「天理教」は宗教か、真実の教えか -17ページ目

「天理教」は宗教か、真実の教えか

「天理教」に関するまじめな宗教学的、神学的な考察

美緒さんのお詞の一節からの引用。

 

「・・・今の形に 喜んでくれたら その心を受け取り もっともっと 良い形に変わる」

「形は変わっていくのや 形にあわせて 心も変わっていかねばならんのや これは形にとらわれるのとは違うで 形の元を知るということや」

「目の前の形を見るのではなく 形というものを大きく見るのや 深くみるのや そうすれば どんな形が見えてきても 心はどんと落ち着いていられるのや わかるやろうか・・・」 [平成6年3月23日]

 

 

【釈義】 神様は人間と世界を創造され、今も維持発展させておられ、人間に何もかも与えております。それを喜んで満足して生きていってほしいというのが神様の希望です。しかし、人間には同時に自由な心が与えられていて、その与えを不足したり否定したりと好き勝手なこともできます。それでも神様は人間にものごとを与え続けています。

 形には、人間の肉体はもちろん、この地球も自然環境も含まれています。目にみえる有形の形の世界で私たちが生きています。経済活動や芸術活動などの人間の諸活動もすべてが、形の世界です。いろいろな国や地域があり、国家の形もそれぞれで、現在の資本主義も万能ではないことは自明です。近代化が極度に進む中で、形の豊かさは豊穣となり、物欲に際限はない中で、生産機能を請け負った大企業体制が発達し、それは大衆の旺盛な消費社会によって支えられている。南北格差、豊かさの中の貧困、ネット社会となるなかでのフェイクニュースの拡大。働きすぎの過労死、巨大な自然災害での死者の増大など・・・・そしてコロナ禍での経済活動のストップ。   

 かしもの・借り物の理が真理だと信じることは至難ですが、この信仰の真理の立場に立てば、この形の世界は神様からの借物の世界であり、いくらでも可変な形だということです。  

 形の奥にある神様の心は広大無比の親心として永遠不滅にあり、いつでも人間世界を見守っておられる。このような信仰者の目からは、形にとらわれない自由な精神を獲得できる。絶対的自由の道へ。ポジティブに受け取った心はすぐに受け取られ、また新しい形があたえられる。 心通りに守護する神様は、どのような形も与えることができる。  人間に喜んで、満足してほしい。 しかし人間は形にとらわれて、不足することが度々で、これが人間の大きな癖の精神となっている。今さえよければ、我さえよければという人間思案は、有限な形にとらわれるところから生まれる。 

 形の物質世界を否定はしないが、その有形世界の中で生きながら、いかに楽しくウキウキと暮らすことができるのか。それは人間の精神の在り方一つにかかる。八方ふさがっても天は空いている。 先の見通しのわるいことに悲観しても、それは今の形にとらわれている証拠である。温暖化からプラウスチックごみの問題、火事で家が焼けた、お客さんが蒸発した・・・いろいろな形の世界での出来事がある。形の世界を変える人間の取り組みは無限であり、心の使い方も無限である。 自分に不都合な病気、人間関係の不和、これらすべて魂の磨き(自己磨き)の事情です。  魂文明を構成する心優しい人々の心が波及しますように。 合掌  

  

 旧長さんの免職に剛腕を振るった本部員筆頭の松村吉太郎氏については、その自伝『道の八十年』(養徳社、1950年)に詳しい。教組亡きあとから、天理教の一派独立に向けた彼の獅子奮迅ぶりは、その偉大な信仰者の徹底した歩みの発露であった。中山家の親戚であり、初代真柱から絶大な信頼を受けて、若き日から道に引き寄せられた。ただ、非常に頭のいい人で、その知性の高さは当時の農民・職人・商人などの信徒が多かった中で、やや高慢な所があったようだ。その松村氏は20歳だった明治19年に教祖のお言葉から、高慢の心使いを戒められた逸話がある。「知恵・学問の道ではない、無理に来る屋敷でもない・・・八つのほこり・・・」と。

 

 

 

 だが、吉太郎氏が、真に「かしものかりものの理」を自覚できたのは、26歳の時である。生死の境をさまようなか、教理がよく治まっていたとされる桝井伊三郎先生から見舞いの言葉をかけられる。「松村さん、心が倒れたら身がたおれる。心が死ねば身上も死ぬ。心が生きたら身上は生きるのや。身上は神様からの借物や、何も案じることいらん・・・・」と。この時、知的に分かっていた「かしものかりもの理」が、身体的に魂の底から体得・体感したのであった。そこからは「神の用木」として生きる覚悟ができた。

 沢井義次先生はその著書『天理教教義学研究―生の根源的意味の探究』(p.187-189)でこの逸話を取り上げている。松村氏の回心(conversion)は、教祖の直々の言葉といよりも、桝井氏からの一言の諭しから生まれたものである。ただ回心論の類型からいうと、強化型であり、弱かった信仰がさらに強化されたタイプの回心だといえる。 浄土宗から天理教へのように宗教を乗り換えた転向型の回心とは異なる。また無宗教から宗教者になった、もっとも典型的な回心とも異なる。

 ここには受けとる人間の自由の心の在り方が分かる。真に素直な人なら直ちに信じたかもしれない。ただ村役場につとめていた松村氏には周囲の粗野の姿や学問のない低俗な信徒に嫌悪感があった。かかる中で、生死にかかわる一大事においては、この言葉の真理が真に受け入れられた。 天理教の最大の真理は、「かしものかりもの理」であろう。神様が与えた真理に目覚めて、理の上から信仰する心の清いひとは少ない。むしろ、大半が身上(病気)の救済から入信している。漸減している天理教であっても、この真理を知っている人たちは、決して信仰から離れないだろう。

 生きている。生かされている。この根源的な生の地平に立ってあらゆることが成りたっている。職業生活も、労働も、趣味も芸能も、何事をするのも、皆生きているからできる。かしもの借り物の理を分かるだけではだめだ。真に心にはまってこそ、生きていることの喜びと感謝の心が生まれる。ここにこそ信仰の喜びの根源がある。

 

 「一人だけ たった一人だけでも 日々の守護を本当に気付くものが居ったら

 この世の人間を皆救けることができるのやで・・・」 (平成3年4月29日 美緒 拝す合掌)

 

 かしものかりもの理を真に自覚して、日々生かされていること、日々の守護を受けていることがわかったら、世界中を救済できるという。本当にそのような人間になりたいと思います。  

 

 

 

 熱心な天理教の方と2人して、直属の信徒でもないが、天理教の教会として著名な東中央大教会を参拝させていただきました。天理教の東中央大教会といえば、柏木庫治(くらじ)[1888-1977]先生が初代会長で、参議院議員もつとめ、本部員ともなられた方で、偉大な天理教の伝道者として大変著名です。私も、高校生の頃、その全集を読んだこともあり、畏敬の念を抱いておりました。

 天理教で、大教会とは教会本部の直属ということで、徳川幕府が本部とすれば、どこかの藩の大名のような組織にあたります。

 東中央大教会さんは、渋谷区神宮前5-14-2という好立地にあります。原宿駅の表参道を上がった高台の一角にあるのです。

 この教会の敷地は、大山巌侯爵の次男である大山柏(元公爵・文学博士)の邸宅や、彼が主催した大山史前学研究所の跡地だったそうです。初代会長はこの近くに最初、布教の拠点をもっていたそうです。しかし、高台のこの地を求めて、心通りに守護されたということでした。

 神殿の中で、正面の「よろづよ八首」の扁額は、初代会長の筆だそうです。立派なものでした。また中山善司真柱の墨書や諭達も飾ってありました。 今の真柱を最高の指導者として立てる、普通の天理教の大教会らしいが外観が見て取れました。高齢者むけに、畳の大きな中で、椅子席もあり、高齢化対策もばっちりです。未知の我々にも優しく丁寧に対応されて、さすが天理教の人たちです。安心して参拝させていただきました。

 東中央大教会では、「大教会報 東中央」というものを毎月発行されていて、現在の大教会長の講演録も掲載されておりました。知的に興味深いお話もあり、今後、紹介したいと思います。令和3年3月1日号は、第632号です。大教会の歴史をつづった貴重な記録で、おそらく天理図書館にも届けられていると思われます。  

  部内教会の名称は、東が上に付きます。東光春分教会、東玉川分教会など・・。部内教会は大分県も意外と多いそうです。これは、初代会長が大分県中津市の出身だからということです。慶応義塾、1万円札の福沢諭吉と同じところです。

 大変明るかったという、柏木庫治先生です。

 IAHR(世界宗教史学会、東京大会)の時は、海外の研究者たちに、宿を提供したはずの大教会です。その節は、本当にありがとうとざいました。アフリカの貧しい家族たちも海外大会にかこつけて安い観光ができました。

 

http://www.l.u-tokyo.ac.jp/iahr2005/pdf/tenri_higashichuou.pdf

 

 

 大正3年3月28日の茨木基敬さんのお詞の冒頭の一節を引用します。

 

1、ウー さあナ ウー さあナ 心丈けの理は受取る /\ ナ 

2、こうせん事には 万人に 損 一ツ事情の理も治まらん 

3、分ってくれた 一ツ理は受取る 

4、これよく聞取れ 

5、心の治め方 その運び心得た処 心得と云ふ 

6、心得は 終身とも云ふ 末代と云ふ 

7、無理 無理 案じて行ってはならん 

8、終身末代 生涯 終身 借物 借りてる中の これ心得 

9、三日や五日や七日の心得と思う これが違う 

10、よう聞とれ 地場より 流す処の これ教へとも云ふナ・・・・

 

【釈義】 明治44年に本部員となったばかりの茨木基敬さんは、同時に身上が重くなる中、お詞の御用が始まった。そして本部員の務めができる無くなる。大正7年に免職になるまで、三島の北の詰所におられた。本席様と似て、音声によるお詞の御用であった。筆取りの書き取りは、息子の、北大教会長の茨木基忠さんである。書き取られたことで、100年以上前のご啓示にふれることができる。100年前も今も変わらぬ真理が明かされる。

 この刻限話の前に、割書きがあり、北部内の信徒において、人間心の汚れた心使いがあり、そうした心で茨木さんに心配を掛けたことをお詫びする中での御用になったことが推定される。

 

 1.「ウー」 という音声は、神がかりによって、普通の基敬さんではない、基敬さんが話し始めている合図である。通常とは音質も声量も異なった雰囲気がその場所に広がり、周囲が神様からの刻限話だと促されて、神妙に心正して、受け取ることが求められている。

  神様は見抜き見通しであり、伺う人たちの心の様子をすべて見ている。神様の心に叶わない心使いをしたことに、清浄な心である神様を前にしてお詫びしたことを「心丈けの理は受取る」と認知しているのである。神様は目には見えないが、人間の心を受け取って、形としての守護を与える神である。人間が無形の神様を認めて、反省していることを、神が受け取っている。神と人の直接的なコミュニケーションが、啓示言語を通じて直接的に貫通しているのである。

2.清浄なきれいな心だけが生まれる茨木さんの心を汚しにかかることは、本来厳禁なことである。教祖(おやさま)や本席様の前で世間的な不足の話をすることは控えられていたことと同じである。

 しかし、人間だれでも、神様が分からず、かしものかりものの理も分からず不安と心配と先案じの汚れた心でいるのが通常の人間である。教祖の心や本席様の心を人間が汚すとどうなるか。それは救済の源泉に泥水を入れるもので、世界の救済が遅れることになる。世界が大損することになる。そのような大きなことが諭されている。

  この刻限話のテーマは「癖直し」であるが、人間にはいろいろな癖があって、真の信仰心をなかなか確立できない。癖の最たるものが、神様を神様として認められない人間心である。最大の癖の心である。喜べない心使いは、かしものかりもの真理が心に治まっていない証拠である。自分で何とかしようと無理な心使いをする。

 信仰心はかしものかりものの自覚が数日ということでなダメである。生涯末代、死ぬまで「かしものかりものの理」を自覚できる人間でないと、感謝と喜びの日々を通ることはできない。

 「心得」ということがいかに大切かが信仰のカギである。心が日々にキラキラしているか、よどんでいるか。形だけ見ていては何も変わらない。形は可変であり、形を動かす神の守護の世界への目覚めが信仰者に求められる。

  かしものかりものの肉体であることを自覚できなことをお詫びして、素直に信じれない汚れが心を日々に洗う必要がある。それが「悪しき払い」の日々の祈りに込められている。

 そして、この神様の言葉は、地場から下されている。地場の声は天の声である。当時800万人の信徒がいて、霊救の求心点に地場があり、地場屋敷の責任者たちの心が澄んでいることが救済の源泉となっていました。  

 

 国家と宗教の関係で、信教の自由があり、政教分離の原則(the seperation of State and Church)が今の政治体制のもとにある。沖縄の孔子廟への献金の違憲性が「政教分離の原則」について問われ、最高裁まで争われ、違憲の判断が下された。津地鎮祭の訴訟以来、何度かあった判例である。

 さて、各宗教教団では、自由な布教活動が許されているが、それぞれ特色をもった布教スタイルを持っている。

 天理教における布教活動も時代と状況で変遷し、伝道の歴史的な研究も天理教ではよくされ、多くの大教会史も編纂されている。中山正善真柱が東京大学の卒論(昭和4年卒)において、姉崎正治先生のもと、天理教の伝道史を書かれた。その際、データは直属の教会に命令して、蒐集した大規模調査だったと聞く。

 

 現在、新宗教全体として、一般に信徒の数は減少しており、包括的な宗教法人格をもつ天理教もその傾向下にあるとされる。

 

 教会は年寄りが多くなり、持続可能性の危機にあるというのが大方の見方ではなかろうか。企業経営の視点からいえば、顧客満足が低いということ。宗教集団として、救済力が低下しているということ。大正期の600万、800万人の信徒数というのがおそらくピークだろう。

 

 誰のための天理教か。何を目的とした天理教か。

 

 若き真柱後継者の方が、青年会で「新しい天理教」を訴求し、多くの賛同を得ているようです。

 

 

 信徒拡大を目指して、『天理時報』の頒布数や何と『おさづけ』の回数のノルマがあったり、また悪名高き、親教会からの献金額(お供えと天理教では言う)の目標設定など。子供の教会が親の教会を立てることが至上命令となるなか、親不孝はしたくないまじめな天理教の会長たちが苦しんでいます。 ノルマ達成と自発的な救済心に乖離があることは、中学生でもわかる真理ですが、組織維持のために妙なことになっています。 

 

 喜べない信仰は持続可能性がなく、教祖も嘆き悲しむ教団になっているかも知れません。 教祖が本当に言われたことは何か、教祖は何をメッセージとして今、言われているのか。存命のリアルな教祖の声を求める素直な信徒の心が求められています。 

 

 「人は代われど、理は一つ」 

 

  組織維持の天理教でいいのか。

 

   純粋な理を求める教祖の教えは何か?

 

    教会長・信徒たちの模索が続きます。

 

 

  茨木基敬さんの神の詞で「窮屈な天理教やないで」という趣旨の言葉がありました。 いつか探究してみたいと思います。

 

 

 

 

 

投稿された方のブログで拝見したもの転載します。

 

 

 これは大変貴重なお話で、ありがとうございます。

 

 人間にとって一番わからなことは、死んでからどうなるか。以前にも書きましたが、魂の永遠性について再考します。

 

 全知全能の神は、人間の魂の遍歴をすべて知悉している。これは形だけの有限な世界に生きる地球上の人間には想像もできないストーリーで、信じる対象の世界か、嘘偽りだと狭い科学主義からは捨て去られる思考様式である。

  ただ普通に生きている中で、なぜこのようなことが起きるのかという説明をする原理として、前世(前生とここでは表記します)があることを知ることは大変重要だと思われます。

 

 以下、神様の分かりやすいお話を引用します。 『おさしづ』で、天理教の天啓は終わりだと信じている方には申し訳ないですが、続くと信じていますので、載せてもらいます。天理教の末端の単独布教師の娘に起きた啓示現象が、その昔ありました。先入見のない一般の方にも大変分かりやすい、『神の詞(うた)』です。ある日のご啓示ですが、前半部は省いて、後半部だけ引用します。

 

 「 前半部 ・・・・」

 「どうでも こうでも 通らねばらん理 自分で決められん道があるからではないか それが前生のいんねん というもの」

 「今 現在の自分が 決められんのは 前生の自分の心を 知り 誤りを おかして来たことを さんげ しなければならんからや」

 「前生の自分を 知るためには 今の自分を よう見つめにやならん」

 「今も 昔も 同じ魂 よう見つめれば 必ず 見えて来る」

 「今 現在の自分の在り方 正直に見つめ 素直に こう在るべきものと 心に治めることできたなら いんねんは ほどける」

 「昔も 今も 同じものやでな 昔のことはわからんというは 違う 今の姿が 昔のことや」

 「よう解ってくれたか ああそうか と思わんか」

 「これ一つだけ解って たいしもの 大きな要やで」

 

  [平成3年7月28日 午後5時55分より 午後6時20分終了 歯の痛みより 美緒 拝す合掌]

 

 

 

 

【釈義】

 ポジティブに今ある不都合をいかに受け止めるべきか。それは前生で捲いた心の種があり、それが今芽を出して、自分が見ている。だれが悪いのでもない。さんげすべきは過去の自分の悪しき心使いである。それを今見せていただき、喜んで受け取ることが信仰の第一。

これができることが、魂の進化です。過去も今も同じ魂。人間の魂は永遠である。 3歳の子供が前生の記憶を持っていたことは、魂の永遠性の一つの証です。  

 教祖の直弟子だったが、前生で教祖の期待を裏切った魂として、今生ではさんげして通らねばならない。そう思って、ブログをつづります。

 

 

 

 

 

 茨木基敬さんの初期のお詞の解説の続きです。改めて冒頭から解説していきます。

 

大正二年八月十七日   神様の楽しまるゝ人


  さあ 第一 神の楽しみはな
  身上の 壮健 心の正しき人
  いんねんのよき人
  ものをぼへのよき人
  じひの ふかき人
  ふうさいの よき人
  みよがの よき人
  親 孝心の 人
  兄弟 むつまじき人・・・・

 

[釈義]

 

「さあ 第一 神の楽しみはな   身上の 壮健」

 

・神様が人間を作って、人間は当たり前のように生きていて、幸福だったり、不幸だったり。幸福や不幸とは主観的なものです。客観的な状況は変えられないですが、受け取る人間の心は自由です。大金があっても、健康でなければどうでしょうか。自由の心を存分に使って、悲観すべき状況もポジティブに受けれることが人間にはできます。その心を受け取って、また先に守護を与えて下さる神様です。

・肉体の健康が第一な事は人類に普遍的な願望です。しかし生まれながらにして、不自由な身体を借りたり、短命だったり、病気がちだったりと、またコロナにかかって、元の体ではなくってしまった人も大勢います。そういった弱者に対して、神様が憐れんでいることは確かな真実だと思います。なぜ、俺はこんな境遇なのか、この世に神などいないと大抵の人は思っています。需要が蒸発して、バス会社もつぶれかかっています。神様がいるなら、助けてくれ、政府の給付金もあてにならない。もう自殺しかない・・・・。コロナ感染がいまだ下げ止まりのなか、不幸な事態が蔓延しています。

・肉体が健康でも、社会生活が維持できないという深刻な事態です。 神に祈っても何も変わらない、何とかしてくれ。こうした叫びが、みちみちています。

・ただ生きていれば、人間何とかなるものです。絶望しても四面楚歌でも、空は青く救いの手がどこかから来ます。人の声に触れて、自分だけで苦しまないことです。 逃亡していたベトナム人の実習生が困窮して、ベトナム寺院で救われ、帰国に成功。これも絶望するなか、救いを求めた行動があったからこそでした[NHKクローズアップ現代の報道から]。

・会社が倒産して、高校生の子が受験もできない親子が将来に絶望して、無理心中[NHKクローズアップ現代の報道から]。進学できなくても、世の中終わりではない。若い力を欲しがっている働き口はたくさんあります。生きれていればこそ、人間は何とかなる。

・健康な体をいただいた人間は、それぞれ、何とかして生きていくことが、人間にとっての運命です。そこから逃げてはいけない。

・若者の自殺者が増えている。死にたくなったら、誰かに打ち明けて、話してください。 不自由な身体を借りながら、必死で生きている、家族で支えている。これが人間のあるべき生き方ではないでしょうか。

 

 大正期は特に大戦後の不況で会社の倒産など今の比ではないほどです。いつも新聞を見て、涙をながされていた茨木基敬さんでした。難儀な人たちへの深い同情心、それは教祖の心にも通じます。  

  

 月日の社である教祖がなぜ、宮池への投身自殺を図ろうとしたのか? 教祖は信仰に絶望したのか? これは捏造されたストーリーではないか? 教祖は実は単なる人間であった。神を自ら創造したのである。などなど、島薗進元東大教授も「信仰と疑惑」の間で、この史実を取り上げて、中山みきを人間学的・心理的に想像した論文で学会賞をとられました。

 村上道昭先生のエッセーも、この問題を取り上げていました。

 

 

 

 私も不思議に思って、お機械様となった先生に、その昔、お尋ねしました。答えは明白でした。

 神様が教祖に神様が「宮池に飛び込むように命じた」というのです。おそらく神様から「はやまるやない」との声が聞こえたというのが、捏造かもしれません。このストーリーでの神の言葉の史実の由来を調査する必要があるでしょう。教祖伝はよく書かれていますが、稿本なので、分かりやすく一部変えたかも知れません。

 

 ちなみに、宮池へ飛び込む教祖を止めたのは、神様ではなく、三島村の近所のおばさんだった。そのおばさんの息子である古老から昔、聞いたことがあります。

 

 イエスが磔になるために、エルサレムに帰還する。教祖も、親神様から投身自殺を命じられ、素直に従った。こちらの方が、教祖の信仰態度の絶対性を証明してはいないでしょうか。  私の勝手な解釈ですが・・・。  周囲の誰も教祖のいう事を聞かない、そこで、教祖がみずから身投げするという演技を神様がさせたかも知れません。教祖のひながたの中での大変な道中の一コマだと思案します。

 

 宮池とは、今の真柱邸の前にありました。更地となってしまいました。 三島神社と宮池(鏡池)という、教祖伝の舞台は前の真柱様の時に消されました。昭和62年、私が修養科にいたときは涼むこともできた神社でした。 

 

http://www.yousun.sakura.ne.jp/public_html/book/misima/kagami.pdf

 

みかぐら歌で最初期に印刷されたのが、明治14年の『拾貳下り御勤之歌』だそうです。これは天理図書館の天理教文献室の記述によります。 以下、引用します。

 

最も古い印刷物

 教祖の原本をお借りし、書き写した人もあれば、先輩信仰者の筆写本を借りて書き写した人もあった筈です。こうして次々に書き写すことを「転写」といいます。当然書き漏らし、書き誤りが生じます。「みかぐらうた」を筆写して所有している人には借用希望者が大勢やって来ますが、貸し出し中で応えられないこともあります。となると当然、印刷したいとの思いにかられます。おそらくこうしたことから印刷されたであろう「みかぐらうた本」の最も古いものが『拾貳下り御勤之歌』です。明治14年、大阪の「天恵組(てんえぐみ)」という講から出版されました。現在のところ、本教の最も古い印刷物です。
 本教で一番最初の印刷物という「名誉」は大阪の一つの講が持っているんです。天恵組は当時、おてふり練習が盛んに行われ、おてふりを踊ることが一種の羨望として見られていた節があります。まだ教会制度が始まる前ですが、この講を母体として、後の分教会が誕生するのは、さらに十年ほど経てからのことになります。

 

 

 

 

 明治14年といえば、教祖がご在世の時でした。慶応3年からみかぐら歌が教え始められ、各地の教会でもおつとめの練習が盛んになり始めたころだと思われます。と同時に、天理教への迫害弾圧も激しさを増した時代でした。当時の天理教は「踊る宗教」と揶揄されていたそうです。

 大阪の「天恵組(てんえぐみ)」とは、茨木基敬さんが講長を務めていて、教祖から許された講(こう)は信徒の集団のことで、その名称も教祖が与えたものです。 のちの北大教会へと名称を変えていきます。

 『拾貳下り御勤之歌』(天恵組、明治14年)は明治20年頃、大分県に道が広がった当時も、利用されていたかもしれないと早田一郎先生も推測されています。

https://www.tenri-u.ac.jp/topics/oyaken/q3tncs00000gd1e0-att/q3tncs00000gd1no.pdf

 

 『拾貳下り御勤之歌』(天恵組、明治14年)は、すでに出直された高野友治先生(『ご存命の頃』p.310-311)によれば、天恵一番、村上文治郎が出版したという。高野先生は、天理教の文献が活字本として出された最初だと推測している。

http://www.yousun.sakura.ne.jp/public_html/siryou3/pdf/yasima.pdf

 

 今のみかぐら歌の第1節と第3節が合一された、「あしきはらいたすけたまい いちれつすますかんろだい」が、この『明治14年巳五月本』に表記されているようです。今のみかぐら歌の第1節のもとになる「あしきはらたすけたまえ てんりんおうおふのみこと」(『明治15年鴻田本』)がいつ成立したのかという、天理教の「みかぐら歌」成立の歴史を探るうえで、貴重な資料らしい。

 

『明治14年巳五月本』に第1節・第3節の合一された節が後にあり、第5節が最初に教えられていたことは、2代真柱の中山正善も『続ひとことはなし その二』)で書かれている。この辺について、以下の村上道昭先生のエッセーも参考になりました。

 明治15年に、信仰の対象である甘露台の二段まであった石が官憲によって没収され、第一節と第3節が切り離される。本来は石である甘露台の在り方は、信仰の根幹にある問題だが、これは神意を仰がねば分かりようのない話です。 

 

 

 

茨木基敬さんが残された膨大の神の詞(ことば)の一部はデジタル化されて、誰にでも公開されおります。

最初期の、分かりやすいご啓示の一部を以下もってきました。

 

大正二年八月十七日   神様の楽しまるゝ人


  さあ 第一 神の楽しみはな
  身上の 壮健 心の正しき人
  いんねんのよき人
  ものをぼへのよき人
  じひの ふかき人
  ふうさいの よき人
  みよがの よき人
  親 孝心の 人
  兄弟 むつまじき人・・・・

 

(釈義)

  神様が楽しみだと思う人間の特性について語ったもので、非常に分かりやすい神様のお話です。しかし誤解も生じやすいので、あえて解釈してみます。

 1913年に茨木さんがまだ三島の詰所におられた時で、息子の基忠さん(北大教会の会長)に語った内容がそのま神の御啓示となったもののようです。

 

1. 「身上の 壮健 心の正しき人」 肉体が健康で、心が正しい人とは、倫理的正しいという意味ではありません。神様の守護がわかっている人。すなわち、借り物かしものの肉体を健康に頂いていることを真から悟って、喜んでいる人が心の正しい人という意味です。

  病気したり、怪我したり、死んでしまったらと人間が生きていく中で、土台となる肉体の健康こそ、もっとも素晴らしいものです。神様のおかげで、生きていないひとは一人もいません。

  肉体を貸す元の神、真実の神が天保9年に初めてこの世に現れたというのが、この道のそもそもの始まりです。教祖の肉体を借りて、神様がお話をこの世で初めて行いました。肉体かしものかりもののの理こそ、人間が知らねばならない最も大切な、真理です。

 

2. 「いんねんのよき人」 これは最も誤解を生みやすい言葉です。いんねんとは、仏教の因果応報の意味とも違います。この世を始めた神が現れて、その神が言葉を話し、神と人間とのご縁ができた時、それが「いんねん」の意味です。今、まさに神の詞を聞いて、神様とのご縁が生まれていること、それが「いんねん」です。形の世界に人間は生きていますが、この形を守護されている神は目には見えないですが、言葉を通じて現れている。その神様とのご縁が、いんねんです。神の詞は人間の魂を磨くために出されています。

 

  教祖の「おふでさき」に以下のものがあります。

  ぜんしょのいんねんよせてしごふする これハまつだいしかとをさまる (1号74)  

  どのよふなところの人がでてきても みないんねんのものであるから  (4号54)

  いんねんもをふくの人であるからに どこにへだてはあるとおもうな   (4号61)

 

  全生の因縁よせて守護する これは末代しかと治まる

  どのような所の人が出てきても 皆因縁の者であるから

  因縁も多くの人であるからに どこに隔てはあると思うな

 

 人間の魂は神様から分けられたもので、人間はすべて神様の子供です。子供である人間が魂の親である神様とのご縁が生まれる。これはもともとの深い関係性が神と人のとの間に根源的にあるためです。神が言葉を通じて現れ、人間が魂の親に目覚める。それは人間にとって、永遠に救われる道とつながったということです。身分や性別に関係なく、どんな人間も皆神の子供であります。

 

<つづく>