かお話をまじめに戻します。新潟報告(8)の話は、地域の復興が、どういった意味あいを持つのかという話でした。

「地域生活と個人生活の関係の再構築」・・・家というもっともプライベートなものにおける、地域コミュニティとの関係を結び直すこと。これは一言ではいい切れない課題でしょう。一過性のものではないからです。「今日は上手くいかなかったから、明日から変えよう」ではすまない。「家に帰って出直そう」でもすまない(家そのものですから)。震災前でも、長い(それこそ子どもの頃から、ないしは代々に渡った)ご近所づきあいの中で、少しずつ決まり形づくられてきた関係性です。震災によって、その関係が一度リセットされる。積み上げなおすには、最終的には同じくらいの時間が必要になるでしょう。

ビックリマークその意味では震災復興における個人生活の回復は、その周りの社会生活、そして経路であるコミュニティと、再び関係を取り戻すことになります。

そして、そのコミュニティそのものが一度リセットされて、再興されるという過程にもなります。

復興団地のコミュニティスペース興味深かったのは、「竹沢復興住宅団地」にある写真の建物。現在、これは団地の共有物として使われていて、収穫した農作物を売る、朝市として使ったりしているそうです。近郊から買いに来る人も多いとか。

つまり、コミュニティスペースとして使われているわけですね。こういう空間が、コミュニティを回復し維持するには欠かせないことが、よくわかります。

ちなみに、この建物は実は積雪対応の「車庫・倉庫」名義なのだそうです。そうじゃないと震災補助金が出ないのだとか。「コミュニティスペースでは、ダメなんですね。ははは。うまく言い訳するわけです。」と、長岡地域振興局の職員さん(役人)が笑っておっしゃっていたのが、官僚のみなさんの知恵・心意気と、誰も意図せずして硬直化してしまう、悲しいシステムとしての行政を実感させました。

コミュニティを回復する例として、一戸建てを要望していても、仮設住宅で共同生活を送るうちに、二個一の方がよいとか、共同で住もうという話になった例もお聞きしました。

!!もはや、災害からコミュニティを回復するのではなく、被災経験がコミュニティをつくる、というところまで、言えるのかも知れません。山古志は、その壮大な、成功しつつある実験のひとつなのですね。

かおもちろん、被災前にコミュニティができているのが最高ですけどね。そして、復興住宅の多くが小学校の跡地というのが、少し悲しく感じました。