ダウン症の我が子は我が家の救世主だった話。 | ダウン症児のママはシンガーソングライター MIMOの「ギフト」な日々

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ダウン症の愛娘の子育てと、シンガーソングライターとしての音楽活動を楽しんでいます。
みなさんが元気でやさしくなれる情報をお届けいたします!

前回のブログ

 

第31回一筆啓上賞顕彰式に入賞しました!

 

の前置きがあまりにも

長くなったため

二つに分けました。

こちらは入賞した作品の

どうしても伝えたかった

私の思い入れを

書き連ねてみました。

 

 

まずは今回のお題「時:とき」について

今回実は

応募を見送る予定でした。

というのも昨年は

トリプルケア真っ最中。

その上宅建試験日が

2023年10月15日。

 

「クリエイティブ脳」を完全に

「宅建脳」に変更してました。

介護の苦しさをかき消すように

宅建の勉強にすべて

脳みそを捧げた日々。

 

でもね

頭の片隅できっと

私の「クリエイティブ脳」が

うずいていたのでしょうね。

 

宅建の試験が終わり

どうやら合格してそうだと

ホッとしてすぐ思ったことが

 

「一筆啓上賞の締め切り

 いつだったっけ?!笑い泣き

 

2023年10月20日・・・

あと5日ある!

過去4回応募して

2回入賞してるんだから!

為せば成る!

為さねば成らぬ!じゃ!

 

1回目作品

2回目作品

 

出さなきゃゲームオーバーだ!

なっちゃんに!

二人の「なっちゃん」に!
(夏井いつき先生と

 宮下奈都先生ね)

会えるためのチケット!

絶対にゲットしてやる!

 

全集中でふたたび

「クリエイティブ脳」へ変換!

 

 

応募チラシに書いてあった

 

「あの日、あの時、

 誰かを思うあなたがいる。」

 

というコピー。

それを何度も何度も

心の中で咀嚼していく。

 

もしも私が過去に戻って

誰かに声をかけ

救うことができるなら・・・。

 

そう突き詰めていくと

これ以上の想いは無かった。

 

 

娘のダウン症の告知をされたあの日

病院からの帰りの車の中で

もうこの世界が

終わってしまえばいいと思った。

 

ご近所に、友達に

そして父母たちに

どんな顔して伝えればいいだろう?

 

本当にあの日は危なかった。

下手すりゃどっかに

飛び込んでたかもしれない。

 

私何か悪いことした?

めでたいはずの我が子の誕生で

こんな地獄に突き落とされるなんて。

神様なんていない。

神様なんてもう信じない。

 

 

でもそれは

私の大いなる勘違いだった。

神様はいたよ。

しかもその神様は

このダウン症の子本人だったよ。

 

 

この子のおかげで出会えた人たち。

見えてきた世界、価値観。

私は生き直しをすることとなった。

 

 

なによりもこの子のおかげで

バラバラだった我が家は

強い強い絆で結ばれることとなる。

 

 

語り尽くせないほどの

我が家の宝物ストーリーたち。

 

認知症になった大暴れの母を

あーちゃん(ダウン症の娘)の

ユーモアと優しさで包んでいく。

その時の様子は

やまゆり園の事件のことに合わせて

こちらの記事に取り上げていただき。

 

 

最初はあーちゃんを

受け入れられなかった義父が

不慮の事故で身体障害者となり

最期はあーちゃんが

そのおとーさんの

生きる希望になっていた話は

こちらの記事で取り上げていただき。

 

 

そして私は

あーちゃんが生まれてくれたから

生み出してきた歌がある。

子を持って知る親の恩。

それを描いたのがこちら。

 

 

 

 

 

あーちゃんのおかげで

我が家はいつも

笑顔に満ち溢れている。

これを極上の幸せと呼ばず

なんと呼ぶ?

 

そう、あーちゃんは紛れなく

「我が家の救世主」

その言葉が一番しっくりきた。

 

 

ダウン症の告知をされたあの日

こんな日が来ると知っていたら

あんなに苦しまずに

あんなに悲しまずに

済んだのに。

 

もしもタイムマシーンがあって

過去に戻れるならば

今すぐに飛んで行って

私はあの日の私を抱きしめながら

こう言ってあげたいのです。

 

「大丈夫だよ。

 その子は我が家の

 救世主になるよ。

 だから・・・

 泣かないで・・・。」

 

 

あの絶望の日から今年で20年

あーちゃんが二十歳になった

今だからこそ

自信を持って言える言葉。

 

あーちゃんのばあばが

50年前に着た振袖を

仕立て直しました。

ばあば泣いて大喜び。

 

 

 

あの日

これからどう生きていこう?

みんなになんて伝えよう?

と小鹿のように震えてた私は

2024年現在

堂々と胸を張って

我が子への愛を

世界に向かって

高らかに

歌い上げているぞ。

 

 

そしてこの曲がきっかけとなり

いろんなご縁をいただき

ダウン症のある方々の素晴らしさを

世の中に伝えるがために

作った曲がこちら。

 

 

 

そしてこの想いは

私の中だけに留まるに収まらず

世の中に、いや世界に

伝えるべきことなのではないか?

そう思い始めることになる。

それが今の活動の原点です。

 

 

 

これは是非読んでいただきたいなぁ。

私の原点の宣誓とも言える文章。

 

「絶望」という名のスタート地点

 

あーちゃんのおかげで受賞できた

今年の一筆啓上賞。

あーちゃん本当にありがとう。

生まれてくれてありがとう。

これからもずっと

我が家の救世主でいてね。

 

 

 

さて来年のお題が

発表されました。

 

 

 

あーちゃんの笑顔をこのまま

ずっとずっと見ていたい。

それが今の私の「願い」だな。

 

このたびは入賞させていただき

一筆啓上関係者の皆様

本当にありがとうございました。

 

デジタル主流の世の中だけど

手紙という超アナログな手段で

相手に想いを馳せながら

言葉を綴るその時間が

何よりの贈り物になるのでは。

そんな手紙の良さを

これからも味わいながら

誰かを想って生きていきます。

 

ここまでの長文に

お付き合いいただき

ありがとうございました。