上野千鶴子氏の発言が炎上しています。
既にご存知の方も多いかと思いますが、その発言の概要は以下の通り。

ーー 日本は移民を受け入れることはできない。だから、平等に貧しくなっていけばいい。その現状を受け入れるべきだ。
(全文はこちらから)

その発言に対していろいろな方が様々な角度から批判をし、あるいはコメントをしています。ここでご紹介するブログもその一つです(とても参考になります)。批判される方も多いですし、批判したくなる気持ちもわかります。

でも、今回の上野氏の発言を通じて、ひとつ進んだと肯定的に評価できるとすれば、それは現状を追認すること、イコール日本の衰退だということをリベラルの権威といっても良いこの方が正面から認めたことで日本の将来を議論するための出発点を共有できたこと、そしてその後の考え方の違いがはっきりしたことだと考えています。
 
上野氏は今後貧しくなっていく日本を受け入れるべきだと結論付けています。でも、全く持って賛同することはできないどころか、正直憤りしか感じません
 
というのも、この上野氏の世代は、人生のほとんどを高度経済成長の中で過ごし、狂乱するバブル景気を享受したど真ん中の世代です。そういう、日本の歴史の中でも有数の恵まれた時間を過ごしてきた世代が、「これから日本は貧しくなっていくから現状を受け入れろ」というのはあまりにも無責任に過ぎる。そう断ぜざるを得ません。
 
僕も移民政策は日本がとるべきものだと思っていませんので、現状を追認するだけでは日本が貧しくなっていくだろうことは意見が一致しています。でも、だからこそ、自分は、今まで規制改革を訴え、産業構造の変化を訴え、そういった取り組みを通じて一人当たりの生産性を上げなければならないと訴えて参りました。
 
確かに産業構造を変革することは痛みを伴うかもしれないし、規制改革を進めることによって個々人が今まで通りの安穏とする生活は過ごせなくなるかもしれない。AIでもロボットでも何でもいいから活用することで、これから少なくなっていく現役世代の生産性を上げていくことでしか、今の豊かな生活を次の世代に引き継いでいくことはできません。
 
我々世代の責任は、次の世代に対してより過酷な将来を押し付けることにならないよう、努力をしていくことだと考えています。「平等に貧しく」などならないで済むためにも、自分は今後も政策提言を続けて参ります。
 
 
前衆議院議員 三谷英弘

最近、いわゆる「相対的貧困」をめぐる議論が活発です。一応文化的な生活は送っているものの、現代日本の水準からするといたたまれないような「貧困」に苦しんでいる人がクローズアップされ、「富の集中」を批判するアメリカでの議論の高まりに伴い、日本でも「いかに再分配をするか」という議論に注目が集まっています。

 

実は、地元東京でも、自分の経済成長重視政策に対して、もう経済成長はいらないよ、構造改革で逆に日本は貧しくなった、もうこんなに日本は豊かなんだから「足るを知る」で行こうよ、これからの時代は経済成長なんかよりも福祉だよ再分配だよ、ノルウェー、スウェーデンなど北欧の国々のような高負担高福祉でのんびり豊かな国を作ろうよと、ご意見というか、異論を頂くことが増えています。

 

そこで、今回は、政治や経済に詳しい方にとっては当たり前のことかもしれませんが、日本の経済の現在地点はどこか、そして何を目指すべきなのか、基本に戻ってご説明したいと思います。

 

とにかく結論から申し上げれば、日本は世界の中でも有数の豊かな国だから少しくらい楽をしたって今の豊かな生活を守れると考えること自体が、率直に言えば時代錯誤。現実を正しく把握されておりません。

 

確かに日本は名目GDPでいえば2015年でもアメリカ、中国に次ぐ世界第3位の経済大国です。しかし、それはあくまでも日本の人口が大きいからにすぎません。

 

内閣府のデータによれば、2014年における一人当たりの名目GDPは3万6000ドル、世界(OECDに加盟する34か国中)では第20位と半分以下。他方、北欧の国々は、ノルウェーで9万7000ドル、フィンランドで5万0000ドル、スウェーデンで5万8500ドル、デンマークで6万1500ドルと、そういう国々と比べると、一人当たりの所得で日本は≪遥かに≫低所得の国なのです。

 

一人当たりのGDPでこれだけ差がついているわけですから、どんなに再分配を頑張っても、それこそ完全に平等な社会を作ったところで、そもそも北欧のような「豊かな国」になるはずもありません。

 

間違いなく、日本は遠くない過去において非常に豊かな国でした。それこそ、20年前は一人当たりの名目GDPが世界第3位でした。しかし、この20年間でGDPがほとんど増えていないため今では20位まで後退しました。そして、先進国を含めて他の国々が引き続き経済成長している状況を含めて考えると、現在の順位でとどまる保証はありません。むしろ、ずるずると今後も下げていく可能性が極めて高いのです。

 

※ 内閣府資料より。なお、平成22年から平成24年までの3年間、一人当たりの名目GDPが上昇していますが、これはご案内の通り、当時の異常な為替相場(1ドル80円前後)の影響を受けたもので、実体経済を現したものでないことに留意が必要です。

 

※ また、先述の内閣府のデータによれば、1996年におけるGDPが4兆7000億ドルであったのに対し、2014年におけるGDPは4兆6000億ドルとむしろ減ってさえいます。これに対して、例えば少子高齢化の進んだ北欧のデンマークでは1870億ドル(1996年)から3460億ドル(2014年)、ノルウェーでは1630億ドル(1996年)から5000億ドル(2014年)と極めて順調に増加しています(出典元:世界経済のネタ帳)。為替変動の影響があるにせよ、これからますます日本と北欧の国々とで格差は開いていくばかりです。

 

ですから、再分配重視で高福祉高負担の国を作ろうとしたところで、まずは一人当たりのGDP額を上げていくことに最大の力点を置かなければなりません。

 

それにしても、東京にいる方々の中には、こんなに頑張って働いているのに、なぜ一人当たりのGDPの額が世界的に見て高くないのかと嘆かれる方もいらっしゃるかもしれません。自分の実感値と違うなと感じられる方も疑問に思われる方もいるかと思います。

 

その解は、そもそも各自治体においてどれくらいの生産性があるか、いわゆる県内総生産にあるのです。

 

以前の記事でもご紹介しましたが、東京だけでみると、2014年における一人当たりの総生産は700万円(5万8000ドル)程度あります。この額は、シンガポール(世界第10位)より高く、スウェーデン(世界第9位)の次に高い生産性をたたき出しています。

 

加えて、現在日本では都市部以外の地方自治体の財政は、その地域の税収だけでは成り立たず、地方交付税や国庫支出金などの名目で大変大きな額を国から地方へ分配しています。地方交付税だけで総額約15兆円もの金額(その多くを東京が負担しています。)で地方を支えているわけですが、もしそれだけの資金を地方に回さず、東京で使ってよいということになれば、東京で循環する膨大な資金のために、東京の総生産は現在の金額を遥かに上回ることになることは明らかです。もし地方に回している財源を減らせば、おそらく現在の「待機児童」を解決する財源は簡単に捻出できるでしょうし、もっと就労時間を減らしても豊かな生活は維持できるでしょう。

 

だからこそ、今しっかりと向き合っていかなければならないのは、高所得者と低所得者との間の「分配論」よりも、東京をはじめとする都市部と地方との「分配論」なのです。

 

「東京が稼いでいるのに一人当たりの国民総生産があがらないのは、地方が足を引っ張っているからだ」、「地方に財源を回さなければもっと楽して北欧のような豊かな生活を享受できるはずだ」、「それなら地方を切り捨てて東京が独立すればいいじゃないか」。こういう「東京独立」論は今はまだほとんど聞かれませんが、今後ますます日本が貧しくなったときにはいつまでも笑って済ませられる議論ではありません。

 

こういう議論が高まり、日本の中で東京在住者とそれ以外の方々が衝突する事態というのは極めて不幸というほかありません。そうなる前にするべきことは何か。

 

前段が長すぎました。ようやく本題にたどり着きました。

 

だからこそ、今取り組むべきは地方の活性化です。地方が稼げる状況を作ること、そのことに真剣に取り組んでいかなければなりません。

 

もちろん今まで多くの方が挑戦してきたものの、成功をしていない、それだけ困難な課題であることは間違いありません。しかし、それでも、自分自身として、この課題を最重点課題と位置づけたいと思います。

 

自分が落選してからというもの、できる限り地方に足を運んで様々な地域を見るようにしてきました。見れば見るほど、考えれば考えるほど頭を抱えたくなる出口の見えない課題であることも実感しています。

 

しかし、世界の中でもまだまだ豊かな東京も確実に疲弊してきています。疲弊しきってしまい、東京が稼げなくなってしまう前に何とか手を打たなければなりません。東京という都市を選挙区とするからこそ、この問題に目を背けることはできないと考えました。

 

東京がもっと稼げる仕組みを作るのも重要ですが、それと同じくらい伸びしろの高い地方にしっかりと稼いでもらう仕組みを作ることが極めて大事だということを改めて訴えさせて頂きます。

 

いかに経済活動を通じて東京の富を自然に地方に移転させるか、地方で生み出された富を地方の中で循環させるか、そしていかに海外から地方にお金を落とすか。このような観点に沿った施策を訴え、国会に戻った折には進めて参りたいと考えています。

 

 

前衆議院議員 三谷英弘

先日、ワンセグに関するNHK受信料支払い義務に関する判決が出ました。
⇒ 「ワンセグ携帯所有者はNHK受信料不要、さいたま地裁判決」

要約すると、以下の通りです。

▲ 放送法には、協会の放送を受信することのできる受信設備を「設置」した者は、NHKと契約を締結しなければならないと定められている(第64条第1項)ところ、放送法において「設置」と「携帯」とは別の概念であり(法第2条第14号参照)、ワンセグ携帯を持つことは「携帯」に過ぎず「設置」しているわけではないから、ワンセグ携帯を持っていてもNHKと放送契約を締結する義務はなく、受信料も支払う必要がない。

この判決だけ見ると極めて明快な解釈だし、そりゃそうだと思われる方も多いと思います。でも、NHKからすれば、この判決は不意打ちと言っても言い過ぎではありません。その「わけ」を以下ご説明いたします。

そもそも放送法によってNHKとの契約締結義務が始まったのは昭和27年。そのころには当然テレビというのは「設置」するものであって、それ以外の概念は存在しえませんでした。その後、平成18年になってワンセグ放送が始まります。当然ながら、NHKのワンセグ放送に関して受信料をどうするかという議論は当初からありました。

少し調べてみたところ、最初に国会でこの点議論されたのが、平成18年2月28日の衆議院総務委員会。山本ともひろ議員(自民党)に対して、NHKの参考人が以下のように述べています。

「放送法32条で、NHKの放送を受信できる設備を設置された方につきましては受信契約を義務づけられているということでありまして、・・・今携帯電話でテレビが始まるということでございますけれども、・・・受信機能がある、チューナーがついているということでありましたら、当然ながら受信契約の対象になるものでございます。」

その後、国会では何度もワンセグ携帯のNHK受信料支払い義務の有無について質問が行われますが、NHKは、(実際に徴収するかは別として、)一貫して放送法の規定に照らして、ワンセグ携帯は受信料支払いの対象になる見解を述べ続けて参りました。巷には様々な意見がありましたが、この見解が揺らぐことはありませんでした。

しかしながら、これに変化が生じたのがその後の平成21年。
放送法が改正され、「移動受信用地上放送」(その後の「移動受信用地上基幹放送」、以下現行法に即して「移動受信用地上基幹放送」といいます。)なるものが追加されました。この言葉を聞いてピンとくる方はまずいないと思いますが、一言でいえば、先日サービスが終了した「NOTTV」のことです。

地上波のデジタル放送への移行に伴い、それまでの「アナログ波」の帯域が空きました。そこで、NTT DOCOMO、スカパーから、フジテレビやTBS、電通や博報堂まで、様々な放送や通信事業者、コンテンツ事業者が集まって、「移動受信用地上基幹放送」という枠組みで新たなコンテンツ提供を始めることになりました。(繰り返しになりますが、あまりの不人気のため数年で終了してしまいました。)

この「移動受信用地上基幹放送」を開始するにあたり、平成21年、22年と放送法が改正されたわけですが、この定義を定める際に、今回問題となった「設置」と「携帯」とが分けて規定されることになりました。

※ 放送法第2条第14号: 「移動受信用地上基幹放送」とは、自動車その他の陸上を移動するものに設置して使用し、又は携帯して使用するための受信設備により受信されることを目的とする基幹放送であって、衛星基幹放送以外のものをいう。

当然「移動受信用地上基幹放送」の事業の内容に関してはNHKも大いに意見を持っていたでしょうが、この事業そのものにNHKは何ら関与していません。そして、それ以上に、この部分の放送法の規定をどう改正するか、その書き方に関してNHKは何か意見を表明してもいませんでしたし、受信料との関係でこれが議論されたこともありませんでした。

※ ちなみに、この放送法改正の後も、ワンセグの受信料に関して何度か国会で議論されましたが、一度たりとも「移動受信用地上基幹放送」の定義との関係が議論されたことはありません。

つまり、NHKとは関係のない事業がたまたま始まったことで、NHKとは関係のない放送法の一部が改正され、NHKが何ら関与しないまま(「設置」と「携帯」とをわけるような)条文ができてしまったということになります。

NHKにしてみれば、今までの放送法には全くなかった穴が、全く関係ない人による全く関係ない箇所の法改正によって、自らが関知しない間に空いてしまっていたということに他なりません。もちろん改正される条文も確認していたでしょうが、まさかこの規定が受信料の支払い義務に関係することがあるなどとは決して思わなかったと思います。これを「不意打ち」と言わずして何というでしょう。

でも、それだけではありません。おそらく「移動受信用地上基幹放送」の規定を作成した当事者(おそらくは総務省官僚だと思います。)は、その書きぶりによってワンセグ放送のNHK受信料の支払い義務の有無が大きく左右されるとは夢にも思っていなかったと思いますし、もし受信料の支払い義務に影響がありうるということであれば、言葉の選び方は変わっていたと思います。当然総務省の中では、この規定を追加することで受信料の不払いの余地を拡大しようとは決して思っていなかったはずで、その意味で言葉の選び方を誤ったといえる当事者(総務省の担当官)は省内で十分な反省が迫られていることでしょう。

ともあれ、今回の判決のもたらす影響は決して小さくありません。今回NHKは控訴するとのことですので、おそらくこの判断はこの後高裁、そして最高裁と持ち込まれることになると思います。この後の判断は興味深く見守って参りたいと思います。

この件でNHKに肩入れするつもりは毛頭ありませんが、法律家の一人として、また立法過程に関与した者として、今までの法律解釈の内容やその是非が、そのこととは全く関係のない規定の書き方一つで大きく変わってしまう怖さを改めて痛感するとともに、ある意味で、立法の究極的な面白さも実感した次第です。

なお、最後に個人的な見解についても述べたいと思います。

今までもワンセグ携帯に関して受信料を徴収するということを実務としてどこまでやってきたのか(実際はやってこなかった)という点を踏まえても、そもそも本当に徴収が必要なのかは立ち止まって考えなければなりません。

その点をおくとすると、ワンセグ携帯だからといってNHKの放送が見られる以上は、今後もどういう形であれ、何ら受信料を支払わなくていいとする主張には個人的に大きな違和感を抱きます。
とはいえ、そもそもテレビの高品質なハイビジョンの放送とワンセグの低画質な放送とが同じ受信料というのは明らかに公平性を欠くと言わざるを得ません。したがって、何らか払うという立て付けにしておいた上で、その金額については今後検討すべき課題として認識すべきだと考えます。

いずれにしても、裁判の今後の展開を見据えつつ、しっかりと立法的解決を図るべきだと考えています。


前衆議院議員 三谷英弘
昨日、多くの感動のドラマの舞台となったリオ・オリンピックも閉会しました。メダルの獲得数を見ても、今回ほど日本の健闘したオリンピックも過去になく、それだけスポーツ界において日本の地位は高まっています。しかし、日本の地位が高まっているのは何もスポーツ界だけではありません。

先日、コーネル大学、INSEAD、そして世界知的所有権機関(WIPO)が、国ごとの技術革新力を比較した2016年のランキングを発表しました。

このランキングは極めて重大な示唆を含んでいるにも関わらず、日本の報道を見る限り、「技術革新力、日本は三つ上げて16位…16年」などと結果しか触れられておらず、現在日本がどういう状況に置かれているか、そして日本の課題が何かまで踏み込んでいるものはありません。そこで、今回は、原典を参照しながら、ランキングの中身も分析し、これから日本が行うべきことを考えたいと思います。

まず、このランキングですが、実はこの指標が初めて出された2007年には世界4位だったのですが、その後ひたすら9位、13位、20位と順位を下げ続け、2012年には25位(全141か国中)までに下がっておりました。しかし、それ以降は23位、21位、19位、そして今年の16位と堅調に順位を上げ続けています。4年続けて順位を上げ、世界で16位まで戻したことは高く評価できると思います。
(参考 Global Innvation Index )

しかしながら、ランキングの結果ばかりを追っていても仕方ありません。どのような内訳でその結果になっているのか、その中身も、ある意味結果としてのランキング以上に大切です。

この点、今年のレポートの中でも特筆すべき点として紹介されておりますが、技術革新の「質」に関して、日本は、今年、アメリカ、イギリスを抑えて、なんと世界第1位となっています。この点については大いに胸を張ってよいと思います。

※ ちなみに、この技術革新の「質」の判断基準ですが、(1)地元の大学の質、(2)発明の国際化(複数の国で特許申請されているか)、そして(3)研究論文が引用されている数、の3点に基づくとのこと。日本は論文の引用数では若干他国に遅れを取っているものの、発明の国際化の数値で大きく他を上回り、世界一位に輝いています。これまで日本が取り組んできた「国際的な特許戦略」が功を奏しているといえるでしょう。

また、日本は、市場の洗練度が8位、ビジネスの洗練度が10位と大幅に上昇したことに加え、株式の時価総額と取引された株価の総額がそれぞれ13位、4位と高かったこともランキングの上昇に貢献しています。ここ数年で日本経済が復調しているということが技術革新の分野においても高く評価されているということは認識しておくべきことかもしれません。

しかしながら、他方で、ランキングの足を引っ張っている項目も多数あります。

中でも、特筆すべきは、「起業のしやすさ」が世界62位。「資金調達のしやすさ」は世界69位。「新規事業の開業率」は97位。加えて、「GDPの伸び」は世界で100位、「海外直接投資」に至っては世界で122位。まさに後進国といっても過言ではありません。

目につくところだけを拾ってみても、傾向、言い換えれば、日本が抱える課題が分かるような気がします。

折角の素晴らしい技術革新があっても、他の国と比べて起業がしにくく、海外から投資も呼び込めていない。加えて、資金調達もしにくいし、さらには新規事業も立ち上げにくい。そういうことも相まって、残念ながら市場規模(GDP)の拡大を実現できていない。

簡単に言えば、それが今の日本の実態、世界から見た日本の評価なのです。

別に日本が世界から見てどう見えるかなんてことを常に気にしなければならないわけでもありませんし、必ずしもランキングの上位を目指さなければならないという必要はありません。しかし、客観的に見て世界からどう見えているかくらい知っておいて損はありません。

一言でいえば、技術革新の中身自体は素晴らしいものがあるのに、それを経済成長に生かせているとは言えない、ということ。ビジネス的に言えば、せっかくの宝の「持ち腐れ」状態にあるもったいない国、それが日本です。

でも、逆に言えば、それを踏まえて、これから何をなすべきか、どこに伸びしろがあるのかがわかってくるのではないでしょうか。

このランキングから見ても明らかなとおり、客観的に見て、すでに日本は世界に負けない「いいもの」を持っています。

そして、その日本が世界に誇る技術の「質」を経済成長へとつなげられるかどうかは、ひとえに先ほど示した世界で大幅に遅れている項目を改善できるかどうかにかかっています。そして、まさにそれを進めるための改革(主に「規制改革」)がこれからの政治課題となるわけです。

借金大国だとか、少子高齢化社会の中でもはや日本で経済成長は不可能だなどと様々悲観的にいう方も少なくありません。しかし、やり方によっては日本はまだまだ経済成長が可能です。規制改革を訴えてきた自分の想いもまさにここにあります。

その当たり前のことをこれからも訴えながら、これからも全力で活動を続けて参ります。


前衆議院議員 三谷英弘
「アンブッシュマーケティング」という言葉をご存じでしょうか。

日本語でいえば「便乗商法」。今行われているオリンピックのような大きな行事のときに必ず問題となる商法のことをいいます。

「オリンピック」という単語やロゴ、さらには商標登録されている「がんばれニッポン!」などという言葉を無関係の第三者がビジネスに使ってはいけないというのはよく知られた話ですが、それ以外に、

・ TOKYO 2020 ●●●●●●
・ ●●●リンピック
・ 祝・東京五輪開催
・ 2020 スポーツの祭典
・ 目指せ金メダル
・ ロンドン、リオそして東京へ
・ 2020へカウントダウン

といった言葉を使うこともアンブッシュマーケティングととられる可能性があると注意喚起がなされています。
※ 参考: 「大会ブランド保護基準」
https://tokyo2020.jp/…/copyrig…/data/brand-protection-JP.pdf

何でそこまで目くじらを立てるの?と言われそうですが、これは当然のこと。各カテゴリーの企業から多額のスポンサー料を集めなければオリンピック開催のための費用は捻出できません。
ちなみに、東京オリンピックでは合計4000億円(一説には4500億円)ものスポンサー料が見込まれています。

※ 参考: 「五輪スポンサー料トヨタ2000億円拠出 高いか安いか」
http://mainichi.jp/articles/20160801/dog/00m/020/000000c

そういう巨額の費用を出すスポンサーを満足させることは、大会運営上不可欠のことであり、一部批判の声もあるようですが、資本主義経済の下では、当然のこととして理解しなければなりません。
※ 参考: 「オリンピック応援禁止令?--ツイート禁止通知と『アンブッシュ』規制法の足音」
http://japan.cnet.com/news/business/35087137/

しかしながら、同時に、その批判というか指摘の中にも理解すべき点があることも事実です。
というのも、東京オリンピックでは、開催費用が当初の3000億円程度という試算を遥かに超え、2兆円から3兆円規模になるとも言われており、大規模な公的資金の投入が避けられない見通しとなっています。

※参考: 「五輪総費用 公表なし 不足分は税金追加投入」
http://www.tokyo-np.co.jp/…/…/201602/CK2016020602000143.html

となると、誰が東京オリンピックの最大のスポンサーなのか、ということは改めて真剣に考えなくてはなりません。

言うまでもありません。
最大のスポンサーは、「納税者」に他なりません。

であれば、皮肉でも何でもなく、スポンサーたる「企業」に対して満足できるようなオリンピックを運営することにそれだけ一生懸命となるのであれば、当然ながら納税者にとってもできるだけ満足度の高いオリンピックに仕立て上げる。

そのことが、これからの東京オリンピック開催に携わる全ての方の責務となるはずです。

今回、都知事選挙を経て、小池百合子新都知事が誕生しました。小池新都知事に対しては様々な立場から様々な意見はあろうと思いますが、少なくとも一点期待できることは何か。

それは、組織や団体ではなく、ひとえにしがらみのない有権者の方々の支持を背景に選挙戦を勝ち抜くことができたがゆえに、納税者目線で、東京オリンピックを開催するために全力を尽くすことができること。

何のためにいくらが使われるのかをガラス張りにして、不要なものは削り、また(巷ではあるといわれている)「オリンピック利権」を貪る方々に退場をしていただきたいと心から思います。

それができなければ、小池新都知事が誕生した意味はありません。
しかし、他方でそれができる方だと考えています。

4年後の東京オリンピックの成功を心から祈念する立場から、一都民として、彼女の手腕に期待しています。
今回の参院選、自分は渡辺よしみ候補の選挙をやらせて頂いています。全国津々浦々の有権者の皆様に対して、渡辺よしみに投票して頂きたいとお願いさせて頂いています。なぜ渡辺よしみ候補に当選してもらいたいのか。なぜ、みなさまに投票して頂きたいのか。いくつも理由はありますが、改めてこの点について、皆様にご説明をさせて頂きます。

1.国会きっての政策通であること

「渡辺よしみ」を語る際、ほかの印象が強すぎてつい忘れがちになりますが、実は本当の政策通です。自民党で当選したときから、自民党の塩崎恭久や民主党の古川元久らと並んで「政策新人類」と呼ばれ、金融緩和を中心とする「アベノミクス」と呼ばれる経済政策の原案を作成した張本人といっても過言ではありません。

しかし、それにとどまりません。この参院選期間中にも、国民投票によりイギリスがEU離脱を決めたという事態を踏まえ、今、日本政府が何を行うべきか、金融政策をしっかりと打ち出し、そしてそれを政府に働きかけるなど、単に政策を打ち出すだけにとどまらない実行力も合わせもっています。

今後いよいよ混迷しかねない日本経済の切り盛りを行うにあたり、国会に不可欠な存在だと考えています。

2.改革の実績があること

改革を叫ぶ政治家は数多くいます。しかしながら、それを実現した政治家がどれほどいるでしょうか。口先で改革を叫ぶだけでなく、徹底的に抵抗勢力と闘い改革を進めた政治家の一人。それが渡辺喜美です。

第一次安倍内閣において、渡辺よしみは行政改革担当大臣の地位にありました。そのときに進めたのが「各省庁における天下りあっせんの禁止」です。

それまで誰もが口にするだけで進められなかった、各省庁の業界団体への権力の源泉である「天下りのあっせん行為」を禁止できたのは、それこそ渡辺喜美の突破力をもってほかありえませんでした。

ちなみに、法案は通ったものの、その直後、安倍内閣が倒れてしまい(改革に反対する勢力、特に社会保険庁職員による情報リークが数多くあったと聞いています。)、公務員制度改革は道半ばでとん挫してしまいました。このことが、渡辺よしみが涙を流して一人自民党を離党するに至った大きなきっかけでもあり、政治家「渡辺よしみ」の苦難の始まりといっても過言ではありません。

3.ぶれないこと

政治家は、選挙のたびごとに公約を訴えるわけですが、ご都合主義で、選挙のたびごとに訴える内容が異なる政治家なんか序の口で、選挙のたびごとに全く相反する主張を何ら恥ずかしげなく訴える政治家すら決して少なくありません。

そんな中、渡辺よしみは、自民党にいたときも、自民党を離党してみんなの党を立ち上げたときも、そして今回「おおさか維新の会」の公認候補として参院選に立候補している今も、訴えている内容は全く変わりません。

(参考)「渡辺よしみが4年前に訴えていた事」
http://www.nicovideo.jp/watch/sm29173057

「増税の前にやるべきことがあるだろう。」

まずは行政改革を進めること、それによって行政と業界団体との癒着を断ち切り、岩盤規制に穴をあけ、新規産業の創出を後押しをしていくこと。それを先にやらなければならない。

小さな政府の実現を目指し、国が有する権限を、民間に、あるいは地方公共団体に渡すべきだという国家観は常に一貫しています。なぜそれを貫けるのか。それは、渡辺よしみが以前から訴えているポリシーに基づいています。

「政治家として大事なものは、目先の選挙ではない、次の世代なんだ」

まさにこの言葉通り、とうとう前回の選挙では落選の憂き目にあうわけですが、この訴えを変えることはありません。自分も落選をしている立場で痛感していますが、落選してもなお同じことを訴え続けることの辛さは生半可なものではありません。この一点をもっても、渡辺よしみは尊敬に値する政治家だと考えています。

4.再チャレンジをすべき存在であること

そして、最後に。渡辺よしみの選挙を応援するにあたり、数多くの有権者に聞かれる点でもありますし、避けることのできない話題が、例の8億円問題です。

この点、すでに検察が二度にわたり不起訴という判断を行っており、あの件が違法ではなく、これ以上法的な責任問題に発展しないことは確定しています。

たとえ適法であっても「不適切じゃないか」といわれる方もいらっしゃると思います。しかし、すくなくとも、自分は、当時みんなの党の倫理委員長として、お金の流れを通帳から何から確認して、8億円がいわゆる裏金の類でもなければ、私腹を肥やすために用いられたお金でもないことを誰よりも理解しています。

とはいえ、この点は、いくら口で説明をしてもご理解を頂きにくい点かもしれません。だからこそ、そういう皆様にお伝えしたいのです。

先述したような改革の実績、そして改革への想い。さらには全くぶれない政治姿勢。それを愚直に貫いた結果が、みんなの党の解体、そして総選挙での落選です。ある意味本当に不器用な政治家であるがゆえに、どこかの時点でこのような結果になることは必然だったのかもしれません。でも、だからこそ、もう一度本気で改革を進めさせて頂きたいのです。渡辺よしみを復活させて頂きたいのです。

失敗を経験した政治家は強いといいます。渡辺よしみが国会に戻ったときに果たしてどのような活躍をするのか、今から楽しみでなりません。


最後に。

僕は渡辺よしみという政治家を尊敬しています。しかし、それは個人的な好きとか嫌いとかいう感情に基づくものでは決してありません。また、義理や人情にもとづいて渡辺よしみを応援しているわけでもありません。

彼の政治家としての姿勢は今の国会において稀有なものであり、しかもその改革への情熱は今後の日本にとって不可欠なものだと確信をしています。

有権者の皆様には、渡辺よしみという政治家の価値を改めて「値踏み」をして頂いても構いません。先入観なく見て頂ければ、必ずや国会において必要な存在だと認識をして頂けると考えていますし、渡辺よしみ復活へと力を与えて頂けるものと確信をしています。

ぜひとも皆様、宜しくお願いいたします。


前衆議院議員 三谷英弘
一般に、住民が地域で安心して生活をしていくうえで必要なものは、「自助」、「共助」そして「公助」の精神だと言われます。



もちろん当然のことながら「自助」(自立)を第一とすべきではありますが、「公助」について財政上の制約がある中で、地域の課題に対応し活性化を図っていくためには、「共助」の精神によって人々が主体的に支え合う活動を促進することが、活力ある社会にしていく上で必要だとされています。
特にその中でも、いわゆる地縁的なつながりの希薄化が指摘される中で、様々な課題を抱える人たちのニーズに即して機動的・多面的に活動し、課題解決に取り組むことができるNPO法人の活動の重要性が以前にも増して大きくなっていることは言うまでもありません。

この方向性自体は既に安倍政権下でも採用され、既に「共助社会づくり懇談会」が多数回にわたって開催されているところです。

もちろん、いわゆる「共助社会」の重要性に関しては多くの国民の皆様にも異論がないところだと思われます。他方で、「共助社会」の中核を担うべくNPO法人の活動そのものに対する疑念が以前示されたこともあり、その活動への理解が不足している部分も少なからずみられることから、そういう行き違いが「共助社会」の実現の支障となりかねません。

【参考】
NPO法人の現状と課題
内閣府「共助社会づくり」への大いなる疑問

そこで、このたび、三谷英弘事務所では、直接目黒区・世田谷区に拠点を有するNPO法人の皆様に対して、そういう皆様の中で普段から困っていることがあるのか、あるとしたらその問題点とは何か、またより充実した活動を行うためにいかなる施策が必要か、についてのアンケートを実施することとし、アンケートを本日付で郵送させて頂きました。

このアンケートは一応6月末日までの回答をお願いしておりまして、その結果については、当方で集計し、匿名化を施した上でこちらのブログにて公表させて頂きます。
また、当然のことながら、頂いたご意見はできる限り国政復帰時の当方の施策にさせて頂きます。

なお、今回は当方の財政的な問題から地域を区切ってアンケートを送付させて頂きましたが、特段目黒区と世田谷区に限るつもりもありません。それ以外の地域でも、NPO法人を運営されている方、また運営に携わられている方の中でご興味がある方がいらっしゃいましたら、ぜひ一声お声がけ頂けないでしょうか。

これからの日本をより住みやすいものにするため、まずは地元の目黒区・世田谷区を全国で一番の「共助社会」にするべく活動を続けて参ります。どうか今後ともご指導のほど宜しくお願い致します。


前衆議院議員 三谷英弘
先日、日曜日から月曜日、熊本地震の震災の影響をこの目で確認するため、大分に飛んで参りました。

「熊本地震」の被災状況を見るのになぜ大分なのか、と思われる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、それはほかでもありません。このたびの「熊本地震」で被災しているのは熊本に限りません。その影響は、大分、宮崎、福岡に及んでいます。しかしながら、周辺地域の情報があまりにも少なく、支援の手が熊本ばかりに集中しているのではないかという声もありました。そこで、周辺地域の中でも被害が大きかったとされている大分の実情をこの目で確認しに伺った次第です。

今回の日程で伺えたのは、大分県別府市、由布市湯布院町、そして熊本県阿蘇市の3自治体。そして、被災地の一つでもある別府市の長野恭紘市長からお話を伺う機会も頂きました。

1.被災地の状況について

≪大分県別府市≫

まず、日曜日の午前中に伺ったのが別府市。表通りを走っている限りはあまり気づきませんが、別府市北部に関しては、一歩道路を入ると多くの石塀が崩壊しています。また、ブルーシートで覆われた屋根や倒壊しそうな家屋やコンクリート塀も見られます。他方、南部に行けば行くほどいわゆる被災した建物や石塀は目立たなくなります。

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別府では3か所の避難所にも伺いました。いずれの場所もその時いらっしゃる方が0から数人と、避難者の方が少ない印象も受けましたが、お昼は仕事や家の片付けに出て、夜になると戻ってくる方が多いとのこと。避難者の方の数は減ってきているものの、まだまだ需要はあるようでした。

さらに、支援物資が貯蔵されている市立体育館、そして市立別府商業高校へ。物資は必ずしも潤沢と言えないようにも思いましたが、全国からの物資が集まっている様子にはとても心強い思いをしました。

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ちなみに、別府市には全国からの救援物資が運び込まれていますが、中でも岐阜県美濃加茂市からの物資が目につきました。というのも、別府市長の長野恭紘さんは、美濃加茂市長の藤井浩人さんと「龍馬プロジェクト」という志を同じくする仲間同士だとのこと。こういうつながりで各地の自治体が助け合えるのは素晴らしいことだと改めて実感しました。

また、その後立命館アジア太平洋大学(APU)にも伺いました。ここも、校舎や敷地は非常に新しいにもかかわらず、様々な場所でひび割れや隆起などが起きており、やはり震災の力の大きさを示していました。

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≪大分県由布市≫

次に、その日の午後、別府を離れて由布市湯布院町へ。こちらは、やはり震源地に近い分だけ、より震災の影響が出ておりました。

まず、由布院駅前の避難所では、そこの責任者の方から話を伺う機会を頂きました。最大時には約1300人、本日のお昼の時点でもまだ40~50人、夜になればさらに相当数の方が避難しており、自衛隊による炊き出しも続けられている様子でした。

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家だと不安だから避難所に来ているという方もいらっしゃいましたが、別府市とは異なり、家が倒壊して物理的に戻るところがない方が少なくないとの話を聞いたため市内住宅街を歩いてみました。すると、瓦が壊れ屋根をブルーシートで覆っている住宅がいくつも目に入るだけではなく、全壊、半壊をしている建物が次々に見つかりました。湯布院での被害の深刻さに言葉を失いました。

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≪熊本県阿蘇市≫

その日は由布院駅近くの民宿にて夜を過ごした後、二日目は早朝から移動を開始して熊本県の阿蘇市へ。別府や湯布院とは比べものにならないくらい多くの自衛隊車両が走っており、また各所に震災の影響で通れない道がある様子などを目にし、ただ事ではない様子が嫌でも伝わってきました。

阿蘇に着いてまず目に飛び込んできたのが阿蘇駅の駅舎。そして、阿蘇神社の楼門にも言葉を失いました。

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その後避難所にも向かいましたが、避難所の大きさ、避難されている方の数などの点で、別府や由布院駅前のそれとは段違い。震災により今なお現在進行形で多くの人々が大変苦しんでいること、それを実感として理解できました。

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2 別府市長と面談する機会を得て

その後、急いで再び別府市に戻り、市役所にて長野市長に面会する時間を頂きました。災害対応中の中の貴重な時間。一寸たりとも無駄にはできないので、緊張感を持って次々に質問を重ねていきました。

市内の被災状況、震災の影響、震災の今後の見通し、行政としての取り組み、今後の課題、そして震災への想いなどなど。そのやり取りの中で、市長の前向きな人柄、そして復興への強い意欲、だからこその苦悩も伝わってきました。

・ 別府も震災によって建物に多くの被害が生じており、今なお少なくない人数の方々が避難所生活を強いられている
・ しかし、別府の深刻な問題は今後の影響、とくに観光産業への影響である
・ すでに宿泊施設によってはGWの予約の8割方キャンセルされてしまっている (※ 僕が長野市長の発言を誤解して理解してしまったので、ここは「宿泊施設によっては」という表現に修整させて頂きました。それでも全体的に大量のキャンセルが出たのは間違いないようです。)
・ 当然余震の可能性がある中でとりわけ安全だということは難しい
・ また、より甚大な被害を被っている地域がある中で、そういう地域と差別化して別府だけが安全だと強調することもしたくない
・ だから、行政として、過大に安全を謳うことはできない。しかし、だからといって、過大に心配してもらう必要もない
・ ありのままの姿を見てもらえれば楽しく気持ちのいい街だと再認識してもらえるし、お客様も戻ってきてもらえるはずだ
・ だから、まずは市長自らがGW期間中温泉宿泊施設に10連泊しようと思っている

概ねこういう話でした。

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※ 写真中央が長野市長。自分より一つ年上の大変エネルギッシュな方でした。

市長はもちろんですが、僕も実際に自分の目で見ましたので、大分にも被災者が多くいることは理解しています。ましてや熊本には今日を必死に生き抜いている被災者の方が数多くいることも学び充分理解しています。でも、長野市長と話したおかげで、地域ごとに見ていくことの大事さも改めて認識させられました。だからこそ、自分も実際に被災地を見てどう思ったかを敢えて述べたいと思います。

まず、阿蘇市については、本当に大変な状況が続いていると思います。
ひっきりなしに自衛隊の災害派遣車両が通っている様子から、東日本大震災の直後にいわき市に行ったときを思い出させられました。そのため、4月25日の時点では、ですが、行って支援、遊んで支援という言葉が不謹慎かなとも思いました。しかし、現地ではコンビニエンスストアも復旧し始めており(既にオープンしている店舗もありました。)、また数多くのボランティアの方もいらっしゃいましたので、少なくともボランティア名目であれば現地に行くことは有益だろうという印象を受けました。

ついで、由布市(湯布院)に関しては、まだまだ被害は深刻に残っています。
何より駅前の避難所にあれだけの方がいらっしゃる中で観光気分になれるかというと、正直僕はなれません。他方で、ボランティアを県外から募集することもしていません。つまり、それだけ被害が限られているとも言えるわけです。そして、どんなにお客さんが少なくても維持で営業している店舗もありますし、既に影響を開始している旅館等も少なくありません。そういう意味では、そういう店舗を何らかの形で支援することも考えても良いのかもしれません。

そして、別府市です。
率直な感想を言わせて頂ければ、確かに今は全然人がいませんが、別府はとても元気でした。そして、ほとんどのお店はお店を開けてお客さんを待ち望んでいます。確かに一部被災している場所もありますが、別府に行くことを避ける理由は、少なくとも今はないかなと思っています。ここに関しては、むしろ食べて応援、行って応援、遊んで応援ということを考えても良いのだろうと思います。


ちなみに、今回の視察中余震はあったようですが、一度も揺れを感じることはありませんでした。無責任なことも言えませんが、必要以上に恐れることもないのかもしれません。


今回の大分行きは2日間で合計走行距離が320キロ超。大変な強行軍でしたが、それでも大分から熊本に入り、それぞれの被災状況をこの目で確認できたことはとても大きな意味があったと実感しています。

改めて被災された皆様に心からお見舞いを申し上げるとともに、復興に向けて立ち上がる方々の強い決意を心から応援したいと思います。


最後に、帰りの航空機の中から東京の様子を一枚。

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東京直下型大地震の可能性が叫ばれている昨今、東京もいつなんどき同じような震災に見舞われないとも限りません。たとえその日が来て、一時はたとしても、自分自身、このきれいな夜景が戻ってくるような活動を続けたいと思います。




最近、待機児童・保育園の整備を巡って非常に激しい議論が国会内外で繰り広げられています。
実は自分も、保育園でもベビーシッターでも何でも良いので、一刻も早く、東京近郊で一人でも多く子供を産み育てられるような環境を整備しなければならないと強く願っています。

それはなぜか。

他でもありません。
今のままだとこの豊かな国が持たないからです。


1.人口のブラックホール現象を紐解く。~東京と鳥取の比較から~

前回のエントリーで「人口のブラックホール現象」なるものをご紹介致しました。
これがどのようなものか、今回は具体的に見ていきたいと思います。

まず、総務省のデータに基づき、比較的過疎が進んでいることが明らかな鳥取県を例に、東京都と比較してみたいと思います。

鳥取県の合計特殊出生率は1.60。全国でも上から8番目に高い数値となっています。
他方で、東京都目黒区の合計特殊出生率は僅かに0.76、世田谷区でも0.82と1を大きく割り込んでおり、東京全体でも1.15と極めて低い数値になっています。

では、出生率の高い鳥取県の方が若い世代が多く存在しているかというと、もちろんそんなことはありません。グラフを比較して頂ければ一目瞭然。

   

左側が東京、右側が鳥取です。図を見ると東京では20歳前後から急激に人口が増加していることが分かります。これは、まさに進学や就職の時期に上京し、それ以降東京に住み続けることを意味しています。

※ このグラフはウェブサイト「人口・面積・人口密度・」様からお借り致しました。この場を借りて御礼申し上げます。

このように、比較的高い出生率を誇りながらも、鳥取県は深刻な少子高齢化に見舞われる一方、東京は自ら人口の再生産をすることなく、地方から労働力を吸い上げることで、成り立ってきたことを実感して頂けたのではないかと思います。

でも、この東京の姿、実はシンガポールと全くダブって見えることにお気づきでしょうか。


2.シンガポールに見る、東京の未来。

シンガポールは目覚ましい経済発展を遂げている国であることは言うまでもなく、一人当たりのGDPはなんと56,000ドル(USD)と、東京の一人当たりの総生産(57,000ドル)とほぼ変わりません
そして、シンガポールの人口ピラミッドを見て頂ければわかりますが、まさに大量の生産人口がこの国の経済を支えているといっても過言ではありません。



では、シンガポールはどこから若年労働力を調達しているでしょうか。
言うまでもありません。海外です。

シンガポールの合計特殊出生率は、僅かに1.19。
東京と同じように自ら人口の再生産を行うことができておりません。

そのため、シンガポールでは、毎年大量の移民を受け入れることで国家として生産人口を確保する施策が採用されてきました。その結果現在では人口の43%が移民(外国人)で成り立っている、極めて他国に依存した国家、それがシンガポールです。

いや、まだ日本はシンガポールと違って移民を受け入れていないじゃないかという反論も聞こえてきそうですが、実は本質的には全く同じです。

シンガポールは「都市」がそのまま「国家」になっているような国なので、労働力を「都市」の外から供給してもらうなら、それは「移民」とならざるを得ないだけ。
東京も、地方から労働者を大量に呼び寄せて繁栄しているわけですが、仮にここが一つの「国家」だとすれば、他の地方都市から続々と「移民」を受け入れて繁栄しているシンガポールとまったく同様の「国家」に他なりません。

そして、問題は今その東京で何が起きているか、です。

繰り返しになりますが、多くの地方都市において、極めて少子高齢化が進んでしまった結果、東京等の人口増加を上回るほど地方の人口減少が激しくなっていて、これ以上大量の若年者を供給できなくなってきています。

さて、こういう環境下でこれからも繁栄していくためには東京は、そして日本はどうすべきでしょうか。

答えは二つに一つ。
東京における出生率を高めていくか、それとも地方都市から労働力の供給がないなら、もっと範囲を広げて「海外」にまで労働力を求めていくか、しかありません。

※ ちなみに、地方だから一律に出生率が高いわけではなく、地方は地方で、出生率を上げるために、コンパクトシティの構築等を目指して再編成していかなければならないことは言うまでもありません。
    参考)北海道は東京・港区より出生率低?東京一極集中是正で出生率&一人当たりGDP上昇の嘘

※ 下記のURLのように一人当たりの生産性を挙げていくという方法もあります。確かに夢はありますが、現時点では必ずしも現実的とは言えません。
    参考)自動化専門家が断言「移民よりまずはロボット」

※ 今まで働いて来なかった方々(女性や高齢者等)にしっかりと働いてもらうという方法もあります。まさに政府が言うような「女性活躍推進」や「一億総活躍社会」はこの方向性を示しています。スローガンとしては良いですが、これが動ける人は皆働くことが強要されるような「多様性のない」社会を意味するとすれば、自分は望ましいとは考えておりません。



3.移民を受け入れますか、それとも保育所増やしますか。

ということで、結局はこの問いかけに行きつくわけです。
「移民を受け入れますか、それとも保育所増やしますか。」

もちろん移民(外国人労働者)の受け入れに関しては、国家として真剣に検討するべきだと思いますし、その際にはシンガポールの移民政策が極めて参考になります。

シンガポールでは、決して多くの方が恐れているような無秩序な移民の受け入れを行っているわけではありません。ハイレベルな人材の受け入れを中心に行っているためか、移民が増えていても国内の犯罪率が高くなっているという事態は生じておりません。
(もちろん、さすがにあまりの移民率の高さに不満が相当たまっているようですが。)

しかし、シンガポールの移民政策がここまで進めてこられたのは、言葉を選ばずに言えば、国家としては、経済を重視し、どちらかというと歴史や伝統的な文化というものにあまり重きをおいて来なかったからではないかと推測しています。

それにひきかえ、日本では、伝統や文化などの相互理解のもとで育まれたマナーや礼儀を、良くも悪くも前提とした共生社会が構築されてきました。
隣に住む人も、基本的には自分と同じような考えや文化を持っており、夜はできるだけ騒がない、ゴミは分別する、など当たり前の社会生活上のルールを他人が持っていることを期待して生活することができています。

その社会に突如大量の文化や風習の異なる移民が入ってきたらどうなるか。
今の日本の社会秩序が大混乱に陥ることは目に見えています。

だとすれば、「移民を受け入れる前にやるべきことがある」のではないでしょうか。

これは外国人差別でもなんでもありません。
日本において、将来的にどこかの時点でやむなく労働政策として移民受け入れの判断をするときが来るかもしれません。しかし、そのときに迫られる「日本社会の変容」を考えると、正直まだそれを受け入れるだけの国内議論が深まっているとは到底思えません。

もちろんハコモノとしての保育所を作る必要はありませんし、ベビーシッターのような制度の拡充でも良いかと思います。なんでも良いので、今やるべきは、東京やその近郊都市においてしっかりと子供を産み育てやすくすることです。

ちなみに、これは高齢者を犠牲にして若者世代を優遇せよということでは決してありませんし、世代間闘争をけしかけるつもりも毛頭ありません。そうではなく、出生率をあげることが即ち高齢者の豊かな生活を維持することにもつながるのです。

今まで後回しにされてきたように見える「待機児童」の問題をどれだけのスピードで解決できるかどうかは、まさに日本の将来がどうなるか、その未来に大きくかかわっているのです。

だからこそ、この問題に関しては、どうか党派を超えて、党利党略を超えて、国を挙げて取り組んでいただきたいと切に願うばかりです。
今日で東日本大震災から丸五年。改めて犠牲になった方々のご冥福を祈念するとともに、被害を受けられた皆様に心からお見舞いを申し上げます。

本日は各地で鎮魂の祈りが捧げられておりますが、年々行事への出席者も減少し、また震災の後しばらくは制限されていたネオン等の夜間照明もいつの間にか眩しいくらいに復活するなど、徐々に震災の記憶も風化しつつあるようです。

しかし、忘れたころにやってくるのが震災というもの。家族全員が家にいるときに震災が起きるとは限りません。仕事場で、または学校で震災が起きたときにどう避難するのか、どのように家族が集まるかを含めて、この機会に改めて家族や近所の方々とよく話をして頂きたいと思います。

既に何度も聞いていらっしゃることかもしれませんが、震災で悲痛な思いをされる方が一人でも少なくなるよう、一人ひとり心がけていきたいものです。

さて、もうすぐ桜の季節。過去を踏まえ、同時に未来を見据えて新たな気持ちで自分も頑張って参ります。

前衆議院議員 三谷英弘