ダウン症児のママはシンガーソングライター MIMOの「ギフト」な日々

ダウン症児のママはシンガーソングライター MIMOの「ギフト」な日々

ダウン症の愛娘の子育てと、シンガーソングライターとしての音楽活動を楽しんでいます。
みなさんが元気でやさしくなれる情報をお届けいたします!

前回までの記事では

事故で寝たきりとなった
あたしの義父「おとーさん」の

これからの治療について

家族で出した答えを
主治医へ伝えた日のことを書いた。

 

 

これ以上の処置は‥‥

申し訳ありません。

望みません。

 

 

そう伝えたあたしに

先生は目を潤ませながら

「‥‥分かりました。」

そうおっしゃってくださった。

 

 

 

 

それはきっと

あたしたち家族の四年間を

先生がずっと
見守ってくださっていたから。

あたしにはそう思えた。

 

 

 

 

声を失っても

食べることができなくても

おとーさんの病室には
いつも笑い声があった。

 

 

今振り返れば

あの四年間は

ただ苦しいだけの

時間ではなかった。

 

 

家族が集まり

笑い

歌い

触れ合うことのできた

幸せな時間だった。

おとーさんのいる病室は

あたしたち家族にとっての
パワースポットだった。

 

 

会いたいと思えば

会いに行くことができた。

手を握りたいと思えば

手を握ることができた。

あの頃のあたしたちは

会いたい人に会えることが

当たり前ではなくなる日が

やって来るなんて

思いもよらなかった。

 

 

 

 

 

2020年。

新型コロナウイルスの感染が
少しずつ広がり始めた。

テレビでは毎日

感染者の数や

見慣れないウイルスの映像が
繰り返し流れていた。

 

 

それでも最初は

まさかそれが

あたしたち家族と
おとーさんの間にまで

入り込んでくるとは
思っていなかった。

 

 

ある日

病院から面会制限が始まると
告げられた。

昨日まで入ることのできた病室へ

突然

入ることができなくなった。

 

 

感染を防ぐために
必要なことだ

というのは分かっていた。

病院には

たくさんの高齢者や

重い病気を抱えた患者さんがいる。

守らなければならない命がある。

頭では分かっていた。

 

 

それでも

おとーさんに会えないという現実を

心は簡単に
受け入れることができなかった。

歌を届けることができない。

手を握ることもできない。

今日はこんなことがあったよと

ベッドのそばで
話すこともできない。

 

 

あたしたちがいつでも
愛を届けに行けた場所が

突然

遠い場所になった。

 

 

面会が許されるのは

おとーさんの容体が
急変したときだけだった。

病院から

「危篤です」

という連絡が来たときだけ

あたしたちは
おとーさんに会うことができた。

 

 

本当なら

絶対に聞きたくない言葉だった。

その電話が鳴るということは

おとーさんの命が
危ないということだ。

だけど

その電話が来なければ

あたしたちは
おとーさんに会えなかった。

 

 

会いたい。

でも

危篤になってほしくない。

電話が鳴るのが怖かった。

けれど

鳴らなければ会えなかった。

そんな矛盾の中で

あたしたちは
過ごすことになった。

 

 

病院からの電話が鳴るたび

心臓が止まりそうになった。

サチュレーション
(酸素飽和度)が

40ほどまで下がったこともあった。

急いで病院へ向かった。

今度こそ

もう駄目かもしれない。

何度そう思ったか分からない。

 

 

おとーさんは

事故のあと

肺炎や感染症を
何度も繰り返していた。

危篤の連絡は

一度や二度ではなかった。

そのたびに

あたしたちは
心の中で覚悟をした。

 

 

そして

病院へ駆けつけた。

けれどおとーさんは

何度も死の淵から
戻ってきた。

もう難しいかもしれないと
言われたあとも

また呼吸を取り戻した。

また目を開けた。

また

あたしたちのところへ
戻ってきてくれた。

 

 

けれど
時間は確実に
おとーさんの身体を

蝕んでいった。

抗生剤が効かなくなり

主治医から

「最後の砦」

という言葉を聞いたこともあった。

もう使える抗生剤が
ほとんど残っていない。

そんな厳しい状況だった。

 

 

それでも

おとーさんは
奇跡的に持ち直した。

不死鳥だった。

 

だからあたしたちは

いつしか

おとーさんは何度でも
戻ってきてくれる。

どれほど

危ない状態になっても。

そう思うようになっていた。


 

 

だから大丈夫だ。

今は会えなくても

コロナが明ければまた

今までの幸せな日々は

ちゃんと戻ってくる。

そう信じていた。

 

 

 

それから数か月後。

 

 

あーちゃんの進路を決めるため

パパも仕事を休み

家族三人で

施設の見学と面談に来ていた。

 

 

あーちゃんは

朝から制服姿だった。

三人がそろっていた。

パパも休みだった。

あーちゃんも。

今振り返れば

あまりにも

すべてが出来すぎていた。

 

 

 

そのときだった。

携帯電話が鳴った。

病院からだった。

電話に出ると

聞き慣れたはずの言葉が

耳に飛び込んできた。

 

「危篤です。」

「すぐに来てください。」

 

あたしたちは顔を見合わせ

急いで病院へ向かった。

何度も聞いてきた

危篤の電話。

今回もきっと

おとーさんは戻ってくる。

そう信じていた。

 

 

あの日が

おとーさんと過ごす

最後の日になることを

あたしたち家族は

まだ誰も知らなかった。

 

つづく。