化学物質過敏症の快復に向けて、ポジティヴに歩む日記です。笑って、踊って、読みふけって、自然を愛で、時に暴走しています。
強風が吹き荒び気温が低い朝です早春に舞い戻ったかのような日差しです。葬儀に出なかったおかげで体はとても楽です。数少ない身内にこの病気の辛さを理解してもらえないばかりかそのことで口撃されるなんて予想はしていても辛いものです。多くの患者さんたちが経験しているのかもしれないですね。殺人事件の半数以上が親族関係なんですってね。身内だからかえって容赦ないことも多いのかな悲しく寂しい残念ななんとも表現しえない気持ちです。婚家の親戚は義理兄や義理母の葬儀の時には私が無理にでも出席すると言ったらみんなで「無理したらダメダメ 家で冥福祈ってたらいいのよ さ、早くかえりなさい」って言ってくれたものでした・・この違い骨折の方は一回のリハビリに40分かかるそうで整形外科へ行った方が良いのかどうか迷っています。軽く杖をつくだけでゆっくりなら歩けるようになっていますがちょっとした角度で力が入るとズキンと痛みが走ります。それを庇うので膝痛再発です。どちらが自分にとって楽なのか悩みます。違う種類の痛みだから難しい
深夜二時に父が亡くなりました。昨日の夕方妹からLINEが入り生理食塩水の点滴を止め全ての医療行為を中止し酸素吸入だけになったため長くて月曜日までと医師からの連絡があったとのことでした。病院内空気質の何がかわったのかいつもの防毒マスクでも体調がひどく悪くなっていて頭痛嘔吐下痢だったので散々迷ったのですけれど夜8時に面会自由になったと追加の報告がきたので思い切って最後の面会に行ってきました。病室到着が11時妹たちは帰宅して父一人でした。下顎呼吸になっていて意識なく時折足を動かしている(痙攣)状態でした。呼吸は苦しそうですが穏やかな顔でした。幼い頃から母と祖母から散々父の悪口ばかりを聞かされていたし実際父は口悪く我の強い血気盛んな人だったので人としての父の良い面なんて微塵も感じたことがなくはっきり言って嫌いでした。でも事業家としては一目置いていました。ベッドで一回り小さくなって最後の呼吸をリズミカルに繰り返している姿を眺めているうちに自然と言葉が出てきました。「ありがとう」と。おかげで金銭的には苦労少なく不安に苛まれることなく生きてこられました。何度もありがとうと言いました。自分でも驚きながら。30分ほどいてさよならを言って帰ってきました。帰宅1時間後に亡くなったとの連絡がありました。なんか・・私の気持ちが通じて父は良い気分でこの世とお別れを決めることができたのかなと感じました。私の勝手な思いにしかすぎないけど。社葬になり会社を継ぐ妹か甥が喪主です。手伝えることも少ないし体調があまりに悪いので妹には通夜葬儀には出席できないと伝えました。
深夜3時目が覚めたとほぼ同時に固定電話が鳴りました。妹からの電話で、施設から父の容体がもういよいよなので、まだお話ができるうちに来てくださいと連絡があって、今施設に来ているとのこと。急いで着替えて施設に向かいました。どんなに急いでも2時間かかります。到着したら施設前に救急車が停まっており、妹たちが車で出発の待機をしていました。私たちも降車せず、そのまま総合病院の救急へ同行しました。父は蘇生術を受けて心肺機能回復したものの意識朦朧です。救急車を呼んだために延命治療をすることになってしまったようです。***妹の言葉と主治医の言葉などを総合するとどうやら1週間くらい前から、父は寝たきりに近い状態になっており、ゴールデンウィーク中が峠であると説明を受けていたらしいです(私には何の報告もなし)施設の契約クリニックの主治医の説明では老衰で、主治医と施設長と妹を交えての間の話し合いでは、延命治療は望まず、自然な見取りを妹は希望しているということになっていたようです(私には何の報告もなし)が、いざ危篤状態に陥ったら妹も甥もパニックになり救急車を呼んでしまったらしいです。施設の人は何にもしてくれなかったと、病院のロビーで散々私に愚痴った妹何もしてくれないのは、家族だけの別れのためにそっとしておいてくれたのだろうと思います。何も医療行為をしないことが自然な看取りなのに。救急車よりクリニックの主治医を先に施設長が呼ぼうとしたのは、施設での看取りのためだったのに、施設では救急車も手配しようとすらしてくれなかったと妹は怒っており・・・だから自分が救急に電話しなければならなかったと憤然としておりました。何をか言わんやの状態でした。父は点滴でぶくぶくに浮腫んでおり、肌は赤黒くなっていて苦しそうでした。あれって溺死寸前状態なんですってね。病院の主治医の先生も、施設での看取りと言われていたはずなのに、なぜ来たんですか?という目をしていました。さすがに言葉にはしないけど。後になって気がついたのだけど、私が救急車を呼んだかのように思われているのかも。妹は責任転嫁のためなら平気で嘘をつくから。誰にどう思われようと、もうどうでもいいけど、もやもやはするよね。妹が入院セットを用意しに帰っている間ずっと処置が続いていて、それが終わるまでロビーで待っていましたが、防毒マスクに松葉杖の私を見て看護師さんが、そのお身体では付き添いはできないでしょうから、もういいですよと帰宅を促してくれました。妹も甥も、何の気遣いがないのに改めて驚く。主治医が病状説明をと言ってカンファレンス室に案内してくれるのに、歩き始めたら、妹たちは自分達だけスタスタ。松葉杖ゆえ遅い私は置き去りでも全然平気らしく、病院スタッフ専用のエレベーターのところで、私と旦那はみんなが何処へ行ったか見失ってしまいました。たまたま父を病棟へ運んでいく看護師さんを見かけたので声をかけ、一緒に入院病棟階までいくことができました。他の看護師さんに訊ねてカンファレンス室が何処にあるのか教えてもらい、入室させてもらった時には、ほとんど説明が終わってたという状況でした。主治医の先生だけが「長女さんもいらしたんですね、ごめんなさい」と謝ってくれました。妹は終始私を見ずそっぽを向いたまま、私には対しては無言。もう、妹の態度が酷すぎて、腹立たちの感情も超えてしまいました。そんなわけで、お昼前に一旦帰ってきました。今日のリハビリはキャンセルひどく疲れました。
昨日は短い時間の手続きだったし移香は少なかったのだけれどなかなか使い慣れない松葉杖歩行や病院以外の場所へは2ヶ月ぶりの外出とあって疲れたみたいです。だるい1日となりました。でもとてもお天気が良いので実家まで行って軽く草引きしてきました。この季節に1ヶ月半放置した庭は手のつけようがないくらいの雑草が繁茂しております。その雑草に埋もれてたまるかと背伸びして存在をアピールするように芍薬やバラが咲き誇っていました。枯れてなくてよかった。その後母の介護シューズを持って帰ってきました。足の甲の部分がベルクロになってて簡単に脱ぎ履きできて歩きやすいのよね。買ってあげたけど結局ほとんど履いてくれなかった靴。通院している整形外科は今時珍しいスリッパに履き替えるところなのです。明日リハビリするのにスリッパより歩きやすい上履きあるといいかなと持って行ってみよう、と思ったのです。明日は40分ほどかかりますと言われてます。ハードだなあリハビリの仕方がわかったらもう通院は終わりにしよかなって思ってます。膝もだいぶん良くなってる。
期限まで1週間を切ったので今週中のいづれかの日にと思ってました。今朝目覚めたときに雨が降ってなかったのでよし!と気合い入れて行ってきました。この近辺のほとんどの人たちは1日で免許証更新してもらえる少し遠い免許センターへ行くので講習が別日になる地元警察署で手続きをする人は極めて少ないのです。今日も少なかったですよ、わずか5名僻地万歳!警察署の近くのお住まいと思しき中年男女一人ずつ爺様と赤ちゃんを抱いた女性と私でした。視力検査、写真撮影も含めて30分ほど。5年前に行った時より少なかった印象です。もちろん1階だけで全て終了講習はとりあえず今月末ごろを予約しました。が・・・問題発生講習の部屋が2階ではなく3階とのこと。古い3階建てなのでエレベーターもエスカレーターもありません。担当の女性職員の方が私の松葉杖姿を見て随分気にかけてくださいました。何度も7月まで猶予がありますからねと言ってくれました。ギリギリ講習期限まで先延ばしにしようと考えていたのですが今日行ってみたら入り口付近に蚊取り線香のデカイ缶が五個くらい置いてあって中にはたくさんの線香の燃え滓があるのを目撃しました。蚊が大量発生しないうちに受講してしまわないと大変です。梅雨入り前には必ずってことです。のんびりしてられなくなりました。リハビリ根性入れて頑張ります!
癌専門の医療センターの若い医師と、癌治療の甲斐なく末期に進行しもう治療する方法がないと余命宣告された患者、の個々の立場を描いた小説でした。末期癌の母を看ながら感じていたことが、まさに小説として描かれていました。私は癌治療に関係する本をいろいろ読んでいたから、今の標準治療と呼ばれるものが一部のケースを除いて治療効果があるどころか、痛みや苦しみを増やしていることがほとんどだと考えていたので、母にはできるだけそういった治療を少なくしてもらいたかったものでした。しかし当の母はこの小説の男性患者と同じく、最後まで治療を諦めきれませんでした。治療を断念することは、自分が死ぬことを受け入れること。死期が早まっても、どんな苦しみにも耐えるから治療を続けたい・・・一縷の望みに縋りたいと、緩和ケアに入るまで戦い続けたのでした。母は64歳で大腸癌ステージ3の手術をしてのち、8年後に肝臓に転移が見つかり、それから8年間に5回も手術をしました。高齢女性としては驚異的な体力だったと思います。術後、医師の言う「根治」(今あるがん細胞は全て体外へ取り去ったと言う意味)を、完治と信じて喜ぶのも束の間、半年後〜1年後に転移しました。その繰り返しでした。2度目の転移では、手術をしても2年生存率20%と厳しい数字を言われても、自分が80%の方に入るとは考えることがありませんでした。私は再発転移後の手術は、かえって転移の速度を増すだけだからとずっと反対し続けましたが、母は医師からこれ以上の手術はできないと言われるまで、医師の薦めるがまま手術を受けました。妹も受けさせたがりました。臓器の切除をすれば必ず後遺症は残り投薬が増えて、それに伴い副作用も多くなり、臓器を失った分体の機能は衰え、がんが増殖しやすくなるのに。(若い人で最初の手術だけは延命の効果は高いかもしれないけれど)幸い抗がん剤については、妹も良い印象を持っていなかったため一緒に説得してくれて思いとどまってくれました。もし妹が抗がん剤の効果に疑問を持っていなかったら、数ヶ月の延命効果しかないと説明されても、母は辛い副作用に耐えれば、ひょっとしたら癌が増殖する体質が変わり二度と癌細胞が生まれなくなるのではないかとの期待に縋り抗がん剤治療を望んだことでしょう。母の気持ちがわかればわかるほど、本人が得心するならと、自分の思いは押し殺して、母の手術に最終的に同意し続けましたが、私にとってはCS症状とともに精神的に辛い日々でした。無駄とわかっていて苦しい治療を受け続ける姿をみるのは、心身ともにしんどかった。母に実際に癌になってみないと、余命の宣告をされてみないと、私の気持ちはわからないと言われると反論のしようもありませんでした。将来子宮頸がんになるかもしれない異質細胞があるからと子宮摘出手術を受けた妹の言葉の方を、母は信じたがりました。自分の体内に一つでもがん細胞があるとがん細胞が急速に増殖するイメージに襲われ、その恐怖から最後まで逃れることができなかったようです。そのイメージを植え付けたのは、最初の主治医であり、マスコミであったと思います。この小説の男性患者のように、セカンドオピニオンを求めたり、新しい手術法を求めたりして、病院をいくつか変わりましたが、母の状態は良くなることはなく、術後転移が発覚するとすぐに余命宣告をされました。あまりに簡単に人の余命を口にする医師に腹立ちをこえて哀れみさえ感じるようになっていきました。西洋医療のエビデンスという名のまやかしに反論する術を持てない自分への苛立ち、患者家族としてなんとも表現しようのない気持ちを募らせていた日々でした。治療法のない死の病にかかった患者にとって良い医師とは?と問いかける一冊全ての人が癌になる前に読んでおくと良い本かもしれないですね日本の医療の現実がわかっていると、生き方を変えることができると思う悪医 (文庫) [ 久坂部 羊 ]楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}送ってくれた友達に感謝西洋医療についてルーツを知ると面白いエビデンスなんてないよ、今も、ただの数字的まやかし、金儲けがほとんど。私はそう思う世にも危険な医療の世界史/リディア・ケイン/ネイト・ピーダーセン/福井久美子【1000円以上送料無料】楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}
ゴールデンイーク最終日は雨先ほどから降り始めました。現在午前6時です。膝の調子は相変わらずです。座った状態で動かしたり両脚で立っているだけなら全く痛みはありませんが歩くとすると痛みます。激痛ではないので少しくらい負荷がかかっても杖を使えば我慢しながら歩けるのですが無理しないほうがいいだろうなあという感じです。骨折した部分やギプスをした間使わなかった筋肉を少しでも早く回復させるためには動かさなきゃいけないけれど膝はできたら休ませたい・・これをどうするかはリハビリの先生に聞いてみるしかないのかなネットで膝サポーターを買ってみようか・・・効果があるなら免許更新手続きに行く際助かるよね
良いお天気になりました。楽しそうにサイクリングに興じる人たちが家の前を通り過ぎて行きます。少しでも早く歩けるようにと負担がかからない歩き方を工夫しながらですが少しくらいの痛みを堪えて歩いていたのですけど膝の痛みが増してしまったので今日は完全なる膝のお休み日としました。とはいえじっと座っているばかりにもいかないので杖を置いて歩行器で歩いています。退屈なので足首などの関節を動かしたり痛みのない部分をストレッチしてみたりそうすると膝の痛みにも良いようです。痛みは膝にだけ出てるけど左足全体の問題なのかもなあ同じだけバランス良く体重かけて足の甲に全く痛みなく両脚で立つことができるようになっています。歩きさえしなければ膝に痛みはありません。来週末から病院でのリハビリ開始です。
足の甲の痛みは日々改善してっているのですが骨折している方の膝に痛みが出始めました。膝の内側の筋を痛めたようです。歩くと少々痛いです。じっとしている分には痛みはなくて一歩踏み出して力を入れるとズキンときます。安静しかないですかね・・・旦那の膝用サポーターでは効果薄く今日は伸びない包帯を巻いてみました。少し楽です。膝の筋を痛めたのは歩くのに無理をしたのが大きなきっかけですが調理をするときに椅子に膝をあずけて体重かけたりギプス装着時期に歩かず床を這ったりするときに負担をかけたのも影響してるかも。いずれも若い人ならそうはならないのだろうなあと思ったりしています。普通に生活してても膝に痛みが出たりするお年頃です。歩き始めたから内臓の調子が良くなって便秘気味だったのが快便になりました。食欲はずっと変わらず旺盛ですが動かない時も特に太るわけでなくむしろちょっと痩せた感あり不思議・・・・今朝は雨が止んだもののとても冷えます。
猪肉のハンバーグをたくさん作りすぎて冷凍をしたものの同じ調理法では飽きるよねなんて夫婦で話してたところそういえばハンバーガーって発症してから一度も食べたことがないよねー作ってみようかと意気投合しました。パンを焼くところから?って準備をしかけたところでノースカラーズさんのプレーンパンがバンズパンの代わりなりそうねと買い置きを出してきました。非常用のローリングストック!ハンバーグをできるだけ薄くして焼いて完成!!乳製品アレルギーじゃなければスライスチーズを乗せたいところです。私が最後にハンバーガーを食べたのは発症する直前にモスバーガーがやたらと食べたくなって・・あれが最後美味しく食べれたのに直後から具合が悪くなってしまったのでした。実に20数年ぶりのハンバーガーでした。これならお手軽、また作ろう。ノースカラーズ オーガニック小麦粉のもっちりパン プレーン/1個楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}レーズン入りもあるから両方常にストックしてるよ
昨日の夕方ギプスをつけてなら両脚使って杖にも頼らず歩けることがわかり夜は初めてギプスをつけずに眠りました。ああ、足が自由で嬉しい全身伸びを何回もしてしまいました。試しに今朝はそのままギプスなしで両脚で立ってみました。少し痛みはあるけど大丈夫。次にギプスを固定するためだった包帯を患部にぐるぐる巻きにしてサポーターっぽくし厚手の靴下を履いて杖を使って歩いてみました。少し痛みはあるけど少々体重かけても(全体重は無理かもしれないけど)ひどい痛みにはならないみたいです。それに気をよくして午後からの雨の前に散歩をしてこようと思い立ちギプス用サンダルを履いて従兄ん家まで行きアプローチの階段を登って降りて帰ってきました。特に痛みが強まることなく同じ調子で痛いので大丈夫と判断しました。少しずつ距離を伸ばしていこうと思います。骨より小指側と親指側の筋というか筋肉というかそれが痛む感じがします。それと膝の上の筋肉と向こう脛の筋肉に軽い痛みが出ました。足首の関節がギクシャクしてます。これらはマッサージとかストレッチしたらすぐに治りました。Dr.も動かせることろは動かしなさいと言ってくれてたので大丈夫でしょう関節などを痛めないよう気をつけながらゴールデンウィークを過ごします。
おばあちゃんが使っていて亡き後、母が譲り受けていた4点杖を持ってきてもらいました。その杖を手にしていざ歩こうとして杖の正しい使い方って知らないなあと思いました。・・・そういえば杖を使っても階段って怖いよね。どうやって昇り降りしたら安全なのかしら・・・そんな時にはYou Tube!!【階段昇降】基本編〜階段昇降時の注意点・動作手順〜☆セットで見て欲しい動画【階段昇降】介助編〜付き添い方・介助の仕方〜階段介助の介護技術https://youtu.be/sR8sf7kUzZ8高齢者が増える日本での社会問題が、在宅介護における介護問題です。国家資格の理学療法士が、プロの目線で介護技術を解説・実演いたします。日頃の介護の現場で使える介護技術ですので...youtu.beたくさんありました。理学療法士さんが懇切丁寧に解説してくれてます。ドラマなどで間違った使い方をしているらしく記憶のどこかに残ってるからなんでしょうね私もその方法を無意識にやろうとしてました。大怪我しかねないところでした。やってみたら思った以上に痛みなく歩けるので嬉しくなりました。本日は晴天です。靴を履き庭に出てみました。アプローチの下り坂も安定して歩けます。母の家まで歩いてアプローチの低い階段を昇り降りして帰ってきました。母が亡くなった後捨てようかと思っていた介護用品がとても役立っています。捨てないでおいて良かった。老後の予行演習みたいだなあと思ってはて老後って何歳からだっけ?と調べてみたらもう老後と呼ばれてもおかしくない年齢と知り苦笑い
甥と姪が来てくれるというので母の家に行った4日前下り坂は危ないので行きは車椅子にしましたが帰りを試しに松葉杖で歩いてみました。ギプス用のサンダルが届いたのでそのお試しも兼ねました。近いといっても片足歩きだと結構な距離に感じました。歩き始めはほとんど右足でのみでしたが右足の筋肉が疲れてくると次第に左にも少し体重をかけるようになり痛い痛いと言いながら歩き通して自宅に帰りつきました。その夜、骨折したあたりが少し痛みやりすぎたと思っていたんですがその翌日から骨折部がとても楽になり始め今日は右に重心をかけてではありますが何にもつかまらずに両足で安定して立てるようになりました。歩行器を使いながらびっこをひきつつ両脚を使って歩けています。松葉杖でなくて杖だけでも歩けそうな気がしてきました。今日は雨なので明日母の杖を持ってきてもらってちょっと練習してみようゴールデンウィーク明けに運転免許証更新に行こうと思っていますがこれくらい歩けると不安なく行けそうです。松葉杖だと両手が塞がってしまうけど杖なら片手の自由が効くからいいだろうなああと10日ほどですが無理ない範囲でどれくらい歩けるようになるかやってみましょう
猪ミンチ頂きましたミンチ肉と言えばハンバーグ合い挽き肉よりどっしりしてるのに脂はさっぱり胃にもたれず、とても美味しかったです。忘れず写真撮れた。大根おろしとポン酢で和風
今日はギプスをした方の足の踵だけをそーっと床につけて歩いてみました。もちろん歩行器を使いながらです。ギプス側には体重かけないようにしてね。角度によっては軽い痛みがありますがほぼほぼ無痛で歩けることがわかりました。床にそーっと着けているだけなんだけど右足だけのツンツン歩きに比べて随分と右足への負担が軽減されます。そして立ち止まった時バランスが取りやすくなります。最初の一歩は痛みが走るんじゃないかと恐る恐るでしたが・・・流石に1ヶ月経過しているからかなんてことなかったです。どれくらいまで体重をかけられるか試し試しやっていきます。そうするとギプスを固定する包帯が汚れやすくなるためカバーのようなものが欲しいなあと。ファスナーが壊れてしまって捨てようと思っていたヤッケの袖を利用して手縫いでカバーを作りました。これは普段使い用外出用にはギプス用靴下なるもの見つけて一つ購入してみることに。*ギブスカバーに!春夏用・よく伸びる靴下(綿混・めちゃのび靴下)1足(通常の両足用)・左右兼用です ギブス靴下 骨折 よく伸びる靴下 むくみ用 ゆるい靴下 ケガ用楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}初めてで知らないことだらけだったからバラバラといろんなところから骨折した時のグッズを買ったんだけどこのサイトだったら松葉杖から靴、靴下、変えの包帯などなど一度にセットで買うことができたんだね。そうそうやっぱりギプスって冷えるんだね。冷えないためのぬくぬくカバーも販売してます。もういらなくなったけど早くに知ってたら欲しかったかも〜〜〜
土曜の午後から降り始めた雨が降ったり止んだり今日もまだ続きます。そういえば母の家の方にもう1ヶ月も行ってないです。旦那によると今年も花がより盛大に咲いていたようです。そろそろどれも終わる頃らしい私が心配するほど雑草に覆われてもいないとのこと覗きに行きたいなあうちの家のアプローチが雑草を芝風に短く刈った状態で滑ったり引っかかったりしやすい上緩やかな坂道なので慣れない松葉杖で歩くのは少々危険が伴います。せめて骨折したがわも軽く着けて歩くことができればバランスも取りやすいかと靴あるいはその代わりになるものがあったら良いのにと思いました。ギプスがでっかいため旦那のつっかけサンダルでも入らず外に出るのに固定の包帯のままだと汚れてしまうから洗濯が大変だし。何か良いものはないかと探していたらこんなの見つけました。痛みなく歩けリハビリにも良いとかとってもレビューがいいので即買いしました。【あす楽・在庫あり】ギプスシューズ(M)FR-326(20.5-24.0CM)楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}これがあればもう出かけられる!?届くのが楽しみ連休明けには運転免許証更新に行かなきゃいけないし骨折した方の足をバランス程度にでもいいから床に着けることができたら数段くらいなら階段だって上がりやすくなりますよね。もっと早く知りたかったわ気がかりなのはPVC製なので臭いがどうかな・・・てところ。これまでの経験から少し干せばいけると思うんですが。