表題のテーマ「本部員に方針の違っている事を深く深く戒められる」の刻限話が大正11年12月14日にありました。 その刻限話をもとに、私なりに現代において必要な理の教えを考察します。
天理教の中枢から「すてものほかし者」にされた茨木基敬さんは、お地場の三島詰所から富雄の地に移った。啓示は引き続きあり、筆にとられ、膨大に残されている。 追い出された立場から、ひがんだ視座で本部を眺めているのかといえば、そうでもない。神の残念な気持ちがもちろん語られる。そして本部が勝手な人間心の方針でものごとを決めていることに厳しく戒めの警告を与えている。そうした人間心はいつまでも続くものではことを諭している。茨木さんが生きていた時代に、本部に戻ることに期待がかけらていた。 だがそれは成就せず、100年たつ。
中山家は理を立てて来たので、立てられる家柄となった。神様も中山家を立てたい。しかし、中山家が理をたてなくなったら、どうなるか。神様も中山家を立てることができなくなる。真柱はそれで、倒れたのである。 理を立てることが出来ていない証拠は、理の思案から誰にでもわかる事実である。
神様は部内の者を憐れみ、また本部重役の責任の重さを逆に問うている。そして一番の仕込みのかなめは、神の詞を聞いている当屋敷の者たちへの、魂の仕込みである。この道はどこまでも、魂の磨きをする道である。形を大きくしたり、世間から注目を集め、伽藍を立てたりということに主眼があるのではない。最も大切なことは、かしものかりものの守護、絶大な神様の守護に真から目覚めて、幾重の事情や艱難な中でも、魂を錬磨する人間になることである。ただ成人におうじて、それなりの形を与えるという言葉もあった。 今は成人もしていなのに、外面ばかり取り繕うことで、おかしなことになっているのである。
地場の責任ある人達の成人の遅れがあろうと、神の詞に縁ある人達はどこまでもどこまでも魂を磨いていくことが肝心である。
30年祭で、神のさしづから北礼拝殿が出来て、その威容から天理教はたいしたものだと世間から認知されるようになった。それまで世間から笑われ、そしられてきた天理教がようやく世間的に地位をつけたのが大正期である。 教祖や本席様に従ってきた初代の方々は、みな辛酸をなめながら、信仰を貫いたたつわものたちである。だが理を知っているつもりになっていて、人間思案の汚れを払しょくして、真から魂の次元で目覚めた人は皆無であっただろう。
その中で、茨木さんの神がかりに対して、大半の本部員たちは、よく調べもせずに、茨木さんは高慢だとみなして、最終的には罪人扱いとなった。
神のさしづがない教会本部は、ある程度大きくなったお屋敷において、みずからの考えで、物事を決めていくようになった。 40年祭にむけて、無理なことを信徒に強要するようになる。 この中で乱立した教会が倍加運動という無理無理な中で生まれた教会で、今その淘汰を見ている。 修理肥が十分でないから、消えていく教会が増える。修理肥も嫌われる今の体制である。
理の親、理だて、事情働きなど、・・本部に都合の良い専門用語が作られる。
信徒は本部のいう事は、神の言うことだと信じてきた。ここに信徒たちがバカを見る構造的な問題を内蔵させて、100年もたった。そうした本部から聖なる水が流れなくなり、泥水が溢れていることに多くの人々たちが批判の声をネットで発信するようになった。今こそ、茨木氏の啓示は、リアルさをもって神様の理の所在を明かしている。
本部が神様の教えを都合よく改ざんして、教えたらどうなるだろうか。教えそのものより、人集めに重きをおく。行事的になる、より金銭を求めるようになる。これを「本部は商売的になっている」という神の詞でも警告を与えている。人が人を支配することを神様はもっともきらわれる。神様は一れつ平等の精神である。
大教会長が偉い、本部員が偉いとして、その方々が次に生まれ変わって、末端の教会でまた一からどん底の暮らしから始めるかも知れません。これは自分の前生からもいえることです。
教祖や本席という一人の誠で成り立った天理教である。 その土台にのっている天理教である。 千人よりも一人という信仰の質がむしろ神様の望みである。 たった一人でも真に命がけで神様の教えを実践する者が欲しいのである。 私一人だけでもそのような人間になりたいと思います。遅れている理の研究を続け、己の汚れた魂の錬磨を喜んで通ります。
永遠につづく理の道からは、その土台形成に必要な現在の天理教の不甲斐ない事情だと思案します。



