(写真:左からナスの甘酢炒め、えびと豆腐のあんかけ、かぼちゃの煮物)


写真に写っていないサバ缶の炊き込みご飯も。

金曜日につくった晩ご飯。しばらく家を留守していたので、ルームメイトも誘って一緒に食べた。

やっぱり人様にも食べてもらうとなると3品くらい作らない様にならない(汁省略しているし)と勝手に自分にプレッシャーをかけてしまうのだが、レパートリーが少ないから2品が初めて作るもので不安だらけだった。結局一番美味しかったのは初めて作ったナスの甘酢炒めだった(拍手)。ナス田楽の予定だったのだが、急に「炊き込みご飯とナス田楽は塩気が多すぎ??」という不安が湧いてきて、甘酢になった(結局醤油入っているけれど)。えびをあまり料理したことないのだが、世の中で一番嫌いなのはにすぎてもはやシャキシャキ食感のえびだから注意して煮たものの、やっぱりプリプリには到達しなかった。プリプリのエビは尊い。レシピに「絹豆腐をちぎって入れる」と書いてあったのだが、豆腐をちぎる、ということが多分自分の中で消化できずに「潰し入れる」に誤変換してしまい、麻婆豆腐と白和の間のものになってしまった。次はあまり深く考えずに大人しく切って入れようかと思う。今回のかぼちゃの煮物は何故か味薄。なぜだ。


話は全くズレてしまうが、うちに一番近いスーパーがインド系のスーパーで、久しぶりに行ってみたら、セルフで試飲できるチャイがコップと一緒置いてあった。チャイ自体も売っているのだが試飲用で満足してしまうのではないのか、とちょっとスーパーのための心配をした。







と言っても、購入したのは11月で、ストックがどこにもないから12月にウチに届いたものの、12月中はフロリダだったから今になってやっと手に取っている。


ジブラーンは大学生の時に出会った。「好き」というより、疲れた時に読みたくなるような、癒しの言葉をくれる。今回購入した本は、とても大切な友人にプレゼントした本でもあって、その誕生日カードに「私はあなたよりも弱くて、臆病で、守ってあげられるなんてとても思えないから、せめてお守りとしての言葉をおくります」とかなんとか書いた記憶があって、ジブラーンはきっと、その人との思い出と一緒に結びついている。一番大切な人に送りたくなるような言葉を、この人はたくさん書いているのだ。


ジブラーンについてもう一つ思い出があって、それは、大学の卒業式の日、お世話になったゼミの先生に『預言者』をいただいた。ただの偶然といえばそれまでだが、大好きな先生と同じ何かが通じ合った気がして嬉しかったな。


そんなことを思い出しながら、まえがきから丁寧に読み進めていく。








臘八節には八宝粥をたべるらしい、と言うのを夫が母から聞きつけてきたと言う。

臘八節というのはWikipediaを拝借すると、

もともと中国古来の伝承で、12月に「臘祭」を祝い、その年の豊作を感謝した。紀元5世紀ごろから、12月8日に祝われることになった[1]

また、中国仏教の伝承では、釈迦牟尼が苦しい断食の修業中にスジャーターという女性が食べさせてくれたで元気が出て、悟りに至ったのがこの日だという。他の伝承では、6年の歳月を毎日1食の断食修業の後にこの日の暁の明星を見て菩提樹のもとで悟りを開き、五穀の入った粥を食べたという伝承に基づいている。



ということらしい。

「だから今日は八宝粥をつくる」と、夫が言う。

さっきまでイベントのことすら知らなかったのに、なんでこんなに張り切っているのかわからないが、お昼休み中に近くの中華系スーパーで材料を買いつけてきた。もちろん、もう春節ムードなので、入り口入った瞬間、お菓子やらポチ袋やらでいつもよりごちゃごちゃしているし、目がチカチカするほど赤い。

早速材料を探すが、最初からシクっている。
「買い物リストあるの?」ときくと、

「買うものはパソコンにメモったんだけど、、、だからパソコンにある、、、」

え?それ、ないってことだよね?
メモった意味が、もう、、、

「でも買うもの覚えているから!!!」と強がっていたので、言われるがまま色々探して割と順調にいっていたものの、さあお会計に向かおうとした時、

「八宝粥なのに八品目ない」と夫は焦りだす。

「じゃあ何入れるの?」

「わからない、、、」

「、、、あそうですか」

今日食べたのは七品目の八宝粥でした。





(写真:関係ないSequioa National Park)


昨日、今年読んだ本をまとめてみた。抜けているものもあるかもしれないけれど、でもきっとこんなところだろう。


来年はもっとよんで、もっとまめにメモを書いたりしたい。

 

女のいない男たちー村上春樹

ドライブ・マイ・カーを観たくて先に原作を読んだが、印象にのこっているのは「シェエラザード」なのかもしれない。集中力があまりない昨今だから、短編は読みやすい。「独立器官」もよかったとおもう。

 

音楽は自由にするー坂本龍一

今年お亡くなりになって、手に取ってみた。音楽に関しては素人だから期待値が低めだったのだが、それがかえっておもしろく読めた理由だと思う。2009年に出た本で、インタビューを本にしたものらしいが、今年、同じようなものが、「ぼくはあと何回満月を見るだろう」というのが出たらしい。これもいつか読みたい。

 

ドラキュラ伯爵ーブラム・ストーカー

ホラー好きとして読んでいないのはやはり恥ずかしいと思い、読んでみた。おもしろかったけれど、やたら長いし長ったらしいし、あの時代のsensibilityに関しては現代人が理解できないものがあったりするから、難解というより、困惑が生じる。ドラキュラに襲われて瀕死状態の女性の治療にあたる医師が、(女性のお友達(?)的な男たちに対して)「輸血が必要なのは明らかだから輸血してほしいけど、(女性の婚約者)に輸血したことがバレたらよろしくないからみんなシーっね」みたいなことを言っていて、どのドラキュラ系映画にもドラマにも出てこないシーンがたくさんあって困惑。最近みた優秀なドラキュラ作品は2020年に出たこちら(たぶんネットフリックスで見れる)。優秀なドラキュラ系作品と駄作の差があまりにも激しいから毎年のように新しいものが出るのだろう。

今年はRenfield(レンフィールドというのは原作にも出てくるドラキュラのぱしり)というのが出たらしく、映画館で予告編をみたが面白そうだったけれど、あまり人気が出なかったらしい。まあ、ホラーコメディってなかなか人気がないジャンルだとは思う。アマゾンプライムで配信中らしい。

 

菜食主義者ーハン・ガン

たまたま図書館で見つけて、借りた本だったが、今年読んだ作品の中では上位に入るのだと思う。(そもそもあまり読んでいないが)感想をここで書いている。便利だからそのまま当時書いたあらすじをコピペしておく。

 

ネタバレなしで要約すると、ごく普通の主婦が社会の期待やプレッシャーに争って、自分を守ろうとしたたくましい姿を描いている。自分の信念を守り抜いて、肉体を次の次元に向かって邁進させる。彼女は菜食主義者からやがてほとんど食べ物を口にしないようになっていくが、病的な心身より、お釈迦様の絶食を思わせる尊さが描かれていた。もちろんそれを理解する人は周りにはいない。誰も尊いとは思っていない。それでも続けていくしか生きる道がない。その切実な思いと孤独な戦いが描かれている。

 

雨はコーラが飲めないー江國香織

ブログに本気を出していたころに、エッセイを読んだ方がいいと思い、読んでみた。不思議な本だったけれど、スルメみたいに、噛めば噛むほど味が出てくる感じ。雨というのは、筆者のコッカー・スパニエルで、エッセイはどれも、その犬と音楽を聴く日常の話。

 

あなたの愛人の名前は何ですかー島本理生 

タイトル通りの恋愛短編が6編入っている。面白かった記憶だが内容はあまり覚えていない。

 

The Bridegroom-ハ・ジン

『待ち暮らし』で全米図書賞をとっているハ・ジンの短編集。やっぱり『待ち暮らし』を超えるものはなかった。まあ、それはしょうがない。

 

The Writer as Migrant-ハ・ジン

中国からアメリカへ渡り、英語で書き物をしているハ・ジンが移民、言語、母語、書くことについて思索しているエッセイたち。母語ではない言語で書き物をしていた作家たちの作品や考えも紹介されていて勉強になった。

 

Butterflies: Reflections, Tales and Verse -ヘルマン・ヘッセ著 (V. ミヒェルス編)

洋書では珍しく(持論)装丁や挿絵にこだわっている本で、タイトルの通り、ヘッセが書いた蝶にまつわる詩やエッセイ、短編が収録されている。これは今年出版されたばかりだが、同じようなものが84年に日本語版が出版されている(中身を確認しているわけではないから全く同じかどうかわからない)。英語圏ではあまり有名ではない『少年の日の思い出』も入っている。久しぶりに読んだが、これが大人になった主人公の回想録だっていうことが記憶になかったが (そもそも教科書に出ているのはフルバージョンではない気がする)、それによって切なさが倍増している気がする。この部分が教科書ではカットされているならぜひここが入れるべきだと思う。


The Lonely City- Olivia Laing 

自伝兼アート批評で、よくリサーチされているが小難しくない、素直な本。今年一番かもしれない。


In Her Words- Amy Winehouse

27才で亡くなったAmy Winehouseの両親が集めて彼女の日記やメモ、詩などを集めた伝記。写真多めだけれど、彼女の心のを覗きこんだような気分。ほしい物リストや自分がどのような人なのかなど、他人にはあまり見られたくないような(少なくとも私だったら見られてたくないけど)まで入っていて、ちょっと読んでいる方も恥ずかしいなるような、親密な本。


最後に、2024年の抱負は例年と変わらず、本をもっと読むことを掲げているので、(いずれ) 読みたい本のリストも載せておく。



 

 



(写真:昼寝中のMarley)


今日のフロリダは一日中雨。

最高気温は22度、最低気温は19度だから過ごしやすいが、風がビュービューで、雨もしとしとではなくザーザーである。スコールを思いだす節もあるが、息苦しいむしむし感がなく、ここは過ごしやすくても南国ではないことが同時に感ぜられる。


そりゃあせっかくの土曜日なのに一日中雨というのは残念以外の何でもないが、サンノゼでは本当に雨が降らないから、雨降っているから何をしよう、ということ自体考えるのが久しぶりだと気づいた。それ自体がなんだか特別なことだと思えた。


映画を観て、昼寝して、音楽を聴きながら本を読んだだけで、結局何か特別なことをしたわけではないし、なんなら晴れている日もこういうことをしている。なのに、雨が降っていると、普段より一層こういうことをしていることがしっくりくるというか、あるべきものがあるべき場所に収まる時に感じる、充足感を感じた。


やはり、雨が降らないところに住んでいると、雨が降っているときに聴きたい音楽なんていうことも考えない訳である。だから、今日、本当に久しぶりにそんなことが浮かんで、Spotifyで『花様年華』(2000)のサントラのプレイリストを選んだ。アンニュイな感じの「夢二のテーマ」から、しっとりとしたQuizas Quizas Quizas (本当はNat King Coleバージョンが一番好きな訳じゃないけど)、マレーシアの蒸し暑さを思い出すBengawan Solo、本当に雨の日にぴったりはまるプレイリストだ。






(写真: Siesta Beach) 

今、実はフロリダにいる。義父母がここで家を買ったからちゃっかり居候をしている。

思ったほど暑くはなく、風が強く、涼しいのがフロリダの冬らしい。本当は海に入れるかと思っていたのだが、2回入って、もう入る勇気がない。やっぱり冬は冬なのだ。


映画やドラマに出てくるアメリカの都市といえば、ニューヨークとか、ロサンゼルスとか、そういう、きらびやかなところが多い気がする。まあ脚本を書いている人たちがそもそもそういうところに住んでいることが多いのだろう。しょうがないといえばそれまでだが、フロリダを舞台にしているいい映画、ドラマも意外とある。


最近、久しぶりに観たのは、ムーンライト(2016)。

初めて観たのはきっと、A24映画にハマり出したばかりの大学時代にみた気がするが、記憶には「よかった」以外の印象はあまりなかった。ストーリーさえ思い出せなかったからきっと悪癖の「ながら観」だったのだろう。今回はそれを反省し、電気を消してうちの新しく買った85インチもある巨大テレビ(TCLだからまあ値段も予算内)で観た。85インチもあるとやはり臨場感が違うから、こういう、絵になっている映画みるようにしている。


マイアミが舞台で、主人公の男の子の幼少期から大人になるまでの、所謂coming of age映画だ。台詞は少ないが、だからこそ一つ一つのシーンが際立つし、役者の演技力も引き立つ。始終、メランコリックなシーンが多いが、最初の方に、主人公と父親代わりのフアンが海に行って、泳ぎ方を教えるシーンで涙が止まらなかった。碧い海で、信頼する人に身も心も委ねる主人公の姿がとても美しく、幸せで、満たされていた。


同じ映画を観ても、人によって涙がでる部分が違うのは特に驚きはしないが、主人公が自分の中のマスキュリニティや性向について悩んでいるから、やっぱり、どうしても男性の方が色々思うところや共感するところが多いのだろう。と、号泣した夫が言っていた。


予告編をみるとかえって映画の楽しみが減ってしまうことが心配するから、全く関係ないけど、同じく月が出てくる曲をはっておく。












(写真:関係のないDeath Valley)

最近、ものすごい勢いで日本語を習得している友人がいて、読む力をつけようと、ラノベを買ったらしく、「おすすめを教えて」と言われた。

ラノベに指一本触れてこなかったので、適当にランキング化されている記事を見てみた。ラノベに関しては読まず嫌いで、手に取ったことさえ今までになかった。でもこれだけアニメにもなっているし訳だから、人気である理由も十分あるのだろうと思った。それであらすじを読んでみて試しに数ページを読んでみたのは『僕は友達が少ない』というやつだった。

あらすじはこうだ。

 

「残念系青春ラブコメ」のライトノベルです。
(中略)

学校で浮いた存在の主人公・羽瀬川小鷹は、いつも不機嫌そうな少女・三日月夜空が1人で楽しそうに歌っているのを目撃します。「エア友達」喋っていたと話す彼女と小鷹はどうすれば友達ができるか話し合います。

そして、夜空は友達作りを目指す「隣人部」を設立。すると、残念な美少女たちが続々と入部してきたのです……。みんなでゲームをしたりプールに行ったりと、迷走気味な彼らは友達を作れるのでしょうか。残念でありながらも楽しい隣人部の日常が描かれた、おすすめの作品です。

なるほど、中高時代友達が少なかった自分として共鳴するものがあるかもしれないと思って、冒頭の数ページだけ読んでみようと思った。

が、しかし、本当にひどかった。数ページしか読んでいないのに酷評するのは不誠実にも思えるが、なんせひどい。読み進めることができないほど、耐え難き酷さ。

一章目の題名は「プロローグというか、キャラの顔見せというか、ツカミのようなもの」。

うん、よく言えばわかりやすくて、悪く言えば安直。でもまあこういうところも、ラノベ独特のユーモアなのだろう。

読み進める。本当に、登場人物一人ひとりの顔立ち(というか、カラフルな髪の毛とそれに負けないカラフルな目の色の描写)と妄想の世界で着ている水着の色と種類の紹介だった。登場人物は主人公以外全員女子高生だが、どの人物も「美少女」ということをいやというほど聞かされる。同い年の主人公は、なぜ同級生を「美少女」だとわざわざいうのか。普通同級生であれば、かわいいとか、きれいとか、クールとか、いくらでも形容詞はあるのに、なぜ「美少女」と連発するのか。それに下心のような、変な意図を汲み取らざるを得ない。そしてそれに対して嫌悪感を抱く。

そしてたたみかけるように、なぜか、「幼女」というワードが出てくる。吐き気がする。

いくら男性向けの作品だとは言え、最初の数ページからこの調子なのだ。

5ページほどいやいや読んで「試し読み」タブを閉じる。本当に寒気がする。怖いという感想しかない。

この未知との遭遇が、ライトノベルというジャンルに対して抱いていた読まず嫌いを、見事に読んで猶更嫌いに変化させていた。他の作品を見る気にすらならない。何が一番怖いかってこれが、アニメ化、漫画化、実写化までこぎつけるほどの人気を博していることが驚愕。

こんなもの、人様におすすめできるわけがない。

他の好きな作品を紹介しよう。ラノベを辞書で引きながら読む人におすすめできる作品ってなんだろう。

できれば短いものがいいのだろうし、あまり内容が難しいのも無理がある。

そうだ、穂村弘先生がいるではないか。

もしもし、運命の人ですか』、『蚊がいる』、『君がいない夜のごはん』、出てくるわ出てくる、秀作ばかり。というか、秀作しかない。そして、歌人だから、きっと、日本語のリズムが體にしみついているのだろう、という安心感がある。作品一覧を見ながら、「試し読み」の10数ページを読みながら、なんとも愉快な気持ちになる。

あーほしい。

なんで日本が帰った時に何も買ってこなかったんだろう。

そう、今一番ほしいものは、穂村弘先生がいる生活。そして穂村弘先生の文章力。

それか、新しいアイパッドか。

 

 

 

 

 

 

 

 

今一番欲しいもの

 

 

 

 

 

同じネタで投稿する

 

他の投稿ネタを確認する

 

 

 

 

書くのが久しぶりすぎて、書き方を忘れている気がする。

そもそもブログを始めたときの目標が壮大すぎた。毎日そんなネタになるようなことが起こるわけじゃないし、普段の何もない生活でも何かと忙しい。と、一応苦しい言い訳をしてみる。

でも、ネタギレになって初めて出てくる文章というのもあると思う。頑張って書いていた時の記事をみて、そう思った。

だから今日から、改めて頑張ろうと思う。

 

11月30日にSpotify Wrappedがリリースされた。

去年もあったキャンペーンだが、去年も今年も驚かない結果となった。でも、不思議なことに、去年の反応は「あーまあそうだよね」という納得だったのに対し、今年は納得に加えて、なんだか恥ずかしかった。

 

Top Songsは写真の通り、

1.I Wish You Love (Laufey)

2. Falling Behind (Laufey)

3. Valentine (Laufey)

4. Fragile (Laufey)

5. My Love Mine All Mine (Mitski)

 

という、自分の一点集中型性がわかりやすく浮き彫りとなっている。なんとも恥ずかしい。今年の8月・9月ごろにLaufeyにどっぷりはまってしまって、聞き続けたのは知っているが、こうやってランキングに出てしまうと、本当にそれが恥ずかしい。もっと素敵な、世界が広い、多趣味で、eclecticで、とにかく、もっとかっこいい人間になれないものなのか、と考えてしまう。そんなことを考えながら自分のSpotify Wrappedを見ていると、The Atlanticからこんな記事が出ていた。その中には、自分と同じく、「もっと素敵な人になりたい」というか、「Spotifyに、素敵な人に思われたい」と思う人たちが紹介されていて、そして、その願望を何とか叶えるための方法を真剣にアドバイスしている大学新聞(端的に言えば、寝ている間に「素敵人間プレイリスト」を流し続ける)が紹介されていた。やっぱり、みんな同じように、こういうものを見て、自分に落胆する部分は共通しているらしい。そして、中二病的懐メロをたまに聞いていることを自分ではわかっていても、少なくともSNSでシェアするSpotify Wrapped上では、素敵人間でありたいのだ。

同時に、小さな不安が芽生える。

小さいころから、一回はまると、全曲聞いて、全歌詞覚えて、ある日ふと、熱が冷めてしまう。自分の熱を自覚しながらも、熱が冷めてしまう近い将来が同時に見えてしまうのだ。そういうところにさらに、自分は薄情な人間なのではないかと思ったり、はまらず適度に「好き」という気持ちを保ち続けたほうが正しい「好き」の表現なのではないかと、思ったりする。こんなことを、何百万のフォロワーがいるアーティストについて考えること自体も恥ずかしい。私一人の熱が冷めようがどうしようが、関係ないし。

 

 

先日、Laufeyにはまらなければよかった、と思ったこと起きた。

来年のツアースケジュールが発表されたのだ。

もとより、チケットをとるのは難しいということはわかっていた。Modern Jazz's Biggest Star と言われたり、最新アルバムのBewitchedはリリースされ、Spotifyグローバルチャート2位までのぼった。チケットとれるわけがない。でも諦めたらそこで試合終了だ。

12月4日にツアーが発表され、早速アーティスト先行販売に登録して、12月6日の10時を待った。これは戦争。

サンフランシスコは当初、4月12・13日の二日だった。夫の手も借りて、パソコンとスマホでチケットサイトにログインして、登録しているカード情報も確認して、待ち続けた。

9:50分にWaiting Roomという、正直どういう空間なのかいまいち何なのかよくわからないページに更新され、そこで10分ほど待って(この待ち時間も何とも言えない苦痛)、10時1分ごろにバーチャルな列(Queue)に並ばさせてもらえる。

そのページになった瞬間、時すでに遅し。

 

「あなたの前に5128人並んでいます」

 

と表示された。夫のスマホに表示されていたのは、約7000人だった。

会場の収容人数は3000人らしい。

小学生でもわかる無理な算数。それでも待ち続けた。

20分後にやっとチケット購入画面に入れたが、やっぱり全部売り切れていた。そして、時々「販売中」とひょこひょこ青いドットが表示されるが、それはfalse hopeを通り超した、残酷なものだった。安くても455ドルだった。

ここでやっとあきらめて、画面を閉じた。

はまるんじゃなかった。はまった自分がわるい。期待した自分がバカだった。一刻でも早く熱を冷ましたい。

 

最後に、推し活の喜怒哀楽を描いている、好きなCMを貼っておく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



(写真:まもなく盗難にあう夫とルぺちゃん)


最近は帰国の準備やお友達が明日来ることやら、普通に毎日投稿は疲れる、という諸々の事情があって不本意ながらもブログ書いていなかった。

書かなすぎてアメーバのアプリからログアウトされていてちょっと傷ついた。


2週間ほど前に、夫がマンモスに会いに行きたい、会いに行きたいと騒がしいので、サンノゼ在住のマンモス、ルペちゃんに会いに行ってきた。

自分としては「ただの像だよ」(ダジャレではない)と何度も言って、あまり行きたくないオーラを出していたが、押し通されてしまった。

ルぺちゃんは、子供のマンモスなので、小さめのゾウサイズの像。2005年にGuadalupe Riverあたりでただのおじさん(厳密に言えばおじさんの犬)が見つけて、Guadalupe River で発見されたからルぺちゃんという安直な名前だが、まあまあ可愛いからよしとする。この川沿いに散歩・自転車用トレイルがあって、サンノゼ空港もそれにずっと沿っている。そのトレイルを進んでいくと、San Jose Market Centerという、レストラン、雑貨屋、手芸店、スーパーなどいろんな店が集まっているところに辿り着く。ここで毛糸が買いたかったのだ。今まで自転車で行ったことがなかったから気づかなかったけれど、このモール的な場所に近いトレイルにはホームレスのテントがいっぱいあって、あまり治安はよろしくない。車も通っていないし、一応公園だからスペースはあるし、中にはテントではなく掘建小屋みたいなものもあった。


自転車を人通りの多いお店の前におき、Dロックをかけて、ご飯を食べ、服を少し見たあとに自転車をチェックしに行ったら、ホイール二輪とも盗まれていた。自転車本体はロックにつながれたままだった。ホイールのない自転車って本当に惨めにみえる。

ショックだったけれど、同時にあまり驚きはしなかった。あーやっぱりここ治安悪いんだ、とある意味納得。

そこで警察に電話したり、どうしようかと話していた時に、おじさんがやってきて、犯人をみた、と。

追いかけたけど逃げられて、隣の(私の)自転車の車輪も外そうとしていた、という。

親切に電話番号も教えてくれて、「もし警察の届け出で必要だったらいつでも連絡して」と言われた。


警察に一応電話したけど、「じゃあ犯人の身なりとか情報とかはないんですね?その場合はオンラインで届出を出して、自転車保険に入っているなら保険会社に提出してください」と、あまり相手にされなかった。こういうことはしょっちゅう起こることだから警察も動かない。


そして、盗まれたところは家から自転車で30-40分くらいかかるところだから、歩いて帰るとなると2時間ほどかかる。幸い私の自転車は無事だったので、猛ダッシュで先に帰り、車を出して夫を迎えに行ったが、それでも彼は1時間ずっと20キロくらいある自転車本体を担いでいたからヘトヘト。そして別の意味でもボロボロ。かわいそうに。


家に帰って、何を思い立ったのか、自転車屋さんではなく、自分で車輪つける、とか言って、ネットで道具やら車輪やら、自転車の修理ハンドブックまでオーダーした。


「この方が安く済むし、一石二鳥で自転車のメンテナンスも勉強できる」


うーん、一石二鳥、、、一石二鳥ね、、、


続々我が家に色々届き、夫は


It‘s like Christmas!!!


とウキウキ。


うーん、これクリスマスみたい?

そうかな、、、そう思えばそうなのだろう。



先週の金曜日にLaufeyの新しいアルバム、Bewitchedが出た。

とは言え、前々からシングルとYouTubeで公開されている曲も結構入っているから、実際はじめて聴く曲はあまりなかった。

それより、アルバム公開と同時に、アルバム全曲の楽譜がダウンロードできるようになった。こんなことをするアーティストは聞いたことがないけど、嬉しいものだ。

今練習しているのは「Promise」という曲で、失恋したばかりの、強がりたいけど強がりきれない感情を描いている曲。同じコードをほぼ繰り返しているだけなのだが、楽譜は8枚もあって、苦戦している。

同じところを繰り返し練習しなければいけないから、下手なのに徐々につまんなくなっていく、けれど練習しないといつまで経ってもできるわけがない。


練習と同時進行で初心者向け音楽理論のハンドブックを読んでいる。言っていることをふむふむ、なるほど、と思いながら読んでいても、これが実践的に使える情報になるのはまだ遠い未来になりそうだ。


先週の金曜日からうちに猫がやってきた。元ルームメイトの黒猫で、旅行に行くから1週間ほど預かることになった。犬のような猫で人懐っこい。一緒に住んでいたときはしばらくかまってあげていたのだが、徐々にウザくなっていき、そして、リビングにトイレがあったせいでリビングがほぼ使えなくなったり、いろいろトラウマを抱えていた。が、1週間くらいならあずかっても大したことない。吐かないでいてくれるといいのだが。