ことばのチカラ ~成功へのターニングポイント~
ニッポン放送
2018/02/05(月)21:00~21:30

放送内容メモ2/2

(放送内容メモ1/2からの続き)

金子 次のユニフォームを着るとしたら、やはりベイスターズですか。

三浦 それはそうでしょう。ベイスターズしかない。それ以外のユニフォームは着れない。あれだけ盛大に引退試合をしてもらったし。永遠番長というニックネームももらったし。

金子 それだけ愛着のあるベイスターズの魅力とは。

三浦 1998年に優勝して、しばらく横浜の時代が続くものだと思っていた。でも選手が一人抜け二人抜け。

金子 山あり谷あり谷あり谷あり谷あり......。

三浦 それでも応援してくれるファンの方がいた。そのファンの方と優勝したいとずっと思っていました。

金子 2008年のFAでは、タイガースに心が揺れたのではないですか。

三浦 もちろん揺れましたよ。悩んで悩んで悩み抜いた。子供のころから阪神ファンだったし。親父のすぐそばで野球ができて親孝行ができるな、とか。
でも、三浦大輔の野球人生を振り返ったとき、強いチームで野球をやったことがあったかなと。高校時代も高田商業で打倒天理でやってきた。横浜も当時は5位6位で強いチームではなかった。それを強いチームに移って優勝するのはどうなのか。
横浜をここから優勝させるのが三浦大輔らしいかなと。

金子 それではここで三浦さんのリクエストの一曲。
大事MANブラザーズバンドの「それが大事」です。
でも、なんでこの曲?

三浦 歌詞なんですよ。「駄目になりそうなとき、それが一番大事」。
先発ピッチャーは2回勝てないと半月以上勝てないままになる。こういうときが大事。この歌詞の励まされてきた。そういう気持ちでこの曲を聴きながらランニングしていました。

金子 172勝されました。名球会への思いというのはありましたか。

三浦 そりゃありましたよ。でもそれよりも優勝がしたかった。特に現役後半は。

金子 日本シリーズに後輩たちが出場しました。もうちょっと現役やっていれば、という思いはありましたか。

三浦 うれしかったし、うらやましかった。いい経験ができたと思う。後輩たちの成長した姿を見ることができて嬉しい。横浜の街があれだけ盛り上がりましたし。

金子 阪神ファンからするとベイスターズ戦は行きやすかったのがどんどんチケットがとれなくなってきていて。

三浦 こっちも取れないんですよ。いろんな方からチケットを頼まれるんですけど、チケットがない。本当にいい状況になってきました。

金子 これからベイスターズは黄金時代になりますか。

三浦 していかないとダメですよね。日本シリーズに行ったといっても3位だし。でも日本シリーズに行って成長したのは間違いない。Aクラスが当たり前にならないといけない。

金子 日本シリーズというのは、やはり違いますか。

三浦 やはり特別なものですね。1998年に出場して、まったく自分のピッチングができなかった。日本一を決める戦い。いつもと違う独特の雰囲気。ああいう雰囲気は初めてだった。むちゃくちゃ悔しかった。だからその悔しさをばねに成長した。今度は自分のピッチングをあそこでするんだと。
そして、結果日本一になってホッとした。1戦2戦勝って、3戦目負けて、俺が流れを変えてしまったとならなくて良かった。もし負けていたら、あの3戦目が、俺が流れを変えたとずっと言われてしまいますから。
   
金子 では、三浦さんの忘れられない一言をお願いします。

三浦 「信頼を失うのは一瞬。信頼を得るのは時間がかかる」--これは、高1の時に監督から言われた言葉です。
高1の夏の大会が終わった後、魔が差してしまった。
子供のころから土日も夏休みもなくずっと野球・野球でしたから。ちょっとだけ遊びたかった。
それが、朝遅刻し、午前で早退して、友達と遊んでいた。
野球部も学校も辞めるのか、というところまでいってしまった。
そんな時、同級生や担任の先生が引きとめてくれたんです。
そして復帰できた。
監督からは「自分で一つ一つ積み重ねていくしかない。その積み重ねも一つのウソで崩れるよ」と。
復帰した後は性根を入れ替えて生活してきました。

金子 たいがいそういう選手はプロになれないものですが、それは三浦さんに才能があったからですか。

三浦 周りの方々のおかげです。同級生、先生、監督、部長。必死に止めてくれましたから。才能なんて全然なかった。

金子 その時の先生に情熱がなかったら・・・・。

三浦 辞めてましたね。当時は自分ひとりで何でもできると思ってましたから。

(以降次週2/12に続く)

(終わりに)
金子 やっぱりね、話す言葉に力がある。成功する人は違う!