2024年8.6前夜 / 私事メインな記事です
被爆2世が語る平和記念日と世界史シリーズ |
この写真は被爆直後の本通り商店街です。
現在の広電 本通り電停を背に稲荷町──広島駅やJRA Wins広島と比治山の分岐交差点•••••方面を見ています。
新しく路面電車の線路が敷設されて、広島駅へ向かう高架へ曲がることとなる交差点方向です。
向かって左の白い建物は安田生命広島支店、右側の茶色く変色した建物は、帝国銀行広島支店の残骸です。
帝国銀行広島支店は現在、タカキベーカリーの本丸 広島アンデルセンで、被爆建物の一部を往事のデザインのまま流用して建て替え、歴史保存に努めています。
この本通り商店街の写真は佐々木雄一郎氏の撮影で、本通り交差点の西側 = 平和公園側に原爆被災説明板の碑として使用されています。
ここは爆心地から約250メートルの位置で、少し歩けばほぼ爆心直下の島外科、そして原爆ドームがあります。
本通商店街は当時も現在も、広島市内有数の繁華街としてにぎわってきましたが、人類史上最初の原子爆弾により瞬時に建物が倒壊炎上し、この一帯にいた人々のほとんどが死亡し ました。
実はこの写真はモノクロなのですが、今から17年前となる2007(平成9)年に、私がカラー化したものです。
当時、モノクロ写真のカラー化やモノクロ映画のカラー化が、実験的に行われ始めていた時代で、まぁあまりウケないだろうと思いつつも、私もやってみようと被爆直後の風景をカラー化してみたものです。
AIなど無い時代で、数日かけてフォトショップを使っての着色で、原爆関係写真のカラー化としては、初期の走りだったものです。
元データは大きなサイズだったのですが、当時のアメブロへアップロードする際に、ガラケーで表示できるサイズへ縮小して使用しました。
その他にも複数枚の被爆直後の広島の街をカラー化したのですが、実は元の色を調べて厳密にカラー化したのは、この最初の1枚だけだったりします。
ところが、この写真なんですが、元データがどこへいったのか行方不明で、アメブロへアップロードした320pixの写真しかありません。
なので今回、「広島平和記念日と終戦記念日」を再編集と加筆修正する際に、AIを使って1080pixまで大きくしてみました。
パソコンで見る時は800pixに縮小表示されるので、まぁまぁ見られる程度には補正できていると思いますが、スマホ等でブラウザやアプリで拡大クリックすると、加工の目の粗さはやはりどうにもなりません。
しかしこのカラー化した時代から17年の月日が経ち、デジタルによる色彩復元技術やAIによる着色技術が進歩し、大勢の人たちがカラー化を試みています。
私の稚拙なカラー化とは雲泥の差で、被爆前そして被爆直後の美しいカラー写真が、たくさん発表されていて、しかもいろいろな方々がプロジェクトとしてされていて。
もう私の出る幕はないなぁ~と痛感するばかりです。
さて写真ですが、最初の2枚は長々と説明した通りで、続いてはG7 広島サミット期間中に撮った、原爆被災説明板です。
そして続いては、建物の一部に被爆建物を組み込んで新築した、広島アンデルセンです。
明日は広島平和記念日と言うことで今回は、被爆者 父 武治の生まれた1938(昭和13)年の写真を引用させて頂きました。
広島県産業奨励館前を流れる、元安川の対岸で遊ぶ子どもたちの写真ですが、位置的には原爆ドームの原爆被災説明板よりやや、元安橋寄りの辺りです。
対岸は住宅街が広がっていたはずなのに、なぜ砂場?と思い、古い地図を広げてみたら、地図上では道路扱いになっていました。
当時の広島市の流通は、市街地を横断するのは道路の役目で、縦断するのは河川の役目だった故に、産業奨励館 = 原爆ドームはメイン道路ではなく、川を向いて建っているのですが。
現在は灯籠流しや各種イベント用に護岸が改良されていますが、かつては原爆ドーム側のような雁木があって、荷受け荷渡しがここで行われていたため、砂地なのだと思われます。
知識だけで当時の風景を見たことが無いため、写真で、しかもカラーで見られたこの体験は、郷土史をやる人間として、とても貴重です。
ちなみに原爆ドーム = 産業奨励館は1913(大正2)年5月14日が杮落としで、当初は広島県物産陳列館と言う名称でした。
因みに江戸時代は広島城外堀対岸で、広島藩米蔵地でした。
やはり毛利輝元が広島城を築城した当時から、河川は流通システムの要衝で、運河こそが広島を支えた経済基盤でした。
続く3枚は1938(昭和13)年の写真ではあるのですが、広島の写真と言う訳ではありません。
ただ田舎でもないのに田舎っぽい街並みが、当時の日本の町の原風景で、どんな時代だったのかをちゃんと伝えてくれる、第一級の資料として貼らせて頂きました。
また3枚目ですが、大陸では大東亜戦争が継続中で、日独伊三国同盟締結2年前、真珠湾攻撃の3年前な1938(昭和13)年、戦地へ兵隊さんたちを見送る壮行会が、子どもたちによって行われた写真のようです。
この時はまだ、日本と言う国が滅亡するかも知れない大戦争へ発展するなど、誰も夢にさえ思っていなかった、最後の平和な時代でした。
2人の女性がいる位置は、現在の西松原の浜辺で、写っている回廊は西回廊で、本殿の平舞台は左を向いていて、写真の1番左に写っているのは、左楽房と並び奥が門客神社です。
もうね、どの写真も素晴らしいの一言に尽きるのですが、カラーになることで臨場感が増し、見たい知りたい過去へタイムスリップが可能になります。
今回、写真を使わせて頂きました方々は、″記憶の解凍″さまと″Pear Book″さま、そして″写真修復の朋成″さま、これからも歴史と史料の保存活動を、陰ながら応援致します。
父が亡くなり慰霊碑へ名前が入って16年ですが、1938(昭和13)年の記憶が父にあるはずはなく、私自身の1番古い記憶を辿ると幼稚園に入る前の見学なので、3歳だと思われます。
記憶には個人差があるので父の1番古い記憶が何歳なのかは分かりませんが、同じく3歳だとすると1941(昭和16)年となります。
東京都への首都空爆は1942(昭和17)年4月18日から1945(昭和20)年8月15日まで断続的に実施されましたが、罹災者100万人超え 死者は9万5,000人を超えた1945(昭和20)年3月10日の″東京大空襲″は悲惨たる甚大な被害が発生しました。
父にはこの度重なる空襲の記憶はあるようでしたが、東京大空襲の直前に広島へ帰省し転居したと聞きました。
当時、祖父(私から見て曾祖父)の富三郎は、浅野長之(あさのながゆき)侯爵に従事していましたが、1940(昭和15)年12月20日に家督を相続した浅野長武(あさのながたけ)侯爵に従事を始めていました。
華族議員だった浅野家にいたことから、戦局がいよいよヤバイよな•••••••との話しも耳に入るようで、東京大焼殺が起こる1週間前の3月3日 桃の節句に帰広したようです。
父の記憶によれば、帝国大学(東京大学)の赤門付近に屋敷があった•••••••との、うっすらとした記憶があるようで、戦後、広島県庁職員時代に東京都庁務めとなった時。
当時の住んでいた場所を探してみたものの、街並みが変わり果てていて全く探し当てられなかったと言っていたのを覚えています。
1944(昭和19)年に本土決戦へ向けた特別措置要綱に基づく旅客の輸送制限に関する件が閣議決定され、特急および急行列車などの全廃が決定されました。
これにより4月1日から特急列車が全廃され、急行列車も一等車・展望車・寝台車・食堂車の連結は全て中止とされました。
急行列車の運行は全廃こそ逃れましたが1945(昭和20)年3月20日から東京~下関間の1往復のみに削減されることが決まっていて。
まだ広島へ帰れる列車があるうちに、帰広しようと浅野長武 侯爵へ御暇も申し出て、受理されたことからの帰広となりました。
因みに私から見て祖父の名前は″武″で、父の名前は″武治″ですが、両方とも浅野長武 侯爵から1字を頂いたものです。
話しは横へ逸れますが、長武公は1895(明治28)年生まれで、祖父 武は1912(大正1)年の生まれです。
──と言うことは、炎柱 煉獄杏寿郎が無限列車で戦死した時は、祖父は5歳の頃•••••••おっと、話しが逸れたどころか脱線してしまいました。
で、富三郎は私から見て曾祖母・祖父・祖母・父・叔母を連れて広島へ帰ることとなったのですが、浅野家は広島に自宅はあるとは言え、明治時代からずっと東京暮らし。
当然、うちの家系もずっと東京暮らしなので、広島へ家はありません(厳密には無い訳では無い)が、親戚の児玉家が元 草津城主だった縁で、草津東町へ屋敷を建てました。
そして5ヶ月後。
人類初の核攻撃が、広島を襲いました。
今年は広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式 = 広島平和記念式典の前夜が、月曜更新日となったため、父の生まれた198(昭和13)年を中心とした、話題をしてみました。
それによってこれまで触れたことない、家のことも少し話すこととなりましたが、生前は生ける災厄と呼ばれた父 武治に、今後は人の役に立ってもらいましょうのことば通りに(笑)
時折、物語を綴りますが、祖父や祖母につても稀に、語ることが今後はあるかも知れません。
還暦を迎えて、原爆の日の捉え方は少し変わった部分もあり、 子どもの頃から一貫して変わらない部分もあり•••••••なところです。
なので平和記念日や終戦記念日などの慰霊の日の記事は、根源的な部分では変わらないものの、記事のあり方は少しずつ変化して行くのかも知れません。
2024(令和6)年・平和記念式典(広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式)について、広島市からお知らせです。(7月8日時点)
-参列席-
平和記念公園式典参列者席(メイン会場)に約7,000席
広島国際会議場 フェニックスホール 及び ヒマワリに屋内席(サブ会場)に約2,200席
式典の開式は8時ちょうどです。
まずは早朝より入場規制が始まります。
-式次第-
5時0分~:入場規制範囲内にいる公園利用者に対し、公園外への移動を要請します。
6時30分~:平和記念式典参列者の式典会場への入場開始
8時0分~:開式 及び 原爆死没者名簿奉納
8時3分~:式辞
8時8分~:献花
8時15分~:黙祷 及び 平和の鐘
8時16分~:平和宣言 及び 放鳩
8時24分~:平和への誓い
8時29分~:内閣総理大臣及び貴賓あいさつ
8時46分~:ひろしま平和の歌
8時50分~:閉式
-補足-
◎入場規制の内容 = 午前5時から午前9時までの間、公園利用者の平和記念公園(式典会場)への入場を規制します。
◎規制時間中に、慰霊碑への参拝を希望する者については、午前5時から午前7時までの間に設ける専用出入口及び専用通路を利用することができます(手荷物検査及び金属探知検査不要)。
◎参列者は式典会場入場口で、手荷物検査を受けて公園内に入り、参列者席(メイン会場)入口で、金属探知検査を受けていただくことになります。
尚、混雑状況によっては、入場開始時刻を前倒しすることがあります。
◎参列者席(メイン会場)のうち、先着順である被爆者・遺族席(約1,600席)及び一般席(約1,200席)については、定員に達した時点で入場をお断りすることになりますのであらかじめ御了承ください。
◎上記の入場規制のほか、関係車両通行時など、平和大通り周辺で歩行者の通行規制を行うことがあります。
◎なお、入場規制の内容は変更となる場合があります。
◎入場規制中の禁止行為等平和記念公園(式典会場)においては、午前5時から午前9時までの間、次の行為を禁止します。
①危険物、大きな音を発するもの(マイク・拡声機・楽器類等)、プラカード・ビラ・のぼり・横断幕等、式典の運営に支障を来すと判断されるものの持込み
②ゼッケン・タスキ・ヘルメット・鉢巻等の着用や小型無人機(ドローン等)の飛行
③物を投げる、大きな音声を発する、立入不可エリアに無断で侵入するなど、式典の妨げとなると判断される行為
④他の公園利用者の通行その他の公園の利用に支障を来すと判断される行為
◎公園の利用者間の調整を図るために市職員等が実施する警備に支障を来すと判断される行為
・警備のための移動要請等に従わない
・規制線や検査場を強行突破するなど警備を妨害する
など 禁止行為に該当すると認められる場合は、行為の中止を要請します。
当該要請に従わない場合は、平和記念公園(式典会場)外への退去の命令または強制退去の執行することがあります。
平和記念式典は被爆者とその遺族のものであり、また、先人の御霊に手を合わせ平和を希求する人々のためのものです。
去年は行ってないのですが、一昨年も岸田政権が原発の新増設などの検討を進める方針を打ち出したことから、原発反対の人たちが朝から平和公園に集まって。
ピースサイクル広島を始めとした全国からの活動家の人たちが集まって来たんだけど、被爆者や遺族が思いを寄せている時、大声で拡声器使って、妨害に来たのよ。
一昨年の記事にも記したのですが、平和活動もいい、原発反対もいい、けど遺族の式典を邪魔するなよ。
って、ちょっとことば悪くなるけど、ご容赦下さいね。
バカがバカみたいに集まってバカなこと叫ぶなやっ!
参加者全員調べ上げて、身内の誰かが亡ぅなった時、葬儀の最中にお経や参列者の声が聞こえんぐらい、外でバカ騒ぎしちゃろうか?
政治信条や思想を訴えてストレス発散に利用するんじゃねーわ、お前らんための式典じゃねぇんじゃ、バカどもが!
一昨年は優しく表現していましたが、今年は申し訳ありません、昭和99年と言う白寿な年なので、文字ながら荒々しく主張してしまいました。
と言うことで、明日は広島の慰霊の日です。
今年は今できる範囲で準備万端な体制で実施される平和記念式典ですが、穏やかに 厳粛に 慰霊と追悼の心を込めた式典が行われますように⭐彡
原爆ドームが広島県物産陳列館として、1913(大正2)年5月14日にオープンした時、来館者へ配布された記念ポストカードです。
広島観光の名所として物産陳列館はオープンしましたが、広島と言えば日本三景 安芸の宮島で、厳島神社とツートップでのデザインです。
111年絶った現代においても、広島の世界文化遺産としてツートップの観光名所ですね。
そう、来年は昭和100年ですが、今年は原爆ドーム(広島県物産陳列館)開業111周年なんですよ。
☆被爆2世が語る平和記念日と世界史☆
May the world be filled with peace and happiness.
(世界が平和と幸福で満たされますように)
ー世界史•平和教育•教養関連記事一覧ー
岡山駅でのJR特急たち
キハ187系 特急スーパーいなばです。
いつもと言いますか、いつまで?と気になるところなのが、キハ187系の列車名の″スーパー″だったりします(笑)
この形式は まつかぜ・おき・いなばのスーパー特急で運用されていますが、同じ187系でも まつかぜ・おき用の最高速度は120km/hですが。
いなば用の車両は最高速度130km/hとなっています。
国鉄時代のディーゼル特急はキハ82系やキハ181系のように、流麗で美しかった分 キハ187系は••••••。
顔立ちが地味で黄色単色のため安っぽくみえますが、まぁ実際にそこで製造費もケチってはいるのですけれど。
能ある鷹が爪を隠しまくった車両で、ディーゼルカーで、最高速度130km/hって何よ!そして681系 サンダーバードに負けない加速力って何よ!
と言う、モンスタートレインなところから、もうこれからも列車名にはスーパーが着きっ放しなのかな?と思っています。
外観は鉄道車両と言うか乗り物として全く魅力を感じないのは、もう仕方ないところではあるのですが•••••••乗ったらね、これが最高にいいのよ、快適で!
そして続いては、先頭車の中間 連結面ばかりの3枚なんですが、JR四国の特急 8600系です。
JR四国によれば「車内設備は出張や旅行で普段列車をご利用されているお客さまや、あまりご利用する機会のないお客さまにも気持ちよく使っていただけるよう、便利で快適な空間作りを目指しました」そうなんですが。
あくまで私個人の感覚なんですけど、ホームから見た車内はキハ187系に比べて狭く見えて、乗ったらそうでも無いのですけど•••••••うーん。
何かね、寒々とした印象なんですけど、やはりエクステリアとデザインって大事なんだなぁと、しみじみ思う見本みたいな感じ。
まぁ人 好き好きなので、好いか悪いかの話しではないのですけど、この8000系電車もおなじようなインプレッションなので。
JR四国の特急電車のデザインコンセプトと言いますか、ポリシーがこうなんだろうなぁ~と感じます。
あ! JR西日本のキハ187系はディーゼルカーなんですが、JR四国の8000系と8600系は電車なんですよ。
恐らく温暖な瀬戸内から日本海気候の山陰を結ぶJR西日本と、瀬戸内気候と太平洋気候を結ぶJR四国の、社風の現れなのでしょうね。
もう最高気温が39℃まで上がる真夏でも、エクステリアって真冬のことも考えるから、雪が降った時を イメージしてしまうのが、広島人なのかも知れません。
四国では、寒い日はあっても雪が積もることを、前提とした室内デザインは発想に無いのかも知れませんしね。
と言うことで、ラストの5枚は8000系電車のアンパンマン特急列車でした。
なお8000系電車は現在、リニューアル工事が進行中で、この8月にはグリーン車編成のリニューアルが登場し、全編成のリニューアル完了は2027(令和9)年が予定となっています。
EF210 / 西広島駅や高須駅付近にて
EF210形電気機関車の写真も、在庫は出し尽くします。
もうね、特急やくも優先で5~6月は更新したので、たくさん出さなきゃいけない写真が、詰まり溜まってるのよ。
ちょっと汚い?表現かもですけれどよ(笑)
と言うことで、JR貨物 EF210形です。
上って行く白桃さん•••••••何号機でしょう。
下って来たEF210-157号機は、福山レールエクスプレス──フクツーEXPです。
スマホで無謀にも流し撮りをしてしまいましたが、まぁ何となく躍動的に撮れたと言ってくださいな(爆)
例年 JR西日本は西広島駅のホーム境界端を覆う、草木をちゃんと手入れされるのに、今年は放置していて••••••。
この位置から列車は現在見られないぐらい、荒れ地と化しているので、カラスの繁殖期にはたくさん巣を作ってしまいました。
北側駅前再開発で荒野のようになっているので、カラスたちが巣を作ることができず、人間の背よりも高い草に覆われた1番ホームに、複数の巣が作られたようです。
と言うことで、西広島駅から横川よりの己斐の町は、カラスによる被害でゴミの町化して、散々だった繁殖期となりました。
まぁJR西日本も人手や予算などの都合もあるのでしょうけど、毎年やることができないなら町内会とねぇ、上手くやればいいのに。
と、1番ホームのジャングルとカラスのお話しが長くなってしまいましたが、続きは恒例の高須駅付近での写真です。
まず樹木の間から撮ったのは、上り貨物列車を牽引するEF210-163号機と、開けた所で押さえた跡追いです。
何かシリアルナンバーが157とか163とか、若い頃を懐古させられるような数字ですが、もう人生は長く残ってないのかなぁ~と、空を仰ぐ自分がいたりします。
ま、そんな数字にノスタルジックを求めるのも、単なるロマンチストと良い風に捉えておきましょう(笑)
で、ラストの6枚は、下り貨物列車を牽引するEF210-170号機と、それに連なるコンテナです。
フクツーEXPと違って専用列車ではありませんが、西濃運輸のカンガルーコンテナが並びます。
実は下から3番目の写真には、左端っこにチラッと銀色のカンガルーコンテナも写っているのですが、 ブルーに黄色い帯が連なるカンガルーコンテナの姿は、朝の広島ではフクツーEXPに並ぶ存在感のある列車です。
が、専用列車ではないので、間にポツンと一軒家•••••••ではなく、JR貨物コンテナが挟まっていたりするのも、ちょっとしたご愛嬌だったりします。
How the distinctive railway sound is created. 🛤️ pic.twitter.com/yWkcKT97od
— H0W_THlNGS_W0RK (@HowThingsWork_) August 1, 2024
でね、よく外国の鉄道の、こういうのを見るんですけど。
日本の鉄道って凄いなぁ~って、いつも思うんですよねぇ。
だからこそ厳しいことばとかたまに出たりもするのでしょうけど、やっぱり当たり前のことが当たり前に整備されてるって、凄いことなんだとあらためて感じます。
でもこれ、よく脱線事故が発生しませんよね(驚)
115系 2024初夏 -① / 岡山駅にて
岡山エリアの115系そして113系の写真を、順番に出していく企画です。
まぁ企画と言うのは大袈裟なんですが、そんな順番が回ってきましたよ~のコーナーです。
227系 Urara の増殖によって、少しずつ数を減らしてきた国鉄近郊形電車ですが、地域色と呼ばれる黄色単色の可哀想な姿にされつつも。
健気に最後の務めを果たす113系・115系電車です。
まずは冒頭から、岡山駅 2番ホームへ入線して再び発車して行く、113系 B-08編成です。
スリットタイフォンに半球形のカバーが着いている、この顔立ちも好きなんですが、運転席屋根上の避雷針やアンテナなどの小物アイテムが。
些細なものなんですけど、全体のバランスがやはり115系と異なる雰囲気を、醸し出して特徴的な顔立ちに仕上げています。
そしてサイドの車体に記された形式表記•••••••111・112・113の文字が好きな電車でした。
岡山エリアでなく東海道東京口の113系でしたが、サロ112形は私にとって永遠の憧れの形式でした。
岡山エリアではモハ112形だけが見られる現在ですけど、果たしていつまで見られるのでしょうか。
そして続いての2枚は、岡山ならでわの異色先頭車化改造が施された、2つの115系電車です。
三原方先頭車のクモハ114形と、姫路方先頭車のクモハ115形ですが、クモハ114形はG-05編成、クモハ115形はD-31編成の先頭車です。
クモハ114形と写るゆったりやくも色の381系 特急やくも も気になるところでしょうけれど。
ラストは緑やくもとオリジナルフェイスの115系電車との並びです。
走り去るのはD-19編成ではなくA-07編成なのですが、左端遠くに写るのは•••••••それが留置中のD-19編成だったりします。
そう、だから岡山駅は面白いんですよね。
東京新聞に物申す!遺族の主張……間もなく平和記念日
被爆2世が語る平和記念日と世界史シリーズ |
東京新聞から記事の引用転載をします。
もうね、こんな屁理屈や言いがかりなんて、どうでもいいのよ。
彼らが行なっていることを「平和運動」と呼ばないで欲しく感じます。
この記事を書いた記者さん、あなたの家族の誰かが亡くなった時、葬儀の式典の最中に拡声器を持って大勢で、式場周辺で叫びましょうか?
困惑するし、イヤでしょ?
これはただ、そういうお話しなんです。
「平和活動」「平和運動」「平和教育」「平和学習」などは、私や私たちが行っているものをそう呼ぶのであって、公園周辺で叫んでいるあれは騒音であり、式典の妨害の何物でもありません。
表現の自由だとか平和運動だと言うのなら、式典が終わってからやってくれれば、誰も文句を言いません。
-東京新聞から引用転載-
広島 原爆の日の式典、周辺での「平和運動」を締め出しへ 公園一帯で「入場規制」、プラカードやのぼりは禁止 2024年7月26日 12時00分
8月6日の広島市の平和記念式典で、原爆ドーム周辺を含めた平和記念公園の全域に入場規制を広げる市の方針が波紋を広げている。
メイン会場から離れたエリアも手荷物検査を受けないと入れず、プラカードやのぼりの持ち込みを禁止。
安全対策を理由とするが、法的根拠はなく行きすぎた表現規制との懸念も。
背景には近年の平和行政の変質も指摘される。(山田雄之、山田祐一郎)
◆物議を醸した「園内での禁止行為」 広島市は5月、平和記念式典で、入場規制エリアを昨年まで対象外だった原爆ドーム周辺を含む公園全体に広げる「安全対策」を発表した。
当日午前5〜9時に入場規制し、6ヶ所のゲートで手荷物検査を行うとした。
これに加えて物議を醸したのが園内での禁止行為。
「式典の運営に支障を来す」としてマイクや拡声器のほか、プラカードや横断幕の持ち込み、はちまきやゼッケンの着用まで禁じ、従わなければ退去を命令することがあるとした。
規制強化の理由としたのは昨年の式典の際、原爆ドーム周辺で市職員に活動家の集団が腕を組んでぶつかるなどした「衝突事案」だ。
5人が暴力行為法違反の疑いで逮捕、起訴された。
松井一実市長は記者会見で「参列する市民の安全を最優先に考えての措置」と強調。
「原爆ドームや供養塔の周辺で毎年、慰霊に関する行事をしている団体もあると思うが」と問われると、「今までのような集会はできなくなるかと思いますね」と淡々と応じた。
◆「核廃絶の思いを自由に伝えたいと考える人は多い」のに──被爆者たちの受け止めはさまざまだ。
広島県原爆被害者団体協議会の箕牧(みまき)智之理事長(82)は「こちら特報部」の取材に「騒動を起こす人がいることも事実。犠牲者を追悼するために厳粛に式典を行いたい。規制は仕方ない」と理解を示す。
一方、もう一つの県被団協の佐久間邦彦理事長(79)は「祈る場所は必要以上に制限されるべきではない。反戦や核廃絶の思いを自由に伝えたいと考える人は多い」と話した。
6月上旬、日本ジャーナリスト会議(JCJ)広島は「ゼッケンなどの着用禁止は表現の自由に抵触する。取り消すべきではないか」と市長あての質問状を出した。
JCJ広島幹事の難波健治さん(76)は「そもそも式典を巡る問題は騒音だった。いつのまにか安全の問題にすり替わった」と強調する。
◆「条例は関係なく法的根拠はない」 どういうことか。
会場周辺のデモで拡声器が使われたことを受け、市が2019年に参列者に行ったアンケートでは、音が聞こえたという人の約6割が「式典に悪影響がある」と回答。
市議会は21年、議員提案された「市民の理解と協力の下に、厳粛の中で行う」と定めた市平和推進基本条例を賛成多数で可決した経緯がある。
ただ「厳粛」の具体的な規定はなく、県弁護士会などは「市民の表現を萎縮させる」と懸念を示していた。
公園からの退去などを市民に強制できる根拠はあるのか。
市の市民活動推進課の担当者は取材に対し、手荷物検査や禁止行為による退去命令について「条例は関係なく法的根拠はない」と断言。
「安全な式典にするための必要最小限の規制。表現の自由を制限するとは思わず、あくまでご協力いただくもの」と述べた。
プラカードなどを使って平和や核廃絶を訴えたい人については「規制終了後や公園外でしてほしい」と話した。
◆「ここまであからさまな表現の自由の制限は…」 デモの音量に対する「騒音規制」の問題だったはずが、いつの間にか目的が「安全対策」にすり替わったという今回の出来事。
広島大の田村和之名誉教授(行政法)は「別の場所から大音量が発せられる可能性があり、騒音問題の解決になるのか疑問だ」と話す。
「式典が安全に行われることに異論はないが、論理の飛躍だ。差し迫った危険の発生が具体的に予見されるわけでないのに、短時間とはいえ拡声器やプラカードといった表現活動を禁止するのは言論の自由や集会の自由の制限に当たる」と憲法違反を指摘する。
その上で「ここまであからさまな行政による表現の自由の制限は最近、目にしたことがない」とあきれる。
松井市長は5月の会見で、衝突事故の再発防止のため、式典会場外の区域も式典会場と位置付けて規制する考えを説明した。
田村さんは「式典として使用実態がない場所は自由利用が原則であり、市長の説明は詭弁(きべん)だ」と批判。
都市公園法の原則に反し、正当な理由なく住民の公共施設利用を拒んではならないとする地方自治法にも違反するとした上で「屋外の平和公園で式典を行う以上、騒音は避けられない。行政が必要以上に規制すれば、異を唱える人を排除することになる」と危ぶむ。
◆広島の平和行政が変質していないか
近年、広島の平和行政を巡っては平和団体が懸念を示す問題が相次いできた。
広島市教委は、平和学習教材に引用掲載してきた漫画「はだしのゲン」や、1954年にビキニ環礁で米国の水爆実験で被ばくした「第五福竜丸」の記述を2023年度から削除。
市民団体が実施したオンライン署名では、約半年間で削除に反対する声が5万9000筆以上寄せられた。
昨年6月には広島市の平和記念公園と、旧日本軍の真珠湾攻撃を伝える米パールハーバー国立記念公園が姉妹協定を締結。
同年9月の市議会で市幹部が、米国の原爆投下の責任議論を「現時点では棚上げにする」と答弁し、被爆者団体などから批判を受けた。
今年の式典を巡っても、パレスチナ自治区ガザへの攻撃を続けるイスラエルを招待する方針を表明。
ウクライナ侵攻以降、招待していないロシアへの対応との違いを「二重基準」と会見で指摘された松井市長が声を荒らげて否定する場面もあった。
「根拠やプロセスを説明しないという松井市長の政治姿勢が年々、顕著となっている」と指摘するのは広島市立大の湯浅正恵教授(社会学)。
「行政は法律や条例の規則に基づいて政策決定をするべきなのに、納得できる説明がない状況が続いている」。
7月には突如、来年以降の式典招待国の基準も見直す考えを示した松井市長。
湯浅さんは「近年にない特殊な状況」と受け止める。
◆「アメリカのご希望に沿う岸田首相、追従する広島市」
「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」は先進7カ国(G7)広島サミット後の昨年7月、「広島市平和行政の変質を問う声明」を発表し、現状への危機感を訴えた。
共同代表を務める森滝春子さん(85)は「広島市の平和行政の変質は、原爆被害が見えなくなることを望む米国に沿った岸田首相の政策に、市が追従していることによって起きている」と危ぶむ。
「G7の広島ビジョンも米国の核の傘の下での核抑止論を肯定する内容。その場所に広島が利用された」と批判する。
今回の入場規制が原爆被害の実相を伝える上での悪影響を及ぼすのではないかと懸念する。
「世界や日本から原爆被害者を悼みに来るのに、法的根拠なく入場を厳しく規制すれば、近づかない方がいいという人が出るかもしれない。被爆者が減る中、マイナスの効果しかない。それを止められないのは歯がゆい思いだ」
◆デスクメモ
前に公園内の韓国人原爆犠牲者慰霊碑に足を運んだ。
日本は米国の原爆の被害者だが、アジアとの関係では加害者でもある。
立場の違いも含め原爆の実相を知り、犠牲者を悼み、核なき世界を願う場と思ってきた。
戦後79年の夏空に「NO WAR」と掲げられる公園であってほしい。(恭)
【関連記事】広島市が平和記念式典にイスラエル招待へ、ロシアは侵攻以降招いていないのに…それダブルスタンダードでは?
【関連記事】広島平和記念公園とパールハーバーの姉妹協定 被爆者らはなぜ懸念するのか
さすが文章を書く仕事をされているプロだと感心させられる、みごとな事実のすり替え文章となっています。
この記者さんも世界唯一の被爆国として、日本そしてヒロシマの、その在り方に思いを馳せらせる方々の1人だと感じました。
ただ、広島市民として、両祖父母と両親と叔母の内、戦死者 が1人、被爆死が1人、被爆者が4人で既に誰も生きていない遺族としては、現実を見ていない机上の空論、そして妄想だけが先行しているとしか言えません。
まず入場規制や手荷物検査ですが、今年から始める訳ではなく、数年前からテロ対策で必要になったもので、今回から始まる騒音対策や妨害行為対策との抱き合わせではありません。
インタビューも上記に似たような発言であったと思われますが、接続詞1つでニュアンスは変わるし、変えられるのが物書きのプロフェッショナルなところです。
微妙にニュアンスを変えさせて、読む者に自分の主張を刷り込ませるような、悪意のある文面だと感じられます。
佐久間理事長の言わんとしたことばは、本当にそうでしたか?
箕牧理事長と賛否両論の対決構図を作るために、少しニュアンスを変えられていますよね?
他の方々のコメントも、大筋でその通りなんですが、やはり記者さんの考えに沿ったニュアンスに、すり替えをされていますよね?
式典の時間である8~9時の間は、バス・路面電車・タクシー・トラックなど、平和公園周辺ではクラクション・タイフォンを鳴らさない•••••••これは昔からある不文律です。
平和運動や平和活動と詐称したデモ団体の妨害行為は、もう何十年も以前から広島市民や遺族から、どうにかしてくれとの要望が広島市へ訴えられて来たこと。
しかし騒音問題だけだと行政として手の討ちようが無いゆえに、安全対策と絡ませて遺族の心に沿おうと試みている広島市。
法や条例などこれから整えなければならない部分も確かにあるのも事実で、先にそれらを作り成立させることが、法治国家として正規の手順だと思います。
が、法律や条例がこの世の全てではなく、法律や条例は人間が人として守る最低限のルールである──それは未来永劫変わるものではありません。
そう、たくさんある守るべきルールやマナーの中の、特に守らなければならない最低限のルール。
それに対して、人として遺族による鎮魂と慰霊の最中は、静かにしようよ──人間として一般常識のレベルのルールとマナーです。
記者さんよ、法律さえ守っていれば何をしても良いのですか?
ならば、1番最初に言った「あなたの大切な人のお葬式へ、大勢で押し寄せて拡声器で叫びますよ」になりますし、そしてそれはあくまでも表現の自由なんですよね?
そもそも、拡声器やプラカードを使用したデモや、ゼッケンやビブスを着用した無言の座り込みなどは、全国どの都道府県でも申請しないと実施してはいけません。
そこで時間指定とエリア指定で一部許可を出さないところから、無断で強行 しようとした人たちに、強制退去を命令するのですから、法的根拠が別枠で特別に必要な訳はありません。
なぜならそもそもが違法行為だからです。
犯罪はいかなる理由によっても正当化されません。
犯罪は不正な行為の延長線上にあり、「動機」「機会」「正当化」の3つの条件がそろうと、歯止めが効かずに違法行為へと人は突き動きやすくなります。
裏を返せば動機 = 自己中心的価値観・機会 = 国際的な式典に、正当化と言う条件を満たせさせなければ、違法行為は未然に防ぐことができます。
また、市民を強制退去させる根拠は無いものの、違法行為遂行者もしくは犯罪完遂者を、強制退去させる法的根拠は山ほどあります。
刑事訴訟法には″犯罪者を確保した場合 速やかに警察官もしくは司法警察職員への引き渡しを行わなければならない″と定められています。
が、確保しない場合は警察への引き渡し規程はなく、強制退去はかなり加害者の人権やプライドを尊重していると言うことになります。
そして未然防止のための、会場内へ入場する際の手荷物検査は、その施設の所有者が″施設管理権″を持っており、その権利の中で実施されるものです。
通常のイベント等では施設所有者が開催者へ管理権の一部を委任することで、開催者が契約した警備会社などが代行します。
平和祈念式典は所有者と開催者が同一であり、国賓を招待していることから、国の警備体制に準じた管理権の行使を実施します。
そして記事内にある >″「原爆ドームや供養塔の周辺で毎年、慰霊に関する行事をしている団体もあると思うが」と問われると、「今までのような集会はできなくなるかと思いますね」と淡々と応じた。″は、ニュアンスのすげ替えです。
規制区域が広がったことによりエリア内となってしまったことは事実ですが、社会通念上のルールとマナーを守っていれば、これまで通りに私的行事は行うことができます。
そもそも原爆ドーム周囲で個別に慰霊の行事を行っている方々は、拡声器等で叫ばないし、うちわ太鼓を鳴らして歩く方々は•••••••。
これまでより時間の厳守が厳格化されるので、市長の言う「今までのような集会はできなくなるかと思いますね」に、やや触れるのかも知れませんけど。
どこの世界でもルールとマナーを守らない人たちが群生化すると、それを取り締まるためにルールが厳しくなるのは、仕方のないことてす。
なので広島市が毅然とした態度で臨むことにより、県警も刑事と民事の狭間でどこまで実力行使が可能かが決まるのですから、今回の広島市の施策には何ら問題はありません。
広島市の現状と日本の法律そして広島市の条例、それらに疎い人たちを巧みに間違った方向へ誘導 = ミスリードさせる東京新聞 = 中日新聞東京本社は、今回の記事においてジャーナリズムを軽視し過ぎた蛮行と言わざるを得ません。
と言いますか、シロウトにそんなツッコミ言わせるな!ですよね。
被爆者と広島市はこれまで寄り添って歩んで来て、もう亡くなった方もまだ障害に苦しんでおられる方も、そして遺族や被爆二世も。
事実関係と背後関係を一切無視して、非難そして批判するための、非難と非難を創作されるのは、何の思想に基づくものかは知りませんが、当事者として誰の心にも心外です。
来年の昭和100年に向けて始めた新たな平和記念式典への取り組みを、事実を捻じ曲げての言いがかりには、例え新聞記事だとしても到底受け入れることはできません。
私の稚拙ブログ上からではありますが、こんな不当な干渉には、広島市民として そして遺族として断固抗議します。
本来、ペンは剣よりも強し──ペンは正義のために走らせるべきものです。
デスクメモにて「立場の違いも含め原爆の実相を知り、犠牲者を悼み、核なき世界を願う場と思ってきた」と述べられていますが、まさにその通りですよ。
だから不当・不正な団体を排斥することにしたのに、何を支離滅裂なことをさも正論のように訴えているのでしょう。
また、文面の内容にある問題を曖昧にするために、韓国とアメリカを例えに加害者と被害者の立場を引き合いに出されていますが•••••••。
前述の文章で″広島市民″と″遺族″と記したのは、県外在住者だけでなく、日本国籍を持たない被害者と遺族も含まれるからです。
引き合いに利用されたアメリカ人被爆者とその遺族、韓国人被爆者とその遺族、そしてその他の国々の被爆者と遺族のことです。
今一番、先陣で被害者に刃を向けているのは、東京新聞でこの記事を執筆された記者さん、あなたですよ。
-追伸-
広島市と遺族の思いによる正当な主張と対策に対して難癖つけるなら、北海道庁とJR北海道による言論弾圧こそ、正義のためのペンを走らさないと。
「脅迫まがいのコメントを受けることがあり、北海道にはモノ言えぬ雰囲気がある」と、民主主義を掲げる日本において、言論の自由が脅かされていることには、批判をしない積もりなのでしょうか。
「安倍晋三首相(当時)の演説中ヤジ排除裁判」に関する社説では、東京新聞は「民主主義社会では大事な表現行為」「市民から言論を奪うな」と正論を訴えていました。
広島は大人しくて反撃しない、北海道は何をされるか分からない•••••••から、広島だけ槍玉に挙げておこうなのでしょうか。
だとすると、東京新聞そして中日新聞にとっては、何がジャーナリズムなのか、是非とも本音を聞きたいものです。
まぁ北海道を非難しろって話しではなく、タブロイド紙ではなくちゃんとした新聞社なのですから、全国規模で問題視されている「表現の自由」「言論の自由」に関する事案について。
偏らない公平・公正なジャーナリストスピリッツを、東京新聞には見せて欲しいなと言う追記でした。
それとも怖いのかな?新聞社なのに(嘲)
☆被爆2世が語る平和記念日と世界史☆
May the world be filled with peace and happiness.
(世界が平和と幸福で満たされますように)
ー世界史•平和教育•教養 関連記事一覧ー
もうすぐ原爆忌そしてNPT-PC開催中
今年の夏は例年に比べ、異質の暑さになるとの予想が出ていますが、暑さ寒さも彼岸までとのことば通りなら。
残り2週間強の期間を耐えれば、少しずつ楽な暮らしへと落ち着くのでしょうか。
7月の広島は午後4時を過ぎると気温がやや落ち着き始め、午後7時頃には夕涼みが楽しめる感じで、その分、例年よりは気持ち楽な気がします。
ただ、暑さの本番はこれからで、8月ともなれば熱帯夜が続く季節となり、それは想像するだけで絶望にも匹敵します。
さてヨーロッパではパリオリンピックが開催され、熱い戦いを繰り広げていますが、もう1つジュネーブではNPT 第2回準備委員会が開催されています。
NPTとは核拡散防止条約のことで、1970(昭和45)年に発効し、191ヶ国と地域が加盟する国際条約機関です。
NPTは核兵器廃絶を求めるものではなく、アメリカ・ロシア・イギリス・フランス・中国に核兵器の保有を認める代わりに、核軍縮の交渉義務を課しているものです。
事実上の核保有国であるイスラエル・インド・パキスタンは未加盟で、北朝鮮は2003年に脱退を表明しました。
原則5年毎に再検討会議を開き、核軍縮や不拡散の取り組みを盛り込んだ、最終文書の合意を目指すことが目的です。
基本的に3年前から準備委員会を毎年開催することとなっており、昨年に続き今年は第2回となっています。
準備委員会は各国の取り組みや方向性を持ち寄って、国際条約としての方向性を定めるために擦り合わせをするのが目的で、第3回となる来年が準備委員会として最終回となります。
昨年のNPTではイラン・シリア・中国・ロシアなどの拒絶によって、討議内容をまとめた議長総括を公式文書に残せず、加盟国の分断が浮き彫りとなりました。
今回の準備委員会では、昨年の10月から続くパレスチナ自治区ガザでの、イスラエル軍とイスラム組織ハマスの戦闘が、影を落としています。
核兵器を持つイスラエルはNPTに加盟しておらず、中東諸国からの不満が根強く。
圧倒的な軍事力を背景にガザ地区への殺戮-・破壊を断続的に継続しており、それぞれの後ろ盾となっているアメリカと中東諸国が、準備委員会で対立する恐れが懸念されています。
ガザの戦闘を巡っては、イスラエルの閣僚やアメリカ合衆国下院議員から、ケースによっては核兵器の使用の必要性を示唆する問題発言もありました。
ロシアによる対ウクライナではなく、ウクライナを支援する各国への核攻撃を発言するプーチン大統領の態度とも相まって、ヒロシマでは「近年最も核兵器使用が危ぶまれる事態」との懸念が上がっています。
準備委員会は会議の閉幕に合わせて、論点を整理した議長名の総括文書を出すのが慣例で、これは決議文ではないため全会一致を前提としていないものの、前述の通り昨年は取り下げとなって異例の幕切れとなっています。
あくまで準備委員会の総括文書なので、その効力はそもそも無いものの、議論が深まることに意義があるとする、公文書として記録を残せないことへの腰の引けた考えを示す国もあることは問題です。
深まった議論が何も生み出さない可能性があり、NPTが有名無実化するその瓦解の最初となる危険性を、見て見ぬふりをしているに過ぎません。
本会議であるNPT再検討会議は2015(平成27)年に、イスラエルの非核化を念頭にした中東非核地帯構想、2022(令和6)年はウクライナ情勢を巡って決裂しています。
NPT体制そのものに機能不全を指摘する声も多く、既に空中分解は始まっているとの声も出てきているようです。
日本政府は昨年の広島市での先進7ヶ国首脳会議 = G7サミットでまとめた核軍縮文書「ヒロシマビジョン」をベースに、核軍縮の機運を高めるとの姿勢を誇示しての参加。
ただヒロシマビジョンに対しては、核兵器の保有を前提にした核抑止力を、事実上肯定しているとの批判も強くあります。
広島で7歳の時に被爆した日本被団協の児玉三智子事務局長は、今回の準備委員会において、従姉妹を看取った体現を証言しました。
「二度と被爆の犠牲者を生まないため、政府は核抑止を乗り越える取り組みを打ち出して欲しい」と、求めています。
準備委員会は8月2日まで開かれ、児玉三智子さんのことばは世界へ届くのか、そして各国の歩みよりはあるのか、その答えに未来の希望を感じられるのか、議長総括文書を待ちたいと思います。
さて、間もなく今年も広島平和記念日を迎えます。
2024(令和6)年の広島平和宣言では、一昨年に逝去された元 ソビエト連邦共和国大統領 ミハエル・ゴルバチョフ氏の言葉を引用することになっています。
ゴルバチョフ氏は旧ソ連の最後の書記長であり、ロシアの民主化を目指した最初で最後の大統領、そして東西冷戦を終結に導いてノーベル平和賞を受賞された偉人です。
国際情勢の悪化から国家間の疑心暗鬼が深まる昨今、核抑止力や軍事力に頼る為政者が決意を持って対応すれば、どんな危機も打破できる一例として訴えるようです。
広島地元紙 中国新聞によると、平和宣言ではロシアによるウクライナ侵攻の長期化や、イスラエル軍によるパレスチナ自治区ガザへの攻撃に言及するとのこと。
その上で、核戦争の危機を遠ざけた東西融和の立役者として、ラストプレジデント ゴルバチョフの言葉を引きます。
複数の世界的な著名人の候補と中から、松井一実市長が自ら選んだのだそうです。
ゴルバチョフ氏はソ連共産党独裁体制を立て直すペレストロイカ = 改革を推進し、1987(昭和62)年にアメリカ合衆国 ロナルド レーガン大統領と、中距離核戦力 = INF廃棄条約に調印し、1989(平成1)年にジョージ ハーバート ウォーカー ブッシュ大統領(パパ ブッシュ)と、東西冷戦の終結を宣言しました。
レーガン大統領と中曽根康弘総理大臣によるロンヤス関係に加え、ゴルビー旋風によって日米露の友好関係は日本史上で最良な時代でもありました。
広島市には退任後の1992(平成4)・1998(平成10)・2000(平成12)年の3回来広されていて、原爆資料館を見学した折には「歳月がヒロシマの悲劇の痛みを和らげることはできませんでした。このことは 決して繰り返してはなりません」と芳名録へ記帳されています。
☆被爆2世が語る平和記念日と世界史☆
May the world be filled with peace and happiness.
(世界が平和と幸福で満たされますように)
ー世界史•平和教育•教養 関連記事一覧ー
TwilightExpress 瑞風 / 佐伯区海老園と西広島駅にて
佐伯区海老園2丁目•••••••。
どこや!ッてな話しになりますが、広電 佐伯区役所前駅の裏で、五日市駅を発車して来たトワイライトエクスプレス瑞風を撮影しています。
繰り返しになるんですが、瑞風は現在、重要検査中となっていて、営業復活は9月21日からの予定になっています。
ってもう7月下旬ですから、来月半ば頃には運行予定が公式ページで発表です。
何か毎度のことながら長い運休だよねぇ~と感じていましたが、月日も経ってみたら早いものです。
瑞風の記事は最初の頃は、撮れる時とダメな日とがあって、撮った時にすぐ記事化していましたが。
生活環境が変わってコンスタントに撮影できるようになると、4週間おきに記事にしていたので、月1回そして5週ある月は2回のUPにしていました。
なぜそうしたのかと言うと、検査そしてオーバーホールのために長期運休があるため、4~5ヶ月間分の記事をストックしようと思い立ったからなんですけど。
ラストの3枚は今春で運転終了となった厳島神社参拝が含まれる、山陽上りコースでの西広島駅折り返し停車です。
もう夕方ですが、アストラムライン西広島延伸に合わせて、再開発中の北口駅前を入れて撮ってみました。
戦前から建つ古い民家や、戦後に建て替えられたものの趣のあった建物など、古い町並みは全て壊されて、三角形の空き地が広がっています。
駅前にはオシャレな教会もあったんですよねぇ。
EF210 と F,exp / 高須駅付近にて
広電 高須駅付近で撮影したEF210形です。
まぁ電気機関車とか貨物列車とかと言うよりは、自宅近所の風景みたいな写真なのは、いつものことなんですけど。
今回はそれにも増して、個人的な生活圏の風景となっています。
曇天で薄日が射しているんだかどうだか••••••••みたいな中を行く、JR貨物の主力機 EF210です。
冒頭からの2枚は下り貨物列車を牽引して行く、EF210-138号機です。
2007(平成19)年生まれのピチピチ16歳ですが、未だ原色の姿で頑張っている機関車です。
続いての2枚は碧萌える樹木の影へ飛び込む、EF210-314号機が牽引する上り貨物列車です。
2019(平成31)年1月生まれの5歳ですが、峠攻め機能を備えたなかなかできるヤツです。
そして福山通運専用列車──フクツーレールエクスプレスです。
以前も同じコトを言っているのですが、朝の下りブルートレインが無くなり、特急列車と言う花が失われた広島で。
今も早朝に見られる特急列車••••••それがフクツーレールエクスプレスです。
だから出会えると、ちょっと得した気分になれる存在です。
そう、この「出会えると~」のことばなんですが、他の地域の人からすると不思議なフレーズらしいのですけど。
ダイヤで走っているのだから、その時間にそこにいれば会える••••••••訳じゃないのが、セノハチより西に暮らす鉄道ファンの感覚です。
貨物列車ね、来ないのよ(笑)
どうせ休みの日の朝なんだから、少しの遅れなら待つんだけれど、延々と来なくなるなんてことも、結構あるんですよねぇ。
あの長い貨物列車のコンテナ全てが福山通運オンリーなのは、なかなか壮観な列車なんですけど、来ないと結構寂しい存在でもあります。
黄色いスイカも赤いスイカも、ちゃんと頂きました。
あのね、小さい頃から黄色いスイカ大好きなんよね。
だから毎年、初物はまず黄色いスイカから始まる(笑)
213系と5000系 新旧マリンライナー / 岡山駅にて
2022(令和4)年は鉄道開業150周年、2023(令和5)年は瀬戸大橋開業35周年。
そんな訳で213系はリバイバルマリンライナーで話題がもちきりでしたが、今年は静かに平穏な運用で暮らしています。
213系はクモハ・サハ・クハの形式が現存していますが、クロがいないのでリバイバル運転と言っても、少し寂しいマリンライナーです。
とは言え、やはり213系が6両組成で瀬戸大橋を渡る姿は、圧巻だと思います。
クロがいないのなら、リバイバル備讃ライナーでも良いように思われますが、やはり児島止まりだと•••••••なのかな?
6両組成ではないものの、定期運用で児島行きの列車もあるので、やはり瀬戸大橋を渡ってナンボなのかも知れません。
さて、現役のマリンライナーの方は、瀬戸大橋利用3億人のヘッドマークが掲げられていました。
そっかぁ、瀬戸大橋も35年、そして3億人の人を運びましたかぁ•••••••私も還暦になるはずです(笑)
瀬戸大橋開業前の時代、実は隣県の宇高連絡船には1往復しか、乗ったことがありません。
遥か遠く離れた青函連絡船には、7往復•••••••いや、1回は帰路が飛行機だったから、6.5往復も乗ってるのに。
私が人生で1番多く訪れた駅は岡山ですが、実は3番手は函館駅なんですよねぇ。
え?2位?──それは新山口(小郡)ですよ。
まぁ当然、広島県内の生活圏で使う駅と岩国駅を除いてなんですけどね。
岩国駅は、高校生の頃なんですけど、ホームにあった駅ラーメン屋さんが好きで、西広島駅から40分と時間的にもミニトリップだし、よくお出かけしていたんですよ。
なので、広島県内生活圏の駅と同様、順位には入れられません(爆)
当時は111系や115系そして153系で岩国通いしていましたが、今では全便227系 RedWingなのと、とうの昔に駅ラーメンは無くなってしまっています。
115系も順次淘汰されつつありますが、213系も瀬戸大橋開業のために開発された電車で、もう35年以上走り続けています。
いくら国鉄設計のステンレス車とは言え、そう遠くない将来には、引退の二文字が見えて来るのでしょう。
と言うか、ぼちぼちマリンライナーの置き換えの噂も耳にするようになりましたが、現実問題としてどういう展望を、JR四国とJR西日本は描いているのでしょう。
サロE217形へ独特なマスクをデザインしてはめ込んだ5000系、結構好きなんですけどね。
幽霊には基本的人権がないので給与は支払われませんが、その労働力の代価は国に接収されるという仕組みです。
日本人として生まれたからには、死んでも働けと言う馬車馬以下の扱いですよね。
建国3000年──そこには無限の労働力があるのですけど•••••••やれやれ、世知辛い世の中ですよねぇ~(冗)
梅雨明けなんですがよ!
そんな1週間でした。
まず再ブームのコロナにかかった人がいて、まぁ仕方ないかぁと。
で、パンデミック中にコロナにかかって、後遺症に苦しんでいる人もいたりして。
ただねぇ•••••••。
普段から仕事をすることを拒否してる人が、後遺症が発症した時に病院も行かずに、お家でゴロゴロしてるだけ。
早退したり休んだりした時のしわ寄せは誰にいくのよ & ゴメンやありがとうは何故、いつも無いのか分からない。
椅子に座ってるかダバコ吸ってるかだけで、毎日過ごせてお給料出るんだから、いいご身分ですよね。
その役立たずのポンコツのお陰で、もう休みも無くてボロボロです。
あ~•••••••そうじゃない──けど、そうなんだけど。
もうホントに、言いたいことあり過ぎて、言いたいことが追いつかない。
梅雨も明けたしね!
追い打ちかけるように、嫌がらせの暑さが降り注いで、家から出た途端に肺がヤケドするかと思った。
いいなぁネコは。
マイペースで。
って、何してるん?
ネコにはネコの悩みがあるんですかね?
まぁ、あるでしょうねぇ、生きてるんだもの。
ネコはいいなぁなんて言ってゴメンなさい。
昨日はね、一瞬だけどお雑煮の中で溶けた餅になったかと思った。
その、突然暑くなるのはやめて欲しいですよね。
毎年、地獄のような暑さになる夏ですが、今年は一段と暑くなるらしいのですけれどよ、マジで″どーしてくれようホトトギス″です。
もうね、今日は中身の無い羅列文字ブログに陥っていますが、ホントそんな現状です。
こーゆー日もありますが、とにかく家にいる時には常に眠りたい!
なので、どーせ言いたいことは追いつかないし•••••••と言うことで、こんな感じのブログでした!