先日は、リーマン・ブラザーズ破綻、バンカメ(バンクオブアメリカって、こうやって略すのね知らなかった)のメリルリンチ救済と、アメリカの金融市場の動揺(システミック・リスク)について書きました。

かおもちろんその原因は、いわゆるサブプライム以来の金融市場の信用収縮にあるというわけですが。。。

この通信はIT問題なとこ限定なので、注目したいのは、その危機(リスクとも呼べる)が、いわゆる「情報化」のひとつの帰結なのではないか、というところでした。それが前回のエントリ。

得意げここまでのパニック、そして振幅は、実は情報化のたまもの。

情報化って、自動化とか、「人手を減らす」とか、「人間の手が掛からない」というイメージを持ちがちなんですが、そんな事はないんですね。オフィスのOA化が進むと、かえって印刷物が増えるでしょ?そんな感じ。

べーっだ!自動化するからこそ、人手(冷静な)が必要になる。逆説ですが、真実です。

介護保険なんかで前に触れた話と、個人的にはとても似ていると考えています。介護保険だって、管理ソフトがばしばし出るから、どんどん書類が増えるんですよね。

ビックリマーク

さて情報化された市場では、膨大な情報の監視=モニターが必要になります。すかさず判断して売り買いするだけではなく、リスクコントロールもしなければならない。

そして市場の主役は、そのモニター、監視役が担うことになるわけです。市場は、監視役の運用によって決まるわけですね。運用役が適用する規準のさじ加減が決定するので、実はぜんぜん自由市場じゃなくなっているのです。

そして今回の問題は、結果が予想されていた規準を逸脱してしまい、その運用役が破綻しつつあるということ。まさにシステミック・リスクと呼ぶにふさわしい。

つまり、情報化とは、「運用者こそが神になる」社会
・・・そう言ってしまって良いと思います。
だから、運用者が破綻する時は、その社会が滅ぶとき。
・・・私たちは、皮膚感覚でその恐ろしさを感じて、今回の出来事になっている。

ショック!前々回のエントリは、極私的に運用者が破綻したとき=働く場所がなくなる時の、人のすさみ方をお届けしたつもりでした。

!!

さて、運用者が神、というのを露骨に示す、よい?ニュースがあります。

最大手検索サイトに検索結果の不正操作疑惑=メラミン混入粉ミルク関連のデータを削除―中国
2008年9月、中国ナンバーワン検索サイト・百度がメラミン混入事件の粉ミルク製造メーカーに関するマイナス情報を不正操作により削除しているとの疑惑が広がっている。
http://www.recordchina.co.jp/group/g24071.html

・・・「あいかわらず」という感じですが、露骨に笑えません。だって、私たちの社会だってヤバイですよ?

同じことをGoogleがやっていたとしたら・・・

検索エンジン、Googleこそがネット社会の運用者なのです。

だから、Googleこそが神であり、その破綻が情報社会の(現時点の)破綻なのです。

ニコニコもちろん、そんなつもりは毛頭無く、代案を立ち上げないといけないんですけどね。
関係ないように見えますけど、実は昨日の続きのつもり。

かおリーマン破綻の影響は、世界中の株式、為替、国債、すべての市場に波及しています。

NY株、急反発後に失速
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080919-00000010-jij-int


問題は、振幅の幅が大きすぎるんですよね。

世界の主要6中銀、ドルの協調流動性対策発表
http://jp.reuters.com/article/businessNews/idJPJAPAN-33826120080918


これなんか、通常時なら「GJ!」な将来にわたったシステムに成り得るんでしょうけど(日銀も重要なプレイヤー!)
今この時点だと、大丈夫?最後までリスクコントロールできるの?という領域に。。。?

たとえば、下のとかぶっ壊れたら、どうなるんでしょう(ガクブル)。
膨張する「金融ギャンブル」=CDS、邦銀も57兆円の取引
http://www.jiji.com/jc/c?g=ind_30&k=2008091800866



金融とか国際経済の専門家じゃないですが・・・少なくない外貨を持っているので、マジで頑張れーという心境です。

さて、これらの動向を必死で追いつつ、思い出したのは先日のニュース。
ユナイテッド航空の株価が大暴落--原因は昔の記事の誤掲載
http://japan.zdnet.com/news/ir/story/0,2000056187,20380161,00.htm


アメリカの大手航空会社の株が急落。その原因は、「6年も前の新聞記事」という、笑えない出来事です。

原因は以下に詳しいです。

UAL株価暴落はなぜ起きた――アルゴリズム検索も一因に
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0809/10/news095.html


これって、3つの「ITによる自動化」が原因なんですよね。
・検索サイトgoogleが、最近よく見られたニュースページを自動的にホットニュースとして出す
・経済サイトBloombergが、googleで出たニュースを自動的に配信&トップに出す
・株取引の自動化システムが、Bloombergでのマイナスなニュースで自動的に売ってしまう(市場の4割!)

個人的には、こういう自動化システムって、通常時ならいいんですけど、非常時の振幅にたえられないんじゃないかって思うんです。特に株式市場の自動取引。

その話をもっとしておかないと、突然システムが割れることもありえるのではと。だから、ちょっと心配。昨日の話が超ミクロな心配だとすると、今日の話は超マクロに心配。

あまり宮城UPに関係なさそうですが、そんなことはありません。
ITの恐ろしさ、それが私たちに波及する可能性。。。
注視の必要、大です(って、だから何かできる訳じゃない)ガーン
どうして頑張って会社で働くのか、考えさせられることが続いています。

【破たんで社員持ち株が紙くずに リーマン社員の「天国から地獄」】(J-CAST)
http://www.j-cast.com/2008/09/17027142.html


上の記事、前半と後半にわかれているのですが、前半のストック・オプションの話は、知らない世界です。年収一億ももらっておいて、なんだよ、という感じ。

一方で、後半の荷物を片付けたり、会社のグッズをオークションに売る、というのは、最近のネット社会っぽくって、なんだか記憶に残るエピソードになりそうですね。

かおさて、みなさんは、働く場所がなくなったことがありますか?

私は現在の仕事に就く、もう十数年前、ある会社の部局で雇われていました。条件は時給制に近く、いわゆるワーキング・プアでした。(思い出したくない話なので、あまり人には話さないのですが。)

その部は、会社的に新しい商品を扱うところで、それにひかれて入りました。(就職氷河期で、他に行くところがなかったというのもありますが。。。)部の人間は、情報系の部から来た人が半分、企画系の部から来た人が半分。

新規商品の立ち上げって楽しいモノです。
みんなで真夜中にピザでも取りながら、わいわい議論し合って進めていく、仲良しで楽しい職場でした。ただ、新規ゆえ、なかなか成果も上がりませんでした。そしてある時、職場が一変しました。

ある朝、出勤してみると(私が一番に行くことになっていた)、無人の事務所で、「何かが違う」と感じました。具体的に何が違うのかはわからないまま、パソコン(Win95)の電源を入れてみて、メールをチェックしようとすると、ネットが繋がりません。慌てて隣のMacを見ると、そちらは電源すら入りません。

かおはてなマーク

何気なくパソコンの裏面を見ると、LANコードがすべて抜かれていました。Macは、その先に繋がっていた電源のOAタップがなくなっていました。

むっビックリマーク

部屋を見渡すと、半分ほどの机はかたづけられ、きれいになっていました。共有物だったタワー型のMacは、2台が無くなっていました。そして、部屋にあったすべてのLANコードと、買ったばかりのOAタップは、すべて持ち去られていました。

そのうち、ある社員が出社してきたので、泡を食った私が状況を説明すると、彼の一言目は、「やられた~」でした。

ショック!あせる

昨日、会社の偉い会議があり、新規商品の部の閉鎖が決まったのだそうです。それを知った、元情報系の部の人が、昨晩遅くに来て、すべて持っていったのだと聞かされました。Macはもともと、情報系の部から持ってきたモノなので、持って帰ったのだろう。そして、新規の部で買った消耗品は、部が無くなると所有者がなくなる。役立ちそうなものは持ち去って、元の部や自宅で使うのだろうということでした。

しょぼん汗

それから1週間は、数名の社員と雇われとで、部屋の片付けをしました。だいたいは無言でした。使えそうなものは入れ替わり来た社員が次々と持っていきました。前日までワイワイやっていたのが嘘のようでした。別れの挨拶もそこそこにそれっきりの人が、何人もいます。楽しく仲良くやっていても、一日でこんなに変わるのかと、組織の恐ろしさも学びましたし、それっきり変わってしまう、人の心についても学びました。

かお誰が悪い、ということは、ないんですよね。そう自分を納得させています。

私は社名の入った灰皿と、封筒と、ルーズリーフをもらいました。「本社に戻ればたくさんあるから」という理由でした。

今でも大事に取ってあります。戒めのために。

ニコニコでも、そろそろ年季が明けたなら、ヤフオクで売っちゃおうか、なんて思ったりしています。
べーっだ!若干忙しくしていて、更新間隔がズレぎみです。が、ズレたまま、行きたいと思います。

汗しかも、山古志の災害復興現場の続きです。もう忘れてきてますが。

先のエントリーで、「地元の知恵」という話をしました。これは昔の人の知恵だけではないようです。

木籠水没集落の様子長岡地域振興局の方がおっしゃっていたのは、「街の人間より、山の人の方がたくましかった。」という話でした。例えば水道管が切れて水が飲めなくなっても、どの沢の水が飲めるか知っていて、汲んで飲むことができる。食料も蓄えていて、隣近所で普通においしく炊き出しして、救援を待てるのだそうです。

中には、ゆんぼ(って言うんですか? 道路工事用の特車とか)を自分で運転しちゃったりとかして、仮道を自作してしまった集落もあったとか。免許とか関係ないんですかね? まあ、自分で作れちゃえば待っている用もなくなるわけですね。

こういうのって、まさに「生活する力」「生きるリテラシー」ってモノだと思うんです。「地元の知恵」って、そういった「生きるリテラシー」の一部なんですね。それ以外に、日常生活を立て直す力、トラブルに負けない精神力、そして隣近所で協力し合う力っていうのも、その一部であるように感じました。木籠水没集落の様子

震災の規模は長岡市街よりも山古志の方がずっと大きかったわけですが、都市部で被災した人の方がずっと辛そうだったと、振興局の方がおっしゃっていました。そういう「生きるリテラシー」の差なのかな、と感じました。

!!

突然、宮城UPの話に戻りますが、「パソコンを使う力」「インターネットを使う力」も、実は「生きるリテラシー」の一部に含めていいのではないか、と思っているのです。

パソコンとかネットって、すぐ「仕事のスキル」か「趣味」みたいに扱われて、あってもなくてもいい、そこまで行かなくても二の次扱いなんですよね。でもおそらく、「無いといけない力」になってきているし、実際には自らの生活そのものに密着した力たり得ていると思うんです。

「生きるリテラシー」としてのITスキル、って、どう学べばいいのだろう? それが宮城UPを考えたときの、すべてのバックボーンになった問いです。

はてなマークみなさんにとって、今のITスキルは「生きる力」たり得ているでしょうか?
新潟報告は完全に終わってはいないのですが、おとといあったイベントをご紹介です。

【格差社会における女性支援のあり方を考える-女性のためのUPプログラム全国板報告会-】
http://www.microsoft.com/japan/citizenship/ca/up/up_woman/forum.mspx


宮城UPは、マイクロソフト(株)のUnlimited Potentialプログラム宮城版の略なのでして、UPは宮城県だけでもないですし、障害者支援だけでもありません。むしろ、本筋はこちら、「女性のためのUP」と言った方がよいです(規模的にも)。

女性のためのUP報告会の様子ITをつかって、社会的マイノリティ(立場の弱い人)をエンパワーメント(力づけ、パワーを回復させること)が、UPの目的。そうすると最大のマイノリティは女性なのですね。だからUPも日本では女性支援が主役です。

実際のところ、障害者支援の立場からも、女性支援から学ぶ内容はとても多いです。人口が多いからこそ、支援の歴史も多く、充実している。そのノウハウを学び、共有していくというのも、とても大事ですし、「同じUP」として活動している私らのメリットだと思います。

あせるということで、東京開催だったので私が担当だったのですが、別件で忙しくて途中で抜けざるをえず、ぜんぜん話を聞けませんでした・・・きゃ! すみません。でも、行くだけは行ってきたので、ちゃんと証拠写真を貼っておきます。

開始前の風景なので空席があるように見えますが、はじまると大盛況でした。宮城UPも負けてられないですね。これからも頑張りましょう!!
今年の新潟は熱い(一部ではかお)、という話を繰り返してお伝えしてきました。リハ工、福まち学会、山古志視察・・・そのすごさは、コーディネーションにあります。

新潟大学の事務局の皆様には、本当にお世話になりました。その感謝の意を込めて、今日のエントリです。

リハ工、福まちなど各種のイベントが、それぞれ新潟でやっている、というだけではないんです。それぞれを、ないしはそれぞれの内部を繋げること、何か新しいことに取り組むこと。その二つが、いろいろなところに見られていました。

例えば、福まち学会で裏方を務めていらっしゃった新潟大学の学生の皆さんですが、Comsigのワークショップでも展示なさっていました。

統括シンポの風景また、興味深かったのが、写真の奥、ホワイトボードに書いてある「ファシリテーション・ザ・フィックス」?(正式名称聞き落としてしまいました(^-^;)です。8月31日の分科会の内容を、模造紙にカラーペンで書き留める。そしてそれを統括シンポジウムに持ってきて、他の分科会に出られなかった人たちに参考にしてもらおうという試みでした。

書き留めるテクニックは新潟の「まちづくり学校」の方々のテクニックなのだそうです。こういうのを背景にしたセッションというのも、おもしろかったです。

統括シンポの風景このようなおもしろい試みがおこなわれた鍵こそが、まさにキーパーソンのすごさ、大会運営委員長の新潟大学の林先生のすごさだと思います。林先生のバイタリティーを私は尊敬してやまないのですが、パワフルな発想力だけだけではなく、現場をうまくまとめて実現していくリアリスティックな調整力をお持ちのところも、凄いなあ、と思います。

お疲れでらっしゃるようでしたが、「私がやるからには、新しいことに挑戦しないと」という一言が、響きました。

新潟大を中心に、障がい者ITサポートセンターも立ち上がりました。ますます新潟に要注目です。林先生はじめ、多くのコーディネーターの成果ですね。

あせる人生の先輩がこんなに頑張っているんですから、私たちも頑張らないといけません。ヤバイなあ。
かお多摩もすっかり秋の気配です。昨日はミニ遠征をしてきました。どこへって、風の向くままよ・・・。旅に生きるなんてとらこさんみたいでカッコいい(^-^)。

なんて、そんなシブい旅ではなく(^-^;、営業の出張でした。車で150kmぐらい爆走。それもいずれ報告しちゃおうかな。

ともかく、新潟報告の続きです。まだ書き足りないので。山古志は、本当に勉強になりましたよ。中山間地に住んでいるわけではないのですが、「被災したら、どうしよう?」ではなく、「被災したら、こうしよう!」というイメージを、確認することができます。

池谷闘牛場そして今日は、地域のコミュニティを考える上で、とても重要な話だと思います。

なのに一枚目の写真は、山古志の「池谷闘牛場」です。おいおい、やっぱり観光地かよ、とらこのマネかよって、そうなんですがそうじゃないんです。もちろん闘牛を見た訳じゃないですし。

ボードウォーク01闘牛は山古志のシンボル。震災後、バリアフリーにしたり観光客に見やすくしたりするために、板敷きの通路「ボードウォーク」を作ったのでした。板一枚で1000円の寄付金を受け、その板に「山古志頑張れ!」のメッセージを寄せたモノです。

ボードウォーク023枚目の写真として、ボードウォークの拡大写真も載せておきます。有名人がたくさん参加していました。みなさんが知っている人、いますか? 

山古志復興のシンボルになっているわけですね。

さて、ここからが今日の本題。この闘牛場は震度7の地震でも、まったく被災しなかったのだそうです。闘牛場にいたるまでの舗装道路は被災しまくったのに。

中山隧道写真は「中山隧道」です。山古志の中でも山が深く、冬期になると積雪で完全に孤立してしまう集落が、急病人や必要物資を運ぶために昭和初期に、ツルハシとスコップで1km近く掘って開通させたという、歴史的建造物です。

長岡地域振興局の方が「こういう古いトンネルや道路は、ほとんど損傷しなかった」とおっしゃっていた話を、ぜひ取り上げたかったのです。何しろ、山古志を縦貫する主要国道が滑り落ち、橋桁も落ちて無くなっているなかで、手堀りのトンネルや道路は無事だったんですよ。“国土改造論”的にバシバシ作りまくった(角栄のお膝元ですからね)、1970年代ぐらいの道路は、軒並み被災したのに対して。

隧道の内部昔の人は、自分の地元を知り尽くしていた。「どこの地盤が固いか」「どこが崩れにくいか」わかって、道路や建物を造っていたのですね。だから共有のものほど、しっかりとした所に作ったため、被災しない。その地域に「地元の知恵」が生きていたのですね。

地域振興局の方が「昔の人は、丁寧に土地を読んで道を造っていた。今だってやろうと思えばできないことはないが、どうしてもガーっと舗装路を引いてしまう。震災後も。」とおっしゃっていたのが、「道路のプロ」の横顔と誇りを見るようで、記憶に残りました。でも、国の復興補助は3年で引かなくてはならず、また議員さんと土建屋さんが大挙して押し寄せて、争うように舗装路をひいてしまうのだそうです。

「近代的舗装路」に対して、「地元の知恵の道」。残念ながら被災すると、その差がくっきりあらわれます。

古くから村にあるものは、むしろ被災しせず無事で、近代的な大掛かりなモノほど壊れる不思議。理由はきちんとあります。

その地域、コミュニティに、「地元の知恵」がまだあるのか。発揮できているのか。発揮できるように施策できているのか。考えさせられました。
かお話をまじめに戻します。新潟報告(8)の話は、地域の復興が、どういった意味あいを持つのかという話でした。

「地域生活と個人生活の関係の再構築」・・・家というもっともプライベートなものにおける、地域コミュニティとの関係を結び直すこと。これは一言ではいい切れない課題でしょう。一過性のものではないからです。「今日は上手くいかなかったから、明日から変えよう」ではすまない。「家に帰って出直そう」でもすまない(家そのものですから)。震災前でも、長い(それこそ子どもの頃から、ないしは代々に渡った)ご近所づきあいの中で、少しずつ決まり形づくられてきた関係性です。震災によって、その関係が一度リセットされる。積み上げなおすには、最終的には同じくらいの時間が必要になるでしょう。

ビックリマークその意味では震災復興における個人生活の回復は、その周りの社会生活、そして経路であるコミュニティと、再び関係を取り戻すことになります。

そして、そのコミュニティそのものが一度リセットされて、再興されるという過程にもなります。

復興団地のコミュニティスペース興味深かったのは、「竹沢復興住宅団地」にある写真の建物。現在、これは団地の共有物として使われていて、収穫した農作物を売る、朝市として使ったりしているそうです。近郊から買いに来る人も多いとか。

つまり、コミュニティスペースとして使われているわけですね。こういう空間が、コミュニティを回復し維持するには欠かせないことが、よくわかります。

ちなみに、この建物は実は積雪対応の「車庫・倉庫」名義なのだそうです。そうじゃないと震災補助金が出ないのだとか。「コミュニティスペースでは、ダメなんですね。ははは。うまく言い訳するわけです。」と、長岡地域振興局の職員さん(役人)が笑っておっしゃっていたのが、官僚のみなさんの知恵・心意気と、誰も意図せずして硬直化してしまう、悲しいシステムとしての行政を実感させました。

コミュニティを回復する例として、一戸建てを要望していても、仮設住宅で共同生活を送るうちに、二個一の方がよいとか、共同で住もうという話になった例もお聞きしました。

!!もはや、災害からコミュニティを回復するのではなく、被災経験がコミュニティをつくる、というところまで、言えるのかも知れません。山古志は、その壮大な、成功しつつある実験のひとつなのですね。

かおもちろん、被災前にコミュニティができているのが最高ですけどね。そして、復興住宅の多くが小学校の跡地というのが、少し悲しく感じました。
ガーン新潟報告のクライマックスの途中ですが、いいところ!で予定を変更しまして、遠征地の恒例「うまいモノ奇行」をお届けいたします。変更理由は、気分の問題です。

ちなみに「うまいモノ奇行」とは、nagoya出身で味音痴にもかかわらず、全国各地に出張が多い私が、それぞれの名物・特産を前にして(目の前をスルーも多い)味音痴ぶりを発揮し、皆さまに地団駄を踏んでいただくという、極悪企画です。前回はこちら、大分編。銘酒・名産を全国に誇るという新潟編は、自分でもあきれる味音痴ぶりでした。

さて、新潟というと「米・酒・肴」の3名物だと、「福まち学会」のUD観光セッションでもおっしゃっていましたが、新潟について妙に食べたくなったのは、なぜか「ラーメン」でした。

そういうことってありますよね?ドキドキ

新潟名産?マーボーメンなので、ちょっと寂れた商店街のラーメン屋を発見し、さっそく好物の「マーボーメン」を堪能。

これがすごくおいしかったです。お店はなんだか国際色豊かで、なぜか日本海の対岸っぽい雰囲気?だったのですが、その寂れ方が逆に旅情を誘いました。「マーボーメン」でしたが。

まあ、新潟っぽいものは「福まち学会」の懇親会で食べられるだろうと、この時点では油断していたのですけどね。

福まち学会の懇親会の様子ということで、懇親会。大入り満員。立食パーティだったのですが、食事と人数とのバランスが悪すぎます。冒頭の大会長挨拶の段階から、話も聞かずに食事の前に黒山の人だかり。

私はパートナーのFさんと、なぜか同じテーブルのゆにふりさん(^_^)のために、お皿に食事を取ってくるので必死に往復していました。6~7往復はしました。15分ほどですべて空っぽに。

たいしたものが食べられなかった・・・妙に形の崩れた魚の揚げたみたいなのと、何かの肉にどろっとしたタレがかかったのを少しだけ。お腹は減ったのに怒りは満たされていたので、終了後3人でピザを食いに行きました。気分はイタリアン。

山古志のお弁当新潟っぽいモノ・・・あ、お弁当のご飯が、妙においしかったです。UD観光セッションで松本明先生が「米の本当の味は、冷えた時にわかる」とおっしゃってましたが、まさにそのとおり。うまかった~。Fさんは「もち米入ってるから」とおっしゃってましたが、それがどうしておいしくなるのかはわかりませんけど。

写真は山古志体育館でいただいたお弁当。最後の村長で復興の陣頭指揮をとった長嶋村長の奥様がなさっているNPOがつくって下さって、地元の名産品(麩の天ぷらみたいなのが入ってたらしい?どれ?)だけで作られていたそうです。が、何がなにやら説明を聞いてもよくわかりませんでした。

あ、おみそ汁はわかりましたよ。おいしかったです。ごちそうさまでした!

草餅?結局、名前と味が一致したのは、写真の「草餅?」(正式名称はわからない)ぐらいかなあ。長岡駅のキヨスクで購入。普通に売ってるところが凄い。笹で包んだ5月5日に食べるお餅みたいに見えますが、なんか草は中にも入っていて、外も内も草餅

あと、途中下車した越後湯沢駅で、お酒の試飲コーナーがありました。500円でおちょこ5杯。上越から下越、佐渡まで、東京では手に入らない銘酒ばかりでしたが・・・

越後湯沢の利き酒コーナーなぜか選んでしまったのは、「梅酒」。・・・すみません、笹餅でおなかいっぱいになっちゃって、辛い酒を飲む気がしなくて・・・

ショック!あああ、これは我ながら大失態だ! ポン酒は大好きなのに~!あまりの台無しっぷりに、さすがに反省しました。

しょぼんもうしばらく、新潟に行くこと、ないかなあ・・・無念。

続かない!
かお村の復興は、ハード面で言うと基本的には、道路と住宅の再建になります。今日は住宅の方を取り上げます。

山古志モデル住宅写真は、山古志復興のために用意された「モデル住宅」です。住宅を再建したい人は補助金を受けることができるのですが、このモデル住宅を作ることが薦められます。企画段階で「できるだけ安く(800万円ぐらい)で作れるように」という目標は達成できなかったのですが、各方面の協力で1200万円以下という通常のモデル住宅よりずっと安い値段で提供できる設計になったそうです。

案内してくださったご担当の方は、このモデル住宅で3つの力点を説明してくださいました。
ビックリマーク・お年寄りでも使いやすく、外出しやすくする
積雪の多い山古志は1Fに倉庫や車庫を用意して2Fから階段で出入りできるようにするのが普通のため、足腰が弱くなると階段がバリアになって出歩けなくなる事が多い。それで1Fにも居住スペースを作ったり、内部に手すりをはったりなど、バリアフリーに配慮した。
!!・現地の産業復興という視点を重視
現地の大工さんに施工してもらえるように、しかも一斉に建ててしまわず少しずつ建て増しできるように(そうでないと大工さんの来年の仕事が無くなってしまうから)する。木材も近くの杉などで作っています。
アップ・文化を再建するという視点を持たせる
単なる建物の再建ではなく、「美しい山里の景観」の再建でもなければならない。積雪など山古志の自然環境でも過ごしやすいだけでなく、木の良さを生かしたり、色調を黒と白で統一したりなど、日本家屋の文化を生かした外観にした。

山古志・竹沢復興住宅団地それぞれの家を再建するのではなく、地域の文化や共同性(コミュニティ)を復活させるような家であって欲しい。この視点には、阪神淡路大震災以降のコミュニティ復興のノウハウが、惜しげもなく生かされている気がします。確かに以上の視点でつくられた、戸建てや二個一(一個に二世帯住める共同住宅)で構成された「竹沢復興住宅団地」は、山古志の棚田とぴったりマッチして、美しい村になっていました。

天空の里ただ、その趣旨が完全に生かされたとは言い難いのも、現状かと思いました。例えば写真は被害が最も大きかった(死者も出た)集落が、山上の小学校跡地に集団移転してできた「天空の里」なのですが、モデル住宅の数が少ないんですね。みなさんどうしても自分たちの昔の家に似せたり、好みや目的もあって、モデル住宅ではなく各自の考えで設計した家を建て直すということも多いのだそうです。

家は個人の自由の最たるものです。各人のライフスタイルですから。一方で景観や地域の共同性のためには、モデル住宅のような統一感が欲しい。復興は、地域生活と個人生活の関係の再構築を求められる過程でもあるのですね。

続きます!べーっだ!