本当に好きな仕事を シンガポール就職
人材の仕事は、きっと今でも続けてやっていればそれなりにできたかもしれない。だけど、当時の私の身体がとてつもない拒絶反応を示していた。仕事を始めると、どんどん先に進んで要領よく最初から好スタートを切って一目置かれる人と私みたいにスローな感じで始まる人がいる。添乗員の仕事を始めた時もそうだった。最初は目立たない存在で、後からじわじわと追い抜いて行く。マラソン選手がよくその時を楽しむというが、その追い抜いていく感覚が好きだった。後で絶対に挽回できる、とわかっていても、何しろ、この笑いのない環境に自分を置いていることがとても苦痛でしょうがなかった。やってもやっても好きになれない。好きこそものの上手なれ、で好きなことは言われなくても調べたり追及したりできるが、やる気が起きなかったのはきっと興味がなかったのだと思う。それから、もう一つ。35歳にもなって転職となると、ヘッドハンティング以外は難しい。ある程度の専門スキルを身につけた上で、立ち上げとか、どこどこの支店長クラスくらいになって従業員を指導していく立場にならないと。全く新しい分野からのスタートでは、年下に指導されることになる。それに耐えられればいいのだけれど。自分の進みたい道は、35歳くらいまでに確立してそれを突き通す方が良い。新しい分野で、何か自分のビジネスをスタートさせたい、そんな野心があるのなら、新しい仕事も良いかもしれない。例えばアルバイト。時給600円で好きなアルバイトをするか。時給1,200円で嫌いなアルバイトをするか。お金のためだけを考えると、それは自分を1時間1,200円の価値にしか置き換えられない、いわゆる身売りになってしまう。1時間1,200円のみの価値の人間にしかならない。だけど、好きな事、学びたい仕事を600円で請け負うならばそれは1時間が600円の価値だけではなく自己投資になる。時間だけが淡々と過ぎていくのではなく、お金をもらいながらスキルを身に着ける。レストランであれば、接客マナーだったり、シェフとしてのレシピをもらったり、在庫管理や買い付けの仕方を学んだり、経営者が尊敬できる人だったり。スキルを身に付けるには、専門学校に行ったりしてそれなりの学費や教材費を払わないといけないがもし良い環境のアルバイトを見つけることができればお金を貰いながらのラッキーな道になる。私の場合、この人材の会社や方針が、結局好きじゃなかった。だから3ヶ月で離職することにした。辞める時の鉄則は、「円満退社」。最後に何を言われても、それを受け入れ、頭を下げる。「社長、お話があります。」いつもの朝礼が終わった後に、社長のデスクの前に向かった。社長は「来たか」というような顔で、私を別室に呼びだした。「社長、すみません。私にはこの仕事は続けられません。この前の社長の質問の答えです。私はこの仕事が好きではありません。私は、みんなの人気者になって人を笑わせる仕事が好きです。社長、この会社のためにお役に立てなくてすみません。」そう言っている間に涙がいつのまにかポロポロと出てきた。この涙は、当時はできなくて悔しいという涙だと思っていたが、今考えると、惰性だったような気がする。例えば、同棲している恋人がいて、もうお互い冷めた感情でいるのに一緒に暮らしているとする。お互いのために別れようとして、いざ引っ越しをするとき、今まで続いてきたこの環境や現状にお別れするのが淋しいというような感情と同じ。(なんか違うか?)突然の私の退職届けに、周りのスタッフも驚いた様子だった。その日の昼過ぎには、デスクのものをさっさと片付けて自分の荷物を全部持って会社を後にした。エアコンと緊張でカチコチになってしまった身体を外の熱気で溶かしながら、大きく背伸びをした。久々に常夏の空気の匂いがした。思った以上に、スッキリした。ずっとこの言葉を社長に言いたかったのだから。 *マンダリンオリエンタルホテルのプールサイド にほんブログ村