アドラー心理学&マインドフルネスコーチ、
ジュバ智子です。
またまた聖書のお話シリーズ~
(そろそろネタ切れだよ)
今まで何度か、聖書の物語を
紹介してきました。
なぜ聖書なのかというと
2000年近く前に書かれた本なのに
現代と通じる面白い人間ドラマで
一杯だからです。
イエスという大工の息子が
神の子だったのか、
奇跡を起こしたのか、
復活したのかとか、
その辺は置いといて、
彼の、また彼に関わった人たちの
言葉や行動の中に、
現代人である私たちに
大切なことを教えてくれるものが
いくつもあるのです。
今日お話するのは、
「感謝するサマリア人」のお話。
「感謝すること」、
当たり前のことだけど、
今一度肝に銘じるのに
とても良いお話です。
いつものように
私の説明・解釈で!
イエスという男が
色々な村・町で話をし、
奇跡をおこなっているということが
かなり知れ渡っていた、
そんなころ、
イエスがある村に入ると、
ライ病を患っている10人の男が
待っていました。
ちなみに当時、
ライ病にかかるということは
社会からは徹底的に疎外、
邪魔者扱いされることであり、
(感染を防ぐ目的もあったのでしょう)
更に神からの罰を受けているとも
思われていましたので
「ライ病にかかる=人生終わった」
という感じでした。
治癒したと思われる場合は
祭司(当時の神官のような人達)に
身体を見せに行き、
清めの儀式をして初めて
社会生活に戻れることに
なっていました。
そんな感じでしたので、
イエスを待っていた10人の男たちは
必死だったに違いありません。
このチャンスを絶対に
逃すわけにはいかない。
イエスに近寄ることも許されていないので
遠くの方に立ち止まったまま
「先生!私たちを憐れんでください!」
と叫びます。
イエスは彼らを見て、
「祭司のところに行って、
身体を見せておいで」
とだけ言います。
男たちは早速、
祭司のところに向かいますが、
向かう途中で、ライ病が治ったことに
気づきます。
そこで何が起こったかと言うと、
10人のうち、1人だけが、
しかもサマリア人という部族、
当時イエスの属した部族と
強い対立関係にあった部族の男だけが
引き返してきて、
イエスの足元にひれ伏して
感謝したのです。
ひれ伏しているサマリア人に、イエスは
「他の人たちは?治ってるよね?
なのに、戻ってきたのは君だけなの?」
と言い、
「もういいからね、立って!
君の心が(聖書では「信仰が」)
君を治したんだよ」
と言います。
この話ね…
色々考えさせられるんですよね。
ライ病患者として生きるいう、
どん底の生活からやっと救ってもらえた。
でも、まずは、
祭司のお墨付きをもらわないといけない。
お墨付きもらって初めて、
人間としての生活ができるから。
だから、戻ってこなかった9人が
まずは祭司のところに行った気持ちは
同じ人間としてよくわかる。
よくわかるのだけど、
どん底の生活から救ってもらった9人が
感謝を差し置いて優先させたのは
自分の社会的ポジションの確保だった
ってことに、
やっぱり心がチクチクするんです。
心がチクチクするから、
サマリア人の行動の美しさに
心が打たれる。
当時の状況を考えてみれば、
あの時、すぐに引き返して
お礼を言わなければ
次、いつイエスに会えるのかも
わからないのですよ。
今ならSNSとか電話で
「あの時お世話になったxxですけど、
本当にあの節はほんとに…」とか
連絡が取れますが、
2000年前、多くの出会いは、
特にイエスのような旅人との出会いは、
まさに一期一会だったのです。
それなのに、感謝は二の次だった。
それに、もしかしたら
「イエスが奇跡を起こす」ということが
当時は「当たり前のこと」と
思われていたのかも知れません。
「当たり前のこと」への感謝を忘れる。
私も日常茶飯事。
追い詰められ、余裕がない時でも、
目先のことに振り回されず、
感謝をする時間をとるのか、
それとも、余裕がないがゆえに
目先のことだけを考えて
感謝を忘れてしまうのか。
「当たり前のことの有難さ」に
敏感になり、感謝するのか、
それとも、「当たり前」を
素通りし、感謝を忘れるのか。
人間とは弱く、
迷い多い生き物ですが、
選択する力を持っている
生き物でもあります。
「感謝する」を
選んでいきたいですね!
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