旧長さんの免職に剛腕を振るった本部員筆頭の松村吉太郎氏については、その自伝『道の八十年』(養徳社、1950年)に詳しい。教組亡きあとから、天理教の一派独立に向けた彼の獅子奮迅ぶりは、その偉大な信仰者の徹底した歩みの発露であった。中山家の親戚であり、初代真柱から絶大な信頼を受けて、若き日から道に引き寄せられた。ただ、非常に頭のいい人で、その知性の高さは当時の農民・職人・商人などの信徒が多かった中で、やや高慢な所があったようだ。その松村氏は20歳だった明治19年に教祖のお言葉から、高慢の心使いを戒められた逸話がある。「知恵・学問の道ではない、無理に来る屋敷でもない・・・八つのほこり・・・」と。
だが、吉太郎氏が、真に「かしものかりものの理」を自覚できたのは、26歳の時である。生死の境をさまようなか、教理がよく治まっていたとされる桝井伊三郎先生から見舞いの言葉をかけられる。「松村さん、心が倒れたら身がたおれる。心が死ねば身上も死ぬ。心が生きたら身上は生きるのや。身上は神様からの借物や、何も案じることいらん・・・・」と。この時、知的に分かっていた「かしものかりもの理」が、身体的に魂の底から体得・体感したのであった。そこからは「神の用木」として生きる覚悟ができた。
沢井義次先生はその著書『天理教教義学研究―生の根源的意味の探究』(p.187-189)でこの逸話を取り上げている。松村氏の回心(conversion)は、教祖の直々の言葉といよりも、桝井氏からの一言の諭しから生まれたものである。ただ回心論の類型からいうと、強化型であり、弱かった信仰がさらに強化されたタイプの回心だといえる。 浄土宗から天理教へのように宗教を乗り換えた転向型の回心とは異なる。また無宗教から宗教者になった、もっとも典型的な回心とも異なる。
ここには受けとる人間の自由の心の在り方が分かる。真に素直な人なら直ちに信じたかもしれない。ただ村役場につとめていた松村氏には周囲の粗野の姿や学問のない低俗な信徒に嫌悪感があった。かかる中で、生死にかかわる一大事においては、この言葉の真理が真に受け入れられた。 天理教の最大の真理は、「かしものかりもの理」であろう。神様が与えた真理に目覚めて、理の上から信仰する心の清いひとは少ない。むしろ、大半が身上(病気)の救済から入信している。漸減している天理教であっても、この真理を知っている人たちは、決して信仰から離れないだろう。
生きている。生かされている。この根源的な生の地平に立ってあらゆることが成りたっている。職業生活も、労働も、趣味も芸能も、何事をするのも、皆生きているからできる。かしもの借り物の理を分かるだけではだめだ。真に心にはまってこそ、生きていることの喜びと感謝の心が生まれる。ここにこそ信仰の喜びの根源がある。
「一人だけ たった一人だけでも 日々の守護を本当に気付くものが居ったら
この世の人間を皆救けることができるのやで・・・」 (平成3年4月29日 美緒 拝す合掌)
かしものかりもの理を真に自覚して、日々生かされていること、日々の守護を受けていることがわかったら、世界中を救済できるという。本当にそのような人間になりたいと思います。




