七月大歌舞伎、恒例、大阪松竹座に行ってきました!!
大阪道頓堀といえば…これかな
かに道楽
くいだおれ人形
ダイジェスト版動画としては、なかなか良いところを切り取ってますよ!
まずは昼の部
●吉例寿曽我(きちれいことぶきそが)
石段での立廻りと曽我の世界を彩る役柄が集うひと幕
鎌倉鶴ヶ岡八幡宮の石段前では、工藤祐経の家臣近江小藤太と八幡三郎が、謀反の企みが書かれた巻物を奪い合い、大立廻りを見せます。所変わって大磯の廓近く。工藤祐経をはじめ皆々が、一巻を巡っての探り合いになります。
源頼朝が行った富士の巻狩りの際に、曾我祐成と曾我時致の兄弟が父親の仇である工藤祐経を討った事件を元にしたお芝居「 寿曽我対面」は、江戸時代から非常に人気が高く、いくつもヴァリエーションがあります。
曽我モノの詳しい説明はこちらをどうぞ。
通称「曽我の石段」といわれる、「吉例寿曽我」は初めて見たかな。
石段が「がんどう返し」で転換されるのは迫力ありました!
(大道具を90度後ろへ倒し、底面を垂直に立てて次の場面に転換させること。また、その仕掛け。)
衣装も豪華!可愛いな~~
曽我兄弟は、おっとりした兄の曽我十郎祐成(片岡千之助)と、血気盛んな弟の曽我五郎時致(市川染五郎)です。
五郎の足の親指がピン!と立っているの、分かりますか?
荒事ではこうしてポーズを決めて立つとき、親指を立てるんです。
今回、染五郎君が五郎を演じていて驚きました!!
どちらかというと、線の細い、真面目な役どころが多かったので、荒事の役を観るのは初めて!!
まだまだ様式美というには若いなという感じはありますが、精一杯大きく華やかに演じていて、彼の夢である「弁慶」に一歩近づいたようで嬉しかったです!
●京鹿子娘道成寺(きょうかのこむすめどうじょうじ)
切ない恋心を華やかに踊り分ける舞踊。
桜満開の道成寺。清姫の化身だった大蛇に鐘を焼かれた道成寺は長らく女人禁制となっていた。
以来鐘がなかったが、ようやく鐘が奉納されることとなり、その供養が行われることになった。
そこに、花子(尾上菊之助)という美しい女がやってきた。聞けば白拍子だという。鐘の供養があると聞いたので拝ませてほしいという。所化(修行中の若い僧)たちは白拍子の美しさに、舞を舞うことを条件として烏帽子を渡し入山を許してしまう。
鐘供養のため所化が集まる紀州の道成寺。そこへ白拍子の花子が現れ、鐘を拝みたいと申し出ます。所化たちは舞を奉納するならと承知しますが、花子が切ない恋心を艶やかに踊り披露するうち、次第に形相が変わり…。
桜満開の舞台ですから、後ろで演奏している人たちも、桜模様の裃を付けています。
1時間強、恋する娘をさまざまに1人で踊り分ける、歌舞伎舞踊屈指の大曲です。
所化(お坊さん)のコント(笑)なども挟まれますが、途中で何度も衣装の引き抜きなどもあり、傘、手ぬぐい、鈴太鼓など色々と持ち替えるなど、とても華やかでダイナミックな舞踊。
これを1人で踊り切るのは、身体的にも精神的にも非常に大変だと思います。
能の舞のように、半眼でどこを見ているのかわからないような神秘的な視線、恋する娘としての恥じらいと華やかさ、安珍を呪う清姫が乗り移った形相など、その表情を見ているだけでもうっとりします。
●沼津(ぬまづ)
情愛と義理の間、哀切を極める親子の物語
東海道を旅する呉服屋十兵衛は、沼津のはずれで雲助(荷物持ち)の平作と出会います。年老いた平作から頼み込まれ荷物を持たせますが、その足元はおぼつかない様子です。道を急ぐ十兵衛でしたが、平作の娘お米にひと目惚れをし、家に立ち寄ることにします。その夜、平作とお米の話を聞いた十兵衛は、その事実に驚き…。
時代物の名作『伊賀越道中双六』のなかでも、親子の情愛や心の機微が細やかに描かれた義太夫狂言の名作。
「偶然知り合った人物同志が実は親子だった」というのは、歌舞伎ではよくある展開です。
ここではさらに「敵同士でもある」という設定も明らかになり、親子の情を取るか、主君との忠義を取るか、で揺れ動き悩む十兵衛。
田舎者で気の良い親父の平作(中村鴈治郎)さんと、スマートで優しい十兵衛(中村扇雀)さんのコンビがとても良かったです。
旅の途中なので、お約束の客席を練り歩く演出も復活。
松竹座ではコロナ禍以降では初めてだったそうで、「やっと、はやり病が治まりましたなぁ」というセリフに拍手が起きました。
ただ、今の感覚からすると、思い悩んでどうするか、の部分はちょっと長く感じますね。なかなか話が進まなくて。
さて、ここで昼の部は終了。1時間後に夜の部が始まります。
●俊寛(しゅんかん)
絶海の孤島で起きる悲劇
鬼界ヶ島に流罪となった俊寛僧都、丹波少将成経、平判官康頼。俊寛は流人生活に憔悴していますが、成経が島に住む海女の千鳥と夫婦になることを聞き、日頃の憂いを忘れ喜び夫婦の盃事を行います。
そこへ都からの赦免船が到着し、
上使の瀬尾太郎兼康から成経と康頼の二人が許されることが知らされます。
自分の名がない俊寛は嘆きますが、もう一人の上使、丹左衛門尉基康が現れ、俊寛にも赦免が告げられます。一同は喜びますが、千鳥の乗船は許されず、悲嘆にくれる千鳥の様子を見た俊寛は…。
俊寛の孤独と悲哀を描き出す近松門左衛門の名作。
仁左衛門様の俊寛は、2018年の博多座でも観ています。
詳しいストーリーはこちらからどうぞ
このお芝居のテーマは
思い切っても凡夫心(ぼんぷしん)
諦めたつもりでも、煩悩は消し難い。という心情。
たった一人、地獄のような孤島に置き去りにされ、そこで寂しく死んでいくであろう未来。
自分が決めたこととはいえ、その哀しさ、孤独、恐怖は計り知れないものがあります。
悟りを開いた出家ではなく、ただ1人の人間として、生い茂る蔦につかまり、松の木にすがり高台によじ登って、遠ざかる船に向かっていつまでも悲痛な声をかける姿の哀れさ。
最後、船も見えなくなり、声も聴こえなくなり、ただ一人呆然と取り残されたときの表情。
怒り・哀しみ・孤独…もうなんとも言えない様々な感情が混じり合った、しかし何もない無の表情。
俊寛は、とても気持ちの浮き沈みが大きい役です。
仁左衛門様の、とてもドラマティックで心を揺さぶる、生々しい感情の揺れが伝わるお芝居は圧巻でした。
●吉原狐(よしわらぎつね)
情緒あふれる、おかしくもほのぼのとした人情噺
ところは吉原仲之町。思いやりがありみんなに好かれている三五郎は、吉原で芸者屋を営んでいます。三五郎の娘で芸者のおきちは、早とちりで失敗談に事欠かず、落ち目の男を見ると狐がついたように惚れてしまうというところから、吉原狐とあだ名をつけられています。そんな三五郎とおきちがいるところへ芸者仲間などが登場してひと騒動が起き…。
勘違いから巻き起こる楽しい人情噺。
これは初めて観るお芝居。
吉原随一の人気芸者おきちは、早とちりゆえに失敗ばかり、また、落目の男を見ると狐憑きのように惚れてしまうという悪い性分で、いつも周りを巻き込んで引っ掻き回しています。
早とちりで喧嘩っ早くて、すぐ「だメンズ」に惚れてしまうおきちは、もう米吉くんにピッタリ!!
彼にアテガキで書かれたんじゃないかと思うぐらい、チャーミングでした。
「吉原狐」は、村上元三が、勘三郎さんに芸者を演じさせようと書いたお芝居。
1961年に東京・歌舞伎座で初演され、十七世中村勘三郎がおきちを勤めました。
2回目は2006年に歌舞伎座で上演され、今回で3回目。
大阪松竹座は初めての染五郎クンは、2006年には父の幸四郎が勤めていた采女を演じています。
この役も、接待で芸者遊び、業者いじめ、公金を使い込んで女を頼って逃げようとする、という放蕩な役。
高校生にはちょっと難しいけれど、色々と役の幅を広げる機会があって良いですね。
自分が仕事で失敗してしまったため、娘を廓に出さなければならなかったことを、父親である三五郎(松本幸四郎)はとても気に病んでいます。
でもそんなことは全然気にしていない明るいおきちは、父と毎朝一緒に銭湯に行くのが楽しみな仲良し親子なんです。
良い笑顔!!
この笑顔で打ち出しとなって、とても幸せな気持ちで劇場を後にしました。
七月、松竹座での大歌舞伎は、役者さんも演目も面白くて、毎年楽しみにしています。
コロナでしばらく遠征ができず、5年ぶりの松竹座!
2017年
2018年
そして演目以上に楽しみにしていたのが、老舗「道頓堀 今井」の白波そば。7月だけの特別メニューで、「鱧」が乗っている冷たいおそばなんです!
極彩色の道頓堀で、
別世界のように涼やかな佇まい。
今までは、昼夜の間に行って、サクッと食べられるお店だったのに、インバウンドと申しましょうか…観光客が殺到していて長蛇の列!とても1時間では食べられそうになかったので泣く泣く諦めました。
あーーーーー白波そば、食べたかったよーーーーー
8割ぐらい、それ目的で行ったのに!!
5年ぶりだったのにーーーーー!!!
また1年、待たなきゃいけない……
大阪の本店でないと食べられないんです。
帰り、新大阪まで来てふと「芝居が終わってから食べて、もっと遅い新幹線で帰れば良かったじゃん」と気付いてしまい、さらに落ち込んだ気分になってしまいました。
移動に往復8時間、観劇に8時間。
そこそこハードな弾丸日帰り大阪遠征。
大いに心残りな旅となってしまいました。