早川隆景(こばやかわたかかげ)公と、天守台について彫られています。
小早川隆景は、兄の吉川元春とともに、甥の毛利輝元を助けて中国統一を完成させて、瀬戸内海の水軍を掌握していた。
隆景は、天正年間 毛利氏の広島築城と相前後して、沼田川河口の三原の小島をつないで城郭を築き、ここに移った。
三原城は海に向かって舟入りを開き、城郭 兼 軍港としての機能を備えた名城で、満潮時にはあたかも海に浮かんだように見えたので、「浮城」と呼ばれていた。
小早川氏の移封後も、福島氏、浅野氏の支城となっていたが、JR山陽本線および新幹線が本丸を貫き、今は天守台跡と それをめぐる濠および舟入櫓跡、中門跡などが残るのみである。
三原市教育委員会
明治政府が官営で開通させる計画だった線路を、そんなに長く待てるかっ!と、国を敵にして敷設工事の特許状を取得した山陽鉄道が。
一般の出資や投資を受けて糸崎まで開業にこぎ着けたものの、糸崎から広島への工事は勾配と予算と工期の三重苦でした。
その中で三原は、陸地である山側には駅を造るスペースはなく、三原城の一部を埋め立てて駅は造るしか、選択肢がありませんでした。
それでもまだ、線路が陸上を走っていた頃は、風光明媚さは残っていたのですけれど。
1894(明治27)年6月10日 三原駅開業、そして1975(昭和50)年3月10日 山陽新幹線 三原駅開業。
1989(平成1)年9月 山陽本線上り線 高架化完了、1989(平成2)年6月 下り線 高架化完了、1991(平成3)年7月 呉線の高架化完了。
こうして三原城は完全に破壊されましたが、三原市内の交通網は渋滞緩和など、線路によって分断されていた市街地も、統一した都市へと昇華しました。
しかし、城下町としてこれだけのポテンシャルを持っていながら、訪れる観光客は減少しており、駅や線路の高架化が必ずしも街の発展になるかどうか?の 、問題提起の街にもなりました。
そして芸備線に続き、呉線三原~広間の存廃も、JR西日本から″在り方の協議″を、提示される現代へと続きます。
鉄道だけが三原城を、失わせた訳ではありませんし、三原城の消失だけが、三原市の衰退の原因でもありません。
が、「暮らしやすさと街の魅力」の在り方は、三原市だけでなくもう1度考えなくてはならない、と、思わせる政策や利権が 全国にあるように感じます。
尚、三原城跡のプレートは新幹線コンコースから見られるのと、三原城関連の展示物も新幹線コンコース内にあります。
三原城天守台への入口は、三原駅1階の奥 突き当たりにあります。
観光快速 瀬戸内マリンビューが営業開始した時、初乗車で三原城の遺構を散策したのですけれど、当然ながらフィルムカメラでの撮影です。
それも良いのですけれど、また、今のカメラで三原市内を散策してみようかな?と思ってみたりしていて、今日の記事の補完はその時にでも•••••••,と言う宿題にしたいなと思っています。
旅に出るなら、どこへでもいいんだけれど。
昔の急行列車に、時折すごく乗りたくなります。
山陽本線を夜間に走っていた急行 雲仙 西海・阿蘇 くにさき とか、大阪からね急行 比叡にも乗ったことあって、これが1番懐かしく感じています。
名古屋で遊んで、夜に急行 ちくまへ乗り換えました。
もう40年くらい昔の思い出。
ブルトレもいい思い出なんですけど、たまには急行列車へ乗りたくなります。
最近ね、体調が芳しくなくて。
今日の記事もこんな夜になってしまったのも、昨日 仕事が終わってから、ずっと寝てたから。
三原でもウロウロしていないのは、ずっとベンチに座っていたからなんですよねぇ。
この後、元気になるのかなぁ?
と、健康について語って、ことばを並べてみました。
↓↓↓ブログ内リンク↓↓↓
⭐⭐⭐ 郷土史 日本史 私撰集 ⭐⭐⭐
新幹線 LXXVI 500系-35 / V2編成 ハローキティ新幹線
ハローキティ新幹線のラストラン。
とうとうこの日が、やって来てしまいました。
ピンク色の新幹線は、黄色くなくても幸せを連れて来る列車でした。
アメリカやヨーロッパでは、″一生に一度は乗るべき列車″として紹介され、インバウンドにも後押しされて。
「かわいい」が あふれて、世界中から多くの人が、見て、乗って、愛された車両でした。
デビュー以来 延べ約100万人が利用しました。
博多発 7:04 → 新大阪着 11:25 → 新大阪発 11:37 → 博多着 15:51。
昨日の写真は、昨年11月15日に徳山駅で撮影したハローキティ新幹線でした。
115系 瀬戸内色ラストランの帰りに、偶然に出会った500系 V2編成でした。
今日UPした写真は、去る5月13日に三原駅で撮影した、ハローキティ新幹線。
ラストランには訪れられないので、この日が最後に出会ったハローキティでした。
なぜ三原駅なのか?と問われれば、それは日本有数の城下町だから•••••••,なのですが。
まずは入線シーンですが、遠く山肌へ赤い鳥居の列が見える通り、大嶋稲荷神社を入れて撮りたかったのがあります。
手前にいる新幹線の大きさに比べて、遠くの連立鳥居は小さいので、ちょっと分かり辛いかもしれませんけど。
| ◀ 1号車 + 2号車 | |
| 2号車 + 3号車 ▶ | |
| ◀ 3号車 + 4号車 | |
| 4号車 + 5号車 ▶ | |
| ◀ 5号車 + 6号車 | |
| 6号車 + 7号車 ▶ | |
| ◀ 7号車 + 8号車 |
700系 E9編成 トニー トニー チョッパー号だったら、ピンク色同士の並びになってくれたんですけどね~。
さて、日本で1番お城が近い駅と言えば福山駅が有名で、新幹線ホームから天守閣が見えて、城壁も現存し、 大阪の聚楽第から移築した建物もあって。
その存在感は圧倒的で、「日本で1番お城が近い駅」の名に、恥じない風格がありますが。
お城の建築物が何も残っていない三原城は、あまり知られてはいませんが、日本で唯一、お城の中にある駅 = 三原駅だったりします。
もう少し、アピールしても良いように思いますが、新幹線ホームから城下町故の風景があって。
それを入れて、撮っておきたかったんですよねぇ。
そしてこの4枚ですが、2枚目の駅名標がある写真。
ホーム窓の外に見える欄干は、三原城天守台です。
何とかキレイに天守台も合わせて撮れたので、この日の天気に感謝です。
うまく撮れたら、今度は発車シーンを撮るために、新大阪側の駅端へ向かいますが、N700系の″さくら″が現れたので。
ここはやはり最後の記念に、しっかりと押さえておきたいところです。
500系と並ぶと、そのボディの四角さが際だって見える、ちょっと苦笑いたくなる写真となりました。
それでも500系のボディに、N700系の顔がはっきり写り込んでいて、嬉しい写真となりました。
三原城天守台を挟んで博多側に大嶋稲荷神社、そして新大阪側へは曹洞宗 松寿寺があって、室町時代の1365年創建と伝わります。
これもなかなか厳しい位置取りなんですけれど、三重塔を入れて無事に撮ることができました。
2枚目の三重塔の写真では、右端に小さく神明本殿も写ってくれた、奇跡の写真となりました。
狙っても撮れんですよねぇ(笑)
ちなみに三原では、神明市と呼ばれるダルマ市が2月6~8日に開催されますが、神明本殿は実は、伊勢神宮の分霊を祀るお社です。
室町時代末期、遠方にある伊勢神宮へなかなか参拝できない庶民のため、三原城下の入口に勧請されたのが始まりとされています。
ありがとうハローキティ新幹線
— yamako α® (@yamakox) May 12, 2026
2018 - 2026
運行開始翌日と運行終了の約1ヶ月前の姿を記録しました。車両の汚れは、トラブルが少なくほぼカレンダー通りに走り続けた証だと思います。残り5日間、最後まで安全な運行を願っています。
↑2018年7月1日撮影
↓2026年4月8日撮影 pic.twitter.com/nxq8OllePw
8年前、ハローキティ新幹線の初列車を撮りに東広島駅へ行き、折り返しは広島駅で撮りました。
強盗犯が警察から逃走するのに、新幹線の線路内へ逃げ込んで、ハローキティ新幹線は1時間の遅延となってしまいました。
デビューが2018(平成30)年ですから、もう8年も昔の思い出です(爆)↓↓↓↓↓
そしてこの日は記録的な大雨でもあり、土砂崩れによる倒竹が山陽本線の線路を塞いで•••••••,は、後日!
平成30年豪雨災害へとなりました。
デビューは波瀾万丈でしたが、ラストランは平穏無事に辿り着けますよう、心から願っています。
JR西日本の特設ホームページでは、8年間の歴史を振り返る写真が追加される予定で、約1年間公開されるそうです。
新幹線 LXXV 500系-34 / V2編成 ハローキティ新幹線
いよいよ明日に迫りました。
500系 V2編成 ハローキティ新幹線 の、ラストラン。
そして500系新幹線 V2編成の引退でもあります。
2018(平成30)年6月より山陽新幹線を走り続けてきたハローキティ新幹線は、昨年10月30日に今年春を目途に、運行終了をするとJR西日本より発表があり。
今年1月16日のプレスリリースにて、正式な引退日として2026(令和8)年5月17日の運転をもって、最終運行を迎えますとありました。
西日本エリアを駆け抜けた8年間は、関西と九州そして山陰と山陽の「地域をつないで結ぶ」というコンセプトを背負っていました。
地域と新幹線の魅力を発信しながら、運行を続けてきたハローキティ新幹線は、いよいよその役目を終えるべく、永遠の終着駅へと到着します。
ハローキティ新幹線は、この度のラストランに向けて、誰もが世界観に浸って楽しめる各種コンテンも展開してきました。
スペシャルサイトでは、フィナーレムービーや株式会社サンリオのハローキティからのメッセージなど、これまでの歩みを振り返るコンテンツを公開しています。
そうそう、1号車「ハロー!プラザ」で販売しているハローキティ新幹線グッズは、JR西日本エリアの一部駅ナカ店舗や、JR西日本公式オンラインショップ等でも購入可能です。
そうそう、1号車「ハロー!プラザ」で販売しているハローキティ新幹線グッズは、JR西日本エリアの一部駅ナカ店舗や、JR西日本公式オンラインショップ等でも購入可能です。
そしてかつての世界最速 500系新幹線も、もうずいぶんと出会い辛くなりました。
500系のぞみ として走っていた頃は、16両編成9本が運用に就いていましたが、ひかり・こだまの運用になった時。
W1編成は引退して、先頭車 521形が1両のみ、京都鉄道博物館へ収蔵されています。
現役として続投したのは、8両編成8本。
老朽化によりV5・V6編成の2本がドナーカーとなり、V3編成も鬼籍へと運用離脱し、現在は5本が就役中です•••••••,明日までは。
明日のこだま942号・949号の運用を以てV2編成が引退すると、残りはV4・V7・V8・V9編成。
4本の内、今年度中に2本が運用を終えて、残り2本も2027年度中の引退予定となっています。
完全引退までカウントダウン真っ只中の500系新幹線ですが、まずはV2編成 ハローキティ新幹線が鬼籍入りします。
日本で初めて 300km/hで営業運転を可能にし、ギネスブックにも登録されていた世界最速の電車。
500系に乗れるのも、あとわずかな期間です。
が、まずはハローキティ新幹線のラストランが、事故も故障もなく、無事に永遠の時間の彼方へと、走り抜けられますように。
さて•••••••。
最後に話題が逸れるのですけれど。
エヴァンゲリオン → ハローキティのV2編成。
ハローキティ → 灰原哀 → 毛利蘭 と、かなり強引なのですが。
山崎和佳奈さんが4月18日に、お亡くなりになっていたそうです。
名探偵コナン 原作連載1000話記念作品「紅の修学旅行」のイベントなので、2019( 平成31)年ですからもう7年前になりますが•••••••。
私はアニマックスで見たのですけれど、山口勝平さん(工藤新一)、松井菜桜子さん(鈴木園子)と山崎和佳奈さん(毛利蘭)が。
特別上映会で、舞台上で対談されていて、その時の姿が1番の記憶として、脳裏を駆け巡っています。
私もあなたの優しい声のファンの1人でした。
ご冥福をお祈り致します。
平家落人やら黒田官兵衛やら小早川隆景ですが、日本史のお話しではありません
最近、白菜にイメージが合わないデザインの箱を、よく見かけるのですけれど。
それ故に記憶に残る、当たりなイメージを創り出してるよなぁと、印象に深く刻まれてしまったりしています。
そうすると、この「白菜箱の武者騎馬図」は、誰? が、気になってきます(笑)
なぜ気になるのかと言えば、この白菜は、九州は福岡の第一農研と言う企業によるもので、場所的に平家の伝説と何か関係でも?と。
やはり日本史好きには、調べてみたくなる案件な訳です(笑)
まずは箱をグーグルレンズで検索してみましたがヒットしなくて、グーグルAIへ直球で聞いてみたところ。
福岡県の第一農研が扱う白菜のパッケージ(主に「白菜の詩」シリーズ)に描かれている武将は、黒田官兵衛(如水)です。
黒田藩(福岡)にゆかりのある戦国武将として、福岡県産白菜のシンボルマークとして採用されています。
お? 断言したね。
しかし普通なら「あぁ、そうかぁ。黒田官兵衛なんだぁ~」と、終わるところですが、どうしても譲れない箇所が(爆)
兜のデザインが、黒田官兵衛(くろだかんべえ)公のものではなく、明らかに平安時代の武家の台頭の頃のものなので。
これはAIのヤツ、テキトーに答えたなと思い、うきは市の平家落武者伝説を調べてみました。
福岡県うきは市には、1185年の″壇ノ浦の戦い″で敗れた、平家の落人が隠れ住んだとされる伝説が散見しました。、
特に浮羽町妹川地区周辺が中心のようで、″調音の滝(ちょうおんのたき)″の南側にある山は″平家ヶ城(へいけがじょう)″と呼ばれていたり。
浮羽町原口には、(安徳天皇の)御座所と呼ばれる場所があったり、うきは市妹川の元有付近には、平家の落人が隠れ住んだという平家落人伝承がありと。
やはり平家伝説の方が、有力に感じます。
私の所へも送られてきていたりして、無視していたのですけれど、最近は表示が消えましたね。
一段落したのでしょうけれど、同じ頃にアメブロの表示広告で、アダルトグッズが表示されていました。
男性が寂しい夜に1人で遊ぶモノのようですが、この広告が表示されるとポップアップで、指を代役にした実演動画が流れるんですよね(驚)
GDN とか YDA などのシステムを活用して、クッキーや広告識別子を利用しデータを収集・分析し、ユーザーにとって関連性の高い広告を自動的に表示しています•••••••,と、一般的にはそうなんでしょうけれど。
若い人ならいざ知らず、アダルトグッズやアダルトサイトなんか、訪れないよ私は。
ポップアップでもなく、インタースティシャルでもなく、オーバーレイでもなく、埋め込み広告に「こりゃアメブロ終わったな」と思っていたのですけど。
さて通販広告が出れば、配送業者もあるわけなんですが。
もう1ヶ月以上前のネタなんですけれど、ネット通販で有名な口腔ケア薬″ゴッソトリノ″ですが、実は私も愛用者です。
これを定期購入しているのですけれど、仕事の都合で受け取れないこともあり、再配達をギリギリで依頼することもある訳で。
再配達の日に時間になっても持って来ないなぁと思い、宅配会社のサイトへアクセスしてみたら、前日に返品済みだと表示されて。
ちょっとカチンっと、なってしまったことがありました••••••••,意味分かんないですよね。
あぁそうそう、5月13日に三原へ行ったので、帰りに″三原プリン″と″八天堂とろけるプリン″を、買って帰ったんですよ。
三原城と言えば小早川隆景(こばやかわたかかげ)公、そして春日局(かすがのつぼね)の縁りの地ですよね。
と、今日はいろいろ言いたいだけ言い放っただけのブログでした~。
雨の白糸滝 / 宮島 弥山参道
ゴールデンウイークも終わり、やっと5月らしい天気が訪れました。
5月3・4・5日は、当初は5日のみ雨が降らないとの予報でしたが、4日も曇天ながら雨は降らずで。
フラワーフェスティバル 2026も、初日のみ雨天パレードとなったものの、無事に開催も終えることができたようです。
しかし日中は早速、27℃とか気温が上がるのに反して、朝の気温は風邪を引く人を多発させる寒さです。
クーラーはまだ早いものの、扇風機とストーブの両方を併用している家も、多いようです。
私はさすがに暖房は入れていませんが、それでも納めずにスタンバイ状態。
睡眠時は、電気毛布を使っています。
今年は昨年・一昨年ほどの気温まで上昇しないとの予想が出ていますが、それは酷暑になる日数が少なくなると言うことで。
猛暑日は訪れる夏になることは間違いないものの、今のこの激しい寒暖差はどうにかならないものかと、うんざりです。
陽が沈むと一気に気温が下がるので、夕方から夜にかけては、とても過ごしやすいのですけれど。
それでもインナーに長袖を用意して、持ち歩くのはねぇ•••••••,そろそろ面倒くさいかも(困)
と、言う気候ですが、4月末まで吹き荒れていた北風も収まり、日中は5月らしい空模様と気温。
雨の多かった4月の広島でしたが、その分、宮島の白糸滝の水量も増えていて、白糸ではなくなかなかな滝と化していました。
今の季節にちょうど好いかなぁと、写真をUPしてみます。
昔はホタルの名所でもあったのですけれど、実はこの川は数年前に、土砂災害を発生させていて。
河川の復旧は完了したものの、ホタルは姿を消してしまった、とても残念な現状です。
いつか再び、ホタルの川に戻れるのか。
期待は薄いものの、大自然の奇跡的な底力を、信じてみたい気もします。
写真は、撮った時間は午後3時半頃なのですが、実はとっても暗い日だったんですよねぇ。
まだ3時半だと言うのにねぇ。
なので標準感度でスローシャッター、高感度で高速シャッターで、撮っています。
水の形を切り取るのが面白くて、高速シャッターで、たくさん撮りたかった気もするのですけれど。
それでは情景的に、楽しくなくなってしまうので。
やはりスロー気味な写真を、多く撮ってしまったのですが。
ちょっと調子に乗って、スロー過ぎて手ブレがあったりしていますが、そこはご愛嬌と言うことにしておいてくださいな。
鹿さんも寄って来るし(笑)
でもね、カメラを向けると、怪訝そうな顔をして、逃げるんですよ。
困ったヤツ(爆)
ちょっと原点回帰しないと、ダメだよなぁと思ったりして。
とは言え、ネタに追われるブログでもあるので、どこまで原点回帰ができるのか?
って、ブログのタイトルは「安芸もみじ」ですからねぇ。
何かいつかどこからか、叱られそうな気がして•••••••,「使うなっ!」てさぁ(爆)
6月になると、始まるしねぇ。
まずは沖縄から。
今年はどんな夏になるのでしょうか。
Sightseeing Express はなあかり / 古江 哲学堂前にて
6月まで広島で運用を続ける、観光特急はなあかりです。
ゴールデンウイークへ入る前の、4月12日に撮影しました。
場所は小新開踏切と草津踏切の中間地点、古江 哲学堂の前にてです。
この場所は、明治時代に山陽本線(山陽鉄道)が開業した時、私の立っている位置は海だった所です。
線路と道路の間には水路があって、線路側の壁面は石垣造りとなっていて、かつては堤防だった遺構です。
と言うことで、小新開踏切は その後 並走する広電宮島線の敷設工事や、古江新町埋め立ての際に、新しくできた踏切です。
もう遠い100年以上前のお話しです。
尚、草津踏切はかつての西国街道ですが、そもそもは広島城と草津城そして草津八幡宮を、結ぶための道でした。
今は住宅地の真ん中へ鎮座する住吉神社ですが、かつては海へ突き出した海岸線へ神社は建立されていて、道はそこで行き止まりだったようです。
別れの茶屋の記事で記した通り、西国街道は己斐峠を経由していたものの、江戸時代に戦争が起こらなくなると。
廃城となっていた草津城の西側を経由する道が整備され、峠越えのルートから海岸線ルートへと、人の流れは移り変わりました。
そうすると後に小新開踏切が設置される山の手への道は、新たな使命を帯びて海岸線ルートから旧街道を結び。
歴史的に石内街道と呼ばれて、石内から湯来を結び、津和野や出雲を結ぶ陰陽連絡道となり、雲芸街道の代替路・脇街道として機能しました。
今はもう、坂を登って行っても沼田や石内へ道は繋がってはいますが、西広島バイパスの建設時に、全て破壊されて再整備されています。
とりとめもなく大きくなってしまいました。
山陽本線はこの先、西国街道そして旧山陽道と並走して、下関まで繋がりますが、歴史好きな人にはお分かりの通り。
一部は西国街道や旧山陽道とは、別ルートで建設されています。
と言うことで、はなあかりは何故かゴールデンウイークには運休されていましたが、昨日から運転再開となっています。
6月末まで毎週土日曜に運転されますが、5月31日と6月6日は、運休となっています。
日中は暑いのに、朝晩は寒い5月ですが、みなさんにおかれましては、風邪など引かないよう、お互いに気をつけて参りましょう。
↓↓はなあかり:JRおでかけネット↓↓
広電イベント【ろめんてん】/ 広島電鉄本社1階
先日、ジ アウトレット広島で1日だけ催された、広電公式イベント
「
DENフェス
」の写真をUPしましたが。
今日の写真は、広電本社で開催されている「ろめんてん」の様子です。
「いつものひろでんを ちょっと覗いてみよう」のコンセプトで、広電本社1階の2スペースと、その導線の廊下を使って開催されました。
開催期間はゴールデンウイークを跨ぐ4月24日から、5月10日までの17日間。
この記事を公開した9日時点では、今日と明日の2日間、まだ開催期間中となっています。
-広電公式から引用-
様々な人の支えで広島のまちを100年以上走り続けている「路面電車(=ひろでん)」。
路面電車は、単なる移動手段を超えて、人と人、人とまち、まちとまちを繋ぎ、日々の暮らしの中に、小さな循環を生み出す「動く風景」でもあります。
「ろめんてん」は、路面電車のこと、道具のこと、人のことを切り口に、ひろでんのことをもう少し覗いてみる展示と体験の場です。
ほんの少しでも深く知ることで、「ひろでん」の見方が少し変わるのでは、そんな想いで開催します。
近年では、こうしたイベントは企業イメージの向上や、企業と利用者・消費者との距離感を縮めたり。
企業の信頼・信用を深めたりと、かなり効果的な施策として盛んに行われています。
広島電鉄でも、「鉄道の日」「バスの日」「路面電車の日」「ひろでんの日」と、いろんな企画を開催していますが。
そういった記念日以外でも、大型連休に合わせての施策は、観光客誘致など都市全体の活気と経済に、多大な恩恵を与えると思います。
全国企業のJRは、やみくもに高額有料化を実施していますが、現実的にはそれぐらいの予算が、余分に必要なのがイベント施策です。
地域密着な地元企業による、こうしたイベントは、やはりその街のシンボルであり得るので、これからも地域還元に期待していたいと感じます。
さて、″ろめんてん″なることばですが、これは路面電車展の意をワンフレーズにした、とても使いやすい名前です。
そして元々は日本語として″ろめんてん(路面店)″とは、1階で道路に面した建物にある店舗のこと。
気軽にサクっと入れる安心感を、敷居の高そうな広電本社ビルの玄関で、社員さんたちが気さくに接して雰囲気を作ってくれていました。
中へ入ると、広電電車の少し大きな模型たちが出迎えてくれて、その奥には広島駅開業の時に。
ホームへ展示されていたジオラマが、鎮座していました。
何より1番目立つのは、中央へ置かれた″猿猴橋町″の駅名標あんどんで、広電最後のあんどん式 駅名標でした。

そして1番大きな展示物は、駅前大橋線の建設に使われた、盛土用EPS(発泡スチロール)で、工法説明の写真パネルと合わせての展示でした。
新しく開業した循環線の電停ホームへ使われている、イラストタイルの展示の他、やはり目を見張ったのは歴史的資料。
吉田初三郎路線案内図
1928(昭和3)年に発行した路線沿線の案内図(複製)です。
右側には富士山や東京、左側には九州の門司や朝鮮の蓋山まで描かれています。
イラストを作成した吉田初三郎氏は日本全国でこのような観光案内図を制作しましたが、その壮大な構図は今でも多くの人に愛されています。
開業当初の特許状(複製)です。
1910(明治43)年2月7日、広島電気軌道株式会社発起人、大林芳五郎 (大林組創業者)以下31名に対し最初の「特許状」が交付され、 同じ年の6月18日に広島電気軌道株式会社が設立されました。
同年12月7日に広島電気軌道株式会社に対して改めて「特許状」が交付され、工事が進み1912(大正1)年11月23日、広島に路面電車が開業しました。
広島の路面電車の原点とも言うべき貴重な資料です。
銘板やヘッドマークなども展示を楽しみ、通路へ出ると循環線の全電停名が描かれていて、訪れた人がそれぞれの街に、思い出を貼るコーナーとなっていて。
経路の矢印に沿って歩くと、最後のイベントルームへと辿り着きます。
ここは触ってみようのコーナーと、お土産として広電グッズの売場コーナーになっていて、降車合図のブザーや、トロリー(架線)を触れる体験物ありました。
100型など古い電車の発車合図も、チンチン電車の名前の由来ですが、鳴らす体験もできました。
ここまでくると、車掌台の発車ブザーや、かつての中扉車掌台の鐘も、体験できたら嬉しかったかも(笑)
展示室1には、旧型電車のマスコン体験(実際に走る疑似体験)も、あっただけに残念なんですよねぇ。
あぁ、記念切手の図柄には、大して撮影の名所でもないのに、私の家の近所で撮影された″レッドウイング 5101号″もありました。
私が撮った写真が使われているのかと、一瞬 思った(笑)
さて、広島の電車・バスでは、今年7月1日から″WAON″での乗車が可能になるほか、ICOCA等の交通系ICカードの利用方法が変わります。
WAONと交通系ICカード変更後の使い方は、既に定着している″MOBIRY DAYSリーダ″に、乗車時と降車時の2回タッチになるそうです。
この変更によって、交通系ICカードとWAONを利用する場合も、電車では全ての扉から乗り降りできるようになるほか、バスでは乗車時に整理券を取る必要がなくなるとのこと。
対応する交通系ICカードは、ICOCA、Kitaca、PASMO、Suica、manaca、TOICA、はやかけん、nimoca、SUGOCA。
PiTaPa は非対応なので注意が必要です。
そして″WAON″ですが、広島電鉄の電車・バス、備北交通、芸陽バスなど、20事業者の″MOBIRY DAYS″対応路線で利用可能。
尚、一部対象外路線があるほか、広島バス、広島交通、JRバス中国、宮島松大汽船、JR西日本宮島フェリーは対応する予定は無いようです。
ところで アイスクリームと言えば、宮島口の″もみまんソフト″ですよねぇ。
チビたん とか コナモン とか お母さんはなかなかできない件
「ズズンドシャ ゴチャバンバン サインはHで よこしてチョーさん 待ってたホイホイ」
写した写真データを見ていると、たまに「コレって何を撮ったんだ?」みたいな、不思議写真が混ざっています。
それは手ブレだけの被写体不明な写真だったり、少し鳥肌が立つ怪奇的な写真だったりと、さまざまですが。
今日の冒頭の写真もソレ。
スマホでの写真なのですが、これだけ天気が好いのに、どこにもピントが合っていない(笑)
しかもネコはフレームアウト(爆)
画面のどこかに心霊的な何かが写っている訳でもなく、ある意味これも、怪奇的写真だと呼びたかったりします。
色補正などもしていないのですが、こういうのって、いずれ無くなるらしいですよね。
昨今のトレンドでは、プラスチック使用削減のため、このタイプから平らなカードに商品画像が、印刷されたものへ移行が進んでいます。
飲料系の自販機ではまだ少数比率ですが、タバコの自販機ではカードタイプを、見かけることが増えました。
さて、ネコ•••••••,チビたんですが。
冒頭の意味不明写真は、この後に写っていたコマで、多分シャッターに指が触れて、勝手に写った写真だと思われます。
まぁ、ピントが甘くて、目から上だけでも、いろいろ情景が連想されて、かわいいんですけどね~。
閃光や大きな音が嫌いなネコは、雷が鳴ってもパニックになることがあるほど。
昔、ユーゴスラビアの内戦後の、ネコの写真集を見たことがありますが、かつて湾岸戦争時のイラクや。
今のイランやウクライナでの、ネコの居場所がどこにも無い現状で、どう暮らしているのでしょう。
爆発や爆撃だけでなく、恐怖やストレスで亡くなるネコも、かなりいるんだろうなと思います。
もちろん、人間も兵器の前では無力で、日々の安寧に身も心も包まれたいと、疲弊した心身で切望していることでしょう。
天気の好い空の下で、マイペースに過ごすネコを見て、平和な時間を過ごせることに感謝です。
昔、ALSOKのCMで1号から歴代の仮面ライダーが登場していましたが、オリンピック選手の吉田沙保里さんの目から、ビームが出るCMも思い出しました。
私が小学校 の頃まで、パッチもんと呼ばれる″モドキヒーロー″も何か大勢いて、戦後文化の一端だったようです。
仮面ライダー•••••••,に見えるが似て非なる者、月光仮面に見えるが似て非なる者、ウルトラマンに見えるが(笑)
と言うことで、まだ桜が咲いていた1ヶ月前の雨の日に、チビたんがゴロゴロしている駐車場で、こんな車が止まっていました。
これはパッチもんではなく、オリジナルキャラクターですよね。
その下は、ネットで見つけた拾い画像と呼ばれるものなんですが、きっとお父さんはグラントリノみたいなのかなと。
お母さんは、オールマイトみたいに、既に出枯らしいなのか?と、ちょっと心配になってきます(爆)
いや•••••••,質問の意味が分からんけぇ。
コナモンとコナンモンでボケよぉかぁ思ぉとったが、いやいやいやいや、はぁどーなっとんかいね。
パンダに「笹が好き」ゆぅて聞くんかいね?
ガソリン車へ「軽油満タンする?」言うんかいね?
しかもお好み焼き好き?ぃて聞いといて、絵はたこ焼きじゃし。
参ったのこりゃ、はぁヨイヨイじゃわ。
と言うことで、コナンくんの誕生日は5月4日でしたので、こんな感じにブログスタンプのコメントを、仕上げてみました~(笑)
あぁそうそう、コナモンの日んブログスタンプも、今日じゃのぅて昨日じゃったんよの~(爆)









































































































