4/5
B0-2T
勝  メッセンジャー
負  東
S  ドリス


昨年、ハマスタで煮え湯を飲まされ続けたタイガースに連敗。
屈辱のあと一人コール。
轟き渡る六甲おろし。

このままやられてばかりではプロではない。

何かが足りない。
誰がどうとかではなく、敵と戦う前に見えない幻に負けている感がする。

そのチームを覆う暗雲を振り払うべく、一人の青年がハマスタにやって来た。

1995年11月29日生まれの22歳。
三重県出身。
愛工大名電高校から立命館大学に進学。
ドラフト1位の鳴り物入りのルーキーは伊達ではなかった。

精密機械の石田健大。
知勇兼備の今永昇太。
豪快無比の濱口遥大。

彼らの長所を全て併せ持つ、170cmの小さなサウスポー。

正確で知的で豪快なピッチングが、タイガース打撃陣をねじ伏せていく。

7回112球1失点9奪三振の大熱投。
だが、悔しい悔しい敗戦投手。

彼を悲運のルーキーにしてはいけない。

今回彼を見殺しにした野手陣は、死に物狂いでリベンジしてくてれるはずだ。

そうでなければ、先発の彼にも、雨の中最後まで声援を送り続けたファンに申し訳が立たない。

意地を見せろ!
闘志を見せろ!
勝利をもぎ取れ!

いい試合だった、で喜ぶレベルはとうに過ぎている。

だから、勝ちたい。


左腕がうなれば
狙いは外さない
ピンポイントの技
攻めろ  攻めろ  克樹

横浜DeNAベイスターズ。
背番号11。
東克樹。

その手で勝利を掴み取れ!

VICTORY is WITHIN US.


4/4
B1-2T
勝  小野
負  飯塚
S  ドリス


横浜スタジアム40周年記念試合となったこの日の相手はタイガース。

「優勝に向けてのライバルはタイガース。昨年は本拠地で大きく負け越した」

開幕前に指揮官は語っていたが、その初戦を取ることは出来なかった。


チャンスを作るもあと1本が出ない。
もどかしい戦いが続く。

そんな試合の9回表のマウンドにはこの男が立った。

今シーズン、ビハインドの場面のみでの登板ながら、ここまで3試合打者14人相手に被安打2。防御率0.00。

チームに流れを取り戻そうとの、気迫のピッチングが続いている。


1995年7月20日生まれ。北海道出身。
秋田県の明桜高校から、2013年育成ドラフト1位で入団。

伝統的に左腕不足に喘いでいたベイスターズにあって頭角を現し、一軍先発のチャンスを掴む。

2015年6月14日。札幌ドーム。
相手は二刀流・大谷翔平。

堂々と投げ合うも、リリーフ陣が打たれて敗戦投手に。


ここから彼の勝負が始まった。

その活躍が呼び水となったのか、横浜左腕先発陣は大きな成長を遂げた。

そうしたチーム状況もあり、彼はセットアッパーとしての登板が続いている。

キレのあるピッチング。
育成から這い上がってきた根性。
甘いマスクの奥底から湧いてくる闘争心。

勝ち切れないチームを鼓舞するピッチングは、必ず明日の勝利に繋がるはずだ。


左腕がうなれば
狙いは外さない
ピンポイントの技
攻めろ  攻めろ  ヨシキ

横浜DeNAベイスターズ。
背番号47。
砂田毅樹。

今日も全力投球。
明日も全力投球。
それが我らの使命。

VICTORY is WITHIN US.


4/1
B3-1S
勝  京山
負  由規
S  山﨑

決める9番打者・倉本寿彦の決勝タイムリーで、今季初勝利。

負ければ本拠地開幕3連敗。
絶対に落とせない試合で、この頼れる男と共にヒーローインタビューに立ったのは、19歳の若武者だった。

1998年7月4日生まれ。
滋賀県の近江高校から2016年のドラフト4位でベイスターズから指名を受ける。

「ライオンズの西口文也のような投手になれる」とは、彼をマークしていた他球団のスカウトの声。

「ドジャースの前田健太の若い頃を思い出せるね」とは、スワローズ小川淳司監督の評価。

ルーキーイヤーの2017年はファームで先発ローテーションに入り、シーズンを投げ抜いた。

一軍先発投手陣の相次ぐ故障もあり、開幕カード先発登板のチャンスが巡ってきた。

腕を振り切る堂々たるフォーム。
ピンチでも動じないマウンド度胸。
19歳とは思えない冷静なコメント力。

手にしたチャンスをものに出来る実力こそ、勝負の世界で必要なことだ。

戦うぞ
闘志みなぎらせて
勝利の海
ゆくぞ  ベイスターズ

横浜DeNAベイスターズ。
背番号48。
京山将弥。

ハマの空に煌めく新星また一つ。

悲願の優勝へ大きな第一歩が刻まれた。

VICTORY is WITHIN US.


3/31
B3-5S
勝  石川
負  バリオス
S  カラシティー


本来目指したはずの「スモールベースボール」をスワローズに仕掛けられ、悔しい惜敗。
開幕カードの負け越しが決まった。

指揮官は、不調のリードオフマンに代えて、ドラフト2位ルーキー神里和毅のトップバッターへの起用を決めた。

昨年全試合で1番バッターとして活躍し、今年から背番号1を背負った彼が、悔しくないわけがない。

ハマの元気印。
お祭り男。
とにかく明るい桑ちゃん。

表面に見える明るさや快活さの裏側は、真面目すぎるほど誠実で不器用な青年の姿。

その明るさに、元祖ハマのお祭り男・波留敏夫の再来と見るファンもいる。

だがそのストイックすぎる性格は、ハマの龍神・金城龍彦に近いものを感じさせる。


開幕3戦目にして、昨年守り続けたトップバッターの座を明け渡す悔しさ。

だが、この壁は必ず乗り越えてくれるはず。

チーム内でのレベルの高い競争があってこその、優勝争い。

彼の明るい笑顔が、すぐにハマスタで見られるはずだ。


今だ  クワ  喰らいつけ
燃えろ  ガッツマン
突っ走れどこまでも
勝利を呼ぶ男

横浜DeNAベイスターズ。
背番号1。
桑原将志。

夜明けの来ない夜はない。
君の笑顔をみんな待っている。

VICTORY is WITHIN US.


3/30
B3-7S
勝  ブキャナン
負  石田


待ちに待ったプロ野球2018年シーズンが開幕。
横浜スタジアムの頭上には80機のドローンが飛び、花火が舞った。
立錐の余地もない観客席。
高まる高揚感。

だが、初戦を取ることは出来なかった。


今シーズンのベイスターズへの期待は高い。
多くの評論家が優勝候補に上げ、テレビや雑誌で特集が組まれ、書籍も出版された。

こんな現象は優勝した1998年以来のこと。
浮き足立つなと言うこと自体、無理な話だ。


1998年の優勝以降、坂道を転げ落ちるように、ベイスターズは勝てなくなった。優勝の立役者が一人去り二人消え、ハマの番長・三浦大輔の孤軍奮闘が続いていた。

勝利の時に敗北の原因を作ることがある。
敗北の時に勝利への道筋をつけることも出来る。

38年間優勝から遠ざかっていたということは、負け癖が染み付いていたということ。
勝つことは出来ても、勝ち続けることが出来なかった。


「今年優勝を目指して戦うのはもちろんのこと、来年も再来年も、常に優勝争いをする常勝チームになれるように。そのために戦っていこう」
試合前、チームメイトを前に我らのキャプテンは語りかけた。

彼は先の先まで見据えている。

本気で常勝軍団になることを目指して、考え抜き、行動している。

そのリーダーシップに、選手は奮い立ち、ファンは魅せられ、断腸の思いで一度は球団を去ったOBたちも帰ってきた。

彼を中心に、チームの歴史と宿命を変える戦いの火蓋は切られた。


横浜の空高く
ホームランかっ飛ばせ  筒香
さあ打て  筒香
飛ばせ  空の彼方
横浜に輝く大砲
かっ飛ばせ  ホームラン
GO  GO  TSUTSUGOH!

横浜DeNAベイスターズ。
背番号25。
筒香嘉智。

頂点を目指しての戦いは始まったばかり。

今日は勝とう!

VICTORY is WITHIN US.


ことばのチカラ ~成功へのターニングポイント~

ニッポン放送

2018/02/12(月)21:00~21:30

放送内容メモ2/2

(放送内容メモ1/2からの続き)

金子 では、本職のピッチャーとしての話。
うわ、こいついやだなぁとマウンドで思ったバッターは?

三浦 あんまりいないんですけどね。
相性が悪かったのは、ドラゴンズの荒木雅博選手ですね。
どこ投げても打たれる、そういう時期がありました。
甘い球はもちろんダメ。いいコースに投げても打たれる。バットへし折っても、詰まらせても、内野の間を抜けていったり。
ホームに返さなければいい、と思って投げてました。
年間で7割ぐらい打たれたこともありましたね。
荒木選手本人に聞いたこともあるんです。でも、本人も分からないという。
タイミングをずらしたり、ピッチャープレートを踏む位置を変えたり、いろいろ本当に工夫したけど、ダメでしたね。

金子 逆に、こいつご馳走さまという選手は?

三浦 なかなかいないですけどね。
意外と、4番とか、外国人とか、穴があるバッターは抑えていたんじゃないかと思いますね。コントロールミスさえしなければ、というバッター。
まぁ、ホームを踏ませなければと思って投げていました。

金子 三振が多かったという印象がありますが。

三浦 ただ単に、長く投げさせてもらったからですよ。三振率は高くない。三振が多くなくても、長いイニング投げていれば、三振数は必然的に増えますから。

金子 生涯最高のシーズンは?

三浦 1998年。優勝した年ですね。
2005年もタイトルを取ったということで嬉しさはあった。でも結果、優勝できなかった。
嬉しさ、喜びといったものは1998年とは比べ物にならない。
裏方さんもふくめてみんなと喜びを分かち合えた。全然違いました。

金子 高校のときに、「俺を見ろ」といっていた選手が、大きく変わりましたね。

三浦 入ったころは、「俺が俺が」でしたから。徐々に徐々に変わっていった。
やはり1998年の優勝が大きかった。プロに入ったらビールかけをしてみたいと思っていたけれど、それができた。みんなが幸せになれた。大の大人があれだけはしゃげる。
それをもう一回やりたかった。もう一回優勝したかった。
FAで残ったあとも、優勝したい。それだけでした。
個人の成績よりチームの優勝でしたね。

金子 生命線の球種はなんだったんですか?

三浦 全球種がそうでしたから、決め球はない。総てが平均以上になるように。
その上でのストレートでしたね。
すべての球種がいいと、その中でストレートが生きる。140キロそこそこのストレートでも、しっかりコーナーに投げられれば抑えることができる。
コントロールとキレになっていくんです。

金子 キレを出すにはどういう意識で投げられていたんですか?

三浦 少しでもバッターの近くで投げる。そしてバッターのギリギリまで球を見えないようにしてタイミングを取りにくくする。
手元でキレを出すために、下半身を使って。
その再現性を得るために、体に覚えこませるために、キャンプで投げ込む。シャドーをする。
もちろん肩は消耗品です。だからしっかりケアしてしっかり鍛える。
そうするしか、自分に生き残る道はなかった。140キロのストレートで、150、160キロの球が投げられるわけではない。魔球もない。
ただ言える事は、プロの一軍の選手はどこか怪我を持っている。それとうまくつきあいながら、試合に出ているということです。

金子 それでは、三浦さんの「忘れられないコトバ」をお願いします。

三浦 「己を知りなさい」
ピッチングコーチをされていた小谷正勝さん(現ジャイアンツ二軍コーチ)のコトバです。
ピンチで力ばかり入って、本来の自分でない投球スタイル。
「お前は、全力で投げても150キロ出ないだろう。自分はどういうピッチャーなのか。ピンチで我慢する中で、できることをやりなさい」と。
アドバイスを受けてからも、何回も失敗しました。
それを繰り返す中で、ここはボール球を振らそう、そういった自分のスタイルが徐々にできるようになっていった。
意外に冷静になれるようになった。だんだん客観的になれるようになっていった。
日本シリーズが終わった後ぐらいからでしょうか。
大舞台で失敗して、自分をじっくり見られるようになったという感じがあります。

金子 大きな舞台は、成功体験だけでなく、三浦さんのように失敗体験も大きな財産になるのですね。

三浦 もちろん、成功すればなお良かったわけですが。

金子 三浦さんはこのたび「踏み出せば何かが変わる」(青志社)を出版されました。

三浦 自分自身、何回も壁にぶち当たってきました。悩んで悩んで次にどうしようかと。
そういう時に、まず一歩踏み出す。踏み出せば少しだけかもしれないけど新しい景色が見える。必ず変わることができる。成長していける。そんなことを書かせていただきました。

金子 ドラフト6位で入団して、剛速球も魔球もない。そういうなかで名球会に手が届こうかという172勝をあげられた。
三浦さん、プロで成功するためには何が必要なんですか?

三浦 気持ちですね。
プロに入ったころはみんなギラギラしている。最多勝取ろう、ホームラン王になろうと。
それが1年たち2年たつとだんだん慣れてくる。現状に満足して、2軍でもそこそこ生活していけるだけの給料はもらうことができる。
選手はいずれか辞めるときが来る。その時に後悔しないためにはどうするか。それを考えることだと思います。

金子 なぜ三浦さんはプロの世界で失敗しなかったんでしょうか?

三浦 失敗をしたからです。もう二度としないと。まわりの方々のおかげです。
あとは言い方は悪いけれども、常に「欲」を持っていた。
もっと給料をもらおう、いい車に乗ろう、今度は外車に乗ろうと。
そのために行動していこう。
踏み出せば何かが変わる。
満足しない。年棒もそうだけど、優勝したかったですね。

金子 欲深いですねぇ(笑い)

三浦 欲の塊でしたよ(笑い)

(放送の最後に)

金子 そろそろ終わりの時間となりました。
三浦さんの成功への秘密は若い時の失敗体験にあった。
そこで感じた痛み、鮮烈な記憶が、ドラフト6位、剛速球も魔球もないピッチャーが、もうちょっとで名球会というところまでいけた大きな要因だったのではないでしょうか。

(以上終わり)



ことばのチカラ ~成功へのターニングポイント~
ニッポン放送


2018/02/12(月)21:00~21:30

 

放送内容メモ1/2

 

 

金子 こんばんは。スポーツライターの金子達仁です。
先週に続いて、横浜DeNAベイスターズでエースとして活躍された三浦大輔さんをお迎えします。

三浦さんこだわりのギア、相棒についてお伺いします。
三浦さんのこだわりといえば、ピッチャーですのでグラブとかそういうものかと思いきや、まさかのバット。

 

三浦 もちろんすべてこだわっていましたよ。グラブも何もかも。そのなかでのバットです。

ピッチャーによってはバッターにバットをそのまま借りるような人もいれば、僕のように「三浦モデル」みたいに自分のこだわりで作る人もいる。
長さ、重さ、形。「焼き」を入れてもらって形が良く出るようにしてもらってました。

 

金子 理由は?

 

三浦 かっこいいからです(笑い)。

僕が入ったころはベテランの方が良くやられていた。そうした方々がだんだんいなくなってきて、ここだろ、と。

 

金子 マイナーな方、マイナーな方へといきますねぇ。

 

三浦 人と一緒がイヤというか。人がやっていないことで自分がいいと思うことをやっていた。
バットに焼きを入れ、グリップは白いテープで巻いて、矢沢永吉さんの白いマイクスタンドを意識して俺も巻こうと。そして矢沢さんの曲で打席に入ってました。
880~890グラムぐらいですね。

 

金子 そもそも投手として自分用を作られるのが珍しい。そのバットをお持ちいただきました。

 

三浦 これは引退した年(2016年)につくったバットです。でも3試合しか出ていない。勝てなかったけど、ヒット3本打ちましたからね。
   
金子 24年間投手として連続ヒットを打ったというギネス記録のバットですね。
ベイスターズファンは、これ欲しいだろうなぁ。
ところで、ホームランは打ったんですか?

 

三浦 1999年、ドラゴンズの川上憲伸投手からハマスタで3ラン打ちました。
この試合、初回に5点取られて、その後何とか抑えて勝つには勝った。
いわゆる「スミ5」。8回まで投げましたが、あまり褒められたモンじゃない。
このホームランが最初で最後でしたね。

 

金子 ホームランを打ったのは、どんな気分でしたか?

 

三浦 感触はなかったですね。振り抜いて、打った瞬間にホームランとわかって、これがホームランか、と。

 

金子 その後は、狙うようになりましたか?

 

三浦 なかなかね。マツダスタジアムでも「フェン直」はあったんですよ。3ベースも2本打った。足遅いのに。
もともとバッティングは好きでしたね。
だいたいピッチャーの打席はベンチも期待していないし、気楽な気持ちで打席に立っていました。
バントの方がプレッシャーでしたね。決めて当たり前ですから。
期待していないピッチャーが打てば盛り上がる。
ただ投げるほうからするとイヤですね。ピッチャーがやる気満々で打席に入ってくる方が神経を使う。だから自分が打席に立つ時は、打つ気は見せていましたね。

 

金子 打席に立ったときに、「こいつはスゴイ」と思ったピッチャーは?

 

三浦 カープの大野豊さんのスライダーは、ホンマに消えるんですよ。
あとドラゴンズにいた宣銅烈(ソン・ドンヨル)は、真っ直ぐもスライダーもえげつなかった。インコースに投げられたボールを逃げるように見逃すとストライクになってしまう。
まぁ、打者でプロに入っていないんでね。

 

金子 素人の感想だなぁ。

 

三浦 打者の技術はなかったですからね。たまたま24年続いた。

 

金子 消えるんですね。
ここで、三浦さんのリクエストの曲です。
矢沢永吉さんの「IT'S UP TO YOU!」です。
そもそも、なぜ矢沢永吉さんなんですか?

 

三浦 中学生の時に「SOMEBODY'S NIGHT」を聞いてからですね。総てがカッコいい。常に自分の中心でしたね。

 

金子 それではお聞きください。
矢沢永吉さんで「IT'S UP TO YOU!」

 

(放送内容メモ2/2へ続く)

 

ことばのチカラ ~成功へのターニングポイント~
ニッポン放送
2018/02/05(月)21:00~21:30

放送内容メモ2/2

(放送内容メモ1/2からの続き)

金子 次のユニフォームを着るとしたら、やはりベイスターズですか。

三浦 それはそうでしょう。ベイスターズしかない。それ以外のユニフォームは着れない。あれだけ盛大に引退試合をしてもらったし。永遠番長というニックネームももらったし。

金子 それだけ愛着のあるベイスターズの魅力とは。

三浦 1998年に優勝して、しばらく横浜の時代が続くものだと思っていた。でも選手が一人抜け二人抜け。

金子 山あり谷あり谷あり谷あり谷あり......。

三浦 それでも応援してくれるファンの方がいた。そのファンの方と優勝したいとずっと思っていました。

金子 2008年のFAでは、タイガースに心が揺れたのではないですか。

三浦 もちろん揺れましたよ。悩んで悩んで悩み抜いた。子供のころから阪神ファンだったし。親父のすぐそばで野球ができて親孝行ができるな、とか。
でも、三浦大輔の野球人生を振り返ったとき、強いチームで野球をやったことがあったかなと。高校時代も高田商業で打倒天理でやってきた。横浜も当時は5位6位で強いチームではなかった。それを強いチームに移って優勝するのはどうなのか。
横浜をここから優勝させるのが三浦大輔らしいかなと。

金子 それではここで三浦さんのリクエストの一曲。
大事MANブラザーズバンドの「それが大事」です。
でも、なんでこの曲?

三浦 歌詞なんですよ。「駄目になりそうなとき、それが一番大事」。
先発ピッチャーは2回勝てないと半月以上勝てないままになる。こういうときが大事。この歌詞の励まされてきた。そういう気持ちでこの曲を聴きながらランニングしていました。

金子 172勝されました。名球会への思いというのはありましたか。

三浦 そりゃありましたよ。でもそれよりも優勝がしたかった。特に現役後半は。

金子 日本シリーズに後輩たちが出場しました。もうちょっと現役やっていれば、という思いはありましたか。

三浦 うれしかったし、うらやましかった。いい経験ができたと思う。後輩たちの成長した姿を見ることができて嬉しい。横浜の街があれだけ盛り上がりましたし。

金子 阪神ファンからするとベイスターズ戦は行きやすかったのがどんどんチケットがとれなくなってきていて。

三浦 こっちも取れないんですよ。いろんな方からチケットを頼まれるんですけど、チケットがない。本当にいい状況になってきました。

金子 これからベイスターズは黄金時代になりますか。

三浦 していかないとダメですよね。日本シリーズに行ったといっても3位だし。でも日本シリーズに行って成長したのは間違いない。Aクラスが当たり前にならないといけない。

金子 日本シリーズというのは、やはり違いますか。

三浦 やはり特別なものですね。1998年に出場して、まったく自分のピッチングができなかった。日本一を決める戦い。いつもと違う独特の雰囲気。ああいう雰囲気は初めてだった。むちゃくちゃ悔しかった。だからその悔しさをばねに成長した。今度は自分のピッチングをあそこでするんだと。
そして、結果日本一になってホッとした。1戦2戦勝って、3戦目負けて、俺が流れを変えてしまったとならなくて良かった。もし負けていたら、あの3戦目が、俺が流れを変えたとずっと言われてしまいますから。
   
金子 では、三浦さんの忘れられない一言をお願いします。

三浦 「信頼を失うのは一瞬。信頼を得るのは時間がかかる」--これは、高1の時に監督から言われた言葉です。
高1の夏の大会が終わった後、魔が差してしまった。
子供のころから土日も夏休みもなくずっと野球・野球でしたから。ちょっとだけ遊びたかった。
それが、朝遅刻し、午前で早退して、友達と遊んでいた。
野球部も学校も辞めるのか、というところまでいってしまった。
そんな時、同級生や担任の先生が引きとめてくれたんです。
そして復帰できた。
監督からは「自分で一つ一つ積み重ねていくしかない。その積み重ねも一つのウソで崩れるよ」と。
復帰した後は性根を入れ替えて生活してきました。

金子 たいがいそういう選手はプロになれないものですが、それは三浦さんに才能があったからですか。

三浦 周りの方々のおかげです。同級生、先生、監督、部長。必死に止めてくれましたから。才能なんて全然なかった。

金子 その時の先生に情熱がなかったら・・・・。

三浦 辞めてましたね。当時は自分ひとりで何でもできると思ってましたから。

(以降次週2/12に続く)

(終わりに)
金子 やっぱりね、話す言葉に力がある。成功する人は違う!



ことばのチカラ ~成功へのターニングポイント ニッポン放送

2018/02/05(月)21:00~21:30

放送内容メモ1/2

金子 こんばんは。スポーツライターの金子達仁です。今回のゲストは、横浜DeNAベイスターズでエースとして活躍された三浦大輔さんです。

いやぁ、阪神はよくやられました。

FAで来るといる話もあったんですが、叶わず。

最後まで、虎キラーでした。

三浦さん、宜しくお願いします。

三浦 宜しくお願いします。

金子 しかし、本当に阪神に強かった!

三浦 たまたまそういう時期があっただけで。どこが相手でも勝ちたいという気持ちでやっていましたよ。

金子 阪神ファンでしたよね。

三浦 はい。はじめて甲子園で投げたときは嬉しかったです。マウンドで子供のころから覚えていた応援歌が聞ける。なかなかないこと。

がんばって7回まで投げると、マウンドでジェット風船が見られる。あれはすごい。360度で。7回まで投げているということは、そこそこいいピッチングをしているとしているということですから。

金子 阪神ファンが、余計なモチベーションを与えてしまっていたんだな。

金子 高校時代、3年で春夏天理に負けて甲子園にいけなかった。そもそも、なんで天理に行かなかったんですか。

三浦 もともと、天理、智弁は選択肢になかった。そんな選手じゃなかったです。高田商業は、監督や先生にご縁があって入れてもらった。まぁ1回は勝つ。弱小でしたし、僕らもそうだった。3年夏で決勝に行ったのが28年ぶり。1-3で負けました。

金子 高校野球が終わったときどう思いましたか。

三浦 もちろん、悔しかった。俺の高校野球が終わった。青春が終わった。でもすがすがしかったですよ。

金子 卒業後の進路はどう考えていたんですか。

三浦 プロに行きたかったです。高2の冬、進路相談ではじめて口にした。大爆笑だった。その上で、先生、親、監督と、社会人の内定をもらってはいた上で、プロの指名を待っていたんです。
高3の春ぐらいから、プロのスカウトが来るようになっていて。自分目当てでなく、相手高の選手を見に来ていたんです。それでも「ここでいいピッチングをしてやろう」と意気込んでボコボコに打たれた。監督にめちゃくちゃ怒られましたよ。「お前のために試合をしているんじゃない」と。
大洋ホエールズの6位指名を受けたときは、行く気満々でしたよ。

金子 そしてプロ入り後、1997年に10勝3敗で最高勝率。1998年には背番号18。なぜ、背番号18だったんですか。

三浦 ほしかったんですよ。プロのエースのイメージだし。何年か前から球団にはお願いしていた。結果を出してからだと。2年待たされましたね。

金子 2005年には最優秀防御率、最多奪三振。ハマの番長のニックネームで、大洋ホエールズ、横浜ベイスターズ、横浜DeNAベイスターズ、3球団すべてに在籍した市場唯一の選手となりました。

金子 引退して、最近手術をされましたね。

三浦 現役復帰するのか? なんて言われましたけどね。日常生活にも支障が出てきたんで。ともかく痛かった。後は痛みを取ってリハビリして、稼働域をひろげていきたいです。

金子 プロ野球はキャンプインしました。一番気になるのは、やはりベイスターズですか。

三浦 出身だし、去年日本シリーズに行ったチームですから、やはり気になります。

金子 引退して2年目。どういう気分でキャンプを見ていますか。

三浦 気持ちの部分がまったく違いますね。現役時代は、年が明けて、さあ、はじまる。キャンプインに向けて体を作っていこう、と。

金子 現役時代のオフはどうすごされていたんですか。

三浦 終わったら、まず何もしない。でも3日ぐらいすると汗をかきたくなってくる。ジョギングなどの運動はするけれど、まだボールは握らない。
11月は体の疲れを取ることに専念しますね。

金子 やはり、疲れはかなりたまるものなんですね。

三浦 たまりますねぇ。温泉行って体の疲れを取る。旅行に行って心の疲れを取る。引退して思うのが、現役時代はどっかで気が張っていた。オフになっても、来年どうするのか、とか。どっかで勝ち負けがつきまとう。引退して、それが取れた。オフでも気が張っていたんです。

金子 たいがいの高校生は、野球が終わるともぬけの殻のようになるといわれています。三浦さんはずーーっとそういう人生経験をされてきて、穴はでかくなかったですか。

三浦 やりきった感があったんでね。優勝したい。でもできない。そういう中でしたけど、あれだけ盛大に引退試合やってもらいましたし。
2017年はゆっくりして、でも勝負の世界に戻れるように準備して。次のユニフォームを着るまでの充電期間。声がかかるように。視野が広がるように。
去年は12球団キャンプをすべてまわりました。他球団の試合の解説もしました。アメリカに行って大リーグを見ましたし。社会人野球も見た。2018年はもっと見たいですね。

(メモ2/2へ続く)