梅雨が明けると夏なので!
何かね、日付と言うか曜日というか、1日ずれてるのよ。
いや、これはアメブロがではなく、私の問題なんですが、「115系 D-26 D-27 / 山陽線で帰路 -①」は21日の金曜日、「285系 サンライズ瀬戸 出雲 / 岡山駅にて」が22日の土曜日で、昨日はEF66とDE10の記事をUPするはずだったんですが!
昨日ね、サンライズの記事を下書きから投稿予約へ切り替えようとしたら、日付が1日違うことに気づいて。
「はぁ? 何が今日は日曜日なん?」
と、意味不明な状況に陥ったものの、何か昔ながらの″キツネにつままれた″気分でした。
梅雨入りしたと言うことで、一昨日から雨が土砂降りで続いていたし、霧の異世界•••••••と言うか、雨の異次元へでも迷い込んでいたのかも知れません。
例年だと広島では、梅雨入りした時は小雨が降って、あとはどこが梅雨なん?みたいな天気が続き、梅雨明け頃に豪雨となって災害が発生する。みたいな流れなんですが。
まぁまぁよぅ降りましたわ(驚)
今年はやっぱり雨に祟られる年なのかも知れませんが、皆さんも災害対策そして事前準備は怠らないよう、お気をつけ下さいませ。
と言うことで、今さら金曜日に新記事を差し込んでも仕方ないので、7月の初旬へ先送りとしますかねぇ~。
6月は1記事少なくなるけど。
しばらく各記事の整理や再編は怠っていたのですが、自分の残りの人生を考えた時、突然死を迎えたとして••••••••。
心残りなのは、未整理状態の「平和記念日と終戦記念日」のシリーズとなるので、とりあえずここに手をつけてしまおうと思い立ちました。
まずは2000(平成12)年~2002(平成14)年の関連記事を、旧ジオシティーズからの移設、そして魔法のiらんどからの移設を未完としていた2003(平成15)~2006(平成18)年を、先々週に完了させました。
で、先週は下書き放置となっていた2007(平成19)年と2008(平成20)年の広島平和宣言を、公開化のための再編集を施して、公開記事にしました。
この下書き放置は2011(平成23)年まであるので、順に公開化して行くのと、2012(平成24)~2015(平成27)年はブログ更新そのものをやめていたので、そこは記事がありません。
それをあったかのように記事を作成することはしませんが、この4年分の広島平和宣言は、2016(平成28)年以降の記事に追記としようかな?とか考えています。
もう古いお付き合いをして頂いている方々はご承知でしょうが、反戦・反核は私のアイデンティティであり、このブログのメインテーマです。
でも近年は反戦ではなくなって、ロシアがウクライナへ侵攻した頃から、戦争反対とは言わず侵略反対と言うことばを使うようになりました。
冷静に考えれば日本は戦争放棄をしたものの、その過去を鑑みて過ちを繰り返さないのであれば、ふさわしいのはやはり″侵略反対″だと感じます。
と言うことで、「平和記念日と終戦記念日」の関連記事は、今年の8月6日までにもう少し完成度を上げて、整理完了にしようと思います。
ああ、今更なんですけれど、あらためて説明しなくても、もう皆さんはご存知だろうと思われますが•••••••。
関連記事の中にある「平和記念日と終戦記念日」のリンクカードをクリックするか、2023(令和5)年8月1日以降の全ての記事に貼ってある、シリーズピックアップの1つ「平和記念日と終戦記念日」のリボンをクリックして頂くと!
2000(平成12)年からの全記事一覧が表示されます。
って、まだ作業途中な物もあるのは前述の通りなんですけれどね(笑)
ー平和記念日と終戦記念日関係記事一覧ー
↑リンクカード↑
↓バナーリボン↓
でもあんなに古い記事でも更新したら、直ぐに反応して いいね! を付けて頂いた方々には、あのレスポンスの早さには頭が下がるばかりです。
そういう応答をして頂くと、古い記事でもちゃんとやろうと気合いも入りますし、今年の記事もちゃんとやりたいと気が引き締まるところです。
本当に心から感謝いたします──ありがとうございます。
と言うことで、仕事の方はいよいよ任務完了まで、今日と27日の木曜日の2回のみとなりました。
立つ鳥 跡を濁さずといいますか、ちゃんと有終の美を飾れるように頑張りますよ。
請負業務はこの最終日を迎えることこそが、その全ての完遂であり達成感であります。
異星人ではなく宇宙人ですよね。
地球外生命体は確率論で100%存在するでしょうし、その中には高等生物もいるだろうから、異星人も可能性としてはアリなんですが。
宇宙空間を星間航行しているほどの、高等生物ってコトですよね、宇宙人👽ってコトは。
客観的に考えると存在する可能性は0%じゃない••••••••となるところですが、何だろう。
ウルトラセブンのダークゾーンみたいな宇宙人、いて欲しいと心から思います。
285系 サンライズ瀬戸 出雲 / 岡山駅にて
381系 定期運用ラストラン の記事で、冒頭に貼って「うーん••••••••何だ この発車標の表示は。。。」と言った写真です。
撮った角度の問題で反射が強くて見え辛いのですが、特急やくも1号が7時5分の発車、その次が6時34分発の特急サンライズ出雲となっています。
のぞみ74号が岡山駅に到着したのは6時41分で、新幹線から在来線へ乗り換える改札口に設置されている発車標。
まだ朝4時半にムリヤリ起きた頭が、寝起きのボーとした感覚から脱却しきれていない、新幹線の下車タイム。
しばらくしてから、あぁ、遅れてるんかぁ~と気づくありさまです。
正規の改札口での案内表示によれば、おおよそ35分の遅れのようです。
特急やくも1号より、やや遅い発着となるようですが、まぁどちらも伯備線を走るのですから、やくもを追従しての時間で行くのでしょう。
ちなみにサンライズは東京駅から岡山駅まで、出雲と瀬戸の併結でやって来ます。
この岡山で分割してサンライズ瀬戸が四国へ、サンライズ出雲が山陰へ向けて、それぞれ走って行くのですけれど、瀬戸大橋線の発車標には特急サンライズ瀬戸の表示は案内されていませんでした。
なので、発車標は全て伯備線の特急サンライズ出雲なのですが、発着番線の8番ホームも表示は、特急サンライズ出雲となっています。
特急サンライズ瀬戸は高松駅までの運転で、すぐ後ろを着発で続行する特急しおかぜに、松山方面までの切符を持っている人は、ここでお乗り換え下さいと案内放送が流れていて。
同一対面ホームには8000系電車 特急しおかぜが、続行運転のためにスタンバっていて、ホームの案内放送もサンライズ瀬戸が発車次第で、特急しおかぜも発車しますと。
なので、サンライズ瀬戸は終着まであと一息の駅が岡山駅な訳で、ここから更に出雲市までの3時間半の旅路があるサンライズ出雲とは、利用状況が異なることからこのような案内表示になるのかな?と思われます。
確かにこの日も、岡山駅から特サンライズ出雲に乗車するお客さんもおられたのですが、 サンライズ瀬戸は高松駅まで乗り通す人。
それに加えて高松から先の四国の各都市へ向かう人、岡山駅で新幹線に乗り換えて広島・山口・九州へ向かう人など、多種多様な人の利用となっているようです。
さて、私はと言うと、まぁ本来なら解結シーンを撮るのがセオリーなのかも知れませんが、何せ定期運用ラストランの特急やくもが発車した直後です。
そもそも人気なシーンで、サンライズ出雲から降りて来て写真を撮ったりする人も普段から多い中、とにかくそれに加えての人だかりなので、あの中に入って行く気分ではありません。
それなりに列車と駅の雰囲気を撮って、遠巻きに眺めていようかな?と、マッタリモードで過ごしました。
が、ふと我に返ると、自分の立ち位置ってそれなりな立地条件ではないか?と気づいたり(笑)
しかし、写真に撮るのはこれが初めてで、これまでにわざわざ時間を作って、サンライズを撮りに行ったことはありませんでした。
と言うことで、初撮影のサンライズなのですが、サイドエンブレムと出雲の方向幕は、立ち位置を移動することなく流し撮りです。
で、国鉄一般色を纏ったキハ40系のノスタルジーともコラボで撮れた6月15日でした。
サンライズは現在、JR線を定期運行する唯一の夜行列車であり、寝台列車であり、東海道本線を全区間直通する旅客列車なんですよねぇ。
サイバーエージェントにしてアメブロは
燃えながら歩く近所の人
焼けただれた皮膚を引きずって歩く人
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115系 D-26 D-27 / 山陽線で帰路 -①
国鉄型特急用車両 381系電車は定期運用を終えましたが、こちらはまだ少しの歳月を定期運用に就いて過ごします。
115系電車です。
今回は黄色い115系ではなく、オリジナル湘南色の編成を、3回に分けてUPします。
湘南色の115系は2編成いて、どちらも岡山エリアで運用に就いているのですが、まずはその中心である岡山駅にて。
冒頭から続く9枚は5月6日で、ちょっと日付が違うのですが、三原方面からD-19編成を先頭に、7両を組成して入線して来たD-27編成です。
他の中国地域色と呼ばれる黄色い編成と、普段は共通運用で営業に入っているので、いつも突然に現れます。
調べれば分かるのでしょうが、そこは運良く出会えればラッキーなところが、ちょっと嬉しい電車でもあります。
山口エリアの瀬戸内色や福知山エリアの福知山色など、懐鉄シリーズとしてリバイバルカラーのイベントを、JR西日本は催していますが。
1つだけワガママを勝手に言っちゃうと、窓枠をホワイトHゴムにしてもらえると、もっと嬉しい(笑)
ホワイトHゴムとブラックHゴムとでは、耐用年数が違うので、頻繁に交換しなくてはならなくなるし、余ったヤツをその後どうすんの?になるし。
これはあくまで、だったらいいな~的な、妄言だったりします。
今夏で引退する12系客車も、最後の花道はホワイトHゴム化されると、実は嬉しいんですけどね•••••••行けないけど──京都。
さて、2番ホームそして4番ホームの213系とのコラボも終えて、ここからが今回の本番となります。
381系が定期運用を終えた6月15日、帰り道は3時間かけて山陽本線で帰ろうと思い立ち、久しぶりにのんびり帰路につくこととしました。
8番ホームにいると、遠くに湘南色の115系が入線して来たのが見えたので、ズームアップして撮ったのですけど、この列車はD-26編成です。
と、言うことで、糸崎駅で想定外なこととなり、ちょっと嬉しいハプニングがあったのですが、それはまた次回の金曜日。
って、そこまでのネタではないのですけれど••••••••(笑)
ネコははぶてるし雨に降られるし……。
今日の主役が真ん中だぁ~と言っても、ヨタハチについて熱く語る訳ではないんですけれども。
ところで上の写真の3台ですが、どれが何だか知っていますか?
日本のモータースポーツの基礎を築いた、自動車メーカー3社の3車種です。
そう、この3台が無ければ、セリカもスープラも、スカイラインもNSXも無かった•••••••カモ知れない名車です。
真ん中はもう答えが出ていますが、トヨタスポーツ800で、写真左側はダットサンフェアレディ、右側はホンダS800です。
赤いスポーツカーと言えば何を連想 しますか?と質問したら、やっぱりスーパーカーのフェラーリとか出てきますよね。
でも日本車の赤いスポーツカーと言えば、このトヨタスポーツ800 = ヨタハチが、その先陣 筆頭なんです。
と言うことで、冒頭からの4枚を使用して、インスタグラムのリールを投稿してみました。
そしてちびちゃんなんですけど、猫も朝から異様にお腹が空く日もあるようで、先日、早朝から道行く人に声をかけて訴えていたのですけど。
朝9時まではご飯はあげない•••••••と言う町ネコルールがあるので、誰もそのお腹を満たしてあげなかったら。
ついにすねて、この暑いのに日向でこれ見よがしに、ふて寝をお披露目してしまいました。
遠目に見てさ、何か死んでんじゃないの?みたいな心配になったので、近くへ寄って名前を呼びましたが、全くの無反応。
何度呼んでもさわっても完全無視なので、一応 正面から再び声をかけてみたら、頭を上げて一言だけ「ニャー」。
その後、再び完全無視の無反応と化したので、まぁ放っておきましょうと、その現場から離脱したのですが。
まぁ 何かねぇ「うるさいわねえ、あっち行ってよ。あなたのせいよ。話しかけないでよ。腹立つ~」と言った、滲み出すイライラがオーラとなって伝わってくるかのようです(笑)
が、9時になり、メインの世話役さんが朝食の準備を始めたら、さっきまでの不穏な空気はどこへやら。
ルンルン気分で、日陰でご飯を待つちびちゃんの姿が、そこにあるのでした。
|◤ Owners' Film by TOYOTA ◢|
— トヨタ自動車株式会社 (@TOYOTA_PR) May 28, 2024
オーナー様が愛するクルマを映像化!
今回のクルマは「トヨタスポーツ800」
オーナー様ご協力ありがとうございました! pic.twitter.com/uaR6TDuQrm
で、 昨日ね、お買い物へ行ったのよ。
凄い青空広がる夏模様な空だったのに、帰ろうとしたら知人に声をかけられて、そしたら突然に風が吹き抜け始めて。
カップ麺のどん兵衛って5分でしょ? そのぐらいの所要時間で空はぶ厚い雲に覆われて、これは危険だと家路を急いだのですが、全くのムダ骨。
急ぐなら早めに降ってやろうと、上のユリの写真や空の写真の通り、クソ雨ですわ(爆)
と言うことでですよ、なぜ急にヨタハチだったんか?は、Xでこの動画を見たから•••••••でした。
381系 特急やくも XXXII / 定期運用ラストラン
広島駅で新幹線に乗り換えて、岡山駅に到着したのは6時41分 のぞみ74号は定時着。
入線時間は普段通り? 出発式とかするの? 写真撮る人でごった返してるかなぁ? などと考えながら、在来線乗り換え改札口を抜けると!!!
うーん••••••••何だ この発車標の表示は。。。
さて、岡山駅のコンコースには、このような物が掲げられ表示してありました。
「感謝状 381系 特急型電車 殿
あなたは昭和 平成 そして 令和と四十二年の長きにわたり「特急やくも号」として多くのお客さまの「笑顔」や「思い出」そして「人生」を乗せて走り続けてこられました。
この長きにわたる活躍は国鉄特急形電車最後の定期運用に就くあなたが お客さま ファンの皆さま そして運行に携わってきた鉄道マン全てに愛されてきた証でもあります。
その功績を称え感謝の意を表します。
二〇二四年六月十四日,十五日
381系を愛するファン一同 及び 西日本旅客道株式会社 岡山駅社員一同」
あぁ、もう入線前から泣きそうになる自分がいたりします。
もう1つの画面は「日本最後の定期“国鉄型”特急電車 ~ Series 381 42 years of History ~ 」と題して、1982(昭和57)年から「山陽と山陰を結ぶ」使命を、 先代「キハ181系 特急型気動車」からバトンを受け継ぎ••••••••と、簡略に紹介が表示されていました。
381系電車は、岡山駅でこれまでにたくさん駅撮りしてきたので、あらためて撮ると言う選択肢は、当初から捨てていました。
おおよそ、過去の583系電車や189系電車と同じように、駅の模様と言うか景色を撮って、思い出にしようとの考えです。
特に381系は今さらでもあるので、ゆとりを持ってその時間と空間を楽しんで過ごそう•••••••まさに″ゆったりやくも″にあやかってです。
入線は7時ジャスト、発車予定時刻は7時5分と、比較的短いので周りの人はみんな忙しそうでした。
個人で本格的なムービーカメラを持って来られている方もいて、ちょっとビックリも したのですが、あの重いカメラ持って小走りするのは、とても大変だったのではないかと察します。
また、報道の関係者も来られていましたが、381系ラストランの式典は催されることなく、刻々と停車時間が過ぎて行きます。
私はと言うと、ホーム西端からクロ381形まで歩き、再びホーム西端へ歩いて戻ってこの5分を堪能しました。
もちろん、スナップ写真を撮りながらですよ。
西端へ戻る途中で発車時刻となりましたが、ホームへ人が多くて特急やくもがなかなか発車できず、動き始めても最徐行での出発だったので。
人の空いている辺りをスムーズに歩いていた私は、何といい感じで入線も発車も撮ることができました。
それでも叫んだりする見送りの人はなく、列車がタイフォンを鳴らし上げるようなこともなく、おだやかに定期列車 最後の旅路を発車して行きました。
岡山駅で流れる童謡 〽️せ~んろは続くぅ~よ~ ど~こまでもぉ~♪ ですが、あのメロディーを聞いて歌詞が 〽️ご~はんだご飯んんん~だぁ さぁ~食べよ~♪って出て来る人。
私は幼稚園の頃に横浜ドリームランドで催されていた、ディキャンプに参加していました••••••••と、話しを逸らしてしまいましたが、この列車!
米子駅や出雲市駅では、引退の式典みたいなのは無いものの、何か記念イベントみたいなのはやると聞いていましたが。
もう、この旅立ちを見送ったら、今まで当たり前にそこへいた381系は、次に岡山駅へ来てもいないんですよね。
また 会えるとかなぁ••••••••元気でいてね。
この曲は私もシングル(EP)を持っているのですが、「タイトルはホームタウン急行」と書いて「ホームタウンエクスプレス」と読ませています。
いつも引用で使うのですけど、松山千春の「人生の空から」と書いて「たびの空から」と読ませている••••••••のとは、ちょっと違うかな(笑)
この時の国鉄とのご縁で、上越新幹線開業の時には″上越新幹線のうた″ → 「みんなの上越新幹線」も、サーカスが歌って発売されました。
もちろん持っているので、いつかお見せしましょう(笑)
381系 特急やくも XXXI / さよなら国鉄やくも
やがて来る、いつか来る、きっと来る。
そして本日 6月15日、ついにその日が訪れました。
まだ完全引退ではないと言われるものの、定期運用からの撤退は、任務完了そのものだと言えます。
今後、波動輸送や代走そして臨時や貸切などで走ることがあるとはされていますが、惜別運転が行われると言うことは、気がつくと消えていた••••••••も、あり得るのかも知れません。
今日は国鉄形特急電車が定期列車として、最後の1本片道運転を行う、ラストランを迎えました。
なので国鉄色メインで写真を貼っていますが、緑やくもと国鉄色やくもは既に、前日 14日にラストランを迎えています。
この4枚は上から、特急やくも伯備線50周年記念のクリアファイル、2023(令和5)年2月号のJR時刻表、そして特急やくもではなく特急しなのですが、381系の姫路駅入場券。
そして伯備線 特急やくも50周年記念の全停車駅入場券セットを、表紙側と中身をそれぞれUPしました。
2023年2月号は先行での3月ダイヤ改正号で、残り1年を迎えるにあたり、381系特急やくもが採用されたと同時に、小型時刻表は広島の快速エトセトラでした。
そして冒頭から、なぜわざわざ「″伯備線″特急やくも」と記すのかと言うと、これが答えとなります。
上から、1959(昭和34)年9月22日にデビューした準急やくもで、3両編成にて米子~博多間を結びましたが、翌年からは4両編成となります。
4両のうち3両は山陰本線、1号車のみ美祢線経由で運転され、再び下関駅にて4両編成に戻る分割併合列車で、多客期には6両編成で運転されるものの、山陰線3両 + 美祢線3両での運転でした。
準急やくもは後の急行さんべの原形となる列車で、蒸気機関車による列車全盛時代に、当時の最新鋭だったキハ55系を山陰本線初の投入でデビューしました。
続いてはキハ82系による特急やくもと、キハ181系の特急やくもに、並んで頂きました。
先にデビューしたのはキハ82系やくもで、
1965(昭和40)年11月1日に新大阪駅~浜田間を福知山線・山陰本線経由でデビューした新幹線接続列車でした。
山陽新幹線が岡山まで先行開業すると、特急やくもは岡山発着に路線変更され、ここに伯備線やくもが 誕生、1972(昭和47)年3月1日のことでした。
さて、その下からの3枚は、国鉄特急の終焉と言うことで、記念に作成してみたキハ391系と591系電車による、特急やくもです。
当時 最先端の駆動システムを取り入れての試作車で、ガスタービンエンジンを搭載し、振り子機能も付加した、意欲作な特急形気動車でした。
当初の想定していた性能を発揮することができず、試作車のまま終わってしまった形式ですが、もし時代が時代ならキハ181系の後継車はキハ391系の量産タイプだったかも知れません。
続いては電車による振り子試作車で、こちらは想定以上の高性能を示した591系電車です。
ただ591系はハイスペックな電車で、中央本線の特急しなの、紀勢本線の特急くろしお、伯備線の特急やくもには過剰性能だったため、適正化されて量産タイプへ移行しました。
その量産タイプが長年走り続けて、国鉄形特急車両全てのラストを飾る形式となった、381系電車です。
まぁこちらは、見てみたかったな591系 特急やくも と言うことで、作ってみた写真で。
591系は上り側と下り側で顔立ちが違うデザインなのですが、ローキャビンタイプのデザインは後の時代に、通勤型電車 201系に継承されます。
そして591系の正統な後継 量産車である、最後の381系 国鉄色の写真を並べてみました。
直近で撮影した写真も含めて選り抜いたので、見覚えのある写真も含まれていますが、そこは定期運用 引退記念の総集編と言うことで(笑)
と言うことで、今回は再現写真を作成して貼ったことから、簡易やくも史のような内容となりましたが、特急やくもそのものが廃止になった訳ではありませんよ。
ちなみに、591系は実車は長らく長野で保管されていたものの解体されて現存しませんが、振り子機能の学習のために、京都鉄道博物館へ模型が展示されています。
キハ391系も、591系以上に長らく保管されており、現在は埼玉の鉄道博物館へ顔だけが展示されています。
そして今日は定期運用最終日ですが、ラストランは特急やくも1号のみ381系で運転されます。
ラストを飾るのは ゆったりやくもカラーですが、国鉄色の381系は去日にも記しました通り、是非とも京都鉄道博物館への収蔵がなされますよう、祈るばかりです。
鉄道公安官のOPはこれでなくては
— 北海道貨物列車𝑪𝑯 (@Df200Eh800) 2023年11月12日
東映の公式では違うよねえ
もしかしたら途中の回からこれに変わるだろうか? pic.twitter.com/C78PqzTqjR
最後に、国鉄特急の終焉と言うことで、鉄道公安官のオープニングをUPされている方がおられるので、リンクを貼らせて頂きました。
国鉄は毎年の累積赤字が大変で、経営は既に破綻状態だった1979(昭和54)年4月9日~1980(昭和55)年3月17日に、テレビ朝日系列で放送されたドラマです。
毎週月曜日20時からの放映で、放送開始当初はオープニングもエンディングも、サーカスが歌うホームタウンエクスプレスでした。
途中から刑事ドラマチックなオープニング••••••••このXの曲に変わりましたが、鉄道ブームやブルトレブームと言った時代に、このオープニングはドラマ本編よりも刺激的で魅力的に感じていたものです(爆)
私と同世代の方々、泣いちゃダメですよ☆
-参考記事リンク-
キハ40系 ノスタルジー / 岡山駅にて
国鉄急行色を纏ったキハ47形 × 2両の、ノスタルジー編成を4番ホームから見かけたので、撮ってみました。
真ん中はデビュー間もない227系 Urara です。
左がキハ47形 ノスタルジー編成ですが、右は本日で定期運用から一斉に身を引く、国鉄形特急電車 381系です。
ゆったりカラーとは言え、227系を挟んで国鉄型車両の共演を見るのは、これで最後かな?と思っていたら、本当に最後になってしまいました。
227系 Urara も、キハ47形 ノスタルジーも、動いて遠ざかって行くので、特急やくもをフレームアウトさせての撮影に切り替わりです。
岡山駅は広島駅と違って、比較的長く徐行区間があるので、いつまでもそこに姿があって、何枚か狙って撮れるのがありがたいです。
が、ここでどうでもいいウンチクなんですが、初めて岡山駅へ写真を撮りに行ったのは、キハ181系の特急やくもが目的だったんですが。
初めての岡山駅以来、もう幾度となく訪れているこの駅で、この4番ホームのあの端っこだけ、42年間 1度も行ったことが無いんですよねぇ。
まぁ写真を撮るかどうかではなく、どんな風景なのか、次に行った時には端っこまで行ってみようと思います。
って、どうでもいい話題の割に、案外スゴいでしょ? 自分でも気づいた時に「スゴっ!」って思いましたもん。
あのホームの先っぽは使われないので、いつ柵が立てられてしまうか分からないので、早めに行ってみます。
と言うことで、国鉄一般色を纏ったキハ40形づく ノスタルジーが現れました。
これも4番ホームから撮った写真です。
立ち位置がちがうので、273系 特急やくもは後ろ向きで、かすかに共演と言った感じです。
今度は特急やくもではなく、近郊形電車の115系と、国鉄一般形同士での共演です。
キハ40系は誕生時から朱色一色 = 通称 タラコ色塗装だったのですが、やはり急行色よりもこの一般色の方がしっくりきます。
国鉄急行色のノスタルジーがデビューする前は、この一般色のノスタルジーが2両編成だったんですよ。
心の重い梅雨入り前の季節
町ネコのちびです。
地域ネコ••••••••では、ないんですよねぇ。
と言うことで、 少し以前に撮影したものなんですが、何やらジッと見つめていたので、気が散らないように撮ってみました。
もうすぐ仕事が任務完了なので、ちびちゃんともお別れになるのですが、撮り貯まった写真はあるので、もうしばらくはブログでお目にかけられそうです。
しかし、今年の春はずっと雨が降ったのだし、台風通過の折にもしっかり降ったのだから、もう梅雨入りまでは1滴たりとも降らなくていいんですけどね。
いろんな予定が台無しになってしまいます。
そうそう体調が芳しくないこととか、仕事が任務完了とかの話しって、日記のテーマで書いたんじゃ無かったですよね。
確か持続不能の日本その21で、近況報告がてらに記したお話しでした。
さて、その持続不能の日本その21ですが、人気記事ランキングが一時4位まで上がっていたのですけど、まぁ稀にあってもスクショしたり記事にしたりすることは、滅多にないんですが。
なぜ今回はネタにしたのかと言うと、何か遺してが1位だったことから、たまにはこういうノリもいいかな?と。
やっぱり、こういった社会派な内容の記事って、みんな好きなんですねぇ?
まぁね、だからと言って、そういうブログへ転身する積もりも無いんですけどよ。
と言うことで、今日は時の記念日です。
この記念日は比較的古い制定で、1920(大正9)年に登録されました。
日本人と言うか日本社会は時間に正確だと、諸外国からは評価されていますが、江戸時代には庶民の暮らしに時計なんて無かったので。
文明開化だと言っても明治時代までは、その習慣が抜けずになかなかルーズな国民性だっあようです。
それじゃあいかんと言うことで、西洋列強各国と信頼関係を築くためには、時間厳守な国民にならなければいけませんと、この記念日が大正時代になって制定されたと言う訳です。
で、なぜ6月10日なのかというと、国会主導なのでさすがに語呂合わせとはならず、第38代天皇の天智天皇(在位 668~671年)の故事に倣いました。
日本で初めて水流を利用した、機械じかけの時計が使われたことに由来します。
天智天皇の水時計(漏尅)が初めて稼動して時を刻んだのが、671年4月25日で、この日を現行暦(太陽暦)に直すと6月10日にあたることから、今日が毎年 時の記念日となりました。
ところで時を刻むと言えば、突然 心筋梗塞を発症してから1年が経過しました。
発作が起きたのは前日の6月5日でしたが、容態が落ち着いたので仕事を早退して、かかりつけ医へ行って。
紹介状を書くので大至急 市民病院へ行って検査をしてもらってと言われて。
その足で向かって検査をしたら、心筋梗塞を起こしていたと言うことで、緊急入院をうながされたものの、突然そんなことを言われても。
自分が1番、現実と言うかことの重大性を理解していなくて、一旦帰宅して入院の準備をして来ますと。
結局、6月6日に入院したらそのまま再検査をしてカテーテル治療室へ連れて行かれ、退院するまで救命救急センターで過ごしました。
去る6月3日は、心臓のカテーテル治療に対する1年検診だったのですが、過負荷心電図で先生が「ちょっと波形が気になる」と言われて。
今日、時間があるのなら検査を続けたいのだけれどと持ちかけられて、まぁ丸々1日休みなので、受けることにしたのですが。
血液検査で驚くべき数字が出てしまって、造影剤が使えないと言うことで、検査は中止となってしまいました。
さて、過負荷心電図とはどんな検査なのかと言うと、心臓に負担を加え、安静時の心電図ではみられない変化を見出すための検査です。
運動負荷試験には主に3タイプの方法があるようですが、私が受けたのは開始から終了まで継続して行う「単一段階負荷」のマスター2階段負荷試験。
これね、①狭心症の診断・②冠動脈疾患の重症度および予後の判定・③抗狭心症薬の効果判定・④心疾患患者の運動耐容能と重症度の評価・⑤心疾患患者のリハビリテーション・⑥不整脈の診断と評価・⑦高血圧の重症度および予後評価の試験なのよ。
だから心筋梗塞かどうかを調べる過程で、狭心症の検査として使うことはあっても、既に発症している心筋梗塞の治療前には、普通しないらしいのですが、一旦帰宅して翌日に電車で病院へ行った私は、カテーテル治療の前にやったんですよね。
安静時に心電図を記録して、異常のないことを確認してから負荷試験を行うのですが、凸型の2階段を用いて3分の過負荷を治療前にしたのですが、今回は4分30秒の過負荷でした。
運動後、直ちに仰向けに寝て心電図を測って、負荷前の状態に回復するまで記録するのですけれど。
平常時の心電図には問題は無かったようですが、過負荷後の平常時へ戻る際に波形の気になる箇所があったようでした。
で、1年前のカテーテル治療終了直後からある、痛みと言うほどまではいかないシクシク感は、今もずっと健在であること。
で、最近、チクチク感やクリクリ感が稀にではあるけれど、感じることがあるの、2つを先生へ伝えたところ、造影剤を使った検査をしてみようかと言う話しになったのですが。
クレアチニンが1.82mg/dLと言う意味不明な数字が示され、当然ながらeGFRも31ml/minと言う数字で。
この1年の間に、私の身体に何があったんだ!と言う衝撃が、精神攻撃として命中し心が粉砕。
何かお話しが続いていたみたいだけれど、あんまり聞こえてなくて、かかりつけ医の先生宛にお手紙を書いて頂きました。
で、これだけはハッとなってちゃんと会話したのですけれど、先生が言うには「じゃあ次は、心臓に異常があったら来ると言うことで」と。
これは粉砕した心を更に石臼で挽くようなことばで、受け取りようでは「もう来なくていいよ。どうせもうダメだから」に聞こえます。
循環器内科のそしてカテーテル治療の専門医なので、検査をしていないから確証は無いにしろ、数多くのデータを見て知識と経験があるはず。
なので、確定事項ではないから患者さんには言えないけれど、こういうパターンの時はもうダメなケースが多いんだよなぁ~ぐらいは、頭をよぎっているかも。
と、疑心暗鬼に陥ります。
が、基本的に医師は、ダメならダメなりに手を尽くすので、この会話のパターンからはそういうことにならないのだろうけど。
それに1年前に説明で「カテーテル治療を行うと、半年後と1年後に経過を検査して終了です」と言われたことも思い出して。
心臓としては一旦 何もすることが無くて、この続きは腎臓内科へ••••••••でもあるので、別に先生に見捨てられた訳ではないのだけれど。
でも何か心に灯火が欲しくてと伝えたら、特別に半年後の予約を入れてくださいました。
だってね、心電図の波形が気になる••••••••と言ったっきり、そこで終わりはちょっと気持ちの持って行きようがないじゃないですか。
と言うことで、年末ギリギリにもう1度、定期検診があります。
2ヶ月に1回、血液検査も実施していて、腎機能を安定化すると伝わる冬虫夏草、そしてカロリーコントロールから糖質コントロールへ変えて、塩分調整もやっていて、それが功を成して数値は安定していたんですよ。
元々、加齢による腎機能の低下はあったものの、数値的には問題無かったのですが、心筋梗塞と言う衝撃が腎臓にショックを与え、カテーテル治療での造影剤で更に追い打ちをかけて。
入院中に「少し腎機能に疲れが出ています」と言われたものの、まぁまだそのレベルだったんですよ。
それがこの数値なのはちょっと驚きなんですが、この1年間でと言うよりは、この2ヶ月間で何が?と言いたいところです。
と言うことで、客観的に考えてみて思うには、検査予約は半年後に入れましたが、それまでに心臓の調子がどう変わるか分からない。
造影剤を使った検査をしたいができないので、次に異常が出たら心臓を優先するか腎臓を優先するか、その時の判断。
そう言うことなんだと思います。
ところで腎機能の低下と言えば気になるところが人工透析ですが、クレアチニン=8.0mg/dL、eGFR=10ml/minが、個人差はありますが目安の数字だそうです。
ただねぇ、5年生存はクリアして、10年生存クリアを目指しますと言っておきながら、やっぱり10年はハードルが高いのかも知れません。
5年に比べて10年の生存率って、驚くほど低くなるじゃない。
なのでこちらも、あぁ~そーゆーコトかぁって感じの現在です。
381系 特急やくも XXX / 国鉄色やくもに想う
国鉄特急色を纏う国鉄形特急電車。
現在、民営会社であるJRにしても他の私鉄にしても、その会社で定める規則に車体カラーの規程はあります。
しかしそれらは企業内における規則であり、自主的に定められたもの••••••••なことは、世間一般の株式会社や有限会社、個人商店などと何ら変わりません。
が、日本国有鉄道と言う国の機関としての時代は、同じ組織内規則でありながら少し異なり、今の市役所関係・県庁や各省庁と言ったものに近くなります。
車両のカラーリングにしてもデザイン→提案→認可と言った流れに乗るので、比較的法律に近い感覚の規則になります。
なので、車両に使える色は指定されたものに限定され、その中で″らしさ″と″特長″をデザインしなければなりません。
国鉄特急色は昭和33年に登場したモハ20系電車→151系電車で認可された色と配色のデザインで、以降、国鉄の特急電車は全て踏破されました。
使用可能な色が限られる••••••••そんな中での組み合わせからデザインされた国鉄特急色と呼ばれる配色は、21世紀の現代で見てもその美しさに魅了されます。
美とは、多種多様な色彩によって描かれることによって生まれるものや、制約の中で知恵と工夫で生み出されるものとあり。
生まれては廃れて行く大多数の中において、優れていれば時代が過ぎても、その美しさは損なわれないものだと感じます。
公式見解が出されていないので、ちょっと一片の不安として心の片隅に落ちている影は、国鉄特急色の381系電車も行く末です。
日本最後の定期運用をこなした営業列車として、京都鉄道博物館へ収蔵されるのかどうかは、多くの人の気がかりとなっています。
現在、京都鉄博にいる国鉄形特急車両は全て普通車で、原形室内はキハ81形があり、晩年の居住性を高めた姿はクハ489形があります。
正規のグリーン車は機械遺産に認定されている0系新幹線の16形があり、2階のコーナーにグランクラスの座席やクロ151形の座席が、展示されているだけ。
381系のクロ381形はオリジナルのグリーン車ではありませんが、ボンネット車の489系と寝台電車の581系がある中で、非貫通正統のフェイスを持つ381系の収蔵は望むところです。
また、 展示方法も課題とはなりますが、室内の半分をオリジナルに、半分を晩年のグリーン車にでも良いかも知れません。
全室を普通車に戻してクハ381形として、国鉄式リクライニングシートを並べるもよしでしょうし、国鉄在来線特急のグリーン車史を見られるような室内でも良いように思えます。
京都鉄博は展示車両の稀少性のみならず、日本の近代史や工業史も学習できる施設なので、歴史好きな私としてはそういう展示方法も検討して頂きたく思います。
オリジナルの正当性も大切ですが、そこから歴史を見て学べることも重要だと感じます。
私は鉄道ファンですが歴史マニアでもあるので、京都鉄博を鉄道好きだけのテーマパークにせず、歴史好きな人間にも楽しめるエンターテイメントになってもらえると、とても嬉しいのですけれど。
なかなか難しいのかも知れません。
381系 特急やくも XXIX / ありがとう緑やくも
岡山駅へ特急やくも16号として到着し、転線して特急やくも17号となって、2番ホームで発車を待つ381系です。
ゴールデンウィーク中は、″緑やくも″に″ゆったりやくも″の増結が行われて、2・3・16・17号へ固定で運用されていました。
キハ181系時代は食堂車も連結して堂々の11両編成で営業運転を行い、電車化されて以降は最大9両編成で運転されました。
晩年そして現在は4両組成を基本とし多客期には増結編成の3両が連結され、7両編成での運転が定番化しています。
最近の動向としては、4月13日にG-01編成・J-03編成・H-02編成が先陣を切って廃車車回送されました。
続く4月24日にはF-02編成が廃車となり、ゴールデンウィークの多客期を超えて5月11日に、J-04編成が廃車となりました。
解体作業は後藤車両所と西出雲基地とで実施されるらしいですが、5月23日にはJ-01編成、そして6月3日にはF-01編成が廃車となったようです。
アルファベットのJが付くのは増結用編成を表し、稼動しているかどうかは別としてJ-02・05・06の3編成がまだ籍を残しています。
Fの符号が付く編成はパノラマグリーン車を有する編成で、スーパーやくも復刻カラーはF-02編成でしたが、既に全車廃車となっています。
Gの符号が付く編成は、検査や故障などの理由でパノラマ編成の代走用編成でしたが、多客期には単独での運転もこなした、1本のみ存在した編成でした。
Hの符号が付く編成は、編成と言うよりは動力車の予備ユニットで、H-01とH-02の2ユニットが車両故障対策で用意されていました。
ちなみにH-02ユニットは廃車となりましたが、H-01ユニットは4両編成だったE-05編成へ組み込まれて6両を組成し、現在 復刻 国鉄特急色で運用に就いています。
現役の381系電車も9編成35両のみとなってしまいましたが、1973(昭和48)年~1982(昭和57)年に川崎重工業・日立製作所・近畿車輛で277両が製造された少数形式。
定期運用から引退するまであと8日と迫った今、13%の車両が現役である数字は、ある意味脅威です。
使わざるを得なかったと言う事情もあるのですが、それだけJR西日本が大切に使ったと言う証しでもある、最後の定期運用を持っ国鉄形特急電車の誉れと言って良いかも知れません。
そしてこちらも経費の事情があるものの、国鉄特急の勲章としてヘッドマークに、エル特急の証である″L″を最後まで、掲出して走るその姿に最大の敬意を払いたく思います。
さて、 今回の写真ですが、緑やくもとゆったりやくもの連結面は、しっかり撮っておきたいところでした。
停車ホームが変更となった快速マリンライナーの、グリーン車とも合わせて撮っておきたかったのも撮れましたが、暗くてちょっとブレてしまったものの、DE10-1151号機との国鉄形車両の共演はサプライズでした。
出雲市へ向けて発車して行く後ろ姿に、アンパンマン列車の特急しおかぜの入線は、ちょうど好いタイミングでの離合となってくれました。
そうそう最後になんですが、緑やくもはE-03編成なんですよ。