壽 初春大歌舞伎 | akaneの鑑賞記録

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1月の歌舞伎鑑賞は、第1部のみ。

 

新年最初の演目はお正月らしい曽我物の舞踊、『壽浅草柱建(ことほぎてはながたつどうはしらだて)』。

柱建ての儀式の場に居並ぶのは、曽我五郎(松也)、曽我十郎(隼人)、小林朝比奈(巳之助)、大磯の虎(米吉)、化粧坂少将(莟玉)、喜瀬川亀鶴(鶴松)、茶道珍斎(種之助)、小林妹舞鶴(新悟)、工藤祐経(歌昇)。

 

 


今年は浅草歌舞伎が中止なので、「新春浅草歌舞伎」を彩る顔ぶれでのお目出たい演目です。
演技の深み、ということではまだまだかもしれませんが、歌舞伎座の大きな舞台にも負けないなエネルギー、存在感があって嬉しく思いました。
それにやっぱり若さって良いですよね!
20代の若者だから肌も美しくて化粧が本当に映えるし、見目麗しくてとても眼福でした。
 

 

 


曾我兄弟の仇討ち(そがきょうだいのあだうち)は、源頼朝が行った富士の巻狩りの際に、曾我祐成と曾我時致の兄弟が父親の仇である工藤祐経を討った事件です。

 


建久4年(1193年)5月28日。源頼朝は、富士の裾野で盛大な巻狩を開催しました。巻狩には工藤祐経も参加しており、最後の夜の5月28日、曾我兄弟は祐経の寝所に押し入ります。兄弟は酒に酔って遊女と寝ていた祐経を起こして、討ち果たしますが、騒ぎを聞きつけて集まってきた武士たちが兄弟を取り囲みます。兄弟はここで10人斬りの働きをしましたが、ついに兄祐成が仁田忠常に討たれ、弟の時致は、頼朝の館に押し入ったところを、女装した小舎人の五郎丸によって取り押さえらた、という話。

 


この事件は「赤穂浪士の討ち入り」と「伊賀越えの仇討ち」に並ぶ、日本三大仇討ちの一つで、武士社会において仇討ちの模範とされていたそうです。

曽我兄弟の仇討ちを扱った演目は、江戸時代から非常に人気が高く、お正月の公演には必ず曽我モノを入れるのが習わしでした。

 

 

 

 

基本となるのは「寿曽我対面」という演目です。

ストーリーは

源頼朝の重臣工藤祐経は富士の巻狩りの総奉行を仰せつけられることとなり、工藤の屋敷では大名や遊女大磯の虎、化粧坂の少将が祝いに駆け付けている。そこへ朝比奈三郎(小林朝比奈)が二人の若者を連れてくる。見れば、かつて工藤が討った河津三郎の忘れ形見、曽我十郎・五郎の兄弟であった。父の敵とはやる兄弟に朝比奈がなだめ、工藤は、巻狩りの身分証明書である狩場の切手を兄弟に与え双方再会を期して別れる。

というもの。
 

 

 

華やかな舞台ですね。

 

 


「仇討ちを狙う曽我兄弟と敵役の工藤祐経」この大筋は変えずに、毎年様々なアレンジを加えたバリエーション版が作られました。
お客さんの入りが良いとロングラン公演され、曽我兄弟が討ち果たされた5/28まで続くこともあったそうです。



今回も富士の裾野で巻狩が行われるという設定は同じです。
巻狩といっても、単なる狩りではなく、実際のところは軍事実地訓練のようなもので、1000人規模の武士が集まる催しでした。
それだけの人員を収容するには仮の宿舎を作らなければならず、その御柱を立てる日、という設定です。
それが終われば、宴会があるので、人足たちも楽しみにしています。

 


十郎(兄)はおっとり優しい性格、五郎(弟)は喧嘩っ早い熱血漢というのはどの演目でもテッパンです。
中村隼人君と、尾上松也君の配役もピッタリ。
この兄弟は、演目によって色々な職業の人に扮して登場します。

 


 

 

 

工藤祐経は、大磯の虎(米吉)、化粧坂少将(莟玉)、喜瀬川亀鶴(鶴松)と、3人の遊女、キレイどころを侍らせています。

 

米吉君のブログに写真がありました。

なかなか重そうな衣装!

 

 

 


実は大磯の虎は、十郎と恋人なんです!
実際も彼が討ち果たされた後も、ずっと十郎を思い続けていたのだとか。


兄弟をここに連れてきた小林朝比奈(巳之助)や茶道珍斎(種之助)など、二枚目役ばかりではなく、歌舞伎ではおかしみのある役がとても大事です。
若手でこれが演じられる人がいるのは、とても頼もしいです。

画像がなくて残念!

 

 


通常は「父の敵とはやる兄弟に朝比奈がなだめ、工藤は、巻狩りの身分証明書である狩場の切手を兄弟に与え双方再会を期して別れる」筋書きですが、今回は工藤が、一刻も早くコロナ禍が収まるようにと「浅草のお札」を渡して幕となりました。






二幕目は「猿翁十種」の一つである、舞踊劇の『悪太郎』。

 

 

 

猿翁十種(えんおう じっしゅ)とは、祖父・二代目市川猿之助(初代市川猿翁)が創作し、得意とした舞踊劇の中から、昭和39年(1964年)に三代目市川猿之助が十種類を選んだ澤瀉屋のお家芸です。


『悪太郎』(あくたろう)は狂言『悪太郎』を題材にしています。

悪太郎(猿之助)は、根は良い人物なのですが、無類の酒好きでトラブルが絶えません。
今日も、千鳥足で花道から登場。さっそく道中で出会った修行者の智蓮坊(福之助)に絡みだします。
しかし酔っぱらって寝ている間に、猿弥が勤める伯父の安木松之丞と鷹之資が勤める太郎冠者の策略により、自慢の鎌髭ごと剃られた悪太郎は改心し出家を決意。最後は智蓮坊も加わって、全員で軽快に舞います。
舞踊の名手、猿之助さんの舞いが堪能できる、楽しい一幕でした。

 

 

 

歌舞伎座は、現在も1席空けとなっています。

 

 

開演前、マスクをした状態でお客様同士がお話ししてても、係員の方が「会話はお控えください」とお声をかけていました。

 

観劇の楽しみであるお弁当も食べられませんし、空席も目立ちました。

 

 

いつまでこのような状態が続くのでしょうね…

 

ニュージーランドや台湾など、きちんとコロナを制御できた国もあるのですから、コロナだけが悪いわけではありません。

ダラダラと中途半端な政策、本当にもどかしいです。